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2010年09月のカグヤクルー日記

「見守ってくれている存在」

2010年9月 1日

こんにちは瀬口です。

皆様、夏休みは如何お過ごしでしたでしょうか?
まだまだ暑さも厳しいですので、体調崩されませぬ様、御気をつけ下さい。

私は夏季休暇を頂き、実家に里帰りをしたところ、空港についたと共に祖母が他界したとの連絡を受け、そのまま通夜から葬儀と慌ただしい日々でした。

祖母は元々体も悪く、入院していたのですが、余りにも突然の出来事に残念さを感じると共に亡くなったことを実感出来ない部分もあります。

幼少期などよく可愛がってもらっていたことも勿論ですが、年始など挨拶に行くといつも「良く来てくれたね」と満面の笑みをこぼし、迎えてくれ、今振り返ると遠くからいつも見守ってくれていて、今こうして自分があるのも両親の御蔭であり、両祖父母の御蔭でもあるということを思います。

葬儀を受けて下さったお寺さんのご住職より、こんな言葉を頂きました。
「皆様、最近では忙しいとか時間が無いと、周りのことにばかり眼を向けがちですが、どうかこのときだけはそのスイッチを一つ切り替えて自分を振り返るということを為さって故人のこと、家族やご親戚のこと、そして自分を振り返る時間としてお使い下さい。」

お恥ずかしながらこういう時でないと中々親戚一同が集まるという機会も無く、小さい頃は良くお会いしたのにも関わらず10年振りにお会いする方もあり、と、親戚づきあいもままならなくなっている自分があるのだと思いました。同じ血を継いでいる親族であり、どうあろうとも自分を迎えて下さる場所があり、自分自身、もっと大事にしないといけないということを考えさせられる機会を祖母より頂いた様に思いました。

コンシェルジェ
瀬口拓郎


「探究心」

2010年9月 2日

先日、自分の人生観を変えさせてもらえるいくつかの出来事に出会いました。
最近、つくづく思うことは生きるということはわかったつもりでいても、
想像を超えた色々なことがあり、色々な豊かな価値があるのだということです。

この年で人生をわかったように言うと人生の諸先輩方に怒られてしまいますが、苦悩もあれば、
心から感謝する良いこともあり、人間の一生には春夏秋冬のように毎日の繰り返しの中に
お金やモノでは満たされることのない大切な価値に気付く出来事が突然やってきて衝撃を受け、
無駄な出来事は何一つないと実感しています。

よく人生を旅に例えられますが、旅路の途中に生きることの苦悩や人生の素晴らしい景色を
見れることがあるのだと思うと、自分の人生の終着地がどこになるのか、そこにはどんな景色が見渡せる
のか今は想像もつきませんが、目的地までの飛行機で最短、最速で行ってしまうのではなく、
各駅のように一つ一つの人生の分岐点との出会いを大事に生きること、何事においても、わかった気にならず、
謙虚な気持ちを忘れることなく、強い探究心で、一度しかない人生の醍醐味を味わっていきたいと思います。

これからも皆様の関わりの中でより良い人生を感じていきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


歴史に触れる

2010年9月 6日

こんにちは、松村です。
前回、奈良へ行った話を書きましたが、今回は奈良に平城京が移り、平城宮の歴史について学んできて感じたことを伝えたいと思います。

奈良に平城京が置かれ、1300周年ということで、寺町が好きな自分にとって今年度中に訪問したいと思っていたので、今回凄く楽しみにしていました。

前回の話の続きになりますが、バイクの修理で午前中を使ってしまい、午後の約5時間しか奈良観光が出来なくなってしまったので、平城宮だけを観光することにしましたが、内容の濃い観光になりました。

平城宮の観光だけでしたが、平城宮内では、歴史に触れるブースがいくつかあり、今回の観光で歴史について学び感じたこと。改めて気付いたことを、お伝えしたいと思います。

平城宮内に遣唐使船が復元されており、そこで遣唐使についての説明が映像で流されていました。
遣唐使について簡単に御説明しますと、当時の日本をより良くするために中国に渡り、技術や、仏教を日本に持ち帰り広めることを仕事としていた人たちです。
中国に渡るといっても簡単なものではなく、船は現在に比べ大きくも無く簡単な作りだったので、転覆をすることもあり、命を落とす遣唐使もいました。
また、中国に渡っても、10年以上も日本に帰ることが出来ない人、一生を中国で過ごす遣唐使もいたそうで、当事の遣唐使は日本を良くするために命を使い、高い志の強さが無ければ出来ないことだと感じ、現在の日本の文化があるのは、遣唐使がいたからだとも感じました。

資料館も拝観しに行き、案内してくださる人に質問をして沢山のことを学ばせて頂きました。
特に、学びになったのは、1300年前は物々交換が主流だったのですが、当事の唐(現在の中国)から貨幣が伝わったことです。
歴史資料館で実物の出土品を拝見すると、机の上で学んでいたことはもちろん大切でしたが、本物に触れることによってより歴史の重みから、奈良時代の文化を知りたいと思うようになり、当時のお金「和同開珎」について自宅に帰り調べると、お金の中央になぜ丸の穴ではなく、四角の穴が空いているかを知ることができました。
溶かした銅を型に流して冷めて固まった後、型からはずすとプラモデルのように湯道で繋がっており、それをたがねで一枚一枚取り外していたそうです。
そして、丸い穴だと回転して動いてしまうので、四角の穴に合った棒を差し込み、お金を固定して周りを削っていたそうです。

今回感じたことですが、事前に調べて行くことで、より多くの気付きや、学ぶことが出来るのではないかと思ったので、次回から、観光するときは、受身になるのではなく、事前にその地域を調べ主体的に行くことで、短い時間で何倍も楽しめるのだと思うので、今後は十分に調べてから行きたいと思います。


オルタナティブアドバイザ
松村武典


『細やかな気配り』

2010年9月 7日

こんにちは、秋山です。

日々仕事に取り組む中で、
【机の乱れ=心の乱れ】として、
常に整理整頓を意識しています。

必要なモノは分類する。
活用したモノは片付ける。
不要なモノはすぐに捨てる…etc

小さな物事1つ1つを、
積み重ねることが出来れば、
「見た目を保つこと」は、
難しいことでは無いように思います。

とある月曜日。

何だか気持ち良く仕事が進み、
いつもと何が違うのだろうと、
少し周りを見渡す時間を作りました。

すると…

足元に置いてある、
目立たない私のゴミ箱が、
キレイにセットされていることに気付きました。

毎日使っているゴミ箱は、
いっぱいになっているだけで、
仕事の捗り方が違います。

いつも使っている自分自身では気付かず…

それを他のクルーが、
そっと回収してくれたことで、
形だけに捉われている自分を痛感しました。

気付かせてくれた、
クルーに感謝すると共に、
細やかな気配りが出来るように、
もっと心を使う毎日を過ごしたいと思います。

         コンサルティングサポーター
                秋山 有紀子


「繋がり」

2010年9月 8日

こんにちは、眞田です。

今年は残暑が強く、年々地球のバランスが崩れてきているのではないかと
心配になります。

驚くほどの暑さの中、先日祖母と母親と我が家で出かける機会が在りました。
猛暑と高齢のため、祖母もあまり外に出かけることも出来ないため、
せっかくの夏なのでどこかに連れていけたらということでレンタカーを借りて
都内観光をしました。

景色を沢山見てもらえればと思い、助手席に祖母を乗せ、2列目に娘と家内。
3列目に母親という図式だったのですが、祖母は景色よりもひ孫(我が娘)のことが気になって
ずーっとひ孫に話しかけたり携帯を取り出したりと、観光というよりも車内での
ひ孫との触れ合う機会となってしまっていましたが、祖母が喜ぶ姿を見ることが出来るのは
本当に嬉しいことです。顔をしわしわにして、何度も何度もひ孫との嬉しかったこと、
夜眠れない時に携帯でひ孫の写真を見ていることなどを話す姿は、心を揺さぶり
何とも言えない気持ちになります。

人に喜んでもらいたい、心からの笑顔を見たいと思っても、実際にはとても難しい事だと思っています。
今まで祖母に心から喜んでもらえることが出来た機会があったかというと、
人生振り返っても数度しかありません。
反対に、悪いことや自分勝手なことをして悲しませたり悩ませたことは沢山ありますが。。。

祖母との関わりの中で数度しかない経験のうちの一度を今回体験できたことが
私にとっては何よりも嬉しかったのが今回の一番の思い出です。

人に喜ばれ必要とされ、頼られることが、こんなにも嬉しくて自信を与えてくれて
幸福を与えてくれるものだとは、正直なところ理解していませんでした。
きっと、自分は一人で生きていくことが出来ると勘違いしていた今までの人生の代償なのだと思います。

今、私が此処に居ることも何もかもは、両親や祖母、祖父、ご先祖様が居てくれてこそであり、
この目には見えない繋がりというものがあってこそなのだということ。
人は決して一人では生きていないということ。
自分自身の傲慢さがその繋がりを見えなくさせているのだと気付いた時、
ご縁というものを改めて考えさせられる機会となりました。

そんな中、東京観光を終えで午後に向かったのは祖母の姉妹の家でした。
お仏壇の前に立つとご先祖様方がいらっしゃり、ちいさい頃から沢山の思い出を
頂いた方々の遺影がそこには飾られていました。

直接もう話す事が出来ない事実を改めて感じる半面、遺影と会話している自分を思うと、
この世での繋がりは消えていくこともあれば、娘のように増えていくこともありますが、
ご縁というものはこの世もあの世も関係なく、繋がっているのだと感じさせられる瞬間となりました。

沢山の方々との繋がりを心を籠めて心眼で見ると、沢山の有り難い繋がりが見えてくるということを
祖母との関わり、親戚との関わりから学ばせて頂きましたが、娘が生まれてきてくれたからこそ、
こんな幸せが訪れているということを肝に銘じて過ごしていきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 眞田海


焙りたてアイスコーヒー

2010年9月 9日

こんにちは。宮前です。

9月に入っても、まだまだ残暑が厳しいですが、

この夏は、「焙りたてアイスコーヒー」で涼み、
楽しんでいます。

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自ら生豆を焙煎し、粉にして、
ハンドドリップでいれる「焙りたてコーヒー」と昨年出逢い、

お客様へ提供したり、
社内で仕事中にコーヒーブレイクすることは勿論、

自宅でも楽しむほどに、
私の人生は、随分と豊かな時間が増えました。

そもそも「焙りたてコーヒー」は、
「コーヒーは生鮮食品」という考えのもと、
新鮮なまま頂くので、体にも美容にもよく、

味も甘さとコクがあるため、
コーヒーが苦手な人でもブラックで飲めるほどの
味わい深さがあります。

また、自然の恵みを最大限に活かすことで、
自然へのありがたみや、
食の大切さに気づけることも多いです。

そんな、いいことばかりの「焙りたてコーヒー」ですが、
実際アイスコーヒーをいれてみると、
慣れているホットコーヒーと違い、
美味しくいれるのも難しく、苦戦の毎日が続き・・・

ようやく最近になって、自分でも満足できる
おいしいコーヒーをいれられるようになりました。

こうなると、ますます楽しいもので、

焙り方・挽き方・豆の種類・氷の量etc・・・
もっと色々試してみたくなります。

そして、誰かに飲んで頂く以上、
自分が納得できるおいしいコーヒーを
いれたいのは当然のことですが、

出す相手の好みや、状況に合わせた、
コーヒーをいれられたら、
ますます喜びが広がるのではと感じています。

何でも継続が大事で、
そこに至るには、まだまだいれ続けないと、
難しいのでしょうが、

飲んだ人が幸せな気持ちになれるコーヒーを目指して、
今後も楽しみながら取り組んでいきたいと思います。

環境コーディネーター
宮前 奈々子


『世界会議』

2010年9月 9日

こんにちは、カグヤの白土です。

先日名古屋の中京大学で第2回世界会議が開催され参加して参りました。

世界会議の中では、藤森先生による講演・弊社代表による分科会が行われました。

今回の会議は保育の関係者のみでなく、様々な分野の方が多数参加されていました。

印象深かったのは、藤森先生のお話(「保育道」と「mimamoru保育」)に、

保育とは無関係の方の全員が共感されていたことでした。

やはり見守るという事は、子どもたちだけに必要な考えではなく人として生きていく中で、

本当に大事になる考え方であり関わり方なんだと改めて実感させていただきました。

特に講演の中での赤ちゃんのお話は印象的でした。

「大人はまるで自分のほうが優れていて、赤ちゃんに関わってあげているという意識ですが、

本当は赤ちゃんが私たちに関わってくれているという事」、

大人の私たちよりもずっと主体的に関わろうとしているのが赤ちゃんなんだとお聞きしたときには考えさせられました。

同時に人としてあるべき姿は赤ちゃんの頃の姿なのだということに気づかされました。

もちろん私自身も自分が赤ちゃんの時の記憶があるわけではありません。

しかしいつの間にか刷り込みにあい受身になっている自分、

間違った当たり前を次世代の子どもたちに伝えようとしている自分が居ることに気づかされました。


今の世の中は、周りの誰よりも知識を付け最終的に勝ち負けを決め上下の関係作るという関係が未だに多く見受けられます。

知識や学力が人を幸せに出来るのか?答えは今の世の中を見渡せば当たり前に気づくことが出来るのではと思います。

その後の講演では、学力や知力が人を幸せにするのではなく「遊力」が大事という事をお聞きしました。

正直なところ初めて触れる言葉でしたが、とても心が豊かになる言葉だと感じます。

やはり子どもたちにとって遊ぶということは、生きていくうえで必要でありそこから多くの事を学んでいるのだと思います。

又赤ちゃんや子どもたちの動きを改めて見てみると、ある意味で本当に無駄がないのだということも感じます。

逆に私たち大人は無駄なことばかり行い無駄なことばかりに目を向けているということにも気づかされます。


今回この大切な事に気づく事が出来たことに感謝いたしますし、

今後も赤ちゃんや子どもたちの自然の姿から学ぶという姿勢を大事にしたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 白土大樹


「自分に矢印」

2010年9月10日

最近、自分にとって上手くいかない時等、
「自分がそうさせているのだ」と思える事がありました。

周りを変えようと思っていても変えることなど出来ない。
変えたいのであれば自分が変わるしかない

言われているのは自分がそうしてほしい、そうしたいからである。
それは「周りから言って頂いているのだ」いうことを思えます。

自分にとって不満に感じることも
思うことが在るのは自分もそれを直したいからであり、
自分が気づいていないからこそ言って頂いているのです。

変えようと思っていても
意識していないと普段の自分が出てしまって結局は失敗の繰り返し、
これを直そうとしているのであり、周りの方からは言って頂いているのです。

全ては自分がそうさせてしまっているものであり、
自分の行いを変えなければ変わらない。

言うは易し、するは難し
だからこそ行動に移すこと

自分に矢印を向けて、自分を奮い立たせて実施したい。
自分が変わらなければ何も変わらない
一つひとつの行動が変わっていける様に行動に移していくことを考えていきたいと
思います。

コンシェルジェ
瀬口拓郎


「明るく生きることが全てだから」

2010年9月13日

自分は知らず知らずのうちにうまくできないことや自分にとって都合の悪い出来事などが
起きると苦しくなっていきます。
そんな心の状況の時に手にしていたのがブッタの教えをスリランカ仏教界、長老の
アルボムッレ・スマナサーラ氏の本でした。

当然、この本には色々なことが書かれていますが自分の心の状況から共感したのが、
人は楽と苦を選んでいるようで実は生きるということは全てにおいて苦しいということ。
例えば新入社員のときは仕事が分からず苦しい。中堅になればなったで責任が生じ苦しい。
出世しても部下を育てるのは苦しい。退職したら今日は何をしようかと退屈で苦しい。
老いて身体が動かなくなれば苦しい。病気になれば苦しい。死ぬのは苦しい。

苦しさから逃れたいからといって、何かから逃げることや止めることは生きる道ではないこと、
苦しいという根源は自分自身の心がいやだと思うこと、いやだと思う分だけ苦しみが増えること。
生きるということは様々な苦しみの中から自分にとってどちらの苦しみを有意義なこととし、
自ら苦を選ぶのかということ。
人生とは苦しみの質が変わるだけのことだということ。

ブッタの悟りに触れて、生きること自体は決して楽ではなく苦しいということを受け入れ、生きる上で
大切なことは将来のことを心配することも大事ですがそれよりも「いま」「この瞬間」を充実感と喜びを
いかに感じられるかが人生の価値ではないかと感じました。

ボクの学生時代は360日部活動で体調が悪くとも練習を休むという選択肢がなく、練習も先輩後輩の関係もとても厳しく、毎朝5時に起きて朝練に参加し、夜12時に部室を出るという毎日で今日が無事に終わって
くれるよう、いつも神様にお願いしていました。
そのころに聴いていたミュージシャンの一曲の中に「人は明るく生きるそれが全てだから」という歌詞が
学生当時から何となく気になり、ずっと心に留めていました。
ただこの言葉の意味を深く考えることはありませんでしたが、今回ブッタの悟りに触れる中で、苦しいことを
避けることができないのが人生であれば、自ら積極的に苦を選ぶこと、苦が自分の人生を豊かにすることを
自覚するとあのとき聴いていた明るく生きるそれが全てだからということに繋がっていきます。

苦しさに押しつぶされそうなときには周りを見る余裕もなくなり、苦しみのことばかりに気を取られ、
周囲への感謝の気持ちを無くしてしまいますが、苦の中で「今」「この瞬間」を明るく前向きに生きることを
大切にして、苦しく辛いときこそ、自分を責め過ぎることなく、自分らしい自分を保ち、
自らを愛して生きたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


「出会い」

2010年9月14日

先日、友人に誘われフットサルに参加しましたが、誘ってもらった友人しか知っている人がおらず、完全にアウェーでした。

1時間という短い時間でしたが、2チームに別れて行いました。
一人で行うスポーツと違いチームワークが必要で、初めて会った人とのコミュニケーションを取ることの難しさを感じました。
しかも、あっという間に1時間がすぎ、仲が深まる前にフットサルは終わってしまい、人と人が出会っているのにも関わらず、出会っていないように感じてしまいました。
しかし、その後数人で食事に行くことになり、仲を深める機会がありました。
そこには、介護士の方、運送業の方、自営業の方など、色々な職業の方がいらっしゃり、仕事へのやりがいなど聞くことができ、沢山の価値観に触れることができました。
特に、介護士の方の仕事への意気込みや、やりがいというのは、自分のためにではなく、相手のためにという姿勢が感じられその気持ちはどこからきているのか、詳しく聞いてみたくなり伺うと、介護施設で働いているようで、利用者さんは残りの少ない大切な人生を施設で過ごす中で、自分はどれだけ利用者さんにより良く過ごして頂けるかを考えているからだそうです。
対象相手は違うかも知れませんが同じ福祉業ということで、保育士の先生方も同じような考えをお持ちでいらっしゃるのではと考えると、人と関わる仕事は通じるところがあるのだと思いました。
また、自分もそのうちの一人だと思い人に尽くすことの大切さを改めて持ち、行動していきたいと思いました。

今回、沢山の人の価値観に触れ、大きな気付きや学びあり、充実した日になりました。
また、人と人との出会いは学びになることに気付かされ、このような貴重な出会いの場を一つ一つ大切にしていきたいと思います。


オルタナティブアドバイザ 
松村武典


『社内の仲間、社外の仲間』

2010年9月15日

こんにちは、秋山です。

いつもは社内にて、
仕事をしている私ですが、
今月は社外に出る機会が多くあります。

その理由は、

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保育士の方々を対象とした、
セミナーの事務局を、
務めさせて頂いているからです。

年に数回しかない機会ですが、

保育士の方々の顔を直接見る。
先生方の問題意識に触れる。
各園の課題や実践を聴く…etc

社内で過ごしていると、
なかなか得ることの出来ない、
刺激や感覚を養う時間となっています。

私と先生方の共通点は、
「子ども第一主義」
ただこの1つの想いだけ。

一見全く別の世界で、
生きているように見えますが…

現場にしか出来ないこと。
会社にしか出来ないこと。

同じ方向に向かいながら、
それぞれにしか出来ないことに、
力を尽くしているだけなのです。

先生方からは刺激を受け、
会社自身にも誇りを持てる、
そんな豊かな機会に感謝しながら、
有意義に楽しみたいと思っています。

            コンサルティングサポーター
                   秋山有紀子


「価値を求める」

2010年9月15日

こんにちは、眞田です。
台風9号が過ぎ去り、気温が下がったように思えるこの頃ですが、
それでも残暑は強く残っていますね。作物に大きな影響が無いことを祈っています。

最近ですが、自分自身の仕事の仕方を振り返る機会が多くあります。
仕事に対する姿勢として、価値のあるものを会社や他人に求めるのか、
それとも価値のあるものを自分の中に求めるのかということです。

カグヤという看板だけで仕事をしていたら、自分自身で責任を負うことは難しく、
結局は誰かに甘え、頼ることとなります。
働く姿勢からそうなってしまっていたら、組織は誰かに価値を求め、頼る組織となってしまう。

社員一人一人が自分自身の中に価値を求め、責任を背負う姿勢を以って仕事に臨むことが
大切なのだと気づく機会が多くあります。

自分が出来ることを最大限自分の中から見つけるということ。
これは一見苦しいように思いますが、産みの苦しみとでもいうのでしょうか、
見つけられた時の自己肯定感やお役に立てた時の喜びは、何事にも変えられることは出来ないものであることに
気づきます。

そうしていくことが、自分らしさを発揮させる大切な道であることを
仕事を通して学ばせて頂いているように思います。

日々、自分自身の限界点を壊し、新たな自分に生まれ変わる気持ちを以って、
生きていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 眞田海


自分の体

2010年9月15日

こんにちは。宮前です。

先日、健康診断をしてきました。

普段から、健康には興味があるため、
年に一度の健康診断は、
病気の早期発見の意味でも必要とは思いますが、

それだけでなく、自分の体と向き合う
いい機会だとも感じています。

ただ私は、昔から病気知らずのためか、
病院が苦手でもあります。

採血や、婦人科検診、バリウム検査etc・・・

次々と行われる検査に耐えられず、
貧血気味になり、
少し休ませて頂いたのですが・・・

改めて振り返ると、
自分は今まで、大きな病気やケガもせず、
生きてきたことを実感し、

そんな健康な体で産み、育ててくれた両親へ
感謝の気持ちが溢れてきます。

健康は決して当たり前のことではありません。

両親やそのまた先の先祖から
脈々と繋がってできた自分の体。

そんな自分の体を粗末にせず、
自ら大事にしてあげて、
次世代に繋げていけたらと思います。


環境コーディネーター
宮前 奈々子


『自分で決めて行う事の大事さ』

2010年9月21日

こんにちは、カグヤの白土です。


今年の夏は言うまでもありませんが、本当に暑くいつまで夏が続くのか?と思います。

しかしここ最近はクーラーの力を借りなくても生活できるくらい過ごしやすくなりつつあります。

さて今回も、先日研修で伺った園でのお話をさせていただければと思います。

今回うかがった園での研修のテーマは「共生」と「信頼関係」でした。

人として生きる上で大切なこのテーマを園と先生方と一緒に深く考える事が出来ることに改めて感謝いたします。

又今回研修の中でアースゲームを行いました。

アースゲームについては、又次回どこかで具体的にご紹介できればと思います。

簡単に言いますとボードゲームになり、日本で言えば「すごろく」の様なものです。

このアースゲームはヨーロッパの保育現場で使われています。

特に日本の「すごろく」と違うのは、競い合わないという事です。

ここでも日本と外国の違いを感じますが、特に昨年伺ったオランダでは競争するものは

ほとんど子どもの周りにありませんでした。逆に競争ではなくやはり「共生」をテーマにしたものがほとんどでした。

話を戻しますが、今回の研修ではこのアースゲームを2グループに分かれて2回実施して頂きました。

最初の1回目は、あえてグループ同士で競い合っていただきました。

私自身はその場に入らずに周りからそっと先生方の言動を見ていました。

隣のグループの事を気にする先生、うまくいかなかった先生を冗談ではありますが責めてしまう先生、淡々とゲームを進める先生、やはり個性も様々でした。

結果的に勝ち負けどころかゲームがすぐに終わってしまいました。

そこで2回目は競い合うのではなく、それぞれのグループで一人ひとりがどこまでやりたいのかを出していただき、目的を明確にしたなかで尚且つ話し合いを必ず行って進めて頂く様にしました。

1回目とは違い、周りの先生を「大丈夫だよ」と励ましながら進める先生、

自分だけの判断だけではなく、周りの人の意見を聞きながら進める先生、

淡々と投げる先生はほとんど居ませんでした。

結果的にそれぞれが自分たちの立てた目的を達成する事ができました。

ゲーム終了後に先生方に感想を伺いました。

ある先生からは、「自分の中でここまでやるとしっかりと決めれたからよかった」、

又別のご意見として「1回目よりも雰囲気がよく安心して参加できた」などプラスの意見が

多く出てきました。

今回感じたのは、もちろん共生という事も大事ですが、

「自分で決める」という事がいかに大事なのか感じました。

今の自分自身の課題でもあるのですが、やはり決めるという事をやらないと、

うまくいかなければ人のせいにしてしまい、後悔もそこに生まれるのだと思います。

しかし逆に自分で決めて何かを行うという事は、たとえ失敗があっても次に繋がる反省が出来、自分自身の成長に繋がっていくのだという事を今は実感しています。

又、今の子どもたちにも同じように自分で決めるという事がとても大事だと感じました。

何かをやらせるというのはやはり大人の都合で子どもたちの無限の可能性を奪ってしまうという事にも繋がるのだと思います。

私たち同様、子どもたちにもしっかりと決める事が出来る環境を作っていく大事さも今回の研修で感じさせて頂きました。


オルタナティブコンサルタント
 白土大樹


「決める力」

2010年9月22日

こんにちは瀬口です。
ようやく暑さもひと越えし、幾分かは涼しさを感じることが出来る様になってきました。
この移り変わるという時期、瞬間は五感も敏感になり、忘れていた何かを思い出す様な感覚を覚えます。

先日、園で先生と話をしていた時のお話です。
「子どもが何かを遣ろうとした時に、大人はついつい、これはこうしたらもっと出来るなど子どものやりたいことが遣り切る前に、中断されてしまい、大人は先にいい方法を知っているのでつい子どものためにと思って先に動いてしまい、中々「待つ」ということが出来ないのですね」と仰っていました。
大事なことは子どもがやりたいことを思い切り、遣らせてあげることだということを、園の先生方と話をしていました。

自分自身を振り返ると自分で決めて、自分で遣り切るということが、出来ているだろうか、やりたいことが合っても中々実現出来ず、出来ないこともありますが、その逆境の中でも通そうとすることが出来ているだろうか、そう考えると、まだまだ自分自身では出来ていない部分が多く、すぐに折れてしまう、泣きを見てしまうことも多く、とても「自分で遣り切る」とは言い難い思いをしています。

自分で決めてそれを遣り通す。
自分の生き方に正直に生きる。

大人になったとしても「自分で決める」ということの難しさを今まさに感じております。
自分で決めて、決めたことに対して責任を持つということ。それは、誰かのせいでもなく、自分の生き方であり、自分が守らなければいけないもの。

私が聞き、見てきた諸外国での保育の在り方としては「自分で決める」という力を幼児期のうちにまず身につけるということが感じられました。

生きていく上で必要な力であり、一つひとつの細かなことから長期的な視野までこの「決める」ということは人生の中で最も大事な力の一つなのでしょう。

一つひとつを決めて、責任を以て行動出来るように取り組み、その力を自身が得ることで同じ様に困っている人たちの道しるべになれればと思い、そのためにも今、自分がこうして学ぶ機会を頂いているのだと思って一つひとつを味わっていきたいと思います。

コンシェルジェ
瀬口拓郎


「会話力」

2010年9月24日

仕事柄、多くの方とお会いしお話させて頂く機会が多くありますが、会話の中にはその方の日ごろの習慣や生き方、価値観をよく感じます。

最近では日本人のコミュニケーション能力の低下を言われていますが、会話することは当然、苦手な人、望まない人との会話はストレスの原因になりうることが多くあります。

人に話すことが好きだから会話がうまくできることにはならず、自分の考えや気持ちを言う前に相手が言いたいことの要点を自分の言葉ではなく、相手の言葉で確かめ、共感しながら進めていくなどの、会話にはマナーやルールが存在し、相手の目を見て話すことや、相手の話を良く聞くこと、共感する言葉でうなずくことなど色々とあるとおもいますが、会話の基本的なことに受容、共感、傾聴を行いながら会話は成り立っていくのではないでしょうか。

相手が話している意味を自分はどれぐらい理解できているのか、自分の理解した内容を反復したり、相槌をうって相手の反応を確認したりしながら、相手との信頼関係を深めながら自分の考えを伝えていくことが会話の大切な姿勢だと実感します。

この世は人と人との関係性の中で成り立っている以上、素敵な人との出会いを実感できるのも、大きな学びを得ることも、自分の協力者を募るにも、国と国、人と人とが争うことも、全て会話から始まっているのだと考えると会話の大切さを実感し、会話が自分の人生に与える影響は重大で、自らの会話の質によってより良い人間関係、より良い人脈づくり、より良い人生が送れるのだと思います。

カグヤでは一円対話という相手の話を受容、共感、傾聴するコミュニケーションの取り方を毎朝、実践し社内の共通理解を深めています。
この会話の大切さを自覚し、日々の実践を深めていきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


「家族の時間」

2010年9月27日

こんにちはカグヤの松村です。
最近、夜に父と二人になることがあり、以前保育士をしていた時に比べ、現在の仕事のほうが比較的忙しくなりましたが、父とは食事に行く機会が増えたように思います。

以前、食事の際にお互いの仕事で取り組んでいることや、家族の話などの近況報告をしました。
その時に休日に父の庭仕事が出来ないかと自分から聞くようになり、父からも一人では難しい力仕事など、手伝って欲しいことを話すようになり、コミュニケーションを取れるようになりました。

カグヤで働くようになり、毎日の一円対話でカグヤクルーが一つの輪になり本音で話す機会や、内省ブログによって、日々の振り返りから自分に問うことをしていると、家族の大切さを改めて感じ、自分から家族に関わるようになりました。
家族と関わるようになったからこそ気付かされましたが、今まで一つ屋根の下で生活していても、話さなければ相手が現在どう思っているのか、今何を必要としているのか、わからないことがあり、まだまだコミュニケーションが足りていないと感じました。

最近「鏡の法則」という本を読んだのですが、「今現実に起きていることは自分の心の中を映し出している。」と、一文があります。
自分がうまく関われていないことは、相手も同じように思っていると解釈すると、自分が変わらないと相手も変わらないということを自覚しなければならないと思いました。

「感謝の気持ちが大切」という自分が大切にしている信条がありますが、家族への心から感謝の気持ちがまだまだ足りず、家族に対して心から向き合うことをしていなかったのではないかと、改めさせられました。家族で食事をする機会があまり持てないので、自分から積極的に家族へと関わり、少ない時間でも大切にしていきたいと思います。


オルタナティブアドバイザー 
松村武典


「そもそも」に立ち戻ること

2010年9月28日

こんにちは、秋山です。

最近、何事に対しても、
「そもそも」について、
考える時間を大切にしています。

仕事でも…
家庭でも…
仲間のことでも…
自分のことでも…

まずは自分がどう在りたいか。

誰にも左右されずに、
そもそもに立ち戻ることで、
言葉も、決断も、行動も、
とてもシンプルになり、
迷いが減ったように思います。

私もカグヤと出逢って約1年6ヵ月。

仲間にも、仕事にも、環境にも、
ある程度「慣れ」が出て、
初心を忘れそうになることがあります。

ただクルーの中には、

自分と向き合うメンバーが居たり、
厳しくも優しいメンバーが居たり、
妥協なく日々を過ごすメンバーが居たり、

そんなクルーのおかげで、
常に自分を振り返ることが出来ます。

そんな仲間に感謝しつつ…

私も私にしか出来ないことに、
誇りと自信を持って、
今後も力を発揮したいと思います。

            コンサルティングサポーター
                秋山 有紀子


「お神輿」

2010年9月29日

こんにちは、眞田です。
涼しくなったかと思えば、残暑厳しく。
気温の変化に体がついていけなくなる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
まさに私自身、この季節の変わり目に今年は苦戦しております。
体調管理が出来れば、この季節の変わり目は本当に美しい光や風や香りを感じられますが、
体調が悪ければそういったことにも気づけずに、一生に一度しかないこの瞬間を逃してしまうことを考えると、悔やまれます。

先日ですが、家族で私の祖母の家に行ってきました。
祖母の家では今は、私の母、妹、弟が祖母と暮らしているのですが、
行くたびに、幼少の頃に祖母の家に行った時の様々な記憶が蘇ります。

祖母の家の向かいにある氷屋で買った、かき氷やお赤飯、おだんごの味。
斜め前のとうふ屋にお使いで買いに行った時のこと。
隣の隣のうなぎ屋さんの香ばしい匂い。
お祝いごとになると食べることができた、近くのお寿司屋さんのお寿司。
祖父が遊ばせてくれた金物達。

商店街の一角で金物屋を営んでいた祖父と祖母に、私は沢山の思い出を貰いました。

その中で、今回蘇った思い出は、「祭り」です。

祖母の家に行った理由は私の娘にお祭りの雰囲気を感じてもらう為でした。
小さな町内なのですが、さすがは江戸の下町。12の地区に分かれ、それぞれがお神輿、山車を出し合います。年輩の方から若者まで、多くの人々がお神輿を担ぎ、そしてその周りを取り巻いたものですし、私も法被を着て参加していた昔の日々が蘇ってきました。

しかし、久しぶりにその祭りに来てみると何とも閑散とした雰囲気が感じられました。
神社に行っても出店はぽつぽつと在るだけ。悲しくなるほど少なくなり、活気も無くなり、その代わりに神社ではなく商店街で町内会が予算を出した出店の方は人も集まり活気があります。
もはや、出店も補助が無くては成り立たなくなってきているのでしょうか。

同じように、お神輿も変化がありました。
昔はあんなにも多かった担ぎ手が今はもはや頼まれて担ぐというような状況に変わり果てています。
神様に感謝し、御旅所から御旅所へ神様をお連れする為のお神輿であるはずが、
今となっては、担ぎ手も少なくなり、担ぎ手の負担は多くなるという悪循環。
それでも、担ぐ人々の姿には、神様への感謝、
伝統や文化を大切にしていきたいと思う心が在ることに感動しました。

元々、生きることが今のように簡単ではなかった時代、
私たちは共に助け合い、共生して生きていたのだと思います。
また、自然と共に生き、自然の恩恵を受けて生活をしていたからこそ、
感謝の気持ちが大切にされ、どんなモノにも神は宿っているという、
ヤオヨロズの神の考えが大切にされていたのだと思います。
しかし、そういった自然や感謝、思いやりなど目に見えないものが蔑ろにされ、
近代化が進んだ私たちのこの町は
モノ以外のすべての事柄が貧しくなったように思います。
これが子どもたちに与える影響は非常に大きいと感じます。
生きていることへの感謝、生かされていることへの自覚。
お神輿からは沢山の学ぶ機会があると感じます。

私自身、今の家に引っ越してからは、お神輿が担がれるお祭りもない為に
担ぐことが無くなってしまいましたが、祖母が居るこの町内のお祭りで
担ぐことが出来れば、自分自身が身を以って
子どもに姿を見せていくことが出来るのではないかということで、
祖母の家の向かいにある氷屋さんのおばさんと話しました。

「来年から担いじゃいなよ!!いいよ、いいよ!奥さんも一緒に担いじゃいなよ!」

来年から夫婦で正式に参加させていただけること成りました。

私の為にも、家族の為にも、母や祖母にとって楽しい出来事がまた増えたこと、
本当に有り難く思います。



オルタナティブコンサルタント
 眞田海


敬老の日

2010年9月30日

こんにちは。宮前です。

今年の敬老の日は、広島の祖母に、
オーガニックコットンのブランケットを贈りました。

私にとっての生きている祖父母は、この広島の祖母だけです。

現在86歳の祖母は、今年の春に脳溢血で倒れ入院しましたが、
夏に無事退院し、現在もリハビリを頑張っています。

そんなこともあり、以前にも増して気にかけることが多くなり・・・

これからやってくる肌寒い季節に備え、
肩にはおったり、膝かけに使えればと思い、選びました。

祖母にも大変喜んで頂き、

「オーガニックコットンって知らなかったけど、すごく良いね。
 肌触りも良いし、本当にありがとね。」

と、言葉を頂きました。

プレゼントと一緒に、
オーガニックコットンに関する説明文を同封したので、
それを読んでくれたようです。

ここで少し「コットン」についてお伝えしたいと思います。

オーガニックコットンと通常のコットンを比べると、
人体や環境に対する影響に、恐ろしい程の差があります。

コットンと聞くと、なんだか自然で体に良さそうな気がしますが、
一般的な栽培法のものは、自然とは程遠いです。

現在、世界中の国の農薬使用量の約26%が、
農地全体の2%にすぎないコットン栽培に使われてると言います。

通常のコットン製品をつくるまでの過程の中で、

収穫前に、除草剤、枯葉剤、殺虫剤、落葉剤等、散布し、

収穫後の紡績から仕上げへの段階で、化学合成糊、塩素系漂白剤等使い・・・

私たちの人体や、地球への負荷は、計り知れないのです。

オーガニックコットンについては、
上記のような化学肥料や農薬は勿論使っていません。

その事実を知ると、やはり「オーガニックコットン」を
選びたくなるのは自然なことかもしれません。

やはり、健康や環境を傷つけない、
気持ちのよい生活を送れたらと思います。

そして、買い物をただの消費行動とせず、社会への意思表示と捉え、

持続可能な農業や製品を守る等、

目先の都合のよさをではなく、
自分たちが本当に守りたいもの・必要なものをきちんと選び、
お金を投じる力を持ちたいです。

今回贈り物を通して、
本来の長寿のお祝いや感謝の気持ちを伝えるだけでなく、
いいものが伝わり、広がる効果も実感できたので、
私にとっても、色々と嬉しい日になりました。

これからも、ひとつひとつの行動に、
沢山のいい意味をつけられるよう、行動できたらと思います。

環境コーディネーター
宮前 奈々子