和の調菜人

聴福庵では炭火を使った湯豆腐料理をすることがありますが、地下水と備長炭の絶妙の調和で美味しく仕上がった湯豆腐はいつも来庵した人たちの心身を癒し喜んでもらっています。

この湯豆腐は、江戸時代の中期には日本人の生活に根づいたそうですが江戸初期にはまだ特別の日のときの食べ物だったといいます。特に農民にとっては非常に贅沢な料理でいつでも食べられるわけにはいかなかったようです。

実際に徳川家康と秀忠の時代には村々ではうどんやそばと共に豆腐の製造も行ってはならず、農民がそれらを食べることも許されない禁令が出されていたといいます。さらに家光のときの「慶安御触書」には豆腐は贅沢品として、農民に製造することを禁じています。 そのころの将軍家の朝食は、豆腐の淡汁、さわさわ豆腐、いり豆腐、昼の膳には豆腐をいったんくずして加工したものが出されていたといいます。

実際に湯豆腐の料理は、水、昆布、豆腐だけです。実際の調理方法は、地下水のチカラ、炭火のチカラ、鉄鍋のチカラ、そして素材のチカラだけです。これらのチカラを如何に引き出すか、それは私の和の調理の原点でもあります。これらは精進料理ともいいますが、だからこそ澄み切った深い味わいを楽しめるのです。

そして豆腐の80パーセントから90パーセントは水分ですから、この水が重要なのはすぐにわかります。そして豆腐をつくるのは熱ですから火です。この水と火の具合をよく直感し研ぎ澄ませて手間暇と時間をかければ必ず人間が全身全霊で美味しいと思えるようなものができてきます。

私は調理師免許などもなければ、料理人として生計を立てているわけではありません。しかし暮らしを甦生するなかで、何が本来の料理だったか、何がはじまりだったかは学んできました。

学びというものは、単に知識を得て資格を取る事ではありません。すべて伝統の智慧や先人の努力の積み重ねた今の中に生きていますからそれを謙虚に学び、それを今に甦生させていくだけでいいのです。

世界に誇る、日本ならでは和の料理とは実にシンプルなものです。

今日も、先祖が深く関係しご縁があった懐かしい来賓があります。主人のおもてなしと生き方を観ていただき、一緒に団欒を味わいたいと思います。

尖がるということ

私はよく人から尖っているといわれることがあります。この尖っているというのは、大辞林には① 先が細く鋭くなる。とんがる。 「 - ・った鉛筆」 「口が-・る」② 感じやすくなる。過敏かびんになる。 「神経が-・る」③ 声や表情が怒りで強く鋭くなる。と書かれます。

実際に私が使われている尖っているというのは、比喩的に他と比べて非常であることや偏って突出しているという意味で使われます。これは自分の得意なところを伸ばしてきたといっても過言ではありません。

自分の得意なところを伸ばすというのは、自分にしかない武器を磨いていくということです。自分の武器とは、自分の持ち味であり自分の持っている強みを磨いた先に出てくるものです。

どんな刀であっても、研いで手入れしていなければなまくら刀になってしまいます。自分の刀は自分で磨かなければなりません。そのためには何を砥石に磨いていくか、そしてどれだけ鍛錬を積み重ねて自分にしかないものにしていくかはその人の求めている志の高さや想いの広大さ、そして真剣に打ち込んだ場数が決めていきます。

そしてそれがある一定以上の極みまで達した時、その人の強みになるのです。その強みがはっきりすればするほどに周りはその強みを活かそうとします。その強みが世の中に対して明確に使われるものになるからです。強みを周囲が理解すれば持ち味も活かせるのは自明の理です。

しかし私はそれだけでは決して「尖る」まではないように思います。この尖るというのは、覇気が必要です。覇気とは、強い意志であり、本気の覚悟と行動と実行であり、積極的に取り組む意気込みのことです。

これが持ち味と重なったとき、人は自分にしかない武器を持つことができます。そしてその武器があれば、世界の一流の人たちと渡り合うこともできるようになるのです。

若いうちから尖がっている人は、自分を持ち、自分の意見を貫いてきた人です。そして自分が意見した以上、その言葉に責任をもって挑戦と冒険を続けてきた人です。私の同志も戦友もまた、一緒にこれをやり切ってきた人物です。

だからこそ今、一緒にいることで勝負できるようにおもいます。お互いにここまで切磋琢磨し合ってきたからこその今があります。夢の実現に向け、挑戦を続けていきたいと思います。

 

 

マインドフルネス

マインドフルネスという言葉があります。これは、「マインド(心)」+「フル(〜で満ちた)」+「ネス(状態)」という単語が合わさったものであり、日本語だと「心が満ち足りた状態」と訳されます。

この言葉が一般的な生活を送る人たちのストレス対処策として広まることになったのは、ジョン・カバット・ジン氏の活動によるものです。具体的には「マインドフルネスストレス低減法(Mindfulness-based stress reduction)」という、慢性的なストレス症状を緩和するためのプログラムを開発し、瞑想やヨーガを、臨床医療の現場に適用して、最初に成果をあげました。

このジョン・カバット・ジン氏は、マインドフルネスをこう定義しています。Mindfulness means paying attention in a particular way: on purpose, in the present moment, and nonjudgmentally.」(マインドフルネスとは、意図的に、今この瞬間に、判断せずに、注意を払うこと)と。

これを私が意訳すると「今、此処のすべてにに心を置く意識」ということになります。私も一期一会を座右にしていますから、同じ心境を日々に実践して生きているとも言えます。つまり「人生のご縁を辿り、ご縁に委ね、すべてをお任せする境地。」これは私のメンターである、鞍馬寺の導師からご指導いただいた境地の実践です。

現在、アメリカで有名な世界的企業グーグルがこのマインドフルネスに取り組み注目をされていました。こういうことをするとすぐに宗教だとか敬遠されますが、グーグルでは瞑想やマインドフルネスを「宗教の実践」であるとみなしてしまうのではなく「人間の営み」として見るようにしたとも言います。

今の時代は、頭ばかり酷使して心が着いてこず、忙しさや繋がりが切れた画一的な競争社会でメンタルを著しく傷つけ、心身が病んでいる人が増えています。そして医者も患者も安易に薬に頼り、症状の悪化を停止するだけで現実を歪めてもさらなる不安を招き苦しんでいる人も増えています。このような悪循環は、人間の社會が本来の人間らしい暮らしを奪ってきたからだと私は思います。

人間はもともと自然の一部ですから、自然の速度があるように心の速度、精神の速度、成長の速度があるのです。じっくりと今を歩き、今を内省し、その今の意味を紡ぎながらずっと続いてきた道を自らの足で歩み続けるとき安心します。それを「魂の行路」とも言いますが、人類はそうやって「今」を生き続けているのです。

それを何かしらの影響で行えないからこそ、人は立ち止まりどうしていいのかわからなくなってしまうのです。だからこそ、仏陀は死の直前の遺言として「自灯明法灯明」といって自然の摂理に従い、自らを拠り所にし、自らを生きよといったのでしょう。この「マインドフルネス」には仏陀の言うような人類の生き方を思い出す智慧が入っています。そしてこれは仏陀に限らず、先祖が「暮らし」を通していのちを全うした先人の智慧が入っています。

私にとってのマインドフルネスとは、つまり人間らしい「暮らし」を甦生させていく智慧の一つです。現在、建築中の「BA」ではその理念の源流にこの暮らしの智慧を凝縮させています。

どのように人々の心や精神、体を救済していくか。私の理想をこの「場」に懸けます。人類の方向を換えていくための手段を研ぎ澄ましていきたいと思います。

働き方改革~国を守る改革~

現在、働き方改革ということで政府が進めているものは、テレビや報道でも「残業規制」「テレワーク(在宅勤務)」「副業・兼業」「同一労働同一賃金」等々、労働人口の増加を狙ったものであるのは見ているとすぐにわかります。

人口減少社会の中で、経済力を下げないように労働者を増やす必要があります。そのために、働き方を多様化しようという目論見なのかもしれません。実際には、画一的な働き方をしている企業や旧態依然の仕事の仕方をする企業などを批判したりしていますが、実際に霞が関の働き方が変わっていない中で説得力がないのもすぐにわかります。

さらに学校や福祉、そのほか、社会の下支えしているような大変な会社の方々をはじめ、伝統職人や厳しい現場で働く作業員の方々など、とてもこの働き方改革の目指すところとはかけ離れた現実があります。

そもそも一斉に同じように何かを施工していこうとすること自体が、すでにこれらの多様化という発想から外れているのであり、本来の多様化ということであれば現在の世の中の仕事を認め、それをきちんと評価し国家がそれをケアしたり、国民を大切に守っていくことで行われていくものです。

言葉遊びのような働き方改革では、人を大切に守ることはできないのではないかと私は思います。

世の中でブラックだとかホワイトだとか、そういうものを決めつけて批判したり評価するのもまた画一的な世の中にしていくことと何ら変わりがありません。その批判や評価が成り立つのは、競争原理があるからであり、競争を無理やりさせて厳しい環境で働かせているのだから働き方改革はまず前提としてそこから取り組むべきでしょう。

実際には人を大切にする経営をしている会社は、みんなで協力してすべてを守るように働きます。人を守り、社会を守り、未来を守り、国家を守り、子どもを守り、家族を守ります。みんなで、大切なものを守っていこうと人としての規範やモラル、そして生き方や人生を大切にしていくような社会になれば自ずから働き方は変わります。

それは世界に出て、他の国々を観に行けばすぐにわかることです。国家理念や国家政策が、どこを向いているのか。そして具体的に国民に対して、どこまで優しく大切にしているのか。それは国家の理念の優先順位が決めるものです。企業も教育ももともとはその国家理念に沿って取り組んでいく手段の一つであるからです。

まず道徳的であることは、すべての根本です。

働き方改革で本当に変えないといけないものは一体何か、子どもたちに譲り渡したい愛のために挑戦していきたいと思います。

暮らしとは何か

暮らしという言葉の定義も時代と共に変わっていきます。現代は、かつてのような懐かしい暮らしは消失し、仕事の中に少しだけ暮らしの要素が残っているくらいです。本来は、暮らしの中に仕事があるのですが仕事が暮らしよりも優先されているうちに暮らしが失われていったように思います。

この「暮らし」という言葉にも会社の「理念」と同じように目的と手段があります。暮らすことが目的であるのか、暮らしは手段なのか。会社であれば理念が目的であるのか、それとも手段なのか。

さらにシンプルに言えば、何を優先して生きていくのかということが暮らしにも理念の言葉の定義を決めているのです。つまりは、単なる生活や生計ではなくそこには「生き方」があるということです。

暮らしをするというのは、生き方を優先して貫いて実践していくということです。同様に理念を実践するというのは、生き方を優先するということです。

私は、会社でも実生活でも常にその暮らしや理念を優先して生きています。働き方改革といわれ、様々な手段が世の中に横行していますが実際にその手段をやることが改革ではありません。

日本という国もまた働き方改革では日本は変わりません。本来の日本を変えるには、生き方改革をする必要があります。生き方改革をするには、それぞれに真の意味で自立していく必要があります。自立するためには、生き方を決め、生き方を変える勇気が必要です。そしてその勇気は、協力や思いやり、そして正直さなど社會そのものの徳をみんなが高めて磨いていくしかありません。

そのためにもまずは、自分が生き方を決めて実践していくことでそのような社會になるように努めていくことが世の中をよりよくしていくことになるように私は思います。

暮らしというものは、日々のことですから小さな日々の選択が必要です。生き方と異なるものをいちいち生き方に照らして取り組んでいく必要があります。ブレないで理念経営を実践するかのように、同様に生き方も磨き続けなければなりません。

しかしその生き方を磨き続けることで、人は真の意味で安心が得られ、穏やかで確かな自信に満ちた生活が約束されていくように思います。お金があるから老後が安泰なのではなく、権力があるから安寧でもない、自分自身を生きること、自立することでしか本当の安心立命は得られないということでしょう。

私たちは子ども第一義の理念を掲げていますから、日々の暮らしもまた子ども第一義の暮らしを社員一同、私も含めて目指しています。その具体的な手段が少しずつ顕現し、働き方も改革されていくのは心地よいことです。

流行を追わず、時代に合わせることは大切なことです。時代は私たちのいのちも含めて時代ですから、私たちが自立することで時代は創られていきます。日々に実践を深く味わい楽しんでいのちを使い切っていきたいと思います。

食の安心安全~人類の保育~

昨日、保育環境研究所ギビングツリーの職域別セミナーで高場馬場で自然食イタリアンのお店、カーポラヴォーロを経営する鳥海シェフの講演を拝聴する機会がありました。

このお店の理念は「農家さんとの絆を大切にしながら、自然に近い食材や、新鮮な野菜にこだわり、“身体が喜ぶお料理”と“笑顔あふれる時間”をご提供いたします。」とホームページにも書かれています。

実際に何回も食べに行ったことがありますが、自然栽培の農家と直接契約してその素材を活かしながら一つ一つ丁寧に手作りで素材が引き立つようにしつつも、見た目も美しく整っており味わい深い時間を過ごすことができます。

料理する人間は、人格を磨くことだとイタリアの師匠の後ろ姿から学び、自然食にこだわり世の中に貢献したいと信念を貫くための苦労などを話しておられました。高田馬場は学生が多く、どうしてもファーストフードのお店が多くなります。その中でも、スローフードのお店を展開し、敢えて自然食にこだわることで地域へも貢献しています。

講演では食品添加物の事、また遺伝子組み換えのこと、動物や野菜へストレスを与えること、種が崩れていることなど、多岐に及びました。

私も若いころからこの分野においては自分の手と目で色々と試したこともあり、現在の現代病といわれる様々な病気につながっていることや、これが環境汚染のもとになりそれがまわりまわってまた人類に悪影響を及ぼしていることに気づきました。

私が保育の仕事に専念するようになったのは、環境問題はすべて人類の問題であることに気づいたからでもあります。人類の幼児期、つまりその時期にどのような環境を用意することが永続する保育を実現するのか。

結論を言えば、余計な刷り込みを与えず、自然の状態を維持できるように私たちは地球全体最適のために本物の文化や伝統を伝承し、風土に沿った環境を用意し子ども同士で学び合うのを邪魔しないことであるとたどり着いたのです。

そこから人類を見守る保育を信じ、ここまで環境や場づくりに取り組んできたのです。実際には、ハチドリの一滴のように私たちの活動はとても小さなことかもしれません。しかし水滴が岩に穴を穿つように、長く地道な活動がいつの日か、子どもたちに伝承され、思いが人類の心の故郷に届き、世界が変わる日も来るように思います。

社業で実践するすべては、そのような祈りを籠めたものばかりです。

子どもたちが安心安全で幸せな食べ物を食べ、豊かに笑顔に生きていく未来を一緒に創造していけるように食の安全安心を突き詰めて本物を子どもたちに譲り渡していきたいと思います。

スタートアップの本質

昨日は、アニス・ウッザマン氏からのお誘いもあり郷里の嘉穂劇場で世界60か国で開催されているスタートアップワールドカップの九州予選を見学する機会がありました。今回の予選ではスタートアップを目指す10社から4社ほどに選定され、アメリカである決勝に進出するまで勝ち上がっていきます。

プレゼンもユニークなものがありましたが、15分間ずつ講演されたミドリムシで有名なユーグレナの出雲充社長や、マイクロソフト社の澤円氏のプレゼンテーションです。

出雲社長からは、努力し挑戦することの価値を語られ、澤氏からはマインドセットや生き方について語られました。まさにスタートアップの本質とは何か、何のために起業するのか、そしてどうあるべきかという原点を語られておられました。

お二人に共通していたのは、できない理由を考えていてもできはしない。それにやれない理由などは何の障害にもならない。人生は一度きり、自分の生き方を貫くことに信念をもって正直に生きることというように私は感じました。

自分を貫いていくことはとても大変ですが、人生において何よりも大切なことです。それは決して頑固になれということではありません。自分を信じ続けるために努力と挑戦を続けていくということです。

誰もが不可能と思えるものでも、誰もが失敗するといったことであっても、自分自身が信じたものを自分自身が最期まであきらめずにやり切ること。後悔をしない生き方をしていくということです。

まさにこの地、この場、この空間で語られるスタートアップはかつての挑戦者たちへの追悼であり、新しい起業家へ向けたエールでもありました。

故郷でその情熱を燃やし、一期一会に生きようとする志をもった方々が集まりこれから一緒に何を挑戦するのか。これからの新たな時代の幕開けがとても楽しみです。

日本の味の伝承

日本の味というものがあります。それを和食とも言います。和食とは何か、その定義はそれぞれにあるように思います。私も数寄で料理をしますが、日本の和食料理の原点、源流というものがあると思っています。

その一つにとても大切だと私が感じるものは、全体と調和するものということがあります。他を邪魔せずにお互いに支え合う、縁の下の力持ちのような存在の味わいです。

これはかつての稲作の伝統行事であったり、神道の祭祀であったり、歴史の日本の先人たちが徳の高い生き方をしている中に観ることができます。全体調和しながらもオリジナルの個性がある。他を受容しながらも、自立している。そしてそれが美しく豊かで多様な味わいを出していることです。

たとえば、料理であれば水、そして火を中心にして料理します。その水もその土地の自然の湧き出たものがよく、火もまた炭火や小さな枝木などの弱火がいいのは当然です。

そのうえで、昆布や鰹節などを用いてじっくりと出汁をとります。主食は玄米の深い味わいを炭火と鉄の鍋と竈で炊くことで蒸していきます。天然の天干塩もまた、それぞれの素材の深い味わいを引き立てます。

まさにこの辺こそ日本料理、和食の源流であり原点であると私は感じています。

だからこそ本物の素材であることは、私は子どもたちに料理を伝えるために何よりも大切な要素であると思っているのです。本物の水、本物の火、本物の鰹節、本物の昆布、時間と手間暇、古来からの自然調和する製法にこだわったもので料理することの大切さを伝承したいのです。

特に幼児期の子どもの感覚は原始的なものを持っています。この原始的なときこそ、原点や源流を味わうことで和食の伝統が伝承されていくのです。私はもともと料理人の肩書とか持っていませんし、資格もありません。

しかし何のために料理をするのかといえば、そこに子ども第一義の理念の実践があるからです。それぞれに目的が明確であれば、具体的な手段はすべて理念を実現するための方法論の一つとして表現されていきます。

これから鰹節を削り手作りの発酵味噌を焼き茄子と一緒につくりますが、日本人の味わいを言葉ではなく真心で伝承していきたいと思います。

生き方優先

人は立場で色々な肩書を持つものです。その肩書は、その人の立場を現わすものですが実際にはその人の生き方を現わすものではありません。社長でも医者でも、先生でもなんでも肩書や立場が分かってもその人の生き方は別なのです。この肩書や立場はあくまでその人が何の技術を持つ人かはわかりますが、実際にその能力や技術もどれくらいあるのかはわかりません。

世間の評価があって実績を持っていても、実際にその人のことを深く知らなければ本当の意味での実力はわかりません。そう考えてみると、肩書や立場や能力ではなくその人の生き方のみがその人本来の姿を顕すように私は思います。

生き方というものは、その人が何を優先して生きているかということです。それを信条ともいい、信念ともいい、理念ともいい、初心とも言います。その決めた生き方を貫かれている方か、それとも事に乗じてそれらを出したり引いたりしている方か。それは生き方に出てきます。

どんな時でも自分が決めた覚悟や決心に生きる人は、生き方を持っています。

この生き方というものが本来の質を左右するように思います。そして人間は本当に信頼するかどうかもまた、その人の生き方を観た時です。

常に大切な選択をするとき、その人は信念を貫いたかどうか。

これは大切な判断基準です。何のために生きるのかを設定すれば、何のためにこれをやるのかは自ずから顕現します。そして何のためにやるのかを決めたら、それを実行するためにあらゆる手段を模索していきます。

実際に肩書や立場で生き方がない方は、手段ばかりが目的になり中身がありません。そしてそのうち本来の目的も忘れ、その目的すらも手段の一つにすげ変わってしまいます。本来、守ることがあってはじめたことが守るものがすげ変わっていくような具合です。

だからこそ生き方が常に問われるのです。

生き方は、その人の信用を決めますしその人の人生を決めます。これは経営者であれば、理念こそすべての目的であり、そのための経営は手段であるからこそ必ずその理想はいつの日か実現します。だからこその生き方が優先なのです。

生き方を自分が守ることは大変なことです。なぜならそこには常識を破ったり、想定外の冒険をしたり、誰もやらなかったことに挑んでいく必要があるからです。

しかし悔いのない人生が訪れ、自分の心の声や魂に従うことができてきます。自分らしい人生と、子どもたちが憧れる生き様が訪れます。

一緒に取り組むということは、生き方を一緒に目指していくということです。引き続き、自分自身と正対しながらかんながらの道を歩んでいきたいと思います。

優先順位

経営者には勇気というものが求められるものです。それは優先順位を決める必要があるからです。生き方とは、優先順位を守るということですから具体的な経営には必ずその優先順位を選択するための勇気が出てきます。

経営学の父と呼ばれたPFドラッカー氏はこう言います。

「優先順位の決定には、いくつか重要な原則がある。すべて分析ではなく勇気に関わるものである。第一に、過去ではなく未来を選ぶ。第二に、問題ではなく機会に焦点を合わせる。第三に、横並びではなく独自性をもつ。第四に、無難で容易なものではなく変革をもたらすものを選ぶ」

このどれもが先延ばしではなく、曖昧ではなく、本来の理念を定め何を今何にもっとも自分を使うべきかということが問われます。自分自身が決めた理念や初心を貫くと決めたなら自ずから優先順位は決まってきます。目の前の諸事に流されるのではなく、本来自分が最も決断をし実行すべきことが何かがはっきりとするのです。

そして優先順位をはっきりさせて実行するときにこそリーダーというものの存在の価値が明確になってきます。そしてPFドラッカー氏はリーダーの心得を「リーダーたることの第一の要件は、リーダーシップを仕事と見ることである」と説きます。そしてこういいます。

「リーダーシップとは、組織の使命を考え抜き、それを目に見える形で明確に確立することである。リーダーとは目標を定め、優先順位を決め、基準を定め、それを維持する者である」

まさに優先順位を守り続けるものこそがリーダーシップだということを定義しています。その上でリーダーに必要な欠かせない大切な資質をこういいます。

「リーダーたる者にとって最も基本的な資質は、真摯さである」

この真摯さというものは、自分自身を信頼することです。言い換えれば、自分の魂や心に嘘をつかない、自己自他に誠実であれというのです。つまり、リーダーとは生き方を優先し、働き方を導けということだと私は思います。

謙虚であることは、勇気が必要です。自分自身であるために常に日常で試されているものに立ち向かい、日々の試練によって理念や初心を磨き続けていかなければならないのです。

そして勇気は冒険がつきものです。冒険するのをやめたとき、人は同時に謙虚さも失うのかもしれません。

「日常化した毎日が心地よくなったときこそ、違ったことを行なうよう自らを駆り立てる必要がある。」
リーダーの生き方は、優先順位であることを改めて自戒し、納得のいく日々を歩んでたいと思います。