道は一つ

ミッション(理念)とは生き方の事です。どのような生き方をするか、それを保つためにどのような経営をするか、理念経営とは、理念が優先であってそれに合わせて経営を工夫するということです。

よく経営を優先して理念があとでという事例を見ますが、これは理念経営ではないことはわかります。本来、何のためにやるのかが本であり、末にどのようにやるのかが決まります。本末が転倒してしまわないように、常に初心を振り返りどのように取り組んでいくのかをみんなで真摯に実践していくしかありません。

そしてそのミッション(理念)を砥石に、振り返りながら磨いていくことで生き方を高め生き様を伝道していくことができます。そうすることで、一つの組織がまるで生きもののように生き様を共にする人たちによって人格のような姿が現われてくるのです。

稲盛和夫さんはこういいます。

「リーダーの行為、態度、姿勢は、それが善であれ悪であれ、本人一人にとどまらず、集団全体に野火のように拡散する。集団、それはリーダーを映す鏡なのである。」

つまりリーダーの生き方、またその生き方を共にするスタッフたちがミッション(理念)を共有し生き方を実践すれば企業に格(社格)ができるというのです。

さらに稲盛さんは、「人を治めるには、権力で押さえつける「覇道」と仁、義などの「徳」で治める「王道」とがあります。私は、やはり人間性、人間の徳をもって相手の信頼と尊敬を勝ち取り、人を治めていかなければならないと思っています。」といいます。

もしも覇道になれば、ミッション(理念)を凶器のように使われて権力の一つの道具になります。しかしもしも、このミッション(理念)が徳で使われるのならスタッフが自分たちの魂を磨き、人格を高めるお守りのようになります。

私は後者のためにミッション(理念)を使っているのであり、私の提案する仕組み(智慧)は自然に徳が穏やかに沁み込んでいくように日々の内省を通して自己の精神性を洗い清め高め合いながら自立と協力を促していくようにしているのです。

それはミッションページやミッションリーフレットなど、ミッションとつく物はすべてこの「徳」による王道の智慧を活用したものです。

まずは自己の脚下の実践からということで、弊社ではミッションブログに始まり、内省、一円対話、讃給などあらゆる仕組みを実証しています。

覇道でいくのか王道でいくのかと対比されますが、本来の道は一つです。

人類は魂をどう磨くか、磨き方は自然から学び直すことが一番です。自然の徳に包まれ見守られて生きている私たちのいのちだからこそ、その徳に報いていきたいと思います。

ご縁が解ける

仏(ほとけ)という言葉があります。この語源を調べると、それぞれの辞書で内容は異なりますがブリタニカ国際大百科事典には「仏陀のこと。語源は,煩悩の結び目をほどくという意味から名付けられた,あるいは仏教が伝来した欽明天皇のときに,ほとほりけ,すなわち熱病が流行したためにこの名があるともいわれる。日本では,死者を「ほとけ」と呼ぶ場合もある。」とあります。

シンプルに言えば、執着を取り除いた姿が仏(ほとけ)の象徴とされたように思います。強く握りしめていたこうでなければならないというものを、手放し融通無碍に来たものの全てを受け容れて受け止めるときこの仏(ほとけ)に近づいていくということかもしれません。

小林正観さんの著書にこの仏(ほとけ)についてわかりやすい内容で紹介されています。

『執着やこだわり、捕らわれ、そういう呪縛から解き放たれた人を、日本語では「ほとけ」と呼びました。それは「ほどけた」「ほどける」というところから語源が始まっています。自分を縛るたくさんのもの、それを執着と言うのですが、その執着から放たれることが出来た人が仏というわけです。ところで、「執着」とは何か、と聞かれます。執着というのは、「こうでなきゃイヤだ」「どうしてもこうなってほしい」と思うことです。それに対して、楽しむ人は、「そうなってほしい」のは同じなのですが、「そうなったらいいなあ。ならなくてもいいけれど。そうなるといいなあ」「そうなると楽しいな」「そうなると幸せだな」と思う。「こうでなきゃイヤだ」と思ったときに、それが執着になります』(だいわ文庫)

想いの強さは時として、それが執着になっていきます。情熱がありすぎると正義を振りかざしたり、自信がありすぎると思いやりに欠け過信にもなります。なんでも片方に過ぎることが時として調和を崩すことがあり、その都度、自己の執着を手放すようにと何か偉大な存在に見守られながら諭されていきます。

人生は誰もが一生涯修行であり、どんなときにも自分の中にある執着と対話してそれを手放すという修練が求められていきます。その中で、人は深いご縁ほどにつながりもまた深くなります。

一つ一つのご縁の中では、誤解もあれば了解もあります。しかしそのどちらも、いつの日か時が経てば解けていき真実が顕現していきます。未熟だった自分を反省し、改善していくことで人はさらに成長していきます。そういうご縁をいただいていること自体が感謝そのものであり、深くご縁に見守られていることを実感します。

子どもたちが憧れるような未来を遺していくためにも、今を直視して日々に弛まずに怠けずに逞しく嫋やかに実践し、思いやりを忘れず優しい心で歩を進めていきたいと思います。

結の甦生

藁葺のことを深めていると、むかしの相互扶助の共同体の「結」のことにつながります。今では金銭でなんでも解決するような生活になってきていますが、むかしは貸し借りを金銭ではないもの、つまりはお互いの義理人情のようなもので支え合っていました。

もちろん、今でも義理人情はありますがむかしは見返りを求めずに助け合うという根底には「徳」というものの考え方によって人々が助け合い支え合うという土着文化がその地域を安定させていたとも言えます。

例えば、先日の藁葺でもみんなに声をかけて集まってもらい集まった人たちで助け合いながら藁葺職人たちと一緒に屋根を修繕していきました。懐かしさを感じるのは、こうやって金銭ではなくみんなで助け合い支え合うところに暮らしの原点があるということです。

中部地方の合掌造りの茅葺屋根の葺き替えは「結」の制度があり、ウィキペディアによると今でも下記のような手順で藁葺を進めているようです。

「作業の3年以上前から準備が始まる。屋根の面積から必要な茅の量と人員を概算する。作業の日取りを決め、集落を回り葺き替えをいついつ行うので手伝って欲しいと依頼する。予め作業に必要なだけの茅を刈って保存しておく(そのための「茅場」を確保してある)。役割分担を決める(茅を集める者、運ぶ者、茅を選別する者、縄などその他道具を準備する者など)。上記は専ら男性の作業である。女性は作業に従事した者達への食事、休息時の菓子、完成祝いの手土産の準備を行う。屋根の両面を同時に吹き替えることはほとんど無く、片面のみを2日間で仕上げる。1日あたり200人から300人の人手が必要となる。100人以上が屋根に登るさまは壮観である。」

金銭であれば1000万以上かかるものを、無報酬で協力し合って村人たちで行われているといいます。

以前、この「結」のことである方に聴いたことがあるのは「むかしの人は自分が受けた恩義をいつまでもお互いに忘れない、それが先祖代々、「結帳」に記入してあれば子孫の代になっても口伝、もしくは記録しいつまでもその人たちのことを協力するという考え方があったことです。恩義を中心にして、無条件でお互いに支え合うというのは「徳」のつながりのことであり、私が取り組むブロックチェーンの概念と同様です。

貸し借りとは、金銭的なものだけを言うのではありません。等価交換できないもの、それもまた恩義でありそれは生き方が決めるものです。感謝し合う人格が磨かれた地域であれば、その地域の文化はみんなで恩義の質量を高めていくことができます。

つまりは徳を中心にした思想によって、相互扶助の豊かさを実現していくことができるのです。この豊かさといういうものは、現代のような物質的な豊かさではないことはすぐにわかります。

これはまさに人がこの世で安心して暮らしていくために絶対不可欠な安心基地を持つ豊かさの事です。そして見守り合い徳を分け合う暮らしは子孫たちの安心にもなり、先祖たちもその繋がりに恥じないよう、またいつでも顔向けできるようにと協力を惜しまずに恩送りをするのです。

等価交換できないものを持つというのは、心で繋がり深く結ばれていくということです。これが和の原点であり、結の意味でしょう。

「結」の甦生は、これからの時代の新しい真の豊かさにおいてかけがえのない大切な実践項目です。むかしの豊かさから学び直し、原点回帰していくことで日本人の甦生、日本の甦生、そして世界の甦生を促していきます。

これは現代を全否定するのではなく、あくまで原点回帰して本物や善いものは持続しながら文明を調和させていくということです。ブロックチェーンで私が取り組むことはこの新しい豊かさの甦生です。

引き続き、子どもたちのために志を磨いて挑戦をしていきたいと思います。

 

全体最適の暮らし

最近は、専門性を高めるために分業化が進みましたがその分業化によって大切な本質を見失うことが増えてきたよういも思います。全体最適あっての部分最適ですが、部分最適ばかりを追いかけているうちに全体最悪のようなことが発生してきているように思います。

例えば、縦割り行政なども同様に専門性は高まりましたが横連携がなく無駄や無理、ムラばかりが発生して結果的に対立構造の中で協力しにくい雰囲気が出てきます。それぞれに正論をいっても結果として何も進まないとなると国民の怨嗟の声も増すばかりです。

私たちの伝統文化を深めていると、これらの文化はすべて暮らしの中で醸成されてきたものであることがわかります。

先日から茅葺職人さんたちと共に現場で作業をしながら話をしていると、やはり伝統の畳職人さんの時と同じく地産地消、その土地でとれた作物でつくりその場所で循環させるということを大切にしていました。

これはすべて中心に「暮らし」が入っており、暮らしのないところに本来は伝統文化も職人もないということです。

現在は、全体最適の暮らしではなく部分最適の経済ばかりを追いかけています。そうすると、本来の全体を調和していたものがなくなりお金を儲けるための職人技ばかりがフォーカスされてしまいます。

つまり、テクニックばかりが競われ、先ほどの「暮らしの中での」というところが切り離されてしまうのです。現在は、海外の遠いところからわざわざ材料を集めてそれが生活の中で提供されます。スーパーの刺身などを見てもわかりますが、ほとんどが遠い国からきているものばかりです。

暮らしは本来は、その土地でその場所で身近なところでみんなで循環しながら永続させるものです。暮らしの智慧とは、まさにこの持続する仕組みであり、持続しない仕組みにならないように百姓たちがあらゆる職種を縦断しみんなで専門性を深め、多様な個性を発揮してその土地の文化を醸成していったのでしょう。

その土地土地に伝統文化が育づくのは、先人の智慧がそこで磨かれ高まり守られてきたことの証です。

何が本来の「和」なのか、「和」の本体とは一体何か、私の取り組みを通して実現させていこうと

懐かしい国

昨日、藁ぶきの古民家の藁を片付けているとむかしの手紙や書類が藁と共に残っていました。そこのはがきの住所には、今の地名になる前の住所が書かれていました。それは単に市町村合併で名前が統合するのではなく、国としての単位が変わっていますから余計にそれを感じたのかもしれません。

私の郷里は、もともとは神話の時代は豊国に属していました。そして筑前国になり今の日本国になります。もともとは九州に属していますがむかしは筑紫島、その後に九州島と呼ばれていました。

具体的には筑紫、豊、火、襲(そ)の4国にはじまり、701年以降は西海道として大宰府が筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向の7国と壱岐、対馬の2島を統轄する体制になり、薩摩、大隅を入れて9国と2島に分かれてから九州になりました。

日本国はそもそも島であり、その島がいくつも連なって国のカタチを持ちます。国という単位は、律令制で朝廷が定めていたとしてもその頃は国といっても自分の住んで歴史とつながっている場所の感覚しかなかったかもしれません。頭で考える国というものと、そもそも感覚で理解した国は別もののように思います。その感覚は、郷土への郷愁というか懐かしい故郷とのつながりのようなものかもしれません。

郷愁を辞書で調べると、「 他郷にあって故郷を懐かしく思う気持ち。ノスタルジア。「故国への郷愁を覚える」「郷愁にかられる」そして過去のものや遠い昔などにひかれる気持ち。「古き良き時代への郷愁」とあります。

ふるさとを懐かしみ、そのふるさとを守るため生まれ育った文化や伝統を大切に先祖からの智慧や暮らしを大切に受け継いでいこうとする祈りに近いものが国という認識だったのかもしれません。

藁葺の古民家の甦生を通して、今回のメッセージは何かとても大切なことを伝えてくださった気がします。なつかしい故郷を甦生させていくのは、その懐かしい国を甦生させていくことです。

引き続き、丁寧に過去を紡ぎながら懐かしいものを甦生させていきたいと思います。

いのちの一灯

明日からいよいよ藁葺の古民家の屋根の修繕に職人さんたちと取り掛かります。日本の文化を甦生するのに、この家の甦生はとても意味があります。家はそれぞれの時代に、それぞれの家人や家族を大切に見守ってきました。

その見守ってきた家には、それぞれの物語や思い出が凝縮されておりその場にはその暮らしの余韻が残っています。たとえ、家人や家族がそこに居なくなってもそこには家が残っています。

家が残っているということは、その家は新しい家人や家族が訪れるのをいつまでも待っているのです。

以前、私の友人で貝磨きの達人の方から貝は主人と一心同体であり新しい主人をいつまでも海辺で待ち続けているという話を伺ったことがあります。中にある主人を守るために貝はいつまでも待ち続ける。そして貝は新しい主人の御守りになるのです。

むかしの人たちは貝を御守りにして身に着けました。そして貝もまた全身全霊でその人を守りました。家も同様に人は家で暮らすことで家に守られ、家もまた全身全霊で家の中で人を守りました。

今は家の売り買いや建て替えや解体などがまるで何かいのちのない物のように金銭で簡単に取り扱われますがそこには大切ないのちがあります。

こんなことをいうとセンチメンタルに思われるかもしれませんが、よく考えてみたらすぐにわかります。この私たちの肉体であっても、魂を守るための家であり、その家に魂が入ることで私たちは生きています。肉体を大切にしていくことは、守ってくれている存在を大切に思うことであり、肉体を最期まで大切に使い切ることで肉体もその役目を終えていきます。

私は家を甦生していますが、決して別にただ古民家再生事業をやりたいわけでもなく、リノベーションやビジネスや趣味でDIYが好きなわけではありません。家を磨き、甦生させていくことに仕合せを感じるのは、そこにまた新しい主人とのつながりができ、守り合う存在達に出会うことで世の中が明るく豊かになり、子どもたちに美しい未来が結ばれていくことを実感するからです。

私が取り組んでいることは、「つなぐ」ことであり、「みがく」ことです。そしてそれはすべて「いのち」を「むすぶ」ことであり、子どもに「ゆずる」ことです。

今更なぜ藁葺屋根の古民家を甦生をと思われるかもしれませんが、永い間、放置され朽ち果て白蟻でボロボロになってでもそこに建っていつまでも地域や子どもを見守ろうとする意志を私には感じます。

親切なご縁を感じ取って、家ももう一度、甦って子どものためにといのちを燃やしているのを感じます。私ができることは本当に微力で小さなことですが、真心はきっと家に伝わって、その家が周囲を明るく照らしていくと信じています。

いのちの一灯をこの場所から灯していきたいと思います。

智慧の宝庫

BAには、今年から福島の郷土玩具である「赤べこ」を室礼しています。先日、大三元師のことも書きましたが迷信といわれている過去の厄除けは科学的には証明されていませんが歴史上偉大な効果があったと実証されているからこそ今でも時の篩にかけられて残っています。

この福島県の郷土玩具の赤べこは、ただの玩具ではなく本来は厄病除けの意味からはじまったものです。この赤べこを近くに置いておくと病気や災難から逃れられると信じられ今でも多くの人に愛され続けています。

この赤べこの事を調べると、日本大百科全書にはこうあります。

「郷土玩具(がんぐ)。張り子製の赤塗り首振り牛。福島県会津若松市でつくられる。「べこ」は東北地方の方言で牛のこと。807年(大同2)河沼郡柳津(やないづ)町の福満虚空蔵(こくうぞう)堂建立の際、それに協力した赤牛の伝説が玩具のおこり。その後、岩代(いわしろ)地方(同県西部)に悪性の疱瘡(ほうそう)(天然痘)が流行したとき、この赤い色の玩具を病児に贈ったところ快癒したといわれ、疱瘡除(よ)けのまじないや子育ての縁起物に用いられてきた。1961年(昭和36)の丑(うし)年に、年賀切手の図案に採用された。」

諸説あるようですが、むかしも今と同様に疫病が流行し、人々にどうにもならない状態を与えることが多々ありました。その中で、身代わりになってくれる、また厄を除けてくれる存在に深く感謝していつまでも慎んで生きた先人の姿が見えてきます。災害を乗り越えた智慧をいつまでも忘れないために、人々は伝承というカタチを使って子孫に時を越えて伝承を紡ぐのです。

この諸説の中でも深く共感したのは、この文です。

「大同2年、円蔵寺に徳一大師が虚空蔵堂を建立する際、上流の村から大量の材木を寄進された。しかし、水量が豊富な只見川から材木を運搬することは決して簡単ではない仕事だった。人々が材木を運ぶのに難儀しているとどこからか牛の群れが現れ、材木の運搬を手伝ってくれた。重労働で多くの牛が倒れる中で最後まで働いたのが赤色の牛だったといわれている。そのことから、赤べこが作られた。」

今から約1200年前の出来事にもかかわらず今でもこの赤牛らの御恩を忘れずに、身代わりに真摯に働きを与えてくれた存在のことをいつまでも大切に思っているという人々の思いに共感を覚えます。まさに虚空蔵堂の一つの権化でもある、赤牛を菩薩に見立てたのでしょう。

私たちは歴史に学び、こういう時こそどのような心の姿勢で疫病の厄を除けていくのかということを学び直す必要があります。これは単なる迷信ではなく、歴史は過去の事実ですからそれを乗り越えて残る迷信は実は智慧の宝庫であり、文化の結晶なのです。

そんなものは非科学的だからと吐き捨て避けるのではなく、非科学的なものの中に智慧があるかもしれないと敢えて盲信することも大切ではないかと思います。祈りのチカラであったり、不思議な言霊のチカラであっても、効果があるものは宇宙のチカラとして受け容れることもまた私たちの人間の体のように神秘と調和するための真理でしょう。

子どもたちのために、善いものは日々の暮らしの実践の中に智慧を遺し、伝承していきたいと思います。

経営の要

有事と平時では求められるリーダー像は異なるように思います。たとえば、徳川幕府になってからのリーダーと戦国時代のリーダーではリーダーの人気も異なります。今の平和の時代に、戦国時代の織田信長のようなリーダーが国を率いたらこれはこれで不満が出てすぐに人気が亡くなり降ろされるでしょう。しかしもしもひとたび、戦争や困難があったならひょっとしたらみんなが求めるリーダーとして大人気になるかもしれません。

つまり時代がその時々の状況でリーダー像は変わるということで、その役割もまた変化するということです。

人間は社會を形成する生きものですから、社會の中で一つの人格というものを磨き上げます。この社会は、現在では会社単位で組織もできておりそこにはそれぞれにリーダーがいて社員がいます。

経済でも同様に、有事の時に活躍する会社と平時の時に活躍する会社があります。状況と時代の流れと環境に合わせて常に形を変えながら生きもののように組織は存続しているとも言えます。

そう考えて観ると、組織にも一つのリーダーシップがあるように思います。組織の人たちがみんな有事の人たちになっているか。いつまでも平時のことをやっていないか、これはとても大切なことだと感じるのです。

よく観察してみると、織田信長の有名な桶狭間の戦いであっても、ある瞬間にまずリーダーが馬で駆け出していますがそれに一緒に駆け出した家臣たちがいてはじめてあの戦はあったのです。

もしも時間外労働だから考えてくれや、怪我の保証はどうかとか、体調が万全ではないのでとかいう理由で家臣がついてこなければ負けていたはずです。つまり、有事の時のリーダーとは単に織田信長一人だったわけではなく、家臣一人一人が有事のリーダーとして活躍したということでしょう。

つまり、今がどういう状態なのかを知り、生き残るためにみんな必死で取り組んで乗り越えたということです。

そしてこれはある種、生き物が生き残る条件としてダーウィンがこういう言葉を遺しています。

「強い者、頭の良い者が生き残るのではない。変化するものが生き残るのだと。」

つまりリーダーとは、変化するものであり全員リーダーシップを発揮するというのは全員で生き残るために変化するというものです。つまり有事のリーダーであるときは有事のリーダーとして変化し、平時のリーダーの時は平時のリーダーとして変化する。

その時々の自然環境の変化に応じて、適応できたものだけが生き残ったというものです。何をどう適応するのかは、0から1にしていく挑戦をするなかでわかってくるものです。

生きものは急な変化に適応するには、本当に大変な労力もエネルギーも使います。しかし、それでも変化しなければ生き残れませんから有事に備えて平時でも乱を忘れないものが生き残るのです。

今、どのような局面に入っているのかよく見極めつつ、経営の要を定めていきたいと思います。

 

感染症という時代の節目

感染症の歴史を深めていたら、人類は今まで何度も感染症によって大変な憂き目にあっていることを知ります。権力者であろうが、神官であろうが、感染症が流行すればだれでも平等に感染します。

歴史をよく眺め直していると、感染症が流行する切っ掛けは共通するものがあります。一つは、人間が遠くまで往来したこと、人間が密集したこと、貧富の差が生まれ粗悪な環境が発生したこと、生物同士の不可侵の生息環境に踏み入れたこと、最近では抗生物質の乱用や科学的実験の乱発で人工的なウイルスになってしまったことなどがあります。

私は専門家ではありませんが、なぜこのような感染症が発生するのかは歴史から学び直すことができます。専門家が詳しいから専門家が正しいわけではありません、一人ひとりがきちんと向き合い、なぜこんなことになるのかを自分自身で考えてそれぞれに問いを持ちながら取り組まなければこの感染症を乗り越えることはできないと思います。

今回、三密を避けるとありましたがそもそもこれだけ世界中で日々に渡航者が大量に往来すれば必ずどこからかウイルスは持ち込まれ感染症は歯止めがききません。それに都会で密集して生活していたら爆発的に感染は増えます。また感染者を排除しようとすることで差別が広がれば余計に感染者が増えていくのも予想できます。検査を受けることすら嫌がり、自分が差別されたくないとみんな感染している可能性があってもそれを隠すようになりパンデミックになります。

実際には具体的な対策をと色々と言っていますが、時短にするとか、外出自粛とか、マスクだけではどうにもならないように思います。本来は、この感染症を止めるためには先ほどの、渡航をやめ、差別をやめ、都会をやめ、自然破壊をやめ、安易な薬をやめ、ウイルスと敵対するのをやめるようなことが必要です。

しかしこれは暗黙の了解でできないことになっていますから、それ以外でということになります。それ以外でということがあまり効果がなくても、それには目をつぶってなかったことにしようとするバイアスが人間の脳には働くのです。だから余計に、感染症が止まることもなく犠牲者が増えて最後は仕方なかったと諦めるのでしょう。

本当はそうではなく、果敢に勇気を出してこれらをやめる取り組みをするしかないのです。コロナウイルスは切っ掛けにすぎず、人類は必ずこの問題に向き合う時がすぐ近くに来ています。コロナがたとえ終息しても、すぐに第2第3が来ますし、今度はもっと厄介なものが来ます。どうせ、その時にあの時にやっておけばよかったと後悔するのなら今の方がまだ国にも個人にも体力があるからできるのです。

人間は本当の意味で危機に追い込まれるまで動こうとはしないものです。ゆでガエルの話のように、じっくりとゆっくりとくる変化に弱いのです。緊急事態宣言とは本当は、今のような安易な一時的な目先の対策をすることではなくまさにリーダーとして、すべてを転換するためにどうあるべきかを国民たちに問うためのものであろうと私は思います。

そうはいっても、誰かのせいにしても解決するものではありませんから自分がまずモデルを示す必要があります。

「できないことばかりを並べるよりも、できる人からやればいい。」

そうしているうちに、できない人もできる人から勇気をもらいやっていくことができるものです。感染症をきっかけにはじまった人類の新しい時代の挑戦は、いよいよ幕を開けました。

子どもたちのために、真摯に挑戦していきたいと思います。

心待ち

昨日は、聴福庵の箱庭にある紅葉などの剪定を行いました。つい冬の時期の剪定をするのを忘れてしまい、初春にして虫や葉などで大変になりますが今年は無事に剪定できました。

どの木々にも特性がありますから、タイミングを外さずに手入れをしていく必要があります。特にタイミングはどれも事前にというのが特徴ですから、四季折々の時機を見逃さずに如何に心を使って「待つ」ことを楽しめるか。

暮らしは待つことで豊かになりますから、現代のようなスピード社會において待つこと待てることは大切な暮らしの実践項目です。つまり「待つ技術」を持っている人ほど、仕合せを感じやすいということでしょう。

例えば、待つことでいえば神仏に拝むというものがあります。日本人は、予祝といって先に感謝をしてその時を待ちます。「おめでとうございます」という言葉もまた、先に待っている言葉です。

すでに素晴らしいことが起きている、偉大な恩恵をいただいている、だからこそないものを見ずにある方を観ることで「芽出度い」ことが誕生していることを知る心で待つのです。

焦ったり不安になったりすると人は待つことができなくなります。うまく待つためには、プラスの方、いただいている方、すでにある方を観る訓練が必要です。もうないと観るか、まだこんなにあると観るか、それは心が決めるからです。

日本の暮らしの中には「もったいない」という思想があります。これもまた、ある方を観ることで感じられる心持ちです。豊かさはその心持ちが決めます。物がたくさんあってもまだ足りないと増やす人と、すでにこんなにあると足るを知る人。同じ人間でも心持ち次第で別人になっていますからそれは暮らしの中に顕れてくるものです。

暮らしを充実させていくというのは、その心持ちを豊かにしていくということです。日々の小さな仕合せを噛みしめていくことや、待つことの喜びを暮らしの中に見出していくことだったりします。

先ほどの紅葉であれば、この時期は水が少なくなりますから葉を落として春を待ちます。乾燥する空気の中で水分を維持することが難しいから葉を落として枝だけで蓄えた水分で乗り切ります。水を多く含み、それを出すから夏場はお庭を清涼にしてくれます。

紅葉と一年を共にするとわかるのですが、春の新緑の瑞々しく初々しい姿に心癒され、夏の生い茂った深い緑に心が洗われ、秋の紅葉の美しく物寂しい姿に心が落ち着き、冬の枝に飛来した鶯や鵯が鳴いている姿に未来への心待ちを感じます。この豊かさは、「一緒に」共生しているからこそ味わえるものです。

真の豊かさはあらゆる生命と共生し合い、そこで貢献できる喜びを味わうときに実感します。人間が仕合せを磨くのは、自然と共に生きるときです。

子どもたちにも、自然が共にあるように先人の智慧と伝統と文化を伝承していきたいと思います。