永遠の友情

人間は様々な出来事や機縁を通して共に信頼関係を築いていく中で、お互いの心を通じ合わせていくものです。そして仲間や友達といった、人生を彩る豊かな人間関係を形成していくことができます。そしてそれは一瞬でできるものではなく、長い時間をかけてじっくりとゆっくりと醸成していくものです。

アメリカの初代大統領であるジョージ・ワシントンは、『友情は成長の遅い植物である。それが友情という名に値する以前に、それは幾度か困難の打撃を受けて耐えなければならぬ。』という言葉を遺しています。

友情は一朝一夕でできるものではなく、長い時間をかけてお互いに磨き合い錆びない関係を築いていく中で育っていくもののように思います。

「友」という字の語源は、「右手と右手を取り合う」象形から「とも」を意味する「友」という漢字できました。また同じような意味で「朋」は、「数個の貝を糸で貫いて二列に並べた」象形から「とも」、「友達」、「仲間」を意味する「朋」という漢字ができたといいます。むかし貝殻を、糸でつなぐことは家族や仲間の証であり古代の人たちはその首飾りをすることでこれだけの友達がいる人間であると相手に伝える手段にもなっていたとも言います。

自分が困ったときに助けてくれる存在があること、自分が仕合せな時に一緒に喜び合う存在があること、そして人生のあらゆる喜怒哀楽の感情と共にそれを分かち合える人の存在があることが心を和ませ心を癒し安心する人生を支える土台になっていくように思います。その友情は、立場や肩書などを超えて本物になればなるほどに真実の関係に近づいていきます。

しかしこういう言葉も小林多喜二は遺しています。

『困難な情勢になってはじめて誰が敵か、誰が味方顔をしていたか、そして誰が本当の味方だったかわかるものだ。』と。

実際の友人の人生が何かの出来事によって社会的制裁を受けたり、犯罪者のようになったり、もしくは裏切りというような場面に出くわした時、その時、友情は試練を迎えます。その時、大切なのはお互いの生き方であり、自分自身が大切にしている人生の物差しのようなものが試されるのです。

真の友情は、自分の中にもその友と同じものを持っている中でどれだけゆるすことができるのか、どれだけ信じ抜くことができるのか、そして人生の中で生き方を優先できるかという思いやりや真心との正対になります。いわば、信念のようなものが問われます。

真の友情を持てる人は、その心に真の生き方を持てる人かもしれません。しかしそれもまた永遠の時間をかけて醸成していくものです。だからこそ友情は永遠というのでしょう。

子どもたちのためにも、生き方を貫き、徳を高め、一期一会の永遠の友情を醸成していきたいと思います。

清明心~徳の祈り~

先日、終戦間際に「特攻」をして亡くなった若い方の遺言やメモを拝見し色々と考える機会がありました。この特攻は、「特別攻撃」の略で敵に対し、兵士自身が兵器を抱えて突撃、もしくは兵士が搭乗する兵器をぶつけて道連れにする自爆攻撃のことをいいます。

お国のために死ぬと分かってて突入する、その必死の人物たちはどのような人たちだったのか、今のように平和ボケしてしまっている現代においては戦争のことすらも理解するのも難しいように思います。

その特攻の方々の遺言やメモを観ると、大切な国を守るため、大切な人を守るためにと、自ら真心で命を懸けて前向きに生き切った証が随所に残っていることが多いように思います。そしてその特攻する人たちを見守った人たちの覚悟もまた、想像を超えるような命をやり取りばかりです。ただの愛国心という言葉で片付けられるものではなく、生き方として真心や誠実に生き切った人たちから私たちは生き方を学び直す必要があるように思うのです。

今度お伺いする鹿児島の知覧には、特攻の母とも呼ばれ親しまれ、特攻隊員たちを息子のように真心で見守り続けた人物がいました。富屋食堂を切り盛りしていた鳥濱トメさんが、戦後、遺族や生き残った人たちが知覧を訪れた時、泊まるところがないと困るだろうという気持ちから、特攻隊員たちが当時訪れていた建物を買い取って、来訪者を泊めている旅館を買い取り子孫の方々が語り部として経営しておられます。

この鳥濱トメさんは、訪れた人たちに「とく」という漢字を掌に書いてくださいと言っているそうです。その上で下記のような言葉を伝えるといいます。

「善きことのみを念ぜよ。必ず善きことくる。命よりも大切なものがある。それは徳を貫くということ。」と。

そしてこう仰ったといいます。

「私は多くの命を見送った。引き留めることも、慰めることもできなくて、ただただあの子らの魂の平安を願うことしかできなかった。だから、生きていってほしい。命が大切だ」と。

人間はどんな極限的な状況であっても、誰かを思いやり誰かのために自分の真心を盡そうとします。それがたとえ悲惨な運命であったとしても、自分自身の真心のままでありたいと思うものです。それが日本人が大切にしてきた清明心でもあります。

清らかで素直に明るく正直に、思いやりをもって優しく生きた人たちの生き様こそが本当に遺していきたいものだったのかもしれません。「人徳」とは、人間が生きる道であり、人間が人間として磨かれ玉として顕現する最期の姿なのかもしれません。

以前、島浜トメさんと同じように「徳という自を書いてみよ」とはじめて致知出版の藤尾社長からお聴きした13年前を思い出しました。あれから生き方をどう磨いてきたか、改めて振り返り原点回帰したいと思います。

 

 

徳の本体

「徳」という言葉があります。今の時代は損得の得ばかりが優先されているようにも思いますが、この「徳」は人間が本来備わっている天性の種でありそれをどう育てていくかで今や未来が変わっていくものです。改めてこの「徳」とは何かを少し書いてみようと思います。

松下幸之助氏は、「人間として一番尊いものは徳である」といいます。

本田宗一郎氏は、「人間にとって大事なことは、学歴とかそんなものではない。他人から愛され、協力してもらえるような徳を積むことではないだろうか。そして、そういう人間を育てようとする精神なのではないだろうか」といいます。

吉田松陰においては「士たるものの貴ぶところは、徳であって才ではなく、行動であって学識ではない」といいます。

論語や老子、修身など学問をするものたちにとってこの「徳」は中心に置かれ、その徳を歩むことこそが人間の道であるともいいます。

しかしその徳はどのようなものか文章で書けということになるとはっきりしません。松下幸之助さんもこのように語ります。

『君が「徳が大事である。何とかして徳を高めたい」ということを考えれば、もうそのことが徳の道に入っていると言えます。「徳というものはこういうものだ。こんなふうにやりなさい」「なら、そうします」というようなものとは違う。もっとむずかしい複雑なものです。自分で悟るしかない。その悟る過程としてこういう話をかわすことはいいわけです。「お互い徳を高め合おう。しかし、徳ってどんなもんだろう」「さあ、どんなもんかな」というところから始まっていく。人間として一番尊いものは徳である。だから、徳を高めなくてはいかん、と。技術は教えることができるし、習うこともできる。けれども、徳は教えることも習うこともできない。自分で悟るしかない。』

この徳は、頭や知識で理解するものではなく心境によって学ぶものです。ただ良いことをしたら徳かといえばそうではなく、徳は目には観えないものだからこそ心で悟るしかありません。

例えば、太陽の徳とは何か。日々に私たちを照らし続けていのちに大切な光を与えてくださっています、これを徳とも言えます。他にも太陽は私たちが目には観えない偉大な効果や効能があり、万物を活かします。言い換えるのなら太陽の徳は、陽徳ともいい、明らかにはっきりと徳が観えますが同時に目には観えない陰徳もあります。この陰陽の徳とは、万物の徳のことを指します。

これだけ徳というものは、生きていく上で欠かせない恩恵のことです。太陽を擬人化するのならそこには自己中心的な生き方はなく、万物を活かし続けていく生き方があります。そこは無為自然であり、我欲のない澄んだ真心の姿があるのみです。

老子はその徳にも最上の徳があるといい、それをこう表現します。

「徳のある人は自分の徳を意識しない、それは徳が身についているからだ。徳のない人は徳を意識するため、なかなか身につかない。だから、最上の徳は無為であり、わざとらしいところがない。低級な徳は有為であり、わざとらしいところがある。」

老子はこう続きます。

「ところが最上の礼をわきまえている人ほど、相手がその礼に応えないと、 腕まくりしてでも、自分の礼に合わせようとする。なぜだろう。つまり、こうじゃないか。 無為自然の「道」が失われて、その後に“徳”が説かれ、“徳”が失われたあとに“仁”が説かれ、“仁”が失われたあとに“正義”が説かれ、“正義”が失われたあとに“礼儀”が説かれたのだ。だから、礼儀が説かれだしてからは無為自然の徳など、どこかにいってしまったのさ。なぜなら、礼儀というのは、人間のまごころが薄くなったからできたものであり、世の乱れのはじまりなのだ。仁義を形にする礼がはびこるのは、 見せかけだけのもので、「道」の本質を表したものじゃないんだよ。そんなものは「道」のあだ花であり、人間を愚劣にする始まりなんだ。なぜなら、立派な人間というのは、まごころの厚いほうにいて、 薄いほうにはいないものだよ。だから、もう一度、 形ばかりの礼とか知を捨てて、もとの「道」に戻るしかないのさ。」(老子)と。

ここまでくると徳の本体がはっきりとしてきます。

この「徳」とは、人間でいえば真心のことであり、思いやりのことであり、至誠のことを言うのです。この真心や至誠は決して単なる知識や学識を語るだけで実現するものではなく、真心の行動と実践によって実現するものです。

太陽の徳も月の徳も、水の徳も火の徳も、あらゆるすべての宇宙や自然には真心が存在します。その真心を発揮していくことこそが徳であり、私たちは真心で生きることではじめて本来の徳を積むことができます。

徳を積むことを頭で計算でできるはずはなく、徳を譲ることは我欲など入ればできるはずありません。ただただ一心に真心を澄ませ、思いやりのままに行動し実践することで徳は積まれていくものなのです。誰かのためにや、大切な人たちに自分の保身を入れず誠心誠意尽力していくことで顕現してくるものなのです。この徳を極めはじめて次第に万物自他一体善の境地を体得することができるように思います。

だからこそ徳を悟るには、この真心の実践の場数を積み重ね自分自身が仁徳を身に着けていくしかありません。この道には決して終わりがなく、今も生死を超えて永遠に存在し続けるているのです。

学問は本当は何のためにあるのか、それはこの徳を積み、心を磨き、魂を澄ませ無為自然に徳そのものに近づくためにある唯一の道なのです。人間が人間であるために、自然の中の一部として偉大なる与えられたいのちを活かすために古から今に至るまで本物の学問は須く「道」を説くのです。

引き続き子どもたちのためにも、徳を積む大切さ、徳の経営を実践していきたいと思います。

 

 

全体観~歴史という学問~

歴史を深めていると、その時あったことが後になって全く別の効果を発揮することに驚きます。たとえその瞬間が誰が見てもいいことではないと思っても、その反対側の側面では別のいいことが発生していることもあるのです。つまり物事は全方位で観る場合と一方方向だけで観る場合では意味が全く異なるということです。

この全方位で観るには、長い時間をかけたり、反対側から物事を鑑みたり、もしくは広く大きな視野で観るなど物の見方が成熟している必要があります。意識しなければ人は自分の都合のよい観方しかしていませんから、自分を中心に損か得かで物事を判断しては一喜一憂し一挙一動を決めているからです。特に我が強くなればなるほどに視野は狭くなり自分の価値観や感情に呑まれますから注意が必要になります。自分にいいことだけをやっていたら自分が追いつめられたでは本末転倒になるからです。

先日、応仁の乱のことを調べるとこれより戦国時代がはじまり内乱が続き多くの人たちが亡くなり悲惨な出来事でもありましたが同時に芸術方面の文化や、それまでの身分や差別などの制度も刷新されたりと新たな一面もありました。一見して、ただ悪いと決めつけるのではなくその歴史を深めれば同時にそうではない一面も出ていると思えば完全にマイナスや完全にプラスなどというものはなく、物事は常に両面や全体によって影響を与え合っているということなのです。

これは自然界も同じで、快晴が続けば人間にとってはいいのでしょうがそれが続き過ぎれば水不足になり多くの生き物たちが困ります。台風や嵐も地震もまた一方では都合が悪いのですが別の方向からだと大変な恩恵をいただいていることもあります。天候は常に調和していくのは、全方位全体に対して吉になるようにと働いていくからです。

誰かが都合を押し付ければ、誰かが不都合になる、如何に全体にとっていいかと正対する力を育むことこそが人類が永続するための真の文明人を育てていくように思います。

そのためにもっとも大切な学問が、「歴史」であろうと私は思うのです。歴史は単なる数字やものごとの意味を暗記することではなく、今に生きている歴史を遡り、その中で得る教訓や智慧を学び、全体観を身に着けていくことだと思います。

この全体観が身に着けば、人間は自分というものの存在を正しく認識することができ如何に全体にとっての善さが反って自分のためになるということに気づけます。すると自分にマイナスだと思い込んでいたものが、物の見方が転じられそのすべてが「今の自分に相応しい」ことに気づけます。

するとそれまでマイナスだと思っていたことが、プラスになる、いや「相応しくなる」ことで足るを知り、本来の自己を発揮でき本当の仕合せを永く享受されていくように思うのです。そのためには、常に自分が全体観で物事を捉えているか、全体観で自分を見つめているかと内省を続けなければなりません。

時として、その全体観は誰にも理解されず、非難や否定、批判や恨みを買うときもあるかもしれません。しかし真心や思いやりで取り組んだことは、後の歴史で必ず証明されるものです。

自分の信念を信じて、全体観で歴史から学び実践を積み重ねていきたいと思います。

心と器

「ゆるし」をテーマにして取り組んでいると、そのゆるすことの難しさに驚くばかりです。このゆるしというものは、今の自分を丸ごとゆるすことですがそのためには自分の過去の傷を癒したり、自分の視野を広げたり、自分の体験した歴史を認めたり、あらゆる自分自分の今と向き合いそれを許容できなければなりません。

実際に許容するというのは、言い換えれば器を大きくしていくことであり自分自身のゆるしの器が大きくなればなるほどにゆるしの許容量もまた大きくなります。しかしこの器を大きくするというのは、自分をゆるすことができること、そして他人をゆるすことができることに比例します。自他をゆるすことは、自分自身の器を育てていくことでありこれは一朝一夕ではできないことです。

人は自分自身の器を見るとき、そこに自分の本性や本体を心に映し見ます。この時、器の周りの境界線には縁というか壁ができます。その壁がプライドであったり、トラウマであったり、恐怖心であったり、先入観であったりと、自分の器がここまでと決めているものが壁になります。その壁を壊されることもあれば、その壁を融かすこともあり、もしくはその壁によって自分を守ることもあれば、誰かを守ることもある、つまりは自分の心を載せている器が自分自身の心を支えているのです。

人は心が大きくなっていくと、それを載せる器もまた大きくなっていきます。例えば心が大きくなるのに器が小さければ器の壁が邪魔をして心がその器よりも外に出ることができません。その器は心の成長を抑制し、心の壁を厚く大きくしていきます。その器とは自分の価値観のことであり、自分の価値観を変えていかなければ心のままに自分をゆるし生きていくことが難しくなるのです。その価値観の壁は、例えばありのままを受け入れられなかったり、執着にこだわったり、他人からの評価が気になったり、誰かのせいにしたり、等々とプライドの壁として頑固に強くなるばかりです。

その心と器の関係を良好にしていくことで視野が広がり、許容量もまた増えていくように思います。人は心の成長に伴い、必ずこの器の成長があります。器を大きく豊かにしていくためにも、ゆるしの実践は欠かせないものです。

ゆるすためには、今のありのままの自分をあるがままに丸ごと認めることです。自分のことを自分が受容する、もっと簡単に言えば今の自分がもっとも今の自分に相応しいとそのままの自分でいいと自分自身が受け容れることです。そしてそのためには積極思考というかプラス思考というか、物事を前向きに捉えるということを大前提にしていなければ心は器と調和することはできません。

ゆるしとは、つまり前向きな心器を持てることでありすべてのことを全肯定する幸福の道の理なのです。これはまさに自然界に生きる生き物たちが安心してこの世でいのちを全うしている信の境地のことです。今の人間の社會は安心から遠ざかって孤独と孤立の雰囲気に心を病む人が増えています。

安心して子どもたちが生きていけるように、ゆるしを通してあるがままの自分で自由に幸福になり社會を仕合せにしていけるようにまずは自分たちから生き方を改め見直し、心器を豊かにしていきたいと思います。

絶対受容

本心を我慢して本音を誤魔化していると、自分の心をさらけ出すことができなくなります。自分の心をさらけ出せなくなれば、人との対話は難しく自分の中で決めつけた結論を優先し答えを出してしまうものです。

本心とは自分の感情を含めたありのままの自分のことであり、それを誤魔化し続けていたら自分を無理してしまい自分の方が先に斃れてしまうこともあります。ひょっとしたら感受性が鋭敏で繊細であるからこそ真面目さや優しさや相手の過度な気遣いからいつも無理をしているのかもしれません。しかしその我慢が降り積もれば自他のバランスが取れなくなり生きることが苦しくなり人間関係の喜びを感じることも難しくなっていきます。

この心のバランスは、当然自分だけの問題ではなく相手にも問題がありお互いのことを思いやり助け合う中で維持されていくものです。本来人は誰にしろ一人では生きていくことはできません、しかしその絶対共生の境地を持てるには本当の意味であるがままの今の自分を丸ごと認め受け容れることができなければなりません。なぜなら今の自分を丸ごと認め受け容れることができないでは、必ず思考や感情は偏り、その分我が増長し、我執に呑まれるようになっているからです。人間とはそういう生き物なのです。

この自我妄執は自ら進んで不幸になろうとしている生き方でもあります。その逆に、積極的にあるがままの自分を受け容れあるがままの自分をさらけ出すのは幸福になろうとしている生き方のようにも思います。自分の心をそのままオープンに伝えられる人は、自分との関係だけではなく他人との関係も良好に高めていけるように思います。

そのためにも、日ごろから自分はこう感じているけれどあなたはどう感じているかというようにあるがままの心をあるがままの言葉で伝えあえるような心と心の関係を築ていくしかありません。

それは同時に自分自身との関係も然りで、自分の心に正直になって自分を我慢せずに自分の本心を認めていってあげるのです。それはまるで自分の中に純粋無垢な幼い子どもが居て、その子どものつぶやきを善悪正否など大人の価値観で裁かずにそのままの心を受け止めてそうかもしれないねと笑顔で聴いてあげる受容のようにです。人はそうやって複雑で答えのない矛盾したものをそのままに受け容れ真理や真実を掴んでいくのです。そのプロセスがたとえ危ういものだと感じたとしても、その人にしかわからない天命や使命、そして魂の邂逅があり、そこに偉大な役割を担っているからです。

だからこそ今の自分を丸ごとを受容することが、他人の今を丸ごと受容することになります。傾聴も共感も大切ですが、この「絶対受容」こそ今の自分を丸ごと認めるになり、本来の自己関係、自他関係、全体関係を築き上げていく人生の仕合せの道しるべです。

過去の感情的なトラウマや、自分を我慢して押し殺してきた歴史や、優しすぎて自分を傷つけてきたものがあればあるほどこれはとても難しいことだろうとも思います。しかし自分が絶対受容できればきっと自分だけでなく同じように苦しんでいる人たちを癒し救え、そのことから自他を開放し自由にしあるがままの今の自分を生きる人たちを増やしていけるようにも思います。

仕合せとは自分を偽らずに生きていくことなのです。

私もまだまだ苦しみ倦んでいる途上ですが、謙虚を真摯に学び直し、自他みんなで一緒に人類や生命、そして自分自身が仕合せに生きていくためにも絶対受容する生き方を実践していきたいと思います。

自己確立の道~自立道~

自立というものを深めていくと、そのうちに自己確立ということに出会います。自分のことを一番知っているようでもっとも分からないのが自分ということでしょう。ではどこまで行けば自立なのか、何を自立なのかということになります。実際は、自立は終わりがなくいのちの成長と同じで死ぬまで、いや、魂が続く限り成長し続けることが自立なのかもしれません。

トルストイの遺した言葉に「真の文明人は、人生における自己の使命を知っている人間のことである。」というものもあります。自分とは何か、自分というもののままに生きているかということが今を生きることであり、今に生きているからこそ本心や本当の自己というものを確立していくことができるように思います。

そして自我というものがあります。この自我が自分だと思い込んでしまうと依存が強くなり、自分というものを見失っていくように思います。如何に自我をそぎ落とし、自我を省き、自己を日々に見つめていくかが人生の意味であり体験の妙であるように思います。

一つ一つの体験を真摯に内省し、その内省したことの中から自己を如何に確立していくか。このブログも同様に、それぞれが一人ひとりがみんなで自己を確立していくことこそが真の平和や生きる仕合せに繋がっていくように思います。

自分らしく生きていくというのは、自立していくということです。自立していくということは、自分の心を片時も見失わないということです。私はそれを初心とも呼びます。初心を忘れないで生きていくことが、自分を確立していくことであり確固たる自己に目覚め自分の答えのままに自分を生き切っていくことになるように思います。

しかし初心ほど不安定なものはありません、日々に流され人の評価を気にし、何かに依存して自己を卑下したり比較したりするなかで生きていればすぐに初心を見失い同時に自分も見失います。自分を見失わないで自分を遣り切っていくというのは、天を相手にして自らに問うことの連続です。自分はどうかと自問自答、自学自悟することができるのならそれは自立への道に入って人生の醍醐味を味わっているということです。

人生の醍醐味は魂の昇華であり、本当の自分に目覚め自分になるいのちの開花です。子どもたちが自分らしく自分のいのちを全うしていけるように、真の教育や保育とは何かを自分自身が見失わないように自己確立の道を精進していきたいと思います。

歴史の肌感覚

歴史の史跡を自分の足で辿っているとそこに歴史の重みを感じるものです。単に教科書や本を読んでも、その歴史の重みは分からず、その場所に立ち、過去に思いを馳せて感じていると次第にその時を肌で感じるのです。

この肌で感じるというのは、その場所や空間を体験するということです。空間というものは、時を超えてその場に止まるものです。例えば、その場で過去に何があったのかという伝承を口伝で聴き、その場所に留まり佇んでいると次第のその時の情景が目に映ります。

その場の空気は空間に宿っており、何があったのかを直観し感覚で理解していくのです。これらの能力は、人間には備わっており、私たちは文字を発明し言葉を使う前から、肌感覚で理解するという仕組みが体に染みついているのです。

以前、北海道のアイヌの長老の方にお話をお聴きすると、アイヌは歴史を口伝で理解し、100年くらい前のことはスラスラと思い出すということを聞いたことがあります。

これもまた記憶の仕方の違いであり、肌感覚で理解する人は鮮明に過去のある時をいつまでも覚えておりそれをそのままに伝承することができたのです。現在では教科書で歴史を教え、現地に行かなくても知っているかのように知識の応酬をしてはわかった気になっていることも多いのですが本来は現地に足を運び肌感覚で理解していくのが生きた歴史の認識なのでしょう。

子どもたちが、頭で知識で歴史を理解し大切なことを見落とし重要なことまで風化させていかないように自分自身が歴史に対する認識を改め、肌感覚で歴史を伝承していきたいと思います。

徳の兆し

人は知らず知らずに大きな恩恵をご先祖様からいただいているものです、それを「徳」とも言います。中国の易経の中に、「積善の家に必ず余慶あり」という言葉があります。これは善行を積み重ねた家はその報いとして子孫に必ず幸福がおとずれるという意味です。今の自分が仕合せなのは、先祖が長い時間をかけてじっくりと徳を積み重ねてきた余分を頂いているから幸福を味わうことができるということです。

これは自然界も同じで、私たちは自然の徳恵の利子をいただいてそれで暮らしていくことができます。この大自然から、私たちが食べたり生活したりする分を少し分けていただき安心して末永く暮らしていけるのです。もしもそれがなくなればすべての動植物たちは子孫を残すことができず、生きていくことはできません。先に生きた自分の先祖が真摯に自分の生を全うし譲ってくれたから自然の調和は永続してきたのです。

この逆に、「積不善の家に余殃(よおう)あり。」という言葉があります。 逆に、悪行を積み重ねた家には、子孫までおよぶ災いがあるという意味です。これを自然でいえば自然の利子で暮らすのではなく、資源をすべて後の人のことを考えずに自分たちで使い切るという生き方です。子孫には何も残らず、残るのは禍根のみです。

この徳を積み、徳を譲るということがどういうことか。

つまりは「足るを知る」心を持ってこそ、その徳を実感することができるように思います。そしてそれは感謝の心と一緒一体にあるものです。感謝のままに歩んでいけば、その行路のあちこちで徳恵に出会います。

それは例えば、思ってもいない人に助けられたり、有難い機会やご縁に恵まれたり、奇跡のような体験を味わえたり、その徳の兆しに巡り会うものです。その時こそ、自然に手を合わせたくなるものです。善いことを積んでいくというのは、いただいている分に感謝してそれを有難く使い、余分を次の方へと譲っていくものです。

本来、むかしの日本の先祖たちはみんなそのような暮らしをしてきました。その御蔭様で、今の私たちは世界でももっとも裕福な暮らしをすることができています。しかしそれを自分たちの代だけで使い切ってしまえば、子孫たちはその分、そのツケが巡り不仕合せな現実を与えられてしまうものです。

自分さえよければいいという刹那的な生活ではなく、自然に沿って自然の利子を大切に分度を保ち生きていく暮らしを自分のためにと実践していくことがその徳を譲っていくことになるように思います。

徳がすべての根本であることを自他ともに理解できるよう、御蔭様を観続けていきたいと思います。

人形のルーツ

日本には人形文化というものがあります。むかしは、どの家にも雛人形をはじめ様々な人形が飾られてあったようにも思います。生活様式が変わり、今ではあまり人形を見かけなくなりましたがこの日本の人形は日本人の大切な文化の一つでした。

私の家にも、祖父母から初節句のお祝いでいただいた源義経の武者人形を飾っています。日本の家に人形が多かった理由は、かつて生活環境の厳しさから日本の子どものほとんどは7歳まで生きられなかったといいます。そのため、人間よりも彼岸に近い存在として「子どもは7歳までは神の子」と言われてもきました。 親は子どもが出来るだけ長く生きられるようにと祈り願いを込めて人形を飾っていたといいます。女の子はひな人形ですが、常に人形は健やかに育ってくれるようにと先祖の祈りと願いが篭っているものでした。そのほかにも、様々な祝い事に人形は活躍してきました。

古代、人形の由来はどうだったかを調べると日照りが続いたり、雨の日が続いたりする異常気象が起こったりすると神様が荒ぶって災いを起こしているのだと信じられていました。その神様の機嫌を直そうと、人身御供といって子どもや女性などを生贄に捧げていたとされています。そこで人形にも魂は宿ると信じられていたため、人形を生者の身代わりとして使用したということです。日本でも神話の中で相撲の神様と呼ばれる野見宿禰が、垂仁天皇に人身御供を人形で行うことを提案し受け容れられそこから天皇陵の副葬品として埴輪などの人形が埋葬されるようになったといいます。

そしてそれが土人形になり、今でも伝統工芸品として日本の各地に遺っています。この土人形の始まりは、京都の伏見で土器などを作っていた「土師部(はじべ)」が遊び心で人形を作り始めたのが最初と言われています。その後、様々な形で全国各地に広がり、江戸時代末期〜明治時代の頃には郷土玩具として全国に200ヶ所を超える土人形産地が続出して、庶民生活に深く根をおろしていたといいます。

明治以降は塗料が有害であるという理由でそれまでの塗料が禁止されたり、生活様式が西洋風になり次第に廃れていきました。しかしこの土師部たちがこの2千年以上の間、祈り供養のためにと焼き続けた人形は、確かに日本人の魂を見守ってきた歴史を感じます。

聴福庵にも、おくどさんの間に七福人の布袋さんの土人形があり、玄関の横には鍾馗様という土人形が家を守ります。子どもたちに人形のはじまりや歴史を伝承していきたいと思います。