全体最適の暮らし

最近は、専門性を高めるために分業化が進みましたがその分業化によって大切な本質を見失うことが増えてきたよういも思います。全体最適あっての部分最適ですが、部分最適ばかりを追いかけているうちに全体最悪のようなことが発生してきているように思います。

例えば、縦割り行政なども同様に専門性は高まりましたが横連携がなく無駄や無理、ムラばかりが発生して結果的に対立構造の中で協力しにくい雰囲気が出てきます。それぞれに正論をいっても結果として何も進まないとなると国民の怨嗟の声も増すばかりです。

私たちの伝統文化を深めていると、これらの文化はすべて暮らしの中で醸成されてきたものであることがわかります。

先日から茅葺職人さんたちと共に現場で作業をしながら話をしていると、やはり伝統の畳職人さんの時と同じく地産地消、その土地でとれた作物でつくりその場所で循環させるということを大切にしていました。

これはすべて中心に「暮らし」が入っており、暮らしのないところに本来は伝統文化も職人もないということです。

現在は、全体最適の暮らしではなく部分最適の経済ばかりを追いかけています。そうすると、本来の全体を調和していたものがなくなりお金を儲けるための職人技ばかりがフォーカスされてしまいます。

つまり、テクニックばかりが競われ、先ほどの「暮らしの中での」というところが切り離されてしまうのです。現在は、海外の遠いところからわざわざ材料を集めてそれが生活の中で提供されます。スーパーの刺身などを見てもわかりますが、ほとんどが遠い国からきているものばかりです。

暮らしは本来は、その土地でその場所で身近なところでみんなで循環しながら永続させるものです。暮らしの智慧とは、まさにこの持続する仕組みであり、持続しない仕組みにならないように百姓たちがあらゆる職種を縦断しみんなで専門性を深め、多様な個性を発揮してその土地の文化を醸成していったのでしょう。

その土地土地に伝統文化が育づくのは、先人の智慧がそこで磨かれ高まり守られてきたことの証です。

何が本来の「和」なのか、「和」の本体とは一体何か、私の取り組みを通して実現させていこうと

懐かしい国

昨日、藁ぶきの古民家の藁を片付けているとむかしの手紙や書類が藁と共に残っていました。そこのはがきの住所には、今の地名になる前の住所が書かれていました。それは単に市町村合併で名前が統合するのではなく、国としての単位が変わっていますから余計にそれを感じたのかもしれません。

私の郷里は、もともとは神話の時代は豊国に属していました。そして筑前国になり今の日本国になります。もともとは九州に属していますがむかしは筑紫島、その後に九州島と呼ばれていました。

具体的には筑紫、豊、火、襲(そ)の4国にはじまり、701年以降は西海道として大宰府が筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向の7国と壱岐、対馬の2島を統轄する体制になり、薩摩、大隅を入れて9国と2島に分かれてから九州になりました。

日本国はそもそも島であり、その島がいくつも連なって国のカタチを持ちます。国という単位は、律令制で朝廷が定めていたとしてもその頃は国といっても自分の住んで歴史とつながっている場所の感覚しかなかったかもしれません。頭で考える国というものと、そもそも感覚で理解した国は別もののように思います。その感覚は、郷土への郷愁というか懐かしい故郷とのつながりのようなものかもしれません。

郷愁を辞書で調べると、「 他郷にあって故郷を懐かしく思う気持ち。ノスタルジア。「故国への郷愁を覚える」「郷愁にかられる」そして過去のものや遠い昔などにひかれる気持ち。「古き良き時代への郷愁」とあります。

ふるさとを懐かしみ、そのふるさとを守るため生まれ育った文化や伝統を大切に先祖からの智慧や暮らしを大切に受け継いでいこうとする祈りに近いものが国という認識だったのかもしれません。

藁葺の古民家の甦生を通して、今回のメッセージは何かとても大切なことを伝えてくださった気がします。なつかしい故郷を甦生させていくのは、その懐かしい国を甦生させていくことです。

引き続き、丁寧に過去を紡ぎながら懐かしいものを甦生させていきたいと思います。

いのちの一灯

明日からいよいよ藁葺の古民家の屋根の修繕に職人さんたちと取り掛かります。日本の文化を甦生するのに、この家の甦生はとても意味があります。家はそれぞれの時代に、それぞれの家人や家族を大切に見守ってきました。

その見守ってきた家には、それぞれの物語や思い出が凝縮されておりその場にはその暮らしの余韻が残っています。たとえ、家人や家族がそこに居なくなってもそこには家が残っています。

家が残っているということは、その家は新しい家人や家族が訪れるのをいつまでも待っているのです。

以前、私の友人で貝磨きの達人の方から貝は主人と一心同体であり新しい主人をいつまでも海辺で待ち続けているという話を伺ったことがあります。中にある主人を守るために貝はいつまでも待ち続ける。そして貝は新しい主人の御守りになるのです。

むかしの人たちは貝を御守りにして身に着けました。そして貝もまた全身全霊でその人を守りました。家も同様に人は家で暮らすことで家に守られ、家もまた全身全霊で家の中で人を守りました。

今は家の売り買いや建て替えや解体などがまるで何かいのちのない物のように金銭で簡単に取り扱われますがそこには大切ないのちがあります。

こんなことをいうとセンチメンタルに思われるかもしれませんが、よく考えてみたらすぐにわかります。この私たちの肉体であっても、魂を守るための家であり、その家に魂が入ることで私たちは生きています。肉体を大切にしていくことは、守ってくれている存在を大切に思うことであり、肉体を最期まで大切に使い切ることで肉体もその役目を終えていきます。

私は家を甦生していますが、決して別にただ古民家再生事業をやりたいわけでもなく、リノベーションやビジネスや趣味でDIYが好きなわけではありません。家を磨き、甦生させていくことに仕合せを感じるのは、そこにまた新しい主人とのつながりができ、守り合う存在達に出会うことで世の中が明るく豊かになり、子どもたちに美しい未来が結ばれていくことを実感するからです。

私が取り組んでいることは、「つなぐ」ことであり、「みがく」ことです。そしてそれはすべて「いのち」を「むすぶ」ことであり、子どもに「ゆずる」ことです。

今更なぜ藁葺屋根の古民家を甦生をと思われるかもしれませんが、永い間、放置され朽ち果て白蟻でボロボロになってでもそこに建っていつまでも地域や子どもを見守ろうとする意志を私には感じます。

親切なご縁を感じ取って、家ももう一度、甦って子どものためにといのちを燃やしているのを感じます。私ができることは本当に微力で小さなことですが、真心はきっと家に伝わって、その家が周囲を明るく照らしていくと信じています。

いのちの一灯をこの場所から灯していきたいと思います。

智慧の宝庫

BAには、今年から福島の郷土玩具である「赤べこ」を室礼しています。先日、大三元師のことも書きましたが迷信といわれている過去の厄除けは科学的には証明されていませんが歴史上偉大な効果があったと実証されているからこそ今でも時の篩にかけられて残っています。

この福島県の郷土玩具の赤べこは、ただの玩具ではなく本来は厄病除けの意味からはじまったものです。この赤べこを近くに置いておくと病気や災難から逃れられると信じられ今でも多くの人に愛され続けています。

この赤べこの事を調べると、日本大百科全書にはこうあります。

「郷土玩具(がんぐ)。張り子製の赤塗り首振り牛。福島県会津若松市でつくられる。「べこ」は東北地方の方言で牛のこと。807年(大同2)河沼郡柳津(やないづ)町の福満虚空蔵(こくうぞう)堂建立の際、それに協力した赤牛の伝説が玩具のおこり。その後、岩代(いわしろ)地方(同県西部)に悪性の疱瘡(ほうそう)(天然痘)が流行したとき、この赤い色の玩具を病児に贈ったところ快癒したといわれ、疱瘡除(よ)けのまじないや子育ての縁起物に用いられてきた。1961年(昭和36)の丑(うし)年に、年賀切手の図案に採用された。」

諸説あるようですが、むかしも今と同様に疫病が流行し、人々にどうにもならない状態を与えることが多々ありました。その中で、身代わりになってくれる、また厄を除けてくれる存在に深く感謝していつまでも慎んで生きた先人の姿が見えてきます。災害を乗り越えた智慧をいつまでも忘れないために、人々は伝承というカタチを使って子孫に時を越えて伝承を紡ぐのです。

この諸説の中でも深く共感したのは、この文です。

「大同2年、円蔵寺に徳一大師が虚空蔵堂を建立する際、上流の村から大量の材木を寄進された。しかし、水量が豊富な只見川から材木を運搬することは決して簡単ではない仕事だった。人々が材木を運ぶのに難儀しているとどこからか牛の群れが現れ、材木の運搬を手伝ってくれた。重労働で多くの牛が倒れる中で最後まで働いたのが赤色の牛だったといわれている。そのことから、赤べこが作られた。」

今から約1200年前の出来事にもかかわらず今でもこの赤牛らの御恩を忘れずに、身代わりに真摯に働きを与えてくれた存在のことをいつまでも大切に思っているという人々の思いに共感を覚えます。まさに虚空蔵堂の一つの権化でもある、赤牛を菩薩に見立てたのでしょう。

私たちは歴史に学び、こういう時こそどのような心の姿勢で疫病の厄を除けていくのかということを学び直す必要があります。これは単なる迷信ではなく、歴史は過去の事実ですからそれを乗り越えて残る迷信は実は智慧の宝庫であり、文化の結晶なのです。

そんなものは非科学的だからと吐き捨て避けるのではなく、非科学的なものの中に智慧があるかもしれないと敢えて盲信することも大切ではないかと思います。祈りのチカラであったり、不思議な言霊のチカラであっても、効果があるものは宇宙のチカラとして受け容れることもまた私たちの人間の体のように神秘と調和するための真理でしょう。

子どもたちのために、善いものは日々の暮らしの実践の中に智慧を遺し、伝承していきたいと思います。

経営の要

有事と平時では求められるリーダー像は異なるように思います。たとえば、徳川幕府になってからのリーダーと戦国時代のリーダーではリーダーの人気も異なります。今の平和の時代に、戦国時代の織田信長のようなリーダーが国を率いたらこれはこれで不満が出てすぐに人気が亡くなり降ろされるでしょう。しかしもしもひとたび、戦争や困難があったならひょっとしたらみんなが求めるリーダーとして大人気になるかもしれません。

つまり時代がその時々の状況でリーダー像は変わるということで、その役割もまた変化するということです。

人間は社會を形成する生きものですから、社會の中で一つの人格というものを磨き上げます。この社会は、現在では会社単位で組織もできておりそこにはそれぞれにリーダーがいて社員がいます。

経済でも同様に、有事の時に活躍する会社と平時の時に活躍する会社があります。状況と時代の流れと環境に合わせて常に形を変えながら生きもののように組織は存続しているとも言えます。

そう考えて観ると、組織にも一つのリーダーシップがあるように思います。組織の人たちがみんな有事の人たちになっているか。いつまでも平時のことをやっていないか、これはとても大切なことだと感じるのです。

よく観察してみると、織田信長の有名な桶狭間の戦いであっても、ある瞬間にまずリーダーが馬で駆け出していますがそれに一緒に駆け出した家臣たちがいてはじめてあの戦はあったのです。

もしも時間外労働だから考えてくれや、怪我の保証はどうかとか、体調が万全ではないのでとかいう理由で家臣がついてこなければ負けていたはずです。つまり、有事の時のリーダーとは単に織田信長一人だったわけではなく、家臣一人一人が有事のリーダーとして活躍したということでしょう。

つまり、今がどういう状態なのかを知り、生き残るためにみんな必死で取り組んで乗り越えたということです。

そしてこれはある種、生き物が生き残る条件としてダーウィンがこういう言葉を遺しています。

「強い者、頭の良い者が生き残るのではない。変化するものが生き残るのだと。」

つまりリーダーとは、変化するものであり全員リーダーシップを発揮するというのは全員で生き残るために変化するというものです。つまり有事のリーダーであるときは有事のリーダーとして変化し、平時のリーダーの時は平時のリーダーとして変化する。

その時々の自然環境の変化に応じて、適応できたものだけが生き残ったというものです。何をどう適応するのかは、0から1にしていく挑戦をするなかでわかってくるものです。

生きものは急な変化に適応するには、本当に大変な労力もエネルギーも使います。しかし、それでも変化しなければ生き残れませんから有事に備えて平時でも乱を忘れないものが生き残るのです。

今、どのような局面に入っているのかよく見極めつつ、経営の要を定めていきたいと思います。

 

時代の感染~成長痛~

コロナウイルスというものは、もちろんウイルスではありますがこれはエボラ出血熱やSARSなどとは異なり、インフルエンザウイルスに近いものがあるような気がします。しかし、これだけ世界に影響を与えていますからこれは尋常ではないことであることはわかります。

別の側面から観直してみると、世界が重苦しく息苦しいタイミングと同時に出てきて今までと別のものに換えてしまうという何かを感ぜざるを得ないのです。

「ペストは近代の陣痛」という言葉があります。当時絶対的だったある価値観が揺らぎそこからルネッサンスが開花していき時代が変わりました。結果的にウイルスがそれまでの閉塞感を打破し、新しい生き方をしようとした人の追い風になり人類の新たな成長を導きました。そして時代の変化に合わせて、ウイルスも収束して人類は新たな成長のフェーズに向かったとも言えます。

この「時代の感染」のようなものをある人は「成長痛」とも呼びます。何か大きな変化が発生するとき、私たち人類はそれまでと向き合います。例えば、コロナ前とコロナ後という問題。

それまでの私たちの発展の仕方を根底から疑い、「もはやこれではないのではないか」と引き返すのではなくまるで振り子のように方向を完全に転換してしまうのです。

まさに今は、この振り子が揺れている真っ最中ということでしょう。

もはや今までやってきたことに、ちょこっとだけ付け足すようなオプションをやる時機ではなく、丸ごと大転換するような生き方の変化が求められます。私が提案する、暮らしフルネスはオプションではなく新たな時代の生き方を実践するものです。

子どもたちが100年後、1000年後にあの転換期があったからといわれるようなことが起きている最中にいのちがあることに喜びを感じます。時代の節目に、真実を見極めながら風を捉えて変化になっていきたいと思います。

藁葺の甦生

来週は、いよいよ郷里の藁葺古民家の屋根の修繕を行います。阿蘇の茅葺工房の植田さんと知り合ってからもう3年以上になりますが、地蔵堂の藁葺はわけあって中止になりましたがそれが別の形で古民家の修繕でご一緒できることになり仕合せを感じます。

この藁葺や茅葺は、日本民族の循環の文化の象徴そのものであり私は日本が風土と一体に暮らしてきた証であると考えています。かつての日本の農村にはこの藁葺や茅葺がありましたがこれは家を守るだけでなくその地域の自然を守ってきたのであり、共同体としての日本民族の生き方や生き様を顕現したものなのです。

そこで暮らす人たちが、如何に自然と一緒一体になって地域を育て守ってきたか。千年以上、いやもっと前から自然と共に暮らしながらお互いに助け合い仕合せを紡いできた「場」がこの藁葺や茅葺の農村には感じられます。

明治以降になり、自然から離れた暮らしを行うようになりこの藁葺も茅葺もなくなりました。今の時代こそ、本来の日本人の自然から学び、自然と暮らし、自然の恩恵を分け合い育んできた智慧を甦生する必要性を感じるのです。

茅葺職人の植田さんが住んでいる阿蘇は、「九州の水かめ」と呼ばれている場所です。草原には、年間2500mm以上の雨が降ります。この水が阿蘇のあちこちから湧き水として出て九州の中、北部にある6本の一級河川になります。そして九州全体の自然と生態系を育むのです。まさに九州のいのちのゆりかごが阿蘇の草原なのです。

その草原を1000年も前から人々が大切に守ってきたことで、人間のみならず多くの生き物たちのいのちの循環を保育してきました。この日本人としての営みや生き方が、ふるさとの美しい原風景を遺し、子孫まで末永く豊かな暮らしを伝承してきたのです。今、その日本の農村文化の象徴とも言える日本の草原の数々が、失われようとしています。

もしこれらの草原がなくなれば、いのちの水かめとしての役割が失われます。手入れしているからこそ守られてきた人も含めた自然が、単なる野生の森になれば自然との文化が消え人間もまた生活できないような環境になり消えるのです。

これは農村の棚田などもそうですが、人間が里で自然に手入れして共生するからこその循環の豊かさであり、それがなくなれば単なるコンクリートジャングルのようになってしまうか、いつかは人も住めないような廃れ荒れた土地になってしまいます。

暮らしというものの本来の価値は、自然と共生して多様な生き物と一緒に豊かに生きてきた先人の叡智を子孫へつなぐことです。その象徴を守るというのは、私たちの暮らしの原点を思い出すということでもあります。そして本来の場づくりというのは、暮らしあってのものなのです。

カグヤではここ数年間、ずっと暮らしに力を入れてきました。それは子どもたちの未来のためであり、誰かがこの伝統文化をつなぎ、そして紡いでいく役割が必要だからと誓ったからです。文化は途切れればそこで失われてしまいます。たとえ小さな細い糸であれ、誰かが子どもにつなげばそこから復活することもできます。しかし、切れてしまえば二度と伝承できないのです。先人の智慧とはそういうものなのです。

この取り組みは確かにお金にはなりません、どちらかといえばお金ばかりを使っていることで会社の利益であれば損をしているばかりの事業でしょう。いや、事業と呼ばれるものでもないかもしれません。

しかし子ども第一義の理念を本質的に磨こうとしたら、子どもに遺し譲りたいものを守ることは私たちの本業であり使命ですからなんの迷いもありません。私たちは子どもの事業で収益をいただいている企業だからこそ、その御恩を未来の子どものためにできる限り還元していくことは当たり前のことだからです。

生き方と働き方の一致、他にもカグヤでは色々なことを掲げていますがそれが単なるお題目にならないように真摯ににこにこ顔で命懸けの取り組みに邁進していきます。今年も、理念研修が藁葺の甦生ではじまれることを有難く思います。

草原を守り、里山を守り、文化を守り、子どもを守っていきたいと思います。

 

自己免疫

コロナウイルスがあることが当たり前になっていく世の中になってきましたが、これからは温暖化も進み、第2第3の疫病が訪れることがあるかもしれません。その都度、ワクチンが開発されるかもしれませんがそれがすぐに追いつくわけでもなく、それにワクチンが効かないものもでてくるかもしれません。

そう考えていけば、自ずから何をすべきか。それは人間の持つ自己免疫を高める暮らしを行うしかないことはわかります。この自己免疫を高めるとはどういうことか。

現代人は、この自己免疫を高めるということをあまり学んできていないようにも思います。それは食生活が乱れていたり自然と共生する暮らしから離れていることでもわかります。

本来、先人たちはどのように免疫を向上させてきたのかをもう一度学び直す必要を感じます。

例えば、伝統食というものがあります。

今ではあまり人気がない食事になっていますが、実はこの伝統食こそが長く生き残るために編み出された先人たちの智慧の結晶であることはわかります。玄米、味噌、梅干し、鰹節、そのほか、その土地で産み出された数々の旬の郷土料理。まさにこれが一物全体、身土不二の原理原則に適っているのも明白です。

むかしの人の食、特に主食とは健康を維持するために摂取されてきたものです。今のように、人間の都合で快適な生活、大量の薬やサプリなどがなかった時代、私たちは病気になるということを非常に恐れました。病を得るというのは死に至る直前であり、如何に病にならないような暮らしをするか、つまり未病ということに全神経をとがらせて対策を講じてきました。

未病とは、病にならない、もしくは病を初期の状態で恢復させて健康にする。つまりは健康というものは病と行き来しますからバランスが病に偏らないような生活を維持していくことに注力したということでしょう。

そしてもう一つ、気づきにくいことですが大切なことがあります。それは笑うことです。むかしの日本人は、日々にニコニコと豊かに楽しく仕合せな雰囲気をみんなで醸し出していました。そういう生き方を大切にしてきたのです。

中村天風さんにこういう言葉があります。

「どんな名医や名薬といえども、楽しい、おもしろい、うれしいというものに勝る効果は絶対にない。」

これは笑うことこそ、免疫を向上させるもっとも大切なことであることを証明しているのです。自分自身が楽しく、嬉しく、面白く生きている人は、若く見えます。若く見えるだけではなく、まさに若々しく瑞々しいいのちが躍動しているのです。そしてそういう人はよく笑います。毎日が、イキイキし、いのちが輝くからです。

人間は必死ですからいつかは死にます、だからといって死ぬまで暗くなって生きるのか、それともイキイキと楽しく生きるのか、それは心掛け次第です。先ほどの中村天風さんは、末期の肺結核を自力で平癒されました。この自力というもの、真の主体性こそが免疫を向上させる秘訣なのでしょう。

免疫を如何に高めていくか、これからの時代はまさに人間の暮らしの原点回帰です。私の取り組む暮らしフルネスはその原点を学び直し、もう一度、先人のDNAを甦生させて現代の人たちが安心して仕合せに暮らせるような智慧を復古起新することのためにも必要です。

今年も、日々の暮らしを見つめ直しながら子どもたちにつなぎ譲り結びたいことを実践していきたいと思います。

 

先人の智慧

新年に入り、神棚や御守りに感謝し新しくしています。本来は、信仰のカタチですから信心していることが大切でありそれぞれの家ではそれぞれの信仰があるように思います。

古来からの書物や文化を深めていると、信仰の伝説や物語が地域地域にたくさん残っています。そのどれもが、私達に信仰することの大切な意味を問いかけるものが多く、まさに信じる者だけが救われるということを教え諭しているものです。

今日は、ちょうど正月三日目ですが平安時代に天台宗の座主を務めた慈恵大師良源という方の命日です。そこから元三大師(がんざんだいし)と呼ばれています。この方は角大師(つのたいし)と呼ばれていて、疫病を退散させる護符として有名です。

今のコロナウイルスのように永観2年(994)の頃も、疫病が猛威を振るいました。日本ではウイルスも神様の一つですから、その疫病神が角大師にとりついたときその疫病神の姿を鏡に写しその姿を弟子に描き写させて、お札にしたものが効果があると信じられ疫病よけの護符になって今でも家々に貼られているといいます。

科学的にはとても信じがたい話で、そのような護符に何の意味があるのかと思うのかもしれません。しかし、自らが疫病に罹りそれを退散させ人々の苦しみを一身に受け容れて引受け、人々を救済したいと祈る真心にその当時の人たち、またそののちの人たちも感動したのかもしれません。

そしてその真心に見守られていることに感謝していると不思議と免疫が高まったりする効果もあったのかもしれません。信仰や信心というものは、不思議なものがあり病気や治癒に大きな影響を与えることは科学で証明されなくても様々な実証事例で証明されています。

人間は自己免疫がありますから、免疫を高めるような暮らしを行い、運を善くするような日々を丁寧に用心深く紡いでいくのなら難を避け、禍を転じる力を得るように思います。

これは一つの智慧であり、知識では及ばないものです。

私たちは古来より智慧というものを大切にしてきました。その智慧は理屈では到底及ばない世界のものを奇妙な仕組みで道理に結ぶことです。智慧を得ることができる人は、先人の遺徳を偲び、真摯にその教えや導きに感謝して学び、実践によって心魂を磨き続けている人です。

智慧は知識ではないというのがポイントで、何回も何回も一生懸命に日々の実践を積み重ねて磨き続けている中で直観して感得するものです。そしてそれが信心や信仰の本質であり、その日々の実践が深い人ほど信心と信仰が深いということになります。

私のこのブログもまた、一つの信心や信仰のものです。子どもたちの未来のためにと、信じて続けて綴るだけです。いつの日か、この慈恵大師のように真心で磨いた智慧を子どもたちの未来を目覚めさせるようにできればと祈ります。

コロナウイルスはまだまだ猛威をふるいます。禍転じてどう福にするのか。私たち人類は真摯に歴史に学び、先人たちがどのように乗り越えて今があるのか。よく観察し反省し、これからの未来へ挑戦していく必要があります。

その自戒を籠めて、今年も実践を削っていきたいと思います。

育徳

先日、訪問したある学校の校庭に「育徳」という言葉を見かけました。これは四書五経の一つ、易経の中で使われている有名な言葉です。

「彖曰。山下有風蠱。君子以振民育徳。」(山下に出(いずる)泉(いずみ)あるは蒙(もう)なり。君子もって行(おこない)を果たし徳を育(やしな)う。)の中にこの育徳があります。

文章の意味は直訳ですが最初に山から出てくる湧き水はとても小さくか弱いものでも次第に他の大きな流れが入ってきて合流し、それがやがて大河のようになり大海になっていくという意味です。大器晩成と似ていますが、時間をかけてじっくりと徳を涵養していくことの大切さを説いたものです。

この育という字は、子どもがお母さんのお腹の中にいる象形文字です。自然にお母さんの中で育っていきカタチになっていく。まさに小さな存在からあらゆる徳をいただき大きな存在になっていく、つまり自然に大人になっていくということです。

徳は自然に存在しているもので、空気や太陽な水のように私たちにとってはなくてはならない偉大な存在です。その存在の中で、私たちはじっくりとゆっくりと成長していきます。息を吸って吐いているだけでも私たちは徳によって育まれているともいえるのです。言い換えるのなら、まさにこの呼吸こそが徳のなすことの意味を顕しています。

何度も何度も丁寧に呼吸をすることで私たちはその空気によって徳が涵養する。だからこそ私たちは呼吸を日々にととのえて丁寧に暮らしを紡いでいく必要があります。空気が化学物質に汚染され、感染症でマスクをして、閉塞感がある息苦しい世の中だったとしても、敢えて丹誠を籠めて呼吸を整えて徳を養うのです。

私たちはこの世にいるだけで、徳を磨いています。なぜなら徳を磨くために生まれてきたのが私たちの使命の本懐だからです。そうやって徳は日々に育てられていますからどのような一日であったとしても、私たちは呼吸を已めるその日まで徳に見守られ育てていただいているのです。

この徳に見守られているこの世界で自分らしく自分のいのちを存分に心のままに生きていくことが恕されているのです。無条件に自然が私たちを育ててくれるように、この世は無条件に偉大な愛情を与えてくれます。その中で、いのちが「育つ」ということの側面に常に「徳」があるということなのです。まさに天の無限の慈悲慈愛を頂戴しているのです。

そしてこの天の真心は決して已むことはありません。この今も、私たちのいのちを支えて見守り続けてくださっています。だからこそその徳に報いていこうとするところに、私たちが人間として真に学び育つことができるのです。それが育徳の本質だと私は思います。また同時に徳を磨くというのは、徳に磨かれているということです。

畢竟、人は真に徳に感謝できる人になるとき、私たちの人格はある処の高みにまで磨かれたと言っていいかもしれません。

玉磨いて光るとき、徳もまた薫ります。

来年もまた、偉大な徳に見守られながら子どもたちを見守っていく一年にしていきたいと思います。

ありがとうございました。