自立の原点

人間には、体と心があります。最近は脳科学が進んだことで、この体と心のつながっている場所のことを脳の変化を見て様々な角度から分析することができるようになりました。例えば、脳内物質の何かが出ているとき、心身にどのような影響があるかということを計測することができるような感じです。

実際には、根拠がないといわれても心と体が休まるとき、居心地がよいとき、私たちは穏やかでしあわせな感覚を得ることができます。それは例えば、美しい自然に触れた時や仲のよい人たちと結ばれている時、楽しい食事や安らかな眠りの時なども私たちはその穏やかでしあわせな感覚を得るのです。

私たちの思う「時」というものの中には、様々な記憶や感覚が同居しています。いい時も悪い時も、大変な時も穏やかな時も、この時の中に混然一体として心も体も深くかかわっています。

どのような時を過ごすのか、そしてその時にどのような意味をつけていくのか。

一度しかない人生の時の中で、居心地がよい人生を歩むためには自分を知る必要があります。どんな時がしあわせなのか、どんな時が楽しいのか、もっと自分に正直に自分を喜ばせることで自分のことをより深く実感できるようになります。

周囲をみては自分を我慢したり、周りの常識に振り回されて自分を歪ませてしまうと、しあわせや楽しいことまでわからなくなっていきます。一度しかない人生の中で、自分を中心に据えて生きていくことが自立の原点のように思います。

しあわせや楽しいを感じられる環境、心も安らぎ、体も寛ぐ、脳も活性化する、このような安心安全な暮らしを体験していくことで自立はさらに豊かに充実していきます。

引き続き、豊かな暮らしを自立の原点として子どもたちに譲っていきたいと思います。

教育の定義

先日、ある会議で千代田区立麹町中学校にユニークな校長先生がいることを知りました。名前は工藤勇一さんといいますが具体的にには、公立の中学校ながら宿題を廃止、定期テストの廃止、クラス担任の廃止を行いました。

なぜ公立の中学校でもそんなことができるのかと疑問に思う人も多いかもしれません。これまでの前例主義の常識が変革するというのは、並大抵のことではありません。

そもそも公立か私立かを前に、何のために子どもは学ぶのか、そこから目的を再定義し、学校をリ・デザインされたといいます。「何のために学校があるのか。私の答えはシンプルです。子どもたちが社会の中で生きていくためだ」と。

そして工藤さんはこのリ・デザインの具体的なイメージを周囲にわかりやすく理解してもらうために「現代の寺小屋」という言い方をしておられます。なぜなら寺小屋で社会を学び、そのまま社会に出て活躍するための真の教育が行われていたからだといいます。寺小屋では、先生が教えるというものを教育とは呼んでおらず子ども同士の学び合いこそを教育と定義していたと書かれているものもあったそうです。

本来、教育の定義を何にしているかで教育の手段も変わります。

そもそも教育の定義は、私にとっては社會のことです。現代の教育の定義は、個の学識のようになっていますが時代は進み、人工知能がこれから登場しますからますそれは意味のないものになっていきます。

そんな中、人間のもっとも得意な能力でこれから必要になるのは社會の中で協働し協力していくスキルになることが予想されます。チームで働き、支え助け合い、お互いを律しながら理念を優先して大きな目的を実現する力です。

個がバラバラで、自分の好き勝手なことばかりを要求し他を認めずに自分の権利と主張ばかりを押し通していてもチームになることはありません。自他を認めるためには、お互いに学び合い目的のために協力して互いに成長し仲間とよりよい社會を創造していく必要があります。つまり社會の中でどう生きていくかという「生き方と働き方」を身につけさせること、なぜなら生き方が働き方で働き方が生き方になりそれが社會で生きる力になるからです。

さらに対話を通して、多様性を認めることも社會を一円融合するために必要です。お互いの違いを尊重しながらも、本来の目的のためにそれぞれが学び合い折り合いをつけ居心地善いつながりを構築してく。つまり世界を平和にし、社會をよりよく発展させていくためのダイバーシティは必要なのです。

つまりこれからの生きる力を何と定義するか、これが明確であれば教育の定義は根底から変わります。時代時代に子どもたちが何の力が求められているか、それを予測して環境を見守るのが本来の教師の役割ではないかと私は思います。

私たちも社會の一員として、自分たちのなすべきことに専念していきたいと思います。

グローバルリーダー

昨日、米国に本社を置くマッキンゼー・アンド・カンパニーでコンサルティングを経験し、医師でもありながら企業経営をされておられる方とのご縁がありました。

このマッキンゼー・アンド・カンパニーとはそもそも何かといえば、シカゴ大学の会計学教授だったジェームズ・マッキンゼー氏が、会計や財務に力点を置いたコンサルファームを1926年に設立しました。その後、1933年に入社した弁護士出身のマービン・バウワー氏が大企業の戦略策定に比重を置くスタイルを確立し、60年以上にわたってマッキンゼーをグローバル企業に成長させました。現在では米国、欧州、アジア、南米、東欧など世界60カ国に105以上の支社を持つグローバルな戦略系コンサルティングファームとして君臨し全世界の主要企業を対象に、年間1,600件以上のコンサルティング・プロジェクトを手掛けている企業です。

最近は、グローバルリーダーという言葉もよくきくことが増えてきました。このグローバルリーダーとは、国や地域、文化を跨ぐような多様性のある環境で、ビジネスリーダーとして活躍できる人材のことを指しています。つまりは、グローバル化した世界において世界の方々と共に活躍できるような世界的リーダーの一員ということです。

マッキンゼー出身の日本人の経営者に大前研一さんがいます。その方の言葉には、このグローバルリーダーの資質を語っておられるように思います。そのいくつかをご紹介します。

「国に頼らず、会社にも頼らず、日々勉強を続けることで、自分の「名札」にいかにして「値札」を付けるかを常に考えて働くこと。それこそが真の働き方改革であり、そういう人材はいつ、世界のどこへ行っても活躍し続けることができるだろう。」

「ロジカル・シンキングは、答えの範囲を取捨選択して狭めていくときには有効だが、それでは発想は広がらない。誰も気づかないような答えを出すときにものをいうのは、想像力や直感だ。」

「問題はあらかじめ模範回答があると信じて、それを見つけると問題は解決したと安心してしまう。しかし、こういう頭の使い方はまったく役に立たない。なぜなら、21世紀の問題の答えはひとつではないからだ。」

「コンサルティングでも、複数のコンサルタントを雇っている会社の仕事はしないことにしている。それから、「ウチの会社はこういうことがやりたいので、A社さん、B社さん、C社さん、提案書と見積書を出してください」という入札仕事も絶対にやらない。「大前さんしかいない」と言ってくれなければ、考え始めない。自分の人生の大切な時間を割いて、相手のために命がけで考える神聖な仕事である。量販店の売り物ではない。」

「私のコンサルティングの基本は「自分が社長だったらどうするか」である。現場に足しげく通って綿密なフィールドインタビューを繰り返し、経営トップが知りえないような情報をかき集めて、問題点の背景にある原因のさらにまたその原因や課題を炎り出していく。そして自分が経営トップならどう対処するかを客観的に判断して、具体的でわかりやすい提言をひとつにまとめていく。そうやって経営者にアドバイスすれば、私も経営者もお互い悔いが残らない。結果として、そのアドバイスが間違っていたとしても、「あなたは本当に私のために、私に代わっていろいろ考えてくれた。私もそれに基づいて決断した」と相手側も納得してくれるからだ。」

他にもありますが、世界で共通する一流のビジネスマンたちは常に同じ土俵で物事を語っておられます。最後に、グローバルリーダーに関する大前研一さんの言葉です。

「グローバルリーダーといっても、スタイルは決して同じではない。だが、共通点もある。それはものごとの本質を見抜き、答えを自分で考え出せるというところだ。」

答えを自分で考えだすということは、オリジナルであるということです。そのオリジナルとはまさに変人であるとも言えます。坂本竜馬も、吉田松陰も、歴史上に現れるすべての時代のリーダー(変革者)たちはすべてオリジナルそのものでした。

子どもたちが安心して自分を全うできるようグローバルリーダーから学び、オリジナリティの追求を楽しんでいきたいと思います。

発達の最適化

先日、ある会議で脳科学の話しになり「シナプスの刈り込み」という言葉を知りました。脳科学辞典にはこのように記されています。

「シナプス刈り込みとは、必要なシナプス結合だけが強められ、不要なシナプス結合は除去される現象である。発生、発達期の動物の脳内ではある段階になると神経結合(シナプス)が形成され始める。生後間もない時期の動物の脳では、過剰にシナプスが形成され、その密度は成熟動物でみられるよりもずっと高い。生後の発達過程において、このうち必要な結合だけが強められ、不要な結合は除去されて、成熟した機能的な神経回路が完成する。この過程は「シナプス刈り込み」と呼ばれており、生後発達期の神経回路に見られる普遍的な現象であると考えられている。」

そもそもこのシナプスとは、神経細胞と神経細胞との接続部、その接続関係のことをいいます。この神経細胞のことをニューロンといい、それをつなぎ伝達される興奮の増幅や抑制をシナプスが司っているわけです。

人は生まれてから最初に脳の神経細胞を発達させ膨大な量のシナプス結合をしていきます。果てしなく膨大な結合をしていきますが、ある一定のところまで発達したら今度は不要なものだけそぎ落としていくという具合に最適化していくのです。

そうすると自分の人生に必要なだけの神経回路を構築し、その結合部の通り道を標準化して成熟した場所を用意していくのです。まるであらゆる混乱した雑多な都市を、シンプルに自分に最適な都市計画通りに新たな都市を構築するかのようにです。

それでも数百億個のニューロンを維持するのに、人間は大変なエネルギーを消費していきます。人間は意識を維持し活動するエネルギーの20パーセントは脳で消費されているとも言えます。膨大な情報を処理する脳のことを改めて科学で知ることは私たちの人類の発達の仕組みを知るためにも効果的なことです。

話をシナプスの刈り込みに戻しますが、このそぎ落としていく作業というのは人生においても同様に人格を磨く中で同じことが行われます。幼少期、少年期、青年期、壮年期、老年期などをそれぞれの人生の期間において様々な体験をし、自分に必要なものかそうではないものかを刈り込んでいきます。

膨大な体験を通して、自分に必要かどうか、不要かを自己認知してそれを最適化していくなかで人格が成熟していくからです。その刈り込みを、誰かによって刷り込まれると本来刈り込む必要があるところをそのまま残し、そうではない不要なものばかりが残ってしまうこともあるように思います。

脳がバランスを崩すのは、本来の最適化が阻害されるからかもしれません。子どもたちが安心して発達するには、この刈り込みを自然に行われていくための工夫が必要ではないかと私は思います。それはそのままでいい、素のままでいいという状態において、本人自身が善悪是非を問わず、自らそれをやり遂げたときに成熟に向かっていくからです。

安心した環境や見守られているなかで信じられていればいるほど、刈り込みは自然に和していくように思います。それが抑圧されたり、恐怖を与えられたり、不安な状態は刈り込みもまた歪になっていくのかもしれません。

子どもの発達と脳科学を参考にしながら、本来の人間の成長を洞察してみたいと思います。

役割を果たす

ITを使った仕事には、上流工程と下流工程というものがあります。上流工程というものは、SEと呼ばれるシステムエンジニアが行いますがこれは高度な技術だけではなく、要件定義から設計、コミュニケーション、そして大きな責任やプレッシャーがかかります。

そして下流工程というものは、そのSEの指示に合わせて作業を正確にスケジュールに合わせて取り組んでいく人たちです。これはITだけに限らず、家を建てるとすぐにわかりますが棟梁がいて、大工さんや左官さんがいて、今では業種がさらに細分化し、建築士やコンサルタント、ディレクターなど多くの職業が参加します。

しかしよく見ればすぐにわかりますが誰が上流工程で誰が下流工程をやっているのかがわかります。仕事はすべて協力しなければ成り立たないのは前提ですが、やっている仕事の種類と責任が異なってくるのです。

例えば、大工さんであれば日給や時給で働きます。朝8時からきっちり6時に終わります。この短い時間に如何に効率よく質の高い仕事をするかに集中していきます。その作業を取り仕切る棟梁はほとんど作業はしません。その分、その作業する人に的確な指示を与え、その指示通りにできているかを把握し管理して手助けをします。棟梁の給与は時給ではありません、なぜなら作業をする時間も効率も求められず求められているのは、幅広い知識や経験、そして家主や職人たちとのコミュニケーションが必要になります。つまりは作業を理解できるのは当然のことながら、その作業を超えて大切な役割を果たしているからです。

この仕事はとても難しく、作業する人たちの気持ちをまとめあげたり、協力者を探してきたり、ケガや病気を未然に防いだり、本質を維持したり、理念からブレないようにしたり、あらゆる全体のことに尽力していきます。それを時給で計算することができず、まさに四六時中神経を使い、常に学び続けて成長しなければ時代の変化やニーズに対応していくことができないからです。

しかしだからといって今の時代は、スペシャリストの一名だけですべて完璧に対応していくことはできません。多様化した世の中では、あらゆる意見を吸収しチームで働くことを目指す必要があるからです。

このチームとは、役割は分かれていてもみんなで自主協働して一つのことに取り組んでいくということです。その中には、上流工程の仕事もあれば、下流工程の仕事もあります。しかし、上流と下流が手を取り合って、みんなで智慧を出し合ってチームで働いていく。もちろん、給与も時間も立場も異なりますがお互いの仕事を尊重して助け合っていくことでチームはさらにより良いものへ発展していきます。

チームの成長こそが、仕事の質を高め、仕事の成功を実現するのです。

個人主義が蔓延し、権利ばかりを主張する人も増えていますが本来は個人だけで生きていける世の中などはありません。多くの人たちのお陰様で活かされて生きていくことができるからこそ自分も社会のチームの一員として、まずは所属する組織のチームにどれだけ貢献しているか、そしてそのチームがどれだけ社会に貢献しているかに自主協力し協働していくことが役割を生きるということです。

人間としての成長とは、この役割意識を磨いてご迷惑をおかけしていることを自覚しご迷惑をおかけしないような人になっていこうと人格を高めていくことかもしれません。

社會や会社、チームの中での自分の本当の役割とは何か、突き詰めていく人こそが大切な役割を確実に果たす人になるのでしょう。自分とは何か、何が期待されているのか、役割意識を正しく持つことがその人物の成長を決めていきます。

役割の真実をこどもたちに伝えていきたいと思います。

 

岐路

国連から提案された「SDGs」というものがあります。
このSDGs「SustainableDevelopment Goals(持続可能な開発目標)」の頭文字を取った言葉で、2015年9月の国連総会(連加盟国193国)で採択された具体的行動指針のことです。すでに2001年に策定されたミレニアム開発目標(Millennium Development Goals:MDGs)の後継として国連で定められ2016年から2030年までの国際目標として認知されています。具体的な行動指針は、17のグローバル目標と169のターゲットからなり、飢餓、貧困、気候変動の進行、生物多様性の劣化などすぐにでも解決したいと思われる項目が入っています。
日本政府も「SDGs NOW! 17 Goals to Transform Our World」の動画で告知を展開しています。17の項目と169のターゲットは、総務省のサイトからPDFをダウンロードできます。この共通のキーワードの「持続可能」というものが何度も提言されるのは、言い換えれば近い未来に持続不可能な社会が訪れようとしているということです。
持続不可能な社会とは、では何かということです。それは人間がこの地球上で生活することができなくなるということでしょう。その理由は様々にありますがもっとも大きな原因は、自然と人間が乖離している世の中にしているからだと私は思います。
そもそも人間も自然の一部であり、自然物です。その自然物であったはずの人間が、人工物を創り上げ自然から乖離した都市というものを形成しました。そしてその都市というものを、自分たちの中で快適な仮想空間にしそこに消費を通して資金が流通するような仕組みを構築しました。都市の中で行われていることが自然とは別物ですから、その都市に運び込まれる様々なものは自然を搾取したものになります。
大量に生産し、大量に消費する、そこで都市を機能させますから消費されて捨てられていく自然の破壊の量が明らかに自然が創造するスピードを超えたとき持続は不可能になります。
自然の利子で暮らしていた時代から、自然へ借金して暮らす時代へと移ったことが今の持続不可能な社会を実現させてしまいました。しかし人間の欲望は果てしなく、自転車操業のように走り出したら止まれない今の世の中で如何に方向を転換しようかとそれぞれの人たちがそれぞれの場所で向き合っています。
自然と共生していた時代の懐かしさは、今のグローバリゼーションの波の中で消えかけているように感じます。もはや、このまま人類は滅亡に向かっていくのか、それともここで自然に帰るのか。もしくは第3の自然と共生する世の中にするのか。それは現代の世代の一つの大きな使命であることは間違いありません。

だからこそ、私たちは何をもって自然と共生するというのか。そしてどのような暮らしが自然を尊重して自らを立てることになるのか。
人類の自立に向けて、みんなで協力し合ってその答えを生きていくために挑戦を続ける必要があるのです。

子どもたちが100年後も1000年後も安心して、楽しく豊かに生きていくことができる社會を遺してあげたいとみんなそう思うはずです。
手と手を取り合い、子どもたちのために協力していきたいと思います。

花の生き方

花を見て美しいと思う心が人間にはあります。なぜ美しいと感じるのか、そしてなぜ大自然を観て人は心を揺さぶられ感動するのか。心がそう思うのは、そこに確かな宇宙の法則のようなものがあることに気づきます。

この世に生まれてきて、私たちはいのちの価値を知ります。そのいのちの価値は、今を精いっぱいに生きているものによって気づかされます。私が花を見て美しいと感じるのは、今を精いっぱいに生きているからです。

そして百花繚乱の美しさを放つものを観て感動するのが、それがみんなが活き活きと豊かに仕合せに生きている姿を体現しているからです。花が美しいのは、その精いっぱいな姿。

よく私は道端のたんぽぽを観ては足を止めるのですが、それはたんぽぽが太陽に向かって一生懸命その精いっぱいに生きている姿に心を打たれるからです。そしてその精いっぱいな姿はいのちの美しさをそのままに表現しています。

人生は一度きりと知ってはいても、人はあれこれと雑念を持ち、今を生ききることをやめてしまいます。そうやって今を精いっぱい生きていないものは、美しさが翳ってくるものです。どんな境遇にあってもどんな環境であっても、あのたんぽぽのように生きていくことは美しく、私の理想の存在です。

最後に松下幸之助さんはこんな言葉を遺しています。

『今というときは、この瞬間しかない。この一瞬一瞬を精一杯生き切る、その積み重ねが充実した人生をつくり、躍動を生み出すのである』

充実した人生と躍動感、まさに花の生き方です。

花に学び、いのちの花を精いっぱい咲かせていこうと思います。

弱さこそ強さ

人は弱さを否定して強くなるよりも、弱さを肯定して手に入れる強さの方が本当の意味で真の強さを手に入れることができるように思います。弱いものがダメで強いものがいいということが叫ばれる競争社会の中で、本来の強さとは何かということを一度向き合う必要があるように思います。

大前提に競争社会の中にいれば、弱さはまさに命とりになります。強ければ生き残り、弱ければ消滅する。弱肉強食であると教わってきましたが、実際には自然界は人間が言うような弱肉強食をしていません。

むしろ共存共栄をして助け合って存在しているのです。

そのために、確かに見た目には弱肉強食をしているように見えますが実際には弱さを力にして強みに替え、強さを謙虚に必要最小限で生きていきます。人間の言う身勝手な弱肉強食は、個としての強さ、権力的な強さ、能力的な強さこそ力だというような言い方をして弱さを否定します。ここでの弱さは、個としての弱さであり能力及び、あらゆるものが非力であることがダメであるとしその逆を強さと呼ぶのです。

自然界は、弱さを強みにして、その弱さを絆にしてつながり合っています。例えば、一人ではできないことはみんなで力を合わせます。これは弱さが強みになった瞬間です。

チームや仲間を形成するのは、それだけ私たち人間が弱い存在であったからです。特に恐竜の時代も含め、私たちは非力な存在でした。一人ではどんな動物にも負けてしまうほどの弱さがあったのです。それを強みにするために、私たちは協力し協働して弱さを絆に結び付きました。

現在では、身体的な武器が弱いからこそ道具を発明しここまでの科学を発展させたのも弱さを強みに替えたのです。

弱いからダメという発想は、本来の私たちの人間の真の強さの否定になっています。その証拠に、現代は個ばかりが強調され協働することや仲間と共生することなどが蔑ろにされています。

本来の私たちの最大の持ち味まで捨てて、単なる目先の力に頼ろうではあまりにも視野が短く狭いように感じます。未来の子どもたちは、もしかしたら今よりも大変な自然災害や人災に巻き込まれることもあります。その時、どのように乗り越えていくか。私たちがそれを繋いでいく責任があります。

弱さは私たちの最大の武器であったことを、正しく伝承して大変なときこそ力を合わせて乗り越えてほしいものです。子どものためにも、私たちは古に学び、今に智慧を甦生させていきたいと思います。

全体を活かすための環境を創造する人~管理とは何か~

組織には管理職というものがあります。この管理とは「よい状態であるように気を配り、必要な手段を(組織的に)使ってとりさばくこと」と辞書にはあります。

この管理の語源は「管轄辨理(かんかつべんり)」という言葉が略されてできたものだといわれます。「管」は門を開閉する鍵であり「轄」は、車輪が外れないようにするためのくさびのことであるといいます。つまりもともとは権限によって支配するという意味があったようです。

現在の管理職に対するイメージが一般的に支配的なものになっているのは管理社会など、管理とつくと権限で支配しているようになっているからです。海外ではこの管理職をマネージャーといいます。そして管理することを「マネジメント」といいます。

このマネジメントというものの意味は、アメリカでマネジメントと父と呼ばれたP・Fドラッガーは「組織に成果を上げさせるための道具、機能、機関」であるといいます。そしてその管理者をマネージャーといって「組織の成果に責任を持つ者」と定義します。つまり組織に成果を上げさせるための仕組みがマネジメントであり、組織が成果を上げるように働きかけその責任を持つ人をマネージャーというのです。

さらにそこからマネージャー(管理職)の役割の代表的なものを具体的に記します。一つ目が「組織が果たすべきミッションを達成する」こと、そして二つ目が「組織で働く人たちを活かす」こと、最後が「社会に貢献する」ことだといいます。つまりみんな会社の目的や目標のために協力しながら、それぞれが尊重され自己実現も同時に行い、一人ひとりが活かされるように全体最適と全体快適を創造し、長期的な眼差しで短期的な日々の仕事をコントロールしながら社会全体に善い影響を与えていく仕事ということです。

私の今の言葉でシンプルに定義すると管理職とは、「全体を活かすための環境を創造する人」ということでしょうか。

これは私たちの会社で現在、むかしの田んぼを一緒に運営している不耕起栽培の農家の達人の方々が稲が育ちやすいようにあらゆる管理をしていることがモデルです。その管理の考え方は、自然の道理に精通し、もっともどうすれば稲が活き活きと生長するかを中長期、そして温故知新した自然と科学の技術を駆使して見守っています。その管理はまさに「全体を活かすための環境を創造」をしています。

例えば、多様な虫たちが活動しやすいように活かす智慧。そして稲たちに厳しい環境と慈愛の真心をかけてはしっかりと稲自身が最高の一生を送れるようにサポートする智慧。そしてその育ったお米は、社会全体に対する大きな影響を与えているのです。

私のイメージし定義する、管理職や管理者、マネジメントやマネージャーはこのむかしの田んぼを一緒に運営する農家の実践のことです。

みんなが安心して活き活きと生を全うしつつ、田んぼも自然も同時に見守っていくには組織をどう活かして成果を出していくのかの様々なことを改善し取り組んでいく必要があります。

ただ単に、一方的に肥料や農薬をまき機械で管理するという農業もありますがこの時の管理者は全体を活かし環境を創造したのではありません。同じ成果でも、プロセスが異なれば管理職や管理者の定義がまったく異なることをマネージャーは理解しなければなりません。

育てるということがどういうことか、育つということが持つ意味は何か。そこをまずしっかりと学び直し定義することで、これからの多様化社会の在り方を見つめ直す機会になると思います。

子どもたちが安心して新しい環境や社会を創造していくためにも、そのモデルになっていきたいと思います。

 

物語の意味

物事には必ず物語がついてきます。その物語は、短期的にはわからないものですが長期的になればなるほどその物語の本質が現れてくるものです。

これをご縁ともいいます。

そのご縁は決して偶然ではなく、先祖代々、長い時間をかけて刻まれてきたもので同時に結ばれてきたものです。それを時空を超えて、今の私たちが体験してつながりを確認するとき物語が現れてくるのです。

なぜこの人と出会うのか、なぜこのような体験をするのか、突き詰めて深めていけばその原因は必ず過去の何かに行き当たります。だいぶ前、つまり生まれる前のこともありますから思い出すのは難しいものがあります。しかし辿っていけば、偶然とは呼べないあまりにも不思議なことに巡り合うのです。

まさにここに物語があります。

物語があるということは、ご縁があるということです。だからこそ大事なのは、物語があるということを感じる感性を磨いていくことです。その感性が磨かれている人は、ご縁を大切にします。そしてそのご縁の意味を時間をかけて丁寧に紡いていきます。そして現れた意味に対して素直に従い、結実させていくからです。

良いか悪いか、正しいか間違っているか、メリットがあるかどうかなどは物語においてはたいした問題ではありません。物語があることにこそ意味があり、物語を紡いでいくことこそが人生の意味になる。

一期一会というのは、その時に生まれた言葉なのかもしれません。

引き続き、ご縁を大切にして子どもたちに繋がりを託していきたいと思います。