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2011年03月のカグヤクルー日記

『第1回素直合宿』

2011年3月 1日

こんにちは、カグヤの白土です。

今回は先日初めて行った合宿について書かせて頂きたいと思います。

きっかけは以前行った会議でした。


会議の中で、

今いる仲間がお互い素直に在りのままの自分でいる事が出来ているのか?

今の状況が果たして信頼関係を築き上げれる関係なのか?

という意見がクルー間で出てきました。


今回この疑問を感じる中でそのまま仕事を進めるのではなく、

この疑問を解決するためにも普段の生活の中でお互いに素直に自分を出し合い、

その中でお互いを知るという事を目的に合宿を行いました。

もちろんクルー同士仲が悪いわけでは決してありません。

大きな目的を達成するためにも一人で何かを遣るのではなく、

お互いが活かしあいその中で自分にしか出来ない事を遣るのが

会社にも自分たちにも一番良いことだと感じたからです。


内容は
昼間は皆で川でバーベキュー、

夜は遅くまで宿泊先にて語り合いました。

なんだか昔を思い出し修学旅行に来ている感じもしました。

今回のテーマは素直になるという事でしたが、

やはり今回も多くの気づきを頂いた合宿となりました。

自然の中で食事をし、生活をする中で、

周りの仲間が何を大切に生き生活をしているのかも感じることが出来ます。

また会社の中や仕事では見せない一面も垣間見る事が出来ました。

人はいつの間にかわかった気になり相手を決めつけで見てしまいがちですが、

今回の研修では、いい意味でまだまだ相手を理解するという事にはほど遠いと感じました。


又、人は誰しも得意な部分もあれば苦手な部分もあります、

しかしその中で互いが活かされ本当のチームが出来るのだと今は実感しています。


今回は素直というテーマで様々な話を行いました。

周りのクルーが自分の事を一体どう思っているのか?

良いことも悪いことも在りのままに伝えあいました。

又相手に対して気になる事は?という事でも話を行いました。

第三者の方からすれば、そんな事をして一体何の意味があるのか?

と思われるかもしれません。

しかし今回もカグヤらしい熱い本気の出し合いが繰り広げられました。

相手に対して本気だからこそ又信頼したい気持ちが強いからこそ

時に聞きづらいことも聞きます。

私は本当の仲間やチームとはやはりその先にあるのだと今回確信しました。

上辺だけの関係では本当に良い仕事も出来ないのだと思います。

又、今回は先ず自分自身が素直であるという事がやはり一番大事だと感じました。

思ったことや感じたことを素直に出すことが出来る自分である事、

相手の意見を素直に聞ける自分である事、

気づいたことを行動に変える素直さを持つ事、

仲間の事を好きであるという素直な気持ちを持つ事が大事だと思います。


又本当の信頼関係を築き、その中でチームを作る為には、

「相手が嫌な事や不安になる事をやらない事」が一番の近道かなとも感じました。

これも当たり前の事なのかもしれませんが、

まだまだ出来ていない自分がいます。

仲間の事を本当に大切だと思うのであれば、

相手の立場や気持ちになりその中で変わるのは自分だと今回は感じました。


今後も「チームカグヤ」がもっともっといいチームになる為にも、

先ずは自分が素直である事を大事にしたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 白土大樹


「遠慮からの脱却」

2011年3月 2日

こんにちは瀬口です。
先日、カグヤのリブランディング会議を行い、
自分達の目指す会社像を改めて話し合ったところ、
理想は掲げていくが本当に実現出来るのかと、
このままではお互い出来ないことに課題がありました。

どうして、お互い目指したいものがあり、共通しているのに
出来ない…

是は一体どうしてなのかと考えたところ、

先日の会議の中でお互いをもっと深く知ろうということもあり、

「よし、合宿だ!!」

と意気込み、お互いをより知るための合宿を実施してきました。

様々なアクティビティを通してもっとお互いのことを知ることで、
本当の自分を互いに知るということが出来ればと考えたのです。

実施にはバーベキューや釣り、そして由緒ある旅館に宿泊など、
自然と歴史に触れて、仕事の中でのお互いの感情を消化していきました。

合宿の中でもルールがあります

「素直じゃない者はその場で帰れ!」
…と厳しいものです。
本当にその場で帰らないといけないのですから

人は過去のトラウマや自然に出来た感情の柵の様なものを持って
接してしまいますが、自分から取り払う勇気も必要です。

よく世間では「プライベートのことは...」とそれ以上の踏み込みを
拒む風潮がありますが、
最初から遠慮した関係でどれだけ本気に取り組めるのだろうかと思うのです。

それは自分で限界を定めていることにも近いのだと思います。
120%を追い求めるのではなく、80%を求めるのであれば80%でしか
結果を出すことは出来ない。

よくよく考えると、人生という時間の中で大半を占めるのは仕事であり
その一番使う機会の中で遠慮をしていては本当に在る自分の能力や個性というものを
発揮出来ないのではないでしょうか

仕事を通して人間としての成長が在るかと思いますが、その仕事の場で自分を
偽っていたり、隠していたりする様では上手くいかないということは
本当にその通りだなと思います。

ふと振り返っても出し合える仲間がいるとどれだけ幸せなのだろうかと思います。

遠慮が無ければ仕事の中でも遠慮が無くなり、互いに素直に言いたいことが
言える。遠慮によって発生してしまう損失というものは目に見えないですが、
きっと計り知れないものがあるかと思います。

目先の結果ではなく、人との繋がりの部分である思いやりの方にあると思うのです。

皆さんは
自然体で素のままの、ありのままの自分を出せるという人が
組織の中で一体どれだけいるでしょうか

職場の仲間の事を

親友の様に思う事

家族の様に思う事

それもいいと思うのです。
それぐらい近しい人間として自分が接することが出来、
自分から心を開いて近づくことが出来れば今よりももっと楽しくなってくるのでは
ないでしょうか

どれだけそう思える人が増えていくのかと考えると
増えれば増える分だけ自分を発揮する可能性が拡がるということも考えられるのでは
ないでしょうか

大事なのは一体となって共に助け合い、学び合う関係を築く事
集まったからには理由があり、出会いは偶然でなくて必然なのかもしれないということも
考えることが出来ないでしょうか

何を目指し、何を為したいのか
常に共に高く深めあう事を大事としています。
そこに時に傷つくことや困難なことがあろうとも
支え合える仲間がいるということが何よりも財産であり、何事にも代え難い
ものなのではないでしょうか

この様な気付きの樹会があること、その環境や仲間がいること、恩師がいることに
自分にとってはこの上なく感謝しております。

この場をお借りして
ありがとうございます。

カグヤクルーの偉大なる航海にはまだまだ嵐はやってくるでしょう
しかし、互いに正直にさらけ出していくことが出来る様にし、みんなと共に
また一つ嵐を越えて新たな地へと目指していきたいと思います。

コンシェルジェ
瀬口拓郎


「beginner’s luck」

2011年3月 3日

よく釣りやゴルフ、かけごとなど色々な場面でbeginner’s luckが起こることがよくあります。
初めてのど素人が成功してしまうという現象ですが、とても不思議なことです。
うまくやれてしまった人へ何でできたのと聞くと、なんとなく感じたとか、そう思ったなど、よくわからない返答が返ってきますが、それもそのはずで本人の中には何の経験も情報も無い中でのアプローチですので正直な感想だと思いますし、自分自身も同じことを言ったことを思い出します。

beginner’s luckの現象を改めて考えてみると、何の知識も情報、経験が無いので、
自分の感じるものしか頼るものがなく、ある意味、感性が呼び起こしている結果だと言えると思います。

しかし人間は一度成功するとそのやり方だけをマネして繰り返そうとしてしまいます。
当然、前回と状況や背景が違ったりすることの方が多いのですが、先ほど出した結果は心、感性を研ぎ澄まし、
その状況をありのまま、認識することを自分の感性を使って感じることができたことがあったにも関わらず、成功したことからのやり方、頭で考えた方を優先してしまう、その瞬間、beginner’s luckではなってしまうのだと思います。

近代文明の飛躍的な発展の中で、今までより手間暇をかけることなく、できてしまうことを求める、便利なものが世の中や身の周りに溢れ、感じるための時間や関わりを面倒とし省かれてしまい、もっと時間をかけて味わい感じることの大切さを実感します。

人が移動することだけをとっても、恐らく日本で初めての旅行をテーマにした傑作、歌川広重の「東海道五十三次」から見ても、当時の人は人に会うというために何日もかけて自身の足で歩いて会いにいく時間が会うことへの考え深さが増していくのだと感じますし、参勤交代でも薩摩から江戸までは2ヶ月かけて上洛していたとのことです。
その間に色々な苦労がありながら、また自然と共にしながら自分の心との対話を深めていたのではないでしょうか。

日頃の生活の中で心を意識し、心を育てていくためにも、よい映画や本、芸術や文化に触れ、人の本質に迫り、自身の心の汚れを落とし、生きる上で人の素晴らしさに感動することを有意義なことし、大切にしていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


日々に感謝

2011年3月 4日

こんにちは、松村です。

先日、山本加津子さんのドキュメンタリー映画「1/4の奇跡~本当のことだから~」をカグヤクルー全員で見に行って来ました。

山本加津子さんは、石川県明和養護学校教諭で、障害を持った子どもたちと、教師と生徒という関係ではなく、一人の友達としてふれあいを続けて分け隔てなく、関わっている方です。

一人ひとりありのままに受け入れる加津子さんの姿勢は、子ども第一主義でいるカグヤの理念と近いもの感じました。

映画の中の話している雰囲気は常に笑顔だったことが印象的でした。
養護施設の重い病気で苦しんでいる子が亡くなった時のことをインタビューで話す姿も、当時はつらかったはずなのに笑顔でインタビューに答えていました。そんな姿を見ていると、良いことも悪いこともの全てありのままを受け入れているように感じました。
ありのまま全ての出来事を受け入れると、人生が良い方向に進むのだと感じ、自分を振り返ってみると、今自分がいること自体を幸せだということ、物に溢れている中でないことばかりに目が向いているように思いました。
ないことばかり求めすぎていること、置かれている環境にまずは「感謝」の気持ちが足りていないのではと思いました。
当たり前のことを当たり前に受け止めずに、何事にも「ありがとう」という思いをも自然に持てるようにしたいと思いました。

オルタナティブアドバイザー 
松村武典


「言葉と言霊」

2011年3月 7日

こんにちは、眞田です。

暖かさと寒さが交互にやってくる季節ですが、
この独特の季節のリズムも日本ならではなのだと思うと、
なんだかこの不安定で曖昧な瞬間を楽しめるように感じます。

ここ最近は子どもの夜泣きが驚くほど連日続き、
家内は特に参ってしまっていましたが、
先日、ふと家内が言った言葉が印象的でした。

なぜこんなに泣いて起きるのか、
なぜ寝てくれないのかとばかり考えていた家内ですが、
ふと昨日、なんだかすっきりした顔をして

「これだけ泣いて自分のことを表現できるのってこの子の特技だよね」

と私に伝えてくれました。

その言葉を聞いて、私はとても色々なものを受け取ったように思います。

以前からも、夜泣きは個性、夜泣きは個性と言葉では言っていましたし、
甘えてくれるのは、信頼してくれているからだよね!とも言葉には出していましたが、

家内を見ていると、それは自分を元気づける為の
栄養剤のような使い方をしていたように感じていたのですが、

その時の言葉には

全てを受け入れたことが伝わってくると同時に、
言葉だけではなく、家内の子どもに対する姿勢自体が
変わっていることも伝わってきました。

言葉は誰でも発することはできますが、
言霊は自分が何かを乗り越えて悟った分だけしか
発することはできないのではないだろうかと思った瞬間でした。

いつもいつも、何とか泣かない方法を見つけようと
あれやこれややってきた家内ですが、
そういう結果よりも、
まるごと子どもを受け入れる
自分の姿勢の方が大切なのだということを、
理論や言葉ではなく自分自身の姿から見せてくれたことに、
私はとても嬉しくなり、また有難くなりました。

私も家内を見習い、自分のその姿勢を正していきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 眞田海


インターン生より

2011年3月 8日

こんにちは。カグヤの宮前です。

カグヤには、昨年11月から、
インターン生が、週2回程、働きにきています。

4月から正式入社する、学生の2人なのですが、
2人から、大きな気付きや、刺激を受けることが
沢山あります。

会議での発言や、自己啓発への姿勢、
仕事への取り組み方等・・・
色々な場面でそれを感じますが、

今回は、その中のひとつ。

出社後、毎回提出してもらっている「レポート」から、
感じたことをお伝えします。

これまでのレポートからは、

ひとつひとつの仕事や関わりに対して、
とても丁寧で、きちんと意味付けを行い、
自分のものにしているのが伝わってきます。

毎日の仕事に対して、レポートを書くことで、
振り返りをきちんと行っているから、
気付けることも多いのではとも感じます。

そしてこのレポートを、
社長含む、全クルーで、回覧共有し、
各クルーから、コメントを入れ、返却しています。

miyamae110308.jpg


実は私も、初めて社会人になった時、
入社してから半年ほど、
その日のテーマや気付き、反省や、次回へのアクションについて、
毎日、当時の会社の先輩へ、
レポートを提出していました。

私は、頭の整理を含め、文章を書くことが、
当時、特に苦手でしたので、

毎日のレポートは、本当に大変でしたが、

それに対して、OJTの先輩が毎日コメントを下さり、

それが励みにもなり、
今になっても、
大変ありがたい忘れられないものになっていたこともあったので、

是非、自分もやってみたいと思い、
提案した取組のひとつです。

既に、インターン生は、
カグヤにとって、新しい風となり、
社内で、多くの良い影響を与えてくれています。

私にとっても、
初心を思い出させてくれる存在でもあり、
プレッシャーを与えてくれる存在でもあり、
色々助けてもらっている存在でもあり・・・

もはや、カグヤクルーとして欠かせない存在になっているのは、
間違いありません。

4月から、毎日一緒に働くことになりますが、

お互いに、良い影響を与え合えるような関係で、
切磋琢磨できたらと思います。

環境コーディネーター
宮前 奈々子


『子どもの気持ちになる』

2011年3月 9日

こんにちは、カグヤの白土です。

今回のテーマは、今の自分のテーマそのものです。

カグヤでは子ども第一主義という理念を掲げています。

全ては子どもから考えるという事に繋がるのだと思いますが

実際にはまだまだ出来ていない事が多くあります。

その中で特に最近意識しているのが「子どもの気持ちになる」という事です。

私は普段の生活をしていると、

目の前に子どもがいるという事はほとんどありません。

実際には園に伺った時に子どもたちと少し話をするくらいかと思います。

もちろん子どもと接した時に、

素直に今のその子の気持ちを聞くという事は大事であり出来る事かもしれません。

しかし今自分に求められているのは、

目の前に子どもがいなくても子どもの気持ちになって動くという事だと実感しています。

私たち大人同士が普段何気に交わしている言葉、

子どもが聞いたらどう思うのか?

私たち大人が普段何気に行っている行動、

子どもが見たらどう思うのか?

もっと真剣に向き合い考えなければと思います。


残念な事に、今の時代は子どもの立場(気持ち)になって見渡すと、

残念な事ばかりではないかと思います。

もし私が子どもだったら大人を見て、

「言っている事と遣っている事が何故違うのだろう」、

「平気で嘘をつくのは何故だろう」

「皆で決めた約束を何故破るのだろう」

「悪いとわかっている事を何故やるのだろう」、


何故、何故、何故ばかりの世の中ではないかと思います。

又一番の問題はこの不自然な事をほとんどの人が、

当たり前としている事ではないかと思います。

人が生きていくうえでこんな無責任なとはないと思います。

子どもたちにしっかりとした生きるというバトンを渡し引き継いで行く為にも

もっと子どもの気持ちになるという事を大切に実践していきたいと思います。

同時に、ほんの少しだけ先に生まれてくる事が出来た責任を

子どもたちの為にもしっかりと果たしていきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 白土大樹


ありのままの自分

2011年3月10日

こんにちはカグヤの瀬口です。
人には個性があり、得意不得意というものがあります。
カグヤではその人の特性に合わせたミッションが与えられ、
特性を伸ばし、自己実現を叶えていくための環境が用意されています。
仕事をただ行うのではなく、人生を通して自分がいったい何をやりたいのか
ということを達成するための道のりを歩むためにも日々の仕事を携わらせて
頂き、努めております。
色んな場面により得意不得意の差は変わり
一概に出来ないということではない
大事なのはその人の人間性をどれだけ周りが受け容れ、
信じて認めると言うことだと思います
私自身、できないことが多々あり、何とかしようと思い、日夜努力改善
していますが、本来あるべきはやることよりもどうありたいかという
姿勢の方ではないのかということを実感します。
体裁だけ取り繕ってもいけない、何がどう自分ではできないのかということを
周りへ開示していくことも必要なのですね。
自分のあるがままを受け容れることの大事さを実感します。
できることもできないことも自分自身。
出来ないことを責めるではなく、素直に受け容れて周りともっと協力し合い、
互いで補い合える様になると、自分だけではできない可能性の広がることが
出来ていくのでしょう。
理念を大事に、最善のことを考えると自分だけの狭い了見に固執するのではなく、
互いに補い合い、高め合えることでより大きなことが出来る様に、
ひとりではなくチーム全体で作り上げる楽しみをもっと作っていくことで
日本の社会全体が明るく、ひとりひとりの繋がりを大事にできるような
社会が築きあがっていくのではないでしょうか
カグヤからそのモデルとなり、社会全体に一つの光明となることで
同じように考えている方ともきっと繋がっていくのだと思います。
現に、多くのパートナーの方や、信念を持ったお客様との繋がり、ご縁に
有難く思います。
繋がりが拡がり、社会を変革できる様に、
これからも取り組んで参りたいと思います。

まずは自分から変わらないといけないですね

コンシェルジェ
瀬口拓郎


「人のタイプ」

2011年3月14日

 先日、5年前に日本に来られたフロリダ出身のアメリカ人の方と食事を共にしました。
私から見れば白人のアメリカ人としか見えませんが、ポルトガル人の父と琉球人の母を持つアメリカ人で 奥さんは純粋な白人のアメリカの方です。

日本に来て良かったことをお聞きすると、日本では自分はアメリカ人、もっと広く言えば外国人として生きていけると話されます。その答えがよくわからなかったので詳しくお聞きすると、アメリカに住んでいたときには自分は白人ではない。
ポルトガルとアジア系の血をひく人間として生きていかなければならない。
アメリカでは何かを購入したり、契約するときなど、ことあるたびにアンケート用紙の質問事項に応える機会が多いが、まず聞かれるのは自分は何に属している人種なのか、要は人のタイプということである。
アジア系なのか、ドイツ系なのか、ユダヤ系なのか、メキシコ系なのか、色々な人種が有る中、彼はそのどこにも合わないため、その他にチェックを入れるのだそうです。
そのたびに彼は自分はその他として存在し、生きていかなければならないことに阻害感を感じることが多い。
だから日本では単純にアメリカ人、または外国人として他の外国人と共に、みんな一緒に自分を受け入れてくれ、生きていけることがとても楽だと感じるのだそうです。

自分がアメリカについて抱く印象として、多民族国家として、人種や個性に対して柔軟性や社交性があり、共に社会を形成しエネルギーが溢れ、自由と平等が良くも悪くも存在しているように感じていましたが、実際のアメリカでは中国人は中国人が固まって町を歩き、インド人はインド人と固まり、スペイン人はスペインの人と固まってしまう。サービス業としての接触でない限り、あまり積極的に他の人に関心や関わり持つこともなければ、街中で挨拶を交わすこともないとのことで、彼から聴く実際のアメリカの事情には違うものがありました。

 今でもアメリカの北部に行けば行くほど、白人社会が強く、モンタナ州やワシントン州などは白人以外のタイプは入ることも気が引けるとのことで以前、彼が奥さまと一緒にレストランに入ると彼は純粋な白人ではなく、奥さまは純粋な白人のため、周囲の方からイヤな視線を受けてしまうとのことです。
 南部のアラバマ州やルイジアナ州には反対に白人はとても入りづらいところだと言います。
 
 なぜそんなに互いを意識する仲が続いてしまうのかお聞きすると、日本と韓国の仲と同じように 日本は韓国のことをそんなに意識することなく、K-POPや食文化を積極的に取り入れているが韓国側は日本をそう思っていない。どうしても許しがたい過去がある。

人は今しか生きられないようで、過去を生きていることが多くあるように思いますが、民族間としての問題としてではなく、人類としての間違いや反省とし、よい教訓として学び合うことで互いを許し、受け入れ、過去から学び、未来へ活かしてほしいと強く望みます。

 現在、中東でも長く続いた権力で国を治めてきた国々が改革の岐路にありますが、20世紀は西洋の国が世界を制圧し植民地化した時代だとすると、21世紀は情報の革新で 西洋の文化と東洋の文化が近づき交わり、違いが無くなってくる時代になるのではと感じますが、これからは色々なタブーやボーダーを乗り越え、互いに受け入れ、尊重し合う、 いわゆる聖徳太子の定めた憲法17条の第1条にある「和を以って貴しとなす」が現実の世界で実現していく時代になるのではないでしょうか。

 また、これからの保育会も子どもの未来のために、様々な立場や価値観の違いを乗り越えて子どもにとって本当の価値を最優先していける社会のために協働的な関わり合いを創造していける社会でありたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


おすそわけ~幸せの連鎖~

2011年3月16日

こんにちはカグヤの松村です。
先日、知人からケーキのおすそわけを頂きました。
普段の生活でも良く見られる光景なので、何気ないことかもしれませんが、今回この「お
すそわけ」について感じたことを書かせて頂けたらと思います。

おすそわけの語源について調べてみると、「裾分(すそわ)け」の丁寧語だそうです。
他人から貰った物などを、さらに友人や知人などに分け与えることです。
「すそ」とは着物の裾を指し、地面に近い末端の部分というところから転じて自分が余分
に持っているものを人に分け与えるという意味だそうです。
本来目上の人物に使用するのは適切ではないようで、今まで間違って使っていたのだと改
めさせられます。

しかし、「余ったから」だとか、「必要ないから」といった思いからではなく、「良い
物」、「おいしいもの」を共有したい。相手に感じてもらいたい。という「おすそわけ」
もあるのだと思います。

現に自分は、頂いた物だけではなく、その好意によって幸せを頂きました。
本来、相手を幸せにするのは、物よりも目には見えませんが気持ちの方が価値のあるものだと思います。
今回このおすそわけという行為によって幸せを頂き、感謝の気持ちと次は自分から何か喜んでもらうことをしようという気持ちになりました。
こうやって、「おすそわけ」精神で、幸せの連鎖が生まれれば世の中良くなっていくのだと思い、「おすそわけ」という些細なことかもしれませんが、世の中にとって大切なことだという心を持ちたいと思います。

オルタナティブアドバイザー 
松村武典


「臆病な大人」

2011年3月17日

こんにちは、眞田です。

最近、娘が家内をママと呼ぶようになりました。
私のこともいつかはパパと呼ぶのでしょうか。
お父さんと呼んでくれたら本望なのですが、
なんと呼ばれても、顔が崩れるのが目に見えて予想される今日この頃です。

我が家では一度もママという呼び方もしていませんでしたが、
やはりお友達や友達のお母さんなど娘の周りの環境を踏まえて見ると、
お友達がママと呼んでいる姿をじーっと見ている娘が居ます。

それを見て、小さくママとつぶやき、家内の方を見る娘を見た時には
この子の心の中ではどんな奇跡が起きているのだろうかと驚くばかりでした。

毎日のように転んで頭をぶつけても、毎日のように眠ることに恐怖して泣いても
子どもは驚くほどに昨日の自分を乗り越えて成長し続けていきます。
そして、自分の成長を何よりも楽しんで味わっている様子がうかがえます。

それに相反して

私は出来ないことに対して挑戦することに恐怖や不安を覚えます。

転んで頭をぶつけることもありません。
今日が終わることも恐れず、当たり前のように明日が来ると思っています。
泣いて悔しがるほどに一日一日を生きていません。

経験が邪魔をしているのだと思います。

もっと、転んでもいいし、泣いてもいい。
人生を子ども心と探究心で謳歌して、成長の喜びを噛みしめていきたい。

子どもから教えられることばかりですが,
共に成長し喜びをかみしめる姿を共有することを大切にしていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 眞田海


メンタルヘルス

2011年3月18日

こんにちは。カグヤの宮前です。

先日、健康保険組合が開催する説明会に行きました。

その中で、
「メンタルヘルス・リーガルリスク・マネージメント」について、
弁護士による説明があり、

実際に職場で起こった、過労死やうつ病による自殺等の事例を挙げられ、
その現実に衝撃を受け、なんだか悲しくなりました。

最近は、ニュースや日常会話でも、
そのような話しが普通にあがり、
決して遠い話しではなく、身近な問題だと感じます。

この問題の原因には、
人々の繋がりが希薄なことも、ひとつあると思います。

相談できる相手や、見守ってくれる存在がいれば、
また違った結果にもなるでしょう。

カグヤでは、大人同士である企業で「見守るほいく」を実現させ、
それがどれだけ幸せなことか、
子ども達へも含め、世の中に発信できたらと考えています。

現段階で、自分が周囲をどれほど見守れているかと考えると、
まだまだできることは多く、

やはり、自分のことで精一杯になっているのでは、
万が一の時に、周囲の様子や、体調、不安に気付けないのではと反省しました。

最近は社内でも、ゆとりや余裕を大切にしようという姿勢や
取り組みも増えてきましたが、

やはり、忙しくなり視野が狭くなると、
仕事を抱えこんだり、
自分だけの責任として、ひきこもってしまう場面もあります。

誰かがSOSを発していれば、
それにちゃんと気付ける程の、余裕ある自分でいたいと改めて感じますし、
自分も困っていれば、きちんと相談できるようにありたいです。

そして、各々がそんな気持ちでいれば、
きっと見守りあえる、温かな職場になるのではと思います。

子どもが大人になった時に、働きたいと思えるような、
イキイキした職場環境を目指して、

挨拶や声がけひとつも大切にしながら、働いていきたいです。

環境コーディネーター
宮前 奈々子


『新たな出発』

2011年3月22日

こんにちは、カグヤの白土です。

早いもので3月も終わりに近づき、

各園でも卒園式や入園式の準備でバタバタしている時期ではないかと思います。

そんな中、先日ある保育園様に研修で伺いました。

今回の研修では、ほぼ全職員の方に参加を頂きました。

その中には今年度で退職される職員の方、

来年度より新たに働かれる方がいらっしゃいました。

正直なところ、子ども主体の保育を目指す為の研修であり、

皆で力を合わせて子どもたちの為にやっていこうという研修ですので

遣りにくい部分がないかと言えば嘘になります。

しかし私自身も何の為の研修なのかを考えた際に、

答えはやはり一つですので迷うことなく研修を実施しました。

そして、今回の研修でも様々な気づきを頂きました。

とくに退職される方の姿から感じた事があります。

もし私自身が辞める立場であればどのような意識で参加するだろう?

考えるとあまり良いイメージは湧きません。

しかし実際には退職される方がどの方かわからないくらい参加された先生全員が自然体でした。

又、退職と聞くと「何があったの?」と気にされる方が多いように感じます。

実際にこちらの園での退職の理由は下記のような事でした。

①違う園で働いてみたい
②保育士ではなく、違う仕事をやってみたい


今回研修前に園長先生とお話をさせて頂き感じた事があります。

それは園長先生の中で遣りたい保育が固まり、

覚悟を決めてやろうとしていらっしゃるという事です。

もちろんその覚悟はご自身の事を考えた覚悟ではなく、

子どもたちのことを考えた上での覚悟でした。

働く側の立場で考えると園の理念(覚悟)がはっきりし、

方向性も明確であれば自分自身もそこに合わせてしっかりと考えることが出来ます。

今回退職される先生もきっとそうだったのだと思います。

私だったらと考えると、

自分自身の限られた人生の中で自分で決めずに働く事は

やはり遣りたくないと思います。


又、働く側の立場としてしっかりと選び決める権利もあるのも事実です。

そういう意味では、本当に素晴らしい園だなと感じました。


しかし世の中にはそうでない園があるのも事実ではないかと思います。

もちろん園だけの責任ではありませんが、

働く側が自分で決められない環境を作っている事にはやはり問題を感じます。

先生方を含め私たちも子どもの自立を心から願っています。

子どもに自立を願う前に自分自身はどうなのか?

考えさせられます・・・

誰かに決めてもらうのではなく、

誰かに責任を押し付けるのではなく、

しっかりと自分自身で考え生きていかなければと感じる研修でした。


退職する事は何も悪い事ではないと思います。

自分で決めて新たな道に進む事、

素晴らしい事ではないかと思います。

その逆に、なんとなく働きすべての責任を人に委ねる、

何とも淋しいことだと思います。

どちらで在りたいか?

答えはやはり一つです。

今回研修でも様々な学びを頂けた事に感謝いたします。

又今後新たな出発をされる先生方が、素晴らしい人生を歩まれる事を心から願います。

オルタナティブコンサルタント
 白土大樹


「ぱなしの禁止」

2011年3月23日

こんにちはカグヤの瀬口です。

チームで協力して仕事をしていると
仕事が人から人へ受け渡しが行われ、
渡す方、受け取る方とそれぞれに責任が発生します。

日々仕事の中でその交換が行われておりますが、
意識が甘いと後々問題になってしまうことを感じております。

自分の渡し方が甘いと
「言いましたよね」

など相手に矢印をぶつけてしまっていたのです。

そうなるとお互い言った言わないなどの水掛け論になり、
互いで互いを傷つけあうことにもなりかねません。

そうして人間関係も悪くなってしまうことがあることからも
コミュニケーションは難しいものです。

相手のことをどれだけ思って信頼して関わることを考えると
自分から取りに行くことが大事だと思うのです。

相手を信頼するからこそ、
事前に確認しにいく。

「言いっぱなし」を無くすことが大事だと考えさせられました

この「ぱなし」は至るところでも出て来るように思います。

任せたからとそのまま自分から離れてしまっては
責任を投げつけてしまうことになってしまうのですね。

どちらがどうではなく、その物事の達成のための責任を持つことを
考えると、離れる訳には行きません。


離れようとするのは逃げや弱さなのかも知れません

人間関係が希薄になっていっていると様々に言われておりますが
一人ひとりの「持ち方」というものも一つの要因なのかもしれません

自分で責任を持った行動が出来る人となれる様に
改めていきたいと思います。

まずは自分のことがきちんと出来る様に為ることが優先ですね
自分のことが出来なくては人の心配も出来ません。

ちゃんと自分のことがマネージメント出来る様になれる様に
精進努力して参りたいと思います。

互いが互いを信頼できる様な関係や関わりのモデルを自分たちで作ることで
もっと世の中がよくなっていくのではないでしょうか

学べることに感謝して楽しみたいと思います。

コンシェルジェ
瀬口拓郎


「多様性」

2011年3月24日

21世紀に入り、様々な分野で「多様性」という言葉を聞く機会があります。
テレビや雑誌にも、これからは更にグローバルに経済も流通を考えていかなければならないと高々と言われている現状にいつしか慣れ親しんでしまっているのではと感じることがありますが、少し冷静に考えると、このグローバル化はどこかの大国が国内需要に限りがあり、更なる利益拡大をするためのグローバル化を周囲の国々に押し付けているだけなのではないかと思います。

昨年からは太平洋周辺の広い地域の国として日本、中国、東南アジア諸国、オセアニア諸国、アメリカなどが参画し、関税や種目に制限を設けない自由貿易圏を作ろうというTPPの問題も、日本国内では生産農家への影響を強く懸念する討議の様子をよく見ますが、日本の自給率39%余りの現状で自分達の食料を外国から調達するという安易な考えを当たり前とすることはとても危険なことだと感じます。

2008年に原料輸出国であるオーストラリアが干ばつに見舞われたことと、国内の牛乳生産の過剰調正が原因でスーパーマーケットからバターが消え、パニックになったことがありましたが、バター1種目が無くなるというだけであれだけのパニックに陥ることを考えると、国が国としてある根本的な姿をこのグローバル感の強い今こそ、改めて問う必要があるように思います。

女性の社会進出が積極的に進み、女性のライフスタイルに多様化が進んでいる現在、考え方の基盤になっている男女共同参画社会基本法にも同じことが言えるのだと思いますが本来、出産、子育てをする女性が男性の特性を活かした職業にあえて女性として進出することが果たして平等な社会と言えるのか、権利を守る崇高な社会的観念なのかと疑問を抱きますし、働き方の多様化から考えてみても、正社員、パート、アルバイトなど様々な働き方があると思いますが、給料が安定するから正社員、責任を負わなくても済むのでアルバイトなど、本当に働くということが人間の一生の中でどういう意味や価値があるのかから、考えられたものではないように思いますし、大学生の就職難問題からも本来、人間が働くということが人間にとってどういうことなのかを自分の立場からだけではなく、社会全体から、生きる意味やモノや所得の有無だけではない、幸福感から本質的な面で改めて考え直すことが必要な時期にあるのではないでしょうか。

カグヤの社業には子どの人格、個性を尊重していけるような園の環境改善のお手伝いをさせて頂くことが多々ありますが、世の中の社会が本当の意味での個性を発揮して社会の役割を果たせる社会構造を創造する必要があると思います。

もしかすると「多様性」という言葉が社会が肯定され、社会的に受け入れられてしまい、社会の本当の問題をわかりづらく隠されてしまっているのではと疑問を持ち、本当は何が大事なことなのかから立ち返り、カグヤの社業を通じて、自分の存在を世の中に活かし、貢献していけるよう、誰かが作った価値観に流されず自身と向き合い、本当にしたいことを創造していきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


「時間」

2011年3月25日

こんにちは、カグヤの松村です。

毎日時間に追われてしまっている自分がいるのですが、今回その時間について感じたこと、考えたことを書かせて頂きたいと思います。

先日テレビで、主観的時間と客観的時間について放送されていました。
客観的な時間は時計によって知ることができ、主観的時間は、楽しい時や忙しい時には短く、退屈な時や何かを待っている時には長く感じられることです。
時計の速さは一定なのに、時間の経過が状況によって違うのは、その時の意識の持ち方によるものだと思いました。

子どもの頃、帰宅する時間を忘れるぐらい遊びに集中していたことを思い出し、私ごとですが、以前保育士をしていた頃の子どもたちを思い出しました。
遊ぶ時間が終わり、子どもたちに部屋に入るよう声掛けをしていましたが、なかなか部屋に入ろうとしなかった子どもがいました。
あの手この手を使い、今遊んでいることから意識をずらして部屋に呼ぼうと大変苦労していたことを思い出します。
今振り返ると、その子は遊びに集中して楽しい時間があっという間に過ぎ、まだ満足出来ていなかったのだと思います。
大人が勝手に決めた時間に縛りつけていたのではないかと思いました。
本来子どもが本当にやりたいことが出来るように、子どもが感じ取っている時間も大人がくみ取ることが大事なのではないかと今回のブログで気付かされました。

大人も子どもも関係なく時間は平等に過ぎます。
時間は過ぎると戻ってこないので、日々後悔のないように毎日を充実させていきたいと思いました。


オルタナティブアドバイザー 
松村武典


「ゆとり」

2011年3月28日

こんにちは、眞田です。

東日本大震災で被害に見舞われております
皆様に謹んでお見舞いを申し上げます。

唐突ですが先日、ひとつ大事な間違いをしました。
地震や原発などについてや、様々なことが丁度折り重なって
自分自身に随分と余裕がなくなっている一日があったのですが、
その時に、ゆとりを取り戻そうとコーヒーを淹れることにしました。
コーヒーを入れることは会社として大事にしている実践です。
皆のことを思い、豆を煎り、豆のことを思い丁度良い加減でおろし、冷まし、
挽いて、丁寧に淹れていきます。
もちろん、カップもコーヒーが覚めないように、
美味しく皆が飲んでくれるように、しっかりと温めます。


しかし、余裕のない私は、大事なその心をすべて置き去りにして
工程も気づけば無視をして、分量までも間違えてしまいました。

作り終えて自分自身、ハッとします。

何をやりたかったのか。

どうやら私は、コーヒーを淹れるという動作でなんとか自分の心のゆとりを
取り戻そうとしたのでした。

しかし、心のゆとりは、結局のところ心なので動作に「心」が伴っていないと
生まれてこない。

私は完全に動作に依存してしまいました。
結果、皆が大事にしている価値やゆとりを守ることが出来ませんでした。

心にゆとりが無いときこそ、心を動かし、心で行動しなければ、
ゆとりは生まれないのだということを、学ばせて頂く機会となりました。

決して動作的にならずに、心を使う工程を大切にしていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 眞田海


子ども達へ残すもの

2011年3月29日

こんにちは。カグヤの宮前です。

この度は、地震被害に遭われました皆様へ心よりお見舞い申し上げるとともに、
被災地の一日も早い復興をお祈り申し上げます。

今回の災害によって、改めて自然の脅威、自然への畏敬を心から感じています。

大地震、津波、原発による放射能の危険等・・・
本当に悲しく、恐ろしく、不安な毎日が今もなお続いています。

それは、きっと子どもも大人も同様だと思います。

そんな中で、私たち大人はどうあるべきかと考えたとき・・・

子どもが大人の真似をするからといって、
子どもの手前、何か取りつくろったり、無理に背伸びをしたりするのでなく、

未曾有の災害の中、大人も恐怖や不安を感じながら、
それでも希望を失わず立ち向かっているというありのままの姿で、
子どもたちを勇気づけられたらと思います。

過ちや、失敗、後退することもあるけれど、
人間として向上しようと、精一杯努力をし続ける大人の姿。

子どもはそれを手本として学び、育つものだと信じています。

そして、私はこの「カグヤ」という会社も、
社会の中で、同じような存在でありたいと思います。

今回のことで、改めて、
場所も人も時にも左右されず、「理念」を貫くことが大切であり、
こんな時だからこそ、こだわる意味があるように感じます。

命を大切にすることや、希望を失わず立ち向かう姿勢、思いやりetc・・・

カグヤも、手本・見本になれるよう、しっかり実践を積んでいきたいと思います。

子ども達へは、負の遺産ではなく、
もっと安心や優しさ等、美しいものを残せるよう、力を尽くしていけたらと思います。

環境コーディネーター
宮前 奈々子


『強さと弱さ』

2011年3月30日

こんにちは、カグヤの白土です。

今回は、東日本大震災の中で自分が感じた事を書かせて頂ければと思います。

特に東北地方では多くの方がお亡くなりになり

又大切な家族・大切な人・大切な生活の場を失われた方に対して

何て言葉をお掛けしたらいいのか解らないというのが本音です。

実際に地震が起きた際に私自身は宮城県の仙台市にいました。

地震が起きた際には園ではなく車内にいたのですが、

今までに経験のない揺れと恐怖の連続でした。

又全く知らない土地であるという不安もすぐに出てきました。

仙台市の中心部よりも内陸のところにいましたので、

津波がくることは無かったのですが、

当日の夕方のテレビでの中継で起きている事の現実を知りました。

地震後すぐにすぐに信号は止まり、

道には人が溢れ出ていました。

私自身、恐怖と動揺から動く事が出来なかったのも事実です。

全てが止まり何もない状態、携帯も何も繋がらない、

そんな中地域の人、会社の仲間、親、

皆さんに救われたのも事実です。

電話も繋がりにくい中多くの方に心配や励ましのお電話を頂きました。

夜中1人で車内に居た際に「大丈夫ですかと?」声を掛けて頂いた地域の方、

翌日の朝を車で迎えた時に貴重なお水とパンを支給して頂いた方、

自分自身が生きるという事で精一杯の中で

自分よりも周りを思いやる気持ちを忘れないというこの国に生きる人の心の優しさに

触れさせて頂いた事、一生忘れない出来事であったと思います。

感謝しかありません。


又、震災後感じた事があります。

それは何かが起きた時に自分で考え自分で決めて動くという事の大事さです。

もちろん自然の災害は予測が不可能かもしれません。

又、情報も限られた中で取りにいかなければなりません。

しかし今回は、地震・津波・原発と様々な問題が起きている中で

人が生きる上で大事な事を私は学ばせて頂きました。

特に原発につきましては、今後も様々な問題が出ることが予測されます。

今現在も福島の方を中心に多くの方が避難していらっしゃいます。

テレビをつければ多くの情報が流れていますが、

何が真実であるのか?情報に対して自分が動く基準は何なのか?

全ては自分が決めて動く、

これが絶対に大事な事ではないかと思います。

しかしこのような状況でも誰かに依存し、

何かが起きた時には周りに責任を転嫁する事を日々目の当たりにしています。

仕方ないと言われればそうかもしれませんが、

私自身は今回の経験で生きる上で大切な事を学ばせて頂きましたので、

今後この経験を少しでも多くの子どもたちに遺していきたいと思います。


東北地方太平洋沖地震で被災された方々へ心からお見舞い申し上げるとともに、

一日も早い復興を願い、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。

オルタナティブコンサルタント
 白土大樹


「災害に人を学ぶ」

2011年3月31日

今回の地震を受けて今も懸命に戦っている被災地の方に
心よりお見舞い申し上げます。

カグヤクルーも地震発生時には一同、東京のオフィスにいたために、
皆驚愕でした。
私自身、人生でも一番の規模と回数の地震に遭遇でした。

宮城や津波の被害に合われた岩手の方に比べると大したことはなかったの
ですがそれでも実際に合うと自身の中にも自然の怖さというものが刻まれた
様に思います。

色んな地域からの連絡やメールを頂き、
皆様にはご心配をお掛けいたしました。

今回の地震からも天災、自然に逆らうことはできない人間の無力さを
実感しますが、どうすることでもなく、災害に備えて日頃からの準備の
徹底と対応における生きる力の必要性を考えさせられます。

東京では特に地震に弱く、ライフラインが過密化しているからこそ、
その被害も大きく、まだまだ復旧出来ておりません
便利だからと便利さに走るとイザという時の脆さが露呈してしまいます。
災害がの影響からも人々に影響があり、電車の遅れや停電などで通常が
崩されると人の気持ちも脆く、駅で喧嘩が起こるなどを目の当たりにし、
どうしてなのかと疑問を持ってしまいます。

被災地では避難所の子どもや女性から食べ物を奪うなどの二次的被害を
受けている方もいるということをお聞きします。

このような極限の状態であるからこそ、まともな判断も出来様もないということが
また痛ましく思います。

周りに依存して責任を取ることが出来ないこと

対岸の火事の様に傍観し、自分は関係ないとしていること

既に自分の足元にも危険が及んでいることにも気づいていないこと

今回のことで
極限状態であるからこそ、人の性というものが露わになっていること
様々に人の思いがあるということを感じました。
そうならないためにも日頃からの余程の胆力が必要であることも実感します。

そして
本当に大変であり、危険な場所に身を投じている現場の方々や
生きることと懸命に闘っている方々がいることをもっと我々は知るべきことなの
ではないかと思います。

保育に係らせて頂いているからこそ、
子どもと近い位置で働かせて頂いているからこそ、
気づくことの出来ることがいっぱいあります。

保育で人の生きる道というものを学ばせて頂いていることが本当に有難いことだと
思うのです。

子どもはいつでも素直です。人に勇気を与えてくれる尊い存在だと思います。
子どもたちがいるからこそと奮起している方も多くいらっしゃいます。
子どもたちのためにも一人ひとりが力を出し合い、手を取り合うことが
大事なのではないでしょうか

自分の甘い部分も、弱い部分も子どものためにも正し、自分を矯正していく
ことを強く意識していかないといけないのでしょう。


今回の地震で被災された方々へお見舞い申し上げますこととともに、
一日も早い復興を願います。

土地が崩されても人の心だけは崩されることの無い様に互いに協力し合いましょう!!

コンシェルジェ
瀬口拓郎