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瀬口の記事一覧

「見守られる側とは??」

2009年10月 5日

カグヤが大事にしている見守る保育には
子どもたちが他の環境と関わり合うことで
自分で考えて、自分で問題を解決し、主体的な活動を行い
自立できるようになってほしいという思いが込められています。

しかし、この見守る保育とは
何も大人と子どもの関係だけではありません。

上司との関係や同僚との関係、人と人の間にある
関係性について言えるように思います。

何でも人は、やってくれた方がいいと思ってしまいます。

例えば、お腹が空いた時、すぐに食事が出てきたりすると
嬉しく思いますよね。
でもそんな機会が続くとお腹が空いた時の気持ちや
解決方法を忘れてしまう事にも繋がるのかも知れません。

人間にとって当たり前のことが
世の中が便利になる事によって
当たり前が当たり前で無くなることもあります。

お腹が空いているのに空いている事に
気づけなくなってしまうこともあるかも知れません。
トイレに行きたいのにトイレに行きたいと
思うことがなくなってしまうのかも知れません。

これは子どもだけでなく
大人の社会にも言える部分があります。
よく「言われないと行動しない社員」など
ニュースや記事でもよく見かけます。
でもそれは言う前に代わりにやってあげていた大人がいたために
その子が育つことが出来なかったのかも知れません。

何もその人のことばかり責めることもできないことが
今の世の中には起きている様に思います。

カグヤでは上司である社長が細かく先に指示する様なことはありません。
私たちクルーが自分で自立できるように見守り、課題が見つかった時にも
自分で出来るように発達に合わせて援助をしてくれています。

してくれることが前提ではなく、
だからこそ見守られている側も自立で返さないといけないのですね。

社長が見守ってくれているということは
私も見守られていることを自覚しないといけないと思いました。

自分で主体的に動こうとしなければ
社内では会話が成り立たなくなってしまうこともあります。
本当に大人として大成するために、社内の環境が用意されています。

何かをやったから、結果が得られたからいいという事ではなく、
自分がやりたいことが本当に会社の方向性に合っているかが、
重要である事に気づき、反省しました。

社会で組織の一員として貢献するためにも
自立がキーワードの様に最近特に思います。

園にお邪魔すると先生方の大変さは良く伝わります。
大変と思うことの中にはもしかして、
動き方や進め方に一つ課題があるのかも知れません。

私自身、まだまだであり、
こういうことを申し上げることは甚だ恐縮ではありますが、
皆さんと共に自立し、子どもたちが自立できる豊かな土壌を築ける様に
取り組んでいきたいです。

                        コンシェルジュ
                        瀬口 拓郎


「大人としてのモデル」

2009年10月19日

カグヤではクルーで決めた「黄金ルール」というものがあります。

自分のために、周りの人たちのために、社会のために、環境のために、
という点から考えた様々な取り組みがあります。

それらの実践から、
未来を創る子どもたちのためにつながればと思い、
一つひとつ、みんなで決めて、実践する様にしています。

やっていることと言えば、「赤信号を渡らない」など
簡単なものや、ちょっとしたことから始まります。

これが簡単なことや当然だと思っていたことが意外に出来ていなかったりします。
人間、油断してしまうと、ついついやってしまうことも多いものです。
「赤信号は渡っちゃいけないんだよ」
と呼びかけをしていることを見かけたりしますが
子どもたちの方がよっぽど立派に出来ていることもあったりします。

あとは環境用品など自分で意識して用意したりしないといけないものまであります。

その中で、「挨拶」ということについて。
「挨拶」と言うと、先日、別のクルーが話していましたね。

相手の目を見て、挨拶しましょうという事もありましたが、
先日、クルーの中でこんなことがありました。

一緒に外食に出ていたのですが、
その日はお腹いっぱいで残してしまって、
「申し訳ない」と思って店員さんを呼んで
「ごめんなさい、せっかく作って頂いたのに、残してしまいました」
と謝っていました。

「この通りにしないといけない」というものではありませんが、
「子どもにとって、いい大人でありたい」という思いからの行動だったと思うのです。
ルールは縛るためのものではなく、
よりクリエイティブになれる様に守るものなのだなと思います。

自分自身はまだまだ出来ずに反省しますが、
子どもたちに対して、示していける様に
自分から変わっていかないとと思いました。

                         コンシェルジュ
                         瀬口 拓郎


「引き算の哲学」

2009年10月30日

皆さんこんにちは。
コンシェルジェの瀬口です。

私は休日などよく料理をします。
上手いとか下手とかそういうのではなく、
料理することが好きです。

先日、社長と料理の話をしていた時に、
こんな話がありました。

社長からの完全受け売りなのですが^^;

『料理には「引き算の哲学」が大事だ』

と。

煮物など、味に味を追加して、味をおいしく作ることは誰でも出来ます。
しかし、素材そのものに在る本来の味を味わいたい場合、
余計な付け足しをしない様にし、じっくりと時間をかけて、引いて出して合わせる。

特に日本料理には素材を活かした味わい方が込められていますね。

食事をしていると「おいしい」と思う時に、
単に味が濃くておいしいという時と、素材の本来の味に気づき、
「こんな味がするんだ」という、気づいた「おいしい」では、感じ方が全然違います。
口の中かからじわ~っと染み渡る様に味が身体全体を駆け巡るのです。

何よりも「優しい味」ということを実感します。

社内では、完全有機野菜で作る、
素材を活かした調理方法によって出来たロハス弁当を頂いています。
野菜本来にある味を味わうことによって、
自然に穏やかな空気が流れ、
癒しの空間が広がります。

今の社会では、
「足し算」によるものが多くあります。

何か悪いものがあったとしても
良いものを上から覆いかぶせる事によって、
悪いものを隠そうとします。

本当に良いものではなく、
良いものであるということを取り繕ってしまっているもので
溢れています。

人間関係でも同じですね。
自分がいくら取り繕っても、
誤魔化そうとしても、結局は自分本来にある「味」を
知らない事には本当に自分がどういう人間なのか、
自分が何をしなくてはいけないのか知ることができません。

そう考えると、まだまだ自分の取り組み方、
過ごし方には「余計な付け足し」が在る様に思います。

自分が作ることが目的になってしまって、
本当に「活かす」ということを考えているとは言えない部分がまだまだ沢山あります。

どこか「こうしたらいいだろう」「ああやれば都合がいい」
となってしまっては自分都合になってしまいます。

本当にいいものとは何か

何がお互いにとっての最善の利益になるのか

それが本流かどうか


自分が邪魔することではなく、
味そのものを活かすことが出来る様な、そんな生き方を送りたいものです。

                                  コンシェルジュ
                                  瀬口 拓郎


「変わるものと変わらないもの」

2009年11月16日

皆さんこんにちは、コンシェルジェの瀬口です。

秋も一層深まり、自然と秋から冬の装いも見る頃となりましたが、
皆様如何お過ごしでしょうか。

秋は静かで夜が長く、「燈火親しむべし」という言葉にもある様に、
読書に適した季節です。

先日、その中で、北海道での開拓農民である
斎藤晶さんの著書 「いのちの輝き かんじるかい」を読みました。

笹と石だらけの荒地で、
牧場を経営されている方であり、
誰も無理だと否定していたのですが、
見事な逆転の発想で土地を活かした自然酪農を開いた方です。

通常、酪農と言うと広々とした草原をイメージするのですが、
まるで山口県秋吉台のカルスト台地の様に石が
ごろごろと転がっている場所で開いたのです。

牛は大丈夫なのかと余計な心配をしてみたりもしたのですが、
自然のままに任せた見事な関わりがあるのですね。

その方は「忘れる」と言う事を大事にしていました。

「学校に行くとね、忘れるってことが一番マイナス要素になるけどね、
本当は忘れるってことはとても大事なことなんですよ。
恥をかいたのも、賞をもらったのも、全部忘れるんですよ。
だから新しいことに踏み出せるんです。
でも頭のいい人は記憶力がよくて忘れないから、
過去にとらわれて、おっかなくて踏み出せないんですよ。」

人はついつい、今までの癖で行動してしまい、
昔よかったことなどを引きずってしまうことがあります。

私たちはそれを「刷り込み」と呼んでいますが、
頭でっかちになってしまうと、
行動が変わらないために、周りの変化とも合いません。

カグヤは何より、
変化するという事を大事にしています。

まさしく私の課題でもあるのですが、
会社の成長には変化は欠かすことができません。

いつまでも自分流を通していると、却って周りに迷惑をかけてしまうのです。
何より変化出来る人、それは「忘れる」という事なのかもしれません。

社長から以前、「捨てる」ということを教わりました。

「捨てて捨てて馬鹿になれ!」と言って頂いたことがあります。

馬鹿になるぐらい、我武者羅に、
色んな事を吸収し続けようとすることが大事なのですね。

                             コンシェルジュ
                             瀬口拓郎


「大人としてのモデル」

2009年11月30日

先日、知人から聞いて
「是非観てほしい」と勧められた動画があり、観てみました。

観ているとハッとさせられ、自分の小ささを知り、恥ずかしくも思いました。

ニック・ブイヂチさんという両手が無く、
とても小さな左足だけがある方のお話です。

彼は大きくなるたびに、絶望を感じてきました。
8歳の時には死にたいとも思ったそうです。
しかし、彼は、障がい者の学校に通わず、一般の学校に通いました。

その中で一つひとつ難しい事に挑戦し続けて
自分の中で生きる希望を見つけて大学にも進学し、活動の幅を広げてきています。

ニックは今では「幸せを伝える専任講師」です。

その中のメッセージにて
生きていれば転んでしまうこともある。
転んだらどうすればいい?
また、起き上がらなくちゃならないでしょ。
なぜならば、転んだ状態ではどこにも行けないから。
でも時々人生には、転んだ時、もう起きられないと感じる時があります。
皆さん、私に希望があると思いますか?
なぜならば、このように転んでも、私には手足がないんです。
私がもう一度、起き上がる事は不可能みたいでしょう?
でも、そうではないんです。
私は百回でもまた起き上がろうとチャレンジします。
もしも百回すべて失敗して、
私が起き上がる事を放棄したら、
私は二度と起きあがれないでしょう。
でも、失敗してもまたチャレンジするなら、
そしてまたさらにチャレンジするならば、
それは終わりではありません。
どうやって最後まで耐えられるのかが大事なことでしょう。
強く耐えぬけるでしょうか?
もう一度、起きあがれる勇気を得ることが出来ますよ
こういう風にね

そういってニックは自分で頭を使って身体を使って
自分なりの方法で立ちあがって見せます。
ニックの姿を観ている生徒たちは目に涙を浮かべています。
一人ひとりがそれぞれに思い、感じ取るものがあった様です。
その後、ニックは泣いている子どもたちと一緒に笑顔でハグします。
私もこの時点で、きてました。

ニックは言います。
神は僕にとても偉大な使命を下さった。
神の栄光と愛に対する僕の話をとおして、
人々の心が変わっていく姿を見ることは本当に美しいことだ。
僕はまだ奇跡を信じる。

ニックの感じていた絶望など想像もつきようがありません。

そのニックは人々に希望や感動を与える活動をしています。
ニックはとても強く、厳しさと優しさで溢れています。
ニックの笑顔が素敵で勇気づけられます。

いつの間にか不満を言って、
自分が何も動くことが出来ていない事を恥ずかしく思いました。
皆さんはどんな夢(目標)を持っていますか?

自分の行動が少しでも多くの人の助けになり、
人を喜ばせられる様なことにつながればと思い、
自分に与えられた使命(ミッション)を改めて見つめ直し大事にしていきたいと思います。

今ある環境に不満を言うことは誰でも出来る事。
しかし、自分に何が出来るかを見つけて実践し続けて、人々に貢献できる様なことが
が出来てこそ、立派な大人であると言えるのではないでしょうか

図体ばかりが大人であってはいけない。
もっと精神を修養して、子どもたちにも示すことが出来る大人になりたいものです。

下記より是非ご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=135Ch3IVIRQ                                  
                            コンシェルジュ
                            瀬口 拓郎


「言葉の伝え方」

2009年12月11日

皆さん、こんにちは瀬口です。

先日友人とその友人の子どもの話を
聞いていた時のことですが

その友人は
「朝、マンションの廊下で
 近所の方にお会いした時には、おはようって言うんだよ」
と子どもに言っていたそうです。

それからその子は
マンション内で近所の方に会った時には
「おはよう」と言う様になった様です。

ある日のこと
その子はマンションを出た途端に
近所の方と出会っても挨拶をしなかったそうです。

するとお父さんは

「ん?今日は何で挨拶しなかったの?」と聞くと

「だってマンションの中じゃないから」

と答えたそうです。

マンションだから挨拶するのではなくて
近所の方と出会ったら挨拶をするという気で伝えていた友人は

「伝えるっていうことは難しいね」

と漏らしていました。

何で挨拶をするのか
挨拶とは一体何なのかということかが
共有できていなくて起きてしまった事なのですね。

その後、その友人は
「何で挨拶しないといけないんだと思う?
お互いの顔を見て言葉を交わして相手のことを
知ることが出来たり互いに気持ちが良くなるからするんだよ」
と伝えたそうです。


現代ではメールの普及などにより
言葉遣いも変わり、個人的な意見ですが
短絡的な言葉で会話をするということが見られます。

「一体なんなのか」

という点での意思が伝わらないと
誤った認識を互いにしてしまうかもしれません。

コミュニケーションを取るということは本当に難しいものです。

「多くを語らず背中(身体)で伝える」
という言葉もありますが
受け手に任せた様な形でもありますので
やっぱり自分の思いはきちんと伝えられる様に
私自身も気をつけたいものです。

                               コンシェルジュ
                               瀬口 拓郎


「想いは形にしてこそ」

2009年12月24日

メリークリスマス!!

コンシェルジェの瀬口です。

今年も試練と困難に富みながらも
充実した1年を送ることが出来ました。

ひとえにご縁頂き
応援して下さっている皆様の御蔭で出来ましたこと、大変嬉しく思います。

最近では政権も代わり
この保育業界においても変化が進んでいますが
本当に皆様の子どもに対する思いと実践を肌で感じる機会が多くあり
皆様のその姿勢を見ると、私たちも身が引き締まる思いです。

先日お伺いしたとある園では
少数ながらも、信念を持って、自分たちの地域だけではなく
日本の未来のためにと日々の保育・教育を大事にしている園でした。

園長先生とお話していたのですが
「地域にとっていい」ではなく、「子どもにとって、日本にとっていい」
という点から言葉が多く出てくるのです。

だから地域の要望いわゆるサービスというものには
あまり答えようとはしないと誓っている方でした。

確かにサービスを受ける方にとっては不便かも知れない。
しかし、本当に育ってほしい事、伝えたいことがあるからこそ、
何でもいいではなく、覚悟を以て取り組まれているのだなと言う事を感じました。

ご自分の信念に基づき
進めていると今では逆に地域からの支援が増えてきており
園内では色んな寄付や補助を頂いたものがありました。

確かに今の社会に合わせていくことは必要です。
私たちは社会があって成り立っているのですから。
しかし、何にでも合わせ過ぎてしまって本当に伝えたい事が伝わらず
園の個性が見えにくくなってしまうということも起こり得ます。

そちらの園長先生は
『「念ずれば花開く」という事を実感しました』と仰っていました。
想いに素直に、厳しくとも実践するということが大事なのですね。

実践すると「でも…やっぱり…」
とついつい不安から否定的な意見を持ってしまうこともあります。

私たちは実践を深めていけば、必ず花開くということを信じています。
現に、そんな実践者の方を多く見てきました。

保育に携わり子どもの成長を
促すということは本当に大変なお仕事だと思います。

しかし、価値のある、誇り高い仕事であることも事実です。
同じ志を持つ方が全国・世界には沢山います。

皆様におかれましては是非とも
セミナーの機会などを通し、互いを知り、共に手を取り合って下さい。

私たちカグヤもこのご縁に感謝し
皆様と共により子どもにとってのいい社会を作る事が出来ればと思います。

来年もカグヤはこれまで以上に実践を通し
「子ども第一主義」の理念を深めて社会に貢献出来る様、務めて参ります。

それではよいお年を!!

皆様、今後ともどうぞよろしくお願いします。

                                コンシェルジュ
                                瀬口 拓郎


「1年の整理」

2010年1月15日

皆様、
新年明けましておめでとうございます!!

瀬口です。

この記事が公開される頃には既に年も明け、半月が過ぎようとする頃かと思います。

新年を迎えるに当たって私は自宅と実家の掃除を行いました。
1年をかけて溜まった汚れや、今となっては不要なものなど、自分の楽しかったことやつらかったこと、出会った方との記憶や学んだこと、気づかされたことなど多くのことが込められているものですね。

古い資料など出てくるとついつい「こんなこともあった」と一向に進まないということもありましたが、振り返りと共に、新しく迎えるこの1年をどの様に過ごしていくのかを考える良い機会となりました。

この年末の掃除から考えても、同僚であったり、家族であったりと誰かと一緒に行うとはいいものですね。掃除という行為の中からも普段会話しているものとはまた違って、どんなことを考えていたのか、これからどうしていきたいのかなど意見を交換し合える場でもあるのですね。

1年を振り返り、自分を戒めるということも勿論大事なことかと思います。
しかし、自分を見つめて答えを見つけるということと共に、人と人との関わり合いによって、自分の目標や夢をより明確にしていくことも大事なのだなと思える1年となりました。

今年は溜めて溜めて振り返るというよりは、循環し続けることが出来る様な、
そんな生き方が出来る様にしていきたいと思います。

今年も変化に富む1年がやってきます。
皆様と一緒に、お互いに高め合い、深め合い、実りある1年に出来ればと思います。

今年もどうぞよろしくお願いします。

                               コンシェルジュ
                               瀬口拓郎


「忠義」

2010年1月28日

こんにちは。コンシェルジェの瀬口です。

人は人生を過ごす中で様々な人と出会っています。

家族、恋人、友人、など多くの人たちと関わっていると思いますが
人と人とが関わる中で最も大事にしないといけないこととは何なのでしょうか。

私は自分の経験則からではありますが、一つそこには
「信頼関係」が挙げられるのではと言うことを学ばされました。

私を導いてくれるメンター(指導者)から頂いた言葉ですが

「人との繋がりの中では出来の善し悪しではなく
どれだけその人の事を思えるか。その人との繋がりを大事にしているか。
その間にある信頼関係を築くことを優先した方がいい。」

それらを守るということが自分の信頼する人への
「忠義」であるという事を仰っていました。

その中でも特に心打たれましたのが
忠とは「人の心が真中にある(中庸)」ということです。
それは「自分の純粋な部分を大事にし、どれだけ真心を以て接しただろうか」ということ。
勿論自分の不甲斐なさ、未熟さ、力不足により、失敗してしまうこともあるでしょう。
しかしその人の事を信じて、素直に謝るということの方が大事なのでは。と思いました。

大事な事は人を信じる事。

そこに打算的でない自分の良心から来る正しい行いを行う事である「義」。
自分の信じる自分の道を大事に、只々真正直に生きるということが合わさるのですね。
仕事をすること、生活すること、自分の世界を生き切る上でも大事な部分ではないか
と言う事を学ばされた様に思います。

人は独りでは生きていけないし関わり合って生き合う生き物であるのだと思います。
関わり合う中でもこのことを大事にして生きたいと思いました。
皆さんも自分の信じている人を大事に過ごして下さいね。

迷った時や不安になった時ほど本当に
大事にしたいことが何だったのかを見失ってしまいます。
私も今回の事を思い出して人として
大事にしたいものを守れる様に取り組んでいきたいと思いました。

これからもよろしくお願いします。

                                  コンシェルジュ
                                  瀬口 拓郎


「本当にしないといけない事」

2010年2月 9日

こんにちは。
コンシェルジェの瀬口です。

仕事をしていく中で
最近こんな話がありました。

「どちらが真面目であるか。」

一人は今抱える仕事を必死にこなし、作業を進めていく人。
一人は本当に自分にしかできないことをすることで仕事をする人。

仕事をする上ではどちらも大切なことかと思います。

しかし日々の仕事の忙しさを理由に
その仕事の本当の意味を感じて
本当にしないといけないことをしていないと
仕事をしているという事にならないのでは
と言う事を考えさせられました。

どうして忙しくなってしまうのか?

実は作業を抱え込む様な自分の仕事の進め方自身に
問題があったのではないかと言う事を考えさせられます。

作業に追われてしまって
自分が作業をすることで満足してしまっているのです。
本当にしないといけない事をせずに自分の作業だけしかしていないと
サボっていると言われても仕方が無いですね。

皆さんも日々お忙しいことかと思います。

保育をしている先生のお話もお聞きしても、
いつも「時間がない」と言うことをお聞きします。

ゆとりをどう作り仕事を深めていく事の方へ
時間や力を遣っているでしょうか。

作業をすること、片づけることが主になり
本当にしないといけない事が疎かにならない様
気をつけないといけないですね。

刷り込みがあると、ついつい持っていかれてしまいます。

本当にやらないといけない事。
自分にしかできない事をし続ける事。

自分に与えられた時間、有限である時間を
有効に使ってどう価値を高めていくかは自分次第であるのですね。

時間が無いと投げ出したりせず
時間が取れる工夫をしていく事を実践し
本当にしないといけないことを怠らない様
心がけていきたいと思います。

                               コンシェルジュ
                               瀬口 拓郎


「素直な気持ちで」

2010年2月22日

こんにちはコンシェルジェの瀬口です。

先日、社内で定期購読している致知出版社の新春セミナーに参加してきました。

千日回峰行の塩沼亮潤先生(慈眼寺住職、大阿闇梨)、
サムシンググレートの村上和雄先生(筑波大学名誉教授)の御二人によるご講演と、
致知出版社の藤尾秀昭社長より人間学についてのご講義を頂きました。

皆さん共通して伝わることが各々、
自分に厳しく、実践している方は、純粋な気持ちで、
穏やかな口調で説明をして下さいました。

自分を超えたところで「何か人のために」
と話をしている方のお話は本当に優しさが伝わります。
自分のことではなく、相手のため、周りの人々のためにと
日々ご尽力されている事の溢れる想いが伝わってきます。

厳しい行を行うことや、日々研究を進めること、
全く違う方向からではありますが、お二人の実践からくる言葉には
優しく、重く、大切にしていきたいと思いました。

その中でも特に、塩沼先生のお話にありました、
仏教の3つの教えから来る、人が素直に生きる上で大事なこと。

人間は一人ではいきていけない「ありがとう」
その御恩返しが出来ていなくて「すみません」
相手を拝む様に拝する「はい」。
この3つの言葉を素直に思うことが大切だという事でした。

普段から使っていたとしても
本当に心の底から自分に関わった方へ
全身で感謝の気持ちを伝えることが出来ていただろうか。
何か人から頂いた学びを斜に構えて
別な言い回しで捉えてしまってはいないだろうか。

そう、自分を振り返って反省しました。
そう考えると、自分を忙しさに、我を優先してしまい
当たり前のことが出来ずにいるからこそ、
ゆとりであったり、穏やかさを維持することが出来ていないのだと反省します。

人には様々な機会を通して、多くの方と接する機会があります。

その上でも人と人の間にある調和というものを大事にした時、
人から頂いた言葉や機会、自分への学びと思って、
感謝の気持ちを伝えることが出来る様にしていきたいと思います。

この世に生を受け、本当に人々の御役に立つことが出来る様、
自分にしか出来ないことでご恩返しが出来る様になりたいものです。

塩沼先生、村上先生はじめ、致知出版社御一同様、会場参加者様、
カグヤクルー一同この様な自分の振り返りの機会を与えて頂きありがとうございました。


「大きな和」

2010年3月 4日

こんにちはコンシェルジェの瀬口です。

先日、沖縄にて円会イベントを実施致しました。

カグヤ全クルー、及び、カグヤWEBセンターのクルー
総勢18名により、パートナー園である、やまびこ保育園様にお邪魔してきました。

カグヤの全クルーと保育園の皆様による
『大きな和(オキナワ)』が今回の研修のテーマです。

まず、驚きましたのが、空港での熱烈な歓迎でした。
周りの観光客の方からも写真を撮られる程の猛烈な目立ち様であり
スタートから本当に楽しませて頂きました。
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行く先々にて、やまびこ保育園様の先生方による
思いがけないびっくりドッキリ仕掛けに、クルー一同で
驚きながらも楽しませて頂きました。

この日は天気も悪く、予想よりも肌寒かったのですが
やまびこ保育園様からのホスピタリティ溢れる
温かいおもてなしに心が躍り、和ませて頂きました。

人が感動するには
余程の事前の準備が必要になってくることかと思います。
そして、本当に相手に対して
「良くしたい」という思いなくしては
感動のエピソードは生まれることもありません。

やまびこ保育園様の数々のイベント実施内容も凄かったのですが
それ以上に、我々、カグヤに対して何よりも応援して頂いているという
熱い思いがそうさせて頂いたのだと思うと、本当に感謝の仕様もありません。

やまびこ保育園様では
職員の先生方と共に一つの大きな円を組み
良いもつらいも一つの円の中に組み込みお互いフラットに話を行い
他を受け容れ、共有する『一円対話』を実施致しました。

今までもカグヤの研修では色んな機会を通して
一円対話を実施してきましたが、40人以上の大団円での
実施は初めてであり、まさしく『大きな和』を実感することができました。

一円対話の研修終了後には
園長先生はじめ、先生方により
お食事と歓迎の舞を披露して頂き、感動の連続でした。
IMG_1785.JPG

一体どれほどの準備をされたのかと思うと
計り知れないものがありますが
「本気で遣り抜く」と言う事を学ばせて頂きました。

与えられた機会を最大限に活かし自分の本気の思いを伝えていく。
これが自分の人生の中でどれほど出来ているのでしょうか

それをやまびこ保育園の先生方は自然に、楽しく、豊かに、幸せに実施していました。

私自身も先生方の優しさと思いやり
溢れる姿を見習って、取り組んでいきたいと思います。

今回の機会を準備して頂いた多くの方々へ
やまびこ保育園様はじめ、この機会を頂くまでに支えて下さったお客様
パートナー企業の皆々様、見守る保育の思いを示して頂き
数々の出会いをつないで頂いた藤森先生、そして、カグヤ野見山社長へ感謝致します。

本当に「にへーでーびる」(沖縄語で「ありがとうございます」)

                               コンシェルジュ
                               瀬口 拓郎


「縁をつなぐ」

2010年3月16日

こんにちはコンシェルジェの瀬口です。

先日、リヒテルズ直子様より来社頂き、日本とオランダの違いをお聞かせ頂きながら、クルーそれぞれに抱える課題から質問し、実践につなげていくための社内研修を実施致しました。

イエナプラン教育から見るオランダの状況をお伝えして頂きながら、どの様に実践していくことが良いのか、また、自分達の実践が世界から見ると一体どの様に映るのかという点からも質問させて頂き、今、子どもたちにとって必要なこととは一体何なのかを知る機会となりました。

世界の至るところを見ても、これから迎えるべくして進んでいるのは「共生」の時代なのではという話がありました。

今までの日本では周囲に「同調」してしまい、集団に合わせる様な教育を受けて育ってきています。

自分を振り返ってみてもそう思ってしまうことが多く在るのですが、これは今までの日本が積み上げてきたことであり、その様に教わってきたからなのでしょう。しかし、これから益々以て移民も増え、多国籍化が進みますし、この少子の時代、集団に合わせるのではなく、一人ひとりの個性を発揮出来る様な社会へと変わってきていることからも、個々を活かしあう共生の時代とは当然の様に思います。

これは逆を言うと、個性を発揮できるように自分からもなっていかないといけないという事も含まれている様に思いました。一人ひとりが在り方についての変容を求められているのだとも思えるのです。

どうしても自分自身、周囲の意見に同調してしまう事があったりします。自分の個性とは一体何なのか、本当の自分を発揮できるようにならなくてはいけないのではないかと言う事を考えさせられます。

リヒテルズさんは幾度も事例を出して、分かりやすく説明して頂きました。
本当に分かっている人は難しいことは言わない。誰にでも分かりやすい表現で一つひとつ私たちに伝えてくれました。

その中に「昔は森を作ろうとした時に、同じ木を植えて、均一な森を作ろうとしました。
しかし、本当の森の美しさとはそれぞれ違う植物がいて、動物や昆虫など、様々な生き物が混在し、共存出来るからこそ、森が美しいと思えるのではないでしょうか」と仰っていました。

私はこの時に思ったのですが、森と言われると、大きな木ばかりを想像してしまい、眼の届くところしか見る事が出来ていませんでした。

そうですね。
色んな生き物がいるからこそ、森も生き生きとしてくるのです。
どんなに小さく弱い生き物でもいるだけで価値があり、その一つひとつ一緒にいることこそが、何よりも価値があるのだという事を感じさせられました。

弱くてもいい、小さくてもいい。でも自分らしさを発揮してほしい。
本当に元気になってもらいたいのはむしろ弱くなっている人の方だ。と。

一人ひとり生まれ持った個性を大事に、各々の個性が光り輝くことが出来る様に、他を大事に、見守っていくことが大事なのだという事を改めて学ばされました。

何よりも変わらないといけないのは自分自身からなのだと思いました。
それが私にとっても、社会にとっても今だからこそ必要なのではと言う事を思います。

一人ひとりが気づく事によって世の中が変わるキッカケになればと思い、これからも社業に努めていきたいと思います。

リヒテルズ直子様、本当にありがとうございました。

                            コンシェルジュ
                            瀬口 拓郎


「当事者意識を持つ」

2010年3月29日

こんにちは、コンシェルジェの瀬口です。

先日、社内で「当事者意識を持つこと」という話がありました。

人と会話することや議論することの中で
客観的に見て感じることが「自分がどうする」ということもなく
起きた出来事に対して批評、評論になってしまうと
本当は一体何がしたいのか、どうありたいのかが分からず
話を進めるにも困ってしまうことがあります。

そう考えると思うのです。
自分の生活の中でも大なり小なり評論だけに
なってしまっていることがあると言うことに。
そして、お客様からのご相談の中でも
自分が「本当は何がしたいのか」ということを聞き届けることが出来なければ
ただ相手の言葉を聞くだけになりそれは本当にお客様が成し遂げたかったことを
実現することへも繋がらないのです。

知識をいくら広げて、学んで人に伝えたとしても
自分が実践したことから伝えていかないことには
それは本当の学びではないと思いますし
たとえ話をしたとしても自己満足の様になってしまいます。

難しい話を難しく言う事は誰でも出来ます。

本当の学びとは自分が実践してどの様に感じるのか
そこから得たものでしか他人に伝えることは出来ないものだ
ということをいくつもの体験の中でも感じます。

藤森先生や先日の致知出版の新春セミナーでも
お聞きした塩沼亮潤先生など、実践している方は
分かりやすい言葉で伝え、無駄が無く、シンプルでありながらも
深みを感じる事の出来る、余韻を感じさせる言葉でした。

カグヤの仕事を通して
「伝える」「書く」という機会を多く頂いております。
この日記の原稿を書く際にもいつも悩んでしまいます。

自分が頭でっかちにならない様に
自分が思っていること、感じていることから皆様へ
お届け出来る様に心掛けていきたいと思います。

                       コンシェルジュ
                       瀬口 拓郎


「自分にしか出来ないこと」

2010年4月 7日

こんにちはコンシェルジェの瀬口です。

先日、毎朝の一円対話にて
二宮金次郎の言葉を素読していると、こんな話がありました。
人知れずの陰の苦労を厭わず実践するという話をテーマに深め、
それぞれの実践を聴いていると、こんな会話がありました。

「いつも○○しているね」

「いや~自分は何も出来ないですから○○をすることしかできないので」
と、ある会話が交わされます。

ここで、皆で思うのです。

どんなに些細なことでも確実に周りを手助けしてくれているのだということを。
その貢献と恩恵を皆が理解すると、あなたの存在そのものが、
私たちを救ってくれるのだということに気づかされた様に思います。

きっと
「何もできないと理解しつつ、自分にしか出来ないことで皆に貢献する人」
だという事なのですね。

世の中には色んなタイプの人がいます。
・自分にできない事を理解しようとせずに、何でも手を出してしまう人
・自分に出来る事しかせずに、自分でなくてもいいことを実施する人
などなど

カグヤの理念の中には
「自分にしか出来ないことをやる」
という事があります。

自分に与えられたミッション、
自分の個性を大事にしてよいと保証されています。
よく自分を省みて、内からこみ上げてくるものより、
精一杯まごころをこめて実施すること。
それが何よりも大事なことです。
忙しくしてしまい、自分だけしか見なくなると、
全然、その恩恵に気づくこともできません。
ですから、自分自身の精神的なゆとりを保つということも勿論大事であり。
周囲の人がいて自分がいるのだと言う事をもっと深く理解することも
必要になるのではと思い知らされます。

皆様の周りでは如何ですか??
つい、自分の忙しさから周りを見ることやいつもしてくれる小さなことへも
感謝の気持ちを大事に出来ていますか?

私自身まだまだです。
きっと自分の気づいていないところで自分の考えている以上に
多くの方々に支えられているのではないかと今振り返っても思います。

もっと自分の中でもゆとりを以てどれだけの人に支えられているのか
と言う事を感じ取ることが出来る様に、なっていきたいと思います。

                                コンシェルジュ
                                瀬口 拓郎


「昴らしい(素晴らしい)人々」

2010年4月19日

こんにちは、瀬口です。

先日、カグヤ社内研修にて新宿せいが保育園の藤森平司先生と、
山下さんよりお話を聞く機会を頂き、実施しました。

カグヤの理念の根幹にある「見守る保育」について、
創始者である、藤森先生にお話を伺い、
今ある仕事についての課題を聞くことと共に、
自分の人生について振り返っての課題や悩みなどを質問し、
藤森先生からのご意見を頂きました。

子ども自身が自分で主体的に行動し、
大人が環境に働きかけることで、子どもの自立を促す「見守る保育」。
藤森先生から語られるその一つひとつの言葉の中に
子どもの持つ本来の力を引き出していくということを感じます。
何よりも、子どもの個性や、可能性を信じているからこそ、
子どもに任せることが出来る姿勢に豊かさと穏やかさを伝わってきます。

日本の社会における、誰が作ったのか、
一斉画一的な教育には、子どもの意欲ではなく、
時間で管理してしまうことなど、大人にとって都合のいいように
進めている部分が今の時代から考えなおすと多くあり、
一人ひとりの個性を見ていくということを考える今日では合わない部分が出てきています。
大人の都合に合わせるでもなく、子どもを第一に考える視点を持っている
藤森先生から繰り出されるその一言ひとことがまさに今の大人社会にある
不条理を物語っているように思えました。

私は普段、お客様をサポートする役割を頂いていますが、
お客様のためにと思って行動していたとしても、
また、園にある問題を解決したいと思っていても、
それが自分中心になってしまって園の先生方が
自身の力で解決できなければ、
本当の解決とは言い難いものとなってしまいます。
表面的な解決を行ったとしても、
本質的な問題についての解決を行わないことには、
問題が解決されたとは言い難くなってしまうからです。

人間と動物、植物や、男性と女性など、
それぞれがそれぞれの役割を持っており、
自身の個性を充分に発揮し合うことが最も大事なことではないでしょうか。
私はこれまで、仕事において、
何でも出来るようになることが最上だと思っていました。
しかし、個人の出来ることには限界があり、
助け合うことが出来る関係を作る事の方が大事なのですね。
そこには、自分が付加するばかりでもなく、
弁えて距離を保つことや手を出さないことも大事な事の様に思います。

本当に子ども主体の保育である「見守る保育」を実践するためには、
関わる園の方が、主体的に行動できるようになるための環境を
準備していくことが大事なのですね。
だからこそ園の先生方が困った時には
解決できるようにすぐにもお応えできるように体制を整えていく必要があります。

藤森先生が人間本来持っている能力や、
日本人としての役割という点から、説明して頂き、
便利になっている社会からいつの間にか、本来持っている能力を失い、
却って不便利になっていることに気づかされました。

「子どもには何も与えずとも自然さえあればよいと思います」
と以前、とある園長先生からのご意見としてお聞きしたことを彷彿させます。

それは子ども自らが考えて、物事を発展させることが出来る環境が
用意されているということだと思うのです。
決まった遊び方しか出来ない様な環境では、
遊びも一辺倒になり、思考も偏ってしまいます。
子どもには柔軟な発想を持つことが出来るように、
私たち大人が、工夫して、環境を用意していく必要があるように思いました。

それは人と人とのコミュニケーションにおいて言えることでもあることかと思います。
互いの個性を活かし合い、共により良い社会を築く機会を頂いているのだと
改めてカグヤの社業に対する価値を感じました。
私自身も園の先生方の発展を支え、園で生活する子どもたちが
より自活力を上げることが出来るようになればと願い、
私自身も実践出来ればと思います。
勿論自分が実践する上でも課題は多いのですが、
その課題を乗り越え、社会の中で自分の役割として、
役立つことが出来ればと改めて思うことが出来た機会となりました。

見守る保育を学ぶことによって私自身の人生観を導き、
方針を示してくれるものだと言う事を感じます。
一人ひとりの個性が光り、輝かしい星団、“昴”となり世の中を照らす事の出来る、
そんな昴らしい(素晴らしい)社会を築いていきたいと思います。

藤森先生、山下さん、貴重な機会とお時間を頂き、ありがとうございました。

最前線でご尽力されている藤森先生を少しでも支えることが出来ればと思い、
またクルーで協力し合い、より子ども主体の考え方を深めあっていきたいと思います。

遠方の講演出張が続き、お身体だけはどうかご自愛ください
今後ともよろしくお願いいたします。

                          コンシェルジュ
                          瀬口 拓郎


「プロとして」

2010年5月 6日

こんにちは、瀬口です。

先日、致知出版社による読者の集いに参加してきました。

旭山動物園の小菅園長からのご講演であり、
廃園の危機からどの様にして立てなおす事が出来たのかという内容で、
これまでの実践を通しての考え方を事例を元に分かりやすく説明して頂きました。

言葉のどれもが印象的で気づかされるような内容ばかりでしたので分割して記したいと思います。

小菅園長は動物園に就職した際、
全く知識もなかったので大変な苦労をされたということから
これまでの経過をたどり説明して下さいました。

冒頭にありましたのが
『就職した途端に「プロの飼育係」として見られてしまう』ということ
その時に、最初に教わった飼育係としての大事な点が、
①動物のことは何でも知っている
②難しい動物を健康に長生きさせる
③繁殖の難しい動物に子を産ませて育てること

ということでした。

その中で
「セレノドンと聞かれて答えられなかったら聞いた子どもはどう思う?
がっかりするだろう?」
 
ということにまず考えさせられました。
(ちなみにセレノドンについては調べましたのでこちらを参照下さい)

上記の大事にする点

自分はプロであり、プロとしてどうだろうかということ…


人には様々な生き方がありますし、様々な仕事があります。
自分の選んだ生き方にはそこに向き合うために各々臨むべき姿勢もあるかと思うのです。

飼育員としての姿勢
先生としての姿勢
企業人としての姿勢
コンサルタントとしての姿勢
コンシェルジェとしての姿勢…

そして、
カグヤには『子ども第一主義』という理念があります。

自分が理念を守り、コンシェルジェとしての姿勢を持ち、
子どもの声を聞いてその存在をあるがままに認め、
その子がやりたいことを実現する環境を用意していくこと。
そしてその保育を目指す園の先生方を支えることが出来ているかということ。

これらが出来ているだろうかと考えます・・・

勿論、能力や知識が追い付かないこともあるかと思います。

しかし、
仕事は自分の生き方ですし、そこにはオンもオフも無く、
自分の生き方を大事にすることが良いのではと私は思っています。

どこで誰が見ているかという訳ではありませんが、
自分の決めた道に裏切って、生きるのは自分にとっても本当は辛いことです。

「お天道様が見ている」

とは昔よく言っていましたが、本当の自分を大事にする様に、
裏切らない様にすることを言っていたのかもしれないのではと思いました。

だからこそ、もっとカグヤのコンシェルジェとしての
生き方が出来る様にこれからも励みたいと思います。

                             コンシェルジェ
                             瀬口 拓郎


「変わらないものの中にある変化」

2010年5月17日

こんにちは、瀬口です。

先日の旭山動物園名誉園長、小菅氏の講演により、思った事があります。

小菅氏は「動物園は多くの人たちが人生において3度しか見学しない」
ということに疑念を持たれていました。

1回目は自分が子どもである頃
2回目は自分が親になって子どもを連れていく頃
3回目は自分が祖父母になり、孫を連れていく頃

皆さんは如何ですか?

私も正直これまで
「同じ動物園を何度も見る」
という事をやってきていませんでした。

小菅氏はこう言いました。

「来場者にアンケートを取ると
毎年来ているけどもいつも同じ。
もっと他の動物も見たいという声がありました。」

「見ているのは同じ動物かも知れない。
しかし、動物も人と同じくして、成長し、
年を取り、子が産まれ、環境も変わる。
いつも同じということの中に在る変化を
見る事の方が大事だと思うのです。
『当たり前の方が大事』だと思うのです。」

「動物が動かないから面白くないという意見がありました。
しかし、本当は動物が動く時間は平均2.6秒なんです。
人の方が通り過ぎようとしているから、じっくりと見ようと
していないから動物の動きに気づくことが出来ないんです。」

これらの言葉からも私自身も
目先のものに捉われていた様に思います。
もっとじっくり、ゆったりと『見る』
ということができていなかったのですね。

また、旭山動物園ではかつて入場者を獲得するために
動物園の園内に遊園地を作り、園の改革を行い、変化させ続けたそうです。
しかし、その人気も長くは続きませんでした。

本当に伝えていきたいもの
「動物のことをもっと知ってもらいたい」
という思いを大事にし、今では有名な、アザラシの円注トンネルや
ペンギンの空中プール、ホッキョクグマのダイナミックな飛び込み等
動物の本来持つ能力を如何なく発揮できる環境を作ることで
動物たちの魅力を伝えていくこと
実際に間近で見ることが出来る事に成功しています。

私はお話をお聞きする中で
目先の変化よりも、もっと変わらないものの中に在る
一つひとつの変化を感じ取り、その素晴らしさを
見続けていくことの方が大事なのではと思いました。

以前、お客様より見守る保育の実践園を見学のご案内を差し上げる時に
こんな声がありました。

「○○の園は一度見たので、別の園をお願いします。」

この言葉に私自身もそのままに受け止めてしまい、
また、私自身もそう思っていた節があることを思います。

しかし、今は一つ改めた思いがあります。

『もっと見学し続けて、同じ園の中に在る変化を見る事。』

その変化の中に在るその人の持つ考え方や哲学
問題意識など、そちらを学びに行かなくてはいけない
のではと言う事を思いました。
もちろんそのためにも時間や労力、費用など
多く費やしてしまうこともあるかもしれません。

目先の違いなど見ようと思えばいくらでも見る事が出来ます。
違うものを追い続けていくことはいくらでも出来ます。

しかし、もっと深い
その奥に在る変化値を見る事により
自分自身がこれから実践していく上での
学びにしていきたいことを思いました。

見学する上での、学ぶ上での、姿勢を問われた様に思います。

私は考え直してみると、つい、自分のやりたいことを
横に広げていく様に実施してしまうことがあります。
だからこそ、何でもイイトコ取りを
しようとしてしまうことがあります。

しかし、自分の仕事が何の意味を為しているのか
より考えを見つめ直していかないといけないと言う事を思います。
新しいことに手を出して、広げていくことは出来ます。
それは、今までのことを捨てたということにもなるかもしれません。

今までと同じことをやりながらも
違うものを追い続けることが出来る様に
追い求めて行くことが出来る様に
今までの中に在るもっとより価値のあるものを見定めて
自分の仕事に専念していきたいと思います。

自分の行う事、為す事が
子どもたちのためになることが出来る様に
自分の思いにブレることのない様
追い続けていきたいと思います。

                   コンシェルジェ
                   瀬口 拓郎


「チームとしての信頼関係」

2010年5月28日

こんにちは、瀬口です。

最近では社内の課題として、仕事を行う際に、
個人で進めるのではなく、チームで進めるという事を特に重要視しています。

カグヤではクルー一人ひとりに
自分の行うべきミッション(使命)が与えられています。
ミッションを行うからこそ、自分の夢や目標を目指すことが出来、
それが社会の発展へと貢献出来ればと思い、社業に務めております。

しかし、ミッションだからと自分の仕事を自分だけのものとしてしまうと、
チームとして動くにも問題が起きてしまいます。
自身を振り返っても忙しさの中でクルーとの共有よりも自分の仕事を優先してしまい、
周囲から見ると、自分が何をやっているのか分からない状態になり、
周りの仲間に対して不安や心配をかけてしまいました。

個人が動いてしまうと、個人で仕事を持ってしまい、
周りが関わる余地を無くし、自分から柵を立ててしまい、
引き籠ってしまう様になってしまいます。

そして、仲間の仕事についても他人事の様に見てしまい、
自分から関わろうともせずに、問題意識を以て臨むということも
できなくなってしまうという事を過去振り返るとしてきてしまったのです。

その時期を乗り越え、現在では、全ての仕事をチームの仕事として捉えて、
自分だけではなく、周りの誰もが出来る様になることを思って実施しています。
ここでも自分を知ってもらおうとするよりも何よりも相手のことを自分のことの様に思い、「自分だったらどう出来るだろうか」と考えて、臨む様にして、一同で取り組み、
実施することを心がけ、訓練しています。

皆で話していると一人がどんなに優秀であろうとも
チームで動く以上は、必要ないのではということを最近では特に思います。

誰かそんな人物がいると、関わり方でも甘えてしまい、
その人に頼ろうとしてしまうのではと思うのです。
最高の人物が一人いるよりも最高のチームを創っていく
ということの方が今は大事に思います。
一人になると大変な時に抱え込んでしまい、
何とかしよう何とかしようと躍起になってしまう体験もあったからです。

自分自身がチームにとっても必要な人材であるという事を素直に認めて、
もっと全体に働きかけることが出来る様にしていきたいと思います。

ヒトは他人がいるからこそ、自分を知ることが出来、
他人の行いから自らの学びとして生きる生き物だと私は思っています。
私はこれまで他人を見ようとはしていなかったのかもしれません。

チームで進めるからこそ、チームとしての成功も在り、失敗も在る。
失敗したとしてもその時の自分たちの力量を図ることが出来、
それを良き成長の糧として出来ればと思って大事に行動
しています。

私たちは社会から仕事を頂いています。
仕事を通して自分の成長を願いますが、
自分だけのものではない、仕事は会社のものであり、社会のもの。

このことを忘れることの無い様に、大事にしていきたいと思います。

                           コンシェルジェ
                           瀬口 拓郎


「チームとしての信頼関係」

2010年6月 9日

こんにちは、瀬口です。

最近では社内の課題として、仕事を行う際に、
個人で進めるのではなく、チームで進めるという事を特に重要視しています。

カグヤではクルー一人ひとりに
自分の行うべきミッション(使命)が与えられています。
ミッションを行うからこそ、自分の夢や目標を目指すことが出来、
それが社会の発展へと貢献出来ればと思い、社業に務めております。

しかし、ミッションだからと自分の仕事を自分だけのものとしてしまうと、
チームとして動くにも問題が起きてしまいます。
自身を振り返っても忙しさの中でクルーとの共有よりも自分の仕事を優先してしまい、
周囲から見ると、自分が何をやっているのか分からない状態になり、
周りの仲間に対して不安や心配をかけてしまいました。

個人が動いてしまうと、個人で仕事を持ってしまい、
周りが関わる余地を無くし、自分から柵を立ててしまい、
引き籠ってしまう様になってしまいます。

そして、仲間の仕事についても他人事の様に見てしまい、
自分から関わろうともせずに、問題意識を以て臨むということも
できなくなってしまうという事を過去振り返るとしてきてしまったのです。

その時期を乗り越え、現在では、
全ての仕事をチームの仕事として捉えて、自分だけではなく、
周りの誰もが出来る様になることを思って実施しています。

ここでも自分を知ってもらおうとするよりも
何よりも相手のことを自分のことの様に思い、
「自分だったらどう出来るだろうか」と考えて、
臨む様にして、一同で取り組み、
実施することを心がけ、訓練しています。

皆で話していると一人がどんなに優秀であろうとも
チームで動く以上は、必要ないのではということを最近では特に思います。

誰かそんな人物がいると、関わり方でも甘えてしまい、
その人に頼ろうとしてしまうのではと思うのです。
最高の人物が一人いるよりも最高のチームを創っていく
ということの方が今は大事に思います。
一人になると大変な時に抱え込んでしまい、
何とかしよう何とかしようと躍起になってしまう体験もあったからです。

自分自身がチームにとっても必要な人材であるという事を素直に認めて、
もっと全体に働きかけることが出来る様にしていきたいと思います。

ヒトは他人がいるからこそ、自分を知ることが出来、
他人の行いから自らの学びとして生きる生き物だと私は思っています。
私はこれまで他人を見ようとはしていなかったのかもしれません。

チームで進めるからこそ、チームとしての成功も在り、失敗も在る。
失敗したとしてもその時の自分たちの力量を図ることが出来、
それを良き成長の糧として出来ればと思って大事に行動しています。

私たちは社会から仕事を頂いています。
仕事を通して自分の成長を願いますが、
自分だけのものではない、仕事は会社のものであり、社会のもの。

このことを忘れることの無い様に、大事にしていきたいと思います。

                           コンシェルジュ
                           瀬口 拓郎


「仕事の難しさ」

2010年6月10日

こんにちは、瀬口です。

先日、一緒にカグヤを築き
創り上げている「パートナー」企業の方々と合同での会議を実施しました。

課題としてはカグヤクルーが日々、クルー間で理念を大事にし
深めあう取り組みやコミュニケーションを取り実行していこうという姿勢を伝えてほしい
どうしたら価値を維持できるのかを一緒に考えてほしい。
ということがあり、クルーの皆と共に、訪問しました。

勿論課題の達成のために全力を尽くすのですが
私たち自身の方が却って勉強というよりも刺激を受けることが多い機会でした。

理念を大事にすべく実践していますが
起きている問題や抱えている問題は私たちも同じであり
日々どうしようかと改善を続けて取り組んでいます。

仕事の中で起きてしまうのですが
依頼心が強く、任せきりになってしまって
自分が関わろうとせず、他人の様に見てしまうと
そこには溝が出来たり、ズレが生じたりします。

そうすると一緒に仕事を進めているとは言わず
相手に対する要望ばかりが積り、相手をある意味
指摘する様なことしかできなくなってしまいます。

今回、私もパートナーの方へ要望が募ってしまい
当初は相手に矢印を向けることしか考えることが
出来ていなかった様に思います。

「●●を□□してほしい」
「もっと○○を△△できないだろうか」

など

しかし、自分はどうなんだろうかと思い返すと
自分が出来ていなかったことを相手にも
押しつけてしまっていることに気づくのです。

これでは相手に対して失礼ですね。
自分が一体ナニサマなのかとも思ってしまいます。

本当はもっと一緒に進めていくということが
大事だったのではないだろうかと思うのです。
だからこそ、まずは課題を共有すること
問題意識を深めるということからチームで協力し
一緒に一から互いの意見を出し合い、創り上げて
練り上げていきましょうということを会の中で約束し
さらに手と手を合わせることを深めていくこととなりました。

仕事を進めていく上で相手に自分の考えを一方的に押しつけても伝わらず
相手にとって疲弊を与えてしまうのだということを思います。

一緒に仕事を進めるということはまずは互いの信頼関係が大事であり
一緒に創り上げていこうとするプロセスの中にあるのではということを
その機会を通して反省させられました。

仕事とはもっと相手のために
周りの方のためにまごころを込めて練り上げていったものでないと
最高の仕事は出来ないのだと思いました。

子どものために、社会のために
世の中を変えるために、仕事に携わらせて頂いているのですから
誰もが幸せでよりよい価値を生み出すことのできる仕事が
出来るようにしていきたいと思います。

それで自分という人間が役に立つのであれば
遣わずには居れませんね。

何が自分に出来るのか
自分にしか出来ない事を以てもっと社会へ貢献出来ればと思います。

                           コンシェルジュ
                           瀬口 拓郎


「教育の弊害」

2010年6月21日

こんにちは瀬口です。

先日、大阪で開催されました
「幼保一元化を考えるシンポジューム」に参加致しました。

新宿せいが保育園、藤森平司園長と大阪のあけぼの幼稚園、
理事長、安家周一先生による、保育園・幼稚園の両方の視点から
幼保一元化についての対談形式によるセミナーです。

両方の視点と言いますが、双方、
本当に子どもにとって何が大事なのか、日本を、世界を
変えないといけないが、変わるべきは自分自身にあるのではないだろうか
ということを様々な表現を通して伝えて頂きました。

実際に「異年齢クラスを導入している園はどのくらいありますか?」
と質問があったところ、そのほとんどがギビングツリーの実践園さんしかいませんでした。

日本はどうしても子どもの個性を年齢で捉えてしまいます。
「○○歳になったら出来るよね」
「○○歳だから頑張らないとね」

など、私も過去にそういい聞かされたことを思い出します。

子どもの発達は○○歳になったから突然出来ることでもなく、
それまでに積み上げてきたものにより一歩一歩発達していくのだと思います。

しかし、まだまだ世の中では年齢=発達という刷り込みが多くあります。
異年齢にすると「横の関わりが大事だろう」と言われることも良くあります。
横の関わりばかりでなく、縦の関わりの方が大事だろうと思うのです。
実際、学校を卒業して以降の人生の大半は異年齢です。

先人からの教えにより、学ばされることは、
それはそれは多いかと思います。子どもにその機会を与えず、
昔からそうだったたからと言って変えることもなく、
そのまま意味を感じずに行うことに何の意味があるのでしょうか。

私自身、自分では器用な方だと思いますが、
器用なだけに何でもやろう、こなそうとしてしまう悪い部分を持ち合わせています。
大人が与えた価値観に合わせて、
どうしたらよく見られるのかという事を子どもながらに身につけたのでしょう。
だから、これまでは周りの意見を聞き入れるということが中々出来ませんでした。
きっと幼少期、学生時代と根拠のない自信にきっと満ち溢れていたのでしょう。
しかし、社会に出るとそうはいきません。どんどん、どんどん、広い世界を知ってしまうのです。
そこで自分だけで行うことの限界も知りました。
今はどうしたらみんなと協力し合うと言う事が出来るのかと必死に学んでいます。

大人が勝手な価値観を刷り込んでしまうと
それを取り返すために、子どもの時に学んだ年月以上に時間がかかってしまいます。

ずっと大人の価値観に合わせて自分の意見を押し殺して黙ってきた子が、
ある日を境に爆発してしまうという痛ましい事件も最近では多く見ます。

その子が悪いのではない、
そうさせてしまった私たち大人の方に責任があるのではないでしょうか。

まずは変わるべきは自分自身なのではないでしょうか

藤森先生も仰っていました
教育とは「子ども自ら発するものを育むもの」と。
教わって育つのではないのですね。

だから○歳になったからと急に教え込むのではないのでしょう
既に0歳から子どもは多くのものを吸収しようと全力です。

私は自らの勝手な思い込みを捨て、
子どものその素直さを守ることが出来るように、
保障される様に関わっていきたいと思います。

自分の様な失敗を子どもたちには繰り返してほしくない。
そのためにも、今は大変なことが多く続きますが、
それは自分が変わり、子どものために、世の中のためになることだと
確信して歩んでいきたいと思います。

                          コンシェルジェ
                          瀬口 拓郎


「エコの繋がり」

2010年7月 1日

こんにちは瀬口です。

カグヤでは「子ども第一主義」を理念に掲げ
自分にとって何が出来るだろうかと考えて行動する様にしていますが
実践というものは忍耐や根気が必要ですし、日ごろの忙しさや怠けてしまうと
あっという間に戻ってしまうから難しいものですね。

社内で環境コーディネータの感化ナビゲートに倣い
ゴミの分別に最近では注意する様に心がけています。

使えるものについては、リサイクル出来ればと思い
近所のリサイクルセンターに週末は散歩も兼ねて
ペットボトルや空き缶などを回収してもらいに行っています。
行ってみると思うのですが、近隣の方が空き缶・空き瓶やら段ボールやら
使えなくなった家具まで持ってきています。

利用している人も多いのだなと思うのですが
よく見てみると、決まった家族の方が来られて
子どもがセンターの方へ一個ずつ丁寧に手渡している姿など
見ているとこちらも何だか顔がほころびます。

そんな方々と挨拶を交わし、センターの方とも挨拶をし
と関わる人が増えれば増える程、行くのが何だか楽しみになり
一つの恒例の習慣と今ではなってきました。

もっと多くの方が気づいて
集まるのが一杯になればより多くの資源が
還元出来るのではと思いますし、より多くの方との繋がりが
出来る嬉しさもあるのではと思いました。

一人でやるのは根気が必要ですし、大変です。
しかし、関わる人が増えるとその中で関係性を
持つ様になると次第に楽しくなってきます。

人は、「関係性の中で育つ生き物」だ
ということを以前お聞きしましたが、関わりあうことの楽しさを
ここでも一つ小さな出来事として、得ることが出来た様に思います。

それには「まず、自分から立ち上がること」ですね。
資源の回収だけにとどまらず、普段の生活の中でも
仕事をする中でも心がけていきたいと思います。

                        コンシェルジェ
                        瀬口 拓郎


「日本を知る」

2010年7月14日

こんにちは瀬口です。

先日、藤森平司先生と行く
2010ドイツ保育環境視察ツアーに参加致しました。

まず言えますことは
本当に素晴らしい機会を下さり、自分の学びとして自分の人生からも
大きな好機を得ることが出来ました。

何を隠そう、、、なんと言っても初めての海外です。

保育園視察も勿論ながら、自分の人生観において、またと無い機会でした。
その機会を藤森先生や、ギビングツリーの会員であり
カグヤとしても「パートナー」の園の先生方とも一緒に参加してのツアーです。
どこから話していいやらと困ってしまうのですが、本当にいい機会を頂きました。

よく園の先生方からも
日本の保育では「子どものために」
という考えはあれど「時間・カリキュラムを優先した保育」
になってしまっているということをお聞きします。
どうすればもっと子ども主体の保育が出来るのかと
日々、議論を交わし合っているのですが
以前からの流れを変えることが出来ず、また、養成学校などでも
ずっとその様に教わってきたからこそ、その考え方、主導方法を
続けるでしか出来ていないと苦悩しています。

そんな悩みや不安の声があり
解決していくために力になりたいと思い、ドイツで学びたく参加致しました。

今回ミュンヘン市の保育園・幼稚園や子ども園などを視察しました。
今回訪問した園はドイツでもその一部だとは思いますが
ドイツの保育のレベルの高さに驚きました。
子どもがやりたいことがやれる様な環境が揃い
子どもが主体的になれる関わりがいくつもありました。
また、いくつかの園ではお部屋が、「●歳児の部屋」ということではなく
実験やアトリエなど「目的別での部屋」になっているという点も興味深いものでした。

ドイツのすごさも勿論ながら
私は藤森先生がなぜ「MIMAMORU保育」を提案しているのか
ということに自分なりに思うところ、気づいたところがありました。

藤森先生が刷り込みでやってしまっていることを見つけて
無駄を省くことでより子ども主体の保育を実現しようとしていることを。

私自身、海外の園を見ることにより
日本の保育においての「一体何で●●を遣り続けているんだろう」
ということを気づくことがありました。

ドイツでやっていることをそのまま持ち込んでも
それは日本で活かすことは出来ないのだと思います。

しかし、「日本の刷り込みに気づくことの出来るキッカケを頂いた」

それが最も収穫なのではという事を思います。

人はどうしても自分だけの狭い世界では気づくことはできません。
以前、クルー日記でも書きましたが、私は人と関わり合うことで
自分の存在に気づくこともあるということを思っています。

今回、
「日本を知るためにも世界を知る。」
そう思えました。

何をどう実践していくのか、正直それはまだ思いつくことができません。
しかし、自分の中での基礎に確実な影響を与えた機会となったということには間違いありません。

ドイツにも課題があり、それに必死になって多くの方が
関わって解決の道を模索し、実践に移していました。

日本でももっと多くの園で関わり合うことにより
改善していくことが必要なのではないかと思います。

そして、日本には日本の素晴らしさがあります。
日本を良くするためにも私たちはもっと外にアンテナを向けて
学ぶべきところは学ぶこと、取り入れるべきところは
取り入れることが必要なのではないでしょうか

自分から行動が出来るように
一つひとつが実を結んで行くことが出来るように
これから歩き始めたいと思います。

今回気づいたこともまた別途お伝え出来ればと思います。
この機会を頂くまでに支えて下さった多くの方に感謝致します。

ありがとうございました。

                          コンシェルジェ
                          瀬口 拓郎


「バースデーピザ」

2010年7月27日

皆様こんにちは、コンシェルジェの瀬口です。

前回のドイツ研修についてご紹介いたしましたが、初めての海外ということは
お伝えした通りですが実は、個人的なことで恐縮ですが
私の30歳の誕生日を迎えた時でもありました。

ツアーに参加する前に、全クルーにより行われる全体会議の場にて
一部、壮行会となり、ドイツに向かうに当たっての意識づけの話もさることながら
その日には社長より、少し早いのですが、バースデーケーキならぬ「バースデーピザ」を頂きました。

社内で作った手作りです。

クルーの好みのルッコラや私も大好きなサラミとチーズ
そしてオリーブも添えられ、野菜がたくさん入ったピザです。
20100727.jpg

誕生日ということを上手く理由にし、一人だけ多く頂きました。

ドイツツアーの最中にも幾度も誕生日を祝って頂きました。
ドイツという国の凄さか、お昼からビールが当然で驚きです。

そして帰国してからはまだその興奮は冷めやらぬ
帰ってきて早々、クルーのみんなより、

「ハッピーポートフォリオ」

を頂きました。
みんなからの温かいメッセージが込められた宝物です。

社長からのメッセージに
「お前の信じるお前を信じろ」
と記されていました。

社長からは自分がつらくなった時など、いつもそう声をかけてくれていました。
困難や苦難は多いもので未熟さ故に失敗を繰り返すことも多く、悔しい思いをしますが
このメッセージをポートフォリオへ込めて下さったことが何より嬉しく思いました。

30歳になってからのこの先の人生
一つ、「実になる事を為す」という目標を立てています。
自分が体験すること、気づいたこと、実践してきた事で
一人でも多くの方に、ほんの少しでもいい、一つのキッカケになればいいと思い
自分の人生を遣っていきたいと思います。

私は幸せ者です。

コンシェルジェ
瀬口 拓郎


「生き生きとした関わりを目指して」

2010年8月 9日

皆様こんにちは、瀬口です。

先日、某番組にて旭山動物園の職員の皆さんの声が放映されていました。

以前、名誉園長である小菅氏の講演を拝聴し、興味を持っていたのですが、
今度はTVにてそこで働く人たちの姿を見ることが出来ました。

思ったより若い方や女性も多く、驚きました。と共に、偏見だったと反省させられます。

職員の方一人ひとりにインタビューを取られ
「眼を見るとすごいかわいいんですよ」
といった声や

バナナの輪切りをチンパンジーに与える方は
「上手く均等にあげれる様に工夫して投げています。それが楽しいですね。」
という方

「風で倒れてしまった枯れ木なんか見ると、
(オジロワシの)止まり木に使えるなどと思って
『これはラッキー』だと思って誰よりも先に拾おうとするんですよね」


「(テナガザルが)頑張ったら何とか餌に手が届く様に仕掛けをする様にしています。」
と動物の持っている個性をより伸ばそうとする方、

施設管理係の方がエゾタンポポを園内全部に咲かせたいという
思いから出来れば動植物園にしていきたい!という自分の夢を持っている方

バスの運転手の方は自分の仕事以上に、自分が見てきた物を
ガイドとして案内したり地域の方がボランティアで協力したりと活気に満ち溢れていました。

小菅氏の視点も興味深いものでしたが、
そこに関わる職員の方一人ひとりが生き生きとした姿があり、
こだわりと専門性を持って取り組もうとする姿が動物園を
活気づかせているのだなということを思いました。

園がすごいのではなく、園長だけがすごいのでもなく、
そこに関わる全ての人が園を良くしよう、来園者の方に
「動物の素晴らしさを知ってもらいたい」など様々な思いを共有し、
互いの個性や特性、アイディアを活かしあった組織づくりが出来ているのですね。

この関係性に学ぶべきところは多いにあるのではないかという事を思いました。

私自身、会社の理念があり、方針がある。
方針を見ることも大事ですが、指示された事や業務を何とか
こなそうという余りに遣ることが目的になってしまって、何か新しい物を
創りだそうということや自分の夢の実現などへ意識が
中々持ちづらかったのではないかと思います。

理念に沿って遣りたいことが遣れる環境が在り、
その環境を多いに利用・活用し本当に子どもたちのためになる様な関わり方をしていきたい。

そう改めて思いました。

大事なことを忘れてしまっていた様にも思います。

本当に遣りたいことが何なのか、自分という人間をより有効に世の中のために
活用していける様な自分の使い方をしていきたいと思います。

旭山動物園にはいつか自分の足で一度行ってみたいとより思える様になりました。

コンシェルジェ
瀬口拓郎


「縁(園)の繋がり」

2010年8月20日

皆様、こんにちは。カグヤの瀬口です。

先日、とある鹿児島のお客さまでの出来ごとです。

実は、兼ねてより見守る保育を進めていくに当たり、副園長先生からはご相談頂き、微力ながらもお力添えし、園では実践を深めていらっしゃいました。

以前、そちらの園の副園長へ、「是非ご紹介したい先生が…」と福岡の園の先生をご紹介差し上げたところ、行動力のある方ですぐにも見学に行かれ、園でも実施出来る点を学び、園での実践につなげ、職員さんも交代で見学する様になりました。

新宿せいが保育園の園長、藤森先生も来園され、園内研修を実施して頂き、鹿児島に福岡の先生や、長崎からも先生が駆け付けられ、共に良くしていきたいという思いがあり、互いに協力しあい、ここにその関係性が築けたことが嬉しいものです。

これも鹿児島の先生の行動力があってのことであり、
ただ動いただけでなく、園の職員さんとの協力と、実践があってこそのものです。

元々、福岡の先生も長崎の先生にも私自身、良くして頂いていたこともあり、その先生方をお繋ぎすることが出来、嬉しく思います。

私からも勿論協力しますが、これからもより多くの方との関係性と協働的な環が広がることが出来る様にして頂きたいですね。


その話をしていると、鹿児島の先生からは御礼の言葉を頂き、こんな私に身に余る光栄の思いでした。

お客様あってのコンシェルジェです。

私の方こそありがとうございました。

コンシェルジェ 
瀬口拓郎


「見守ってくれている存在」

2010年9月 1日

こんにちは瀬口です。

皆様、夏休みは如何お過ごしでしたでしょうか?
まだまだ暑さも厳しいですので、体調崩されませぬ様、御気をつけ下さい。

私は夏季休暇を頂き、実家に里帰りをしたところ、空港についたと共に祖母が他界したとの連絡を受け、そのまま通夜から葬儀と慌ただしい日々でした。

祖母は元々体も悪く、入院していたのですが、余りにも突然の出来事に残念さを感じると共に亡くなったことを実感出来ない部分もあります。

幼少期などよく可愛がってもらっていたことも勿論ですが、年始など挨拶に行くといつも「良く来てくれたね」と満面の笑みをこぼし、迎えてくれ、今振り返ると遠くからいつも見守ってくれていて、今こうして自分があるのも両親の御蔭であり、両祖父母の御蔭でもあるということを思います。

葬儀を受けて下さったお寺さんのご住職より、こんな言葉を頂きました。
「皆様、最近では忙しいとか時間が無いと、周りのことにばかり眼を向けがちですが、どうかこのときだけはそのスイッチを一つ切り替えて自分を振り返るということを為さって故人のこと、家族やご親戚のこと、そして自分を振り返る時間としてお使い下さい。」

お恥ずかしながらこういう時でないと中々親戚一同が集まるという機会も無く、小さい頃は良くお会いしたのにも関わらず10年振りにお会いする方もあり、と、親戚づきあいもままならなくなっている自分があるのだと思いました。同じ血を継いでいる親族であり、どうあろうとも自分を迎えて下さる場所があり、自分自身、もっと大事にしないといけないということを考えさせられる機会を祖母より頂いた様に思いました。

コンシェルジェ
瀬口拓郎


「自分に矢印」

2010年9月10日

最近、自分にとって上手くいかない時等、
「自分がそうさせているのだ」と思える事がありました。

周りを変えようと思っていても変えることなど出来ない。
変えたいのであれば自分が変わるしかない

言われているのは自分がそうしてほしい、そうしたいからである。
それは「周りから言って頂いているのだ」いうことを思えます。

自分にとって不満に感じることも
思うことが在るのは自分もそれを直したいからであり、
自分が気づいていないからこそ言って頂いているのです。

変えようと思っていても
意識していないと普段の自分が出てしまって結局は失敗の繰り返し、
これを直そうとしているのであり、周りの方からは言って頂いているのです。

全ては自分がそうさせてしまっているものであり、
自分の行いを変えなければ変わらない。

言うは易し、するは難し
だからこそ行動に移すこと

自分に矢印を向けて、自分を奮い立たせて実施したい。
自分が変わらなければ何も変わらない
一つひとつの行動が変わっていける様に行動に移していくことを考えていきたいと
思います。

コンシェルジェ
瀬口拓郎


「決める力」

2010年9月22日

こんにちは瀬口です。
ようやく暑さもひと越えし、幾分かは涼しさを感じることが出来る様になってきました。
この移り変わるという時期、瞬間は五感も敏感になり、忘れていた何かを思い出す様な感覚を覚えます。

先日、園で先生と話をしていた時のお話です。
「子どもが何かを遣ろうとした時に、大人はついつい、これはこうしたらもっと出来るなど子どものやりたいことが遣り切る前に、中断されてしまい、大人は先にいい方法を知っているのでつい子どものためにと思って先に動いてしまい、中々「待つ」ということが出来ないのですね」と仰っていました。
大事なことは子どもがやりたいことを思い切り、遣らせてあげることだということを、園の先生方と話をしていました。

自分自身を振り返ると自分で決めて、自分で遣り切るということが、出来ているだろうか、やりたいことが合っても中々実現出来ず、出来ないこともありますが、その逆境の中でも通そうとすることが出来ているだろうか、そう考えると、まだまだ自分自身では出来ていない部分が多く、すぐに折れてしまう、泣きを見てしまうことも多く、とても「自分で遣り切る」とは言い難い思いをしています。

自分で決めてそれを遣り通す。
自分の生き方に正直に生きる。

大人になったとしても「自分で決める」ということの難しさを今まさに感じております。
自分で決めて、決めたことに対して責任を持つということ。それは、誰かのせいでもなく、自分の生き方であり、自分が守らなければいけないもの。

私が聞き、見てきた諸外国での保育の在り方としては「自分で決める」という力を幼児期のうちにまず身につけるということが感じられました。

生きていく上で必要な力であり、一つひとつの細かなことから長期的な視野までこの「決める」ということは人生の中で最も大事な力の一つなのでしょう。

一つひとつを決めて、責任を以て行動出来るように取り組み、その力を自身が得ることで同じ様に困っている人たちの道しるべになれればと思い、そのためにも今、自分がこうして学ぶ機会を頂いているのだと思って一つひとつを味わっていきたいと思います。

コンシェルジェ
瀬口拓郎


循環する生き方

2010年10月 4日

カグヤの理念の中にロハスな生き方をするということがありますが
その中で一つ、玄米を食べる様にしています。
身体にいいことは勿論ですが、環境にも良いからこそ実施しています。

皆さんは白米の場合の米のとぎ汁が環境に悪影響を及ぼすということは
ご存知でしょうか?

私はそのことが分かっているためにそのまま排水溝には流さず、別途利用する様にしています。

米のとぎ汁は水に溶けだし、ヌカが出ます。
そしてこの中で出てきた沈殿物が悪影響があります。

先日白米を頂いたので実際に試してみました

100920_2219~01.jpg
米のとぎ汁を一晩置いておいた状態

この白い沈殿物が川や海に流れると、ヘドロになり、水質汚染の原因になります。
そして栄養価が高いために、プランクトンの発生原因ともなり、水質汚染の
原因にもなってしまう様です。海洋汚染の一番の原因は米のとぎ汁だというから
驚きです。

家庭から出るヌカは推定で年間40万トンにもなるそうです。

だから無洗米という商品が開発された様です。
手間を省くという理由だけではないのですね。

しかし、悪いからといってそれが全て悪なのかと考えるとそうではありません
ぬかだって再利用することを考えると、
いろんなことに活用できます。

無洗米工場では取りだしたぬかを畜産や農業用の飼料として活用しているそうです。

私は部屋の植物の水やりに使用しています。
入浴剤や洗顔にもいいと聞きます。

悪いものとはその環境や場面だからこそ悪く、
必要なものが必要な場所に活用されると良いものに変わるのですね。

善悪で切り分けるのではなく、全てのものが活かし活かされる様に、循環することが
今の社会には必要な考えではないかと思います。

知らず知らずに遣ってしまっているよく無い事も沢山あります。
それは人と人との関係においても言える事。
だからこそ、お互いが活かし合える関係になるためにも自分の遣い方、活かし方を
改善して一つひとつ取り組んでいけるようにしていきたいと思います。

コンシェルジェ
瀬口拓郎


「正直さ」

2010年10月14日

皆さんこんにちは瀬口です。
最近、正直に話すということで考えさせられることがありました。

自分の意見があっても中々その本心を語ることが出来ない。
自分の中に答えがあってもそれが本当に答えなのか気づけていないし、
自分の考えを通すことが中々出来ない。

それは自分の本心を言わず、表面だけを伝えようとして
相手に分かってもらおうとしているのですね。

全てを言わず相手に理解してもらおうということは相手に甘えてしまっている
のではということに気付く機会がありました。

相手の表面を見て話をしているということはきっと、自分自身も表面の姿でしか
見せることが出来ていないのではということを思います。

しかし、自分の本当の思いを表現するには
自分が本気で素直になるということを考えさせられました。

世間体というか…周りの評価・印象ばかりを気にしているのでしょう
自分の中で「これが正しい」と勝手に線引きをしている部分もあるのだと思います。

しかし、違いは違いであって、間違いではない。
自分の考えをしっかりと正直に話すことが出来ないと人と人とのコミュニケーションにおいても溝を創ってしまうのではと思います。
自分だけでいっぱいにならずに誰か人のためにお役に立てることが出来るのであれば
それでいいじゃないかと思うと自分が何に恐れをなしているのかと思うと疑問を感じてしまいました。

子どもは素直です。
その素直さがいつまでも維持出来る様な社会が出来るようにまずは自分がモデルになることが出来るように表現していきたいと思います。


コンシェルジェ
瀬口拓郎


「協働の実感」

2010年10月25日

皆さんこんにちはカグヤの瀬口です。
秋雨前線が徐々に勢力を抑えつつある中、気温も変化に富む日々が続きますが、皆様体調など崩されていませんでしょうか

先日、オランダのアースゲーム社より、アナマイケ様が来日され、新宿せいが保育園や鞍馬山保育園にてワークショップを行いました。

最初は子どもたちだけで実施し、椅子取りゲームや、模倣など数々のゲームをこなし、私自身も参加することとなり、その時はクルー数名と共に輪に参加致しました。

他園からの参加者や取材に参加された方も加わり、年齢も性別も職種も本当に様々な方での一つの輪で実施致しました。

お互いで輪になり、互いの足をくっつける程近づき、顔を見合わせ、見渡すと、自分が輪の中の一部になることによって、大人でも子どもでも、男でも女でも何も関係なくなり、輪の中でどう伝えよう、そして、この人はどんなことを考えているのだろうなどの思いがこみ上げてきて、ある意味、自分が会社に属していることの前に、一人の人として参加することが出来た様に思います。

ナビゲート頂いたリヒテルズ直子様より
「日本人は名刺などの肩書きで自分を紹介しようとする傾向があるけれども、
 そんなの本当は関係ないの。
大事なのはその人自身がどうなのかということであって、肩書ではないの。
この体験をもっとして、もっと感じることで協働的になることが大事なのだと思うの」

という言葉を頂き、正に輪の中で感じたことを案内頂きました。

この瞬間には相手の事をどうこう言うのではなく、みんなで一緒に何か一つのものを達成しよう、創り上げようと思えました。リヒテルズさんの言葉は正にその通りであり、自分一人を如何に表現しようとするのではなく、もっと全体の互いが互いを認め合って、協力し合う事の方が価値のあることだということを改めて実感致しました。

そして、何よりそちらの方が楽しい。

自分が気付いたことが、今困っている一人でも多くの子どもたちに伝わることが出来るように、もっと自分から感じて、実践していくことが出来るようにしていきたいと思います。

そうすることで人を区別しない、差別しない、優劣を決めない、もっと協働的で豊かな社会が出来るように変えていきたいですし、今の時代だからこそ変わらなくてはいけないと改めて思いました。

アナマイケさんからもお送りする車中の中でこんなことを仰っていました。
「日本の方は仕事がハードでストレスを抱えて大変な中で仕事をしていて、
中々ゆとりや豊かさを感じる機会がないとお聞きしていて、
そうなのだと思っていました。
しかし、実際にお会いすると多くの場面で歓迎してくれ、楽しませてくれ、
素晴らしい笑顔を交わして下さる。
そんな素敵な方々がいる国なのですね」

アナマイケさんにとっても貴重な体験だったとのことをお聞きし、お互いに学び合うことが出来たことが嬉しく思います。

この機会を与えて下さった多くの方に感謝致します。

コンシェルジェ
瀬口拓郎


「本当に守りたいもの」

2010年11月 4日

先日、とある場所での園内研修にて、理念を一人ひとりがどの様に実践していくのかという話を深めあう機会がありました。

カグヤでは「子ども第一主義」の理念を大事にしており、そのために数々の実践がありますが、理念を大事にしていくためには自分自身で、チームで守らないといけないことはたくさんあります。それはみんなで「価値」を大事にしているからなのだと思います。

皆さんには守らないといけないものとはどんなものがありますか?

個人では家族、友人、同僚、子どもたちと守らないといけないものはそれぞれあるかと思います。人によっては富、名誉、誇りなどのものもあるかもしれません。

集団ではどうでしょうか。規律・規範、思想、価値観など個人という一人間を越えたところでの考えがあるのではと思います。

勿論、「守りたい」と思っても様々な障害から中々守り切ることが出来ないこともあります。
しかし、自分の中で決めた「生き方」だけは守らなくてはいけないのではということを今、思います。まだ齢三十の若輩者であり、学び続けている最中でもあることから一つひとつが変わっていますが、変化を楽しんでいきたいと思います。

一度決めたことを実施していたとしてもその都度、見直しを図っていないとその時に大事にしていたものが見えなくなってしまうことがあります。時と状況は常に変わり続けているものです。

遣り方に固執するのではなく、自分の本当に大事にしたい思いに正直で柔軟な自分であることが出来るように気をつけていきたいですね。

まだまだ出来ていないことが多いです。遣りたいと思っていても出来ないことが多く、いつも葛藤し、悩み、落ち込むことも、傷つくこともあります。しかし、本当になりたい自分を目指すためには自分から変わり続ける必要があり、自分から掴む思いで前に進まなくてはいけないと思っています。自分が変わることで周りへ明かりを灯すことが出来ればいいではないか。と。

だからこそ、今日も一日どう変わるのかを楽しんでやっていきたいと思います。

コンシェルジェ
瀬口拓郎


「課題と向き合う」

2010年11月15日

皆さんこんにちは瀬口です
最近ではめっきり寒くなりましたね。
遅かったのですがつい先日ようやく衣替えを致しました。

さて、
最近、仕事をしていく中でずっと抱えていた迷いと
向き合うべき時がありました。

これまでは何か大変な事があった時、自分を卑下し、周りのせいにばかり、
環境のせいにばかりしてしまっていました。
体力的にも精神的にも余裕がある訳ではありませんでした。

何より枯渇していたのは自分自身の可能性を信じることであり、
最大の悪因が自分が誰かから認められたいということだった様に思います。

こう言葉で書くと、恥ずかしい限りでそうだったのかとも
疑いたくなってしまうのですが、素直に見つめ直すと、多少の大小あれど
本質はそうだったように思います。

しかし、数々の困難、艱難もありましたが、今思うことが、他人から
どう云われようとも、自分の信じた道を往こうと思うという事。

一度しかない人生
楽しまなければ損であり、


自分を産んでくれた両親にも恥ずかしく、申し訳ないと思うのです。

だからこそ、
「いついかなる時も前を向いて、一歩でも前へ進む事」

そう自分の中でも大事にする事が、見つかりました。

そう決めたのです。

決めた瞬間、周りの見渡す環境が変わりました。
決めた事で世界が変わりました。

周りの環境は今まではある種、全て自分の外敵かとさえ思ったこともありました。
クルーには申し訳ないのですが表には出ずとも自分の中でそう感じていたことも
在る様に思えるのです。

今という時間を過ごす事が自分の中でも苦痛でしかありませんでした。
どれだけの信頼を得ても、感謝の言葉を受けても、自分自身が
受け止めることができませんでした。

自分の中にあった葛藤をどう処理していいのかが分からず、
ただひたすらに鬱蒼とせざるを得なかったのです。

しかし、自分で決めたからこそ、これからの「今」を大事に生きて
いこうと思いました。


これからは次の課題です。
自分の思ったことも勿論ですが、これからやりたい事をどう具現化
していくのか、どう実践に移していくのか

ここからが新たな始まりなのです。

勿論自分の中にある課題とはその時、その段階において、様々なこと
があるでしょう。これからも確実にまた向き合うべき時がくるでしょう。

その課題を楽しんで受け容れることが出来るように、自分の中で
決めたことを大事にとどめて、自分の感じた思いをここに綴らせて
頂きます。

今この記事を読んで下さることにお付き合い頂いた方へ

大変なことがあろうとも、どう仕様も無い事が起ころうとも、
決して自分を粗末にせず、自分を大事にして下さい。
そして、世の中に必要だからこそ、あなたの存在があるのです。

世の中に必要じゃない人間は一人としていない。

それぞれの個性が詰められた種が芽を出して、花開くまでを

今、個性を尊重されず、「世の中のルールだから」と押しつけられて
育ってしまう子どもたちが多い時代です。

そんなことはやっていないと思っても大人がルールだからと、
子どもに教えてしまうとその子の本当のやりたいことが一生、日の目を
浴びることも無い様になってしまうこともあり得るのです。

一人ひとりの個性を大事に、信じて見守る「見守る保育」は
子どもだけでなく一人の人間として見ていくためにも必要なのだと思います。

子どもの持つ無限の可能性

その可能性を大事に見守っていく事で良き将来、未来へと変わっていく
ことが出来るように、私は自分が実践していくことで伝えていきたいと思います。

長くなってしまいました。
一人ひとりにある自分の信念、たとえ今は見えなくても必ずあるものであり、
一人の人間として大事にしていきたいと思います。


コンシェルジェ
瀬口拓郎


「見守る教育体制」

2010年11月25日

皆さんこんにちは瀬口です。
カグヤでは園内においての見守る保育を実践する環境をご提案しておりますが、
その実践は園の子どもたちに向けてではなく、大人に向けても同様です。

そのために見守る保育を実施するために自分たちからも見守るを実践しています。

カグヤでは教えるということについても自身が自立するための環境を用意され、
自分で自立するということを求められます。

何事も自分で決めないといけない。
それは見つからない時には厳しいのかもしれません。
しかし、本当に自分で決めた事でないと自分で責任を取るという事が
出来なくなってしまい、誰か他人に依存してしまう様になり、会社にも
お客様にも迷惑をかけてしまう様に為ってしまうからです。

教え手側にとっても、教えるという立場での見守るを実践しなくてはいけません。
教えるということが目的になってしまうと、教えることで自己満足してしまい、
本当に相手の成長を信じて見守るということとは言えなくなってしまいます。

過保護、過干渉とは一つ、自分の依存からくる自己満足なのではということ
なのかもしれません。

カグヤでは見守る保育を実践しています。

見守るとは誰よりも信じる事ということも一つ含まれています。

自分が相手に対してどれだけ信じることが出来ただろうかと考えさせられます。

自分が教えて頂く時に当然、厳しく言って頂くこともありますが、
それは厳しさの中にある優しさを自分がどれだけ受け取ることが出来ただろうか
と考えるのです。
受ける時の自分が相手を信じること、信じ切るということも大切だと思うのです。

様々な場面に応じて教え手側と受け手側と入れ替わるのですが、
それは行う時も頂く時も同じく「見守る」を自分で実践します。

「見守る」を行うし、「見守られている」ということを実感すること。

見守られているのだからこそ、自身が自立することを大事にし、
自分から変わり続ける姿勢をも持ち続けることが大事なのではと思います。

誰も同じ人間になることは出来ない、その個性が立つことにより、
お互い、自分にしか出来ないことで共に働きかけ、一丸となって目標・夢を
達成出来るように挑んでいきたいと思います。

コンシェルジェ
瀬口拓郎


「行動しなければ変わらない」

2010年12月 6日

先日クルーの誕生日にて企画を行い、実施致しました。
誕生日にはいつもクルーのみんなから
「ハッピーポートフォリオ」
を送る様にして、クルーへの日ごろからの感謝や素敵だと尊敬している
ところなど普段から感じていることなどをメッセージや装飾を通して
伝えるようにしています。

毎回、みんなの内容がレベルアップしていくのでそれを見ていくのは
本当に愉しみです。

自分の誕生日でなくても、
それぞれどんなことを感じているのか、
それぞれどんなことを表現しているのか
そしてどんな仕掛けをしているのか
多種多様でそれぞれの個性溢れるものが詰まっていて本当に面白いです。

しかし、いつも上手くいっているということでもありません。
私たちも実践を維持するために大変な意識と関わりが必要です。

現に前回の誕生日には間に合わせることが出来なかったこともありました。
仕事が忙しいと自分が優先され、自己の勝手な判断で
みんなで時間を合わせることが上手くいかず
お互いが足を引っ張り合ってしまう結果にもなってしまったのです。

だからこそ、と考えさせられました
本当にそれでいいのだろうか
一体何のために、この企画を実施したのか

改めて考えさせられました。
変わらず今回も「どうしようか」と投げ込むクルーがいるにも関わらず、
誰かやるだろう、後で考えることとしよう、などそれぞれ理由をつけては
忙しくて中々見向きもしない者もいる

こんなことも起きてしまっていたのです。
もっとそれぞれが主体的に関わり合える関係が必要であり、受け身であると
いいものも生まれない。

その中で自分は何を大事にするのか

カグヤの理念を大事にするためにも横のつながり、
信頼関係が大事です。

何よりも自らという一人ひとりの発念者が必要であり、
自分が何をするのか、外部に発信し、行動に移せないと変わらない

変わるためにはどんな形でもアウトプットしていかなくてはいけないのだと
思います。

言行一致の実践が出来ないとそれは何もやっていないこと。

乗り越えるべき課題はたくさんあります。
しかし、乗り越えなくては進まないし、変わりません。

自分を変えるということは確かに大変です。
今までの自分を裏切らなくてはいけません。
いつまでも今の自分に安住するのではなく、変わり続ける方を自分は
選択していきたいと思っています。

今回のことだけでなく、色んな場面で今回の様なことが起きてしまうかも
しれませんが、気付いたからこそ、互いで声を掛け合い、自分達で守りたい
理念を大事にすることを自らの行動によって、表現し、実践していくことを
大事にしていきたいと思います。


コンシェルジェ
瀬口拓郎


「みんな」と「一緒」

2010年12月15日

こんにちはカグヤの瀬口です。

カグヤでは少数なこともあり、一人で仕事を進めていては
力及ばずなところもあり、引き籠ってしまうことにも為ります。

関わり合い、チームとして達成することを大事にしていますが、
また新たな課題に直面致しました。

関わり合ってみんなで解決していくということが大事であることは
思っていたのですが、意見がまとまらず、解決案も定まらないことが続き、

その点を先日の全体会議にて社長より指摘して頂き、
全員が気付かされた様に思います。

『「みんなで」と「一緒に」は違うのだ』

ということを教えて頂きました。
まさしくその通りであり、
次第にみんなで集まることが主になって解決するということが
疎かになってしまっていたのです。

私自身もみんなで集まるということで解決出来ていない事を「みんな」という
集団に対して責任転嫁してしまっていた様に思います。

みんなでやるからと言い訳にせず自分一人でもやる覚悟がなければ、
そもそも人に甘えようとしていることがあると
原点からズレていた様に思います

「共同」と「協働」で違う様に、
共に同じになるのではなく、協力し合って、働きかけるという一人ひとりの
奮起する意志が何よりも大事なのではと感じました。

各々が本気で自分自身が解決するのだという問題や課題を自分の
ものとして考えて臨む事

そして

仲間を信じてさえいれば
そこには必ず一人ひとりが立ちあがり、
全員で織り成すハーモニーが出来るのだと思います。

まずは自分自身の内からこみ上げる思いで踏み出すことを
大事していきたいと思います。

また一つ学ぶ機会を頂きました一人で仕事をしていたら今回の様な気づきを得る
ことは出来ませんでした。この場があり、仲間がいるからこそ、また一つ新しい
課題に直面したのです。
このことに感謝し、糧にしてまた一つ段階を超えていける様に挑みたいと思います。

コンシェルジェ
瀬口拓郎



「自分らしく」

2010年12月27日

カグヤの社内では、解決しないといけない問題が起きた時や、
困った時などに皆が集まって、解決にむけるためや深め合うための機会として
「JAM会議」というものを実施しています。

先日、社内での会議にて会社の課題、各自の課題について話し合う機会がありました。

お互いが仕事に没頭し、自分に余裕が無くなってしまうと、周りの人たちのことや
会社が自分にして頂いていること、支えて下さっているお客様のことなど、数多における
恩恵を感じることが出来なくなってしまう時があります。

そうしてしまうと、様々な言い訳や事情を理由に一緒に決めた約束を守ることが出来ず、
次第に、職場の雰囲気も悪くなってしまいます。

普段からの仲が良くても、信頼が出来ていないという不自然な関係が生まれてしまうのです。

信頼とはどういうことでしょうか

自分が相手の事を認めるということでしょうか

自分が相手に委ねることが出来るかということでしょうか

恥や外聞、遠慮、見栄などが自分の表面を覆う余計なものがあると、周りの世界も
色眼鏡で見てしまう様なことが起き、純粋に物事を見ることが出来なくなってしまうのです。

ふと考えなおすと色んなことが込みあがってきます。

「こんなことして頂いたな」
「こんなに支えてくれているな」
「こんなに信じてくれてるんだな」

しかし、自分が斜めに見てしまうと、その素直な気持ちを表現することも出来ません。
自分の感じた感謝を素直に返していくが出来なくなってしまうのです。

このままでいいのでしょうか
本当は出したかった素直な気持ちを後になって後悔することも少なくありません。

多くの園をお邪魔する中で関係性ということで同じ様に悩んでいる方の話もお聞きします。
私たち大人はこれまでの体験や教育の中で、それほど、何かに刷り込まれてしまって
いる様です。

もっと互いが互いを信じて認め合い、自身を委ね合える様にまずは自分からも変えて
行くために、試行錯誤しながらも実践し続けたいと思います。

そして、自分の体験を通して気付いたことを同じ様に悩む方へお伝え出来ればと思います。

子どもは正直です。
誰が来ようが変わらない素のままの姿がそこにある様に思います。
その子どもたちに対して自分が偽っていては子どもも不信感を抱いてしまうのでは
ないかと思うのです。

ありのままの自分らしさというものをもっと表現出来る様にありたいものです。

コンシェルジェ
瀬口拓郎


「自身にある課題2011」

2011年1月13日

皆様こんにちはカグヤの瀬口です。

新年明けましておめでとうございます。
本年も誠によろしくお願いいたします。

昨年は数年続いた集大成の様な怒涛の一年であり、これまで自分自身が
向き合いきれなかったツケが回ってきた様に思います。

知識やスキルで乗り越える、補うことがかろうじてできていても
本質で生きる人や生き様で語る人には到底及ばないと、そう実感することが
多かったのです。

人生に向き合うと言っても、大変だ大変だと喚き、嘆くばかりが向き合うという
ことでもありません。

本当に自分ではどう仕様も無い事が身に降りかかってしまうのだということを
まだまだ若輩の身ではありますが、感じる機会に巡り合えたのです。

その時には自分の小ささを実感することとなりました。

きっと自分は今ある環境の中では何でも出来ると、そう勝手に思い込んでいたのでしょう。

それが
傲慢というのですね。

自分の目先の能力に甘んじて、本当に向き合わないといけないことや本当に大事に
しないといけなかった事などを疎かにして、成長があるはずもありません。


まして、人と人を繋ぐ、保育の世界に生きる立場であればなおさらの事。

自分を過信せず、過大評価もせず、
何とか認めてもらおうというよりは、自分の出来ること、出来ないことを素直に認めて
出来ないのであれば協力を求める。

人は一人で生きてはいけないのであるからこそ、自らの身を持って証明していきたいと

そう思います。

2011年、、、、自分に素直になれる様に、そして、正直に生きることが出来るように、
今まで持ってしまったプライドを捨てて、素のままの自分であることが出来るように、
取り組みたいと思います。

きっとその方が人間らしくあれるのではと思い、今年の目標としたいと思います。

皆様との関わり合いの中で多くの気付きや学びを頂いていることを本当に感謝しております。

自分自身が成長することでお返し出来ればと思い、精進していきたいと思います。

さらなる課題な困難も起きることでしょう。

しかし、それは自分にとって必要なことであり、大事に、味わっていきたいと思います。

改めてとなりますが、
本年もよろしくお願いいたします。


コンシェルジェ
瀬口拓郎



仕事以前のマナー

2011年1月24日

ここ最近では社内ではマナーという課題が特に取り上げられています。
お恥ずかしながら勉強していくと知らなかったことや気付かなかったこと
など多いものです。

会社や組織・団体の規模において求められるものも
当然ながら大きく為ります。

今までは良かったことも今となっては良くないことに…

それは周囲から期待されていることの大きさなのかも知れません。

規模が変わり、また、より、組織の信念や理念が明確に為ると
必然的に見合うためのスキルが必要になってきます。

ここでいう規模とは単に大きさや数ではなく、
【価値観】なのでしょう。

仕事を行うにも
思いだけでなく、当然技術が必要に為り、
技術の前にも礼儀が必要なのですね。

組織に属している身ならば当然求められます。


皆様は如何でしょうか?

経営者の方が「世の中を変えていくための施設にする」ということであれば
今まで曖昧にしていた部分も見直す必要性が出てくるのかも知れません。

何を変えるかは何を目指すか次第で変わるでしょう。


カグヤは【子ども第一主義】の理念の下、
世の中を変えていくために保育・教育を変えていくことを
大事としています。


そこに携わらせて頂いているからこそ、見合う人物に為らなくてはいけないのですね。


人と人が関わる場所であるからこそ、当然マナーとは何なのかを
理解し、もっともっと学んでいきたいと思います。


よく諸先輩方から「何事も基礎が大事だ」

ということをお聞きしますが、本当に大事だなということを
30にして今、ようやく実感しております。

今までは我武者羅に自分都合で覚えてきたことも
一度基礎から覚え直さなくてはいけません。


今後、どの様に気付き、成長していくのか

そのことも楽しみながら実践していきたいと思います

このテーマはまた別の機会にも随時綴らせて頂ければと思います。

コンシェルジェ
瀬口拓郎


学ぶことの意味

2011年2月 2日

仕事を通して、各界の実に多くの方とお会いすると、
様々なことを知る機会があり、学ばされる機会を頂いております。
全国の園を伺うとそれぞれに道を志している方々ともお会いします。

その様な方々に共通して言えることは本当に自分らしさというものを
大事にし、素直で謙虚な方が多い様に思います。

何のために遣っているかということが一本、芯が通っているのです。

その様な方の話をお聞きすると、本当にシンプルで余計なものが無く
伝わりやすい言葉や思いで溢れたことが多いです。

一つひとつの出会いを頂いていると思うと本当に感謝です。
会わなければ一生会わないままであった方も多くあると思います。
しかし出会えたこともそれも天の計らいかも知れません。

出会いから学び、そして自分を成長させるキッカケとなります。
学んでしまうと学びに持っていかれ知識編重となってしまうことも
あります。

学ぶということはいけないことなのでしょうか

心を落ち着かせ、純粋な気持ちになった時に感じること
それはやはり、人の気持ちが荒んだ時代だからこそ、変わってほしい
という願いから来るものかと自分では思います。

それは野望なのでしょうか
それはエゴなのでしょうか

分からないことはまだまだ多くあります。

しかし、多くのことを学び、是を世に還元していくことで
受けた御恩を、返していきたい。

だからこそこれからも学び続けたいと思います。

感謝して、今度は返謝していきたい

自分の感情に振り回されず、驕らず、自分の芯に問いかけ続け、
仕事を通して世の中の不条理を正していくことが出来ればと思います。

その責任を任されている事に意識しないといけません。
為すべき事に仕えるからこそ、仕事と言いますが、難しいものです。
自分ではまだその意味が分かり得ていない部分が多くあります。

まだまだ若輩な身です。
学ぶべきことは無数にあります。

しかし、それも世界で堂々と渡り合うにたり得る人物となり、
世の中を変えていける様に為るために必要なこと。

子どもを救って、世界を救える様に
刷り込みに負けず、信じるということをもっと理解し、
自分を変え続けることで世の中を、子どもたちを
救うことが出来ればとい思います。


コンシェルジェ
瀬口拓郎


周囲との調和

2011年2月14日

こんにちはカグヤの瀬口です。
2月に入り、寒い日が続きますが体調管理など如何ですか?

社内でも風邪が流行り、日ごろの予防の大事さを考えさせ
られます。

予防するということは自分を律するという自己管理が出来ている
ということなのかもしれませんね

何かを言い訳にして流してしまわない様に喝を入れたいと
思います。


今回は、先日伺ったコンサルティングの現場にて起きた出来事を通して
感じたことを綴りたいと思います。

その時の研修テーマは

「チームのために自分を活かす」

というものでした。

カグヤでも大事にしていることであり、また、課題とも
していることなのですが、

実施した先生方の姿から改めて自分を見つめ直して
振返ると感じるものがありました。

その研修では様々なアクティビティを通し、

「自分勝手に進めるのではなく、みんなで相談して進める」

というルールを課していたのですが、
中には先生方御自身の能力に自信を持っていたために
ホイホイと何も相談せずに進めてしまう

そんな場面もありました。


仕事に慣れてくるとついついとやってしまいますよね。
知っているからと何でもやってしまう。

自分の手の届く範囲であればまだ気付けないのかも知れません


しかし、、、、


もし、善かれと思って進めていたことが
突然自分の範囲を超えた、トンデモ無いことが起きた時、、、


皆さんだとどうしますか?
また、その時はどんな気持ちですか?


不安になったり、焦ったりして
周囲に相談するのかも知れません


しかし、その時、周りはどんな気持ちになるでしょうか?
 
何でそんなことが起きているのだと周囲を驚かせてしまうことに
なりますよね

不安をぶつけてしまうと却って周りをも不安の渦に巻き込んでしまう
かもしれません


取り返しのつくことだったとしたら
「しょうが無いか」「何とかしよう」
と周囲も穏便に協力するかも知れません。

しかし、
人の生き死にに関わる様な仕事だったとしたら

または、

生き死にとは違うが同等の価値のある仕事だったとしたら、、、

保育という世界は
子どもの一生を左右するとても価値があり、責任のある仕事だと
思います。

自分の何気ない一言や素振りが子どもの一生を左右することも
あり得ないことではありません。


カグヤは何よりも価値を重んじた会社です。

カグヤが何を大事にして何を優先するのかを考えた時、

【理念】

から考えると

自分の考えなど到底及ばない程の意味が込められているのだと
感じます。

理念を通して多くの人が関わり、会社の創設時の社員や支えて下さった
パートナー企業の方々、全国のお客様、そして多くの気付きを与えて
くれている子どもたちがいて今日のカグヤがあり、そこに自分も確かに
存在しているのです。

長い歴史と、深い思いがあり作られたもの

そうであるからこそ自分一人の理解度で収めてしまおうなどとは
思わず、周囲との調和を大事にして、確認しあい、進めていくことを
大事にしたいと思います。

コンシェルジェ
瀬口拓郎


大学の道

2011年2月22日

先日、致知出版社の新春セミナーへ参加致しました。

月刊誌「致知」を愛読される方々の参加とあって、会場も何とも言えぬ
熱気と信念に満ちた空気が漂っており、緊張すると共にワクワク感が
隠せませんでした。

例年参加させて頂いておりますが、昨年よりも参加者も確実に増えている
ことが見受けられ、人間学を学ぼうとする人が増えることに一種の喜びと
期待があり、笑みもこぼれてしまうのです。

伊與田覚氏による大学の素読についての講演を拝聴した中では
大学という書物に対しての理解が深まると共に、感動する体験がありました。

中国の古典にある四書五経の内の一つ「大学」

講演会場全員での素読を実施し、伊與田先生に続けて声を出して
大学を読むということもまた新鮮でした。
見て学ぶだけではなく、実際に声に出すことで感じることも全く違ったものに
なってきます。

何千、何万、何十万の人が触れてきたであろう、古典に触れることで
普段見落としてしまっていた、忘れてきてしまっていた「何か」を
呼び起こす様な感覚さえ覚えます。

記されている単語などは難しい言葉が出てきますが、意味はシンプルで無駄がない
今の結果主義な考えからはおよそ離れた原理原則に則ったものではないかと思います。

参加された来場の方はおそらく、社内木鶏も実施しているでしょう、
地域の木鶏クラブに参加されている方もいるでしょう
その方々による会場全体での大学の素読ということでしたので
一層感慨深いものがありました。

大学は畏れながら言うと
「大人(たいじん)となるための学問」
大人(たいじん)とは人間らしい、立派な人という意味です。

大人となるために学ぶことも勿論ではありますが、
大人は他に良い影響を及ぼす人だと説明して下さいました。

いつの間にか自分が学ぶことが主になってしまって、
周りへの影響や何のために学ぶのかという事に改めて気付かされる始末…
自分が成長することで世の中の貢献へ繋げていければと思っていますが、
そんな自分も世の中によって生かされている存在。

その生かされていることに感謝することの方が先ではないのか

と、
考えさせられます。

大学の一文にある
「大学の道は明徳を明らかにするにあり」
立派な人となるためには素直さと実行力を持って、歩むことだと
いうことを学びました。

学びも勿論ですが自分に振返り、自覚を持って自分から行動を
変えていくことが大事ということではないかと思います。

身の回りにもまだまだ自分を覆い尽くす卑しい自分が沢山あります。
恥やプライド、傲慢さ…
挙げだすとキリが無いですが、そんな自分を受け容れて自分が
変わっていくことに力を入れて、正面から受けていきたいと
思います。

大学の素読は社内でも実践することとなり、毎朝の朝サミットの中で
週に一度曜日を設けて行うこととなりました。

社内でどの様に深めていくのか
また新たな楽しみが増えました。
大変なことは勿論ですが、課題と向き合うこと、
そうし合える仲間がいる事に感謝です。

コンシェルジェ
瀬口拓郎


「遠慮からの脱却」

2011年3月 2日

こんにちは瀬口です。
先日、カグヤのリブランディング会議を行い、
自分達の目指す会社像を改めて話し合ったところ、
理想は掲げていくが本当に実現出来るのかと、
このままではお互い出来ないことに課題がありました。

どうして、お互い目指したいものがあり、共通しているのに
出来ない…

是は一体どうしてなのかと考えたところ、

先日の会議の中でお互いをもっと深く知ろうということもあり、

「よし、合宿だ!!」

と意気込み、お互いをより知るための合宿を実施してきました。

様々なアクティビティを通してもっとお互いのことを知ることで、
本当の自分を互いに知るということが出来ればと考えたのです。

実施にはバーベキューや釣り、そして由緒ある旅館に宿泊など、
自然と歴史に触れて、仕事の中でのお互いの感情を消化していきました。

合宿の中でもルールがあります

「素直じゃない者はその場で帰れ!」
…と厳しいものです。
本当にその場で帰らないといけないのですから

人は過去のトラウマや自然に出来た感情の柵の様なものを持って
接してしまいますが、自分から取り払う勇気も必要です。

よく世間では「プライベートのことは...」とそれ以上の踏み込みを
拒む風潮がありますが、
最初から遠慮した関係でどれだけ本気に取り組めるのだろうかと思うのです。

それは自分で限界を定めていることにも近いのだと思います。
120%を追い求めるのではなく、80%を求めるのであれば80%でしか
結果を出すことは出来ない。

よくよく考えると、人生という時間の中で大半を占めるのは仕事であり
その一番使う機会の中で遠慮をしていては本当に在る自分の能力や個性というものを
発揮出来ないのではないでしょうか

仕事を通して人間としての成長が在るかと思いますが、その仕事の場で自分を
偽っていたり、隠していたりする様では上手くいかないということは
本当にその通りだなと思います。

ふと振り返っても出し合える仲間がいるとどれだけ幸せなのだろうかと思います。

遠慮が無ければ仕事の中でも遠慮が無くなり、互いに素直に言いたいことが
言える。遠慮によって発生してしまう損失というものは目に見えないですが、
きっと計り知れないものがあるかと思います。

目先の結果ではなく、人との繋がりの部分である思いやりの方にあると思うのです。

皆さんは
自然体で素のままの、ありのままの自分を出せるという人が
組織の中で一体どれだけいるでしょうか

職場の仲間の事を

親友の様に思う事

家族の様に思う事

それもいいと思うのです。
それぐらい近しい人間として自分が接することが出来、
自分から心を開いて近づくことが出来れば今よりももっと楽しくなってくるのでは
ないでしょうか

どれだけそう思える人が増えていくのかと考えると
増えれば増える分だけ自分を発揮する可能性が拡がるということも考えられるのでは
ないでしょうか

大事なのは一体となって共に助け合い、学び合う関係を築く事
集まったからには理由があり、出会いは偶然でなくて必然なのかもしれないということも
考えることが出来ないでしょうか

何を目指し、何を為したいのか
常に共に高く深めあう事を大事としています。
そこに時に傷つくことや困難なことがあろうとも
支え合える仲間がいるということが何よりも財産であり、何事にも代え難い
ものなのではないでしょうか

この様な気付きの樹会があること、その環境や仲間がいること、恩師がいることに
自分にとってはこの上なく感謝しております。

この場をお借りして
ありがとうございます。

カグヤクルーの偉大なる航海にはまだまだ嵐はやってくるでしょう
しかし、互いに正直にさらけ出していくことが出来る様にし、みんなと共に
また一つ嵐を越えて新たな地へと目指していきたいと思います。

コンシェルジェ
瀬口拓郎


ありのままの自分

2011年3月10日

こんにちはカグヤの瀬口です。
人には個性があり、得意不得意というものがあります。
カグヤではその人の特性に合わせたミッションが与えられ、
特性を伸ばし、自己実現を叶えていくための環境が用意されています。
仕事をただ行うのではなく、人生を通して自分がいったい何をやりたいのか
ということを達成するための道のりを歩むためにも日々の仕事を携わらせて
頂き、努めております。
色んな場面により得意不得意の差は変わり
一概に出来ないということではない
大事なのはその人の人間性をどれだけ周りが受け容れ、
信じて認めると言うことだと思います
私自身、できないことが多々あり、何とかしようと思い、日夜努力改善
していますが、本来あるべきはやることよりもどうありたいかという
姿勢の方ではないのかということを実感します。
体裁だけ取り繕ってもいけない、何がどう自分ではできないのかということを
周りへ開示していくことも必要なのですね。
自分のあるがままを受け容れることの大事さを実感します。
できることもできないことも自分自身。
出来ないことを責めるではなく、素直に受け容れて周りともっと協力し合い、
互いで補い合える様になると、自分だけではできない可能性の広がることが
出来ていくのでしょう。
理念を大事に、最善のことを考えると自分だけの狭い了見に固執するのではなく、
互いに補い合い、高め合えることでより大きなことが出来る様に、
ひとりではなくチーム全体で作り上げる楽しみをもっと作っていくことで
日本の社会全体が明るく、ひとりひとりの繋がりを大事にできるような
社会が築きあがっていくのではないでしょうか
カグヤからそのモデルとなり、社会全体に一つの光明となることで
同じように考えている方ともきっと繋がっていくのだと思います。
現に、多くのパートナーの方や、信念を持ったお客様との繋がり、ご縁に
有難く思います。
繋がりが拡がり、社会を変革できる様に、
これからも取り組んで参りたいと思います。

まずは自分から変わらないといけないですね

コンシェルジェ
瀬口拓郎


「ぱなしの禁止」

2011年3月23日

こんにちはカグヤの瀬口です。

チームで協力して仕事をしていると
仕事が人から人へ受け渡しが行われ、
渡す方、受け取る方とそれぞれに責任が発生します。

日々仕事の中でその交換が行われておりますが、
意識が甘いと後々問題になってしまうことを感じております。

自分の渡し方が甘いと
「言いましたよね」

など相手に矢印をぶつけてしまっていたのです。

そうなるとお互い言った言わないなどの水掛け論になり、
互いで互いを傷つけあうことにもなりかねません。

そうして人間関係も悪くなってしまうことがあることからも
コミュニケーションは難しいものです。

相手のことをどれだけ思って信頼して関わることを考えると
自分から取りに行くことが大事だと思うのです。

相手を信頼するからこそ、
事前に確認しにいく。

「言いっぱなし」を無くすことが大事だと考えさせられました

この「ぱなし」は至るところでも出て来るように思います。

任せたからとそのまま自分から離れてしまっては
責任を投げつけてしまうことになってしまうのですね。

どちらがどうではなく、その物事の達成のための責任を持つことを
考えると、離れる訳には行きません。


離れようとするのは逃げや弱さなのかも知れません

人間関係が希薄になっていっていると様々に言われておりますが
一人ひとりの「持ち方」というものも一つの要因なのかもしれません

自分で責任を持った行動が出来る人となれる様に
改めていきたいと思います。

まずは自分のことがきちんと出来る様に為ることが優先ですね
自分のことが出来なくては人の心配も出来ません。

ちゃんと自分のことがマネージメント出来る様になれる様に
精進努力して参りたいと思います。

互いが互いを信頼できる様な関係や関わりのモデルを自分たちで作ることで
もっと世の中がよくなっていくのではないでしょうか

学べることに感謝して楽しみたいと思います。

コンシェルジェ
瀬口拓郎


「災害に人を学ぶ」

2011年3月31日

今回の地震を受けて今も懸命に戦っている被災地の方に
心よりお見舞い申し上げます。

カグヤクルーも地震発生時には一同、東京のオフィスにいたために、
皆驚愕でした。
私自身、人生でも一番の規模と回数の地震に遭遇でした。

宮城や津波の被害に合われた岩手の方に比べると大したことはなかったの
ですがそれでも実際に合うと自身の中にも自然の怖さというものが刻まれた
様に思います。

色んな地域からの連絡やメールを頂き、
皆様にはご心配をお掛けいたしました。

今回の地震からも天災、自然に逆らうことはできない人間の無力さを
実感しますが、どうすることでもなく、災害に備えて日頃からの準備の
徹底と対応における生きる力の必要性を考えさせられます。

東京では特に地震に弱く、ライフラインが過密化しているからこそ、
その被害も大きく、まだまだ復旧出来ておりません
便利だからと便利さに走るとイザという時の脆さが露呈してしまいます。
災害がの影響からも人々に影響があり、電車の遅れや停電などで通常が
崩されると人の気持ちも脆く、駅で喧嘩が起こるなどを目の当たりにし、
どうしてなのかと疑問を持ってしまいます。

被災地では避難所の子どもや女性から食べ物を奪うなどの二次的被害を
受けている方もいるということをお聞きします。

このような極限の状態であるからこそ、まともな判断も出来様もないということが
また痛ましく思います。

周りに依存して責任を取ることが出来ないこと

対岸の火事の様に傍観し、自分は関係ないとしていること

既に自分の足元にも危険が及んでいることにも気づいていないこと

今回のことで
極限状態であるからこそ、人の性というものが露わになっていること
様々に人の思いがあるということを感じました。
そうならないためにも日頃からの余程の胆力が必要であることも実感します。

そして
本当に大変であり、危険な場所に身を投じている現場の方々や
生きることと懸命に闘っている方々がいることをもっと我々は知るべきことなの
ではないかと思います。

保育に係らせて頂いているからこそ、
子どもと近い位置で働かせて頂いているからこそ、
気づくことの出来ることがいっぱいあります。

保育で人の生きる道というものを学ばせて頂いていることが本当に有難いことだと
思うのです。

子どもはいつでも素直です。人に勇気を与えてくれる尊い存在だと思います。
子どもたちがいるからこそと奮起している方も多くいらっしゃいます。
子どもたちのためにも一人ひとりが力を出し合い、手を取り合うことが
大事なのではないでしょうか

自分の甘い部分も、弱い部分も子どものためにも正し、自分を矯正していく
ことを強く意識していかないといけないのでしょう。


今回の地震で被災された方々へお見舞い申し上げますこととともに、
一日も早い復興を願います。

土地が崩されても人の心だけは崩されることの無い様に互いに協力し合いましょう!!

コンシェルジェ
瀬口拓郎


「この時期だからこそ感じること」

2011年4月11日

震災による被害に加え、原発の危機と
天は我々にとてつもない課題を与えられた様に思います。

カグヤ社内でも情報収集を行い、何が正しいのか、
どう判断すべきなのかと迫りくる脅威に対して自分自身の
在り方というものを問われている日々が続いております。

通常業務は維持しつつも人の心は通常といくかということは
定かではなく、心穏やかにいくことは出来ません。

親戚や友人、知人とご縁ある方も被害にあった事を聞き、
心配でなりません。

離れたところで何が出来るのかと遣った後にも自己批判が
迫り、人間の無力さを実感致します。

様々に情報も錯綜する中、リテラシー能力というものの必要性、
重要性を今まさに実感しています。

人が極限状態であるからこそ、適切な情報を見分けることも
難しく判断も難しい状況に社会的にも起きているのでは
ないでしょうか

「自分は大丈夫・・・」と安易にも考えていると機を外してしまうことも
あります。その中で自分がどうあるのかということが大事かと思います。
情報が情報で覆いそれを上手く活用する人、悪用する人も
多く存在しています。

この様な時だからこそ、
自分の信念に従うこと、自分に問いかけることが大事であることの
様に思います。

特異な状況だからこそ、周りに翻弄されては本当の自分から下す
判断も出来ません

日ごろからの鍛錬によるものなのかもしれませんが、
忙しい時や苦しい時ほどこそ自分に問いかけることが大事なのでしょう

忙しい時程の目の前の、表面上の自分を優先するのではなく、周囲の人たちや
本当の奥底の自分自身を大事に出来る様にしていきたいと思います。

何より、今自分の命があることは有難いことだと思います。
亡くなった多くの方々のためにも自分を見失うのではなく、「生きる」と
いうことを味わって参りたいと思います。


今は被災地の方のご無事を祈ることと
懸命に原発での作業に対応されている方を応援したいと思います。

コンシェルジェ
瀬口拓郎


「生きている実感」

2011年4月19日

こんにちはカグヤの瀬口です。

4月に入り、桜も満開な季節が訪れてきました。

全国的に咲くその命の美しさは震災の復興に励む
人たちにも明るさを与えてくれている様にも思います。

この春の季節に今回の震災による人々に与えられた試練は
最早世界規模の震災であり、世界にとって考えさせられる節目と
なっているのではないでしょうか

春には出会いと別れがつきものであり、
環境が変わる人、変わらない人、様々に思いがあるかと思います。
実際に震災があり、多くの人が考えが変わる一つのポイントと
なったのではないでしょうか

考えなくても日々を過ごすことは出来ます。

私は考えなく、只日々を過ごすことに人としての尊厳が損なわれて
しまう事の様に感じていました。
また、日々に忙殺され、本当の自分とは何なのかということも
考える余地が無いところでしか生きることが出来ないことにも
本当にそれでいいのだろうかと考える日々が続いておりました。

考えなくても日々を過ごすことは出来ます。

考えなくても悩まなくても生きる方法はあるかと思います。
この、悩むことが出来るということに自分を試され、
生きている実感がある様に思います。

いつ変わるのか

変わるか変わらないのかは自分の中に在り、
この季節ということも節目に自分の状況の変化ということも節目に
本当の自分探しを続けて参りたいと思います。

考えなくても悩まなくても生きる方法はあるかと思います。
この、悩むことが出来るということに自分を試されているという、
生きている実感がある様に思います。

今、悩めることに感謝して、自分の与えられた役割を
知るためにも人生の旅路を謳歌していきたいと思います。

コンシェルジェ
瀬口拓郎


自分の信じる自分

2011年4月27日

こんにちはカグヤの瀬口です。

春の季節は人の心を変えるにもその影響は強く
優雅さの中にも暖かさが厳しさにも取れる今日この頃です。

世界を震撼させた今回の震災は人を変えるにも十分足りえたものでは
ないでしょうか

周りの環境や人の意識が変わっていく中で自分と振り返ると

こう、ふと思う様になったのです。
「待っていたって大人になんかなれるわけがない。」

きっと、どこかで今を真面目に生きていれば
いつか立派な大人になるのだろうと希望というより、
願望の目線で見ていたのかもしれません。

そう考えると恥ずかしいものです。

自分がどんな人物になりたいのかをよくよく
イメージし、そこに向かうための道のりを歩まなくては
いけないのだということを考えさせられます。

自分がどうしたらよいか、迷っていた時、
自分の仕事での出来事や現状含めて伝えようと思い、
中々話すことの少ない父に相談すると、思いもかけない言葉が返ってきました。
「悩むことが出来る仕事に就けて良かったな」
と。

衝撃とともに、考えさせられました。

人は悩まなくても今の日常を繰り返すことで生きていくことも
可能な生き物です。

悩み、悩み、その先にどんな光が待っているのか

それは悩み通した人にしかわからない世界なのかもしれません。

この悩めるということは自分の人としての幅を広げるためにも
自分にとっては大変重要なことだとも思うのです。

自分を信じて、自分の選択に間違いは無いと信じて
一つひとつを決めていくことが出来る様に本当の自分を
大事にして、精進して参りたいと思います。


コンシェルジェ
瀬口拓郎


「自分と相手」

2011年5月10日

こんにちはカグヤの瀬口です。

今回は「関係性」ということを考えていきたいと思います。

人との関わりということは難しいもので、関わっている様であっても
関わりきれていないということがあるようにここ最近でも考えさせられる
ことがありました。

例えば一緒に仕事をしている時、仕事の受け渡しは行えども、
本当に相手が期待するものを返すことができていたかというと
出来ているとは限りません。

相手が本当は何を求めていたのかということをちゃんと確認せずに素通りし、
自分勝手に進めてしまうということになってしまいます。

よかれと思ってやることが却って迷惑になることもあります。

他にも周りを見ていると
「困っている人のために何とかしたい」と問題を主張していても
本当はどうにかしたかったのは困っている人のことではなく、
その人自身だったりもすると考えさせられることがありました。

まさか自分はないだろう…と考えていましたが、
色んなところで大なり小なりやってしまっている節を多く見受けます。

自分の問題点も見た様に思います。

人間一人では生きていくことなどできず、必ず誰か人がそこにいる。

人、つまり相手がいる。

相手がいるのだからこそ、相手と何をするのか、

自分だけではないということを考えていきたいと思うのです。

上記の問題は「自分」でしかなく、「相手」がいないから起きてしまう
違和感です。

自分を超えたところにある存在を知るということ

人は関係性の中で育つ生き物ではありますが、
まさしく関わり合う中で自分の解決していく課題が見つかっていくのだと
思います。

この点を自分の中でももっと深め、どうして人は関わり合うのかという
ことから関わる中での問題点や課題を解決していく方法など体験の中でも
答えを見つけていくことが出来ればと思います。

                        オルタナコンサルティング
                        瀬口拓郎


「出来ないことよりも出来ること」

2011年5月19日

皆様こんにちは、カグヤの瀬口です。

保育に真剣に向き合うとさまざまな問題に直面している姿をお見受けします。
保育では自分だけではなく、相手がいるからこそ難しいことがあり、
人の成長を見守るということはつくづく大変なお仕事であることだと思います。

だからこそ価値の高いお仕事だと思うのですが、どうしても悩みは付き物です。
保育の世界だけでなくとも仕事というものは本当に難しいですね。

私自身も仕事を通して問題が重なり続け、追われてしまう様になると、
身動きがうまく取れなくなり、重く悩む様になってしまっていました。

そうして悩んでいる内に自信もなくなり、どんどんと身動きが取れず、
自分すらも見ることが出来なくなっていきました。結果として周りへも悪影響を
及ぼす様になってしまいました。

そんな時、悩んでいる最中に上司から言って頂いたことが
「悩みとは止まっているだけなので出来ないことよりも出来ることを
考えることだよ」という言葉でした。

振り返ると、悩みとは自分の中でしか考えることが出来なかった様に思います。
悩みを超え、自分に何が出来るのか動くことにシフトすると、
それは結果周りの為になっていくのではと思うのです。

自分が動くことでより多くの方のためになるのならば、選ばないことはないですね。

何か小さなことでもいい、自分にできることを表現するということはとても大事だと
思うのです。

自分の為にと思って取り組むとそれは限界がごく近くなってしまう様に思います。
今思い返しても恥ずかしい限りです。自分を超えたその先のものの為に自分が
何が出来るのかを考えていくことが大事な様に思います。


今、子どもたちにも「問題解決能力」や「コミュニケーション能力」が
求められるようになっています。子どもたちのためにもまずは我々大人が
しっかりとそれらの能力を身に付けて伝えていくことが出来る様にならないと
いけませんね。

かく言う私もまだまだ未熟千万。しっかりと実践して人間としての幅を
広げていくことが出来る様にしていきたいと思います。

                        オルタナティブコンサルティング
                        瀬口拓郎


「その先の向こうに」

2011年5月27日

こんにちはカグヤの瀬口です。

カグヤではコンサルティングを通して園の課題を聞き、
課題解決という仕事を行っておりますが、当然、社内にも問題や課題は沢山
あり日々、どう解決していくのかと各人一人ひとりが向き合い、チームとしても
協力して課題解決の為に進めています。


日々の問題にどう向き合うのか、前回のテーマにも続きますが、
向き合うとはただ向き合って悩み、嘆くのではなく、
行動に移していくということなのだと感じています。


悩んでいても自分が変わらなくては意味がない。
自分のせいだと思えばいい、そして自分を変えればいい。
今起きている問題の事象に囚われるのではなく、
そのものの本質に向き合う事、その問題は終着点ではなく、
あくまで通過点であること。


問題は解決するためにあり、その先をどう見据えていくのかということが
大事だということを実感します。起きている問題には必ず意味があり、
その先の向こうに本当はどうしていきたかったのかということがある様に
思うのです。


自分の信念に基づいて先を見通すだけの力をつけることが出来る様に
日々の問題を解決することに注力するのではなく、先を見据えた解決の
為にも問題を通り過ぎるのではなく、なぜ起き今後起きないために、
何をどうするのかを定めて行く様に取り組んでいます。

オルタナティブコンサルタント
瀬口 拓郎


「変わる」

2011年6月 6日

こんにちはカグヤの瀬口です。
人には慣れを通し、マンネリ化することがあります。
表面だけ忙しくても中身が変わることが出来ず、自分自身にマンネリを感じていました。

どう変わっていくのかということを以前は見出せず、普段の忙しさを言い訳に目を背けて
しまっている様でした。その中でも、日頃の出来事は多いので気づくことは多々あります。

しかし、気づいただけで満足していた自分がありました。
変わらなくては意味がない。
気づいても行動が変わらなければ何も意味がない。ということを考える様になりました。
今では気づいたことについては必ず次は起こさない様にどうするのかという、自分でどう行動するのか
ということを決める様にしています。

分からないことはそのままにしない様に、理解できるまで自分で調べたり、聞いたりとその分の労力は
必要になりましたが、自分の知らない事やしたことが無い事にも及び、少しずつ分野を広げていく
様になってきています。

これまでは何かを与えてもらおうと周りへの要求をしていた様に思います。

求めてばかりではなく、自分から変えていこうと思わなくてはできないことがあるということを
実感しています。

一つひとつの体験を通し、成長する事で与えられるよりも与えることの出来る生き方を目指したいですね。

オルタナティブコンサルタント
瀬口拓郎


「質を高める」

2011年6月15日

皆さんこんにちはカグヤの瀬口です。

仕事を通して対価を頂く。
このシンプルでありながらも追及すると難しいことに対して、
自分が実施する仕事に何が提供できているのかということを考えておりました。


仕事として提供する以上、自身には「プロ」としての対応が求められます。
「プロ」とは一体どういうことを言うのでしょうか。
高い技術力、正確性などのスキルもそうですが、価値を提供できる事を
指すのではないかと思います。


専門性をどこに持っているのか、一体何のプロフェッショナルなのか、
知識や技術が精通しているのは勿論のこと、ただ能力が高くてもいいという
ことではなく、効率や効果を考え、周囲へアウトプット出来る事と思うのです。


教育やサービスの分野を例として見ても、どうしてその様になるのか、
するためには理由があることをちゃんと説明できることが重要の様に思います。


それは上記の事を伝えていく上でも一定の到達点からの逆算をし、
そこに向かうために必要なステップを認識し、実行に移すことで達成までの
責任を持つことと言えるのではないでしょうか。


目の前の事をただ情緒的にこなしていてはプロとは言えず、お客様へのサービス・
価値の提供とは言えないことである事と感じます。
一つひとつの行動にも表れますが、情緒的になり、ただ行うことが優先されてしまう
と不測の事態などに対処することもできません。


プロの中でも段階の差や違いはあることかと思いますが、
安心や価値を提供することが出来る様に、驕らずサボらず、
必要なことをしっかりと学び、自分の取る行動が価値の表れでもあることを
自覚して日々の行動の質を高めていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント 
瀬口拓郎


「目線は高く」

2011年6月24日

皆さんこんにちはカグヤの瀬口です。
普段、お客様からのサポートを実施する中で、
お客様からのご要望にどの様にお応たえしていくのかと
プレイヤーとしての自分自身がありますが、
仕事をする上では、プレイヤーとしてできればいいということだけではなく、
どう周りと足並みを揃えていくのかという事や、
組織全体が何を目指そうとしているのかを理解して進めていく事など
周囲との関わりというものが重要であることを実感します。


自分がいったい何を目指しどの見地から物事を考えているのだろうか

目の前のことが出来る様になることなのか

チームの動きをどう良い方向に導くのか

事業や組織全体を見ようとしているのか

社会の変革へ向けて動いているのか

など見ていく目線というものも人によって違ってきます。


自分の見ている目線により全くもってその次の行動が変わり、
何かの動作や作業を超えたものが必要で、仕事を通して何をするのか
という目的を持つことが大事である事を実感します。


当然目の前の事をまずはこなす様になるということが大事ですが、
自分で持つことの出来る幅を広げて、目線を上げていくことも
目標や目的によっては必要になってきます。


まだまだできないことも多いのですが、一つひとつをこなし、
現状に甘んじるのではなく、常に高い目線を目指していける様に
取り組んでいきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
瀬口拓郎


「自分の状態を知る」

2011年7月 5日

こんにちはカグヤの瀬口です。
前回は仕事を行う上での目線について述べました。
自分の状態を管理することは難しいものですが、
自分の一番良い状態や悪い状態を客観的に知るということも大事です。

どうしたら悪い状態に陥らなくて済むのか。


先日、上司から「仕事を行う上では6割ぐらい(の状態)で」
ということを学びました。


勿論、仕事には全力で向き合うことかと思いますが、
精神的・肉体的にも自分に余裕がなくては周りからの相談や
新しいことにチャレンジすることなどできません。


昔は自分を追い込み、不利な状況でも乗り切ることに重きを置いた
こともありましたが、一つひとつ起きる問題や課題に対して、
冷静に何が正しく、正確な判断なのか考えていくためにも自分の良い状態と
いうものが必要だと思う様になってきました。


といっても当然、やることは沢山あります。


短期的に乗り切ることではなく、乗り越えられる様に、
自分の中で何を学んだのかを確実にしていきたいですね。


取り組む時間の工夫や調整、優先順位を考えることなど学ぶべきことは
沢山あります。


しかし、一人の作業に没頭するのではなく、組織としての結果を果たす
ためには自分ひとりで没頭するのではなく、何が最も効率が良いのかを考え、
無駄を省いていく必要があります。


結果を出すことと自分の良い状態でいるということ、これは少なからず
近いことと言えるのではないでしょうか。


誰も「ボロボロの状態で結果を出すこと」を目標にしたりはしませんからね。


余裕が怠惰になっては元も子もありませんが、自分の状態を知り、
対策を打つことで工夫され、改善の上で成長していく。


物事を動かし自分の中での良い循環が起きる様に心がけ、
常に前を向いて、一つひとつの出来事が財産であることを認識して、
しっかりと頂いた学びは行動で返していける様にしたいものです。

オルタナティブコンサルタント
瀬口拓郎


「時間の密度」

2011年7月14日

皆様こんにちは。カグヤの瀬口です。
先日、誕生日を迎え多くの方から色んな場所で祝って頂きました。


一つ年を重ねた訳なのですが、振り返ると自分の時間の使い方と
いうものを考えさせられます。


時間は皆等しく与えられています。
その中でどの様に過ごし、密度を高められるかは自分次第です。


1年を3年分の密度で過ごすのか、1年過ごしても何も変わらない
のかはどの様に向き合っているのかということに関係しているのでしょう。


社内でクルーの皆から祝って頂きました。
その中で弊社代表よりドラッカーの三人の石切職人の話をして頂きました。


三人の石切り工は、「何をしているのか?」と質問されたとき、
一人目は「生活のために石を切っている」と答え、二人目は
「最高の石切の仕事をしている」と答えました。


そして、三人目は「世界最高のお城をつくっている」と答えたというお話です。


一人目は毎日が良ければいいのかもしれません。
しかし、三人目は自分の掲げた夢や目標の為に今という時間を使っています。


夢や目標が高ければ高いほど、達成の為の努力を積み、スピードを上げていく
必要があります。


結果、1年が3年や5年もの密度を持っているということではないかと思うのです。
1年の節目を迎えて改めて自分への向き合い方や時間の使い方というものを
考えさせられます。


三人に共通して言えることは皆、石切職人としての技術を持っている事。


まずは仕事人としての技術を習得しながらも夢は大きく、掴み取れる様にし、
この先の長い年月を考えて楽しく豊かな人生を送れる様にしていきたいと思います。

皆さん、本当にありがとうございました。

オルタナティブコンサルタント
瀬口拓郎


「目的を見失わない」

2011年7月26日

皆さんこんにちは瀬口です。
毎日暑い日が続きますが体調崩されていませんでしょうか。


節電ムードと相まって今年は熱中症患者も多いと聞きますので、
日頃からの体調管理と、暑さ対策に注意が必要ですね。


最近では熱中症対策の取り方でも度が過ぎてしまうと、
別の問題が出てしまうということが取り沙汰されています。


多く発汗する中、水分をとってもミネラルを取らなければ脱水症状になり、
ミネラルを取るためにスポーツドリンクを多飲すると、急性糖尿病になったりと
何事もバランスを取ることや何が必要なのかをしっかり把握することなど、
全体を見なくてはいけないということを考えさせられます。


目的を忘れて一つ事に囚われてしまうと本当にやりたかったことが
達成できなくなってしまう。
達成したい結果から考えることが大事であることを改めて学びます。


一体何がしたいのか、何を成したいのか、自分の目的というものを見つめ直し、
そのために何が必要なのかと考えていくことが大事なのでしょう。


目的を果たすためには、目標を立てて、達成のための道のりを歩まなく
てはいけませんね。


ただ闇雲に進んでいても達成するとは限りません。無駄も多く含んでいる
ことがあります。


目的を明確にして、現状を把握する。
自分に何が必要なのかを考えて、どのぐらいの期間が必要なのか、
どの様な工程を踏むのかなど、必要なことは沢山あります。


「木を見て森を見ず」という諺もありますが、自分がやろうとしている
ことはいったい何なのか見失わない様にし、一つひとつの出来事が目的の
達成ために必要なことかどうか考え、意味あるものに変えていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
瀬口拓郎


「クルー日記を実践して」

2011年8月 4日

皆さんこんにちは瀬口です。
クルー日記や竹取新聞など、カグヤではクルー一人ひとりが自分の実践と
実践の中からの気づきを綴る場所があります。


先日、クルー日記について振り返る機会があり、感じたことから述べたいと思います。


実践というものもやる事だけが目的になってしまったり、やっている事が作業の様に
なってしまうと意味が無くなってしまいます。


一体何のためにやっているのか、それは自分のためなのか、他人のためなのか、
人によって目標や目指すものが違うからこそ、活かし方も変わってくるのでしょう。


一つひとつに意味があるものであり、貴重な時間も使っています。自分の人生に
とっての財産です。


流さずに此処に関わった多くの方々への感謝の意味も込めて、実践からの振り返りは
大事なことだと思います。


カグヤでは「子どものために」という理念の下に各実践があります。
自分たちから環境や身体に良いものを取り込むことなど、子どもへ還元する
ために実施しています。


出来ていないことや知らないことなどまだまだ多くありますが、学んだ事を次に
活かすためにも振り返りや気づいた事などクルー日記で綴ることが出来ればと思います。

オルタナティブコンサルタント
瀬口拓郎


「なりたい自分」

2011年8月18日

皆さんこんにちはカグヤの瀬口です。
ここ数年、素直になるということが課題になっています。
見守る保育を実践する上で、子どもの声を聞き、何がやりたいのかを
受け止めていくことは大事なことなのですが、自分自身のこととなると難しいものです。


何か「こうやりたい」と思っていても「現実、こうじゃないか」「でも」「あれがあるから」
など言い訳を探し、動かない理由をつけてしまうことが多々あります。


動かない事を選択した結果、大変になってしまい、後悔して自分を見失うことになり、
益々、心の扉を閉じてしまうことにもなっていました。


周囲のアドバイスも何かしらの理由をつけて受け止めることが出来ずに、
更に苦悩することもあります。


自分ではもっと開放出来る様にしていきたいと思っていますが、できないからこそ悔やんでしまう。


自分の本心に問いかけた時に、「やるか」「やらないか」と決めることが大事であり、
「やる」ための努力、「やらない」ための努力がそれぞれに必要であることを実感しました。


「まったくやらない」や「中途半端」はただ放り出しただけで何も解決になっていないのですね。
何のために決めるのかはその人次第、自分次第ですが、どんなことがあろうともどちらかを
決めてそのための努力を怠らない様にしていきたいと思います。


一時的な感情が邪魔し、逃げに走らない様に、本心の声を聴ける様にし、
どんなに大変なことがあろうともやれる様にしていくことが大事であり、
マイナスを全部プラスにしてしまう覚悟でやることだと思って取り組む様にしています。


出来てないことは多いですが、これから出来る様にしていくことや進もうとすることの方が
大事ですね。


子どもは素直です。
子どもに負けじと努力し、自分のなりたい自分に一つずつ、少しずつ近づいていければと思います。

オルタナティブコンサルタント
瀬口拓郎


「自分に正直に」

2011年8月29日

こんにちはカグヤの瀬口です。
自分が本当はいったい何をしたいのかと考えることが最近特に多く、
考える岐路に立っています。


選択することは確かに大変ですが、小さなことから大きなこと、遠いことまで、
一つひとつを選択して私たちは生きています。


人の生きようとする意志は何よりも強く、その生きる力をもっと信じるということが
必要なのかもしれません。


自分のことばかりでもなく、皆人それぞれに悩みや迷いがあります。


自分が本当はどうしたいのか、自身の本当の声を聞き、そこに向かうための
行動が必要なのでしょうか。


「どうしたらいい、どうしたらいい」と思い悩み、理由をつけて何もしなくては
何も意味が無いですね。


変えるべきは自分自身であり、変える時はそう思った今なのでしょう。


素直な気持ちから考えて行動を決めていく様にしていきたいと思います。


先に決めてしまうことで自分に何が必要なのか、自分が何をすべきなのかが
少しずつ分かるようになってきました。


迷うことも多いのですが、その時こそ自分の正直な思いに目を向けることで、
自分に必要なことが何なのかを決めて行動していけるようにしていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
瀬口拓郎


「良い流れ、悪い流れ」

2011年9月 7日

皆さんこんにちはカグヤの瀬口です。
ここ数回、「素直さ」や「正直に」等がテーマで書いてきましたが、素直でありたいと
思っていても自身の状況や精神状態、周りの環境等、様々な要因もあり、中々上手くは
いかないものです。


自分自身を振り返ると、上手くいかないと思う時は素直さを失っていて、他人のアドバイスを
聞き入れることが出来ない、何を言われても意地を張り、頑固。小さなミスに振り回されたり、
余裕が持てずいつも揺らいでいるなど、自分で自分の舵を切ることが出来ない様でした。


人には悪い時があれば良い時もあるように、
悪い時には悪い要因で悪い流れになり
良い時には良い要因で良い流れになります。


上手くいかない時には無理矢理にでも自分で良い時をイメージし、
実行することで良い流れを自分で作り出す様にしています。


「笑う門には福来たる」という様に自分で良いと思うことを実践することで
良い流れも掴めるのだと思います。


その中で大事なことは「やる」か「やらない」かという自分の覚悟なのではと
いうことを感じました。


単純ですが、自分の思いで変えることが出来るのだと思います。


悪い時には何か理由をつけて、どちらも選ばない中途半端な位置を
維持しようとしていることに気づきました。


困った時には嘆く前に、やはり「やる」と決めることが大事なのではないでしょうか。
まずは決めることで次の行動に移すためにどうするのかという考えになります。


どんな時にも自分の決断することで前に進むための選択をしていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
瀬口拓郎


「追われるよりも追いかける」

2011年9月16日

皆さんこんにちはカグヤの瀬口です。
9月に入り、陽の出ている時間も短くなり、
いよいよと夏の終わりを見せはじめています。


夏の終わりと考えると思い出してしまうことが
夏休みの宿題をやっていなくて最終日近くに追われていた子ども時代を思い出します。


「後からやれば大丈夫」と思っていたことが外部から
思いもよらぬことが起きてしまい、自分のやりたかったことが
やれなくなってしまうことがあります。


自分の計画性の無さというものを考えさせられますが、
元々予想外のことは起こり得るものだと考えると、自分の考えていた計画というものが
自分ひとりだけのものになっていた様にも思えます。


どれだけ周囲の事を考えた計画を立てることが出来るのか、
自分ひとりだけのことで終わらせない計画と自分のことは最短で終わらせる様に
自分の密度を上げていくことが必要だと考えさせられます。


実際に自分が行動して短縮できるとより多くのことに取り組め、
吸収することが出来ます。


追われるよりも追いかけていける様に、
自分で掴みにいける様な行動を心がけていきたいものです。

オルタナティブコンサルタント
瀬口拓郎


「自己コントロール」

2011年9月29日

皆さんこんにちはカグヤの瀬口です。
季節の変わり目だからでしょうか、
最近は特に睡魔に襲われてしまう今日この頃です。


と、言い訳をしていますが、人はやらなくてはいけない事と自分のやりたい
こととの狭間で一つひとつ選択をして行動していく生き物です。


社会の中では自分一人の意思を考慮すれば良いのではなく、
周囲の意見、重要度の中から何を選ぶのかということは本当に難しいものです。


どの選択肢を選ぶのか、何もしないというのも一つの選択肢であり、
どの順番で、どの様に行うのか等、常に選択を迫られます。


何か一つのことをやろうと思っていても別の場所から、
あれもこれもとやらないといけないことが迫ってくること…


皆さんも経験ありませんか?
優先順位を立てることは難しいですが、何から始めるのかを考えて、
一つひとつにランクと期限を設けて実施していく様に取り組んでいます。


その起源通りに進めることが出来ない時には自分の何がいけなかったのか、
能力が足りなかったのか、環境が必要だったのか、何か別の要因があったのか、
など考えていくことが出来ますので、振り返りながら進めていく様にしています。


信念を持って行動することは大事です。
しかし、自分の成したいことに対する技術や能力を必要です。


自分の思い描くことに対する結果をコントロール出来る様にしていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
瀬口拓郎


「日々を流さない」

2011年10月11日

皆さんこんにちはカグヤの瀬口です。
最近では「まぁいっか」と思って流してしまう怠け心と対峙し、
日々戦っています。


やらなくてはいけないことがある時はもちろんなのですが、
「まぁいっか」をやめて忙しい時やキツイ時ほどこそ、
何か少しでも行う様にすると、自分の中の時間の巡りというものが
良い様に思います。


良い時間の流れを掴む事で良い調子を掴み、
自分を良い状態の中で力を発揮していく様に、
良い循環を起こすことが大事なことの様に思います。


キツイ時ほどこそやった時、やった行動もそうですが、
気持ちのゆとりが持て、さらにもっと得られるものはないかと
自分で渇望している様な感覚を覚えます。


以前の事を思い出すと「まぁいっか」と流してしまい、
いつの間にかやるべきことが積り、追われてしまっていました。


追われるよりも自分で追っていける様に。
折角の人生。
両親から頂いた命を燃やしていける様に、全力で臨めればと思います。

オルタナティブコンサルタント
瀬口拓郎


「選択する力」

2011年10月20日

皆さんこんにちは、瀬口です。
人は生活していく中で数々の選択を行っています。

「今日はどこに行くのか」
「これから何を食べるのか」
「いつから○○を始めるのか」
などなど、人の生きる世では選択することに満ち溢れています。


この選択するということは、とてつもないエネルギーを要するものだという事を
最近、特に思います。


詰め込み式やマニュアル式の教育に然り、考えなくても行動出来るという
教育法もありますが、自分の範疇を越えた場面に遭遇した時に判断することが
出来ません。


「選択する」という力は選択を実践し続けることで鍛えていく必要があるのでしょう。


今の子どもたちの中では朝、登園して「何がやりたいの?」と聞くと、
「何もやりたくない」「疲れた」など発言する子が増えてきているそうです。


確かに「何もやらない」は「休む」という一つの選択肢なのかもしれません。
しかし、やりたいことを一つひとつ達成していくことで得られる充足感を
現代の子どもたちには十分に味わってもらいたいものです。


そのためにも我々大人がまずは自分のやりたいことがやれる様に
していかなくてはいけません。


周りの環境のせいにして、逃げている人が多くいる様に思います。
自分は違うのかと問われると、そうではなく、かつては何もできない
状態に陥っていました。


やりたい事をやれるようにするためには能力を養うことや準備に回り道が
必要な時もあります。
本当に小さなことから達成する喜びを改めて感じる様にしていくことで自分を
取り戻そうと、懸命に取り組んでいます。


自分で動いたことで気づくことや、過去の教えから学ぶことなど、
自分の範疇を広げることでまた一つ選択することの幅を広げることが
出来る様になります。


以前、上司から「正しい判断を行うためにも常に自分の一番いい状態、
最適最良の状態を維持し続けることに力を入れた方がいい。」という言葉を
頂きました。


自分が本当にやりたい事をやるためには下準備も能力もまだまだ足りないことが
多くあります。
日々のほんの小さな出来事にも結果や行動として表われるので本当に気が抜けません。


某冒険物語の様な「選ばれし・・・」という誰かに選ばれたのでやる様な他発なものではなく、
自分で選んだという自発を活かした行動が取れる様に自身を養っていきたいと思います。


人間はいつ何刻にどの様になるのかなんて想像もつきません。
選択するという力を養うことで、最良の判断が出来る様にし、
自分だけではなく周りの人たちへの貢献が出来る様にしたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
瀬口拓郎


「キツイ方をやる」

2011年10月31日

皆さんこんにちはカグヤの瀬口です。
ここ最近では少しずつ涼しくなり、時折寒くも感じますね。
気温の寒暖が激しいので、体調管理には十分にお気を付け下さい。


自分のコンディションを整えるためにも日頃からの摂生が大事なのでしょう。
肉体的にも精神的にも、自分を良好な状態を保つということは難しいものです。


そうは言っても仕事はやってくるものであり、思いがけないタイミングで舞い込んでくるもの。
すぐに対応できるように準備を怠らず、ペース配分や時間の調整等にいつも注意が必要です。


時に困難な課題があり、「嫌だな~」「まだ取り組みたくないな~」と思うことも、
程度に差があれども起きてしまいます。


不思議なもので後伸ばしにした方が段々とハードルが上がってくるものであり、
大変だからこそ、忙しい時だからこそ、「キツイ方をやる」様にしています。


それが誰か人の為になるならなおさらですね。
確かに行動に起こすには自分を奮い立たせたり、勢いが大事であったりと
エネルギーを遣うのですが、進めず維持し続ける事の方が却ってエネルギーを
遣ってしまっていた様にも思います。


逃げてもいいことはありませんね。
「やる」か「やらない」かを決めることが大事であることを考えさせられます。
「やらない」と決めることも選択した結果なのでしょう。


困った時にこそどう動くのか決めて自力で前に進める様に精進していきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
瀬口拓郎


「思った様にする」

2011年11月10日

皆さんこんにちはカグヤの瀬口です。
爽やかな秋晴れが続く今日この頃ですが、皆さまは如何お過ごしでしょうか


透き通る空を見ると、目の前の忙しさや自分の抱える課題等がどうにも小さな
ものだと認識させられます。


目の前のことでいっぱいになり、目的を見失ってしまうと、
これまでに努力してきたものも一気にマイナスに向かってしまいます。
どれだけ先のことを見据え、今を緻密にすることが出来るのかが大事なのですね。


どんなに技術や素質、環境があっても自分の思う気持ちがマイナスであれば、
マイナスに傾いてしまいます。
人は思った様になるものであり、自分がマイナスと思えば結果マイナスになり、
プラスと思えば結果プラスになるようです。


そんな時こそ、自らの心に気合をかけて挑まなくてはいけません。


目の前にある壁を乗り越えるためにも、キッカケは何だっていい。
自分が思ったからには自分だけの答えですから一度しかない人生、
今を楽しく面白くしたいですね。


どうあろうとも自分で選べる様にし、思った事を実現できる様にして
いきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
瀬口拓郎


「自分で決める」

2011年11月21日

皆さんこんにちは、カグヤの瀬口です。
見守る保育を実践している園では遊びの中で
選択肢を提示し、子どもが「自分で決められる」様に環境が作られ、
関わっていることが特徴の一つにあります。


この「自分で決める」ということの重要性について大人になった今、考えさせられます。
周りが決めてあげる関わり方では子どもにとって決断する力をつけることが出来ません。


周りが薦めた選択では自分が決めたとは言えず、何か不測の事態が起きた時に、
「周りが言うから選択したのに」と逃げ場や言い訳を用意する事にもつながりかねません。


一斉画一的な教育において受ける側の立場であれば、選択して自分で決めずとも最初から
やることが決まっています。


自分の人生であるからこそ、自分で決められる場所を用意し、自分のことは自分で決められる
ようにしていかなくてはと思います。


自分が選択したことであるからこそ、自分で責任を取らなくてはいけませんが、
人の成長にとって、自分自身にとって必要なことではないかと思います。


周囲に甘えず、自分で決めるということを大事にしていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
瀬口拓郎


「思った通りになる」

2011年12月 1日

皆さんこんにちはカグヤの瀬口です。
最近では朝晩と寒さが出てき、季節が移ろいで行く様子を肌で実感します。
皆様におかれましては如何お過ごしでしょうか。
乾燥する事も度々あり、どうぞ御身体ご自愛ください。


日々、多くのお客様と接することで、人の思いというものに触れる機会を頂いております。
皆様と接する中で、どの様な思いを感じて園を運営されているのか、
今が充実している、不満を抱えている、今を維持したい、今を変えていきたい、
今の世に憂いを感じているなど実に多くの思いがあり、その一つひとつに個性が顕れています。


思いや形は様々ありますが、自分はどうなのかと自身のあり方というものを考えさせられます。


自身に返して言いますと、自分で感じていたこと、抱いていたこと、思っていたことは、
その通りに現れるものだと思います。


「目は口ほどにものを言う」という言葉もありますが、
思ったことはその通りに表面に現れ、結果として行動に出る様に思うのです。


一つひとつの思ったことが積み重なり、自分という個を形成するのでしょう。
自分の望む行いをしたければ、日々の何気ないことからも自分の納得の行くことが
やれる様に注意し、油断や怠慢が無い様に心がけていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
瀬口拓郎


「自分を奮い立たせる」

2011年12月12日

皆さんこんにちは。カグヤの瀬口です。
いよいよ12月に入り、寒さも一層深まってきました。
12月は師走(しわす)とも呼びますが、一説にはお坊さんが御経をあげるため
家々を忙しく走りまわっていたことが語源だと言われていますが、
企業では年末決算のある会社、保育園や幼稚園では季節の行事の実施など、
関連する企業や団体を含め、通常よりも慌ただしくなってしまいます。


忙しくなると余裕が無くなり、やらないといけない事からも逃げだしたくなってしまいます。
やりたくないから逃げることもありますが、一度逃げてしまうとどんどんやりたくなってきます。


すると段々と追われて来るようになり、重さを増していく始末。
忙しいと思える時にこそ、ゆったりと余裕を持ちたいものです。


だからこそ、自分を奮い立たせるなど、工夫して行動に移せるまで取り組む
必要があります。
甘えていた自分を乗り越えた時には、たとえどんな内容のものであっても晴れた
気分を味わうことができました。


やりたくないものからやる様にしないといけませんね。
自分が出てしまうとつい、逃げ出したくなってしまうから何とも弱いものです。
何かしらの言い訳を理由に甘えない様に注意したいと思います。


やらずに失敗するより、たとえ何を言われようともやってから失敗できる様に
していきたいと思います。


皆様におかれましては、今月は行事や仕事の整理、施設の清掃等、何かと大変かと
思いますが、清々しい未来を切り拓けるようにお互い頑張りましょう。


寒さや乾燥する日が続いています。
どうぞお体ご自愛の程をよろしくお願い致します。

オルタナティブコンサルタント
瀬口拓郎


「満足する生き方」

2011年12月21日

皆さんこんにちはカグヤの瀬口です。
いよいよ2011年も終わりに近づいておりますが、
今年を振り返ると実に多くのことがありました。


東日本大震災により亡くなられた方へご冥福をお祈りすると共に、
今なお、懸命に復興に取り組まれている方々の思いが一日も
早く実ることをお祈りいたします。


極限の状態になる時には人の本質というものが問われ、
その時に見られる人の文様には様々なものがありました。


自分自身でもこの一年を通して自分の人生と向き合う機会となり、
今までに自分の中で「こういう生き方が正しいんだ」と自分に半ば
思い込ませる様に、合わせていたところがあるのではと考えさせられました。


周りに流されてしまっていた部分があった様に思います。

しかし、自分の一度しかない人生、本当にやりたいことやしたいことなど、
自分の内から出てくるものに正直に出来るような生き方をしていきたい、
そうしようと考えたところ、自分の身の周りでも、自分自身にも変化がありました。
合わせていろんな方との出会いや別れというものもありました。


正解なんて一つじゃない。
良かったかどうかなどは自分で判断するものだと思いますが、
後悔をしない選択をしていきたいと思います。


この一年で学んだ多くの事を来年に活かしていける様にこれまでにご支援、
ご教授頂いた方々への感謝を少しでも返していけるように、自身が満足出来る
生き方をしていきたいと思います。


新しい自分に出会うため一歩一歩前進し続け、より良い未来を
切り拓いていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
瀬口拓郎


「一人でない」

2012年1月10日

皆様、明けましておめでとうございます。
カグヤの瀬口です。


昨年は震災とその後の人災により、多くの方が被害を被り、
一人ひとりが自分の生き方と向き合う…
というには過ぎる程の年であったのではないでしょうか


私自身、試され、向き合い、決断ということが幾重にも
続いた年となりました。


自分と向き合うということも一人ではできなかったのだと思います。


実に多くの方から、時に自分の気づいていないところからも恩恵やご心配等、
見守って頂くことで、そして関わり合えることで、
主観的にも客観的にも考える機会を頂き、今日の自分があるのだと思います。


この多くの方から見守って頂いているということに本当に感謝します。


流されず、地に足をつけ、自分に出来ることを積み上げていく事で、
目の前にいる、困っている方のお役に立ちたいと思います。


地道かもしれませんが、地を固めることでいつかは長い道を築き上げることが
出来る様に子どもたちにとってよりよい社会を築くことに貢献できればと思います。

オルタナティブコンサルタント
瀬口拓郎


「年始に思う」

2012年1月19日

皆さんこんにちはカグヤの瀬口です。
2012年という新しい年が始まり、元旦早々に関東地方では地震が襲いました。
まるで現代社会に対する自然からの警鐘であるかの様に思います。


日頃からの備えや注意が必要である事を今年も引き続き考えさせられます。


震災や仕事を通して、人としての生き方や繋がりについて目を向ける機会、
考えさせられる機会が増え、自分がどうありたいかという事を考えさせられます。


人からどう見られようと、どう思われようと、決めるのは自分自身。
自分で踏み出した一歩が、自分の人生の礎を築くのであり、
思った通りになることを実感しました。


自分で決めたことに対して揺るがない様に、揺らされない様に、
自分の生き方に自信をもって、目標に対して少しでも近づける様に
取り組みたいと思います。


その中で安易さであったり、油断してしまうことなど、
向き合わないといけないことは沢山あります。


しかし、課題が見つかるということは良くなること前提に明るいものだと思って、
一つひとつの学びを楽しみたいと思います。


生きるということについて日本中で、世界中でより考え合う様になったのではないでしょうか。
生きるということに密接な保育の世界で仕事をし、学ぶことが出来るということに
感謝して、これからも精進していきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
瀬口拓郎


「意思の疎通の難しさ」

2012年1月30日

皆さん今日はカグヤの瀬口です。
最近は特に言葉と意思の疎通の難しさというものを感じます。


家族や職場、ビジネス上の関係など、人と接する中で、
私たちは言葉を交わし、実に多くのコミュニケーションをとります。


その中で思ったままに述べていて、何を伝えたいのかがわかりづらかったり
表現方法が悪かったり表面で取ってしまい、感情で判断したりといった、
少しのすれ違いがあると、後に大きな溝になってしまうこともあり、
人と対話をするというのは本当に難しいものです。


理解出来ずに困ってしまったり、意図したものが伝わらずに悲しかったり、
出す方、受ける方とそれぞれの場で反省させられることが多いです。


結局は相手がどんな気持ちで何を伝えたいのか自分から理解しよう、
受け取ろうとする、歩み寄りが大事だったりするように思います。
お互いがどこまで踏み込めるのかが重要なのかもしれません。


「相手のことを思う」というと押し付けがましかったりもしますが、
自分の中で大事にしていきたいことです。


つい感情的になってしまい、ちゃんと受け取ることが出来なかったことがあり、
反省して戒めたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
瀬口拓郎


「人生を謳歌する」

2012年2月 8日

皆さんこんにちはカグヤの瀬口です。
仕事を通し、人生について話し合う機会が多くあり、
その中で「自分」という存在はどういうものなのかと考えていました。

自分から見る自分 周りから見る自分


そのどちらもが変わらず自分自身を表しています。
自分で良いと思える部分、認めることが出来る部分があると思えば、
受け止めることが出来ないことや、目を伏せて避けてしまいたいことなど、
沢山の認めたくない部分がある事に気づきます。


認めたくないからこそ、虚勢を張ってしまい、周囲に過度に出来ると
振舞ってみては失敗してしまうことが多々あり、自分の未熟な部分と
向き合わずして成長がないことを知ることが出来ます。


嫌でも向き合わなくてはいつまでもしがみついてきます。


出来ない今が悪いのではなく、いつまでも認めず、
自分に嘘をついてしまうことの方が悪いことなのでしょう。


出来てないことが分かれば、伸びる幅を知ることが出来たということ。
目先のことで一喜一憂するのではなく、遠き良き未来を描いた中で
自分にとって必要な課題だと受け止めることが大事なのでしょう。


以前、「自分を特別な存在だと思うな」とお叱りの言葉を頂いたことがありました。
未熟で傲慢な私に激を飛ばし、そう言って頂いたのですが、
他人と同じ様にする事で、流された中で所属意識を持とうとしながらも、
「自分は違う」と敢えて自分の世界を創ってしまうという、何とも卑屈な自分がありました。


自分を出すことで独りになってしまうのではという不安があったのかもしれません。


自分の思いを表現することは恥ずかしく、怖いことではなく、
堂々と言えることの方が純粋でカッコ良く見えます。


いつまでも自分の殻に閉じこもっているのではなく、
自分の思いを表現し、未来を切り拓いていくことの方が大事です。


子どもの時にあった「これがやりたい」と純粋に思うことが、
周りに気を遣い、言わなくなってしまい、ついには言えなくなってしまう様になります。


実際、園にいる子どもたちの中でもそういう姿を見かけます。


これでいいのでしょうか。
自分がつらかったことを他人にはやってほしくなくて、声をかけたりします。
そうやって声をかけることなど、行動していった軌跡も自分を表す一つ
なのではないかと思います。


自分に出来ることとはいったい何なのか、まだ分からない部分が多くありますが、
自分の信じる自分を大事に、出来る様になったことを見つけ、一つひとつ積み
重ねることが、人生を楽しむということなのかもしれません。


そこに自分というものの存在の意味があるのではないでしょうか


大変なことも多くありますが、大変さの中でしか本当の楽しさというものは
ないのでしょう。そう思うと人生は面白いものです。


今の自分があるのも両親や恩師をはじめ、多くのご指導頂いた方の御蔭。
自分の人生を無駄にせず、大事に味わいながら前に進みたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
瀬口拓郎


「あり方」

2012年2月17日

皆さん今日は、カグヤの瀬口です。
先日、他力か自力かということを教えて頂く機会がありました。


自分に振り返ってみると、教えてもらおうとしていた時よりも自分で掴みにいこうと
する時の方が吸収して、成果にも自信にも繋がるものがあります。


これまで「ここまでやったから他の人がやってくれる」と他人に甘えた場所を残して
しまっていることも少なくなく、自分の役割を決め、やりきろうとする意識が無ければ、
質も量も粗末なものになってしまうことを実感しました。


自分に何が出来るのか、どこまでなら出来るのか、またどこからが出来ないか。
自分の能力を認めて表現することは難しいものです。
自分のつまらない矜持を捨て、刷新する事が如何に大事か思い知らされます。


いつも教えて頂いているにも関わらず、理解が出来ず、中々吸収することが
出来ない自分に腹立たしさがありますが、理解しようとする表面だけに必死にならない様に
注意しなくてはいけません。


よく言われることかもしれませんが、「あり方」が大事なのでしょう。
「こうありたい」と自分の目指す姿をイメージし、自分でどれだけ掴もうかと実践とセットで
考えることが出来るかが重要で、自分の行動力によって表す姿が如何なるものかということが
問われます。


怠け心に鞭を打ち、結果・成果を出さなくてはいけません。
多くの方からご教授頂いた事を実践して本当に自分で掴まないといけません。


自分が目指す姿、離れている時でもいつも見せ続けてくれていた背中があり、
自分の足で立ち、少しでもその背中に追い付ける様に社会に貢献し、
自分の出来得ることを積み重ね、返謝したいと思います。

オルタナティブコンサルタント
瀬口拓郎


「行動で示す」

2012年2月28日

皆さんこんにちは、カグヤの瀬口です。
人にはそれぞれ役割というものがあり、仕事においては、
その領域を広げ、深めることでキャリアを形成していきます。


組織における人間関係を観察していると、自分の仕事の幅を広げ、深めていくことで
行動に移す人、「ここまで」と境界線を引き、周囲に協力を求めて問題解決のために
進めていこうとする人と、対応は人により、状況により変わっていきます。


何もしないということが一番悪いのではないでしょうか。


以前を振り返ると、事案を抱え込みすぎた時、自分の処理能力の低さも原因として
あるのですが、考えるだけで手につかないといったことがありました。


その時ご指導頂いた上司の方々より、「行動で返せ」と繰り返し教えて頂き、
訓練してきました。


分からないことに関して周囲に協力を求めてでも行動に移すことで、
何かしらの動きがあり、状況は変わります。


言うだけで何もしないのではなく、やって状況を打開できる様に自らの一歩が
必要なのだと思うのです。


見守る保育を実践している園にて、『「ただ見守る」のではなく、
見守ることが出来る様に、「環境に働きかけ続けている」のですよ』と、
お聞きしたことがあります。


自分のやりたいこと、為したいことのためには自分の行動力が必要であることを
改めて実感します。


自分の持っている思いを伝えたいのであれば、行動で示して伝えられる様に、
実践して磨いていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
瀬口拓郎