本物の経済人~世直しの仕組み~

二宮尊徳の弟子たちが残したものに二宮翁夜話があります。これは二宮尊徳の門弟、福住正兄が身辺で暮らした4年間に書きとめた《如是我聞録》を整理して尊徳の言行を記した書のことです。

この夜話には、二宮尊徳の思想や具体的な行動が記録されています。その夜話231条の記録の中に「神儒仏正味一粒丸」という言葉があります。

「神道は開国の道なり。儒教は治国の道なり。仏教は治心の道なり。ゆえに予は高尚を尊ばず卑近を厭わず、この三道の正味のみを取れり。正味とは人界に切用なるをいう。切用なるを取りて切用ならぬを捨てて、人界無上の教えを立つ、これを報徳教という。戯れに名付けて神儒仏正味一粒丸という。その効用の広大なることあえて数うべからず」

どのように世直しをしていくか、その善いところだけを合わせて団子のように丸めて薬にして人々に与えるという発想。この「正味」という字は、余分のものを取り除いた中身、本当の中身という意味です。二宮尊徳は、報徳という考え方はこの3つを合わせてできたということを暗に意味しています。

そしてこの報徳を実現することを報徳仕法を実践することとしました。

「農村の復興・改革という報徳仕法の実践面は、勤労、分度、積小為大、そして、推譲から成っていると考えられる。つまり、まず分度を立て、その分度を守りつつ勤勉に働く。最初は小さな成果しか得られないかもしれないが、それを継続し、積み重ねれば大きな成果が生まれる。成果が生まれたら、いたずらに浪費するのではなくそれを家族や子孫、他人や社会のために役立てる。一言に集約すると『勤倹譲』(勤労、倹約、推譲)と表現されることになり、これらが報徳仕法の実践である」

これは現在のソーシャルビジネスにも通じており、尊徳はもうずっと前に経済で生み出される人間の貧困の問題を解決するための方法を発見しそれを具体的に実現し成果を出していたのです。その後、明治維新により西洋化を急速に進める中で報徳仕法は失われましたが世界を救う世直しの仕組みとしてこれ以上のものは産み出されていないのです。

二宮尊徳がこの仕法に気づくキッカケになったのは、大飢饉と飢餓です。自身の人生の苦労から一生涯を懸けてこの問題の解決に取り組んだ方なのです。グラミン銀行のムハマド・ユヌス氏もグラミン銀行の創設の理由を同じようにこう語っています。

「グラミン銀行設立のきっかけは1974年の大飢饉でした。当時、私は米国の大学で博士号を取得して帰国したばかりで、大学で経済学を教えていました。若くして自信満々でしたが、いくら経済の知識を持っていても餓死していく人々を救えませんでした。」

人が貧困や飢餓で死んでいく現状を心底憂い、なぜこうなるのかと社会構造全体の変革について挑戦した人物たち。まさに経済の道の中で、世直しを実行しようとした本物の経済人たち。

このような人たちが、経済というものの本質を見極め、経済とは何のためにあるのかということをシンプルに語り掛けてきます。

「貧困は人災である。貧困のない世界を創る。貧しい人々は力さえ与えれば、チャンスさえ与えれば、才能さえ引き出せれば自立できる、そしてよりよい社会を創り上げることができる。すべての人に尊厳、自由、平和の保障された生活を」と。

今一度、私たちは深く考えなければなりません。

貧富の差の本質とは何か、格差社会の本質とは何か、同じ人間がなぜこのように差別されてしまうのか。それはすべて「心の問題である」と気づいた人たちが世の中を変えていくのです。どうせこの先、行き詰まる世の中で必ず人類の誰かがそれに気づき立ち上がりみんなを動かし世界は変わります。

その過渡期にある私たちは、その問題にみんなで勇気をもって向き合う必要が出てきます。人類の平和や仕合せとは何なのか、本当の暮らしは、本物の人生はどのようなものであるべきか。

道の途中ですから、今を真摯に学び直しながら人生の正味を練り上げていきたいと思います。

 

 

鏡開き

昨年末に御餅つきをして歳神様に祀っていた鏡餅の鏡開きを行いました。一昨年は、カビが御餅の中までひどく生えて食べることができなかったため、今年ははじめから色々と工夫しました。

たとえば、御餅に焼酎を塗りこんだり、粒炭を御餅と御餅の隙間に入れたり、ワサビを御餅の近くに置いたり、また日ごろは玄関の神棚の近くの温度が上がらないような場所に置き、お祝いの時だけ床の間に出したりと歳神様の依り代としての鏡餅をずっと意識しながら工夫しました。

御蔭様で今年は一切カビも発生せず、いい具合に乾燥も進み綺麗なままのお姿で鏡開きを行うことができました。

この鏡開きとはお正月の間ずっと歳神様がいらっしゃる松の内の間は鏡餅としてお祀りしておりますが松の内が過ぎたらさげて歳神様を遠方へとお見送りします。その際、歳神の依り代であった鏡餅には歳神様の魂が宿っておられる鏡餅を食べることでその力を授けてもらい一年間の無病息災を祈念したのです。歳神様にお供えした鏡餅を家族で一緒に食べることではじめてこの行事は滞りなく実施されたことになるのです。

もともとは鏡開きは武家から始まった行事なので、鏡餅に刃物を使うことは切腹を連想させるのでよくないとされました。そこで手か木槌などで割ることになりましたがこの「割る」という表現も縁起が悪いとされ末広がりを意味する「開く」を使って「鏡開き」というようになったといいます。

今回はしめ縄づくりで用いられている古い木槌を使い御餅を打ち開きました。なかなか硬くて開けませんでしたから、力いっぱい何度も何度も打ち開いていくうちに細かく分かれていきました。

健康や幸福を祈り、お米のもつ力をみんなで感じてながらその力を分け合い頂くことの有難さを改めて感じました。

私にとっては新しいことを開くことを決意する貴重な一日になりました。

この日を忘れずに、新たな道を開いていきたいと思います。

あなたの志は何ですか?

今年も無事に萩にある松陰神社に参拝することができました。幼い頃から志を学ぶ師と仰ぎ学び続けてきましたが苦しかった年、辛かった年の後ほど此処に来ると志風によって偉大に応援されている気持ちになります。

自分の頭で考えたことがどれだけあった一年であったか、どれだけ他人との答え合わせに生きるのではなく自分の答えを生きたか。ここに来ると毎回不思議ですが自分自身の人生の主人公として魂を磨ききったかと師に問われている気持ちになります。

きっと吉田松陰にとっては日々歳月の艱難辛苦こそが学問を通して自己を磨き自己を確立する善い機会だと歓喜し道の探求と実践を積み重ねた日々を送っていたように思います。それが生前に遺している言葉の数々からも省みることができます。

計愈々(いよいよ)違(たが)ひて志愈々堅し。天の我れを試むる、我れ亦(また)何をか憂へん。

仮令(たとい)獄中にありとも敵愾(てきがい)の心一日として忘るべからず。苟(いやしく)も敵愾の心忘れざれば、一日も学問の切磋(せっさ)怠るべきに非(あら)ず。

志荘(こころざし そう)ならば安(いず)くんぞ往(ゆ)くとして学を成すべからざらんや。

夫れ重きを以て任と為す者、才を以て恃みと為すに足らず。知を以て恃みと為すに足らず。必ずや志を以て気を率ゐ、黽勉に従ひて而る後可なり。

を立ててもって万事の源となす 。

この「志を持つことをすべての原点」とした吉田松陰の教えは、松下村塾の塾生たちの生き方に多大な影響を与えました。そしてそれは死後もまた、純粋な日本人の魂に語り掛け続けています。

気が充実するというのは、機が充実するということです。これはその機会が満ちるのを待つという状況であり、それまでは気を蓄え機(タイミング)まで力を磨き続けるということです。この「気」こそまさに志から発するものであり、気力の充実は志力の充実でもあります。志が結実するとき、まさにそれが時機でありその時期に応じている結晶が結果として顕現します。

すべての機会を自分を磨くためにあるとする生き方は、今のような人生とはあまり関係のない歪んだ学問がひろまっている時代にはとても大切な指針になるように思えます。学問は他人のためではなく、自分のためであるといったのは孔子の時代からあったことですから今さらどうこう言っても仕方がなく、指針として生き方を学び直すしかありません。

志とは、刀と砥石の関係であり魂は志があってはじめて磨かれるのです。

最後に今年のテーマに近い言葉に出会いました。どの時代においても変化に適応していくことは学問の要です。

「天下に機あり、務(む)あり。機を知らざれば務を知ること能(あた)わず。時務(時務)を知らざるは俊傑(しゅんけつ)に非(あら)ず。」

意訳ですがこの世には必ず機があり、それを待つ実践というものがある。いくら能力が高く優れていたとしてもその幾に当たらなければ決して何もできはしない。その場その場に集中し、今を適切に応じて実践していくことなしには天与の才徳を持っているとは言えないのである。と。
つまりは本来の天才は、日々の実践を知るものこそが機を活かすことができるということです。目標が達しないからと腐るのではなく、まだまだ志が低く徳が薄いのだと精進するものこそが天与の才徳を活かすのでしょう。
過去や未来を思い憂い、今から離れようとする時こそ「あなたの志は何ですか?」という言葉を三省して自己を磨き続けていきたいと思います。子どもたちに譲り遺していきたい生き方を自らの道を歩むことを以て伝承していきたいと思います。

大晦日~日本の心~

いよいよ本日は大晦日になりました。年々、暮らしが遠ざかり年末年始の正月の雰囲気が薄れてきているように思います。思い返せば幼いころは、年末年始のご挨拶まわりやお歳暮やお年玉、正月の準備の熱気をあちこちで感じたものです。最近では、コンビニをはじめずっと営業している店舗ばかりで休みというものがなくなり、より暮らしを楽しむ時間が失われてきたのかもしれません。行事の意味も変わってしまい、言葉は知っていてもその意味を知らない人が増えてきたこととマンネリ化して深く考えずにただ過ごしているうちに本質とはかけ離れたことをしていて周りもそれを信じて伝承していることもあります。

文化やアイデンティティを持つというのは、何が本物で何が本当か、そして本質は何かということを正しく理解することが大切です。見た目だけを誤魔化しそれが本物にとって代わってしまわないように、プロセスを偽り結果だけで物事を判断しないでいいように真実は語り続けられなければならないのです。歴史の重要さは、自分自身が本物の人生を歩んでいくために必要不可欠なのものです。

この「大晦日」というものも、言葉は知っていてもその意味は最近では語られません。これは旧暦の太陰暦の月の満ち欠けを「晦」といい、月が隠れてしまうことを月隠れ(つごもり)が転じた言葉だと言われます。

新月が1日、月が隠れるのがだいたい30日頃だったためその日を晦日というようになりました。毎月末を晦日といい、一年を締めくくる最後を大晦日といったのです。

この日は、家をずっと守ってくださっている歳神様、歳徳様といった五穀の神様をはじめ祖霊やご先祖様が遠来される日とされ準備をして待つ祭祀の日でした。今では旅館やホテルに泊まったり、カウントダウンなどのイベント会場や有名な神社などで初詣をしている人が増えています。

本来の伝統では歳神様が訪れるのを家人たちと共に一晩中起きて「家に居て待つ」ものだったのですが、明治20年代に官公庁から始まった元旦に御真影を拝む「新年拝賀式」と、1891年(明治24年)の「小学校祝日大祭日儀式規定」により元旦に小学校へ登校する「元旦節」などが実施されるようになり、さらに関西の鉄道会社が正月三が日に(恵方とは無関係な方角の)神社へ初詣を行うというレジャー的な要素を含んだ行事を沿線住民に宣伝しこれが全国にまで広まったことで家で歳神様を待つ「年籠り」という習慣は次第に失われたと言われています。

正月の準備をする中で、歳神様の存在を意識しながら行えば自ずから大晦日は家で待つようになるはずです。しかしなんとなく周りがやっているように意味も分からずに右へ倣へをしてしまうと家で待つという概念は失われていきます。

一年が豊かで充実したのは、日ごろから暮らしを見守ってくださっている御蔭様の存在を意識すること。それは月のように、太陽の陰で常にいのちを見守り育んでくれている存在に気づくということ。夜に月を眺めては、満月の時、御隠れの時と、月の存在が暮らしを支えてくれたことをむかしの人たちは自覚されていたのです。そして感謝の心で、また新年も歳月の福が再び訪れるようにと祈りました。

日本人は常に頂いている方を観て、ないものねだりをせずにある方をもったいなく使わせてもらう慎まやかな暮らしを積み重ねてきました。年中行事には、そういった日本の心が生きています。

御蔭様で暮らしの甦生は古民家甦生と共に着実に一歩一歩積み重ねられています。これもまた歳月を司る歳神様の恩恵なのかもしれません。丁寧にひとつひとつ、心を籠めて子どもたちに伝承していきたいと思います。

炭のぬくもり

聴福庵の冬は、炭が暮らしを彩ります。夏よりも冬の方が炭の出番が多く、あちこちに炭が活かされています。その日々の暮らしの中でもっとも活用されているのは、櫓炬燵(やぐらこたつ)の炭団(たどん)です。毎朝、火を入れれば長ければ一日中暖かいままです。

今では電気炬燵が主流ですが、炬燵は室町時代には「火闥」「火踏」「火燵」、江戸時代には「火燵」「巨燵」などと言われていました。文字通り、火を使うのですが現代では電気が主流です。電気のものは、スイッチを入れたらすぐに熱くなりますから便利ですが電磁波で長く入っていると疲れますがそれに対し炭団はじっくりとゆっくりと暖まり時間がかかりますがしんしんと身体が遠赤外線の放射熱で深いぬくもりを感じます。

火鉢の炭も同様に、近くで手を当ててお湯が沸くのをゆっくりと待つのですがその間に身体がゆっくりと温まってきます。鉄瓶で沸かした一杯のお茶は、ほっとして心まで温めます。

急激に温めたものは急激に冷えますが、時間をかけて温もったものは時間をかけて冷えていきます。自然界は、時間をかけて温めているから冬も乗り越える温もりを維持することができるのです。炭は自然の温もりのリズムを持っています、そのゆっくりとじっくりと温もるさまは自然の温もりそのものなのです。人間は自然の一部ですから、本能や感覚でその温もりの本質を自覚しています。

瞬間湯沸かし器で沸かしたお湯やお茶と、炭でじっくりと沸かしたお湯やお茶はまったく異なるのは誰に飲ませてみてもすぐに気づくからです。不自然な生活に慣れていくと、自然のリズムや自然の味、自然の感覚などが麻痺していくものです。

冬の過ごし方もまた現在は暖房器具が発達し何でも電気が中心ですが、思い切って電気を使わない暮らしをすると冬の温もりに溢れている暮らしに気づくのです。それにはそれを彩る火の道具たちが必要です。

火は使い方を丁寧にし、敬意をもって接すれば偉大なぬくもりを私たちにもたらします。しかし敬意を忘れ失礼な扱い方をすれば、それ相応の火傷を負います。自然の火も水も、使う側の謙虚な姿勢次第で仲間にもなれば先生にもなるのです。

話を炭団(たどん)に戻しますが、これは日ごろ使う木炭、竹炭などの残りかすの粉末をフノリなどの結着材と混ぜ団子状に整形し乾燥したものをいいます。この10センチ後の丸い団子状にした炭は、まさに物を捨てないで使い切る工夫に満ちた作品です。

これは木炭製造時に売り物にならない細かい欠片が大量発生しますし、家庭でも木を燃やせば炭の残りカスが少しずつ溜まっていきます。また炭俵や炭袋などの中には大量の炭の粉末が溜まっています。これを捨てるのがもったいないとして練って丸く固めて成形させたものが炭団の始まりです。

団子も粉で作りますがこの粉を使う文化があったからこそ炭団もまた生まれたように思います。この炭団は、通常の木炭よりも火はかなり弱いのですがその弱さを活かして種火のまま長時間燃えるためまさに炬燵のためにあるのではないかとほど相性がいい炭です。

以前、東北で掘りごたつの下に大量の炭を熾していたところもありましたが火加減が重要なのです。この炭団と櫓炬燵の相性は、まさに最高のパートナーです。何でも文明の利器が便利だと取りいれますが、この炭に関しては文明の利器の便利さを超えるほどの仕合せや価値があります。この価値を最大限活かせるのはやはり冬だからこそです。

冬の楽しみに炭があることは仕合せです。

日本人は、自然と上手く調和し自然の道具を発明してきました。それは伝統の職人技や道具の中にも発見できます。暮らしの中で自然を活かした智慧は、身体の健康だけでなく心も健康にしてくれるものばかりです。

現代社会の中で心を病む人が増えてきましたが、きっと炭がそういう人たちの心も温め健康を取り戻すきっかけになるかもしれません。炭数寄だと人に言われますが、私が炭が好きなのは「ぬくもり」を与える存在だからです。

子どもたちに譲り遺したい暮らしを伝承していきたいと思います。

 

懐かしい道具たち

昨日、伝統的な御餅つきを聴福庵で行いました。伝統的というのは、自ら稲作をし収穫したものを木臼や杵、また竈と木製の蒸器で麻布でお米を蒸して子どもたちと一緒に餅つきをすることをここでは伝統と言います。それくらい今では、臼や杵などを持っている家も少なくなり御餅もすぐにコンビニで買えますから餅つきをする必要もなくなっているからです。

ちょうど28日に御餅つきをし、鏡餅をお祀りするのは縁起が良い末広がりの8がつく12月28日にするのが一番適していると言われているからです。むかしの人は縁起を担ぐため餅つきをする日も選んでいました。たとえば12月29日は「二重に苦しむ」からとか、それに12月31日は「一夜飾り」慌てて準備をしたとなると歳神様に失礼に当たるから餅つきはしないほうがいいと伝えられています。実際には、29日を福(ふく)と呼ぶため構わずに29日に御餅つきをする地域や家庭もあるそうです。

餅つきは、呼吸を合わせて杵で搗きますから年に一度の経験だけではそんなに上達しないものです。しかし日ごろから一緒に暮らしているもの同士であれば息が合うものです。最初は、お米を引き延ばしながら米粒をつぶしていきます。そして捏ねながら搗いていきます。臼と杵の木が受け合う高音が心地よく、静かな地域に餅つきの音が響いていました。

竈の荒神様の祭壇に灯をいれ、見守りの中で餅つきの行事を清々しく進めていきます。有難いことに水も井戸水を使い、火は備長炭、むかしの竈も道具たちもすべて伝統的なものだけで御餅ができることの有難さに心が落ち着きました。

特にハレの日の出番の道具たちは、ハレの日以外は仕舞われてじっと待っています。しかしハレの日なると、どれも晴れ晴れしく活躍しいつもと様相が変わってきます。道具もその時手入れし、また修繕をしながら御礼を言って仕舞います。

日本人の暮らしは、暮らしを彩る道具たちとの御縁は切ることはできません。機械化され、便利になってかつての暮らしの道具たちは廃棄されるか骨董屋さんにいき海外などのコレクターに収集されています。しかし、暮らしを一緒に生きてきて豊かな思い出と懐かしい記憶をいつまでも持ったまま残存している道具たちは仕合せのつながりをいつまでも保ったままです。

そしてそれがかつての伝統的行事の実践と共に甦ってきます。まるでタイムスリップしたように、かつての記憶、その道具が使われていたころの思い出がその場に帰ってくるのです。道具たちは確かに無機物かもしれませんが、その道具たちと共に生きた方々の記憶はその無機質のはずの道具にいのちが宿っていくのです。道具はその単体でいのちがあるのではなく、御縁が結ばれることによって新たないのちが芽吹きます。

それは木が加工され新たなものに生まれ変わるように、いのちもまた御縁と結びつきによって新たないのちが生まれるのです。そしてそのいのちはいつまでも生き続け、そのいのちに触れる人たちによって永続的に生き続けます。この感覚を「懐かしい」と呼ぶのです。

懐かしい暮らしの復活は、いのちの復活でもあります。かつての人々、先人や先祖が身近に感じられる生き方、つまりは徳や恩を感じながら感謝で生きていく生き方の甦生なのです。

年中行事にはそういう懐かしさが生き続けていますが、それを彩る道具たちの存在は欠かすことはできないのです。だからこそ大切にいのちが永く続くように寿命を伸ばすための工夫や修繕、手入れを怠らなかったのでしょう。

御餅つきということをするだけで、それらの生き方が学び直せ自分の生き方も次第に変わっていきます。いのちを粗末にすることがないように、いのちを輝かせる人たちが増えていくように、伝統から学び直して子どもたちに伝承していきたいと思います。

 

門松と信仰

昨日は、聴福庵に門松を飾り正月の準備を行いました。最近では、あまり家々の門に門松飾りを見かけなくなりましたがこれも古来から続いている日本の伝統の一つです。

そもそも門松の意味は簡単に言えば、正月に遠来から歳神様が家に来てくださるようにその目印としてお祀りするものです。より詳しくは、折口信夫氏の「門松のはなし」が最も的を得ているように思います。

「日本には、古く、年の暮になると、山から降りて来る、神と人との間のものがあると信じた時代がありました。これが後には、鬼・天狗と考へられる様になつたのですが、正月に迎へる歳神様(歳徳神)も、それから変つてゐるので、更に古くは、祖先神が来ると信じたのです。歳神様は、三日の晩に尉と姥の姿で、お帰りになると言ふ信仰には、此考妣二位の神来訪の印象が伝承されてゐる様です」

色々な説が時代と共に変化していますが、一般的には山から降臨する田の神様が歳神様だとも言われます。五穀豊穣を約束する神様が、家に来て福を授けてくださいます。床の間におもてなしする鏡餅は、正月の間、滞在してくださる神様の依り代です。稲作を中心に私たちは暮らしと信仰を一致させ永続する家としての智慧を結集したものの一つがこの正月であったのです。

門松の松は、常緑樹は榊と同様にいのちが宿る木とされ古来より神様の依り代になりました。また松を「待つ」と言霊の響きを同じくし、神様を待つとしています。松飾がある期間を「松の内」とし、その間は神様が家にいるかのように生活を慎みました。そして山にお帰りになるころにちょうど節分があり五穀豊穣を祈願するために五穀を蒔き歳神様をお見送りするとも言われます。

行事はそのもの単体で見ては意味がわからないものも、つなげてみるとその行事の意味や信仰していた日本人の心やカタチが観えてくるのです。

聴福庵では、古式の門松を飾ります。これは平安時代の「小松引き」が由来です。そのため玄関には「根」がついたままの松を飾ります。これは歳神様が訪れて幸せが根付くようにという縁起によるものです。そして裏玄関には根が切られた松を飾っています。これは厄を断ち切り根付かせないという縁起によるものです。

日本人は、むかしから物事の解釈を常に福になるように転じ続けてきました。根があってもいい、根がなくてもいい、それをどのように捉えるか、そのすべてを感謝に換えて言葉や文化、伝統を創り上げてきました。

信仰というものの本質は、どんなことがあっても丸ごと信じるという生きる姿勢の実践のことです。自然災害が世界で最も多い国だからこそ、自然災害から自然崇拝が誕生してくるのは自明の理です。宗教ではなく、「信仰」というものがあるのは私たちがそれだけこの自然風土の変化に晒されて逞しく変化に順応しながら生きてきたからです。

暮らしや行事は、私たちが自然の中で仕合せに生きぬいていくための先人の智慧と親祖の真心を感じます。時代が変わることは仕方がないことですが、変えていいものと変えてはならないものを確かに見つめ子どもたちのために先人の恩を繋いで結んでいきたいと思います。

 

自分の答えを持つ

幼いころから一斉画一の生産管理教育の評価に晒されていると、自分の頭で考えるということをやめてしまうものです。誰かによって都合が良い人になることは優秀になることであり、その優秀の定義は誰かによって定められたものになるのです。

たとえば、上下関係であれば上の人の言うことをよく聞く人が素直であり、上の人のいうことを従順にしっかりと指示通りにやることを優秀と言われます。さらに優秀なのは、上の人のやりたいことを先回りして準備して上の人がやる以上に実現すればさらに優秀だと褒めたたえられ評価されます。

しかしこれをやり続けるとどうなるか、それは上の人の正解ばかりを探すことを真面目にやることがもっとも正しいことだと信じ込むようになります。するとどうなるか、自分の中の正解ばかりを探して真実や本質を見抜く力が減退していくのです。それは他人の答えを探し続けるようになるからです。

本来、真実や本質を見抜くためには「自分の答えを持て」といった自分の中で根本や本質を突き詰めていく必要があります。自分の中で自分で答えを出すには、自分からその人の持つ答えを正解と捉えるのではなくどのようにその人がその答えに辿り着いたのかを自分自身の力で強く求め近づいていくしかありません。

何度も何度も実践し議論して深めていく中でようやくその人が辿り着いた答えに自分も出会います。その時、その答えによって導かれた背景の価値に気づくのです。それが本質に辿り着くということです。

しかし他人の正解ばかりを追い求め自分の答えのない状態に陥ると、上の人から指摘されたことはマイナスなことを言われたと思いすぐに足りないところを探してしまいます。自分の中で評価や採点癖が沁みついていたら「できない自分をできるようにする」ことだけに固執し正解思考にばかりに囚われてしまいます。そのように人間は評価で裁くという物差しを持ってしまうと罪悪感で動けなくなるのです。すると他人常識的なルールに縛られた都合のよい人間が出来上がってしまいます。

そういう時は、正解ばかりを探す前に「気づかなかった、近づかなかった、もっと自分よりも深いのかもしれない」などといったすぐに他人の正解を探さずにその人の持つ本質に気づくように自分自身の在り方を正し、上の人の指示を理解しようとばかりに脳を使う前に、自分自身のそもそもの考え方を指導してもらうといった素直な姿勢になる必要があるのです。

自分の答えを持つ人は、自分で考えることができる人です。自分で考えることができる人になることが、人生の主人公になります。主人公になれば人生を他人のせいにせず、言い訳もせず、あるがままに自分らしく生きていくことになるのです。

しかし生産管理教育の刷り込みが深い人ほど真面目で優秀と周りは褒めますから余計に刷り込みは取りにくいのかもしれません。必ずどんな事物にも物事にも常に本質や根本があり、それを正しく理解していくことが会社を理解し商品を理解し、戦略を理解し、そしてそれを自分なりに応用して創造していく力になりますし、さらにはそれを他人に伝えるためには自分自身がその本質を「ものにする」必要がありますから自分の答えを持つことは人生において決して避けては通れません。

いつまでも上の人に対して刷り込みの下の人になる上下構造に縛られず、本質の深さや根本の質で議論できるように近づく今までとは異なった努力をしていくことが自分の眠っていた考える力揺さぶり目覚めさせることかもしれません。

子どもたちが自分の頭で考えて自分の答えに気づけるように、議論できる関係や環境を世の中へ広め構築していきたいと思います。

安心して育つ環境

人間には表情というものがあります。これは、心の状態を顕しているものでその人の心が表に出てきている状態とも言えます。心が澱んでいれば表情も暗くなり、心が澄んでいれば表情もまた清らかです。心を頑なに隠していれば表情もまたそれ相応になり、心が楽しければ笑顔で明るい表情になります。

心がどのように働いているか、それを観察することがもっとも心の状態に気づく鍵でもあります。そして心は本来は、子ども心というように純粋無垢なままの状態で存在し続けます。しかしその心が日々の知識や刷り込みによって頭で考えることが増えていくことによって心の周りに垢のようなものがこびりついてきます。

その垢を洗い流していかないかぎり、心が表に出てくることがありません。大人になればなるほどにその垢がこびりついてきますからそれに気を付けて生きていくことが仕合せに近づくコツのように思います。

この垢はではどのようについてくるか、それは自分に嘘をつくことでこびりつきます。自分の本心を隠し、周囲にわからないようにするために嘘をつき誤魔化すこと、本当の自分の素をさらけ出さずに周囲に合わせて自分を偽り表現していく、そういうことを繰り返すことによって垢は出てきます。つまりは不自然な姿で居続けたことで、その不自然さが自然を覆い隠していくかのようにです。

そうならないようにしていくために、どのような環境を用意していけばいいか。みんなが無理をしないで安心して素のままでいられるためにはどうすればいいか。教育者はまずそこに目を向けて、安心して育つ環境を用意していく必要があると私は思うのです。

安心して育つ環境は自分自身にも言えることです。自分のままでいい、あるがままいいと自分が思っているかどうか。無理をして我慢をしていないか、周りの期待に応えるために本当の自分を隠していないか。自問自答する必要があります。

そして自分を肯定できているか、自分を好きでいるか、自分というものの存在を丸ごと認めているかといった揺るがない自信を持つ必要があります。

引き続き子どもたちが安心して成長していけ自分の持ち味を発揮していけ仕合せな人生が歩めるように安心して育つ環境を用意していきたいと思います。

襤褸の心

先日、聴福庵の離れの古布の襤褸を眺めながら改めて「ぼろ」の意味などを深めていました。私は人生の中でよくこの「ぼろぼろになっている」という気持ちになる体験から多く、そんな状態であっても信念に従って真心を盡したいと挑戦し続けてきました。今年は「許し」をテーマに取り組んでいますが、この襤褸と許しはとても密接に関連しているように思います。

そもそもこの襤褸というのは、襤褸と書いて「ぼろ」と呼び、擬態語のぼろぼろも同じ意味です。江戸時代以前、綿布を刺し子という技法で強化されたり穴があくと継ぎを当てボロボロになるまで使い込まれ、なおかつ裂き織りという形で布の命が尽きるまで最期まで使い切られていました。一代だけで着終わるのではなく、遺り続ける入り子々孫々の方々に大切に着られてきたものです。

これがフランスのファッション界に評価され、今では「BORO」として世界共通語となり欧米の染織美術・現代美術のコレクターの人気になっているとも言います。

このいのちを尊重して大切に使い切るというのは自他を思いやる心に充ちているようにも思います。そしてこの襤褸ほど許しに満ちているものはないように私は思うのです。

自分というものを削ぎ落していく中で、遺ったものが何か。ことわざに「ぼろが出る」という言葉もあります。隠していた本当の自分が出てくる、認めていなかった自分と向き合う、いくら表に出ないようにと振舞っていても自分自身のことは自分が一番身近でよく知っているのです。

それをいくら責めて心をひた隠しにしていても、心は限界になって表に出てきます。そしてぼろが出るのです。この襤褸とは自分自身のありのままの姿のことで、あるがままの心の現実のことです。

それを如何に許すか、つまりは自分を認めるかというのはとても難しいことです。自分のことをわかってもらえない、自分を理解してもらえないと辛く苦しみますが、それは自分が自分のことをわかってあげようとしないことから発生します。

自分というものを直視するのは、あるがままの自分を許し認めることが必要です。直視せずにいくら偽ってもぼろぼろになるだけで本当の自分という襤褸になるわけではないのです。

そのままでも美しい、あるがままでも必要価値があるというこの襤褸の心は私には必要不可欠なものです。まだまだ時間がかかりますが、経年変化とともに磨かれてそぎ落とされていくその凛として美しさに恥じないように私も学び直しを続けていきたいと思います。