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2010年07月のカグヤクルー日記

「エコの繋がり」

2010年7月 1日

こんにちは瀬口です。

カグヤでは「子ども第一主義」を理念に掲げ
自分にとって何が出来るだろうかと考えて行動する様にしていますが
実践というものは忍耐や根気が必要ですし、日ごろの忙しさや怠けてしまうと
あっという間に戻ってしまうから難しいものですね。

社内で環境コーディネータの感化ナビゲートに倣い
ゴミの分別に最近では注意する様に心がけています。

使えるものについては、リサイクル出来ればと思い
近所のリサイクルセンターに週末は散歩も兼ねて
ペットボトルや空き缶などを回収してもらいに行っています。
行ってみると思うのですが、近隣の方が空き缶・空き瓶やら段ボールやら
使えなくなった家具まで持ってきています。

利用している人も多いのだなと思うのですが
よく見てみると、決まった家族の方が来られて
子どもがセンターの方へ一個ずつ丁寧に手渡している姿など
見ているとこちらも何だか顔がほころびます。

そんな方々と挨拶を交わし、センターの方とも挨拶をし
と関わる人が増えれば増える程、行くのが何だか楽しみになり
一つの恒例の習慣と今ではなってきました。

もっと多くの方が気づいて
集まるのが一杯になればより多くの資源が
還元出来るのではと思いますし、より多くの方との繋がりが
出来る嬉しさもあるのではと思いました。

一人でやるのは根気が必要ですし、大変です。
しかし、関わる人が増えるとその中で関係性を
持つ様になると次第に楽しくなってきます。

人は、「関係性の中で育つ生き物」だ
ということを以前お聞きしましたが、関わりあうことの楽しさを
ここでも一つ小さな出来事として、得ることが出来た様に思います。

それには「まず、自分から立ち上がること」ですね。
資源の回収だけにとどまらず、普段の生活の中でも
仕事をする中でも心がけていきたいと思います。

                        コンシェルジェ
                        瀬口 拓郎


「生きる役割」

2010年7月 2日

こんにちは、田上です。

先日、前職の友人から映画に誘われ、休日を共にしました。
今は互いにその会社を退社し新たな会社へ就職していますが
たまに会ってはこんなことを学んだとか、こんなすごい人にあったとか
こんな感動する話を聞いたとか、互いの成長の為の情報交換をさせて頂いています。

映画の前に昼食を共にしながら
自分がカグヤでの仕事で取り組んでいることや
世の中の問題に対してお互いの考えなどを話合っていると
隣で食事をされていた女性の方が僕達の話をお聞きになられていたようで
「若いのに全うな考えをもっている」と賞賛の言葉でお声をかけて頂きました。

その方は(株)世界地図という会社で
世界各国の民族や文化、特産物など、色々と特色ある
メッセージを世界地図に表現して子ども達に提供し得た利益で
カンボジアやベトナムに井戸を掘って子ども達に綺麗で
安全な飲み水を確保しているとのことでした。

後進国の子ども達に世界地図を通して知ることの喜びと
綺麗な飲み水として井戸を提供できることに強い使命感が伝わってきて
自分のできること、自分の立場での役割を全うしようとする姿勢を実感しまた。
こんな形で貧困と取り組んでおられる
同じ日本人がいらっしゃることに勇気を頂きました。

お互いの仕事のことを共有し合い
互いに世の中の為に自分にしかできないことで
良くして行きましょうとエールを送り合いました。

そんな出会いの後
友達から進めてもらった映画を見ることになりますが
ビルマのドキュメント映画の「ビルマVJ消された革命」を観に行きました。
1998年から続く軍事政府の民主化デモ弾圧を追いかけた作品で、
アカデミショー長編ドキュメンタリー賞にノミネートされ、
世界40ヵ国以上で国際的な賞を受けています。
ビルマは軍事政権が政治を独裁的に支配し国民を極端に抑圧している中、
外国人ジャーナリストが自由に取材することは愚か、
国内人であってもカメラ・ビデオカメラの撮影は禁止の状態の中で、
ビデオ・カメラを隠し持ち、密かに撮影を続ける勇敢な
ビデオ・ジャーナリスト(VJ)がこの映画の主役で、
彼らは秘密警察に見つからないようカメラを隠し持ち、
時にはカバンの中に入れ、時には群衆にまぎれて撮影を行いながら
現実のビルマの姿を命がけで撮影し、インタネットでビルマ国内外へ
配信し続けているというドキュメント映画です。

市民デモが数日続くと軍がデモ会場にやってきては
無差別発砲で鎮圧することの繰り返し。
ジャーナリストの長井健司さんも
その無差別発泡の中で撮影中に銃弾に倒れてしまうことになります。
武力で国民を制圧する軍事政権に多くの国民が強い絶望感を抱く中、
ビルマにいる40万人の僧侶が立ち上がり、軍事政権に抗議を行う。
ビルマの国民も軍事政権に対抗できる勢力は
僧侶しかいないことは認識しており、国民の希望を
一心に背負っていることがひしひしと伝わってきますが、
残念ながらこの映画は途中で終わっています。

その理由はビルマは今も内乱が続き、
国民や僧侶の血が流れているのですが、
この映画を通して軍事政権の暴挙に怯えている国民に
勇気を与える僧侶の姿が印象的でまさしく国民のヒーローでした。
国は違えど、カグヤも世直しの為に日々社業に務めておりますが、
お昼にお会いした方のように、ビルマの僧侶のように、
危険を顧みないジャーナリストのように勇気と志を持って困難に立ち向かい
自分の役割を果たして行きたいと思います。

今日は色々な方から勇気を頂く感謝の深い日になりました。

                   オルタナティブコンサルタント 
                   田上 貴士


「幼保一体化を考えるシンポジウム」

2010年7月 5日

こんにちは、松村です。

先日、大阪で幼保一体化を考えるシンポジウムに参加してきました。

シンポジウムは、幼保一体化について
安家先生と藤森先生の対談形式で始まりました。

お二方とも、子どものことから考えて
今後の日本の保育業界を変えようとしている姿勢を感じました。
それは、幼稚園と保育園には壁がある、しかし何よりもまず各園が
子どものことを考え今後変わらなければならないと話されています。
今回のシンポジウムを聴講し、子どものために幼稚園と保育園が
お互い近づくために地域で協力していく時なのではないかと感じました。
今までの大人主体の保育ではなく
子ども中心から考える保育の時代になりつつあること、
幼稚園も保育園も子どもの幸せを最優先にしていることを感じました。

これからの子どもたちにとって
子どもがやりたいことが出来る環境が整えられれば良いと思いましたし
子どもから考えると幼稚園も保育園も関係なくその環境を作っていくのは
私たち大人であって、自分もそのうちの一人だと意識し
取り組んでいかなければならないと思います。

また藤森先生から世界の教育の一つである
ニュージーランドのテファリキについて話してくださいました。
テファリキについて調べてみると
「家庭」「保護者」「地域」が一緒になり
子どもの成長出来る活動を行うのがその保育の特色であり
親の協力なしには保育園を運営できないシステムだそうです。

保育者の役割は、保育のプロであると同時に
親との関係性を保つために、親に分かりやすく乳幼児の発達や
保育実践を説明し、親の理解を求めなければならないそうです。

現在の日本の保育園の現状を見てみると
保護者は自分の家庭だけを考えるこが多く
園の行事などには協力的になりずらく子育てを保育園や
幼稚園に任せきりになっている面を少なからず感じています。

それに比べ、海外の保護者は
園と一緒に子どものサポートを重要視しているようです。

子どもにとって、園と保護者が協力することはとても大切であり
今後の日本はもちろんのこと、どの時代のどの国にも必要ではないかと感じました。

また、藤森先生は、自園のことだけを考えるのではなく
他園のこと、園の先にいる子どもたちのことを考えているのだと
参加されている先生方の質問に子ども中心から親身になって
答えていらっしゃる姿から感じられました。

子どもにとって良い環境や人間関係を構築していくためにも
園、家庭、そして地域が一緒になり、子どもがあるがままに発達できるよう
自分たち大人が意識して協力していくことが大切だと気付かされます。

自分もより多くの子どもたちのために考え
回りの大人に気付いてもらえるように、子ども中心に考えることの大切さを
伝えていきたいと改めて思います。

                            オルタナティブアドバイザー
                            松村 武典


「もう一歩」

2010年7月 6日

こんにちは、秋山です。

私はカグヤを創る一人として、
入社時から大切にしていることは、
「感じること」と「気付くこと」です。

社内の雰囲気の変化。
クルーの心持ちの変化…etc

言葉では表現されないことを、
誰かが察して、
寄り添うことで、
心強さが増せばと思っています。

ただ…

どんな小さな変化(挑戦)に、
気付くことが出来たとしても、
それに応える言動を怠れば、
「気付いていない」と同じです。

感じたことを表現する。
気付いたことを発信する。

自分の成長が、
会社の成長に直結する、
そんな環境に身を置くからこそ…

見守り過ぎるのではなく、
意識して「もう一歩」を、
踏み込み行動に移せるような、
そんな社風を創っていきたいと思います。


      コンサルティングサポーター
              秋山有紀子


「旅立つその時」

2010年7月 7日

こんにちは、眞田です。

先週の日曜日から今週の日曜日まで
GTのドイツ研修に行って参りました。

今回は、ドイツ研修の内容を書こうと思っていたのですが、
その前に、今回はドイツに着くまでの間にあったことを
少し綴らせていただければと思います。

私にとっては初めての海外ということもあり、
緊張の連続と好奇心の連続で、心は躍り跳ねていましたが、
行きの飛行機で、強い恐怖を抱く体験をしました。

飛行機に乗り、離陸を待つ瞬間のことです。
私はよく、物事について「最悪の場面」を
想像します。

気が小さい人間なので、かなり物事には臆病な一面もあり、
それと相反して好奇心に呑まれてしまう時もありと、
何とも面倒な性格なのですが、

特に、何か初めての場所や緊張したり未知のことについては
頻繁にするのですが、今回も海外ということが初めてだった為に、
飛行機についての最悪のことを想像してしまいました。

そして、その時に思い浮かぶ顔が在りました。

今までもその様なことは何度かありましたが、
浮かぶ顔と言えば、親兄弟と彼女くらいだったように思います。

しかし、今回は驚くほど沢山の人々の顔が走馬灯のように頭の中を巡りました。

親兄弟、親族、家族、社長、クルーの皆、友人。

走馬灯は一瞬の出来事でしたが、本当に沢山の人々の顔を思い浮かべ、
飛行機に対する恐怖と同時に、浮かんでくる皆と逢えなくなるかもしれない
という恐怖を感じました。

走馬灯は消えても恐怖は消えず、心臓は驚くほどに大きく鼓動しました。

どうしたらこの恐怖を受け入れられるのだろうと考えましたが、
分からず、もう一度浮かぶ顔の皆さんを思いました。

すると、皆さんが応援してくれているお陰で今自分はここに居られるのだと
言うことに気づきました。

私は一人ではないということ。

沢山の方々が支援してくれていること。

待っていてくれている人が居るということ。

それを知ることが出来た時、自分の命の存在よりも
その喜びが勝ったかのような感覚が、恐怖を包んでくれました。

その時の感覚を忘れることが出来ません。

なんだか、侍が世界を相手に日本を飛び出すような、
とても勇ましい気持ち。誇らしい気持ち。

勇ましさや誇らしさとは、きっと自分の命を超えた存在が
創り出すのだと感じた瞬間でした。

まだまだ、私は心の中での妄想でしかなく、
命を本気で使いきれているわけでもなく、
維新の志士とは到底比べ物にはなりませんが、

その妄想の中で得た気持ち、気付きを大切にして
少しでも、大きな人間に為ろうと感じた瞬間でした。

                 オルタナティブコンサルタント
                 眞田 海


「初心」

2010年7月 8日

こんにちは。宮前です。

「初心忘れるべからず」と言いますが、
これは、思った以上に難しいことだと、
実感することがありました。

私は、2年前にカグヤに転職したのですが、

入社当時は、新しい職場ということもあり、
素直に新鮮な目線で、会社の改善点を見つけては、
同期入社のクルーと沢山話しをして、

「もっといい会社にしよう」と、
改善に向けて仕事に取り組んでいたように思います。

それは今でも変わらないつもりでしたが・・・

先日、問題に対して、
解決にむけての自分の動きが遅く、
無意識のうちに、優先順位が低くなっており、

これは、完全に自分が、
現状に甘んじている現れでもありました。

また、それに気付けたのも、
その問題に対する社長の問題意識の高さを、
目の当たりにしたことからで、

それまで、自分がマヒしていることさえ
気付きませんでした。

まさに、初心を忘れている自分に直面し、

恥ずかしさと悔しさを含め、
反省することとなりました。

また、同じようなことを、
社長は他のクルーに注意していることも
何度かあったのですが、

自分におきかえて話を聞いておらず、
どこかで慢心していたのかもしれません。

本当に恐ろしいことです。

これでは、当事者意識も低く、
人の話しをきちんと聞けていないことになります。

歳をとったり、勤続年数が長くなったりと、
経験が積まれるほどに、陥りがちかもしれません。

「自分は大丈夫」
なんて思わずに、

「自分は大丈夫か?」と、
いつも問う姿勢を大事にしたいです。

そして、初心を忘れずに、謙虚さを持って、
自分を成長させていきたいと思います。

環境コーディネーター
宮前 奈々子


「現場で起きている問題」

2010年7月 9日

こんにちは、カグヤの白土です。
ここ数日は天気も悪く、雨が続きいやな気分になりがちですが、
季節が変わると言う事を体で感じたり心で感じることが出来るこの国に
生まれる事ができ本当に良かったと思います。

さて今回は、先日伺った保育園での事を書かせていただきたいと思います。
先日伺った保育園は今後研修にも入らせていただく園です、
その中で今回は、全職員の方と個人面談をさせて頂きました。
一人30分という短い時間ですがその中で多くのことに気づかされます。

もちろん個人面談を行なう中で、目的はあります。
それぞれの先生が抱えている問題や不安な部分をお聞きすること、
しかしあくまでも初対面の方が多い中で最初から心を開いてくれるということは、
ある意味で難しいことだと感じます。

その中でもただ問題や不安な部分を出してもらおうという
関わり方や思いでは本当の人間関係は築けないのだと思います。
自分自身も本気で園の事や先生の事、そして子どもたちの事を考えているからこそ
貴重な時間を取っていただいているという姿勢が大事なんだと改めて感じています。
そんな中で今回ある職員の方との面談を行いました。

その方は園に勤められ25年以上になられる方でした。

園で言えば所謂ベテランと言われる先生ですが、
今は体調の理由で第一線から離れられ子育て支援の方で働かれていました。
この園で働かれる前は、同じ県内の保育園で働いていたそうです。
今回面談では、過去も含め今何を感じているかをその先生は私に話してくださいました。
前に行っていて園では、子ども主体の園という事だったみたいですが、
先生いわく、かなり大人主導の園だったみたいです。

一斉保育が悪いとかではなく、子どもの気持ちをある意味で無視した形で
日々の保育が行われていたと言われました。
具体的には、子どもたちが本当に嫌がっているにもかかわらず
毎日のようにマーチングの練習を行い、子どもたちは疲れそこからは
子どもらしい表情も感じれなかったそうです。

実際に先生は、「本当は子どもたちの気持ちはわかっていたけれど
どうする事も出来なかった、園の方針がありその方針に従っていくしかなかった」と言われました。

しかしそんな環境の中で働くことに対して疑問を感じ
何故保育士になったのかを自問自答され前の職場をやめる決意をされたそうです。

そして今の園で働く中で改めて子ども主体の保育の素晴しさを感じる事が出来ているといわれました。しかし数年前にある保護者から「先生覚えてますか?」と言われたそうです。

その保護者の方は、なんと前の園の卒園児だったとの事で
その当時の話に自然になったと言われました。

その中で、その保護者から言われた事でハッとさせられたそうです。
保護者からは、「あの当時保育園に行くのが本当に嫌だったんですよ
何でやりたくないことをさせるのかと思って・・・」

先生はそれを聞かれ本当に申し訳なかったと涙が出たそうです。
私もそれを聞かせていただき何ともいえない感情が出てくるのを感じました。

改めて私達大人の言動が子どもたちにに与える影響を考えさせられます。

もちろん今回の先生は、今は過去の経験から本当に
子どもの気持ちを考え子どもと関わっていらっしゃいます。
しかしこのような悩みを抱えた中でどうしようもなく
働かれている先生が多いのが今のこの国の現状かもしれません。
子どもたちの事を考えるとやはり改めなければいけないことを多く感じます。
まだまだ力は足りませんが、常に問題意識を持ち、社業に取り組んでいきたいと思います。

                               オルタナティブコンサルタント
                               白土 大樹


「日本を知る」

2010年7月14日

こんにちは瀬口です。

先日、藤森平司先生と行く
2010ドイツ保育環境視察ツアーに参加致しました。

まず言えますことは
本当に素晴らしい機会を下さり、自分の学びとして自分の人生からも
大きな好機を得ることが出来ました。

何を隠そう、、、なんと言っても初めての海外です。

保育園視察も勿論ながら、自分の人生観において、またと無い機会でした。
その機会を藤森先生や、ギビングツリーの会員であり
カグヤとしても「パートナー」の園の先生方とも一緒に参加してのツアーです。
どこから話していいやらと困ってしまうのですが、本当にいい機会を頂きました。

よく園の先生方からも
日本の保育では「子どものために」
という考えはあれど「時間・カリキュラムを優先した保育」
になってしまっているということをお聞きします。
どうすればもっと子ども主体の保育が出来るのかと
日々、議論を交わし合っているのですが
以前からの流れを変えることが出来ず、また、養成学校などでも
ずっとその様に教わってきたからこそ、その考え方、主導方法を
続けるでしか出来ていないと苦悩しています。

そんな悩みや不安の声があり
解決していくために力になりたいと思い、ドイツで学びたく参加致しました。

今回ミュンヘン市の保育園・幼稚園や子ども園などを視察しました。
今回訪問した園はドイツでもその一部だとは思いますが
ドイツの保育のレベルの高さに驚きました。
子どもがやりたいことがやれる様な環境が揃い
子どもが主体的になれる関わりがいくつもありました。
また、いくつかの園ではお部屋が、「●歳児の部屋」ということではなく
実験やアトリエなど「目的別での部屋」になっているという点も興味深いものでした。

ドイツのすごさも勿論ながら
私は藤森先生がなぜ「MIMAMORU保育」を提案しているのか
ということに自分なりに思うところ、気づいたところがありました。

藤森先生が刷り込みでやってしまっていることを見つけて
無駄を省くことでより子ども主体の保育を実現しようとしていることを。

私自身、海外の園を見ることにより
日本の保育においての「一体何で●●を遣り続けているんだろう」
ということを気づくことがありました。

ドイツでやっていることをそのまま持ち込んでも
それは日本で活かすことは出来ないのだと思います。

しかし、「日本の刷り込みに気づくことの出来るキッカケを頂いた」

それが最も収穫なのではという事を思います。

人はどうしても自分だけの狭い世界では気づくことはできません。
以前、クルー日記でも書きましたが、私は人と関わり合うことで
自分の存在に気づくこともあるということを思っています。

今回、
「日本を知るためにも世界を知る。」
そう思えました。

何をどう実践していくのか、正直それはまだ思いつくことができません。
しかし、自分の中での基礎に確実な影響を与えた機会となったということには間違いありません。

ドイツにも課題があり、それに必死になって多くの方が
関わって解決の道を模索し、実践に移していました。

日本でももっと多くの園で関わり合うことにより
改善していくことが必要なのではないかと思います。

そして、日本には日本の素晴らしさがあります。
日本を良くするためにも私たちはもっと外にアンテナを向けて
学ぶべきところは学ぶこと、取り入れるべきところは
取り入れることが必要なのではないでしょうか

自分から行動が出来るように
一つひとつが実を結んで行くことが出来るように
これから歩き始めたいと思います。

今回気づいたこともまた別途お伝え出来ればと思います。
この機会を頂くまでに支えて下さった多くの方に感謝致します。

ありがとうございました。

                          コンシェルジェ
                          瀬口 拓郎


「社会の中で格差感」

2010年7月15日

こんにちは、田上です。

先日、福島県の白河市へ伺う機会がありました。
白河市は6万5千人ほどの市ですが
有名なところで言えば新撰組が攘夷軍と戦った地であったり、
封建時代の藩主で領内の殖産振興に最も意を用い、名君と仰がれたのが松平定信です。
特に天明の大飢饉の際には、緊急に食糧を調達して領民を救済したため、
東北諸藩の中で米沢藩と白河藩の2藩だけが餓死者を出さずに
済んだエピソードが残っています。

その松平定信公によって
1801年(享和元年)に日本初で最古とされる
公園、南湖公園がある自然の豊かな印象を持つ市です。

そんな白河市にアウシュヴィッツ平和博物館という
少し意外とも思える博物館がありました。

私の実家がある広島県福山市にも
アイシュヴィッツ資料館があるのですが、
里帰り時期には資料館は開園しておらず、気になってはいるものの
拝見する機会がなかったこともあり、今回の白河市の
アウシュヴィッツ平和博物館の存在を知り、足を運びました。

博物館へ訪問し、なぜこの町でぜアウシュヴィッツなのか、
現館長にお聞きしたところ、資料館を創設された創立館長さんは
デザイン関係のお仕事をされておられたそうですが、
ポーランドを訪問された際に戦争を体験した子ども達の
その当時の絵を見て心が痛み、同じ過ちを繰り返さないためにも
日本でドイツ、ポーランドでおきたことを伝えようと
このアウシュヴィッツ平和博物館の開設に至ったそうです。

開園当初は栃木県にあったそうですが
借地だったことから、この白河市の地元の地主さんから
現在の土地を寄付して頂き、建物は長野県の建築関係の方が
無償で建てて下さったりと、全て手作りで運営しているとのことでした。

博物館には当時のアウシュヴィッツで何が行われていたのか
アウシュヴィッツ解放に至るまでの経緯やその後などがわかる資料が
展示してあったり、アウシュヴィッツへの集団搬送を想像させる
貨物列車のコンテナ内にポーランドの子ども達が書いた
戦争体験の絵を展示していたり、アンネ・フランクの家をモチーフにした
レンガ調の建物の展示室などが併設されています。

アウシュヴィッツ博物館ということで、
アウシュヴィッツで何が行われていたのか、
様々な展示物から説明されていますが、その中で考えさせられたのが、
ドイツがアウシュヴィッツを造り出すまでの経緯です。

1921年、第一次世界大戦の敗戦国になったドイツに勝戦国、
主にフランスから賠償金額が増額され、賠償金は200億マルクから
1320億マルクに6倍という膨大な増額で、
たちまち賠償金の支払いが滞り、
1923年、フランス、ベルギーは賠償金が支払われないことを理由に、
ドイツのルール地方を差し押さえということで占領されます。

ルール地方はドイツ工業の心臓部で、物資の生産がたちまち滞り、
モノが不足し物価が上がり結果、常識を超えたインフレがドイツ国内で起き始めます。
ドイツ国内では第一次世界大戦前敗戦前に比べ、
物価は一兆3000億倍にも達し、ドイツ紙幣は紙きれになり、
町には失業者があふれ、失業率は25%から30%、
失業者実数は550万人にたっし、市民生活は完全に破壊され、
人としての尊厳を保つことさえ難しい状況だったこと、
このときアメリカからの資金援助も世界大恐慌が起き、
アメリカ自身の内需が傾いた為、ドイツへの資金援助が途絶え
ドイツ国内は生き地獄のような現実社会の中でドイツ国民に
強く満盈した憎悪がヒトラーを生み出し、ポーランドへの侵略、
ユダヤ人浄化のためのアウシュヴィッツへと繋がったとされています。

人間の基本的な営みである衣食住に不安なく、
仕事に生きがいを持ち、家族と心穏やかに過ごすことができれば、
人の心が大きく偏ることもないのではと思いますが今、当時の
ドイツと似たようなことが日本国内でも現実に起きているように感じます。

今の日本は経済発展主義、成果主義の強い思考の中で
かつての平等神話が崩壊し格差社会が構築され、強い二極化が進んでいます。
企業も生き残りをかけ、勝ち組、負け組がはっきり分かれ、
企業が安定した正社員の雇用から派遣社員やパートなどの雇用に
シフトすることで不安定な職を選ばざるおえない職業格差、
夕張市の行政破綻などに見られる地域格差、親の経済状況で進路が
限定されてしまう教育格差など様々な格差が影を落とし根付いてきています。
収入が低い、努力が報われない、将来に希望が持てない
など不安定感が犯罪へと繋がり経済苦から若いホームレスや自殺者が
ここ最近、増えています。

カグヤクルーとして強く考えさせられるのは教育的格差です。
有名私立大学などは世間からエリート校として認知され
そこに入学すればエリートだと見られ
またそのような大学は中高一環制をとっていることが多く
高額な入学金が必要となったり、入学試験対策には塾へ
通わなくてはならないなど経済的な負担も多く
親の経済力に強く影響されます。

健全な社会、健全な国民を育てるには
健全な教育がなくてはならないと思います。

特に生涯学習のスタートである幼児期には
人間の基礎作りとなる重要な時期ですので、ここに
格差があってはならないと思います。
この時期、選挙戦などで政権争いや増税などが話題になっていますが
今一度、社会政策の観点から日本の社会全般を見直す必要が
迫られている時期ではないでしょうか。

そして先進国としての日本の役割として
世界の後進国への自立支援を果たしていくことが
世界から求められる日本の姿ではないでしょうか。

                 オルタナティブコンサルタント
                 田上 貴士


「社会の中で格差感」

2010年7月15日

こんにちは、田上です。

先日、福島県の白河市へ伺う機会がありました。
白河市は6万5千人ほどの市ですが
有名なところで言えば新撰組が攘夷軍と戦った地であったり、
封建時代の藩主で領内の殖産振興に最も意を用い、名君と仰がれたのが松平定信です。
特に天明の大飢饉の際には、緊急に食糧を調達して領民を救済したため、
東北諸藩の中で米沢藩と白河藩の2藩だけが餓死者を出さずに
済んだエピソードが残っています。

その松平定信公によって
1801年(享和元年)に日本初で最古とされる
公園、南湖公園がある自然の豊かな印象を持つ市です。

そんな白河市にアウシュヴィッツ平和博物館という
少し意外とも思える博物館がありました。

私の実家がある広島県福山市にも
アイシュヴィッツ資料館があるのですが、
里帰り時期には資料館は開園しておらず、気になってはいるものの
拝見する機会がなかったこともあり、今回の白河市の
アウシュヴィッツ平和博物館の存在を知り、足を運びました。

博物館へ訪問し、なぜこの町でぜアウシュヴィッツなのか、
現館長にお聞きしたところ、資料館を創設された創立館長さんは
デザイン関係のお仕事をされておられたそうですが、
ポーランドを訪問された際に戦争を体験した子ども達の
その当時の絵を見て心が痛み、同じ過ちを繰り返さないためにも
日本でドイツ、ポーランドでおきたことを伝えようと
このアウシュヴィッツ平和博物館の開設に至ったそうです。

開園当初は栃木県にあったそうですが
借地だったことから、この白河市の地元の地主さんから
現在の土地を寄付して頂き、建物は長野県の建築関係の方が
無償で建てて下さったりと、全て手作りで運営しているとのことでした。

博物館には当時のアウシュヴィッツで何が行われていたのか
アウシュヴィッツ解放に至るまでの経緯やその後などがわかる資料が
展示してあったり、アウシュヴィッツへの集団搬送を想像させる
貨物列車のコンテナ内にポーランドの子ども達が書いた
戦争体験の絵を展示していたり、アンネ・フランクの家をモチーフにした
レンガ調の建物の展示室などが併設されています。

アウシュヴィッツ博物館ということで、
アウシュヴィッツで何が行われていたのか、
様々な展示物から説明されていますが、その中で考えさせられたのが、
ドイツがアウシュヴィッツを造り出すまでの経緯です。

1921年、第一次世界大戦の敗戦国になったドイツに勝戦国、
主にフランスから賠償金額が増額され、賠償金は200億マルクから
1320億マルクに6倍という膨大な増額で、
たちまち賠償金の支払いが滞り、
1923年、フランス、ベルギーは賠償金が支払われないことを理由に、
ドイツのルール地方を差し押さえということで占領されます。

ルール地方はドイツ工業の心臓部で、物資の生産がたちまち滞り、
モノが不足し物価が上がり結果、常識を超えたインフレがドイツ国内で起き始めます。
ドイツ国内では第一次世界大戦前敗戦前に比べ、
物価は一兆3000億倍にも達し、ドイツ紙幣は紙きれになり、
町には失業者があふれ、失業率は25%から30%、
失業者実数は550万人にたっし、市民生活は完全に破壊され、
人としての尊厳を保つことさえ難しい状況だったこと、
このときアメリカからの資金援助も世界大恐慌が起き、
アメリカ自身の内需が傾いた為、ドイツへの資金援助が途絶え
ドイツ国内は生き地獄のような現実社会の中でドイツ国民に
強く満盈した憎悪がヒトラーを生み出し、ポーランドへの侵略、
ユダヤ人浄化のためのアウシュヴィッツへと繋がったとされています。

人間の基本的な営みである衣食住に不安なく、
仕事に生きがいを持ち、家族と心穏やかに過ごすことができれば、
人の心が大きく偏ることもないのではと思いますが今、当時の
ドイツと似たようなことが日本国内でも現実に起きているように感じます。

今の日本は経済発展主義、成果主義の強い思考の中で
かつての平等神話が崩壊し格差社会が構築され、強い二極化が進んでいます。
企業も生き残りをかけ、勝ち組、負け組がはっきり分かれ、
企業が安定した正社員の雇用から派遣社員やパートなどの雇用に
シフトすることで不安定な職を選ばざるおえない職業格差、
夕張市の行政破綻などに見られる地域格差、親の経済状況で進路が
限定されてしまう教育格差など様々な格差が影を落とし根付いてきています。
収入が低い、努力が報われない、将来に希望が持てない
など不安定感が犯罪へと繋がり経済苦から若いホームレスや自殺者が
ここ最近、増えています。

カグヤクルーとして強く考えさせられるのは教育的格差です。
有名私立大学などは世間からエリート校として認知され
そこに入学すればエリートだと見られ
またそのような大学は中高一環制をとっていることが多く
高額な入学金が必要となったり、入学試験対策には塾へ
通わなくてはならないなど経済的な負担も多く
親の経済力に強く影響されます。

健全な社会、健全な国民を育てるには
健全な教育がなくてはならないと思います。

特に生涯学習のスタートである幼児期には
人間の基礎作りとなる重要な時期ですので、ここに
格差があってはならないと思います。
この時期、選挙戦などで政権争いや増税などが話題になっていますが
今一度、社会政策の観点から日本の社会全般を見直す必要が
迫られている時期ではないでしょうか。

そして先進国としての日本の役割として
世界の後進国への自立支援を果たしていくことが
世界から求められる日本の姿ではないでしょうか。

                 オルタナティブコンサルタント
                 田上 貴士


「新潟研修」

2010年7月16日

こんにちは営業部の松村です。

先日、社内研修として新潟に行ってきました。

新潟に行った理由の一つとして
実際にポートフォリオが作られている
工場見学をさせて頂くために新潟に行きました。

今までポートフォリオを扱っていて
誰が形にしているのか想像もしていませんでしたが
今回初めての工場見学で実際に熱心に作られている姿を見ると
時間と手間がかかっていることを感じ、沢山の人たちの支えで
ポートフォリオが出来ていることを感じました。

また、工場の廊下ですれ違う方全員があいさつをしてくださり
やりがいを持って仕事に取り組む姿勢が会社の雰囲気の良さとして感じられました。

場所を変えて、ポートフォリオの製作に関わる方とカグヤで研修として
社内で毎朝行っていて、研修でも行っている一円対話を行いました。

お互い初めて顔を合わす者同志でしたが
一円対話を行いどんな思いで仕事に取り組んでいるのか
ポートフォリオに対してどのような思いがあるのかを確認しあいながら
コミュニケーションを図る研修になりました。

カグヤクルーのポートフォリオに対する思いと
現場で作られている方のポートフォリオに対する思いが
よりいっそう高められた研修になったのではないかと思う
とても充実した研修になりました。

東京と新潟で距離は離れていても
ポートフォリオに対する思いはカグヤだけではなく
多くの方の思いが詰まったものだと一円対話を通して
改めて同じ思いだと実感しました。

近くにいるカグヤクルーとは
今まで以上に思いを一つにして、これからも
よりいっそう心をこめて、ポートフォリオの価値を
伝えることが出来るようにしたいと思います。

                 オルタナティブパートナー
                 松村 武典


「文字で繋がる仕事」

2010年7月20日

こんにちは、秋山です。
私は一週間に一度メールマガジンを発行しています。
対象は「同じ想いで保育に携わる方々」ですが、
大半がお逢いしたことがなく、
文面上だけのお付き合いを続けています。

作業としては、
地味で目立たないものですが、
個人的には、とても充実した仕事だと思っています。

その理由は【言葉1つ1つに個性を込められるから】です。

雰囲気・表情・印象…etc
直接顔を合わせて、お話するだけで、
個性の半分以上は自然に伝わるように思います。
ただそれが「直接」ではないだけで、
自分の言葉、意識、心をフル回転させて、
1つ1つの言葉・文章に「私」を込める仕事に変わります。

そして、ふとした瞬間に…

名乗っただけで認識して頂ける。
名前を見て安心して頂ける。
小さな反応に触れた時に、
この仕事の実りを感じることが出来ます。

そしてこのクルーブログも同じ要素を感じています。
会社の個性、自分の個性を、
ありのままお伝え出来るブログ。
これからも楽しみながら取り組んでいきたいと思います。

              コンサルティングサポーター
                      秋山 有紀子


「ドイツ研修②」

2010年7月22日

こんにちは、眞田です。

東京は梅雨が明けたようです。

この梅雨の間の豪雨の所為なのかは
分かりませんが、我が家のベランダで栽培している野菜達の一部が
完全にやられてしまい、枯れてしまいました。

また、妻が娘をおんぶしながらベランダを歩いていた時に、
どうやら娘が茶豆の葉っぱを掴んでいたようで、
茶豆の鉢は無残にもベランダに散開し、
いまはいびつな方向に向いた茶豆達が太陽の方向に向けて
自身を方向転換しています。

先日のドイツ研修についてですが、

ドイツに行って肌で感じたこと、考えたこと。
沢山ありますが、町並みや生活、文化から感じたことを
今日はお伝えしたいと思います。

ドイツで過ごした中で考えさせられたのが、
まずはエレベーターでした。

エレベーターに乗って驚いたのが、乗ったので階数を押して
ドアを閉めようと思った時でした。

閉めるボタンがなかったのです。
開けるボタンしかないことに驚きました。

また、建物は全て高さが守られています。
自分の都合で高く建てている建物もありません。
建物の景観も守られていました。

そして、街を夜に(といっても9時過ぎまで明るかったのですが)歩くと、
多くのお店が19時以降は閉店していました。

これを見て考えることとなりました。
私たちが住んでいる日本ではありえないことが
何故在り得ているのだろうかと考えました。

その中で思うのが、「自分の為の都合を優先しない」
ということを大切にしているのではないかと感じました。

私たち日本の国では、個人の利益や都合を優先した結果
夜遅くまで店が開いていたり、
建物も立てる個人の自由ということで混在していたり
エレベーターにも早く目的地に到達したいからこそ自分の都合を優先できる
「閉める」ボタンがあるように思います。

しかし、本当にそうやって「自分のことを優先」して生きていくことがよいのだろうか?
と考えると、良くないことは誰でも気付くことだと思います。

しかし、私自身にそれを問いかけると、気付いていながらも
何も変わりません。

今まで命を繋げてくれた先祖に対しても、この後に命をつないでいく
子孫に対しても、今自分が世の中を悪くして良い理由は無いにもかかわらず、
なぜ変わらないのか。

それを考えた時、気付いているだけでは何も変わらないことや
実行しなければ変わらないこと。
だからこそ、決めなければならないんだという当たり前のことを
御座なりにしている自分に気付きます。

世界中に居る同じ人間達の中で
子どもたちの為、家族の為、社会の為に
早く家に帰るということを決めて守っている人が居る。

エレベーターのボタンも、人を待ってあげるという
助け合いの精神を大切に守っている人が居る。

私ももっともっと、自分以外の為に何かを決め、そして
それを守っていきたいと、心から思いました。

そうしていくことが、自分の娘の教育にも躾にも
繋がっていくように思います。

ドイツの街並みからとても大切なことを
学ばせて頂いたように思います。

オルタナティブコンサルタント
眞田 海


「古き良きもの」

2010年7月23日

こんにちは。宮前です。

先日、祖父の法事があり、
広島の祖母の家に、親戚一同、集まりました。

その家は、私の母が生まれ育ち、
広島の原爆時より前から存在していたほど、
昔からある古い日本家屋になります。

私は、祖母の家に行くと、

ふすまや障子を開けた、
開放的な空間に落ち着き、

畳や縁側に寝転びながら、
光や風、木のぬくもりを感じ、

植物や鳥、昆虫がいっぱいの庭を眺めたりと・・・

現在の洋風化した家よりも、
圧倒的に癒されることが多いです。

そんな祖母の家で、
叔父が障子の張り替えをしており、
私も手伝わせてもらいました。
20100704112956.jpg
一軒家に住んでいる方は、驚かれるかもしれませんが、

私は、生まれてからずっとマンション暮らしのため、
障子とは縁がなく、人生初の体験でした。

おかげで、とても新鮮で楽しい時間となりました。

今は、お金を払えば、何でも買って揃えられたり、
他人に頼んだりできる便利な時代ですが、

このように手間や愛情をかけて、
自分で住まいを大事にしていくことは、
本当に大切なことだと感じます。

その場にいた、叔父の娘である、いとこも、
今では、一児の母となり、
自宅で、普通に障子の張り替えをしているそうで、

やはり、親がやっていることを、
実際に、家で見たり手伝ったりしたことは、
自然と受け継がれているようです。

そして、今回の障子についてもですが、
生活スタイルも含め、昔はあたりまえだったことが、
今では随分と変化しているのだと考えさせられます。

「古き良きもの」とは言いますが、
日本には、素晴らしい文化や精神、生活が、
沢山あるはずです。

そんな昔からある日本の良さを、
自分自身経験し、次の世代にも繋げていけたらと思います。

環境コーディネーター
宮前 奈々子


「間違った当たり前」

2010年7月26日

こんにちは、カグヤの白土です。

ようやく梅雨も明け毎日猛暑が続いています。
今日も訪問した園では、こども達が本当に気持ちよさそうに
プール遊びを楽しんでいました。

子どもたちの無我夢中で遊ぶ姿を見ていると
一瞬暑さを忘れてしまいました。
やはり子どもたちの不自然ではなく
自然な姿をみると何だか幸せな感じがします。


今週は週の頭から出張でほとんど
東京に居ない日が続きました。
正直なところ出張が続くと
自分のことしか見えなくなってしまう事が多くあります。
それくらい自分の中に余裕やゆとりがないのだという事を改めて感じます。

外に出るとほぼ園に居る事が多くなりますが
つい自分一人で仕事をやっていると言う気持ちに陥ってしまいます。

そういう状況続けば、普段であれば顔をあわせている仲間にすら
感謝の気持ちや配慮が欠けてしまう自分が居ます。

もちろんコンサルタントとして園に関わらせていただく中で、
園に入ればその園の事しか考えていないというのは事実だと思います。

しかし、社外に出て仕事が出来るのは、一体何故なのか?
と考える事を絶対に忘れてはならないのだと思います。
それを考えると自分ひとりの力は、高が知れている事にも気づかされます。

特に今回の出張では仲間の思いやりを痛感させていただきました。

特に出張に出ている分、いつも以上に
私の体の事や仕事の事を考えてくれる仲間がいます。
園に行っているのは、確かに私自身かもしれませんが
カグヤの価値や思いを全力で守ってくれている仲間がいるからこそ
初めて外で仕事が出来るのだと思います。

私自身同じ動作や流れが続くといつの間にか
全てが当たり前になってきてしまいます。
全てが当たり前になると周りが見えずに
感謝の気持ちもなくなるのだと思います。

今回の出張では改めて一人ではなく
皆で仕事をしているという事を様々な形で感じることが出来ました。

周りから掛けていただいている言葉、配慮していただいている姿
そこに当たり前という事は絶対に無いのだという事を
今後は今まで以上に大切にしていきたいと思います。

いつも支えてくれる仲間に感謝します。

オルタナティブコンサルタント
白土 大樹


「バースデーピザ」

2010年7月27日

皆様こんにちは、コンシェルジェの瀬口です。

前回のドイツ研修についてご紹介いたしましたが、初めての海外ということは
お伝えした通りですが実は、個人的なことで恐縮ですが
私の30歳の誕生日を迎えた時でもありました。

ツアーに参加する前に、全クルーにより行われる全体会議の場にて
一部、壮行会となり、ドイツに向かうに当たっての意識づけの話もさることながら
その日には社長より、少し早いのですが、バースデーケーキならぬ「バースデーピザ」を頂きました。

社内で作った手作りです。

クルーの好みのルッコラや私も大好きなサラミとチーズ
そしてオリーブも添えられ、野菜がたくさん入ったピザです。
20100727.jpg

誕生日ということを上手く理由にし、一人だけ多く頂きました。

ドイツツアーの最中にも幾度も誕生日を祝って頂きました。
ドイツという国の凄さか、お昼からビールが当然で驚きです。

そして帰国してからはまだその興奮は冷めやらぬ
帰ってきて早々、クルーのみんなより、

「ハッピーポートフォリオ」

を頂きました。
みんなからの温かいメッセージが込められた宝物です。

社長からのメッセージに
「お前の信じるお前を信じろ」
と記されていました。

社長からは自分がつらくなった時など、いつもそう声をかけてくれていました。
困難や苦難は多いもので未熟さ故に失敗を繰り返すことも多く、悔しい思いをしますが
このメッセージをポートフォリオへ込めて下さったことが何より嬉しく思いました。

30歳になってからのこの先の人生
一つ、「実になる事を為す」という目標を立てています。
自分が体験すること、気づいたこと、実践してきた事で
一人でも多くの方に、ほんの少しでもいい、一つのキッカケになればいいと思い
自分の人生を遣っていきたいと思います。

私は幸せ者です。

コンシェルジェ
瀬口 拓郎


「どんな思いで仕事と向き合うのか」

2010年7月29日

田上です。

人の基本的な生活には衣食住が満たされなければならない。
そのためには仕事をしなければならない。
仕事と言っても人それぞれ色々な捉え方があると思いますが
最近、よく考えるのは自分はどれぐらいのことを思って
仕事として向き合っているのか、そんなことを考えているときに
ある言葉と出会いました。

大正、昭和初期の医師、政治家でありまた
「市民から愛されるようにというに」という願いを込めた「シチズン時計」
と命名した後藤新平氏の「財を残すは下 仕事を残すは中 人を残すは上」
という言葉が残されています。

この言葉が広く知られることとなったのが
プロ野球の楽天の監督を退団される際
楽天と日本ハムの教え子たちに胴上げされ
グランドを去る際のインタビューで
「人間の価値はこの世を去った後、何を残すかでその人の価値が見える。
私はグランドを去る日に教え子たちに胴上げされ、幸せだ」

として引用されました。

中国の医学古典にも
「小医は病を治し、中医は人を治し、大医は国を治す」
とありますが、自分がどのレベルを意識し日々の仕事をするのかによって
同じ環境、同じ仕事していても、全く違った意味や価値を
見出していくのだと思います。

どんな仕事でも世の中のことを考え
仕事の中に社会との繋がり、貢献を見出し
遣り甲斐や誇り、自分に自信を持って
仕事と向き合えることができれば自分の命や能力を
発揮できるではないでしょうか。

仕事においてボクの中で大切にしていることがありますが
どんな仕事にも雑用なんて言われる仕事はない。
自分で雑用だと思った瞬間から仕事が雑用になってしまう。
仕事に一流の人は雑用も一流だと聞きました。

仕事に対して大きい仕事も小さい仕事もなく
些細なことからどれだけ大きなことを考えることができるか
一事が万事という言葉もありますが
どんな些細なことも全てに繋がっていくことを忘れず
謙虚な気持ちで仕事に取り組んでいきたいと思います。

どうすればカグヤの皆が、
園の先生方が毎日を気持ちよく仕事ができるのか
その先の子ども達が毎日を楽しく過ごせるのか
そして世直しに繋がっていくことを考え願い
一つひとつの仕事に心を入れ、皆さんに
自分成りに貢献させて頂きたいと思います

オルタナティブコンサルタント
田上貴士