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2010年04月のカグヤクルー日記

「始まりの日」

2010年4月 1日

こんにちは、秋山です。

4月1日は新年度の始まりの日。
私のカグヤ入社日でもあります。

会社の掲げる「理念」と、
子どもに対する「情熱」に惹かれ、
カグヤクルーの仲間入りをしました。

あれから月日は経ちましたが、
今も変わらず、
同じ気持ちで居られることを嬉しく思います。

私がそうで在れるのは、
前も今も変わらずに、

「自分らしさを発揮することが仕事。」

と言って頂いているからだと思います。

もちろん私だけに限らず、
全てのクルーが「らしさの発揮」を、
最も大切にすべき仕事とされています。

このような環境に居ると、

◆私の「らしさ」って何だろう?
◆私が「やりたいこと」って何だろう?
◆私の「ありのまま」ってどんな姿だろう?

あらゆる視点から、
自分と向き合わずには居られません。

常に自分について考えたり、
未来の自分を描きながら過ごすと、
自らの変化・成長に敏感になり…
1日1日を新鮮な気持ちで迎えられる気がします。

だからこそいつも「新しい自分」の始まりの日。

ありのままの姿を、
受け入れてくれる方々に感謝しつつ、
これからも【日々発見、日々挑戦】で生きたいと思います。

                    コンサルティングサポーター
                    秋山 有紀子


「育つということ」

2010年4月 2日

営業部の眞田です。

桜が各地で咲き始めていますが、桜が持つ美しさについて、
弊社代表より、「山の中にポツンとある山桜の美しさも素晴らしいよ」と教えていただき
最近意識をして見ているのですが、和歌山での出張中に高速道路を走っている中で
山桜の美しさに出会うことが出来ました。

深緑の山々に一つだけ、神々しい山桜が中腹に有ったのですが、
遠くから見ても、その桜の色合いは、あまりに周りの木々とは異質であり、
神々しくもあり、禍々しくもあり、狂気すら感じてしまうような美しさでした。

川岸に植えられた桜並木も美しいですが、山々に自然に育った桜の美しさもまた格別であることを
体験することが出来た素敵な瞬間でした。

自然というものを考えたとき、自然が持つ負荷というものを考えさせられる機会がありました。

ちょうど最近、ハイポニカ栽培というものを自宅で始めました。

ハイポニカ栽培とは、農作物を土で育てずに水と酸素と栄養素を循環させ、
それだけで育てる栽培方法なのですが、栽培方法としては、

作物そのものが持つ育つ力の抵抗となっている「土」を取り除く(根が伸びる抵抗となるため)
ことと「酸素」を循環させて根に酸素が沢山届くようにすること、
それから作物が育つための栄養素を水に混ぜる栽培方法です。

ガイアシンフォニーという映画にも取り上げられた技術なのですが、
一つのトマトの種から、1万3千個のトマトが取れるという驚異的な成長を達成しました。

シンプルに考えると

植物は「根」が伸びれば伸びるほどに大きくなりますが、
そのために「根」に負担となっている原因を取り除いてみたということのようです。

「その種がもつ有るがままの育つ力を最大限に発揮させるとどうなるのか」

という話ではあるのですが、

この栽培方法を試してみて、私が感じたのは

土や空気といった自然界の環境の中で私たちは成長していきますが、
生命そのものが持つ「育つ力」というのは、私が思っている以上に凄まじい力があり、
また可能性があるのだということを感じました。

普段、自然という環境の中で様々な抵抗や負荷がかかりながら成長する姿しか
見たことがない私は、まさかトマトが1万3000個の実を実らせる能力があるとは思いもしないわけです。

そのことを知れたという意味において、大変有意義な学びの場であることに気づきました。
それは、作物を人間や子どもに置き換えることも出来るのだと感じたからです。

「社会」で生きるということは、「土」で育つトマトと同じだと思いました。
私たちは社会という自然界の中で育つわけですが、
人間本来の「能力」「育つ力」というのはトマトの種と同じように
凄まじい可能性を秘めているのだと思いました。
だからこそ、トマトで言えば自然界の中で如何に良い土、水、空気
といった環境を用意できるのかといったことで
トマト本来の育つ力を邪魔しないことが出来るように、
子どもたちにも子どもたちが育つ力を邪魔しないように、
良い文化、良い習慣、良い家庭を、親であり大人である私が
まずは持たなければならないのだと学びました。

今回、ハイポニカ栽培を通して
個体が持つ「育つ可能性」と自然界における
「自然界との調和」の両方の観点を学ぶことが出来たように感じます。

あとは、夏に向けて、トマトと空芯菜の収穫を楽しみに、楽しみに待とうと思います。


「サクラ」

2010年4月 5日

こんにちは。宮前です。

最近は、桜の季節ということもあり、
外で桜を見て楽しむことは勿論、
日々の会話や数々のブログ、歌etc・・・
桜がとても身近です。

そんな中、
桜の代表格でもあるソメイヨシノが、
クローン桜である。
という話しを、耳にしました。

興味深いので、調べてみると、

彼岸桜と大島桜の変種という説や、
東京の染井村の植木屋が作ったという説など
色々あるそうです。

そもそも驚くことに、
300以上の種類がある桜の中で、
実を成して自生できるものは、
日本には、大島桜、山桜、彼岸桜の3つだけ。

あとは突然変異か品種改良したものばかりで
みんな、めしべが退化しているそうです。

身近な「ソメイヨシノ」もそのひとつで、
接木が簡単で、成長が早く、
花が枝いっぱいに咲くので、
明治から昭和初期にかけて大流行したそうですが・・・

切った枝を別品種の株にくっつける
接木の技術で増えてきたので、
世代交代がないために、
環境への適応力が弱くなっているとか。

また、めしべが退化し花粉もないソメイヨシノは、
自生もできず、鳥も寄りつかずということで・・・

なんだか人間都合でできたような、
どこか申し訳ない気持ちになります。

そんな桜だからか、
より美しく咲くことで、人間の目に触れさせ、
自分の仲間を多く植林させ、子孫を増やす。
という話しもあります。

そういう意味では、
人間と共生しているとも言えますが・・・。

どちらにしても、私には、
本来の桜とはかけ離れてしまったような
悲しさを感じます。

私たちもそうですが、
自然体でいれることは幸せなこと。

桜だって、ありのままでいたいのは
変わらないのではないでしょうか。

人間だって自然界の一員ですから、
この自然界においては、人間ばかりでなく、
生き物それぞれがちゃんと自然でいれるような、
関わりを持てたらと思います。

毎年春が来る度に、桜を楽しんでますが、
そのような背景を知ったこともあり、
今年は、咲き誇る桜を見る目も、
これまでとは、少し違ったものになりそうです。

カグヤ社内にも、桜の花や、
桜をモチーフにしたお飾りなどが、
春を伝えてくれてますが、
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このような、社内環境をつくる際にも、
ひとつひとつ意味を深め、向き合い、
日本の豊かさを感じるとともに、
色々と学んでいきたいと思います。

環境コーディネーター
宮前 奈々子


「子どもたちへの思い」

2010年4月 5日

こんにちは、カグヤの白土です。

今回も研修に入らせて頂いている園で感じたことをお伝えできればと思います。

今回は、長野県にある保育園さんに研修で入らせていただきました。
こちらの園での研修は2回目になります。

前回の研修と同様に土曜日の研修となりましたが、
今回も園はお休みとなっていました。
通常であれば休園というのはあまり考えられないかもしれませんが、
保護者の方にも職員研修の意味をしっかりと伝えられての休園です。
実際のところ、研修を行う立場としてもかなりプレッシャーを感じます。
保護者の方には、きっと子どもたちの為に先生が研修を受けている
と言うことが伝わっているのだと思います。

又、こちらの園の先生方は、
本当に子どものことが好きなんだと感じます。

もちろん表面的な部分だけで言っているわけではありません。

日々の業務が大変なのは、どこの園でも同じかもしれません。
しかし子どものことについて話をしている先生方の優しそうな表情は、
言葉では言い表すことが出来ません。

きっと子どもたちも、先生方の愛情あふれる表情から
多くのことを感じているのだと思います。
そんな素晴しい先生方の集まるこちらの園でも、課題がありました。

その課題は『職員間の共通理解』です。
どこの園でもありそうな問題ですが、
問題視されていない園もあるのも現状かと思います。
しかし子どもの事を考えるとどうなのか、
と私自身も日々上記の問題については考えさせられます。

特にこちらの園では、
時間により多くの職員の方が交代し子どもたちを見守っています。

その中で自分(先生)方がやりたいことだけをやるのであれば、
大きな問題ではないかもしれません。

しかし子どもたちの事をみんなで見守っていきたいという
こちらの園としては大きな問題なのです。

特に今回の研修では、
発達という事に焦点をあて共通理解について考えてみました。
担任の先生だからという括りではなく、
一人ひとりの先生が子どもの発達を同じように見れるようになりたい
というのがこちらの園での先生方の課題でした。

実際に一人ひとりの先生に発達についてどう捉えていらっしゃるのか伺いました。
そうするとやはり捉え方が先生にって違うのです。

100%同じという事は無理かもしれませんが、
この状況が子どもたちにとって良い状況といえるのか?
更に話を伺うと参加された方全員が良くないのではというふうに言われました。

結果的にこちらの園では毎月先生方が集まり発達について話し合うこととなりました。

今の保育園の中で話し合いを行う為の時間を
確保するのは本当に大変なことかもしれません。
しかしこちらの園では自分達(先生)を
優先するのではなく、やはり子どもたちでした。

又話し合いを行うということは、
一見アナログ的なやり方かとは思いますが、
そこには共通理解をはるかに超えた何かがあるのではと今回感じました。
共通理解を図ることももちろん大事だと思いますが、
子どもたちの為にみんなで取り組んでいるという方を
大事にしていただきたいと思います。

今回も新たな気づきを頂きましたことに感謝です。

                       オルタナティブコンサルタント
                       白土 大樹


「自分にしか出来ないこと」

2010年4月 7日

こんにちはコンシェルジェの瀬口です。

先日、毎朝の一円対話にて
二宮金次郎の言葉を素読していると、こんな話がありました。
人知れずの陰の苦労を厭わず実践するという話をテーマに深め、
それぞれの実践を聴いていると、こんな会話がありました。

「いつも○○しているね」

「いや~自分は何も出来ないですから○○をすることしかできないので」
と、ある会話が交わされます。

ここで、皆で思うのです。

どんなに些細なことでも確実に周りを手助けしてくれているのだということを。
その貢献と恩恵を皆が理解すると、あなたの存在そのものが、
私たちを救ってくれるのだということに気づかされた様に思います。

きっと
「何もできないと理解しつつ、自分にしか出来ないことで皆に貢献する人」
だという事なのですね。

世の中には色んなタイプの人がいます。
・自分にできない事を理解しようとせずに、何でも手を出してしまう人
・自分に出来る事しかせずに、自分でなくてもいいことを実施する人
などなど

カグヤの理念の中には
「自分にしか出来ないことをやる」
という事があります。

自分に与えられたミッション、
自分の個性を大事にしてよいと保証されています。
よく自分を省みて、内からこみ上げてくるものより、
精一杯まごころをこめて実施すること。
それが何よりも大事なことです。
忙しくしてしまい、自分だけしか見なくなると、
全然、その恩恵に気づくこともできません。
ですから、自分自身の精神的なゆとりを保つということも勿論大事であり。
周囲の人がいて自分がいるのだと言う事をもっと深く理解することも
必要になるのではと思い知らされます。

皆様の周りでは如何ですか??
つい、自分の忙しさから周りを見ることやいつもしてくれる小さなことへも
感謝の気持ちを大事に出来ていますか?

私自身まだまだです。
きっと自分の気づいていないところで自分の考えている以上に
多くの方々に支えられているのではないかと今振り返っても思います。

もっと自分の中でもゆとりを以てどれだけの人に支えられているのか
と言う事を感じ取ることが出来る様に、なっていきたいと思います。

                                コンシェルジュ
                                瀬口 拓郎


「当たり前のこと」

2010年4月 9日

こんにちは、営業部の田上です。

ある時にふと考えることがありました。
自分の意識の中で「人はこう生きなければならない」と思う気持ちが強くあり、
カグヤの社内でも理念、志、初心、色々と大切な価値観が存在している中で
仕事や自分のミッションに対して人としての姿勢を企業理念のもと、
社業に務めておりますが、最近、考えるのは今が当たり前ではないことを
どれだけ意識できているか、今ある一つひとつの目の前のことに、
どれほど心で実感し今、自分は生きているという事実に
どれほど感謝できているのかと振り返り反省しています。

モノゴトの本質を知りたいと色々な本を読んだ知識も大事な気付き、学びになりますが、
身の回りにある小さな当たり前の中に本質が存在しているのではと気付かされます。

花を上から観察すると太い茎から別れている
一つひとつの枝は互いに違う方向に生え伸び
一枚一枚の葉や花びらが日差しを浴びれるように
精一杯重なることなく広がっている。
当たり前と言ってしまえばそれまでですが、
誰が指示した訳でもなく、生きることに必要なことを知っていて
生きることに必要なこと以外、余計なことはしていない姿に自分の
日々の生活での言行のブレを改めて実感させられます。

仕事で言えば、例えば同じ仕事をしているように見えても
行き当たりばったりの今日の仕事をしているのか
明日以降の仕事をしているのかで先を見た仕事、責任を
果たすべく取り組む姿勢が違ってくる。
こんな法則のようなことが
「当たり前」の中には沢山、存在していることを知ると
人生のヒントは色々なところにあるのだと思いますが
気付けるには難しいのでしょう。

カグヤの理念ブックの中にある
「わかった気にならない」という価値観がありますが、
当たり前を鵜呑みにせず、全てに対して大いなる本質を
見出していきたいと思います。

毎日のニュースでも様々な世情や多くの方々の訃報を耳にしますが、
人の数だけ人生があり、人生の奥深さというか、味わい深さを身にしみています。

日々日々「ありがたい」思いを忘れず
謙虚に生かされていることに手を合わせ、心で感じていきたいと思います。

                               オルタナティブコンサルタント
                               田上 貴士


「食事」

2010年4月12日

こんにちは、営業部の松村です。

先日、母と妹が出かけるということで、
父と二人になる機会があったので、食事に誘いました。

普段からあまり会話をする機会もなかったので、
初めて父と二人で食事に行くということもあり、
何を話したら良いのか…と考え、不安もありましたが、
何事もなく、家族の話や、お互いの仕事の話をしました。

父は植木屋をしているのですが、最近の仕事の話を聞くことが出来ました。
先日の強風でお寺の木が折れ、休みの日も急遽剪定に行くことになった話や、
15~16メートルの庭木の植え替えをした話など、
普段聞かない植木屋の話を聞くことができ、季節によって寒かったり、
暑かったりと植木屋の大変さと、いきいきと話している姿を見ると、
遣り甲斐のある仕事なのだと感じました。

自分からは、今の仕事について伝えることができました。
保育士をしていた時に自分の(大人)都合で保育をしてしまい、
子どもたちの中には、本当はやりたくない事をやっていたのかもしれないということに、
カグヤに出会い、当時気付かなかったことに気付かされた話をしました。
きっと自分と同じように、
大人都合の保育をしていることに気付いていない先生がいるのではないかと思い、
現在、子どもたちのために全国の保育園に伺っていることを話しました。
また、良い会社に恵まれ、良い上司に恵まれ、
良い環境で日々勉強していることを、改めて話すことが出来ました。

父はあまり口を出す人間ではないので、何も答えませんでしたが、
今回の食事で、自分がどんな思いで働いているのか伝えることができ、
少しは安心してくれたのではないかと思います。

今回は食事でしたが、父が温泉好きということを聞いていたので、
次回は連休を使って温泉に行こうという話しになりました。
具体的には決まりませんでしたが、父は意外と乗り気なようなので、
自分も楽しみです。

今回の食事でお互いの考え、思いを伝えることができ、
コミュニケーションを図ることができたのではないかと思います。

今後、できるだけ親孝行をしたいと思っていますが、
自分がまだ何をしたら親孝行なのか理解していないので、
自分が出来る限りの感謝の気持ちを形に表して行きたいと思います。

母から聞いた話ですが、今回の食事はとても喜んでいたとのことで安心しました。
次回は泊り掛けで温泉に行き、背中を流す計画中であります。

                            オルタナティブアドバイザー
                            松村 武典


「昴(すばる)研修を終えて」

2010年4月13日

こんにちは、秋山です。

皆さんは【昴】と言う星を知っていますか?

平安時代に清少納言が、
「最も美しい星」
として讃えた星と言われています。

複数の星が集まる【昴(すばる)】。

同じように、
沢山のものが集まり、
まとまることで、より美しさが増す。

そんな想いを乗せて…

私達が掲げる「子ども第一主義」を、
実際に体現されている藤森代表に、
社員研修の時間を頂きました。

保育論・育児論・教育論。
そこから発展して、
人間論・組織論・社会論。
またそこから発展して、
世界論・人類論・生命論。

1人の子どもを見守ることは、
1人の人間を見守ることと同じであり、
実は全て繋がり合っていることを感じました。

子どもであっても、
大人であっても、
自分の「らしさ」に気付き、
力を発揮して、活かし合うことが、
1番自然な幸せの形なのだと思います。

カグヤクルーの一員として、
今の私に出来ることは、
大人としてではなく、
「らしさ」を発揮する1人の人間として、
生きて(=活きて)いくことかもしれません。

4時間に渡る研修の中で、
心強く心に響いた言葉は…

「取り返しのつく教育」。

今の日本や教育を嘆くのではなく、
1人の行動が、
1人の考え方が、
1人の存在自体が、
発揮されることによって世の中は変わる。

そんな可能性溢れる未来の為に、
これからも学び続けたいと思います。

最後に…

優しい眼差しで包み、
1人1人に語り掛けて下さった藤森先生に、
改めて感謝の気持ちを伝えたいと思います。

本当に有難うございました。


             コンサルティングサポーター
                    秋山有紀子


「自然と不自然」

2010年4月14日

営業部の眞田です。

4月に入り、上旬は寒暖の差が激しい日々が続きましたが、
お陰で例年よりも桜を長く楽しむことが出来、
家族で散歩に出かける機会が増えました。

春の季節を迎え、新入社員の方々のフレッシュな服装を
街で見かけることが多くなりましたが、
カグヤでも、初心を忘れることなく新たな一年を過ごすためにも
先日、新宿せいが保育園の園長先生である藤森先生をお呼びして研修を行いました。

藤森先生との研修に向けて、各クルーが自分自身が
今抱える悩みに対する根源的な問題点・課題などを明確にし、
時間が許す限りそれぞれが質問をさせていただければと考え、
研修に臨むこととなりました。

しかし、大きく私の予想を反した出来事がありました。

それは何かというと、、、
質問を前にして「私の頭の容量がパンクしかけたことです」

質問をさせていただく前にカグヤクルーそれぞれから自己紹介をさせていただき、
その後、藤森先生より基調講演を頂いたのですが、その内容が余りにも濃密で、
問題意識が自然と釣りあげられ、常に120パーセントの集中力で聞いてしまうこととなり、
基調講演を終えた時には、全身に汗が滴り、喉はカラカラで、
脳みそは空転してるかのように熱くなり、
体が知恵熱を持ったかのようにフラつくほどでした。

藤森先生の人生観や、ビジョンに触れることで自分自身では
見る事の出来ない目線での世界を見ることができ、
保育が世の中を変えていくという道筋を想像できたことに感嘆の連続でした。

また、藤森先生のお話の中で

「人類が誕生してから今まで、一度も途切れずに
続いてきたのは、それが自然の理と合っていたからではないだろうか」

というお話がありました。

たったこの50年で、地球環境は壊滅的に変化し続けていることを思うと、
人類は【自然界】から乖離し、【不自然界】を繰り広げているように私も感じています。
自然と共にあった時には、当たり前に持っていた能力が、
不自然な社会により様々な能力が失われてしまっているように感じます。

人を敬う能力
隣人を愛する能力
集団で協力するという能力
自立
自律
洞察力
共存する能力

自然界の中ではこれらの能力を発揮しなければ生きていけない環境であり、
人類は今まで何の問題もなく自然界で生きてこられたことを考えると、
【元々その能力を持っていた】からではないかと藤森先生のお話をお聞きして深く共感いたしました。

しかし、この不自然な時代、

これらの能力を使わずとも生きていくことは出来るようになりました。
便利さがそれを可能にしたわけですが、その大きな弊害として
「使わない能力は競合する能力に書き換えられてしまう」事態が起きているのだと
藤森先生のお話の中から学びました。

例えば、複数の赤ちゃんが母乳を飲むとき、赤ちゃんの

①「体重を一定量増やすことが目的」であれば
→それぞれの赤ちゃんは飲む量は違いますが体重の増える量は同じだそうです。

②「ミルクを一定量飲ませることが目的」であれば
→それぞれの赤ちゃんは飲む量は同じですが、体重の増える量は違うそうです。


①の場合は赤ちゃんは自分の体重を増加させるために飲む量を調節する能力を発揮しますが、
②の場合は大人が与える量を飲みきる能力を発揮させるため、

競合する「飲む量を調節する能力」は不必要となり失われてしまうそうです。

そう考えた時、私たちのこの便利すぎる社会は、本来私たちが自然共に生き、
人間が人間として持っていた能力を使わずして生きることが可能となっていることに気づかされました。
そして、本来の能力を無くしてしまっているのだと思います。

藤森先生は今生きていく中で大切な能力を

「問題解決能力とコミュニケーション能力」

だとお話されていたのですが、
まさに、今の社会では問題解決なくとも国や親や誰かに依存し
生きることが出来得る社会であるようにも思います。
また、助け合うことも不必要となりコミュニケーションが
稀薄になりつつあるようにも思います。

こうして、本来必要である能力を自分たち自らで失わせながら
私たちは自然に生きたいと願い、楽しんで生きたいと願い、
子どもたちにはより良い環境を用意したいと願う矛盾を抱えていることに
気付かされたように思います。

自然に楽しく生きたければ、自然から学ぶこと。

自然は過度に与えてくれませんし、過度に関わってくることもありません。

しかし、人類の血が途切れることが無くこの長い年月を生まれ
変わってくることが出来ている事実を改めて振り返れば
自然は私たち人類が持っている能力にちょうど良く働きかける環境である。
ということが言えるように思います。

これを思う時、私自身、改めて子どもに対する教育というものを考えさせられました。

便利さや、大人の都合で子どもに不自然さを与えていないだろうか。
教えなければ、教えなければという親の使命感という大人の都合を押しつけていないか。
育てなければ育てなければと、北風を旅人に吹き続けるようなことをしていないか。
旅人に太陽でありつづけることが旅人を気付かせることが出来たように
子どもに対しても、太陽で在りつづけたいと
心に誓わせていただく機会となった大変有り難い研修でした。

研修での気づきを書き記すにはあまりに一つの記事では足らないので、
また次回のブログにて自分自身の気づきを書き記すことが出来ればと思います。

                            オルタナティブコンサルタント
                            眞田 海


「本来の人間らしさ」

2010年4月14日

こんにちは。宮前です。

先日、弊社社長が「師」と仰ぐ、新宿せいが保育園 藤森園長より、
カグヤクルーのために研修をして頂きました。

藤森先生の社員研修は、私にとって初めての機会であり、
沢山の共感、学びと共に、未来に対して希望を持つことができ、
大変貴重な時間となりました。

それまで、私の藤森先生に対する印象は、
現場で「見守るほいく」を実践し、社会に働きかける第一人者という、
圧倒的なすごい人であり、遠い存在でした。

しかし研修を受け、ご自身の夢や、
全く無理を感じさせない話しの内容、発する雰囲気から、
とても優しく大きな安心感を抱き、
その自然な人間らしさから、大変温かなものを感じました。

講演内容による学びも沢山ありましたが、何より驚いたのが、
講演後の各クルーからの感想や質疑応答に対しての、
藤森先生の受け答えです。

質問に対しての直接的な答えというよりはむしろ、
各自の今ある課題に対する的確な助言のようであり、
自信を与え、背中を押してくれるものばかりでした。

相手の質問内容だけでは答えられることではなく、
言葉の端々や、表情、声色、
または感想や質問内容に対する背景を想像すること等、
今までの経験から得たものが色々あるのかもしれませんが、
何にせよ、よく見て聴かなければ到底できることではないと思います。

まさに、見守る・聴守るを体感したような気がします。

また、藤森先生から、
「日本は自然と共に寄り添って生きている国民性があるので、
世界で通用する独特の保育が日本から発信できるのでは。」
とありました。

これには大変共感し、日本の持つ可能性を強く感じ、希望を持ちました。

私もこの美しい国に生まれてきたことに誇りを持ち、
日本の可能性を信じ、私たちの遺伝子に組み込まれているであろう、
自然と共生できる、自分勝手ではない思いやりを大事にしていきたいです。

また、そのような、昔からあるもの、引継がれているものは、
きっと自然だから続いてきたわけで、
それは必要で大きな意味があることが多いと思います。

日常の物事に対しても、周りから言われることを鵜呑みにするのでなく、
その本質と常に向き合える人でありたいと感じました。

また講演の冒頭に、藤森先生が、
「自分が職員のことをどれだけ思っているかを、
職員の中にひとりでも理解してくれている人がいるだけで、
ストレスなく安心していれる」と仰っていたのが、印象的でした。

そこからも、やはりどんなにすごい人であっても、
人間はひとりでは生きていけないことを感じます。

「本来人間は集団で生きていくようにできている」とありましたが、
人間はやはり、自分の役割を果たし、助け合い、支え合うことで、
一番力を発揮できるのかもしれません。

カグヤでも、社長を筆頭にそれぞれの役割のもと力を発揮し、
「子ども第一主義」を目指し共に働いています。

今回改めて「見守る」について考え学び、
環境づくりにも不可欠であることを感じました。

自分の役割を果たすためにも、
しっかりと今あるものに感謝の気持ちを持ちながら、
皆が自然体で、見守りあえる関係を築き、楽しく働きたいと感じます。

大変貴重な経験をさせて頂き、本当にありがとうございました。

                           環境コーディネーター
                           宮前 奈々子


『昴(すばる=一人ひとりが大きく光る)研修①』

2010年4月15日

こんにちは、カグヤの白土です。

4月になり東京でも新しい社会人の方を多く見かけます。
皆さんの姿からは緊張もうかがえますが、同時にワクワク感やドキドキ感も表情から感じます。
仕事を行う上でもいつまでも忘れてはならぬ感覚だと改めて気づかされます。

さて今回は、社内研修という事で藤森先生にお越し頂きました。
約2時間の研修でしたが、あっという間で2時間後には頭の中が
良い意味でパンク状態になっていました。

又今まで生きてきた中で、こんなにもメモを取った事があるのかというくらい
多くの気づきをいただけたのではと思います。

もちろんメモを取っただけにならない様に、
自分の中の問題意識として大事にさせて頂きたいと思います。

その中で、今回の研修で特に印象に残った言葉があります。
それは、「生きて行くことに意味がないと、人類が維持できない」という言葉です。

この言葉をお聞きして、最初は難しくとても理解できないと私は感じました。

しかしその後の自立とは何かというお話で、
上記の言葉を具体的に尚且つ解りやすくして頂いたのではと思います。

自立とは、「生きて行く中で、自分の役割を持つという事。」

役割を持つということは生きて行く中で、
自分自身の存在意義がそこにあるということではと思います。
しかし、今の日本を見ると現実の問題に直面します。

それは何かと言いますと、毎年3万人を超す自殺者が
いるというのが今のこの日本という国の現状です。
自殺をする方の本当の理由を知る事は出来ないかもしれませんが、
亡くなった方が生きて行く中で、自分の役割を
どこまで実感できていたのだろうと考えてしまいます。
生きて行くことに意味を感じることが出来ている人が自殺するでしょうか、
自分自身に置き換えればすぐに答えは出てきます。
逆に言えば今の状況がこれからもずっと続くという事は、
やはり人類が維持できないという事に自然に繋がる事も理解できます。

このお話を聞かせていただきながら、
体の中から込み上げてくるものがありました。
自分の役割は一体なんだろうと考えると、
まだまだ自立できていない私ですが、
自分にしか出来ない事(役割を持つ)を感じることがどれだけ幸せなことなのか、
又それが人として生きて行く中でごく自然な事であるということを
しっかりと子どもたちに伝えていかなければと感じました。

あっという間の研修でしたが、
今回は藤森先生の御話の中で生きるという事について学ばさせて頂きました。
この様な機会を頂きまして、ありがとうございました。

                         オルタナティブコンサルタント
                         白土 大樹


「昴らしい(素晴らしい)人々」

2010年4月19日

こんにちは、瀬口です。

先日、カグヤ社内研修にて新宿せいが保育園の藤森平司先生と、
山下さんよりお話を聞く機会を頂き、実施しました。

カグヤの理念の根幹にある「見守る保育」について、
創始者である、藤森先生にお話を伺い、
今ある仕事についての課題を聞くことと共に、
自分の人生について振り返っての課題や悩みなどを質問し、
藤森先生からのご意見を頂きました。

子ども自身が自分で主体的に行動し、
大人が環境に働きかけることで、子どもの自立を促す「見守る保育」。
藤森先生から語られるその一つひとつの言葉の中に
子どもの持つ本来の力を引き出していくということを感じます。
何よりも、子どもの個性や、可能性を信じているからこそ、
子どもに任せることが出来る姿勢に豊かさと穏やかさを伝わってきます。

日本の社会における、誰が作ったのか、
一斉画一的な教育には、子どもの意欲ではなく、
時間で管理してしまうことなど、大人にとって都合のいいように
進めている部分が今の時代から考えなおすと多くあり、
一人ひとりの個性を見ていくということを考える今日では合わない部分が出てきています。
大人の都合に合わせるでもなく、子どもを第一に考える視点を持っている
藤森先生から繰り出されるその一言ひとことがまさに今の大人社会にある
不条理を物語っているように思えました。

私は普段、お客様をサポートする役割を頂いていますが、
お客様のためにと思って行動していたとしても、
また、園にある問題を解決したいと思っていても、
それが自分中心になってしまって園の先生方が
自身の力で解決できなければ、
本当の解決とは言い難いものとなってしまいます。
表面的な解決を行ったとしても、
本質的な問題についての解決を行わないことには、
問題が解決されたとは言い難くなってしまうからです。

人間と動物、植物や、男性と女性など、
それぞれがそれぞれの役割を持っており、
自身の個性を充分に発揮し合うことが最も大事なことではないでしょうか。
私はこれまで、仕事において、
何でも出来るようになることが最上だと思っていました。
しかし、個人の出来ることには限界があり、
助け合うことが出来る関係を作る事の方が大事なのですね。
そこには、自分が付加するばかりでもなく、
弁えて距離を保つことや手を出さないことも大事な事の様に思います。

本当に子ども主体の保育である「見守る保育」を実践するためには、
関わる園の方が、主体的に行動できるようになるための環境を
準備していくことが大事なのですね。
だからこそ園の先生方が困った時には
解決できるようにすぐにもお応えできるように体制を整えていく必要があります。

藤森先生が人間本来持っている能力や、
日本人としての役割という点から、説明して頂き、
便利になっている社会からいつの間にか、本来持っている能力を失い、
却って不便利になっていることに気づかされました。

「子どもには何も与えずとも自然さえあればよいと思います」
と以前、とある園長先生からのご意見としてお聞きしたことを彷彿させます。

それは子ども自らが考えて、物事を発展させることが出来る環境が
用意されているということだと思うのです。
決まった遊び方しか出来ない様な環境では、
遊びも一辺倒になり、思考も偏ってしまいます。
子どもには柔軟な発想を持つことが出来るように、
私たち大人が、工夫して、環境を用意していく必要があるように思いました。

それは人と人とのコミュニケーションにおいて言えることでもあることかと思います。
互いの個性を活かし合い、共により良い社会を築く機会を頂いているのだと
改めてカグヤの社業に対する価値を感じました。
私自身も園の先生方の発展を支え、園で生活する子どもたちが
より自活力を上げることが出来るようになればと願い、
私自身も実践出来ればと思います。
勿論自分が実践する上でも課題は多いのですが、
その課題を乗り越え、社会の中で自分の役割として、
役立つことが出来ればと改めて思うことが出来た機会となりました。

見守る保育を学ぶことによって私自身の人生観を導き、
方針を示してくれるものだと言う事を感じます。
一人ひとりの個性が光り、輝かしい星団、“昴”となり世の中を照らす事の出来る、
そんな昴らしい(素晴らしい)社会を築いていきたいと思います。

藤森先生、山下さん、貴重な機会とお時間を頂き、ありがとうございました。

最前線でご尽力されている藤森先生を少しでも支えることが出来ればと思い、
またクルーで協力し合い、より子ども主体の考え方を深めあっていきたいと思います。

遠方の講演出張が続き、お身体だけはどうかご自愛ください
今後ともよろしくお願いいたします。

                          コンシェルジュ
                          瀬口 拓郎


シリーズ第一弾(全二話)「昴研修~日本人としての存在意義~」

2010年4月21日

シリーズ第一弾(全二話)「昴研修~日本人としての存在意義~」

こんにちは、田上です。
先日、藤森先生を講師にお招きし、
「昴」研修と題し、社内研修を実施しました。

僕は「昴」と聞くと、
自動車メーカーの富士重工のコーポレーションシンボルで掲げている
六連星を思い浮かべますが、一つひとつの星が光り輝き、一つの集まりとなる。

組織に置き換えると経営理念の元に
クルー一人ひとりの持っている持ち味、個性を発揮していくことだと思います。

カグヤへ入社して藤森先生と関わりを持たせて頂くたびに、
藤森先生の素晴らしさ、思考の深さ広さを実感しておりますが、
今回の藤森先生のお話をお聞きし、喜びや感動に満ち溢れている自分がいました。

誰を貶すわけでも比べる訳でもなく、
温和で難しい問題をとても思考の浅い自分にも分かりやすく易しい
言葉でご説明して下さり、何とも言えない安心感や豊かさを抱かせて頂く
藤森先生と時間を共にしているだけで心地よくなってしまいます。
藤森先生の周りに多くの人達が寄り集まってくる理由がわかる気がします。

研修に参加させえ頂き、藤森先生へ質問させてもらえるのであれば
是非、お聞きしたいと思っていたことは今後のギビングツリーの方向性として
藤森先生がこの先、どのようなことをされようとしているのかを率直にお聞きしました。

まずこれまでの日本人とヨーロッパ人との営みの違いとして、
ヨーロッパ人は狩猟民族が多く、人を出し抜いて人取り分を多く得ることなどがあるが、
日本人は昔から自然と寄り添う国民性があり、農耕民族として集団を作り、
品種改良などの創意工夫、他の田畑を真似ながら農作業を向上してきた
日本人としての気質がある。

今、世界の保育にはニュージーランドのテファリキをはじめとする
5つほどの保育カリキュラムがあるが、
日本人としての特性を生かした保育カリキュラムを
世界に打ち出していきたいとご説明を頂きました。

「見守る保育」の見守るという考え方も
日本人特有の子どもに対する大人の姿勢ではないでしょうか。
藤森先生のお話に感動していたらところどころメモを取るのを忘れてしまい、
少し抜けている部分があると思いますが・・・。

僕は昔、友人が話してくれた理論物理学者の
アルベルト・アインシュタインが日本に残した言葉をなんとなくですが、
心にとめていましたが、彼の言葉の末節をご紹介すると、


「前略~ 世界は進むだけ進んでその間幾度も戦争を繰り返してきたが、
最後には闘争に疲れる時が来るだろう。
このとき人類は必ず真の平和を求め、
世界の盟主を挙げなければならない時が来るに違いない。
その世界の盟主こそは武力や金の力ではなく、あらゆる国の歴史を超越した、
世界で最も古くかつ尊い家柄でなくてはならない。
世界の文化はアジアで始まりアジアに帰る。
それはアジアの高峰日本に立ち戻らねばならない。
我々は神に感謝する。神が我々人類に日本という国を作っておいてくれたことである」

当時はよく意味を理解できませんでしたが、
社内で儒家の始祖である孔子の論語や、農村復興からの実践を思想として
受け継がれた二宮尊徳の報徳仕法など学ぶ習慣があり、
少しずつではありますが日本人が生きてきたこれまでの歴史や
日本人が大切にしてきた生きる姿勢や世界観などに触れることで
日本人の特性と同時に、アメリカやヨーロッパ諸国とのこれまでの生き方や
宗教的思想の違いなども感じるようになりました。

自分にも日本人としての先人達から脈々と受け継がれてきた
日本人にしか生み出せない思想や価値基準があることに
藤森先生からのお話にあった世界に提供する
6つ目の保育カリキュラムを体現し発信することに感動し、
その発信していく役割の一部を担えることの
喜びと誇りを改めて自分の心に深めました。

そして自分にも日本人の血が流れているという
日本人として誇りや所属意識なども芽生えてきました。

この時代の日本に生まれおちた自分はいったい何ができるのか、
自分の役割とは何かを考えさせられる貴重な機会となりました。

次回はシリーズ第2段(最終回)「昴研修~時代は移り変わること~」

                         オルタナティブコンサルタント
                         田上 貴士


「昴研修」

2010年4月22日

 
こんにちは、営業部の松村です。
入学式、始業式も終わり、そろそろ子どもたちも落ち着いてくる頃ではないかと思い、
園に伺った時には、にぎやかな子どもたちの声が聞こえて来るのを楽しみにしています。

今回カグヤクルーは藤森先生の研修を受け、見守る保育の考え、
藤森先生の思いと沢山の大きな学びを頂き、この豊かな学びの場を
より多くの人たちに伝えられたら良いと思いました。

藤森先生の研修で印象に残ったのが、
赤ちゃんの自然に生きることの大切さが学びになったので、
今回赤ちゃんについての内容を重視して書きました。
赤ちゃんを母乳で育てる時に、どのくらいの量を飲んでいるかわかりません。
一人ひとり飲む量は違っていますが、赤ちゃんは遺伝子レベルで
自らどこまで育てば良いのか理解しているそうです。
しかも、どの子も母乳を飲んだ量は違っても、
体重が増える量は一緒だと科学的に証明されているようです。
母乳ではなくミルクを飲ませる場合、
飲ませる人(大人)が「一定量飲ませる」という目的になってしまいがちで、
赤ちゃん本来の目的である一定の体重を増やすという目的からずれてしまいます。
赤ちゃんは遺伝子レベルで飲む量を知っているので、
飲ませようとすると赤ちゃんはミルクを飲むことをやめようとします。
また、母乳をあげる時に乳首の周りに菌があるのが判明したそうです。
保健所からアルコールで消毒してから母乳をあげるよう指導がるそうですが、
その菌は赤ちゃんの時に体内に取り入れて免疫を作るための菌だそうです。
消毒することによって生きていくための逆効果になってしまっている現状を聞くと、
過保護に関わることによって、子どもにとって大切な環境を壊しているように感じました。

今回の研修を終えて、赤ちゃんの生まれながら自ら発達しようとしている能力を
持っていることに驚かされました。自ら発達しようとして生まれてきた赤ちゃんに対して
手を差し伸べることは、発達を妨げているという意識が自分にはなかったことでした。
今後の赤ちゃんへの関わりを、赤ちゃんだからといってすぐに手を差し伸べる環境は
大人が過保護に関わることによって在るがまま成長を妨げているということを
改めていきたいと思います。

これからは、本当に子ども主体で関わろうとしているのかを
一度考えていきたいと思います。また、赤ちゃんが発達をするために
必要な自然の環境が少なくなりつつある現代で、
どう自然に近い環境を用意していくのかを大人が考えていき、
私たちが子どもたちに自然のありのまま姿を少しでも多く残していけるように
環境への取り組みも考えていくことが必要だと思いました。
そして、子どもたちには自然に近い環境を現代の科学でいかに用意し、
設定してあげるのかを考えて取り組んでいこうと思い、
多くの人に伝えていけるようにいていきたいと思います。

今回の昴研修で初めて藤森先生と、
このように話しをする機会を頂き、大変豊かな時間を過ごすことができ、
今回の機会を大切にしていきたいと思います。

ありがとうございました。

                          オルタナティブアドバイザー
                          松村 武典


「察すること<発すること」

2010年4月23日

こんにちは、秋山です。

カグヤでは1週間の最後に、
「内省」をする習慣があります。

内省とは…
自分の心と向き合い、
変化や状態を深く省みること。

最近では「内省」を、
個人で終わらせるのではなく、
クルー同士で共有するようにしています。

そこで気付いたことが1つ。
それは【察すること<発すること】です。

出来事の捉え方。
1つの言葉の感じ方。
1つの問題への考え方…etc

どんなに同じ環境に居ても、
敢えて言葉にされると、
「そうだったの!?」
と驚くことも少なくありません。

大人になればなるほど、
相手を【察すること】が、
1つ上のコミュニケーションに思えて、
憶測での気遣いが前に出てしまいますが、

「もしかしたら?」

と考え込むよりも、
そのまま考えたことを言葉にする方が、
ずっと確実で、ずっと距離が縮まると思います。

当たり前だと思いつつ、
遠慮していた自分に気付きました。

カグヤを創る1人1人が、
もっと「発する」強いチームへと、
変化していきたいと思います。


「昴であれ」

2010年4月26日

こんにちわ、眞田です。

思えば漸く寒かった冬も過ぎ去り、
春が私たちの周りに満ち足りているのを
空の色や、草花、空気の香り、日差しなどで感じます。

とある福岡の島にある幼稚園の先生に教えていただいた
明治時代の漢方医、石塚左玄の言葉なのですが、
私の今の生活を支える大切な気づきとなった言葉があります。

「春にがみ 夏は酢の物 秋からみ 冬は油を心して食え」

熊などの動物たちは、冬の間に蓄えた皮下脂肪を落とすために、
春になると、肝臓などの働きを良くするために
ふきのとうなどの「苦み」のある野草達を食べますが、
私たち人間も、同じ自然界の生き物ですから、やはり
そういった、季節に応じた自然の摂理は
大切にしていかなければならないと感じています。

自然の摂理を感じることが少なくなっているということは、
私たちの社会が今、どれほどに自然からかけ離れてしまっているのかと
改めて考えなければならないと危機感が募ります。

人間として当たり前にあった機能が不自然な環境によって
奪われていく。
それは、もちろん子どもたちに対してもそうですが、
私たち大人にとってもそうなのだと改めて感じさせていただく機会が
先日の藤森先生の研修の中で在りました。

そもそも、人間がなぜこんなにも一人ひとりの
個性が違うのだろうかということを考えた時、
みんなが同じであったら進化の過程で滅びてしまう
可能性が非常に高いからこそ様々な環境や逆境に対して
協力して乗り越えていくことが出来るように
様々な個性(得意・不得意)があるのではないだろうかと
いうお話を頂いた時に、私が強く反省をしたことがあります。

例えば、部下、後輩、友人、家族に対してですが、
その人の苦手な所にたいして、困っている姿を見ると、、
その苦手なところを克服できるようにとアドバイスをすることが
私にとっての思いやりでした。

しかし、その人の良いところを見つけ、そして認めること、
良いところを良いと伝えることが大切であり思いやりであると
言うことに対しては、大切だとは分かっていながらも、気づけば
目線はその人の苦手なことを克服出来るように!!と目線が行ってしまい
あまり重要視していない自分に気づきました。

皆が同じようなスキル・能力を持とうとすれば、個性はつぶされ、
想定外の場面に対して乗り越えるための多様性は無く、柔軟性も無くなり、
結局のところマニュアル化されて人間らしさは消えゆくのではないかと言うことを思うと、

苦手なところばかりに目を持っていくよりも、良い所や、別のところで
その苦手な部分をも補えるようなアドバイスを行うことの方が、
人間らしさも、チームワークも、共に生きる生きがいも、生まれてくるのだと
学ばせて頂きました。

まだまだ、その目線を持てているわけでも実践が深まっては無いですが、
一日一日、意識して過ごしていく中で、目線が広がる喜びと、
周りの人たちの素晴らしいところを沢山見ながら仕事が出来る喜びを
前より、ずっと感じられている最近です。

                         オルタナティブコンサルタント
                         眞田 海


「オープンマインド」

2010年4月27日

こんにちは。宮前です。

先日、私が所属する管理チームで、
業務時間後に、ゆっくり話しをする時間を設けました。

これは、チームメンバーの一人の声がけから
実施されたものでしたが、

まずはそのクルーが、
自分の悩みや、今回の場に至った経緯、
今の気持ち、これから会社をどうしたいか等、
心を開き、正直に素直に話してくれました。

そして、最終的には、
私たち管理チームメンバー3名が、
同じチームで働けることに対しての感謝の気持ちを、
伝えてくれました。

私は、入社当時から、
彼女と毎日顔を合わせ、話していたこともあり、
当然、分かりあっているつもりでしたが、

いざ話しを聴いて、
自分の知らなかった
彼女の気持ちに沢山ふれました。

そんな仲間の悩みや思いに気付けなかった自分。

どこか申し訳ない気持ちと、
話してくれた嬉しさ等・・・
正直、複雑な気持ちになりました。

しかし、正直に伝えてくれた彼女の姿勢に心が動き、
そんな複雑な気持ちも含め、
自然と私も、もう一人のメンバーも、
素直に気持ちを伝え合いました。

そして、やはり最終的には、
私も、この仲間たちと一緒に働けることに、
ありがたみを感じるばかりでした。

また、そんな貴重な場を共有できたおかげで、
私自身なんだか以前に比べ、
チームを意識したり、
周囲を気にかけることが増えたように感じます。

そうなると実際、
以前よりも仕事もしやすく、やりがいも増し、
何より、一緒に働いている喜びを感じ、
気持ちが満たされるのを感じます。

このように、今回一人の「オープンマインド」から、
変化したことが沢山ありました。

そこからも、一人の言動が及ぼす影響力は、
やはり大きいことを感じずにはいられません。

私も、「オープンマインド」で、
周囲の言動を素直にしっかり感じられる受信力と
自分の影響をしっかり自覚し、
正直な自分を伝えられる発信力をもち、
周囲と関われる人でありたいと思います。

                  環境コーディネーター
                  宮前 奈々子


『昴(すばる=一人ひとりが大きく光る)研修②』

2010年4月28日

こんにちは、カグヤの白土です。

前回に引き続き今回も社内(昴)研修について書かせていただければと思います。
前回は生きるということについて考えるきっかけを頂きましたが、

今回は改て見守るという事について感じたことを書かせていただければと思います。

見守るという言葉・関わりは、私達カグヤの社内でも大事にされています。
又、対子どもというくくりではなく、大人同士、人と人との関わる中でも大事であると同時に、

もともと人間としての生き方であることをやはり感じます。
比較する事ではないのかもしれませんが、やってあげるということは、
人としてもともとある能力をなくすという事に繋がるということも実感しています。

私たち大人は、いつの間にか線を引き大人と子どもを分けてしまい、
特に子どもたちに対しては、何かをやってあげなければいけないという意識に駆られてしまいます。
しかしその考えと関わりが子どもたちの、もともとある能力を奪っているという事を問題に
感じなければと思いました。

そんな中での藤森先生からの、
「子どもは、知識はしらないが、生きる知恵はある」という御言葉は印象的でした。
生きる知恵をしっかりと受容し、その中で子どもたちと関わる事の大事さも感じました。

私自身過去を振り返るとそうなのですが、保育園、幼稚園、学校と、
共に先生とは、何かを教えてくれる人なんだいつの間にか自分で刷り込んでいたのだと思います。

しかし子どもとの関わりの中では、何かを身に付けさせる事が全てではなく、
「減らす関わり」も大事であるということも今回学ばさせて頂きました。
又改めて生きていく中で、問題解決能力・コミュニケーション能力がいかに大事なのか感じました。

今私自身も今、大きな課題にぶつかっています。
しかしそれはマイナスな事ではないと思っています。
藤森先生も仰っていましたが、「問題が起きると言う事に意味がある」
人として自分にしか出来ない事と本気で向き合ったとき、
夢を実現したいと本気で思えば、
問題や課題が出る事は当たり前の事だと自分の体験を通して感じています。

大事なのは問題を起こさないという事ではなく、やはり問題に意味を感じ、
問題があるということは自分の成長への一歩だと思うことだと思います。

又コミュニケーション能力の大事さについては、各園様との関わりの中でもよく出て来ます。
それは子ども間の事ではなく、職員間の問題として出てきます。

私もそうですが、何とかコミュニケーションを図ろうと思い
周りの人に意識して関わろうとしてしまいます。
時として不自然に話をしてしまい人との関わりが
大変だと感じることも未だにあります。
しかし子どもたちに置き換えると、やはり自然だなと感じます。

私たち大人みたいに、コミュニケーションを図ることを
意識する事は先ずありえないと思います。

コミュニケーションは、子どもたちの様に、
常に自然で在るがままの姿勢であれば自然と導いてくれるものだと感じます。
ここでもこの自然な姿を私達大人が邪魔をしてはいけないのだと感じます。

最後に、見守るという事は刷り込みの多い私にとってはまだまだ大変な事です。
しかし人が生きていくうえで必要な関わりだと気づかせていただいたからには、
自分の為ではなく、やはり子どもたちの為にも実践していきたいと思います。
ありがとうございました。

                             オルタナティブコンサルタント
                             白土 大樹