お堂の甦生~徳積堂~

徳積カフェの建築が進む中で、この場の名前を復古起新しています。現在、深めているものは「お堂」です。この堂という字は、会意兼形声文字です(尚(尙)+土)。「神の気配の象形と屋内で祈る象形」でできた字です。意味は「こい願う」と「土地の神を祭る為に柱状に固めた土」を現します。

そこから、「高い建物・神社・寺院」を意味する「堂」という漢字ができたといいます。この堂は、 古く接客や礼式などに用いた建物。表御殿。表座敷。そして神仏を祭る建物。さらには多くの人が集まる建物で呼ばれました。

この堂というと、イメージするのが三十三間堂や、平等院鳳凰堂、他にも大聖堂など神仏をお祀りするところを思い浮かべます。ひょっとすると現代では、お菓子屋さんの名前や広告代理店の名前、本屋さんとかいう人もいるかもしれません。

しかしかつては、辻堂やお堂といって村々や町の中でみんなが集まり親睦やコミュニティを育むオープンな交流拠点であったのです。他にも、山伏たちが休む室堂であったり、茶堂といって茅葺でできた旅往く人たちをもてなしたものもあります。日本には古来から人々をもてなす風土信仰があり、その風土信仰を支えた場の一つがお堂だったのです。

つまりはこの「堂」の持つ意味を考えてみると、読んで字の如くその「土地の風土と信仰と交流を見守る大切な場所」ということでしょう。なんとなくお堂が温かく懐かしい感じがするのは、お堂が地域を支えてきたことを心が憶えているからでしょう。

今では、西洋的なカフェがその役目を果たすようになってきていますが本来は「お堂」であったことは歴史に学べば自明します。私は、徳を伝承していくことに精進していますからこのお堂の甦生は大切な使命の一つです。

今回、徳積カフェが完成し、徳積堂として甦生することがとても楽しみです。

最後に、堂で有名な言葉に「堂に入る」があります。

これは論語の中で、孔子のいう「堂に升りて(のぼりて)室に入らず」が語源ですが堂に入るは「堂に升りて室に入る」を略した言い方で、客間にのぼり奥の間にまで入っていることから、奥義まできわめていることを表します。

徳積みの修業はまだまだはじまったばかりで終わりは永遠にありません。なぜならこれは人類の欠かせない修業であり、未来永劫子孫たちが担っていく大切な徳目だからです。

人々が子孫のためにみんなで堂に入るために磨いていく場。

まさに徳積堂は、子どもたちの未来のためにも欠かせない大切な徳の場になっていくと確信し、懐かしい未来が到来することを心から祈念しています。

環境会議

人類は、果たして進化しているのか。

この問いは、とても大切であると私は思います。

そして進化とはそもそも何を指すのか。

私はこの進化については一つの結論が出ています。

理由は、いのちを観察すると観えるからです。

人間であれば、最初に赤ちゃんになります。

赤ちゃんは最初からすべてを持っていて、完全無欠です。

そこから刈り込みといって、不必要なところを削り、必要なところを残ります。

これを洗練とも私は呼びます、つまりシンプルにしていくのです。

その場の環境や状況、時代、周囲の風土に合わせて削り込んでいくのです。

そして顕現した姿が、その人の一生となります。

すると、進化とは何かに戻ります。

進化とは、そもそもの状態、原始のままでいることです。

現在翻訳される進化はどちからというとプロセスを指しますが、本来は結果を指すものだと私は思います。

つまり進化=原始なのです。

如何にシンプルであるか、如何に洗練されていたか、それは歴史を遡れば、今の文明社会ではないことは自明の理です。縄文時代、もしくはもっと前、人類は自然と一体になり心豊かに平和を続けた文明がありました。縄文人や原始人のことを、野蛮だとか、古くさい野生の動物のようなとか言いますが果たして本当にそうでしょうか。

それでは今の人類のいう知性と比べてどうでしょうか。

現在のようにゴミを増やし資源を吸い上げ環境を悪化させ欲とお金にまみれて差別や貧困、権力や戦争、これが知性であり進化でしょうか。

もっと本来のこと、真実のことを刷り込まれていない頭で考えることだと思います。

真っさらになれば、あるがままとは何か、本来がどうであったかに気づきます。私はこの本来がどうであったかを知ることが、生きる意味を学ぶことであり、ありとあらゆる学問が分かれる前の自然の姿だと思います。

伝統や伝承の中にはまだ連綿と真実のいのちの流れが宿るものがあります。

未来の人たちがこの時代をみたらどう思うでしょうか。

人類史の2000年、一部の人たちが何をやってきたか。それを人類と呼び、本来の人類の歴史を上塗りしてきました。100年後くらいの人は、今の私たちをバブルで欲望のままに突き進んだ世代などと呼ばれるのでしょうか。博打的に全部稼いだお金を使い切ろうとした世代とか言われるのでしょうか。

どちらにしても、子どもたちのことを思えばとても悲しいことです。

今ならまだ間に合う、そうやって奮闘してきたのもまた人類史です。人を愛するからこそ、諦めることができない、愛を知るからこそいのちをぶつけて夢を追いかけることができる。

環境問題の根源とは何か、今一度、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

後の雛 菊の節句

聴福庵では重陽の節句の室礼をしていて、菊の花やお雛様たちが絢爛優美に夏の終わりの節目を美しく彩っています。

そもそも重陽の節句というのは、五節句の一つです。五節句という言葉は知らなくても七夕や雛祭りなどは有名で一度は聞いたことがあると思いますがこの行事は明治頃まではほとんどの家々では暮らしの風景として当たり前に存在していたものです。これも明治以降の西洋文明を追いかけたときに忘れられたものの一つです。

この五節句の「節」というのは、唐時代の中国の暦法で定められた季節の変わり目のことを指します。暦の中で奇数の重なる日を取り出して奇数(陽)が重なると 陰になるとして、それを避けるための避邪の行事が行われたことから季節の旬の植物から生命力をもらい邪気を祓うという目的から始まったといいます。難を転じるという意味もあり、ちょうど季節の変わり目の様々な健康に対する災難を福にする仕組みだったように思います。その後、中国の暦法と日本の農耕を行う人々の風習が合わさり、定められた日に宮中で邪気を祓う宴会が催されるようになりこれを「節句」といわれるようになったといいます。

日本でいう五節句は順に並べると、※1月7日の「人日の節句(七草の節句)」。これは七草粥を食し、その年の健康を願います。そして※3月3日の「上巳の節句(桃の節句」)これは雛人形を飾り、ちらし寿しやはまぐりのお吸い物を食ベて、女の子の健やかな成長を願います。※5月5日の「端午の節句(菖蒲の節句)」これは五月人形やこいのぼりを飾り、男の子の健やかな成長と立身出世を願います。※7月7日は「七夕の節句(笹の節句)」短冊に願いを書き笹に吊るし夢成就を願います。最後の※9月9日は「重陽の節句(菊の節句)」これは菊の薬効により健康を願います。

この重陽の節句が菊の節句ともいわれ、「後(のち)の雛」としてお雛様を飾るという理由を説明するとまず菊の花は古来より薬草としても用いられ、延寿の力があると信じられました。菊のおかげで少年のまま700年も生きたという「菊慈童(きくじどう)」伝説もあるほどです。他の花に比べて花期も長く、日本の国花としても親しまれています。また仙人たちが住むところに咲くと信じられ、長寿に縁起のよいものとしても愛でられてきたのです。「後の雛」の理由は、年中行事は繰り返し行われますが、一年にはじめの行事と終わりの行事があり後にある行事を「後の」といい、3月3日に雛祭りをしていますからこの9月9日のことを後の雛というのです。

また桃の節句は子どもたちの行事というイメージですが重陽の節句は大人たちの行事というイメージもあるため「大人の雛祭り」とも言われたりしています。菊は花弁が折り重なっているイメージもあります。人生を妙味を重ねていきながらも長く咲く姿に、私たちの先祖たちは生き方を菊に倣ったのかもしれません、そして先人たちは自然の生き物や風景をよく観察し、美意識を磨いて自らの徳を高めていきました。つまり先人たちは「自然の美しさの中に生き方を学んだ」のでしょう。

また心の風情というものは、常に日本の四季折々の暮らしの中にあります。

最近は目まぐるしく経済活動ばかりで忙しくしている人ばかりですが、本来のいのちのリズムや時間、そして行事の風景を味わうことが本来の人間の仕合せではないでしょうか。

コロナで立ち止まる機会を得たからこそ、本来の人間らしい暮らしを見直して地球やいのちと共生して心豊かに生きる時間の大切さを伝承していきたいと思います。

場道の心得

日本の精神文化として醸成し発展してきたものに、場・間・和があります。これは三位一体であり、三つ巴にそれぞれが混ざり合って調和しているものですからどれも単語が分かれたものではなく一つです。

この三位一体というのは、真理を表現するのに非常に使いやすい言葉です。私たちは単語によって分化させていきますから、実際には分かれていないものも分けて理解していきます。言葉はそうやって分けたものを表現するために使われている道具ですから、こうやってブログを書いていても全体のことや真理のことなどは文章にすればするほど表現が難しく、読み手のことを考えていたら何も書けなくなっていきます。

なので、共感することや、自分で実感したこと、日記のように内面のことをそのままに書いていくことで全体の雰囲気を伝えているだけなのかもしれません。

話を戻せば、先ほどの三位一体ですが例えば心技体というものがあります。これは合わせて一つということで武道や茶道、あらゆる道という修業が伴うものには使われるものです。これらの分かれて存在しているようなものが一つに融合するときに、道は達するということなのでしょう。言い換えれば、このどれも一つでも欠けたら達しないということを意味しています。

そして私に取り組む、場道もまた道ですからこの心技体は欠かせません。では何がこの場によっての心技体であるかということです。これを和でわかりやすく伝えると、私は「もてなし、しつらい、ふるまい」という言い方で三位一体に整える実践をしています。そもそもこれが和の実践の基本であり、そして同様に場と間の実践にもなります。

まず「もてなし」は、心です。「しつらい」は技です、そして「ふるまい」が体です。

これは場道を理解してもらうために、私が自然に準備して感覚で理解してもらいその道を伝道していく方法でもあります。もてなしは、真心を籠めることです。相手のことを思いやり、心の耳を傾けて聴くこと。そしてしつらいは、それを自然の尊敬のままに謙虚におかりし、場を整えていくことです。美しい花の力を借りたり、磨き上げた道具たちに徳に包まれることで万物全体のいのちに礼を盡します。最後のふるまいは、一期一会に接するということです。この人との出会いはここで最初で最後かもしれない、そして深い意味があってこの一瞬を分け合っているという態度で行動することです。もちろん世の中のふるまいのような立ち振る舞いもあります。しかし本来は、見かけだけのものではなくまさに永遠の時をこの今に集中するという態度のことで覚悟のことでもあります。

人生を省みて、その時にどのようにふるまったのか。

つまりその人は、どのような夢や志をもちこの時代の出会いの中での「ふるまい」という上位概念でのふるまいを私はここでの三位一体のふるまいと定義しているのです。これは実は、先ほどの「もてなし、しつらい、ふるまい」の共通する理念を指しているものでもあります。

つまり「生き方」のことです。

場道の真髄と極意は、生き方を日本の文化を通して学び直すことです。先人たちに倣い、本来の日本人の大和魂とは何か、生き方とは何かを、思い出し、それを現在に甦生させていくことで魂を磨き結んでいくのです。

子どもたちが、この先もずっと日本人の先祖たちの徳を譲り受けて輝き続けられるように見守っていきたいと思います。

 

 

本物の生命力

この時期、草刈りをしていると植物たちの力の大きさを実体験することができます。非常に旺盛に元気よく生えてくる草草は、生命力の権化です。少しでも時間を空けると、こんなに大きくなったのかと思うばかりに成長していきます。

よく考えてみると、古木や大樹は樹齢何千年から何百年まであります。よくこれだけ長い期間、あらゆる天災や災害、気候変動を乗り越えてきたものだと感心します。年輪を見れば、その時機時期の気候がわかり時として氷河期、時として温暖期、ありとあらゆる季節を乗り越えて今があります。

そして他にも、枯れていたものや折れていてもそこからまた復活し繁茂します。草刈なんてしていても、きりがないほどにまた繰り返し生えてきます。ひしめき合って居場所を確保し、その中でそれぞれが必死に太陽の光を捉えていきます。水や火や土や、風や日月の光を存分に浴びて木に養分を運びます。

そして多様性です、ありとあらゆる環境、砂漠から高地、海の中や過酷な環境でもその土地に適応して生き延びます。もはや、生命力の大先輩というか権化です。この生命力というものを実感するとき、それは植物の力の偉大さを感じずにはおれません。

私たちは、自然の生命力から本来の生命の本質は何かを学び直せるように思います。最近では、栄養学や医療なども発達していきましたが生命力は果たしてどうなっているでしょうか。

かえって生命力は衰えて、本来の生命の在り方から大きく離れてきているようにも思います。自然の生命力に学ぶことは、自然との共生に回帰することでもあります。私たちは自然と共生する方が本来は大きな利益があるという事実を学び直すことです。

それは自然をコントロールすることではなく、自然と共生して自然の生命力を自分たちも得ることです。現代の人類は生命力が衰えてきています、それは自然との共生を已めたからです。自然との共生こそ自然の生命力を蓄える力であり、それは衣食住、ありとあらゆるところで繋がり直す必要があります。

気候変動で生き残れるかどうかは、この生命力にかかっています。子どもたちが生命力を発揮して、植物たちのように強く逞しく生き残れるように、今、私が取り組めることで世界に貢献していきたいと思います。

 

暮らしフルネスの意味

「暮らし」という言葉は、上位概念と下位概念があるように思います。巷で経済活動の一環として使われている暮らしは、どちらかというと下位概念の生活全般を示すことであって上位概念の人の生き方や生きる道のことを示すわけではありません。

私が提唱する暮らしフルネスは、上位概念の方でありそこには生き方や働き方といった日本人としての暮らし方のことを定義するものです。

そもそも新しい暮らしとは何かということです。

便利な道具、最先端の環境、見栄えのいい雑貨、オシャレな住環境、そんなものが果たして新しいのでしょうか。それは新しいではなく、目新しいだけであって本当の意味で温故知新したものではありません。

もっとも古いものがもっとも新しいものであるわけで、目新らしいものはすぐに古くなるのです。殷の湯王が、「日々新た」と使う、「新しい」の意味は、自分自身を洗い清め磨き直し常に新しいといいました。

これは別に目新しいことを日々にやろうとしたわけではありません。新しいままでいられるように自分自身を磨き続けようとしたのです。これこそまさに、私のいう「暮らし」を実践することです。

そのためには、今に集中して今を味わう実践が必要です。今を味わうための砥石は何か、それは太古の時代からその環境の中で文化として昇華されてきたものを砥石にすればいいのです。

日本人であれば、日本文化であり、大和魂を高めることです。

現在の日本語は、大変残念なことに本物であろうが偽物であろうが同じ言葉を使います。暮らしであっても、暮らし風でも暮らしと語ります。他にも道具に関しても、畳もイ草を使ってもいないものまで畳といい、プラスチックで加工した紙にまで和紙などといいます。

こうやって日本語が、下位概念ばかりが横行して上位概念で使われたものが失われればそのうち日本人そのものの意識の程度も下がってしまいます。

幸福とは、単にお金がたくさんあって物があってなんでも所有できることではありません。現在の資本主義経済では、それが幸福なることかのように思いこんでいる人が多いですが本来は生き方によって幸福になるのです。

生き方が変わるというのは、暮らしが変わるということです。

それが暮らし方を改革するという、私の暮らしフルネスなのです。私も、日々、日本文化に囲まれ、自然と共生し、時を味わい新しい日々を楽しんでいます。その生き方を分かち合いたいと願い、子どもたちに譲り遺したいと祈り、取り組んでいます。

新しい生き方をする人こそ、新しい働き方をし、新しい働き方は新しい暮らし方になり、新しさは「本物」になります。洗練される新しさは、本物だけが持つ輝きを発揮し、日本文化の象徴ともなります。

引き続き、私の実践する暮らしフルネスで日本の未来に貢献していきたいと思います。

いのちの学び

私たちの存在は、古来の親祖から子孫まで長い時間をかけていのちのリレーをしてきて今があります。この今は、どれだけの人が繋いできたのか、それを考えることも少なくなってきているように思います。

自分のことばかりを考えては、自分の代のことしか観えませんが今、私たちが存在しているというのはその前の代、そしてずっと前の代から連綿とつなげてくださったから存在しています。

先祖を感じるということは、本来、今まで私たちが歩んできたプロセスを味わうことです。どのような変遷で今があるのか、そしてこの国がどんな歴史をたどってきたのか、それは教科書で文字だけを読むことで理解するのではなく自分の身体と共に感じる中でその実感を得ることが大切なことのように私は思います。

例えば、今の自分のいる場所から遡りはじめるとします。

自分の両親、そしてその両親の両親、さらにその両親と辿っていけば一代で2倍ずつ増えていきます。5代では約60人、10代では、約2000人、20代で約200万人、30代で20億人、40代遡れば約2兆人、この40代遡ったころが約800年代くらい、平城京があったころぐらいだともいいます。つまり今から1200年前になれば、2兆人の先祖が関わって今の私がいるということです。

その2兆人いる先祖が、一つでも関わらなければ今の私は存在してもいないという事実。この偉大さこそ、私は「徳」の姿の正体であるとも感じています。目には見えないけれど、偉大な恩恵の中に自分が存在している。そしてその偉大な恩恵を、次世代へと譲り渡していくということ。

これは単に自分の子どもをつくればいいという話ではありません。みんなで子どもを育ててきたから今の自分があるということにも気づく必要があるのです。先祖の皆様が愛情をかけてその世代を大切に守り次へとバトンを繋いできた。そのバトンを渡してきた数は、今の地球の人口では敵わないほどの人たちがこの地球と私たちを支えてきたという事実。そういうものを理解するところにこそ、いのちの本体や、今の私たちが本当になすべきことを実感する理由になると私は思います。

日本人も元を辿れば神話に出てくる伊弉諾と伊弉冉からはじまりここまで家族や親せきが増えていき今があります。もとは一組の夫婦からはじまりこれだけの歴史の変遷を経て今にいたります。

そして最近の遺伝子の研究で分かってきたのは、20万年前の1組の夫婦から世界の人類が誕生した可能性があるということです。20万年遡り、もしも今までのいのちのバトンの歴史を目に観えるようになれば私たち人類はみんな兄弟や親せきであることに気づくのです。

それが今では、争い、差別し、貧富の差がわかれ、権力や奴隷などもうまれ、最初の先祖が子孫たちの現状を見たらどう感じるだろうかとも思います。

学校の知識を教えることも大切で文字から学ぶことも、ITで情報を得ることもそれも大事なことでしょう。しかし人類として根源的なものや根幹的なものを無視して、それだけを知識で学んでも本当のいのちの学びにはつながっていないのではないかとも私は感じます。

私が、伝統や家を甦生することも、大和魂や大和心を伝承していくことも、これはすべてこのいのちのバトンの存在やその「徳」に報いたい、報いようと思うからです。

子どもたちがこの先、生きていく中で絶対に忘れてはならない学問があります。それが歴史であり縁であり、いのちなのです。引き続き、私の限られた人生の中で、この永遠のいのちの存在を徳積で可視化し、世の中に伝道していきたいと思います。

 

ハンコ文化と日本人

コロナ中のテレワークで問題になったものの一つに「ハンコ」(印)というものがあります。改めて、このハンコはなぜ必要なのか、そして何のために存在するのかを少し深めてみようと思います。

そもそもこのハンコのはじまりは紀元前7000年以上前のメソポタミアで使用されたのが起源とされています。メソポタミアでは、印章は円筒印章といい粘土板、または封泥という粘土の塊の上で転がす円筒状の印章でした。そして古代エジプトでは紀元前3000年くらいのものと思われるヒエログリフが刻印された印章が発見されています。

「ハンコ」の制度の始まりとしては中国ではなく西洋から伝わった制度で「旧約聖書」の中にも実印や認印の制度のくだりが40箇所程散見されているといいます。そしてこれが日本に伝来するのは約2300年前、後漢の光武帝時代に倭奴国(日本)に送られた金印(漢倭奴国王)だといわれます。これは福岡出身の私にも馴染みが深いものです。

それが平安時代に入り「手形印」として掌に朱肉を着け押す形になりその制度は江戸時代まで使用されたといいます。平安時代後期頃より武将の願文・起請文や遺言状などに花押(書き判)というものになり押印となります。この「押」という字には署名するという意味で「美しく署名したもの」という意味になります。戦国時代の大名の手紙などに見事な押印が多いのを歴史資料館などで拝見したことがあります。家康や上杉謙信なども綺麗な押印でした。

そして江戸時代には花押のことを「判」といい私印が使われる様になり、それまでと区別するようになり、花押のことを書き判、印章のことを印判となったのではないかといわれています。つまりここで今のサインとハンコになる流れを感じます。

そして明治6年10月1日で明治新政府が太政官布告を行なった際「本人が自書して実印を押すべし。自書の出来ない者は代筆させても良いが本人の実印を押すべし。」と定められ現在、私たちが使っている印章が一般的に使われるようになりました。その記念日である10月1日を「印章記念日」にしたそうです。

このハンコという言葉は江戸時代に盛んに作られた木版画やそれに用いられる版木を版行(はんこう)と呼び、それが転じてハンコと呼ばれるようになりました。それとよく間違えられるのですが、ハンコと印鑑は異なります。

このハンコは、個人や組織がその当事者であることを証明する印(しるし)を指します。一般的には切り口が円形、楕円形、角型などをしており全体は棒状をしています。そして印鑑は捺印をした時に紙や書類などに残る文字や絵を表します。つまり、印影と呼ばれるものと同じです。現在では二つを同じ意味で使われるようになり同じ意味だと思っている人が増えています。

長くなりましたが、ハンコには長い歴史があり、現在でもつかわれているところを感じると確かにこれは文化です。日本人は特に、ハンコには「自己」というものの証明で活用しているように思います。つまり意思表明や責任の確認、覚悟や公の立場、権力などありとあらゆる立場を証明するものとしてそのプロセスを重んじたのです。

証明書といった方がいいかもしれませんが、これは「真(まこと)」ですよと真実を顕すものです。真偽をただすためにもその証明が必要だったのです。日本人は正直な民族ですから、かえってそれが時代の湾曲によって真偽を確認する必要が出てきてその都度、証明する大切さが高まったいったのでしょう。

現在では、技術が発展しセキュリティの問題が特に出てきています。簡単に偽造されてしまっては証明が意味をなしません。ハンコ文化はなくなりませんが、ハンコの真偽を守る技術は新しくなっていくはずです。

ハンコをなくそうとするのは確かに、プロセスを重んじる日本人にはできないかもしれませんがハンコを証明する技術は発展しよりシンプルになっていくように思います。

プロセスの中に何度も自分の意思を確認する機会があるということは私は尊いことだと思います。初心を忘れずに、それに取り組んでいるという自己との約束であり自己との対話になります。日本の文化の一つにハンコがなるのは正直さをもつ日本人の徳目ゆえのように感じました。

これからどう展開されていくのか、それも楽しみです。

 

大和と共に

「三つ子の魂百まで」という言葉がります。この三つ子の魂とは一体何のことを言っているのかということを考えたことがあります。辞書では、三つ子の魂百までとは、幼い頃の性格は、年をとっても変わらないということだと書かれます。

つまり幼少期、生まれてから3歳になるころの子どもの性格であるといいます。

私は子どもの憧れる未来のために起業しましたが、これは単に幼少期の子どもの魂を守ることだけが目的ではありません。もちろん、余計なことを刷り込むことで幼少期の魂は澱んでいき本来の自己を発揮されていきませんから引き続き刷り込まない教育、その子らしくいられるような保育はこれからも弘めていきます。

しかし子どもの魂とは、決してある一時的な年齢だけのことを言うのではないのです。私の定義する「三つ子の魂」とは、日本古来の魂のことであり大和魂のことを指します。私が守りたいと強く願い行動しているのは、この「大和魂」を守りたいと祈り取り組んでいるのです。

私が浄化場にこだわるのも、古来の伝統を大切に温故知新して甦生させるのも、自然農や伝統行事からご縁やつながりを守りつづけるのもすべてこの大和魂のためです。

この大和魂というのは、日本人の親祖から連綿と今まで紡いできた大切な日本人の真心のことです。この日本人の真心が大和心であり、それが大和魂となります。

私が好きな先祖の言葉に、古事記にあるヤマトタケルの詩があります。

「やまとは くにのまほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和しうるわし」

またその古事記を研究した本居宣長のこの詩も好きです。

「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」

これは日本古来の大和魂を詠ったものです。

この大和魂や大和心を持った子どもたちを守りたい、私の祈りや願いはこのことに懸けているのであり私の一生の夢はこの大和と共にあります。もしも私が志半ばで斃れても、この志を継いでくれる人が必ず出てくると信じています。

だからこそ、何よりも真摯にこの大和魂や大和心を実践していく必要があるのです。この自然に麗しく瑞々しい感性と透明で清浄な場所、日本。そしてその日本で純粋で初心で無垢な愛嬌のある美しい人々の日本。素直で誠実、正直で謙虚、徳という言葉がもっとも似あうクニの日本。

人生を賭してこの一途な祈りを生きていきたいと思います。

国富論

国富論という書があります。これは1776年に哲学者のアダムスミスが現代の資本主義の思想の経済構造を提唱し出版されたものです。この本は西洋の古典ですが、これが西洋的な経済観念の実質的なはじまりのように思います。

シンプルに言えば、世界の経済は個人個人の利益を最大化させることで発展を続けていくという具合のことが書かれているといいます。そのために如何に生産性をあげるか、そして効率を優先するか、さらには分業するか、現代の経済の仕組みのことを書か書かれます。そして国が富むために必要なのは消費であると定義しています。

そうやってこの200年、世界の経済学は発展しみんな資本主義を導入して国家を富ませてきました。しかしここにきて、コロナも体験し果たして「国家は本当の意味で富んでいたのだろうか?」と疑問に思った人が増えたはずです。

日本は特に、戦後、海外からもエコノミックアニマルと名指しされるほどに経済の発展に集中して世界第二位の経済大国にまでのし上がりました。最近では中国に抜かれていますがそれでも世界の中では経済大国です。しかし実際の幸福度は下がる一方だといいます。

果たしてこれが本当に国が富んだと言えるのか、国が富むとは何か、本当の富とは何かということを今一度、見つめ直す必要があると私は思います。

かつての日本は富をはっきりと定義していました。それは「徳」のことです。つまり国が富むというのは、徳を積む人たちが増えて徳が蓄えられている国になること。それを国宝とも呼び、徳を宝として大切にしてきました。

今では徳は単なる経済の中の「得」でしかなく、本物の徳は戦後の教育によって次第に荒廃していきました。明治以前の日本人は、精神がとても成熟していました。心が素直で正直で感謝を忘れず、誠実であったのは日々の暮らしの中でこれらの徳目を実践し徳を国民全体で醸成する努力をしてきたからです。

黄金のクニである日本とは、本来は徳の溢れるクニである日本であったということです。もう一度、ここで国家の国富論を日本から世界に発信していかなければなりません。それは国富論ではなく「国富徳論」を示すということです。富国有徳という言葉もありますが、国が本当の意味で富むには有徳の社会をみんなで醸成していくしかないということです。

子どもたちが、仕合せにこのクニでいつまでも生き続けることができるように徳が循環する仕組みを私が必ず成し遂げ、このクニを甦生させていこうと思います。