TOP今日のカグヤクルー日記 > 2011年05月

2011年05月のカグヤクルー日記

新人研修

2011年5月 2日

こんにちは、カグヤの奥山です。


カグヤの新入社員研修は、
山登りやつくし取り、畑作りなど、自然にあるものを活かした研修でした。
東京にいると自然に触れる機会も少なく、
高層ビルやネオン街など派手なものばかり目がいってしまいますが、
自然に囲まれた環境の方が、見えないものを見ようとする力が働いているように感じます。


教えてもらう研修ではなく、自ら感じ取る研修。
カグヤらしさと自分に問いかける感性。


新入社員だからこそ気がつく、カグヤらしさい温かさや厳しさ。
先輩クルーの子どもを見守るような姿勢に、
今だから出来ること、感じられることを大切にして行きたいと思っています。
そして、毎食社長と同じものを食べ、生まれ故郷を案内して頂いて、
社長という人間性を感じる研修となりました。


研修というよりも、毎日が合宿で、
同じ釜の飯を食べる関係だからこそ、カグヤ道を歩めること。
社長の人となりを学ぶからこそ増す、子どもへの想い。

経験して気がつく感動は、何物にも変えがたく、心を豊かにしてくれます。
気がつくことに差があるにしても、感動の量は比べられないと思います。
気がついたり感動したり、その事を純粋に楽しいと、
感じる感性を大切にしていきたいと思います。


そして、いつまでも新入社員と甘えるのではなく、
自律した社会人となるよう努めて行きたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
奥山卓矢


「アースデイ」

2011年5月 6日

こんにちは、眞田です。
日差しが少しずつ強まり、夏が彼方から顔を覗き込んでいる様子が
伺えるようになってきました。
そんな4月24日、日曜日のことを今回は綴りたいと思います。

代々木公園で行われていた
EARTHDAY TOKYO 2011に家族で参加してきました。
今年は、東日本大震災ということもあり、
例年とは違った危機感と問題意識の高いブースが多く立ち並び、
被災地の現状や原発に対する多くの意見、主張が発信されており、
参加者達の姿も例年とは少し違って見えました。

エコやロハスをファッションや流行ではなく、
自分の生き方として本気で考える発信者と受信者の姿が多く見られ、
今私たちは、エネルギーシフトをしていく大きなチャンスに巡り合って
いるのだと実感しました。

まさに有事は人を試しており、震災からの復興の方向性を時代は
私たち大人に返答を迫っているのだと思います。

自分たちの代で責任を負えないものばかりを増やし、
次世代に引き継いでいく生き方からの脱却が今必要とされているように感じます。

タイムリーな話題の一つとして、
アースデイの翌日に環境省が発表した調査結果がありますが、
国内で自然エネルギーを導入した場合、どの程度の発電量が見込めるのかを試算した
内容なのですが、風力発電の普及できる余地が非常に高く、
稼働率を低く見積もっても最大で原発40基分の
発電量が見込める結果となったと書かれています。
東北地方だけでも原発3~11基分が賄える計算です。

また、ソーラーエネルギーについても、東大の研究者とシャープが
太陽電池の変換効率を従来の20パーセントから75パーセント以上にしていける
構造を解明し話題となっています。

技術的な課題はまだありますが、技術革新は日本の得意な分野だと思います。

電気自動車も夢かと思われていたものが今や形になる時代です。
原子力に費やす予算を、こういった研究に回していくことが、
私達大人としての責務のようにも感じます。

自然と共生する道を選ぶのか、経済を優先して不自然を選ぶのか。

今ではなく、この先の子どもたちを見据えたとき、
どちらが本当の豊かさであり、幸せであるのか。

多くのことを家族で考える大事な一日となりました。

オルタナティブコンサルタント
真田 海


「繋がり」

2011年5月 9日

こんにちは。カグヤの宮前です。

東日本大震災からもうすぐ2ヶ月が経過します。

震災以来、原発事故による放射能情報も沢山入手し、
以前より飲食物について、気にするようになり、
社内で自炊することもありますが・・・

食材の産地を確認したり、玄米を食べたり、
なるべく外食を控えたりと、極力気を付けてはいるものの、
絶対安心かと言われると、それはとても難しい問題です。

やはり、生態系は繋がっており、地球は一つなのだと感じます。

私たちはその中の一部として存在しているため、
勿論、その影響は免れないと思います。

実際、私の住む東京でも、風向きや雨の状況によっては、
空気中や水道水から、高い放射能数値が検出されてますし、

魚、野菜、肉等の食べ物についても
食物連鎖の上で、成り立っているため、
病気や死にまでの影響があるかどうかは別としても、
多かれ少なかれ、健康被害があるのは当然だと思います。

そして、環境の影響については、
実際の海や空気に境があるわけでもないので、
国境に関係なく、影響を受けるものです。

今回皮肉にも、放射能被害で繋がりを実感することとなりましたが、
きっと逆に、よい流れも同じように、
世界規模で影響が起こせるのものだと感じています。

今こそ皆で、自分の生き方や価値観を見直し、
今の人間だけの利益や快適さを求める暮らしでなく、
先のことを考え、自然や他の生き物とも共生できるような、
未来に繋がる優しい暮らしを目指していけたらと強く感じます。
              
                       環境コーディネーター
                       宮前 奈々子


「信じる力」

2011年5月10日

こんにちは、カグヤの白土です。

新学期を迎え、多くの出会いが各園様でも起きているのではと思います。


そのような中で、先日ある東京の園様より御相談を頂きました。

内容は、職員が退職して地元の福岡に帰るという事で、

福岡で子ども主体の見守る保育を実践している園がないか、という御相談でした。


実際に福岡では見守る保育勉強会が立ち上げられ、

多くの園様が参加され、毎月様々な学びの時間を作っていらっしゃいます。

正直なところ、数年前にこのような御相談を頂いても、

答えようがなかったのですが、

今はこんなにも真剣に子どもの事を考え保育に取り組んでいらっしゃる

園様があるという事をお伝えできる事を本当に嬉しく思います。


又今回は退職される職員の方とお話しする時間を頂けた事も

私にとっては貴重な体験となりました。


その中で何よりも感じたのは、

その職員の方は今まで自分たちが行ってきた保育が、

今の子どもたちにとっても、今の世の中にとっても、

絶対に必要なんだと感じそして信じていらっしゃった事です。


同時に子どもたちの事を考えて様々な事を実践されてこられたからこそ、

何かを掴み取っていらっしゃるようにも感じました。


又その先生から言われた言葉が印象的でした。

「どんな立場でもいいので保育に関わりたい」と言われました。

優先順位が自分でもなく、物でもなく、お金でもない、

人として当たり前のことかもしれませんが、

私にはまだまだ実践できてない事ばかりでお聞きしながら自分の事を恥ずかしくも感じました。


しかしこのような気持ちで保育をされる方が増えているという事を考えると、

未来がとても明るく感じます。

私が言うのも失礼かもしれませんが、

この先生は子どもたちにとって本当の先生なんだと思います。

それは保育だけで子どもたちに関わるのではなく、

ご自身の生き方からも子どもと関わっていらっしゃるからです。

生きていくうえで人として何が大事なのかをしっかりと実践されているからです。


今回の相談から私自身、勇気を頂きそして今まで以上の希望を持たせて頂きました。

私自身も子どもたちに対して恥じない生き方をしていきたいと思います。

                          オルタナコンサルティング
                                 白土大樹


「自分と相手」

2011年5月10日

こんにちはカグヤの瀬口です。

今回は「関係性」ということを考えていきたいと思います。

人との関わりということは難しいもので、関わっている様であっても
関わりきれていないということがあるようにここ最近でも考えさせられる
ことがありました。

例えば一緒に仕事をしている時、仕事の受け渡しは行えども、
本当に相手が期待するものを返すことができていたかというと
出来ているとは限りません。

相手が本当は何を求めていたのかということをちゃんと確認せずに素通りし、
自分勝手に進めてしまうということになってしまいます。

よかれと思ってやることが却って迷惑になることもあります。

他にも周りを見ていると
「困っている人のために何とかしたい」と問題を主張していても
本当はどうにかしたかったのは困っている人のことではなく、
その人自身だったりもすると考えさせられることがありました。

まさか自分はないだろう…と考えていましたが、
色んなところで大なり小なりやってしまっている節を多く見受けます。

自分の問題点も見た様に思います。

人間一人では生きていくことなどできず、必ず誰か人がそこにいる。

人、つまり相手がいる。

相手がいるのだからこそ、相手と何をするのか、

自分だけではないということを考えていきたいと思うのです。

上記の問題は「自分」でしかなく、「相手」がいないから起きてしまう
違和感です。

自分を超えたところにある存在を知るということ

人は関係性の中で育つ生き物ではありますが、
まさしく関わり合う中で自分の解決していく課題が見つかっていくのだと
思います。

この点を自分の中でももっと深め、どうして人は関わり合うのかという
ことから関わる中での問題点や課題を解決していく方法など体験の中でも
答えを見つけていくことが出来ればと思います。

                        オルタナコンサルティング
                        瀬口拓郎


「見守る食文化」

2011年5月11日

人類のこれまで生きてきた歴史、営みは食の歴史とも言えるのだと思いますが、
日本の食文化を考えるとき、どうしても「発酵」ということを抜かして語ることはできないと思います。


地球の基軸が奇跡的に25度傾いたことで日本の国土に四季が生まれ、温暖多湿な日本の気候風土の中での営みによって食材がよく腐るという反面、「発酵」という知恵と技術で食材を保存するということだけではなく、発酵することで食材は劇的に変化し、全く別のものに生まれ変わり、食材そのものをより美味しく
させてしまいました。


今では当たり前の発酵食品ですが、その文化の創造は人間が火を手に入れたことと
並ぶほどの異業だと言われるほどです。


そのため日本の食文化は世界から発酵王国と呼ばれ、その中でも麹カビが関わる発酵食品が非常に多く、独自の発酵文化を進化させていき、主な発酵食材に、日本酒、酢、醤油、味噌、みりん、鰹節などが直ぐに浮かんできます。日本の食文化は、微生物による発酵食品の文化といってもよく、その恩恵を受け漬物だけでも日本全国で、600種類以上あるといわれています。


「発酵」の歴史は古く、奈良時代初期に書かれた日本最古の歴史書「古事記」には、米を噛んで酒を造った「口噛み酒」の記述があり、唾液中のアミラーゼででんぷんを分解させ、神話の時代から唾液と米を噛みあわせて寝かせておくと酒ができる「発酵」という神秘的な力を認識し利用していたとされます。


お酒も発酵によってできていれば、お酒には欠かせない塩辛や、魚の内臓を塩漬けしたものでアユなら「ウルカ」、ナマコなら「コノワタ」、カツオなら酒盗、全て「発酵」の力によって作られます。


「発酵」という肉眼では見えない微生物の働きを巧みに利用した技術で納豆1gには約20億個の微生物が住み、微生物は有難いことに人間のために不眠不休で体にいい物質を作り出してくれます。私たちの腸内には500~1000種類、100兆~400兆の微生物が棲みついていると言われ、腸内細菌の総重量は、2kg以上とも言われています。人体の総細胞数が60兆個で、そこに共生している微生物は、その100倍以上もいるそうで人間の腸には、全身の免疫の70%の免疫細胞が集中しています。


外国の食文化に目を向けて見てみても例えば米国では、移住という歴史的な背景から広い国土の割りに、人口が不足していたため、早くから農業などに機械化が進み、缶詰や加工食品、冷凍食品などが発達していきました。これらを利用した合理的な食文化が受け継がれ、ハンバーガー、ホットドッグ、フライド・チキン、などの早く手軽に食べられる料理が好まれる傾向があります。


現代では発酵は食品や酒類だけに留まらず、発酵という微生物の持つ性質を使って下水道処理や薬品製造にも大いに微生物達が活躍の場を広げているとのことです。


日本の歴史には農耕型の村社会の中で自然との共生、村人同士との共生を重んじ、農耕を中心とした営みが世界の中で独自の思想や文化を発展させてきたことは言うまでもありませんが、人にはできないことを微生物の持つ能力をお借りして発酵させる。お酒やお醤油、納豆など微生物が発酵作業を進めやすいように気温や湿度など微生物達が呼吸しやすい環境を人間が用意し、微生物を見守り心配りをしています。


そのものの持っている能力を引き出し導くというこの見守る姿勢は以前、学んだ山形県庄内藩の藩校であった致道館の理念である「人はそれぞれ生まれ持った天性が違う。その生まれ持った天性(得意な能力)を伸ばしてやることが教育である」という教えを思い出します。見守ることの本質には互いが尊敬の念を持ち、お互いにできることで力になり、助け合っていくことでもあるのではないでしょうか。


先人達が積み上げてきた世界に誇るべき日本文化を温故知新の思いで学び、次の世代へと引き継いでいきたいと思います。今をどう生きるかでこれまでの過去に価値が見出され、未来に可能性が見出されていくのであれば、今を深めるには過去の歴史を知ること、過去を知ることで未来を予見することになるのだと思います。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「子ども心」

2011年5月13日

こんにちは、カグヤの奥山です。

先日、ある保育園からの帰り道、
海岸沿いを車で走っていました。
向こうに見えているのが長崎県。

どうして、太陽が出ているのに島が、
ぼんやりとしか、見えないのだろう。

何となく山の形は見えているけれど、
はっきり見えないもどかしい感覚。

さらに車を走らせていると、赤い風船が空高く飛んでいました。
きっと、子どもが手を放してしまったのだろうと思います。
手を放してしまった時のあの、
あっ、という感覚。
気付いた時にはもう、届かず、
見えなくなるまで、空を見上げ追いかける姿が、
思い浮かびます。

手を離せば、遠く見えなくなる。
何となく見えているのに、はっきり見えない。

子ども心も見えるようで、見えない、
そんな特別な存在だからこそ、
大人には感じることのできない不思議な気持ちを
持っているのだろうと感じています。
  
何でだろう、どうしてだろうと、
感じる子どものような感覚を、
大切にするカグヤクルーでありたいと思います。

                       オルタナティブコンサルタント
                       奥山卓矢


「まなざし」

2011年5月16日

こんにちは、眞田です。

空気が湿気を帯びる季節になってきました。

梅雨はわりと苦手ですが、梅雨明けのあの清々しさは
梅雨が無ければ味わうことが出来ないのだと思うと、
やはり日本の四季を丸ごと愛する気持ちが湧いてきます。

すると、梅雨の鬱蒼とした空気や、しとしとと降る雨にも、
大地の恵みと感じられたり、恵みの雨と感じられたりと、
随分と自分の「まなざし」によって見ている風景や
価値観が変わってくることに気付きます。

この「まなざし」はとても大切であることを
最近よく感じます。

ゴールデンウィークに妻の実家に数日滞在した時の事。

妻の実家は長野の蓼科にあり、リンゴ畑に囲まれた農村なのですが、
そこにはGWやお盆になると、家内の姉さんや兄さん、おばあちゃん、両親、
そして、姉さんたちの子ども達と大人数が集まります。

子ども達はいつも大騒ぎですが、私も大騒ぎです。

何しろ、こんなにリンゴ畑が広がった壮大な自然の中にいるわけですから、
もう歩き回りたくてたまりません。

なので、朝起きては近くの山を登りに行ったり、
リンゴ畑の丘を歩き回ったりとしていました。

しかし、私以外の大人はだれもしません。
そんなの、大変だ。面倒だ。
地元で当たり前なので、ワクワクもしないわけです。

ですので、子どもからは私と散歩に行くととても楽しいと言われます。

私のまなざしが伝わるのだと感じます。

良く、人に感動を伝えるにはどうしたらよいのかという問いに対して、
あなたが感動することだという答えがありますが、まさにその通りだと感じました。

それと同時に、普段の自分自身のまなざしを考えさせられる機会にもなりました。

私と家内では明らかに「食器洗い」に対するまなざしが違います。

私はあまり楽しそうなまなざしを持っていないですが、家内は楽しそうです。

反対に、お風呂の排水溝や換気扇に対するまなざしは私はとても楽しそうですが、
家内はとても辛そうです。

こういったように、仕事に対してや、困難に対して、すべてのことに対して
人は沢山のまなざしを持っているのだと思うと、
子どもの前では、やはり前向きな、楽しんだまなざしを多く持った自分
でありたいと思います。

それと同時に、夫婦であればお互いがそれぞれ、よいまなざしで補い合う
ことが出来ることを感じます。本当に有難いことです。

まずは今度、お風呂の排水溝の掃除を娘ときゃーきゃー言いながら、
楽しんでみたいと思います。

オルタナコンサルタント
真田 海


「100万人のゴミ拾い」

2011年5月16日

こんにちは。カグヤの宮前です。

今年もGWが終わりましたが、

5/3「憲法記念日」を、「ゴミ(護美)の日」とし、
「美しさを護る日」をスローガンに、
毎年、全国各地でゴミ拾いの活動があるということで・・・

 ■100万人のゴミ拾い
  http://www.gominohi.jp/index.html#section1

当日、偶然にもこの活動を知った私は、
なんだかおもしろそうなので、母親を誘い、
近所のゴミ拾いを行いました。

一番多かったゴミは、タバコの吸い殻。

母と2人で、1時間程度のゴミ拾いでしたが、
200本以上は、拾ったのではと思います。

ゴミの多さもですが、
その数の分だけ捨てる人がいるのかと思うと、正直驚きます。

実際、ゴミ拾いをしてみて、
街もきれいになり、気持ちもすがすがしくなり、
やって良かったと感じるものの、

つくづく「ゴミ」については、
考えさせられることが多くあります。

P2011_0503_125802.jpg


ゴミ拾いは勿論大事ですが、
ゴミを捨てる人がいる限り、ゴミ拾いが続くのかと思うと、

やはり、目指すのは、ゴミを捨てる人がいなくなること。

人間のモラル向上のためにも、教育の重要性をますます感じます。

私は教師ではありませんが、
きっと、子ども達に伝えたり、残せるものがあると思います。

私自身、自分さえ良ければいい等という気持ちに注意し、

仕事を含め、自分の生き方を通して、
子ども達に少しでもよい影響を与えられたらと思います。

                        環境コーディネーター
                        宮前 奈々子


「見守る関わり」

2011年5月17日

こんにちは、カグヤの白土です。

先日研修に入らせて頂いている園様に伺ったのですが、

今回も園長先生や職員の方と話すお時間を頂きました。

その中で改めて見守る保育の素晴らしさに触れさせて頂きましたので

ご紹介させて頂きたいと思います。


まず最初に園長先生に園の現状や職員の方への関わりに伺いました。

私自身研修という立場で園に入らせて頂いている中で、

ほとんどの園様との関わりで今の園の課題、

職員の課題や職員への要望を園長先生からお聞きする事が多くあります。

もちろんそこには、職員の方に良くなってほしい、幸せになってほしい

という思いがあるからこそ、そうなるという事も感じます。

しかし今回のお話は今までのものとは異なりました。

最初に園長先生からは、先ずは園長である自分自身が変わる事が近道だと言われました。

職員に対する思いはもちろんある中で、

つい何かを求めてしまいがちになるとの事。

そしてそれがいずれは、不満に変わり溝さえもできてしまうという事。

その中で、もっと職員を信じて行こうと決められたとの事で、

例えば何か問題が生じた際に、

起きた事に対してすぐに感情的にならずになぜそうしたのかを聞く事などです。

当たり前のことかもしれませんが、

日々の仕事での関わりの中でそれを実践していらっしゃいました。

又園長先生からは全ての人と人とのかかわりの中で「見守る」を実践していけば

皆が幸せになれるという事を確信したと言われました。

実際に私もここ数年こちらの園様と関わらせて頂いていますが、

特に最近は職員の方が心から楽しみ保育を行っていらっしゃる事をとても感じています。

結果的に子どもたちも以前よりも落ちつているのも当然なのかとという事も気づかされました。


又、今回は園長先生との面談後、主任先生と副主任先生2名の方とお話ししました。

最初に職員の方に言われたのが、

「今働く事が楽しくとても幸せなんです」と言われました。

又次に「日々仕事をしている中で園長先生から見守られている事をとても感じます」と言われました。

3名の先生方の顔を拝見すると、今感じている事を在りのままに話されている事も感じました。

同時に園長先生が大切にされている事であり実践が、

しっかりと職員の方に伝わっている事も感じました。

職員の方は自然に園長先生から頂いているこの関わりを

子どもたちに還元しているだけなのだと思います。

しかし結果的に園長も主任も現場の先生もそして子どもたちも

皆が幸せを感じ喜びを感じれているのがこちらの園の現状でした。


今回改めて「見守る」という事の素晴らしさを感じさせて頂きました。

又子どもたちへの関わりだけでなく、

人と人との関わりの中で間違いなく大切な事だという事も気づかせて頂きました。

私自身もこの気づきを大切に「見守る」を実践していきたいと思います。

ありがとうございました。

                        オルタナティブコンサルタント
                        白土大樹


「出来ないことよりも出来ること」

2011年5月19日

皆様こんにちは、カグヤの瀬口です。

保育に真剣に向き合うとさまざまな問題に直面している姿をお見受けします。
保育では自分だけではなく、相手がいるからこそ難しいことがあり、
人の成長を見守るということはつくづく大変なお仕事であることだと思います。

だからこそ価値の高いお仕事だと思うのですが、どうしても悩みは付き物です。
保育の世界だけでなくとも仕事というものは本当に難しいですね。

私自身も仕事を通して問題が重なり続け、追われてしまう様になると、
身動きがうまく取れなくなり、重く悩む様になってしまっていました。

そうして悩んでいる内に自信もなくなり、どんどんと身動きが取れず、
自分すらも見ることが出来なくなっていきました。結果として周りへも悪影響を
及ぼす様になってしまいました。

そんな時、悩んでいる最中に上司から言って頂いたことが
「悩みとは止まっているだけなので出来ないことよりも出来ることを
考えることだよ」という言葉でした。

振り返ると、悩みとは自分の中でしか考えることが出来なかった様に思います。
悩みを超え、自分に何が出来るのか動くことにシフトすると、
それは結果周りの為になっていくのではと思うのです。

自分が動くことでより多くの方のためになるのならば、選ばないことはないですね。

何か小さなことでもいい、自分にできることを表現するということはとても大事だと
思うのです。

自分の為にと思って取り組むとそれは限界がごく近くなってしまう様に思います。
今思い返しても恥ずかしい限りです。自分を超えたその先のものの為に自分が
何が出来るのかを考えていくことが大事な様に思います。


今、子どもたちにも「問題解決能力」や「コミュニケーション能力」が
求められるようになっています。子どもたちのためにもまずは我々大人が
しっかりとそれらの能力を身に付けて伝えていくことが出来る様にならないと
いけませんね。

かく言う私もまだまだ未熟千万。しっかりと実践して人間としての幅を
広げていくことが出来る様にしていきたいと思います。

                        オルタナティブコンサルティング
                        瀬口拓郎


「労働の果実」

2011年5月19日

カグヤの社業を通して保育現場で仕事をしていると、保育(教育)の必要性を
迫られる状況が多々あります。
教育の必要性の一つとしては、自立した成人となり、仕事を通して社会貢献して
いけることが目的になるのだとは思いますが、人はこの世に生まれるとなぜ働く
のかという疑問を持つ前に働くということが大前提として当たり前となってしまい
ます。


サラリーマンの語源はラテン語の塩を意味する「sal(サール)」から来ていますが、
労働の対価に当時、貴重だった塩をもらっていたのだとされています。
当時も今も仕事をしなければ必要な収入は得られず、衣食住がままならなくなり、
貧困という過酷な状況に身を置き、多くの自由を得ることが難しくなることは
容易に想像できることですが、だとしても仕事とは強制的なものなのでしょうか。


最近の若い人へなぜ働くのかというアンケート調査を行うと、生活の為という回答が
圧倒的な数を占めるとのことでした。本当に自分が望んでいないことには仕方なく
という言葉が付きまとい、仕事の為に仕方なく朝起きて、仕方なく出勤し、仕方なく
現実を受け入れ、仕方なく自分と折り合いをつける。


そうした仕方なくを受け入れるたびにストレスとして蓄積され、キャパが一杯に
なる前に捨て去ることがストレス解消とされる行動が必要となるのだと思います。


仕事とプライベートを分ける必要のある人とそうではない人の大きな違いには
仕方なくの現状の量だと思います。ストレス解消がうまく行かないと、
仕方ないキャパがいっぱいになり、何かのきっかけで組織の枠を超えた
言動や人の道を逸れることも起きてくるのではないでしょうか。


仕事とは生きる喜びを深めることとし、人が幸福感を感じる4つの要素を
挙げられているのが、日本理化学工業の大山会長が労働の目的、人の幸せとは、
「人に愛され」「人に誉められ」「人の役にたち」「人に必要とされること」の
4つによって得られ、このうち愛されること以外の3つは「働く」ことのなかで
得られると述べられています。


経済社会の中心に考えられるお金や土地、家やビルなどの財産、資産は状況に
よって、時代によって所有権が簡単に代わってしまったり、無くなってしまう。
お金も資産も社会の中で活発に循環するものだとすると、代わらない無くならない
所有権、資産とは何か。それは自分の内面にある生きる姿勢や志、思考力である
のだと思います。人は社会、会社、肩書などに所属することが生きることではなく、
生まれて死ぬまで自分自身に所属し、家族や会社、社会を愛してより良くしようと
思うように、自分自身を愛してより良くしようとすることに生きている時間を
当てていかなければないないこと、国民の財産権を守ることが政府の役割であれば、
生きる上での財産、人権、生きがいを守ることのできる社会でなければならない。


ある国では国民の財産を守るため徴兵制があり、死刑判決が存在しているのだと
思います。


現在、年々自殺者の数が増え続け、正職につけないで困っている若者も
多くなっています。仕事とは自分の中にある資産を持ってより社会を豊かに
していく為に使うこと、そして喜びをより多くの人達と分かち合うこと。


今回の未曾有の災害においても、全てを失った被災直後には現実を真正面から
受け入れられない精神状況が続きその後、何もかもを失ってしまったが、
自分の命は確実に残ったと思える災害後ハピネスという、何とも言えない幸福感が
心から湧き出てそして、自分は五体満足に助かったのだから、何か困っている
人の役に立ちたいとする気持ちが自分も被災した身でありながら、周囲の被災者を
勇気つける言葉をかけ励まし、行動し助ける側へと廻られる。


震災以前は地元でも、今の若い奴らはと大人達から軽蔑され、問題視されていた
中、高校生達も震災後、別人のように自ら人助けに動き出し、大人達が感動する
ということが多く起きているようです。


日頃、執着した物や恩恵を受けている様々な環境が無くなってしまい、
生きるという本質的な思考と向き合わざる負えない状況では、若い人にも自然と
自分の内面にある人様への貢献心に気付き、芽生え、働くという本質的な価値に
近づいているのだと思います。


反対にどんなに生活水準が高く、高価なモノが溢れていても、人に褒められもせず、
認められることもなく、人の役に立っている、人から必要とされているという
実感が持てない人が人の道から外れてしまう。


人の道から外れてしまう人にも必ず何らかの苦しい理由を抱えてしまっている
のだと思います。成熟した社会を育てたいと思う気持ちは漠然としてしまいますが、
成熟した人を育てるということ、成熟した人達が成熟した社会とはどういう姿
なのかを語り、創造し、現実にする為に行動へ移してしていくことだと思います。


カグヤの社業を通じて保育と向き合い、学問の根本、基礎にあたる幼児教育の
重要性を感じ、保育で世界を変えていける可能性は未知数にあるのだと実感して
います。私の生きる目的としている「人はみんな例外なく、幸せになる責任あり、
人を幸せにする義務ある」ことを残り半分の人生を楽しみながら少しでも多くの
貢献に繋げて生きていきたいと思います。

                         オルタナティブコンサルタント
                         田上 貴士


「覚悟研修」

2011年5月20日

こんにちは、カグヤの奥山です。
先日、社内研修として藤堂昌恒様より覚悟力研修をしていただきました。

覚悟と聞くと、生きるか死ぬかということをイメージする私がいます。
覚悟ではなく、覚悟力。少し考えてみると、他にも○○力と、
言葉の後ろに力をつけているものが多く見受けられます。

「力」の意味を辞書で調べてみると、
① 人や動物の体内に備わっていて自ら動いたり他の物を動かしたりする作用となるもの
② そのものに本来備わっていて、発揮されることが期待できる働き
③ 他に働きかけて影響を与えるもの
④ 何かしようとするときに役立つもの
⑤ 物体を変形させたり、動いている物体の速度を変化させる原因となる作用
とあります。

講師の先生から覚悟とは、成長をする方を選ぶことだと学びました。

これまで成長する方を選んできたか振り返ってみると、
遣りたいことを選んできたと感じています。

ただ、遣りたいことを選ぶことが、
自分を成長させる選択であったとも感じています。

今よりもこれからの自分に力をつけ、
成長を楽しめる自分でありたいと思います。

                      オルタナティブコンサルタント                         奥山卓矢


「一緒に並んで歩くこと」

2011年5月24日

こんにちは、眞田です。

最近は随分と暖かくなり、外を散歩するのも楽しい季節です。
というわけで最近、休日は家族で散歩をよく出かけています。

先日は駒沢公園をぐるりと回り、松陰神社までゆっくりと3時間ほど掛けて散歩をしました。
目的地まで「移動」する手段としての「歩く」とは違い、散歩は辿り着くまでのその過程自体が
目的そのものであることを改めて感じます。

ゆっくりと自分たちの歩調に合わせて周りを見渡すと、沢山の物事が見えてくるようにも思いますし、
沢山の楽しい出来事が降ってくるようの思います。この歩調を合わせるという事がなんだかとても
大切なように感じました。

歩調は周りを思いやらなくては合うことはありません。
思いやりがお互いに通じあった状態だからこそ、ゆとりが生まれ、喜びや感謝や楽しみが
生まれる様に思います。

自分の力で立ち、自分の力で歩き、お互いの歩調を合わせる事。
中々、日々の中で大切に出来ていないことが多いですが今、私自身が大切にしたいと思う大きな、
大きな課題であり、楽しみでもあります。

オルタナティブコンサルタント
真田海

%E7%9C%9F%E7%94%B0.JPG


「変化」

2011年5月24日

こんにちは。カグヤの宮前です。
近頃、自分の役割や気持ちに対して、変化を感じます。
これまでは迷惑をかけないようにと、「自分の仕事」をきちんと遂行することに
意識がありましたが、最近は「自分の仕事」というより「会社の仕事」という意識に変わり、
社内の体制を整えることや、会社(チーム)として、最大限の力を発揮するには等、
全体的なところに目を向けるようになってきました。

これまでも勿論、意識はしてましたが、「自分がやる」というよりは、「皆でやる」という
気持ちが強く、度々話し合いを行っても、責任が曖昧なまま進み、結果、優先されるのは、
目の前の仕事だったように感じます。
「やるのは自分」と、気持ちが固まってきてからは、ある種の迷いが消え、
目指す体制や働き方に向けて「行動するのみ」と、前向きな気持ちへと変化を感じます。

先日ちょうど社長からも、「実務者の目線では全体像を見て、管理するのは難しいのでは?」
と話しがあり私は、それを実現するためにも、実務に忙殺されないよう社内業務を工夫して、
管理の一元化を図ったり、自分がやっている実務について他の人ができるようにすること等が
求められ、これまでやってきたことや考え方に固執せず手放すことも必要だと感じています。
仕事も人生も、トントン拍子とはいきませんが、そこに、楽しさがあるのだと思います。

これからも、できないことに落ち込んだり、あきらめたりするのではなく、
どうしたらできるのかと、建設的に考えて、数々の変化を柔軟に受け入れ、
乗り越えていきたいです。

環境コーディネーター
宮前 奈々子


「理念」

2011年5月26日

こんにちは、カグヤの白土です。
新学期も始まりあっという間に2ケ月が経ちました。
各園様におきましてもゆったりとした時間が戻りつつあるのではと思います。

先日研修である園様に伺ったのですが、今回は改めて理念の大切さを感じさせて頂きました。
研修に入らせて頂きますと、園内の人間関係の問題に対して御相談いただく事が多々あります。

これはもちろん保育園や幼稚園だけでなく社内でもある事です。
その様な中で、今回は社内での実践からも感じた事があります。
それは、やはり理念が大事であるという事です。

もし理念が明確でなく、そこで働く人がそれぞれ自分の価値観だけで
働いていれば、一つになるという事はやはり厳しいのだと思います。
極端に言えば、お互いに大事にすべきものの共有が出来ていないのであれば本当の意味で
ぶつかり合う事もないのかと思います。
という事を考えれば人間関係がうまくいかないというのも
もちろん全てがマイナスであるとは言えないのではと最近は特に感じます。

例えば理念が明確であり皆がその理念を大切にしたいという気持ちがあった際に、
もし大切にしていない人がいればやはり互いに気持ちよく働く事は出来ないのだと思います。
逆に働く側の全員が理念を大事にしてそこから働き方を考えて行けば
働く事がとても幸せな事に繋がるのではないかと思います。

話しは変わりますが、先週もある園さんに研修に入らせて頂き、研修の最後に参加された皆さんで
次回の研修までに皆で遣りたい事を話し合って頂きました。
話し合いの内容を聞いていると先ずは今の園の課題が出てきました。

もちろん当然のことかもしれませんが、びっくりしたのが参加された方全員が
同じ問題を共有していた事です。
何故そうなったのかもすぐに感じ取る事が出来ました。
それはやはり理念が共有されているからだと思います。
園として大切にしていきたいものが明確であるからこそ、
今の園の本当の問題も見えてくるのだと思います。

今後こちらの園では皆で決めた事を実践して行く為に、もちろん時には職員間でぶつかるときも
あるかもしれません。しかしそれは理念が明確であり皆で共有できているからこそ
起きる事であり、最終的に本当の意味での信頼関係や人間関係がそこから築き上げられるのではと
思います。理念の明確化、理念の共有、理念の実践、自分自身が幸せな人生を歩んで行く為にも、
今後も大事にしていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
白土大樹


「その先の向こうに」

2011年5月27日

こんにちはカグヤの瀬口です。

カグヤではコンサルティングを通して園の課題を聞き、
課題解決という仕事を行っておりますが、当然、社内にも問題や課題は沢山
あり日々、どう解決していくのかと各人一人ひとりが向き合い、チームとしても
協力して課題解決の為に進めています。


日々の問題にどう向き合うのか、前回のテーマにも続きますが、
向き合うとはただ向き合って悩み、嘆くのではなく、
行動に移していくということなのだと感じています。


悩んでいても自分が変わらなくては意味がない。
自分のせいだと思えばいい、そして自分を変えればいい。
今起きている問題の事象に囚われるのではなく、
そのものの本質に向き合う事、その問題は終着点ではなく、
あくまで通過点であること。


問題は解決するためにあり、その先をどう見据えていくのかということが
大事だということを実感します。起きている問題には必ず意味があり、
その先の向こうに本当はどうしていきたかったのかということがある様に
思うのです。


自分の信念に基づいて先を見通すだけの力をつけることが出来る様に
日々の問題を解決することに注力するのではなく、先を見据えた解決の
為にも問題を通り過ぎるのではなく、なぜ起き今後起きないために、
何をどうするのかを定めて行く様に取り組んでいます。

オルタナティブコンサルタント
瀬口 拓郎


「初任給」

2011年5月31日

こんにちは、カグヤの奥山です。
先日、初めてのお給料を頂きました。

4月から働き始めあっという間に、一カ月が過ぎたように思います。
カグヤでの一日は日々学ぶことが多く、充実した毎日を過ごさせて頂いています。
お給料を頂いて、自分は社会人になったのだと改めて感じると同時に、
このお金をどのように使おうかと考えました。

会社から、社長から頂いたけれど、本当は子どもたちからもらっている。
そう感じています。子どもたちのもとから自分の所へ廻ってきて、
自分も誰かのために使う。そうすることが、巡り巡ってまた自分のところに戻ってくる
ことだと感じています。

今、こうしてカグヤで働けるのも、両親のお陰だと感じています。
健康な体に、毎日のおいしいご飯、いつも優しい両親、子どもの時は気づかなかったけれど、
今改めて感じる両親の愛情。

これまで、親孝行らしいこともしたこともなく、社会人となり、初任給を使い家族を食事へ
連れて行きました。自然と会話に上がるのも仕事の話で、親として、社会人の先輩として色々と助言をもらいました。
そして、まだまだ心配が尽きない様子で、ご飯は食べているのかと、何度も聞く両親に少しうっとうしさも感じましたが、これまでもいつも見守られてきたのだなと、感じます。

カグヤに入社してから、両親からよく言われていた一言を思い出します。
「一つ得意なことがあればいいんだよ」いつも温かく見守ってくれたその眼差しは、
今自分も同じように、子どもたちを見ていく視点だと感じています。

両親がいるから私がいて、両親に感謝することが伝えられること。
伝えられるという環境に感謝しています。私も昔よりは大人になって、
大人になって気付いた感謝の気持ち。
私は子どものとき、大人になりたくないと考える子どもでした。

でも、今は大人になれてよかったと感じています。
ただ、体が成長したから大人になったのではなく、
両親の気持ちに気付く大人になれたこと、両親からしてみたら、
まだまだ子どもかもしれませんが、これからは、
大人になる成長を楽しんでいきたいと感じています。

このきっかけを作ってくれたのも、子どもたちからの贈り物だと感じています。
両親に感謝の気持ちを伝えること、子どもたちのためにまた、
還元していくことも大切なことだと感じています。

子どもに携わるカグヤクルーだからこそ、
何のために、誰のためにお金を使うのかを考えるクルーでありたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
奥山卓矢


「核という存在を作りだす社会」

2011年5月31日

先日、福岡県で開催されたチェルノブイリ原発事故で被災したパーベル・ブドビチェンコさん(59)を招いた講演会に参加させて頂きました。会場にはカクヤクルー以外にも多くの一般者も参加され、原発事故の悲惨さに耳を傾けました。4月26日にはチェルノブイリ事故発生から25年を迎えたことなどから、脱原発派の市民らで作る実行委が主催されていました。

パーベルさんは原発から約180キロ離れた街で被災したしたが、事故から25年が経ち、地域経済は衰退し、満足な医療も受けられない状態が続いている窮状を報告して下さりましたが事故以来、25年もの長い間、放射能という五感では感じることのできない見えない恐怖と深刻な後遺症に向きあっていたことに、深い悲しみと日本の未来の姿にならないでほしいと強く感じました。
またパーベルさんから、「チェルノブイリ後も他の国では原子力エネルギーには尊敬すべき専門家が当たっているので大惨事はあり得ないと思われている」とも述べられ、「毎年のように飛行機は墜落しているのに核テクノロジーだけは事故はあり得ないと考えるのは自信過剰であり、福島を契機に多くのことを考え直さないといけない」と日本に対して指摘を頂きました。
今、日本国内では福島から疎開して他県へ転校した被災の心が癒えない小学生が差別的ないじめにあっていると報道で知り、広島でも原爆で亡くなった方の苦しみとは別に被爆者として生存した方がその後、生きながらに差別を受け続け、苦しまれたことを思うと、また同じことが起きていることに残念でなりません。
以前、手にした本の冒頭に書かれていた一節に「人は歴史から学ばないことを歴史から学んだ」とあったことを日々の出来事から思い出されます。今回の原発事故から日本という国の宿命のようにも思えますが戦後、日本が定めた非核三原則である「核兵器をもたず、つくらず、もちこませず」という平和への思いが、今回の福島原発の問題でまた違ったところから過去の苦悩を蘇らせてしまったことは、今回の原発事故からもあえて厳しい言葉を選べば戦後の日本国民の民度の問題ではないでしょうか。
先日、フィンランドのオルキオトでのドキュメンタリー映画「100,000年後の安全」を観ました。
この映画の冒頭では「ある日、人類は新たな火を手に入れた。しかしその火は強力過ぎて消すことができなかった」というコメントから始まる、フンランドでの核処理施設に世界で初めてカメラが入り、プロジェクトの実態を伝えています。

原発から生まれる高濃度の放射性廃棄物は現在、世界には25万トンあると言われていますが、「使用済み放射性廃棄物の埋蔵をめぐって、誰にも保障できない10万年後の安全のため、未来の地球の安全を問いかけるドキュメンタリー映画で、フィンランドで実際に国家プロジェクトとして開始された、放射性廃棄物の最終処分場の建設をめぐって、あれこれ考察されています。

放射性廃棄物を再処理するには今の処理技術では、その過程の中でプルトニウムの流出する可能性が高いこと、放射性廃棄物を水槽で冷やし続けるという方法もありますが、地上では地震や有事など何があるかわからない。海底に沈めるにも生命の母となる海が汚染される危険にさらすわけにはいかないことを考え、
フィンランドのオルキルオトでは世界で初めて、高レベル放射性廃棄物の永久地層処分場の建設が決定し、固い岩を削って作られる地下都市のようなその巨大システムは10万年間、保持されるものとして設計されていますが、その裏付けはオルキオトの地層が約18万年であるという地層学者の見解からきているのだそうです。

廃棄物が一定量に達すると施設は封鎖され、二度と開けられることはない。しかし、誰がそれを保障できるのか。何しろ10万年、地下500メートルに埋蔵された核廃棄物が、無害となる前に掘り返されてはいけない。人間の祖先である現人類「ホモサピエンス」が地球上に誕生したのが15万年前。10万年後、人類は存在しているのだろうか。新たな民族が生まれそこに暮らす人々に、危険性を確実に警告できる方法はあるだろうか。彼らはそれを私たちの時代の遺跡や墓、宝物が隠されている場所だと思うかもしれない。そもそも、未来の彼らは私たちの言語や記号を理解するのだろうか。

最近では原子力関係の本を手にすることも多くなりましたが、そういうたぐいの本に「核産業」という表現をよく目にします。核という脅威を「産業」として捉えていることに世界全体が核に対しての脅威や問題が希薄なことが伺えます。

世界各国から日本は、あの太平洋戦争から立ち直った国として、今回の震災後の復興に何の疑いもないようですが、これからの私たちにはどのような原理が私たちの集合的な生活を律するべきかを定める必要があるのではないでしょうか。

今日までの約30年間、市場勝利主義を向かえ、市場が威信を持って勢いを持ち、市場志向の考えが生活の領域に強い影響を与え続け、不平等の増大、貧富の格差拡大してしまい、グローバル資本主義も成果としては多くのことがありますが各国特有の伝統文化を浸食し、世界規模での社会的混乱の要因ともなっています。

世界は100年に一度と言われる金融危機に見舞われたばかりですが、今回の原発問題も踏まえ、市場主義の終焉を示唆しているのではないでしょうか。
市場経済は多くの意味で生活に豊かさと繁栄をもたらしてくれましたが、その対価として私たちが支払ったことが不平等の増大、格差社会の広がり。
その象徴的な存在として核という脅威に人類は手を伸ばし、依存してきたのだと思います。

先日もGDPで日本が中国に抜かされたことがニュースで大きく報道されていましたが、世界においての経済力の順位は豊かな国家の決定的な問題ではなく、豊かで満足できる社会生活と公共的生活を築いていかなければならない。

日本がアメリカのように市場原理主義が徹底されなかったのは、日本には儒教における「徳」
という人間の道徳性の卓越を求める文化的・歴史的、伝統的な背景から平等主義的な傾向が強く、今回の震災での日本人のその後の行動をみても共感や親しみが深い民族性が伺えます。

毎年、日本の国家予算を国債で賄い、自分達のつけを次世代へ押し付け続けていることと、今回の原発の問題があまりにも似通っているように思います。
自己完結させていける営みと次世代がより良く暮らせるための準備ができる国にしていければと思います。戦争には正義は無く、常に戦争の勝者が正義になる。
太平洋戦争に敗れた日本が戦後、アメリカナイズされてしまいましたがもう一度、本当の日本の取り戻すことが東日本震災後の復興の姿だと思います。

オルタナティブコンサルタント
田上 貴士