和と和風

私たちの食べる和食というものはどういうものであったか、色々と歴史を辿ると面白いことがわかってきます。現在、和食は2013年12月、「和食;日本人の伝統的な食文化」がユネスコ無形文化遺産に登録されています。これの特徴は農林水産省によると1.多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重。2.健康的な食生活を支える栄養バランス。3.自然の美しさや季節の移ろいの表現。4.正月などの年中行事との密接な関わり。とあります。

もともと和食の始まりは何か、ざっくりと現存してわかっているのは縄文時代からとなります。縄文時代は縄文土器を使って、煮る、茹でるなどからはじまります。弥生時代に入り、稲作がはじまりお米が主食になっていきます。そして平安時代のころには中国からの食文化が流入してきます。そこから大饗料理という種類の多いおもてなしの食材が増え、今度は禅僧から精進料理、茶道に入り懐石料理などと発展します。戦国時代には、昆布やカツオの出汁が主流になる料理が増えます。江戸時代には、1日3食食べるようになり天ぷらや寿司、うなぎ、蕎麦、うどんなど人気がでます。そのあとは、現代の原型にもなっている西洋の食文化が流入してまた混ざり合っていきます。最近では、世界各国の料理が流入し、食材も海外から当たり前に大量に入ってきます。ファーストフードや急速冷凍技術も高まり簡単便利に何でも食べられる世の中です。

和食というものは、結局は日本人の好みに合うように和合された食文化ということでしょう。なので日本人が変われば和食も変わるということです。平安時代の和食と、現代の和食が違うのは当たり前ですがでは何が和食とするのかということです。

それはかつてから変わらない日本的な生き方であったり、食べ方であったり、風土に適った育て方であったりと、本来の味を変えないものであることに気づきます。これは今ではとても難しいことです。

日本人の暮らし自体も変わってしまい、価値観も変わりました。溢れるばかりの食材と世界から入ってくる流通の材料、それに環境も変わってしまいました。東京の都心などに住んでみるとわかるのですが、毎日、別のものを食べてもお店も材料も尽きることはありません。私たちが和食が恋しいとなると、ご飯、みそ汁、お漬物という具合になります。

しかしこのご飯なども、現在はむかしのような育て方でもなく力もありません。お味噌も発酵を簡素化したものやお漬物にいたっては化学調味料で味を似せているだけです。これを和食と思うかというと、見た目が和風食ということになります。

この和風食と和食だけでもはっきりと違いを定義してほしいと感じるものです。

私は有難いことに、むかしながらのお米作りやお漬物、そして味噌も発酵させて自給自足できています。その御蔭さまで和食の原点というか、味に気付くことができています。手間暇をかけて、大切に日本の風土で育てたものを自分たちの身体にもっとも合うようにして食をいただく。

和というものは、決してその部分最適だけをいうのではなく日本の歴史全体を含む全体最適であるときにはじめて五感で味わえるものだと私は思います。

私が暮らしフルネスのなかで食を通して人が感動してくださるのはきっと、そういう生き方や働き方、暮らし方や食べ方に懐かしい何かを感じていただいているからかもしれません。

引き続き、本物か偽物かではなくむかしからある懐かしい徳を現在に甦生してそれを子孫へと伝承していきたいと思います。

おにぎりとおむすび

おにぎりとおむすびというものがあります。これを感じで書くと、お結びとお握りです。一般的に、おむすびが三角形で山型のもの。おにぎりが丸や多様な形のものとなっています。握りずしはあっても握り寿司とはいいません。つまり握るの方が自由なもので、お結びというと祈りや信仰が入っている感じがするものです。

また古事記に握飯(にぎりいい)という言葉があり、ここからお握りや握り飯という言葉が今でも使われていることがわかり、お結びにおいては日本の神産巣日神(かみむすびのかみ)が稲に宿ると信じられていたことから「おむすび」という名前がついたといわれています。

このように、お握りとお結びを比較してみると信仰や祈りと暮らしの中の言葉であることがわかります。形というよりも、どのような意識でどのような心で握るかで結びとなるといった方がいいかもしれません。

この神産巣日神は、日本の造化三神の一柱です。他には、天之御中主神、高御産巣日神があります。古事記では神産巣日神と書きますが、日本書紀では神皇産霊尊、そして出雲国風土記では神魂命と書かれます。このカムムスビの意味を分解すると、カムは神々しく、ムスは生じる、生成するとし、ビは霊力があるとなります。つまりは生成、創造をするということです。

結びというのは、生成や創造の霊力が具わっているという意味です。お結びというのは、それだけの霊力が入ったものという認識になります。いきなり握るのと、きちんと調えて祈りおむすびするのとでは異なるということがわかると思います。

また他の言い伝えではおにぎりは、鬼を切(斬)ると書いて「鬼切(斬)り」からきたというものもあります。地方の民話に鬼退治に握り飯を投げつけたもありおにぎりという言葉ができたとも。鬼をおにぎりにして、福をおむすびにしたのかもしれません。

私たちが何気なく食べているおにぎりやおむすびには、日本古来より今に至るまでの伝統や伝承、そして物語があります。今の時代でも、大切な本質は失われないままに、如何に新しく磨いていくかはこの世代の使命と役割でもあります。
有難いことに故郷の土となり稲やお米に関わることができ、仕合せを感じています。子孫のために徳の循環に貢献していきたいと思います。

日本の醸し文化

日本には古来から食文化というものがあります。その一つに酒があります。このお酒というものは、日本人は古来より家でつくり醸すのが当たり前でした。醤油や味噌などと同様に、発酵の文化と一つとしてそれぞれの家にそれぞれのお酒を醸していました。何かのお祝い事や、あるいは畑仕事の後などに呑み大切な食文化として継続してきたものです。

それが明治政府ができたころ明治32年(1899年)に、自家醸造が禁止されます。この理由は明治政府による富国強兵の方針に基づき税収の強化政策でした。実際に明治後期には国税に占める酒税の割合は3割を超え地租を上回る第1位の税収だった時期もあったそうです。

そこから容赦なく自家醸造が取り締まられ、高度経済成長期にはほとんどお酒を自分の家でつくる人とがいなくなりました。実際にはお酒以外にも酒以外にも、砂糖、醤油、酢、塩などの多数の品目にも課税されましたがこれらの課税はその後撤廃されていてなぜかお酒だけが今でも禁止のままです。

それに意を反して、昭和に前田俊彦氏がどぶろく裁判というものを起こしましたが敗訴しています。その時のことをきっかけに全国でも、おかしいではないかと声があがりましたがそれでも法律は変わっていません。先進国の中でもアルコール度が低いお酒でさえ醸造するのを禁止しているのは日本だけです。発酵食文化として暮らしの中で大切に醸してきたものが失われていくことはとても残念に思います。

ちなみにこのどぶろく(濁酒)というものは、材料は米こうじとお水を原料としたものでこさないで濾過しないものというお酒のことです。一般的な清酒はこすことを求めていますがどぶろくはこしません。しかしこのどぶろくを飲んだことがある人はわかりますが、生きたままの菌をそのまま飲めるというのは仕合せなことです。

以前、私も生きたままのものを飲んだことがありますがお腹の調子がよくなり仕合せな気持ちになりました。アルコールはただ酔うためのものではなく、菌が豊かに楽しく醸しているそのものをいただくことでそういう心持ちや気持ちになってきます。

つまりは生きたまま醸したものを呑む方がより一層、その喜びが感じられるのです。

現在、宿坊の甦生をしていて明治の山伏禁止令に憤りを感じましたがこの密造酒として禁止した法令にも同じように義憤を覚えます。

子どもたちが食文化としてのお酒が呑める日がくることを信じて、自家でやる醤油、味噌など日本の醸し文化を伝承していきたいと思います。

絶妙な柔らかさ

自然界には柔らかいものと硬いものがあります。それは物質的な素材によって異なります。動物や人間においては、産まれたての時は柔らかく、歳をとり死ぬときは硬くなります。柔軟や頑固というのは一生のうちで変化しているともいえます。

昨年、骨折をしてから今はまだリハビリ中ですが折れたところの筋肉が硬くなっています。使っていない筋肉は硬くなっていき変な力を入れてしまうと張ってきます。他にも人間の肉体は炎症を起こすと硬くなります。緊張をしても硬くなり、血流が悪くなると硬くなります。この硬くなるという行為は、ある意味で不自然であることを証明しています。

もともと柔らかいものが硬くなるのは、伸びることと縮むこととの関係性とも言えます。私たちの成長というものは、伸び縮みを繰り返して少しずつ伸ばしていきます。ある意味、少しずつ伸ばしてことが成長とも言えます。

これは身体に限らず、能力や才能も使い育てることで伸ばしていきます。伸ばしていくのは、蕎麦打ちなどをしてもわかりますが粉を塊にしてこねて打ったらあとはのし棒で伸ばしていきます。美味しい蕎麦にするには絶妙な柔らかさの中には適度な硬さを持たせます。

この絶妙な柔らかさというものこそ自然体で力んでいない状態です。人間でいえば、リラックスをして心も体も調和している状態のことをいうように思います。

余計な力が入ったり、頑固に無理をしていて硬くなっていると本来もっているものも発揮できません。自然体というのは、本来の今の自分にあるものを存分に発揮できる状態になっているということです。

そうやって加齢していっても、年々体は死に向かって硬くなっていきますがその分、心のバランスや使い方や用い方の工夫が取れて絶妙な柔らかさは維持できるものです。

私の尊敬している方々もみんな柔軟な感性を持たれておられ、お会いするたびにその絶妙な柔らかさに生き方を学びました。これらの絶妙の柔らかさを持てるようになるには、日々の柔軟性を高める精進が必要になるように私は思います。

その時々の今のありようと正対しては、そのご縁のすべてを活かそうとする努力です。別の言い方では、禍転じて福になるということや人間万事塞翁が馬という境地を体得しているということでしょう。

子孫のためにも、今私が取り組むことが未来への橋渡しになれるように絶妙な柔軟性で結んでいきたいと思います。

恵まれている人生

思い返せば、私はずっと人に恵まれてきた人生を送ってこれたように思います。出会いやご縁を大切に生きてきた御蔭で、素晴らしい人たちの尊敬する部分、美点、魅力をたくさん体験して共感し学ぶことができました。人に興味を持ち、人の奥底にある役割や目的を丸ごと愛するように心がけてきました。

癖が強い人、こだわりがある人、あるいは繊細な人、器の大きい人、たくさんの人たちに出会っていく中で人間の魅力を感じて自分の糧にしてきました。似たところもあれば、まったく似ていないところもあったり不思議ですが関心はなくなりません。

人生の前半はずっと話すことに力を入れていましたが、後半からは聴くことに注力してきました。その御蔭で話を聴くうちに、周囲の人たちの存在がとても有難く感じるようになりました。人間はそれぞれに守るものがあり、それぞれの目的があります。時にはちぐはぐな人がいたり、またある時には思い込みで自分を見失っている人がいたりします。みんな何かに困っていたり、あるいは苦しんでいたりと、それぞれの悩みもあります。そういうことを丁寧に聴いて思いやりで接していく中で、その人のことが少し観えてきます。すると他人事ではなく自分のことのように感じて、取り組んでいくうちに気が付くと自分もあらゆることで助けられてきたように思います。

人間の不思議な関係は、「助け合い」をすることができるということです。助け合うことで、人生はとても恵み深いものになります。どうしても自分に余裕がなかったり自分が大変なときほど、自分でいっぱいになってしまうものです。

しかし恵まれてきたこと、今も恵まれていることに気づくことで周囲の有難さに気づいていくこともできるように思います。

この恵みというものの正体は、与えあう素晴らしさを実感できているということでしょう。むかしから奪い合えば足りず、与えあえば足りるという言葉もあります。与えるのが好きな人はそれだけ恵まれていることに感謝している人なのかもしれません。

豊かさもまた、その恵みを実感できる暮らしの中にあるものです。生き続き、感謝や徳を磨きながら日々の暮らしフルネスを楽しんでいきたいと思います。

蕎麦はいのちのパートナー

以前から蕎麦職人のような恰好をしていることが多かったので、地元では蕎麦屋さんをしているのかと尋ねられることが多くありました。蕎麦屋ではないのと、そば打ちもしないと周囲には話をしていたのですが遂に満を持して蕎麦打ちをはじめることになりました。

この蕎麦打ちをはじめるきっかけは私が尊敬する水眠亭の山崎史朗さんのところに宿泊した時に振舞ってくださった味が忘れならなかったからです。真心を籠めて丁寧に相手を思い打ってくださった蕎麦の味は心に余韻が残ります。お茶の世界に通じていますが、この蕎麦打ちもまた真心を使うのにとても素晴らしい調理であると気づいたことからはじめることになりました。

また私は炭の料理をつくるのですが、火や水を使うことで素材が活き活きするのを実感するのが大好きですからこの蕎麦はまさにこれらを堪能するのにはもってこいです。先日のお餅つきもですが、素材を活かすむかしの道具たちは私にとっては宝のようなものです。先人たちの知恵や創意工夫には本当に頭が下がる思いがします。

蕎麦と人類との歴史は9000年前に遡るともいわれます。日本史の中で本格的に出てくるのが奈良時代で和歌にも詠まれています。

もともとこの蕎麦は、種まきから収穫までの期間が短く一年に3回ほど収穫できます。また瘦せ地でよく育ち、収穫も用意です。以前、私も蕎麦を育てたことがあるのですが畑よりも周辺の土手や野草が生えているようなところの方がよく育ちました。白い花や実がなった時はとてもうれしかったのですが、収穫が大変なのとそれをそば粉にするのは本当に大変で手作業でやると脱穀から臼ですりつぶしまでも相当な時間を要します。作業の割にはほんの少ししか食べられず、むかしの人たちの当たり前の生活に尊敬の念が湧きました。

この蕎麦を食べるのは、今のような時代の食べ方ではなくまさに飢饉や飢餓の時の非常食としてでした。富裕層や貴族は食べず、農民たちが蕎麦をこねて蕎麦がきのようにして食べていたといわれます。

蕎麦が麺になったのは、江戸時代で蕎麦切りといい蕎麦を切って蒸して食べていました。私も以前、山口県の萩市で同じ製法で取り組む蕎麦を食べたことがあるのですがとても食べやすく普段よりも多く食べることができました。そこから茹でる蕎麦になり現代にいたります。今では蕎麦に様々な具材をのせて楽しんでいますが、やっぱり蕎麦本来の味を玩味するのはざる蕎麦や先ほどの蒸蕎麦に塩をのせて食べるのがいいように私は思います。

蕎麦は長い歴史の中で、苦しい時を共にしてきた大切ないのちのパートナーです。これから英彦山の宿坊の精進調理の一つとして、この蕎麦打ちがはじまるのも楽しみです。柚子胡椒や薬草、発酵関係もあるのでお山の暮らしを楽しめるように色々と復古起新していきたいと思います。

懐かしい永遠

昨日は、遠方から訪ねてきた友人や仲間たちとお餅つきを行いました。まるで親戚がみんな集まって団欒しているようにお餅つきができ有難い時間になりました。杵と臼と蒸篭や竈も大活躍で、一年の締めくくりに見事な調和をしてくれました。もう数十年も前のものを甦生して使っていますからあちこち傷んでいます。それでも最後まで主人と共にみんなの仕合せに貢献してくれます。

私は懐かしいものが大好きです。その理由は、心が温まるからです。古いものは記憶を持ちます。その記憶は多くの人たちと喜んでくれた記憶です。物は喜ぶのが大好きです。だからこそ、私は物に触れるとき喜びを感じます。私の甦生の裏には常に喜びがあり、その傷を深く受け入れて懐かしい時間を甦生させているのです。

また懐かしい時間は、人とのつながりの中にもあります。人は何処で生きるのかもありますが、誰と生きるのかというものもあります。ご縁のあった絆の方々と一緒に歩める時間は人生の中のどれくらいかわかりません。だからこそその時々を大切にして二度とない一期一会を味わうのです。その時こそ、私たちは懐かしい永遠を生きることができます。

あらゆる物は、時を超えて記憶を刻みます。肉体や精神を失っても、その魂は忘れることはありません。人は心がありますし、物にも心があります。この心の正体は、懐かしい永遠の中にこそあるのです。

私が取り組む暮らしフルネスは、この懐かしい永遠を目指すものです。だからこそ無限に取り組み方があるように無限の生き方もあります。その一つ一つを磨いていくことで、徳を顕現させていくこと。そしてその徳が循環していくこと、自然ともいいますがあらゆるものが結ばれた境地に達していくことのようにも思います。

実際にはとてもシンプルで、笑ってしまいますが懐かしい永遠の中でお餅つきをやったり、太陽を拝んだり、果樹をとったりお米をつくったりしているだけです。

頭で考えすぎず、人間の知性ばかりを頼らず、心を優先して心に従うこと。今年もいい年になりました。ありがとうございます。

当たり前を拝む暮らし

昨日は、朝から会社の仲間たちと一年を振り返り昼からは結の方々と共に暮らしの中で冬至の時間を過ごしました。また夕方からは祐徳石風呂サウナに入り音楽を味わい直来で備長炭で煮込んだおでんを食べ団欒しました。みんなで持ち寄った「ん」のつく食べ物を発表したり、昨年のことを思い出してみんなで語り合い、来年の予祝をしておめでとうをし運気を上昇させました。

私は、何かのイベントのように物事を行うのが苦手であまり好きではありません。刹那的なものは何か人間の作為的なものを感じてしまいます。もちろん、好き嫌いというだけで悪いことではないので時折それもありますが苦手ということです。

例えば、昨日は冬至で日の入りをみんなで眺めて拝みました。奇跡的に日の入りの瞬間に冬の厚い雲の間から差し込んできた神々しい光に包まれました。お祈りをして法螺貝を奉納したあとさらに光が増し振り返ると一緒に拝んでいる友人たちの顔が光で真っ白になっていました。その神々しさにまた拝みたくなり感謝しました。

私たちは何かを拝もうとするとき、何かの建物越しに拝んだり、あるいは石像やあるいはお経などを通して祈ろうとします。しかし、本来の神々しいものはもっと自然的なものやいつもある当たり前の存在にたいして拝んだ方が深い感動や多幸感が得られるものです。

これは自然であり、人為的ではなく作為もないからです。

古来より私たちの先祖は、自然に太陽や月や水や空気、星空をはじめあらゆる存在の偉大さに気づく感受性を持っていました。だからこそ、当たり前の中に足るを知り真の豊かさや喜びを味わっていたのです。

何かと比較することもなく、何かに勝ち負けもなく、効率や効果なども一切とらわれない、ただそこにあるものに感動していたのではないかと私は思います。

その証拠に、私たちの感受性の中には自然を美しいと感じる調和の心が具わり、同時に五感や六感というような感覚が反応するからです。人間の脳みそで構成された世界ではなく、本来の自然として刷り込みも囚われもない赤子のような心があるのです。

そしてその感性や調和を優先して生きることが、本物の暮らしであり私たちがこの世で許されたいのちの尊厳でもあります。

自然を尊重する生き方は、余計なことをなるべくしないという生き方でもあります。それはあるものを観ては、足るを知り、真の豊かさを謳歌するという一期一会の日々を生きるということでしょう。

子孫のためにどのような暮らしを遺していけるか、そして今にその暮らしをどう甦生して伝承を続けていくか、遠大な理想にむけて日々は小さな暮らしの連続です。この日を大切にして、次回の立春に向けて暮らしを調えていきたいと思います。

三浦梅園先生の生誕300年のご報告

御蔭様で無事に三浦梅園先生の旧宅で生誕300年の行事を実施することができました。素晴らしい天候に恵まれ、この時期としては最も過ごしやすく穏やかな気候で心も体も深く癒されました。今朝から雨が降っていますが、改めて奇跡のような一日であったと感謝に包まれています。

遠方から多くの仲間たちが前入りしたり早朝からも駆けつけてくださってお手伝いをいただきました。また現地でも時間をかけてお手伝いいただいた方々やこの日のために準備を調えてくださった方々も参加し家族のような雰囲気でした。

行事がはじまると、みんなで三浦梅園先生と代々のお墓の清掃や旧宅のお手入れを行いました。人数が多いこともあり、あっという間に美しく綺麗に調いました。そして英彦山の古文書から甦生した伝説の和漢方不老園をみんなでお茶にして飲んで寛ぎ、三浦梅園先生の菩提寺である両子寺の寺田豪淳さんと300年の法要を行いました。宗派などを超えて暮らしのなかでみんなで遺徳を偲ぶ時間が懐かしく、緩やかな時間と一緒に般若心経を唱える調和に有難い気持ちになりました。250年前から吹き続けられた懐かしい法螺貝を吹いて奉納しました。

その後は、シンポジウムと移りました。改めて300年前、三浦梅園先生が過ごしたこの場でむかしの梅園塾のように30名の仲間たちが語り合い、学び合い、生き方を磨き合いました。

まず各々三浦梅園先生のことをどう感じるかを話し、信条を伝え取り組みを話しました。先生の条理学、自然観、生き方、そのあとは、真の経済ということをテーマに「価原」という先生の著書から学んだことを議論しました。登壇者からは、現代の貨幣経済の問題、時間泥棒のこと、限界集落や相互扶助の大切さ、懐かしい経済について語り合いました。また参加者からも格差経済のこと、連携経済のこと、協働創造のことなど、多岐に及び、時間があっという間に過ぎてしまいました。そして最後は、三浦梅園先生の慈悲無尽講を現代に甦生させるための挑戦を有志でやろうとなりその場でブロックチェーンの徳積帳を使い結に参加し両子山、両子寺周辺の自然環境や行事、お祭り、経世済民を実践するためにみんなで徳の積みたてに参加してくれました。内省シートを記入し、それぞれに気づきや知恵を書いていただき、来春にまたこの場で集まることを約束しシンポジウムを終えました。

お昼は、持参した自家製のむかしのお米をつかった酵素玄米のおむすびを火鉢を囲んでみんなで食べました。また友人の高橋剛さんのお父さんからもパンの差し入れがあり、みかんやお菓子などを食べて心温まる時間を過ごせました。その後は、親友の雲水、星覚さんが中心になってみんなで三浦梅園先生の里で「遊行」を行いました。ぶらぶらと目的を持たずに、先導する杖に委ねて歩くのです。私が先月の遊行中に骨折をして歩けなくなり、歩くことを一時中断することになってはじめて気づいたことなどを伝え、その歩くことの意味や感覚をみなさんで味わっていただきました。法螺貝が里に響き渡り、地域の方々もたくさん出てきてくださって賑やかさに喜んでいただきました。

最後は、みんなでまた生家に帰り一日を振り返り感想を伝えあいました。懐かしい未来、一期一会の場にこうやって一緒に過ごせたことに深い感謝がありました。ご挨拶をして、再会を楽しみにみんなでお別れしました。感謝の余韻の残る、かけがえのない一日になりました。

人生というのは、一度きりです。何を最も大切に生きていくかは、その人の心が決めます。真の豊かさとは、心の中にこそ存在します。真に豊かに生きておられた三浦梅園先生の生き方の余韻や空氣を存分に味わうことで私たちの心にもその片鱗が宿りました。

遺された人生、先祖代々の遺徳に感謝して丁寧に使わせていただき300年後の子孫のために今日も大切に使っていきたいと思います。

ありがとうございました、これからもよろしくお願いします。

小さな改革

マハトマ・ガンジーの思想に、七つの大罪というものがあります。これは現代の人類の価値観に警鐘を鳴らすものです。そこにはこうあります。

1.理念なき政治 (Politics without Principle)
2.労働なき富 (Wealth without Work)
3.良心なき快楽 (Pleasure without Conscience)
4.人格なき学識 (Knowledge without Character)
5.道徳なき商業 (Commerce without Morality)
6.人間性なき科学 (Science without Humanity)
7.献身なき信仰 (Worship without Sacrifice)

そもそも、これらの7つは本来はこうではなかったものがこうなったというものです。つまり政治は理念あるもの、富は労働するもの、快楽は良心あってこそ、学識は人格がつくる。商売は道徳であり、科学は人間性によるもので、本来の信仰は献身であると。この逆になっているのが今の時代の価値観ということです。

例えば、金融や経済などはわかりやすく一部の富の独占と貧困と飢饉によって貧富の差は拡大しています。道徳を忘れてしまえば、商業はますます世の中を非道徳の環境に貶めていきます。ガンジーはこういいます。

「私は、あなたが正しい手段で手にした資産を捨てろとは言わない。しかしその資産は、決してあなた自身のものではない。それは人々のために役立てることができるように、あなたに一時的に預けられているものだ。そのことを忘れてはならない。」

富や財産は決して自分のものではなく、これは単に預かっているものでありまたみんなで循環させていくために活用しようといいます。私たちの身体も同じで、預かっているもので正しい生の循環を止めてしまいどこかで留保し続けたらそこから癌になるものです。経世済民とは、誰かが富を独占し確保するのではなくみんなにサラサラと血液が流れ浄化されるように循環させていくところに幸福もあります。自然と同様に、自然から預かった環境を自分の天命を全うし、また好循環の一部として生を喜び全うしていくことが本来の姿です。

個人主義、利己主義が蔓延する競争と不安の世の中においては、商業が道徳的でなくなる理由はよくわかります。だからこそ、同時に道徳といった、徳が循環する経済を創造しようとしてこそそこに経済大国として世界を調和する大切な役割があるように私は思います。

そしてガンジーはこうもいいます。

「何かを訴えたい、意志表明したいと思ったときに、それを話したり書いたりする必要はない。行動し、生き様で示すしかない。私たちは一人一人の生き様を、生きた教科書にしよう。誰もがそこから学び取ることができるように。」

ということで、私は三浦梅園先生の慈悲無尽の生き方に感動し、それを実践して現代に甦生させてみようと思います。困難や非難もあっても、まずは試行錯誤してみてそれをみんなと切磋琢磨してこの時代の世代の役割を果たしていきたいと思います。