真理と生きる

久しぶりに三重県伊賀市にいる私のメンターにお会いしました。コロナもあり、お便りが途絶えていたのもあり心配していましたがご夫婦共にお元氣で安心して嬉しい時間を過ごしました。

いつお会いしてもとても純粋な方で、遠い未来を見つめて深く考えて行動されておられます。世間一般には、気ちがいや変人などといわれていますが私にすればそうではなくあまりにも根源的な智慧に対して正確無比で本質的、そして自然的に真実を語る姿に現代の価値観に毒された人たちや刷り込まれた人たちには理解できないだけです。

よくお話をお聴きしていると、すべては自分の実体験からでしか語っておられず、そして自分の身に起きたことや感じたものを素直に掘り下げてそれを誰よりも素直に受け止めて歩んでおられます。色々な大変な人生を送っておられますが、大変強運でいつも何か偉大なものに助けられておられます。

奥様も大変素敵な方で、実践を味わい感謝も忘れていません。ご夫婦でバランスがよく、なかなか冒険的な人生を楽しんでおられます。人柄というものは、人徳と合わせてにじみ出てくるものです。

今の時代、世の中の価値観が本来のあるべきようと離れて道からズレていたとしても粛々とそれに抗いながらも人類のためにと愛をもって様々なことに取り組んでいく姿にはいつも共感を覚えます。

純粋な方が居る御蔭で、私も多少世の中と調整しながらやっていこうとする気持ちが産まれます。常に希望があるのは、その方が純粋性や夢を諦めていないということです。

今回の訪問でメンターは新たに物事を見極めるモノサシを定義されておられました。そこにはこうあります。

「真理と断定できる条件」

1.生死がない

2.損得がない

3.表裏がない

4.不変である

5.万物に公平公正平等である

6.永久永遠に継続する

これは、よくよく見つめ直すと自然の姿であること。これではないことは不自然であると言っているように私は思います。如何に今の人間や人類が自然の道から外れているのかを物語ります。

人は、人生の最期にこの世に産まれてきて何をしてきたかの総決算があります。それは徳に顕現されてきます。その時、自分はどのように生きたかということを自覚するのです。

私も一期一会、一日一生のこのいのちをどう生きるか、いただいてきたものを感謝で恩返しできるよう徳に報いる人生を歩んでいきたいと思います。

ご夫婦には、純粋さで同志を励ます存在でおられるよういつまでもお元氣で健やかでいてほしいと思います。いつもありがとうございます。

信仰と経済

伊勢神宮にはお蔭参りというものがあります。これはざっくりだと江戸時代を通して御蔭年ともいえる約60年前後を周期で1650年より御師 (おし) や豪商の扇動からはじまったともいわれます。この「御蔭年」というのは、伊勢神宮で遷宮があった翌年のことです。江戸時代には遷宮の翌年は、特に御蔭(恩恵)が授かるとされて伊勢神宮への集団参詣が流行したといいます。

その頃の人口でいえば6人に1人は、伊勢神宮詣でをしたといいますからこれは大変なことです。今のように車も新幹線も飛行機もない時代に、遠くから歩いて伊勢神宮まで詣でるというのは命懸けです。しかも、ほとんど歩いて老若男女問わずそして犬までもとありますからどれだけこれがその当時に価値があったかがよくわかります。これを支えたものが、伊勢講を中心とした講の組織です。積み立てをしたり、みんなで支えたり、代表者がお世話をしたりと伊勢神宮が詣でることができるようにと助け合いました。

本来なら、そのまま今の時代でもそうなっているはずですが戦後にアメリカのGHQより伊勢講といったものやそれまでの仕組みがすべて解体されました。その後は、伊勢神宮周辺は荒廃して場も乱れ、苦しい時期を迎えます。そこに英彦山の山伏の子孫、鷹羽小三郎(志士、鷹羽浄典の弟)が伊勢古市にある備前屋に養子に入り太田小三郎となって伊勢神宮の尊厳を守る為に神宛会をつくり復興や甦生、場を調えることに人生を懸けて伊勢神宮に人がまた集まるようになりました。

そして最近では、餅菓子で有名な赤福が江戸期から明治期にかけての伊勢路の代表的な建築物が移築・再現した「おかげ横丁」ができます。今では伊勢に訪れる人が増えて1年間に600万人を超える方々が来られるようになっています。話は少し逸れますがこの赤福の言葉の由来は「赤心慶福(せきしんけいふく)」という文字からきています。これは赤福の社是で、「人を憎んだり、ねたんだりという悪い心を伊勢神宮内宮の神域を流れる五十鈴川の水に流すと、子供のような素直な心(赤心)になり、他人の幸福を自分のことのように喜んであげられる」という意味だそうです。

私も伊勢神宮に来ると、必ず赤福や白鷹に寄ります。この伊勢詣でと参道のお土産やお店はなぜかいつもセットになって記憶に残ります。日本の各場所に、そういう場所がありますが懐かしい何かを感じます。

話を戻せば、この信仰と経済というものはむかしから密接に関わっているものです。経済的なところで広がりつつも、大切な信仰は守られるというバランスが大切だということです。

現在の日本では、政府の補助金を使いいろいろな観光プロジェクトが広がっていますが批判はしたくありませんが残念なものばかりでかえってしない方がよかったのではないかというものばかりです。

聖なる場所がただ穢れていくだけのような経済の導入や、信仰や尊厳を損なうような経済活動、見ていたらかえって大切なものを破壊していくようなものばかりです。

歴史を善く学び直し、どうあることがもっとも信仰や尊厳を保つものなのかをちゃんと学んだ人が本来はそういう甦生業に関わる必要があると私は思います。そういう意味で、神社の傍や信仰の傍に長い年月で徳が磨かれ研ぎ澄まされてきた老舗があるというのは心強いものです。

私も、私なりに私の役割を果たしていきたいと思います。

好奇心と本質

どの道を極めていくにも先入観のなさというのは大切なことのように思います。思い込みというのは、本来の純粋さを失わせていくようにも思います。そもそも最初は、思い込みなどなかったところからはじまりました。それが知識を経て、後からこういうものだと付け足していきました。それは後の人の解釈であり、最初の人は損な解釈をしていません。

これはどのようなものでも同じです。誰かがそういったから、それがいいと思ったというのは自分が最初に思ったのとは異なります。誰かがいったことを認識して、きっとそうだろうと思い込んでいるものがほとんどです。自分の当初の感覚ではなく、誰かの感覚で認識するのです。

現代は特に、知識で塗り固められた世の中で情報過多の時代です。しかも専門家や権威が仕上がっており、最初から考えることもなしにそういう人たちの評価や意見を鵜呑みにしてしまいます。さらにみんながそう言ったからという常識に縛られてしまいます。これでは、本当のことはほとんどわかることはありません。さらに質の悪いことに、専門家ではないことや資格を持っていない、あるいは認可がないや許可もないとなるとすぐに偽物として邪魔をしたり法律違反や詐欺のようにいわれることもあります。

純粋に素直にそのものに向き合う人が減っていくのは、それだけはじめに先入観や思い込みを植え付ける環境が整ってしまっているからのように私は思います。

そういう自分も、先に誰かによって刷り込まれた知識が膨大にあります。そこから考えなくなり感度も下がり、常識のようなものに呑まれては気づかないことが増えました。日々にその思い込みや刷り込みを取り払うだけでも学びが精いっぱいで発見や発明できる驚きの日々にはまだまだ追いつかないほどです。

好奇心というものは、先入観や刷り込みがあることで次第に減退していくものです。何でも初心、はじめは素人と取り組むからこそ本当のことが観えてくるものです。自分の知っているものをそぎ落とし、先人たちのように最初に感じたものに近づいていくのはすべて好奇心がなせる業です。

好奇心のままに、真理に向き合い、実践や行動によって本質を保っていきたいと思います。

老舗の戦略

ここ数日、久しぶりに京都に来て色々と伝統的建築や老舗を観てまわっています。どの建築も今でも伝統の息遣いがあり、時代が変わっても大事に磨かれていることがわかります。建物が変わらなくても、人の価値観は変化しています。むかしのような意味が今も保たれているところは減っているのかもしれません。

形骸化することは、意味がなくなってしまうことです。如何に初心を忘れずに、同時に世の中の価値観にも順応するのかはバランスが試されます。長い年月を生き残るというものには確かな戦略というものがあることを感じます。

例えば、大きくしないという戦略があります。長く続けようとすると、時代の価値観の変化で人の感情や意識も変わりますから栄枯盛衰というものがあります。急に大きく成長すれば、同時に急に衰退することもあります。流行というものは、流行りがあるから廃れがあります。これを知っている人ほど、流行と衰退を見極めさっさと流行を切り捨て新たな流行をつくっていきます。むかしある日本の有名なゲーム会社の専務と話したときに、無数のゲームを開発していても一つ当たればすべて回収できると日々に新たなゲームを作り続けていたことを思い出しました。実際にその方は、カードゲームを当てて過去最大の利益をその会社にもたらしました。

また逆に、流行にのらないという戦略があります。敢えて、その目的にこだわり徹底して本来の役割に尽力するというものです。老舗で長く続いているのは、余計なことをしない、足るを知り、限られた場所と資源で自分のその場での役割だけに専念するということです。京都でいえば、一文字和輔という最古の和菓子屋があります。ここは、今宮神社の参道にある老舗ですが今でも1000年以上の歴史を生きて同じ理念でここに参拝する方々をおもてなしています。無理はせず、身の丈を超えず丁寧に真心を籠めて今もむかしと変わらない味と対応を心掛けておられます。

そう考えてみると、一気に拡大するという戦略と長く続けるという戦略。どちらにしても生き残るための戦略をそれぞれがもっているからこそ今でも継続することができるというものです。

戦略を持っているのと持っていないのでは、時代によって翻弄されるものも変わってきます。別にヒットしたくなくても、テレビや報道、雑誌などで急に人気がでるときもあります。そこでどう戦略の舵をきるかはそれぞれの経営者の判断です。

しかしよく観察すると、人間の人生というものは100年以内です。その中で完結するのか、それとも引き継ぐ人が出てきて守るのか、そういう生き方の影響が老舗の根幹に宿っているようにも思います。

素晴らしいのは、老舗にはそれを受け継ごうとする志のある人が連綿と続いてきたことです。これは信仰に近いものを感じます。色々と学び直して、今年の甦生に役立てていきたいと思います。

タイミング

私はいつもタイミングに見守られて不思議な体験をすることが多くあります。その体験は、その時に今しかないことが発生しそこから示唆を受けることしかないからです。何の意味のないようなことであっても、意味はあり、その意味が教えてくださったことに導かれて歩んでいると次第にタイミングが合ってくるのです。

これを私は一期一会ともいい、ご縁に活かされた人生とも呼んでいます。

久しぶりに鞍馬山に来ています。先週からずっと英彦山でしたが、よく考えると20代の後半からずっと鞍馬山と英彦山の往復をしてきました。何回、往来したかも覚えていないほどです。しかしどちらも天狗がいるお山で、教えがあるお山です。お山という存在を認識したのもこの二つのお山を往来するなかで体験したものです。

このお山というのは、単なる岩や土が盛られたところではないことは誰でもわかります。お山にもいのちがあり、ずっと場が生きている存在です。これは地球としてもいいし、太陽などの星といってもいいものです。生きているというのは、確かな意味を持って存在しているということでもあります。その意味は、自分との関係性や結ばれ方、つながり方で認識し直観するものです。

そしてそれを理解するのは先ほどタイミングというものがとても大切な要素になっていると私は思います。なぜこのタイミングでこの場にいるのか、そういうものを深めていくと自分に確かな意味があることに気づくからです。

私は鞍馬山の御蔭で、いのちというものの存在に深く気づくことができました。そしてそのいのちが輝くということの意味を学ぶことができました。現在世の中では多様性とか公平性とか色々といわれますが人間社会でいうそれと、自然界や宇宙などでいうそれは意味も異なります。

私が鞍馬山で学んだことは、もともと最初からこの世にあったものについてのいのちの存在です。私たちが人間として今、文字や言葉で認識するずっと以前からいのちというものは存在してきました。

そのいのちは、自分の周波数や波長、あるいは意識を変えることで認識することができるものです。それは人間様になっているような現在の環境ではなく、ひたすらに謙虚にいのちと向き合うことで観えてくる境地です。感覚を研ぎ澄まし、徳を顕現しては今というタイミングを生ききること。

そういう生き方の集積によって少しずつ、意識は変容していくように私は思います。そしてそれもまた場数によって変わります。運のいい生き方というのは、出会いやご縁を大切にする生き方でありそれはタイミングの妙を片時も忘れない生き方でもあります。

またこの場にこれたことに感謝しています。善い時期にこうやって導かれ呼んでいただけるのことに天意や神意を感じています。今日も一期一会のタイミングを生きていきたいと思います。

誕生日との出会い

昨日は、誕生日でしたがたくさんの方々からお祝いをいただきました。歳をとってくると誕生日といっても祝われ方やその時の感覚も変化してきたことを感じます。そして周囲にいる人も変わってきます。

産まれたときは、両親や祖父母がいました。そのうち兄弟ができて、親戚、友人が出てきます。次第に同級生や部活の仲間、学校や近所の人たち。そして会社の仲間や取引先、またコミュニティの人たちです。もう会えなくなった人もいれば、一期一会にその時に偶然に集まった人たちからもお祝いされることもあります。

人生で誕生日を迎えるたびに、自分を見守ってくださっている存在に気づきます。

特に今年は幻想的で、英彦山の守静坊のしだれ桜と共に大勢の方にお祝いしていただきました。満開の花と、清々しい英彦山の宿坊の澄んだ空気とともにお祝いの歌や桜餅やケーキなどたくさんいただきました。

むかしは誕生日をお祝いされることは苦手でどんな表情でいたらいいのか、照れたり喜びすぎたりと不自然な時もありました。今では、何か私を見守ってくださっている存在が喜んでくださっていると感じて仕合せな気持ちになります。

メッセージもたくさんいただき、その中にはいつも心配して見守ってくれていること、そして本心で真心で結ばれている関係があることなどに大きな安心をいただきます。

自分の周りにどのような人たちがいて出会いに囲まれているか、それを省みるととても私は御蔭さまで仕合せな人生をいただいていることに気づきます。尊敬できる仲間や友人、そして信頼できる家族や朋柄に恵まれ感謝で深く手を合わせています。

あと何回ほど誕生日を迎えられるのかはわかりませんが、よい歳の取り方をしていきたいと思います。人生の最後の誕生日には、今までご縁のあった方々への恩返しができるようにこれからも精進していきたいと思います。

出会いに心から感謝しています。

樹伝

私たちは一年の巡りを経ては顔や体にしわが入ってきます。樹木でいえば年輪というものができます。一年を経て一回りするのです。それが一つの寿命の考え方です。

年輪を多く持つ長寿の樹木は、長いものでは2000年というものもあります。それだけの季節を体験してきて今もまだ生きているというのはすごいことです。特に花を咲かせる樹木は、それだけの年数を花を咲かせたということになります。

英彦山の守静坊のしだれ桜も220年になります。この220年はどのような歴史の220年だったのでしょうか。英彦山は、色々な法難、そして火災、台風などにも遭遇しています。寒波もあり、桜を見守る宿坊にも誰も住まなくなるようなときもありました。枯死寸前にもなり、病気にもなり、その都度、奇跡的に生き延びてきたともいえます。

人は文字で何かを遺そうとしてきましたが、本当に大切なことは口伝としてきました。文字はいくらでも改ざんできるし、文字では伝えられないこともあるからです。そして口伝は、伝承者同士で行うためこれも簡単なことではありません。お互いに阿吽の呼吸で理解しあうものだからです。

その点、この樹木の存在による樹伝というものが私にはあるのではないかと感じるのです。勝手に言葉をつくっていますが、私は幼い頃から樹木の傍で育ち、神社の境内の樹木に見守られ育ってきました。

今でも神社に行けば、まずは樹木にご挨拶をして樹木が観てきたものを感じ取ります。自分も見ていますが、同時に樹木をこちらを観ていますから挨拶をするのです。

すると不思議ですが、何か感じるものがあります。それは何を見守ってきたのか、あるいはどういうものを観てきたのかということです。不思議ですが、その時に樹伝は起こります。

樹木は私たちに大切な言葉にはならないものを伝えてくれます。樹木が大量に伐採された明治以降、残っている樹木には大切な役割があります。これからも樹木と見守りあい、樹伝を伝承していきたいと思います。

手間暇の真心

手間暇をかけるというのは真心が入れられるものです。なぜ手間暇が真心が入るのかと深めてみると、そこには大切にしたいという心の態度が顕れているからです。心は一つ一つの工程を疎かにしていません。頭で簡単に考えて行動しすぎていると、現代でいうコスパもタイパも悪いものですがこの時間や工程こそが真心を入れられる大切な機会になっています。

何でも機械化をして分析化して、何でも合理的に結果だけ同じであればいいという商品が溢れ、人間関係も専門家が増えては見た目やエビデンスなどが優先されていますがそこに心を入れる機会も場所も少なくなってきているのがわかります。頭ばかり疲れては、心の疲れはありません。心は疲れても別のものに転換され同時に満たされ充実するという豊かさが出てきます。一方の頭は脳内ホルモンが出て、興奮状態になりますが疲れが転換されることはあまりありません。

食べ物でも、手間暇を敢えてかけて作っているうちの高菜のお漬物などは一年がかりで大変な時間も労力もかけていきます。しかしアミノ酸で添加物で味だけは似せてきた高菜のお漬物は脳は興奮させても心の満たされている感覚は得られないものです。それは食べてみればすぐにわかります。

ちょうど寅の日という縁起の善い日に護符づくりを行いました。この護符は、まず英彦山の歴史を調べミツマタという花があるのでその原料から和紙をつくっていたということを参考に、手漉きで和紙をつくりました。最初に原料を祈祷し、法螺貝を吹き、途中と最後にも同じように祈祷を行いました。そして日本伝統の和にわかと竜樹が入った墨を使い江戸時代から守静坊の代々の坊主が刻んできた木版で一つ一つ、力を入れてつくっていきます。そこにむかしの英彦山の呼び名である「日子山」の新たな朱印をつき、境内にある満開のしだれ桜の根元に一晩安置して弁財天の縁日に皆さんに配布します。一つの護符ができるまでに約半年がかりです。

しかしこの手間暇が、暮らしの中の護符になっていることに気づきます。皆さんと一緒にその暮らしの中で大切なご縁になったこと、その有難さが護符に力を与えているように私は思います。

子孫へと、その手間暇が真心になって伝承していけることをいのります。

巳の縁日

2024年3月30日の英彦山守静坊のサクラ祭りの日は弁財天の縁日「巳の日」です。この守静坊の谷はむかしから弁財天をお祀りしている場所でとても深いご縁がります。この日に芸能と徳積経世済民ができることに改めて感謝の気持ちが湧きます。

この吉日のひとつである巳の日(みのひ)は、約20日から40日の間に一度訪れる吉日です。この巳の日の巳とは、蛇のことです。この蛇(白蛇)は、弁財天のお使いをする動物です。弁財天との結びつきが強い巳の日は、運気の上昇に加えて、金運が上昇する日としても知られむかしから信仰の対象になってきました。巳の日と己巳の日は、財布を買ったり、神社にお参りしたり、銭洗弁天でお金を洗うと、金運や財運のご利益が得られるとされ各地で祈祷しています。

弁財天は、芸術・芸能・勝負事・学力・学問・財運といった、様々な運気を上げる神とされているのでそのお仕事や志を持っている人たちは大切に信仰してきました。日本は神仏混淆しているため、あらゆる神様が和合していますがもともとこの弁財天という女神は、日本では瀬織津姫や市杵島姫命、龍神とも同一であるといわれます。

もともとこの巳の日といったものは、中国の陰陽五行説に基づいています。十干「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種類」と十二支を合わせたものが干支です。陰陽五行説では世の中の全てのものは陰と陽、木・火・土・金・水に分けられると考えられます。具体的には、木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生むという具合です。なので、巳は土、土は金を生むということで財宝や財運が湧くということです。

偶然ですが、純白のしだれ桜に喜んでいただくために音楽や絵画の奉納三昧になりましたが弁財天様にも喜んでいただくことができそうで有難く思います。来坊の皆様に偉大な幸運や幸福、財運が届くように真摯に場を調えていきたいと思います。

一期一会の弁財天様との縁日を、ご一緒できることを心から楽しみにしています。

しだれ桜と弁財天

英彦山守静坊のある谷は、弁財天さまがお祀りされています。今では宗像神社となり、地域の氏神様です。この場所の境内には、県指定の菩提樹の老樹があり巨石の磐座と共に静謐で清浄な聖域が保たれています。英彦山には古来より瀬織津姫という神様が鎮座されていたということもお聴きします。

また守静坊にも文化財になっている天女の絵が欄間などに描かれています。年代がわかりませんが数百年は経っているもので、今でも飛翔して出てきそうなほどに美しく描かれています。

不思議なことですが、この宿坊では音楽関係者の参拝が後をたちません。しかもどの音楽も流行りのようなものではなく、むかしの楽器や法具、あるいは伝統の音楽ばかりです。例えば、琴であったり鐘であったり、法螺貝をはじめ笛であったり、他にも舞などの方が来坊され奉納していただきました。

私自身はそんなに今までそういう音楽に関係することが少なかったので、この宿坊や天女とのご縁から音楽により深く親しむようになったように思います。

もともとこの天女はインドの民俗信仰に起源を持つ神様です。仏教文化の伝来に伴って早くから日本へも和合しています。経典では、仏陀の浄土では音楽を奏し天花を散らし香りをゆらせ仏事を賛嘆するとあります。吉祥天と弁財天という天女が有名です。

吉祥天は、『金光明最勝王経』というお経に出てきます。この吉祥天を信じてお経を唱えると衣食に困らず、そして吉祥天像を祀れば家運上昇し豊かにしてくれる存在です。一時期は七福神の一員にもなっていましたが弁財天に譲ったとあります。

その弁財天は、日本では七福神の一員として今でも有名です。神仏習合で神道に取り入れられてもいます。中世では龍神の化身といわれ宇賀神とされ蛇や龍こそが弁財天の化身と信じられました。主には音楽・芸能・学問の発展、そして財宝が豊かになると信じられています。弁財天はもともといたインドでは古代インドに流れていたという聖なる川、サラスヴァティーを神格化した水と豊穣の女神とされ、ヒンドゥー教ではブラフマー(梵天)の妃とされています。仏教では音楽、弁舌、財富、知恵、延寿を司ります。そう考えると、日本ではすべて混淆して水の神様、龍の神様、蛇の化身となったのはわかります。

弁財天は大琵琶をもっている木像をよく見かけますがあれは鎌倉時代以降だそうです。『金光明最勝王経』という経典での弁財天は頭上に白蛇をのせm鳥居をつけた宝冠をかぶった八臂の女神です。持っているものは武器ばかりで弓、箭、宝剣、羂索、斧、独鈷、法輪、羂索となっています。

水の神様が変化して音楽や芸能の神様になっていくというのは、お水の性質を深めていくのにもとても深い気づきがあります。

お水というのは、せせらぎをはじめ独特の音楽を奏でています。宿坊の周辺にはいつも美しい川の音が聴こえ、水鳥たちをはじめ様々な生物が調和して周囲の木々も風に揺れて静かです。その平和な静けさは、水がもたらしているものであるのはすぐにわかります。

弁財天や吉祥天が描かれている守静坊の欄間には、この谷が象徴する気配を醸し出してきます。音楽のお祀りはいつも心が癒され、場が清められ波動が磨かれていきます。

純白のしだれ桜もまたよく眺めるとまるで弁財天の羽衣のようにも感じます。春のひと時を大切に祈っていきたいと思います。