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2010年11月のカグヤクルー日記

種まき

2010年11月 1日

こんにちは。宮前です。

先日、カグヤ社内で植物を種から育てようと、
皆でいくつかのハーブの種まきを行いました。

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以前から、私がカグヤでやりたいことの一つに、
「カグヤ農園」があり・・・
皆と一緒に、畑で野菜を育てたいと思っていました。

それは、

自然の恩恵への感謝を実感したり、

できあがった「結果」だけでなく、育つ「過程」を味わったり、

皆で感動や喜び、大変さ等を、共有したいという想いからでした。

ですので、今回、農園ではないものの、
社内のプランタでも、十分それらが実感できるのではないかと、
期待も大きく、楽しみです。

実際私は、社内の植物との関わりが多いため、
以前から植物を通して、色々気付かされることがあります。

種を購入したお店でも、水やりのコツを教えて頂く中で、

「水は、土が乾いてから、たっぷりとあげるのがよい。
 なぜなら土が乾いている時に、根が水を求めて伸びていくから。」

というお話があり・・・

実際の植物への水やりから「確かに」という思いと共に、

人間に置き換えても、同じように、

いつも満たされている状態より、どこか困難で苦しい時ほど、
大きく成長するものだと、納得させられます。

そしてその逆も勿論で、

植物は、いつも水を与えられ、満たされすぎていると、
根ぐされすることも多く、

これにもやはり、人間との共通点を感じます。

今、ちょうどカグヤも変革期であり、
社内の協力体制や、各々の自律が課題にもあがり、
決して楽ではない時期だと感じます。

しかし、植物と同じく、これを成長するいいチャンスと捉え、
しっかり「根」を伸ばし、強い組織になれたらと感じます。

今回、皆でまいた種が、今後どんな風に育ち、
その過程から、どんなことに気づけるのか。

カグヤの成長と共に、ワクワクします。

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元気にハーブが育ち、ひとまわり成長した私たちが、
笑いながらハーブティーを頂く場面が、今から楽しみです!!


環境コーディネーター
宮前 奈々子


『主体的な動き』

2010年11月 2日

こんにちは、カグヤの白土です。

最近は日が暮れるのも早くなり寒さを肌で感じながら清々しさも感じます。

日本には四季がありますが、変化を感じる事が出来る環境にやはり感謝です。


今回は、研修で関わらせて頂いています保育園さんの事を書きたいと思います。

先日ある保育園さんに伺ったのですが、

その園の主任先生からちょっとお話したいことがあるんですと言われました。

こちらの園では、ファシリテーターの方を中心に話し合いをグループで定期的に行っていらっしゃるのですが、

その中のある先生数人が、今の園の課題から園内研修という形で話し合いをしていらっしゃいました。

ちなみに園内研修をすでに2回実施(それぞれ約20名参加)された様でそのテーマは、

第一回園内研修
テーマ:「保育における乳幼児のお昼と生活習慣を考える」

第二回園内研修
テーマ:「当園における午睡のあり方について」

で実施されたとのことです。

そこに主任先生も参加されたとのことで感想を伺いました。

主任先生からは、「何十年と働いてきてこのような形で話し合いが出来たのは初めてです」と仰られました。

又、「参加された先生方が同じテーマの下でオープンに自分の考えを言っている姿に感動しました」と仰られました。

特に誰かが周りの先生の意見を非難することなく、参加された全ての職員の方が一人ひとりの先生の意見を

真剣に聞き素直に受け止めている様子に感動されたようです。

私も主任先生の話をお聞きしながら、

誰かから言われたのではなく子どもたちの事を真剣に考えた中で、今の園の課題と真剣に向きあわれている先生方に感動しました。

今までの園であれば、それぞれのグループで話を行うという形だったのですが、

今回の園内研修では、今の園の課題を先生方が主体的に出し合い共通の課題に対して自分の思いや考えを

素直に伝えるという形になったとの事です。

実際に参加された先生にも話を伺いましたが今までにない充実感でしたと言われました。


私自身今回の訪問で様々な事を感じさせて頂きましたし、気づきも頂きました。

子どもの事を本気で考えていれば自然と主体的な動きになるという事、

誰かにやらされるのではなく自分で決めて行えば、やっている事が本当に楽しくなるという事、

働く事に楽しさを感じ、遣り甲斐に繋がっている方が多い職場は明るいという事。

このような園と関わりを持つ事が出来た事に感謝します。

カグヤでも今まで以上にそれぞれのクルーが子どもたちのために主体的に動き関わる事を大事にしていきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 白土大樹


「本当に守りたいもの」

2010年11月 4日

先日、とある場所での園内研修にて、理念を一人ひとりがどの様に実践していくのかという話を深めあう機会がありました。

カグヤでは「子ども第一主義」の理念を大事にしており、そのために数々の実践がありますが、理念を大事にしていくためには自分自身で、チームで守らないといけないことはたくさんあります。それはみんなで「価値」を大事にしているからなのだと思います。

皆さんには守らないといけないものとはどんなものがありますか?

個人では家族、友人、同僚、子どもたちと守らないといけないものはそれぞれあるかと思います。人によっては富、名誉、誇りなどのものもあるかもしれません。

集団ではどうでしょうか。規律・規範、思想、価値観など個人という一人間を越えたところでの考えがあるのではと思います。

勿論、「守りたい」と思っても様々な障害から中々守り切ることが出来ないこともあります。
しかし、自分の中で決めた「生き方」だけは守らなくてはいけないのではということを今、思います。まだ齢三十の若輩者であり、学び続けている最中でもあることから一つひとつが変わっていますが、変化を楽しんでいきたいと思います。

一度決めたことを実施していたとしてもその都度、見直しを図っていないとその時に大事にしていたものが見えなくなってしまうことがあります。時と状況は常に変わり続けているものです。

遣り方に固執するのではなく、自分の本当に大事にしたい思いに正直で柔軟な自分であることが出来るように気をつけていきたいですね。

まだまだ出来ていないことが多いです。遣りたいと思っていても出来ないことが多く、いつも葛藤し、悩み、落ち込むことも、傷つくこともあります。しかし、本当になりたい自分を目指すためには自分から変わり続ける必要があり、自分から掴む思いで前に進まなくてはいけないと思っています。自分が変わることで周りへ明かりを灯すことが出来ればいいではないか。と。

だからこそ、今日も一日どう変わるのかを楽しんでやっていきたいと思います。

コンシェルジェ
瀬口拓郎


「宗教感覚の違い」

2010年11月 5日

クラシックを聴き出してから、機会があれば一度、ホールで聴いてみたいと願っている曲の一つにベルディのレクイエム(怒りの日)という曲がありましたが先日、都内で聴ける機会があり、足を運びました。

キリスト教の死者の安息を願うこと、死者の為の祈りをレクイエムとされていますが、
宗教的な意味からも離れ、死を悼むという意味でもレクイエムという言葉を使われることも多くあります。

クラシックの世界でも多くのレクイエムというタイトル曲がありますが、その代表的な曲にモーツアルト、フォーレ、ベルディの偉大な3人の作曲家が作られた3大レクイエムがあり、その中でもベルディのレクイエムをクラシック界では「ベルレク」と略し愛されているようです。

クラシックや17世紀の宗教絵画など西洋文化に触れていくと宗教観の違い、大元の思想の違いを感じてしまいますが、ユダヤ教徒やキリスト教徒の信仰の拠り所となっている「旧約聖書」に登場するヤハウェやイスラム教徒のアラーも唯一の存在として世界の創造主であること、一神教の神であることから、人はその神に対して「服従」し神の意向に従って生きることになり、意向に背くと罰を受けることになる。
また、神を信じない人間(異教徒)には神に変わって罰を与える聖戦を推し進めることで今までに様々な衝突があります。

日本の宗教観を考えると古代人からの考え方である世界は多くの霊魂によって作られている「精霊崇拝」を掲げ、生きている人間も含め、動植物、器などにも平等な霊魂が宿るとし死者の霊魂も不滅であるとされ、
八百万の神という思想を持ち、「アメノミナカヌシノカミ」という国造りの神と「タカミムスヒノミコト」「カミムスヒノミコト」の国譲りの神とで最初の日本国を造るとされ、造化三神の存在が日本書記には記されていますが、民は神に見守られながら、多くの霊魂の力の影響を頂き、生かされているという宗教観を持っているのだとわかります。

世界には現在68億人の人達が一緒に生きていますが、みんなルーツが違い、違うからこそ、互いの文化、芸術に触れる楽しみがありますが、互いの違いが衝突、争いに繋がることも残念ながら事実です。
だからこそ、もっと互いを知ることが大事だと感じています。

これは日本人と外国人の関係だけではなく、日本人同士の間でも同じことが言えるのだと思いますが、これからは共働的な価値が必要とされ、共働的な関わりの中で互いの違いを発輝し、新たな価値を創造していく、されていくことが望ましいことだと感じます。

互いの違いを豊かな特徴として受け入れることができれば、もっと楽しく豊かな世界が広がるような気がします。


オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


害虫!?~刷り込みの気付き~

2010年11月 8日

こんにちは、カグヤの松村です。

カグヤの社内では沢山の観葉植物があるのですが、現在そのうちの一つが害虫にやられ、葉がべとつき、どんどん落ちている状況です。
その害虫の名前は「カイガラムシ」です。

このカイガラムシは、木から吸った樹液の中から、カイガラムシが必要とするアミノ酸だけを摂り、不要な成分を排泄しているのだそうです。
この排泄液には糖分が含まれているそうで甘く、葉がベタベタするのだそうです。
また、親戚に植木屋がいるのですが、カイガラムシについて聞いてみると、カイガラムシに効果のある農薬はほとんどなく、手で落としていくしか対応がないようです。

少し調べただけで自分の知らないことに気付かされましたが、驚いたのがこのカイガラムシ、種類が沢山いるようで、その一部がみなさんも口にしたことのある食べ物の原材料に使われていたのです。
例えば、チョコレートの表面はツルツルしていますが、実は表面に「ラック・カイガラムシ」という虫の分泌物から作られた光沢剤が塗られているそうです。
また、ゼリー、ハム、カマボコ、タラコなど赤い色の入った食品の原材料欄に、コチニールとあるのはエンジムシというカイガラムシの仲間から取ったもので、赤・ピンク・赤紫色に染める天然の着色料に使われているそうです。

葉に着くムシは全て害虫だと思う自分の勝手な刷り込みがありましたが、こんなにも人間の役にたっているムシもいるのだと今回気付かされました。

この刷り込みを取るということは、自分が見守る保育と出会った時のことを思い出します。
大人の勝手な都合で効率良く保育をしているのは、本当に正しいのか?と気付かされたことを思い出しました。
日々の生活の中にも刷り込みは多く存在しているので、気付けるようにアンテナを広げてキャッチしていきたいと思います。


オルタナティブアドバイザー 
松村武典


『何もかもを楽しむココロ』

2010年11月 9日

こんにちは、秋山です。

カグヤで過ごしていると、
「仕事」と「生活」の、
境目が無いことを実感します。

今までのBLOGでも書き残していますが、

<ケーキ>
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誕生日を祝ってもらったり…

<妊婦コーナー>
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出産までの働き易い環境を、
ここまでかと言う程、
整えてもらったり…

<クッキー>
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先月は結婚記念日まで、
手作りクッキーにて、
お祝いしてもらいました。

生活が豊かであれば、
仕事の豊かさに繋がる。

仕事が楽しければ、
生活の楽しさに繋がる。

人生の中で、
切っても切れない関係である、
生活と仕事の両方が充実していることは、
とても幸せなことだと心底思います。

「仕事」「生活」に限らず…

何もかもを楽しむココロを、
常に大きく育てて居れば、
周りに居る人まで笑顔にするような、
そんなチカラに変わるかもしれません。

今の環境に感謝しながら、
そんな自分になれるよう、
日々努めていきたいと思います。

         コンサルティングサポーター
               秋山 有紀子


「子どもから教えてもらうこと」

2010年11月10日

こんにちは、眞田です。

夏の暑さに慣れたと思った途端に、夏は過ぎ去ってしまい、
また今年も夏を捕まえ切れなかったと悔しがっては、
夏と同じくらい大好きな秋が毎年やってきます。

雲も空気も夕陽も木々も少しの寂しさを帯びたような美しさを感じます。
日本の四季のその侘びと寂を最も表現しているとすら感じてしまうその美しさに、
ふと立ち止まり、空を見上げ、木々を見つめ、深呼吸をすると
その侘びと寂にシンクロしたように感じられ、浄化されていく気持ちを得られるように思います。

そんな秋のある日、おばあちゃん’ずの誕生日会が開かれました。
私の祖母と、親戚のおばあちゃんは誕生日が一緒なのですが、
その二人の誕生日会を毎年恒例行事として親族集まり、この時期に行っています。

皆が集まり、私の叔父が音頭を取り、料理を振る舞っては
とても楽しい時間が過ぎ去っていきます。

親族皆が仲良く、そして人の幸せを喜び、人の節目を祝い合える環境を
私は今まで当たり前のように感じてきましたが、我が子を持ち初めてこういった場に出てみると、
親族と仲良く居ることがどれ程我が子にとって素晴らしい環境に成っているのかを実感しました。

もしこれが、つまらない自分のエゴや大人の事情で親族の仲が悪く、共に集まって喜びあえる環境が無かったら
我が子は親族というものをどう捉えるのだろうかと考えました。
また、我が子の成長に於いて、どれ程の影響を与えるのだろうかと考えました。

私の命も、娘の命も一度とて絶えることなく繋がってきたのはご先祖様が居るからであり、
その命や縁そのものの絆を見えなくさせてしまうということは、もはや命そのものに対する感謝の念を
私の娘が抱く機会を私が奪うことに繋がるのだと大きな危機感を感じました。

本当に、今こうやって生きていられることは有り難い事であることを、
言葉や学問で知るのではなく、身を持って体験し体感する環境を私は娘に残す責任があるのだと
初めて気づくことが出来たのは、やはり私にそういった機会を与え続けてくれていた
両親と娘のお陰で在ることを改めて感じます。

親という名を授かってまだ一年、きっとこれからもこういった沢山の豊かさを感じられるのだと思うと、
子育ては本当に人生の至宝であると心から感じています。


オルタナティブコンサルタント
 眞田海



ピンチはチャンス

2010年11月11日

こんにちは。宮前です。

先日もお伝えしましたが、
現在、カグヤクルーには妊婦がおり、
年明けには育児休暇に入る予定です。

会社にとっても子どもの誕生は大変喜ばしいことですが、
彼女が一時的でも職場から離れるのは、
少数精鋭のカグヤにとって、ピンチでもあります。

私自身、彼女の存在は、業務の面でも非常に助かっていますが、
何より、理念について、会社を良くすることについて等・・・
心を開いて、色々と話せる仲間でもあり、
いなくなる期間の、寂しさや不安もやはりあります。

しかし、改めて考えてみると、
これは、会社や私達が変わる大きなチャンスでもあります。

実際、これを機に、変わってきたことがあり・・・

これまでは、各担当業務や各部門内の仕事をやっていれば
どこか許されていたようなところもありましたが、

今回のことに対して、皆で向き合う中で、

まずはクルーひとりひとりが、
皆で協力し合えるような関わり方、働き方ができるよう、
それぞれの自律を目指し、主体的に関わり、
その中で業務整理や仕事の見直しに取り組んでいこう。
と共通の意識を持つこととなりました。

通常の職場では、欠員が出れば補充して対応する。
というのがあたりまえかもしれませんが、

カグヤでは、補充して一時的に乗り切る考え方よりも、
まずは、今の自分達やカグヤの体制、業務も含め、
全体的な見直しの機会とし、
皆で、成長することへつなげていけたらと考えています。

まだまだ、どうなるかは分かりませんが、
子どもの誕生という奇跡に便乗し、
カグヤも強く生まれ変われたらと思います。

そして、人が少なくなって大変な状況になると、
簡単に理念を後回しにするようなことではなく、

そんな時だからこそ、「子ども第一主義」の理念を
皆で体現し、心を使うことを怠らずにいたいと思います。

今月から、学生内定者の2名も、
インターンとして、会社に来ることにもなりましたので、
新しい仲間も一緒に、新たなカグヤを築いていけたらと思います。


環境コーディネーター
宮前 奈々子



『仕事を楽しむ』

2010年11月12日

こんにちは、カグヤの白土です。

この1週間は、研修実施園が3ヶ園あり多くの先生方とお話をする機会をいただきました。

研修を実施させていただきながら本当に多くの気づきと勇気を頂いています。

特に子どもの事を常に一番に考えた先生方の何ともいえない表情からは豊かさを感じます。

先生方の楽しんでいる姿や豊かな表情から、子どもたちも多くの事を感じているのではと思います。

その様な中で、今私自身も課題を持って仕事に取り組ませて頂いています。

課題とは、「いかに仕事を楽しむか」です。

もしかしたら当たり前の事かもしれませんが、

その当たり前のことが今までは出来ていなかったように思います。

今までは、何かをやらなければいけないという意識がはたらき日々やっている事に対して

心から楽しめていなかったように感じます。

ある時にこのままでいいのか?と自問自答しました。

人生のなかで本当に自分のやりたい事を思い切りやれる時間は限られていると感じたときに、

どうせだったらもっと楽しみたいと思いました。

同時に今まで以上に自分にしか出来ない事をもっと考え、

受身ではなくもっと主体的に動こうと思いました。

ありがたいことに、今は子どもたちに直接関わる事は出来ませんが、

先生方と一緒に子どもたちのためにもっと良い世の中に出来ないかを考え働かせていただいています。

又、その中で自分がやりたい事をやれる環境も会社に用意していただいています。

今は素直に楽しんで仕事が出来ている自分が居ると思います。

自分自身が楽しんでいれば周りもきっと変化するのだと思います。

時に課題にもぶつかり、辛いと思う時も正直ありますが、

それも自分が決めた道だと思いますし、全て含めて自分の人生を全力で楽しんでいきたいと改めて思います。

子どもたちに伝えられる事は限られていますが、

今の自分自身の素直な気持ちを大事にして子どもたちに人として大切な事を少しでも残せていけたらと思います。

オルタナティブコンサルタント
 白土大樹


「課題と向き合う」

2010年11月15日

皆さんこんにちは瀬口です
最近ではめっきり寒くなりましたね。
遅かったのですがつい先日ようやく衣替えを致しました。

さて、
最近、仕事をしていく中でずっと抱えていた迷いと
向き合うべき時がありました。

これまでは何か大変な事があった時、自分を卑下し、周りのせいにばかり、
環境のせいにばかりしてしまっていました。
体力的にも精神的にも余裕がある訳ではありませんでした。

何より枯渇していたのは自分自身の可能性を信じることであり、
最大の悪因が自分が誰かから認められたいということだった様に思います。

こう言葉で書くと、恥ずかしい限りでそうだったのかとも
疑いたくなってしまうのですが、素直に見つめ直すと、多少の大小あれど
本質はそうだったように思います。

しかし、数々の困難、艱難もありましたが、今思うことが、他人から
どう云われようとも、自分の信じた道を往こうと思うという事。

一度しかない人生
楽しまなければ損であり、


自分を産んでくれた両親にも恥ずかしく、申し訳ないと思うのです。

だからこそ、
「いついかなる時も前を向いて、一歩でも前へ進む事」

そう自分の中でも大事にする事が、見つかりました。

そう決めたのです。

決めた瞬間、周りの見渡す環境が変わりました。
決めた事で世界が変わりました。

周りの環境は今まではある種、全て自分の外敵かとさえ思ったこともありました。
クルーには申し訳ないのですが表には出ずとも自分の中でそう感じていたことも
在る様に思えるのです。

今という時間を過ごす事が自分の中でも苦痛でしかありませんでした。
どれだけの信頼を得ても、感謝の言葉を受けても、自分自身が
受け止めることができませんでした。

自分の中にあった葛藤をどう処理していいのかが分からず、
ただひたすらに鬱蒼とせざるを得なかったのです。

しかし、自分で決めたからこそ、これからの「今」を大事に生きて
いこうと思いました。


これからは次の課題です。
自分の思ったことも勿論ですが、これからやりたい事をどう具現化
していくのか、どう実践に移していくのか

ここからが新たな始まりなのです。

勿論自分の中にある課題とはその時、その段階において、様々なこと
があるでしょう。これからも確実にまた向き合うべき時がくるでしょう。

その課題を楽しんで受け容れることが出来るように、自分の中で
決めたことを大事にとどめて、自分の感じた思いをここに綴らせて
頂きます。

今この記事を読んで下さることにお付き合い頂いた方へ

大変なことがあろうとも、どう仕様も無い事が起ころうとも、
決して自分を粗末にせず、自分を大事にして下さい。
そして、世の中に必要だからこそ、あなたの存在があるのです。

世の中に必要じゃない人間は一人としていない。

それぞれの個性が詰められた種が芽を出して、花開くまでを

今、個性を尊重されず、「世の中のルールだから」と押しつけられて
育ってしまう子どもたちが多い時代です。

そんなことはやっていないと思っても大人がルールだからと、
子どもに教えてしまうとその子の本当のやりたいことが一生、日の目を
浴びることも無い様になってしまうこともあり得るのです。

一人ひとりの個性を大事に、信じて見守る「見守る保育」は
子どもだけでなく一人の人間として見ていくためにも必要なのだと思います。

子どもの持つ無限の可能性

その可能性を大事に見守っていく事で良き将来、未来へと変わっていく
ことが出来るように、私は自分が実践していくことで伝えていきたいと思います。

長くなってしまいました。
一人ひとりにある自分の信念、たとえ今は見えなくても必ずあるものであり、
一人の人間として大事にしていきたいと思います。


コンシェルジェ
瀬口拓郎


「豊かさの代償」

2010年11月16日

先日、ノーベル賞受賞者に振る舞う席で出されているハーブティを頂く機会がありました。
初めて感じる、とても深いハーブの香りで心が落ち着く上質な味わいを今でも鮮明に覚えています。
今年も日本からノーベル化学賞を2名の大学教授が受賞されましたが、日本人にとってとても誇らしく
感じます。

このノーベル賞はご存じの通り、ダイナマイト発見者のアルフレッド・ノーベルの遺言から
1901年から始まった世界的な賞になりますが、スウェーデンに生まれたノーベルがダイナマイトの
開発に成功し、トンネル工事や様々な大規模な工事の場でダイナマイトは画期的で、ダイナマイトで巨万の富を築いたノーベルは「ダイナマイト富豪」と呼ばれていた半面、軍事の場面でも多用され戦争によって巨万の富をなしたとされ「死の商人」とも世間から非難されていたようですがその後、自分の開発で多くの人が
命を落としていることへの後悔から自身の遺産を基金としてノーベル財団の設立の経緯があり、
人間社会は良いものを開発する一方で同時に苦悩を生み出しているように見えます。


世界がアメリカとロシアを中心に二分し、世界規模で戦争を推し進めていた時には、
高額な戦闘機や巨額な建造物をまた高額なミサイルで破壊し合う時代に終わりを告げ、
破壊の時代から生産の時代に移り変わり今、世の中で起きている、行き過ぎたデフレも物を作ることに
専念できる平和の産物だと思います。
この平和の産物の影響もあり物があまり、それでも利益を生み出したいと考える人達が先物に投資し、
リーマンショックのような幻想を作り投資し、今世界中で苦しんでいる人が多くいるように思います。

便利な移動手段として発展してきた自動車の登場で人類の生活に豊かさを提供してくれて
いますがその半面、自動車での交通事故で命を落とす多くの人がいます。

便利なモノの影響で人類の生活が豊かになりながらその便利なモノで苦しみ、命を落とし苦しんでいるという
事実があること、どんなものにも光と影があるこの世の中に対して深い矛盾を感じます。
 
発明家のアルベルト・アインシュタインの残した言葉を思い出します。
「核連鎖反応の発見が人類の滅亡に繋がる訳ではない。
それはマッチの発明が人類を滅ぼすことに繋がらないのと同じことだから」

文明の豊かさが人類の悲惨さも生み出していること、便利とされていることが多くの障害になってしまって
いること、光には影が存在していることを忘れることなく、モノゴトの本質に光を当て続ける人格に結びついた教養や学問を身につけていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


仲間~協力~

2010年11月17日

カグヤの松村です。
カグヤは「子ども第一主義」を基にカグヤクルー全員が働いています。

最近仕事をしていると次から次へと仕事が重なり、仕事量の多さから目先の自分の仕事を優先させてしまい、仕事を早く終わらせようという思いで、自分だけの仕事をしていました。
このように、目先のことを優先させてしまうと、チームで行うことにならず、子どものためにではなく、自分のために仕事をしてしまい、カグヤの理念が守れていないことになってしまいます。

カグヤの理念ブックには、「ひきこもりと仕事のタコつぼ禁止」と書かれています。

これは、周囲への思いやりやコミュニケーションが欠如すると個人を優先させてしまうことになるということです。
カグヤの理念を守るために現在は、忙しくても視野を広げ、出来るだけ周りをよく見ようと心掛けています。皆がどんな仕事をしているのか、どんなことに困っているのかを意識して、気付いたら手伝うようにしています。
先日、オランダのアースゲーム社より、来日されたアナマイケさんのアースゲームから、チームとして、「協働」の大切さに気付かされました。

その「協働」を大切にするためにも、仲間として一緒に仕事を行う中で協力することをいつでも忘れないために心掛けるようになりました。

まだまだ本当の協力には至っていませんが、これからも意識して取り組んでいきたいと思います。


オルタナティブアドバイザー 
松村武典


「今の私だから出来ること」

2010年11月18日

こんにちは、秋山です。

2月に出産を控えている私は、
会社全体の理解と、クルーの助けもあり、
徐々に働き方を見直しながら産休期間に備えています。

「良いと思うことを積極的に行って欲しい。」

具体的な指示や制度がある訳ではなく、
1人1人が主体的に考え、手を挙げ、行動することで、創り上げる。
これは、カグヤ特有の文化かもしれません。

今、私が心掛けていることは、
「今以上に、誇りが持てる毎日にすること。」

母になるから…
女性だから…

制限や限界を創るのではなく、
イキイキと生きる1人の人間として、
新たな試みや提案を躊躇なく行動に移す。
これは、今の私にしか出来ないことだと考えています。

産休や育休が「守り」にならないよう、
むしろ柔軟に形を変えて「攻め」になるよう、

1つ1つの言動に責任を持ちながら、
今の状況を心地良いプレッシャーにして楽しんでいきたいです。

                      コンサルティングサポーター                      
                             秋山 有紀子


「目を閉じる喜び」

2010年11月19日

こんにちは、眞田です。

スポーツの秋、食欲の秋、読書の秋など様々な楽しみ方がある秋ですが、
最近は目を患ったために、妄想にふけることが多くなりました。
たまにはこのように、目に頼らずに思いにふけるのも、秋の楽しみ方としては
素敵なのではないかと感じています。

病気も仕事も、どのように病気を直すのかという治療法や
どのように仕事を達成するのかというやり方など、そういった良い方法を
私は探そうとします。時には医者や上司の処方やアドバイス。
時には自分で調べて見つけたりしています。

しかし、同じ方法を行ったとしても結果が全く違う時があることに気づきます。

その中でも特に自分自身が最近確信を持っているのが、方法の問題ではなく
その本人が病気を直したい、仕事を成し遂げたいと本気で思っているかどうかということです。

当たり前の事のように感じますが、私は気がつくと良く、効率の良い方法や効果的な方法ばかりを見つけ、
そしてその方法に「これなら大丈夫」と責任を乗せようとしてしまいます。

方法と言うのは結局はツール(道具)であり、それを使おうとする自分自身の心が
本気でなければ、道具は責任を取ってはくれないということだと思います。

やはり私は気がつくと、効率的なものや便利なものに頼り過ぎて、責任までを
押し付けようと依存してしまいそうになる傾向があります。

子育ても、育児本や様々な考え方などがありますが、一番大切なのは
そこに依存するのではなく、子どもに対しての責任を自分自身が背負う事だと
最近つくづく感じます。
「~~に書いてあったから」「~~さんが言っていたから」ということばかりに依存するのではなく、
今、目の前に起きていることに真剣に向き合い本気で考えた上で自分の責任で諸先輩方のアドバイスを使わせて頂くという
そういった気持ちがなければ、本気で向き合ってその方法論に辿り着かれた諸先輩方と同じ目線や結果に繋がるわけも無いのだと
自分自身、反省させられるばかりです。

しかし、人間とは便利なもので、昨日の自分やいつかの自分と目を閉じれば心の中では何度でも出逢うことが出来ます。
そしてその日を振り返ることが出来ます。起きている時は目を開けているので様々な情報に溢れて
それに対応してしまうことの多い日々ですが、こうやって目を患ったお陰で、
目を閉じてはついさっきの自分や、あの頃の自分と再会することが出来、そして気付きを得ることが出来る。
本当は、もっともっと自分の中に余裕を持って振り返る時間を取らないと人生がもったいないように思います。

日々の喧噪のなかにも、思いにふける余裕を大切に作っていきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 眞田海


豊かな食事

2010年11月22日

こんにちは。宮前です。

以前にもお伝えしたことがありますが、
カグヤのお昼ごはんは、こだわりの玄米菜食弁当です。

こちらは、近くの店舗からのご厚意もあり、
通常は行っていない配達を、カグヤのためにして頂いてます。

季節感を感じることの少ない、現代の食生活において、

旬の食材に、手間と愛情がかけられたそのお弁当は大変美味しく、
本当にありがたい気持ちになります。

先日、インターン生が一緒だったこともあり、
お店の紹介と共に、直接店舗へ食べに行きました。

数々のお皿で頂く料理は、いつものお弁当とまた違い、
より一層美味しく感じました。

やはり、食事はたた食べればいいというものではく、
食器や盛り付け、食べる空間や一緒に食べる人等、
大きく影響することを感じます。

まさに食事とは「摂取」ではなく「営み」である。
・・・実感させて頂きました。

またお店には、カグヤから毎月発行している「竹取新聞」も、
「ご自由にどうぞ」とファイリングされて、置いてありました。

新宿のそのお店で食事をしている、顔も知らない方々が、
カグヤの取組や想いの詰まった新聞を目にしていることを想像すると、
とても不思議な人との繋がりを感じます。

そして食事で思い出すことが・・・

私は、学生時代など、食欲がなかった時や、学校に遅れそうな時、
朝食をとらずに家を出ようとすると、

母からよく、

「食事をしないで行くぐらいなら、
 遅刻してもいいから、ごはん食べて行きなさい!!」と怒られ、

子ども心に、「なんだか変なこと言ってるなぁ。」と思ったものですが、

今では、食事の大切さを伝えてくれていたのだと感じます。

生きている内にあと何回食事をできるか分かりませんが、
やっぱり、そんな大切な食事の時間は、
少しでも豊かな楽しいものにしていきたいです。

環境コーディネーター
宮前 奈々子


『実践発表から』

2010年11月24日

こんにちは、カグヤの白土です。

先週今年度の最後の環境セミナーが開催されました。

毎回のセミナーの中で実践発表が行われるのですが、

それぞれの園での実践から今回も大きな学びを頂きました。

実際に私も園に伺い先生方と対話する事が多くありますが、

それぞれの園で、今子どもたちの為に出来る最善の環境を作ろうとされている先生、

子ども主体の保育を行うために何とか刷り込みに気づこうとしている先生の姿から

改めて素晴らしい仕事だという事を感じます。

その様な中、今回の実践発表では感動させて頂きました。

実践発表をして頂きましたある園では、

先生方が子どもたちの置かれた環境をしっかりと見つめ直し、

保護者の方にも見守る保育の素晴らしさに気づいて欲しいという事で、

保護者の方が一日保育に入れる環境を積極的に作っていらっしゃいました。

普段、先生方が何を大事にして子どもと関わっているのか、

先生方のやっている言葉掛けが子どもにとってどんな意味があるのか、

普段当たり前に在る環境が子どもにとってどんな影響があるのか、

一緒に保育を行う中で保護者の方にその大切な部分に気づくきっかけを作られているのだと思いました。

そのきっかけから家庭での子どもに対する関わり方もきっと変わってくるのだと思います。

同時に改めて保育の専門性がどこにあるのかという事を考えさせられました。

又、保育時間外で時間を取っていた保護者面談をこれからは無くし、

保育に参加していただく中でコミュニケーションを図っていきたいという事でした。

保護者が保育に参加するということで、先生方もきっと気を使う部分もあるのだと思います。

しかし、自分を優先するのではなく子どもたちの事を優先し動かれている事を知り、

感動し涙が出てしまいました。

先生方の日々の実践は園のためだけではなく、大きなところに繋がっているという事も感じます。

今回の実践発表から新たな勇気を私も頂きました。

自分たちの実践がどこに繋がるのか、目に見えるわけではありませんが、

子どもたち(大きなところ)にきっと繋がっている事を信じ私自身今出来る実践を行っていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 白土大樹


「見守る教育体制」

2010年11月25日

皆さんこんにちは瀬口です。
カグヤでは園内においての見守る保育を実践する環境をご提案しておりますが、
その実践は園の子どもたちに向けてではなく、大人に向けても同様です。

そのために見守る保育を実施するために自分たちからも見守るを実践しています。

カグヤでは教えるということについても自身が自立するための環境を用意され、
自分で自立するということを求められます。

何事も自分で決めないといけない。
それは見つからない時には厳しいのかもしれません。
しかし、本当に自分で決めた事でないと自分で責任を取るという事が
出来なくなってしまい、誰か他人に依存してしまう様になり、会社にも
お客様にも迷惑をかけてしまう様に為ってしまうからです。

教え手側にとっても、教えるという立場での見守るを実践しなくてはいけません。
教えるということが目的になってしまうと、教えることで自己満足してしまい、
本当に相手の成長を信じて見守るということとは言えなくなってしまいます。

過保護、過干渉とは一つ、自分の依存からくる自己満足なのではということ
なのかもしれません。

カグヤでは見守る保育を実践しています。

見守るとは誰よりも信じる事ということも一つ含まれています。

自分が相手に対してどれだけ信じることが出来ただろうかと考えさせられます。

自分が教えて頂く時に当然、厳しく言って頂くこともありますが、
それは厳しさの中にある優しさを自分がどれだけ受け取ることが出来ただろうか
と考えるのです。
受ける時の自分が相手を信じること、信じ切るということも大切だと思うのです。

様々な場面に応じて教え手側と受け手側と入れ替わるのですが、
それは行う時も頂く時も同じく「見守る」を自分で実践します。

「見守る」を行うし、「見守られている」ということを実感すること。

見守られているのだからこそ、自身が自立することを大事にし、
自分から変わり続ける姿勢をも持ち続けることが大事なのではと思います。

誰も同じ人間になることは出来ない、その個性が立つことにより、
お互い、自分にしか出来ないことで共に働きかけ、一丸となって目標・夢を
達成出来るように挑んでいきたいと思います。

コンシェルジェ
瀬口拓郎


「近代化からの脱却」

2010年11月26日

世界が過渡期を迎えていることは毎日のニュースから感じますが、
先進国はこれまでの国の在り方を見直し、脱近代化としてこれまでの経済中心の国の発展から脱却し、
今まで目を向けてこなかった人としての本質的な価値や本当の豊かさである共に生きる、共生する社会を
創造、構築していかなければならない時期にきているように感じます。

また広大な国土と人口、資源に恵まれているBRICsと呼ばれているブラジル、ロシア、インド、中国の
各国は国内に貧富の差が激しいことなど様々な問題を抱えながらも発展し続けていますが、後発発展途上国として注目されるネクスト11と呼ばれる各国も含め、地球環境、CO2排出規制などで、これまでの先進国のような右肩上がりの経済成長だけを求め続けるやり方での自国の発展はできなくなっている中、今世界に求められているものは地球上のすべての生命との共生と次世代に向けての持続可能な社会構築の歩みとして、環境、エネルギー、食糧政策とそれを支える思想の教育だと思います。

その思想を明確にしたのが二宮尊徳も言われていた経済と道徳の一致だと感じます。

インドがイギリスの植民地当時に訴えていたマハトマ・ガンジーの思想にも「インドがこんなに苦しんでいる
のはイギリスの植民地になっているからではなく、イギリスの持ち込んだ近代化が大型機械による大量生産を生み、人が手仕事を通して自然と共生してきたことを忘れ、私利私欲にまみれ自然と離れた人間中心主義の社会へ導いてしまう」からだと見通されていました。

カグヤの理念である「子ども第一主義」も経済と道徳の一致が不可欠で、
経済と道徳の一致の中に子どもを中心とした豊かな社会の姿が見え、そこに世の中を変えていくほどの
感化力を見出していくことになると思います。
だからこそ、カグヤクルーは壮大で難しい思想と向き合い、思想を深め、高めていくための理念の実践力が
不可欠で、一つひとつの理念の実践を大切に取り組み、GT会員園さんと子どもが子どもとして尊重された
存在である社会づくりを進めていきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


ゆとり

2010年11月29日

カグヤの松村です。

前回のブログで、「最近仕事をしていると次から次へと仕事が重なり、仕事量の多さから目先の自分の仕事を優先させてしまい、仕事を早く終わらせようという思いで、自分だけの仕事をしていました。」と、書かせて頂きましたが、周囲を意識して見ることで、以前よりゆとりを持って仕事に対して取り組むことが出来るようになりました。
また、ゆとりと言うのは気付きを与えてくれるのだということを体験しました。
それは、朝の通勤時間にふと外の風景を見てみることがあり、朝日に照らされたキレイな富士山を見ることが出来ました。
毎日通勤していましたが、こんなにキレイな風景に気付くことが出来なかったのは、心にゆとりがなかったからではないかと思います。
これは、普段の仕事に対しても同じことが言えるのではと考えさせられました。
ゆとりを持って取り組んでいないと仕事が作業になり、本当に大切なことが見えなくなってしまいます。
ゆとりを持つことによって周りが良く見え、意識も自分のためではなく、周りの人間のために取り組むことが出来ると思います。
今後も、ゆとりを持つことを大切にしていきたいと思います。

オルタナティブアドバイザー 
松村武典


「言葉にすること、しないこと」

2010年11月30日

こんにちは、秋山です。

今月から新しい仲間が2名、
カグヤの文化・雰囲気を感じるため、
一緒に時間を過ごしています。

もはや私にとっては、
当たり前の日常であっても、
加わった彼らにとっては、

「なぜ?」
「なるほど!」

疑問と吸収の繰り返し。

隣で見ているだけでも、
彼らの素直な反応に、
気付かされることも多いです。

まだ一緒に過ごして1ヵ月弱ではありますが、

「それはね。」

カグヤクルーが、
積極的に…意識的に…
言葉にして説明する機会。

それと同時に。

言葉にしなくとも、
行動や背中を見てもらうことで、
自分なりに感じて考えてもらう機会。

両方を大切にしたいと思います。

一緒に会社を創る仲間だからこそ、
持っている個性や感性を、
尊重しながら活かし合える関係を、
大切に積み重ね、
これからも築いていきたいです。


           コンサルティングサポーター
                  秋山 有紀子