想いの本質

私たちは先人たちの想いを継いで今に存在しています。その想いを継ぐのは、血のつながりもあるかもしれませんがそれ以上に想いで繋がっていくものです。人の一生はあまりにも短く、あっという間に人生が終わってしまいます。

そういう意味では、みんな志半ばで斃れていくのです。だからこそ想いがあるのです。つまりこの想いで人が繋がっていくというのが想いの本質なのです。そしてそれは決して死んでしまったから終わるのではなく、死んでからも続いているものであり生きているから繋がらないのではなく、生きていても繋がり続けるのです。それが道ということでしょう。

人生は誰もが想いを持てば道半ばです。

私の今の取り組みも、多くの方々の想いが繋がって実になっているものです。そしてこの先もずっと同じようにあらゆる人たちの想いが集まってさらなる成果を結んでいきます。

そのご縁のつながりこそ、決して金銭では交換できないかけがえのない豊かさであり私たちの仕合せの本体ということでしょう。

もしもこの世に金銭がなくなったとして、何がもっとも大切だと感じるか。それは私は「ご縁」であると、そしてそのご縁を結ぶつながりの「想い」であると私は思います。

人は想いとご縁で結ばれているものであり、これが仕合せを積み重ねて未来を希望にしていくように思うからです。

だからこそどのような想いを日々に醸成していくのか、どのようなご縁を結び活かしていくのか、そして如何に豊かな幸福の場を創造し続けていくか。ここに生成発展の万象繁栄の根本があるように感じています。

想いは形がないものです。しかし想いこそ、いのちの発する偉大なかたちでありご縁こそそれを結ぶいのちの綱です。今でも目を閉じると、志半ばで去っていた人たちの想いが私に宿っているのを感じます。そして耳を傾ければ、この先の未来で私を待っている想いが溢れています。

子どもたちのためにも想いを力に換えて、私の役目を全うし道を切り拓いていきたいと思います。

微生物から学び直す

私たち人間は微生物でできていますがこの微生物はまだまだ未知の存在です。宇宙空間の過酷な環境で数年間生き延びている微生物もいれば、極限環境微生物といって強烈な酸性、放射能、高熱高温、あらゆる極限環境でも生存しているのです。人間であれば、即死するような環境であっても微生物は生き延びていきます。

もともと私たちの生命はどこからやってきたのか、突然湧いたという説もありますがどこからの宇宙から飛来してきたという説もあります。これをパンスペルミア説(パンスペルミアせつ、panspermia)ともいいます。これはウィキペディアによると「生命の起源に関する仮説のひとつである。生命は宇宙に広く多く存在し、地球の生命の起源は地球ではなく他の天体で発生した微生物の芽胞が地球に到達したものとする説である。「胚種広布説」とも邦訳される 。またギリシャ語で「種をまく」という意味がある。」とあります。

キノコのコロニーのように、小さな微生物たちが集まり形をつくり胞子を撒いて拡散していく。この仕組みで宇宙空間を漂い、あらゆる星々の間を移動しながら自分たちに相応しい生命環境の中で独自の進化を遂げていくというものです。

先日もカビのことを書きましたが、私たちの生活空間には常にカビや微生物が漂っていて根付けるところに定着してそこでコロニーをつくり育ち拡散していきます。同様に、宇宙でも一部は仮死状態になりながら漂い、また最適な環境下にうまく漂い定着できることができればそこで生命活動を活発にさせていくのです。

人間の体内は微生物でできていますし、小腸をはじめあらゆるところで私たちは微生物と感情などを調和していますから微生物が私たちの根源ということも直観することができます。

その微生物たちは私たちの知らない宇宙を知っていて、遠く離れた星からあらゆる銀河を漂い星々に散らばってやってくると思うと何ともいえない不思議なロマンを感じます。

このあらゆる極限状態でも生きられるとするならば、そこでコロニーをつくり定着したものが宇宙人ということも予想もできます。例えば、酸素のない環境下でも生きられる進化を遂げる私達みたいなヒト型のものもあるかもしれません。あるいは、苔や植物のような形で進化したものもあるかもしれません。地球のように水が豊富な環境ができれば、星々はひょっとしたら地球型の微生物群が増えていくこともあるかもしれません。

そんなことを考えていたら、私たちのルーツはどこからやってきたのか。そして多様性は何を根源に今に至るのか、そして進化とはいったい何かということも仮説を立てることができるように思います。

科学が進めば進むほど、宇宙の偉大さ、その設計の美しさ、素晴らしさに魅了されていきます。一緒に生きる存在、共に一つである生命は微生物たちから学び直せます。

子どもたちのためにも微生物の存在に目を向けて、微生物から学ぶ姿勢を忘れないようにしていきたいと思います。

文化の甦生

最近、文化財のことについて考える機会が増えてきました。ウィキペディアには「広義では、人類の文化的活動によって生み出された有形・無形の文化的所産のこと 。「文化遺産」とほぼ同義である。」、「武力紛争の際の文化財の保護に関する条約 、 文化財不法輸出入等禁止条約 、文化財の不法な輸出入等の規制等に関する法律などの条約および法令において規定されている「文化財」のこと。」、「日本の文化財保護法 第2条および日本の地方公共団体の文化財保護条例において規定されている「文化財」のこと」とあります。

シンプルに言えば、人類の伝統や歴史において政治的にも学術的も希少なもので価値があり文化財と判断されるものが文化財ということになりますが文化財は見方を変えればこの世のすべてが文化財ということになります。

特に希少になってくればほぼ文化財のように扱われていくものです。大量に生産できて大量に余っているものはいくら文化財でも価値があまりないように扱われます。もしくはお金にならないもの、復元できないものもまた一つの文化財です。

この文化の「財」とは、貴重なものや価値のあるものを指します。貴重であると思えるものや価値のあるものだけが財とつきますが本当に貴重なもの、価値のあるものが何かと定義するものの違いではまったく文化財の内容も変わってくるのです。特に時代が異なれば、文化財の価値も変わっていくでしょう。それだけ変わり続けているものが文化財ということになります。

例えば、何百年も前からの古民家で歴史的な何かがあった建物であっても時代が異なれば無価値になるものもあります。平和な時代の建物と戦乱の時の建物でも価値は異なります。その時代時代に変化していくものだから、その時代に相応しい活かし方があります。その活かし方もまた文化財になる日もくるでしょう。つまり、ただ保存し、ただ時を止めてその建物を守ってもそれが文化財ではないということです。

私たちはどのようなものであっても、その時代に生き、その時代を舞台に活躍していくものです。活躍するための場としての文化があるのであり、文化が先ではありません。

何をどうするかは、その時代の価値観や人の存在、そして時の持つ出来事に左右されていきます。本質をよく観て何がもっとも大事なことなのか、そして今をどうするのかからよく議論していく必要があるのです。

子どもたちのためにも、新しい文化の甦生を取り組んでいきたいと思います。

本物の科学

私たちは今あるものをもう一度、科学で突き詰めていますが本来はそれは発見であって発明ではありません。私たちが発明したと思っているものは、すべてが既存にあるものの発見であって発明ではないのです。その証拠に私たちはいのちは科学でつくれませんが、いのちがどのように成り立つのかは発見することができます。

自然界、いや宇宙の真理というものを理解しても宇宙を創り出すことはできないということです。この道理に従っていえば、果たして今の科学的な進化は本当の進化であるのかと疑問を感じます。

道理から少し発見したものを、それをいじっては利用することでその部分は抜き出しても全体としては効果が失われていくものがあります。例えば、栄養なども同じですが一物全体で本来は過不足なくバランスよく心身の滋養になるものを一部だけ抜きっとサプリにしたらかえって全体の滋養が崩れてしまうという具合です。

私たちのわからない範囲にまで影響のあるものを、その一部だけを切り取って完璧であると思い込むところに人類の大きなミスが発生しているように感じます。本当の化学は、解明するよりも発見してその偉大さをそのまま活かすことではないかと思います。

むかしの人たちが、自然をそのまま活かすことを選択したように私たちも本当の意味で科学の真理に達して本来の活用へと原点回帰する必要があるように思います。例えばその活用の例は、漬物、天日干し、自然循環などの智慧も同様です。

これらの仕組みはまさに自然や宇宙の仕組みを活かしています。他にも、祈りの力や徳を積むことなども同様にこれは智慧の活用です。

自然に調和するようにと自然界は働きますからそれを邪魔しない、もしくはその循環を促進するようなものが活用であり本物の科学なのです。今の時代は、科学はわかる範囲だけを科学にしてしまい、活用も全体快適の方法ではなく部分最適ばかりで使われます。

人類がアップデートするというのは、原点回帰するということです。地球環境の変化が著しい今だからこそ、子どもたちのために勇気をもって舵取りをしていきたいと思います。

根源は免疫、原点回帰

私たちの身体には、免疫というものがあります。これは病原体・ウイルス・細菌などの異物が体に入り込んだ時にそれを発見し体から取り除いてくれるという仕組みのことです。そしてこの免疫には自然免疫と獲得免疫というものがあります。

まず自然免疫は、生まれつき体内に備わっている免疫の仕組みで元々古来から存在する機能です。これは発見した異物を排除する仕組みです。有名なものに好中球と、NK細胞、マクロファージがあります。このどれも、外部からのものをキャッチして食べて無効化していきます。

そしてもう一つの獲得免疫は、人生で病原体と接触した際に再び感染しても発病しないようにする仕組みのことです。この獲得免疫は、侵入した異物を排除するだけでなく記憶細胞という特殊な機能をもつ細胞に変化し記憶しています。そうすることで、いち早く発見し感染が進む前にキャッチして食べてしまうのです。T細胞とB細胞が有名です。

インフルエンザで例えると、ウイルスが口や鼻、喉、気管支、肺などに感染した場合はまず自然免疫のNK細胞とマクロファージ、樹状細胞などがウイルスをキャッチして食べて駆除しはじめます。そしてそれでも駆除できない場合は、B細胞、キラーT細胞という獲得免疫が今度は活動を始めます。具体的にはB細胞は抗体を作り、その抗体はウイルスにくっついて他の細胞に感染できなくなるといいます。

そうやって私たちの身体は自然免疫と獲得免疫の合わせ技で撃退してくれていたのです。無症状の人がいるというのは、この免疫系が働き無害化させているからということになります。免疫がきちんと働いているのなら、外部からの異物は正しくキャッチされ、駆除され記憶され、ずっと身体を守り続けてくれるのです。

これからコロナウイルスも様々な変異株が誕生してきますし、その都度、ワクチンを開発して対応ではいたちごっこです。私たちの身体は大量のウイルスに日々に晒されていますからやはり今まで生き残ってきた力を磨いていくのが一番です。

その方法は、食生活、運動、睡眠、精神や心の安静、という基本、また体質改善、生活習慣の見直しでできるはずです。つまり暮らしを整えていくのです。暮らしフルネス™は、これらのことを実践するためにも欠かせない智慧の仕組みです。

引き続き、子どもたちのためにも暮らしを見直して伝承していきたいと思います。

天の蔵に徳を積む

むかしから「天の蔵に徳を積む」という考え方が日本にはあります。これは善行をして見返りを求めず、与えたものを後悔せず、自分が徳を積む機会をいただいたことに感謝をするという生き方でもあります。キリスト教にも、同様に「天に宝を積む」という考え方があるといいます。

古今、真理というものは経験を通して永遠の智慧として子孫に伝承しています。現代は、通常の銀行の貯金や金銭的な貯蓄の方は目に見えてわかりますが天の蔵といった天の銀行に徳が貯蓄されていくことはなかなか考えないものです。

本来、私たちが今幸福を味わえるのは天の蔵に貯蓄されたものが引き出されているという考え方もできます。例えば、短期的に積んだ善行ですぐに幸福を引き出すということもできますが長期的であればあるほどにその積んだ善行は利子がついて大きくなってきます。これは「積まれる」という性質の本体、別の表現では「磨かれて光る」という道理があるからです。つまり幸福を味わい引き出していくというのは、積むことで引き出すという喜びに出会うということです。

いのちが光り輝くというものもまた、いのちを使って自分を磨いていくことで得られます。研磨していくなかで次第にその本体が透明で光っていくことで、私たちは偉大な幸福感を味わっていくことができます。金銭で形だけ光らせたのと、自らが光ってくるのでは世界の観え方が変わっていきます。自分のいのちの磨き方一つで、この世は美しい楽園にもなり地獄にもなるからです。

先人たちは、徳を積むということを何よりも大切に生きてきました。今の私たちの、また日本の幸福はその徳を積んできた貯金を引き出してこれだけの物質的な豊かさを得たのです。しかしその天の蔵の徳は、いつまでもあるわけではなく減るのです。それは古いものを磨かなければくすんでくるように、鏡や窓が汚れて向こうが見えなくなるように穢れていくのです。それを取り払い続ける、洗い清め続けるような気持で私たちは徳を積み続けなければなりません。

陰徳は、徳を積む機会をいただけたことだけで感謝するものです。人はなかなか探しても身近にそんな徳を積む機会を得られるご縁は滅多にありません。特に陰徳ほどのものになれば誰にも見つからずに評価されないところでできるものなどさらに機会は得難いものです。誰かの目に見えた時にはすでにそれ以前の長い時間の陰徳が貯まり引き出されている最中だからです。

先祖が長い時間をかけて天の蔵に貯蓄したものは、子孫が長い時間をかけて幸福として引き出されていきます。自分の代で使い切ってしまわないように、子どもたちのためにまた徳を積み続けていくことが幸福が長続きしていく人類の叡智だと思います。

天の蔵に徳を積む実践を、真摯に取り組んでいきたいと思います。

型破り

「守破離」という言葉があります。これは日本の伝統文化の仕組みの一つであり、芸に関する一つの知恵の境地です。もともとは、千利休の訓をまとめた『利休道歌』の中で「規矩作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」を引用したとあります。

私の認識では、現代でいえば初心を忘れず目的や本質を守るためには型破りであってもいいという解釈をしています。そもそも何のためにやるのかがズレているのに型ばかりにこだわっても意味がありません。もちろん、型があることは尊重していてもその型に嵌るばかりに本来のあるべき目的まで忘れたら本末転倒です。

本当は型を守ってきたから原型というものがわかり、それを時代の変化に合わせて破り続けてきたからたくさんの流派が誕生しました。そして最初の型に囚われなくなることで自由に自分らしい原型を磨くことができたともいえます。

物事には、常に原点があります。原点があるから原型があるともいえます。しかし原型は原点ではありません。あくまで型であるからそれは原点回帰するための一つの手段として存在しているのです。しかしその型が、一つの常識になり型=原点のように語られてしまうとそれこそまさに道から外れたものになっていくのです。

そもそも先人たちの産み出してきた型はすべてにおいて手段です。一つの道をどの手段で実現するか、そして自己をどう磨いていくか、それに尽きます。時間と共に手段が増えていくということは、それだけ手段の型がたくさんできることでありそれだけ型破りも出てくるというものです。

本質を磨き切って原点回帰したものほど、型破りであるように周囲から見えます。それは本人は型を理解しちゃんと型をその時代、その場所、自己同一させ型守りをしているのですが周囲から見るとそれが型破りになってしまうのです。

道を志す人は、型を創造していきます。そして中興の祖のように原点回帰していく人は、始祖との邂逅を行うのです。

これから宿坊の甦生に取り組みますが、周囲からきっと型破りといわれると思いますが私にとっては原点回帰であり目的や初心を磨き切るつもりです。未来の子どもたちに、本質を譲り遺していきたいと思います。

湿度から学ぶ

日本の風土は高温多湿です。この時期の平均湿度は74パーセントくらいあるといいます。私の今居る家も、大雨が降り始めましたが湿度は84パーセントあります。これは空気中の水分がどれくらいあるかを示したものです。

私たちの身体は、自分にとって快適な体温を一定に保つために常に気温や気候に合わせて活動をしています。暑くなれば冷まそうとし、寒くなれば温めようとします。この変化が激しいと、それだけエネルギーを必要とするためかなりの負担が身体に生じて夏バテや熱中症の原因にもなるといいます。

一般的に私たちが快適と実感する湿度は40%から60%といいます。40%を切ってしまうと肌や目などが乾燥し、インフルエンザウイルス等が活発になります。そして逆に60%を超えてしまうとダニやカビが活発になります。

湿度によって、ウイルスやカビが活動しますから常に湿度を一定に保つための工夫が必要になってくるのです。現在の住宅では、気密性が高く部屋の空気はこもっています。なので除湿すればすぐに乾燥し、水分が増えればずっと残ります。本来、微風が通れば自然に湿度は一定に保たれるのですが風が通らなくなるとあっという間に湿度の管理は難しくなります。

伝統的な日本家屋は、この湿度との関係を常に意識して設計されてきました。また家屋に使われる材料もどれも湿度を意識したものばかりです。例えば、障子、土壁、畳、建具に囲炉裏などどれも湿度を調整するためのものです。

湿度が高すぎるときは吸収し、低すぎるときは加湿します。つまり車のハンドルの遊びのように、変化が緩やかに発生するように調整する役割を果たしているのです。あとは、もともと隙間が多く、ほとんど外界とつながっているような建て方をしていますから常に風が通り、そのうち快適な湿度に回復して保つようになっているのです。

そうはいっても、梅雨前線が停滞して暑さが厳しいときはどうしようもありません。そんな時は、きっと窓を開けてあとは拭き掃除をしてカビが発生しないようにしたのでしょう。それに冬の極度の感想には、囲炉裏で常にお湯を沸かしてお茶をたてて対処したのではないかと思います。自然と共生していたころは、私たちは湿度を身近に感じて暮らしを営んでいたように思います。

都会では、総合空調で空気清浄機でコントロールされているためあまり湿度とかカビとかウイルスとかも気にすることはありませんでした。しかし田舎に暮らし、伝統的な家屋に住むと如何にそれらが身近であったかを実感します。

見方を変えれば、湿度の御蔭で発酵食品は保存でき、ウイルスなどの予防になり感染症を抑えてくれるということでもあります。それに湿度の変化で身体は常に五感やエネルギーを使いますから自然にお腹もすいて美味しくご飯が食べることができます。

健康を考えたら、自然と共生する仕組みを活かしている暮らしの方が快適に安心して長生きできるように思います。子どもたちに、湿度との関係から学び直すことを伝承していきたいと思います。

自然から学ぶ

自然物を観察していると、如何にそれが発明に満ちているものであるかがわかります。虫も植物も、また微生物にいたるまで、なぜそのような能力を持つのか、そしてその形状になっているのかを観察するほどにその発明のすごさに感嘆するのです。

私たち人類は、飛行機をつくり空を飛び、新幹線をつくり地上を高速で走りますが虫や魚たちはもっと以前からその能力を持っていたことがわかります。他にも近代科学が追いつこうとしているものは、すでにほとんどが自然の中に存在しているものです。

長寿の仕組みも、毒を解毒する仕組みも、ミイラから蘇生する仕組みも、すべて自然界のものがすでに発明済みのものばかりです。むかしの人たちは、その自然界の発明したものをうまく真似し、時には取り出してそれを暮らしの智慧として活かしてきました。

人間が傲慢にならず、よく自然を観察したからこそ発見できたのであり、発明したわけではないのです。謙虚に物事の本質を見抜けば、この世の発明はすべて発見であるということでしょう。

発見するためには、よく自然を観察する洞察力や探求心が必要です。なぜ、それができるのか、なぜこうなっているのかと自然の仕組みを解明するための意識が磨かれている必要があります。

自然にそうなったのは、なぜ自然にそうなったのかという原点回帰を知ることです。

私たちの好奇心は本来、あらゆる自然の姿に向いているものです。それが知識を得ることで自然への観察が劣化していきます。また当たり前すぎるもののことを人は考えることがありませんから、当たり前のことをちゃんと見直してみる学問への姿勢が求められます。

身近な虫一つからでも、身近な出来事一つからでもなぜ自然がそうなっているのかを観察すればするほどに驚きの連続です。自然物はまさに、神様や創造主の智慧そのものであり私たちには真似できない奇跡の仕組みと働きをもっています。

子どもたちには、自然から学ぶことの大切さを伝承していきたいと思います。

カビから学ぶ3

カビのことを深めてきましたが、最後にはやっぱり日本の国菌である「麹菌」(学名:アスペルギルス オリゼー)を書いておきたいと思います。この国菌は2006年、日本醸造学会によって「われわれの先達が古来大切に育み、使ってきた貴重な財産」であるとし「国菌」に認定してからのものです。

このカビは、和食を支えているカビであり日本人の健康を支え続けてきたカビです。日本酒、漬物、味噌、醤油、みりん、酢、甘酒、あらゆる日本の代表的な和食の発酵食品をつくりだすことができます。

このカビは、日本にしか存在しません。日本の風土の中で時間をかけて育ってきたもので海外では育たないとも言われます。このカビの菌は、分類わけされると5種類あるといいます。黄麹菌(きこうじきん):味噌や醤油、白麹菌(しろこうじきん):焼酎、黒麹菌(くろこうじん):泡盛、紅麹菌(べにこうじきん):豆腐よう、鰹節菌(かつおぶしきん):鰹節という具合です。

この麹菌はカビですからそのものを食べるわけではなく、麴菌の代謝で作られた成分を食べるのです。この代謝物は酵素ともいい、たんぱく質をアミノ酸に分解する「プロテアーゼ」や、でんぷんを糖に分解する「アミラーゼ」、脂質を分解する「リパーゼ」など、たくさんの酵素を生成していきます。その御蔭で、人体に有益なビタミンB群、必須アミノ酸やミネラルそして食物繊維などが摂取できるのです。

実はこのカビは、むかしは非常に人間に有毒であったといわれます。他のカビと同様に、毒をもち、悪影響を与えていました。説として有名なのは、アスペルギルス・オリゼーによく似た「Aspergillus flavus(アスペルギルス・フラバス)」という種類がいます。この アスペルギルス・フラバスは猛毒であるアフラトキシンを生産することで有名です。この猛毒を生産するアスペルギルス・フラバスを日本人が無毒になるまで育てたことで誕生したのではないかといわれています。それが私たち日本の国菌の由来でもあります。

つまり「和」を保つ、和にする力、和食を支える麹菌は、猛毒を無毒にするまで一緒に育て上げた共生の結晶ともいえます。日本人の先人たちは、家畜といって動物を大切に家族のように扱い暮らしてきました。牛や馬、鶏や犬などももともとは野生で狂暴だったものが愛情深く育てて関わることで人間と一緒に暮らしていくものに変わっていきました。

今でいう養殖は、養鶏などをみても狭い場所で厳しい環境ですがむかしは家の周囲で同じ家畜として一緒に豊かに暮らしを営み、助け合っていました。

日本の和を支えるというのは、この伝統的な日本人のいきものやいのちに対する思いやりであり、それをもって有毒などものを無害化し、敵対していたものも仲間にしていくのです。

私は世界でこの日本の「和の心」は、現代のアップデートすべき人類の方向性や生き方にとても重要な役割を果たすと信じています。だからこそ、暮らしフルネス™を実践し、暮らしからそれを子どもたちに伝承していく必要を感じるのです。

すべてを敵視するのではなく、一緒に地球に暮らす仲間としてどう調和して暮らしていくかをこれからも私たちは生き方として学び直していくことは欠かせません。先人たちの和の心を継いでいきたいと思います。