縁起とは

昨日は、天赦日ということもありBA(場)のご祈祷と引っ越しを行いました。この天赦日(てんしゃび)は天赦日とは「日本の暦上での最も最高な吉日」といわれ、新しく何か物事を始まるときのに選ばれる大吉日といわれます。この日は「百の神が天に昇り天が万物の罪を赦す(ゆるす)」という意味であり、六曜(ろくよう・りくよう)とは、暦に記載される日時や方位などの吉凶やその日の運勢を占う暦注の一つのことです。

天赦日の決め方は、立春から立夏の前日の戊寅(つちのえとら)の日、立夏から立秋の前日の甲午(きのえうま)の日、立秋から立冬の前日の戊申(つちのえさる)の日、立冬から立春の前日の甲子(きのえね)の日になっています。

日本人はむかしから縁起を大切にしてきました。この縁起とは、ウィキペディアには「縁起(えんぎ、梵: pratītya-samutpāda, プラティーティヤ・サムトパーダ、巴: paṭicca-samuppāda, パティッチャ・サムッパーダ)とは、他との関係が縁となって生起するということ。全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立しているものであって独立自存のものではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなるということを指す」とあります。仏教からのものですが、吉凶を占うものとして中国からの思想も入っています。

縁起というものは、兆しを観るということでもあります。

兆しが分かるというのは、タイミングが分かるということです。私にしてみれば、農家が種蒔きの絶妙な時機がわかるようにそれは一期一会の瞬間を逃さない仕組みだとも言えます。

自然の力をお借りするということは縁起を担ぐということでもあるのです。私たちは自分だけの力で物事を動かしているのではありません。そこには他力といった不思議な自然の恩恵を受けています。天赦日というものは、四季折々の中でもっとも自然の恩恵を受けやすい時機であるということでしょう。

時機時期に自分を合わせていくことは、かんながらの道を実践する私にとっては大切な初心の確認でもあります。子どもたちのためにも、確かな伝承を磨き続けていきたいと思います。

 

戦争を防ぐ

世界では今日もあちこちで国家間の小競り合いが続いています。第二次世界大戦が終わり、冷戦と呼ばれるようになりましたが実際には水面下ではずっと小競り合いは続いています。それがあるとき、大きくなり大戦と呼ばれるだけです。

つまり戦争は常に世界のあちこちで発生しており、地球のどこかでは常に血が流れ続けているのです。特にこの頃はそれが経済戦争にとってかわり、お金という武器を使って小競り合いを続けています。インターネットによる情報戦も過渡期に入り、いよいよ技術はギリギリの高さまで高まってきました。人類は追求する方向さえ間違えなければどこまでも夢を実現することができるのです。

どのような目的でその道具を用いるかで、その結果もまた変わっていきます。武器も使い方を換えればいのちを救うための道具になり、使い手の思想次第でどのようにでもなるのです。

人間にも大きく分けて二通りの人々がいて、ある人はそれを自分の利益になることだけに使い、またある人はそれを利他のためになることに使う人があるのです。歴史を省みると、平和が永く続いて世の中には道徳的な思想がしっかりと社會に根付いていたことがわかります。

その時代の人々が、どのように暮らしを、どのような生き方をしていたかが、その時代時代の栄光にもなり、破滅にもなります。それは時代を生きた人たちの命懸け挑戦であり、時代を創り続けてきた人たちの覚悟であり、そして伝承を守ってきた人たちの勇気でもあります。

私はこの今の時代、まるで逆行しているようなことに果敢に挑んでいます。実際には臆病者で小心者ですから恐怖や不安、そして身震いしながら前に進んでいます。見た目には楽観的であっても、あまりにも世の中の大多数の価値観を真逆に進んでいくことは信念が要ります。

ひょっとしたら時代時代に、そのような人物たちが存在しみんな同じように怖いながらも未来のために子どものためにと挑戦をしたのではないかと思うと先人たちに敬意の心が湧いてきます。

ある人は、変人と呼ばれ、またある人は狂人と呼ばれ、そして異端と呼ばれたり、反逆者と呼ばれたり、犯罪者と呼ばれたりもしたかもしれません。それだけ世間の常識に反するということは大変なことなのです。

しかしその人の動機が善であるか、そして私心がないか、また平和を求めているか、そのプロセスが思いやりがあるか、そして徳を積んでいるかといった基準で見つめれば真実は時間の経過とともに自然に顕現されていくものです。

純粋すぎる思いは、自己の魂に忠実であり、正直で嘘がありません。そういう不器用な生き方は、苦労が多いですが最短距離で誠実な場所へたどり着くように思います。

世の中が戦争を望んでいるからこそ、敢えて今こそ逆行してでも挑戦する価値があるのです。はじまってからでは遅く、始まる前にこそ人類に対しての愛で先人たちが祈り遺した想いを受け継ぎ伝えていく必要があると私は思います。

子どもたちのためにも、自己との対話と挑戦を続け勇気を出して取り組んでいきたいと思います。

 

地域の甦生

世界というものはそれぞれの地域が集まってできています。日本でもほんの小さな地域が、合体して村になり、町になり、群になり、県になり国になります。そしてアジアになり世界になるという具合です。

そう考えてみると、私たちの世界への出発点は地域ということになります。その地域をどのように発展させていくかは、地域に住む人たちの命題でもあります。現在は、グローバリゼーションが席巻し、ほんの小さな地域まで覇権の対象になったり大企業チェーンなどの収益源になっています。

そして地域の姿が次第に消え去り、地域と共にあった歴史や文化もまた消失していきます。高齢化が進み地域がなくなっていくのではなく、それまでの地域の価値観や定義が換えられ、地域の価値がなくなってきたことが地域がなくなる原因なのではないかと私は感じます。

地域の定義をはっきりさせ、地域で活動する人たちののそれぞれの役割を明確にしていくことでどのような地域にしていこうかといった理念がコミュニティを活性化し、その地域の文化を創造し伝承を促していきます。

地域といっても、その地域に住む人たちの地域愛が深いところはやはり居心地の善い温かさがあります。地域で仲たがいし、関係が悪く地域愛が薄いところはどこかそこにいくと居心地が悪いものです。

地域というものは、その地域に住む人たちの生き方が集積され集合されたものですから一人一人がその地域に対してどのようにかかわるか、そしてみんなで何を大切にしていくかということが優先されなければ地域という言葉そのものの定義から見直す必要があるように私は思います。

私も3年半前に故郷で古民家甦生に取り組み始めましたが、その取り組みを通して多くの素晴らしい方々や魅力のある方々、地域愛が深い方々とお会いしてきました。大切なのはそういう人たちを「つなぐ」ものを甦生していくものです。コミュニティを繋ぐものの中に哲学が入ることで、みんな地域とは何かを思い出すことができます。

改めてこれからの地域甦生と子どもたちの住みやすい世界のために自分にできることで貢献していきたいと思います。

石から学ぶ

今度、BAの外回りに石垣を設置していきますが石垣の歴史を深めていると城壁の歴史になり日本の伝統技術があることを実感します。特に全国各地に残っている城壁の石垣は何百年もの風雨や戦争に耐えて今も美しいままで遺っています。

世界各地にも城壁や石壁がありますが、それぞれの国の石の文化を伝承するものです。

日本で有名な城壁の石垣を組む会社が残っています。滋賀県大津市坂本を中心に活躍する「粟田建設」という会社です。現会長の粟田純司氏は「第14代目石匠」の名跡を継ぎ平成12年には当時の労働省(現厚生労働省)から「現代の名工」に認定、平成13年には「大津市文化奨励賞」を、そして平成17年には「黄綬褒章受章」を授与されているといいます。

この会社はもともと戦国時代に各大名がこぞって召し上げた伝説の集団「穴太衆(あのうしゅう)」を起源にしています。もともと戦国時代の城はその石垣の高さや強度さが戦いの士気を左右し、戦いを制するには「穴太」の力が必要だったからです。この穴太衆が得意とした「野面積(のづらづみ)」と呼ばれる自然の石を組み上げる石工術は、現代技術を凌ぐほどの強度を誇っているといいます。

先祖代々、「石の声を聴け」というものを大切にし現場ではメジャーなどで計る前に石が何を言っているか、どの石が使ってほしいと言っているかを聴いていくともいいます。

非科学的に思われるかもしれませんが、実際に実証実験するとコンクリートの壁よりも年数も強度も俄然この穴太衆が組んだものの方が耐久性があるといいます。

昨日、BAの慰霊塔を建てるために石材屋さんを訪ねて石を見てまわりましたがその際も多種多様な石が置いてありましたがそれぞれに個性があり、それぞれに使い道が異なることを教えていただきました。

どの石を用いるのか、その一つひとつを見極めて配置していく技術というものは人間が集団でチームを組んで大切なものを守っていこうするという意識にも似ているように感じます。

現当主のことを調べていると、このようなことを仰っています。

「僕らの石積みは人間社会と一緒なんです。大きい人もいれば小さい人もいる。性格のいい人も悪い人も。それらが組み合わさったのがこの世の中で、だから面白い」

「個性があればあるほど、それが生きてくる。あえて悪い石を使うこともあります。大きい石はより大きく見せてあげる。そのために、まわりに小さい石を配置する。すべてに役割があって、大事なんです。『綺麗な石ばかり使ってなにがおもろいねん!』とお祖父さんはよく言っていました」

山から石を探してきてイメージ通りに一つの石も余らないで使い切るという神業のようなこともやってのけるといいます。まさに、石の心を受け継ぐ集団がこの穴太衆であり日本の伝統技術の誇りです。

石垣や城壁をどのような心で守り続けるのか、そしてどのような仕組みで建ち続けることができるのかということをすべてを「石」から教わっているようにも感じます。古代の人たちは、石を見てそこに何かしらの心を感じ、その石から学び、教えを刻んでいたのかもしれません。

石とのご縁が続きますが、石から学び子どもたちに伝承していきたいと思います。

 

BAへの挑戦

人間が成長するとき、それは失敗を経験するときのように思います。上手くいかないことが増えれば増えるほど、自分の持てるすべてを発揮して挑もうとします。その上で敵わないと実感するときや、コテンパンに打ちのめされるとき、さらに実力をつける必要を感じて正面からやり直そうとするものです。

人は知らず知らずにうちにわかった気になったりして基本や基礎を磨くための鍛錬を怠るものです。とても地味なその訓練や場数こそが、さらなる飛躍を与えてくれます。

世界のHONDAとして、今でいうユニコーン企業にまで発展させた創業者に本田宗一郎氏がいます。何かに挑戦するとき、その挑戦する生き方や生き様にとても勇気をいただきます。その言葉をいくつか紹介します。

「失敗もせず問題を解決した人と、十回失敗した人の時間が同じなら、十回失敗した人をとる。同じ時間なら、失敗した方が苦しんでいる。それが知らずして根性になり、人生の飛躍の土台になる。」

問題とは、上手くいったときに出てくるものではありません。上手くいかないからこそ人は本気になり真剣になります。何度も何度も挑戦しているからこそ、根性が磨かれるのです。

「困らなきゃだめです。人間というのは困ることだ。絶対絶命のときに出る力が本当の力なんだ。人間はやろうと思えば、大抵のことは出来るんだから。」

本当の力とは、出し惜しみする力ではなく絶体絶命の境地で全身全霊が出てくるものです。人間は必ず夢を実現できると根底から信じるからこそ、無理難題に挑むのでしょう。それはこの言葉にも出ています。

「人類の歴史の中で本当に強い人間などいない。いるのは弱さに甘んじている人間と、強くなろうと努力している人間だけだ。」

だからといって、自信があったわけではないとも言います。勇気を奮いだして挑んでいたことがこの言葉からもわかります。

「苦しい時もある。夜眠れぬこともあるだろう。どうしても壁がつき破れなくて、俺はダメな人間だと劣等感にさいなまれるかもしれない。私自身、その繰り返しだった。」

失敗をしてきた人ほど、苦労してきた人ほどに、自分を励ます言葉をたくさんもっています。同時に、他人を励ます言葉も持っているのです。本田宗一郎は、「抵抗こそ伸びるチャンスだ」と捉えていました。

人間は必ず次に向かおうとするとき、大きな試練が待っています。その試練があるからこそ次のステージで活躍できる原動力になるのです。その活躍のための試練は失敗連続ですがそれが自分を鍛え磨き、道へと導くように思います。最後に、この本田宗一郎氏のこの言葉で締めくくります。

「私の最大の光栄は、一度も失敗しないことではなく、倒れるごとに起きるところにある。」

私もこのBAへの挑戦が、子どもたちの希望になるよう全身全霊で挑みたいと思います。

看板の甦生

今度、BAの開設にあたり看板を制作することになります。その看板は江戸時代の木製のものを磨き直し甦生させ、アートディレクターがデザインを温故知新したものを後輩と一緒に手作りで魂を籠めて造りこんでいく予定です。

現代では、景観のことをまったく無視したような統一感のない看板が都市部だけではなく田舎にも乱立しています。特に夜になればLEDランプ等でガチャガチャと照らされ風情を感じるものも少なくなってきました。

そもそも看板とは何か、その歴史を含めて深めてみようと思います。

看板の歴史はとても古く、イタリアのポンペイ遺跡や前3000年のバビロン時代に明らかに看板とみられるものが見つかったといわれています。そして日本では大宝律令の開市令に「肆標(いちくらのしるし)」を表示することが定められ、これが看板の始まりとされています。奈良県の長谷寺などへの寺社への参詣客でにぎわった街道に出店した市である「三輪の海拓榴市(つばいち)」に見てとれるそうです。

この時の看板は、何を取り扱うのかを伝えるためのもので屋号などはなかったそうです。むかしは文字が読める人が少なかったので、そのものに関する道具(お酒や味噌を創る道具等)をそのまま看板にしたり、商品そのものの絵を描いて伝えていたといいます。

それに商売的な要素が組み込まれたのは江戸時代に入ってからといわれます。江戸の商工業の発達と共に職種による看板の定型化が進み、それに金箔、蒔絵などを施して豪華さを競い、広告として大金をかけるようになったといいます。

確かに、それまでのシンプルな立て札のようなものから江戸になると急に看板にデザインが入ってくるようになります。そのため一時期は看板は木地に墨字、金具は銅製に限ると幕府が禁令を出すほどに看板は賑わいました。

また京都の町家などでは、格子戸の形状で自らの商売を伝えていたところもあります。炭屋、糸屋、麹屋、米屋などもありました。

看板の種類として多かったのは軒看板で暖簾と同じような目的で、朝晩店を開ける時と閉める時に掛け外しました。特にこの軒看板は古ければ古いほど店の値打ちがあるとされ、永続して信頼されている店舗として大変価値がある店であるとし、ひとつの指標として使われたといいます。

看板の名に恥じないようにや、看板に泥を塗るという言葉があるように、看板とは信用であったという意味もあるように思います。特に年代ものの看板は、それだけ大切に代々看板(生き方)を磨いてきた証だったのかもしれません。

看板の諺では「一枚看板」というものがあります。これは京都・大阪地方の上方歌舞伎には、劇場の前に飾る大きな看板のことを「一枚看板」と呼んだことからきています。江戸では大名題(おおなだい)と呼びました、具体的には、この看板の上部にメインの役者の絵が描かれていたことで歌舞伎などの芝居一座で中心となる人を「一枚看板」と呼ぶようになりました。看板娘というものも、もっとも看板を背負って活躍する人物ということになります。

まだまだ看板は奥が深いのですが、看板には下位概念としての宣伝目的と、上位概念としての生き方の顕現があるように思います。本来の看板は、何を生業にするかという意味と同時に、その看板に相応しい生き方を実践したかということが合致していたのでしょう。

今度、取り組む看板もまた復古創新の「場」に相応しいものにしたいと思っています。子どもたちのために、伝統を伝承して文化を繋いでいきたいと思います。

バカになる

人間は生きていく上でたくさんの知識を経ていきますが同時にたくさんの偏見も持つものです。実際に人を見るときに、あるがままの人を観る人と、偏見からその人のことを観えなくなっている人がいます。

こんな人だろうと思い込めば思い込むほどに、その人の本当の姿が隠れてしまいます。人間はほとんどのことを思い込みで見るようになるのは、それを知識でカバーする術を持つことができるからです。

現代社会においては、本来の信頼や信用があるような立場の人物の不正や不祥事などのニュースが日々に流され、不安や不信からまたそれを別の知識で覆いかぶせようとする風潮もあります。しかしそれをよく洞察していると、果たして本当のことがどれだけ報道されているのだろうかと疑問に思います。

例えば、今回の災害でも被災地に行けば本当のことがわかります。しかし報道ではその一部の編集者の主観や、上司の方の偏見で判断されて報道されると私たちはそれを鵜呑みにしてしまいます。

実際には内容の大部分を編集をして短く要約される過程で編集者の主観が入り、さらに真実や本当のことがわからなくなってしまっています。現代は日々に入る情報が膨大な情報化社会ですから情報の本質を確かめるリテラシーを身につけなければなりません。しかしそのリテラシーは単に情報量や知識の判断を持てばいいということではなく、人間本来の「直観力」といった、目や脳だけに頼らない力が必要になると私は思います。

その直観力をどのように磨くかといえば、今までで身に着けてきた偏見や余計な知識を削り落としていくことです。あるがままにその人が観えることや、ありのままを受け取るというのの最大の邪魔は偏見と知識です。だからこそ経験を積めば積むほど、知識を増やせば増やすほどに今度はそれを削り落としていく努力が必要になるのです。

誤解を恐れずに言えば「バカになる」ということでしょう。

あるがままの自然を観たり、ありのままの自然で観えるには、頭で考えずに直観し、それを自然に照らして内省して真っさらにしてからもう一度、知識や言葉で説明する必要があります。

人間は言葉を使い、知識を持ちますからその本来の技術を正しく活かす必要もあります。だからこそ、私たちは日々に学びますが、その学び直しも同時に研鑽を積むことで本質や本物、真実を見極める力が備わるのでしょう。

今のような時代、そういう人物たちが世界で真実を語り合い本来あるべき世の中に原点回帰させていきます。子どもたちに新しい学び方や生き方を伝えていきたいと思います。

暮らしとは何か

暮らしという言葉の定義も時代と共に変わっていきます。現代は、かつてのような懐かしい暮らしは消失し、仕事の中に少しだけ暮らしの要素が残っているくらいです。本来は、暮らしの中に仕事があるのですが仕事が暮らしよりも優先されているうちに暮らしが失われていったように思います。

この「暮らし」という言葉にも会社の「理念」と同じように目的と手段があります。暮らすことが目的であるのか、暮らしは手段なのか。会社であれば理念が目的であるのか、それとも手段なのか。

さらにシンプルに言えば、何を優先して生きていくのかということが暮らしにも理念の言葉の定義を決めているのです。つまりは、単なる生活や生計ではなくそこには「生き方」があるということです。

暮らしをするというのは、生き方を優先して貫いて実践していくということです。同様に理念を実践するというのは、生き方を優先するということです。

私は、会社でも実生活でも常にその暮らしや理念を優先して生きています。働き方改革といわれ、様々な手段が世の中に横行していますが実際にその手段をやることが改革ではありません。

日本という国もまた働き方改革では日本は変わりません。本来の日本を変えるには、生き方改革をする必要があります。生き方改革をするには、それぞれに真の意味で自立していく必要があります。自立するためには、生き方を決め、生き方を変える勇気が必要です。そしてその勇気は、協力や思いやり、そして正直さなど社會そのものの徳をみんなが高めて磨いていくしかありません。

そのためにもまずは、自分が生き方を決めて実践していくことでそのような社會になるように努めていくことが世の中をよりよくしていくことになるように私は思います。

暮らしというものは、日々のことですから小さな日々の選択が必要です。生き方と異なるものをいちいち生き方に照らして取り組んでいく必要があります。ブレないで理念経営を実践するかのように、同様に生き方も磨き続けなければなりません。

しかしその生き方を磨き続けることで、人は真の意味で安心が得られ、穏やかで確かな自信に満ちた生活が約束されていくように思います。お金があるから老後が安泰なのではなく、権力があるから安寧でもない、自分自身を生きること、自立することでしか本当の安心立命は得られないということでしょう。

私たちは子ども第一義の理念を掲げていますから、日々の暮らしもまた子ども第一義の暮らしを社員一同、私も含めて目指しています。その具体的な手段が少しずつ顕現し、働き方も改革されていくのは心地よいことです。

流行を追わず、時代に合わせることは大切なことです。時代は私たちのいのちも含めて時代ですから、私たちが自立することで時代は創られていきます。日々に実践を深く味わい楽しんでいのちを使い切っていきたいと思います。

場道家の思い

昨日は福岡県朝倉市比良松で手掛けている古民家甦生の写真撮影を行いました。改めてビフォーアフターを体験していると、家が磨かれること甦ることに大きな仕合せを感じます。

私は建築家でも設計士でもありません。ただの人です。しかしそのただの人が、家と出会い、家に指導してもらい、家に磨いてもらえる。その家の持つ徳が引き出されていくことで私自身の徳もまた引き出されていく。まさに日本伝統の錬磨や研磨のように、お互いに磨き合える存在に出会えたことに何よりも幸せを感じます。

おかしなくらいに本物にこだわり、狂っているといわれるくらい家が喜んでいるかどうかにこだわっていく。ただの変人のようになっていますが、やはりそれでもそれだけ魂を篭めて取り組んだ仕事には空間に余韻が残ります。

私は大工でもなければ左官でもなく、職人でもありません。

しかし魂を篭めてその家と共に甦生し世の中を一緒に変えていこうとする志だけはあると信じています。志が一体何の役に立つのかと思われるかもしれません。目にも見えず、何もしていないようにも感じられます。志は、その「思い」にこそあります。思いがあるだけで何ができるのかといわれても、思いがなければ何もはじまらないとも言えます。

「思い」をどれだけ純粋に磨いたか、「思い」をどれだけ本気で高めたか。ここに私は魂の仕事の醍醐味があると信じているのです。

家が甦生し、その居心地の善い空間に佇んでいるとそこに永遠を感じます。家の暮らしがここからはじまると思うと、ワクワクしうれしく豊かな気持ちになります。家主のご家族が、一体どのような物語をここから紡いでいくのか。いつまでも福が訪れてほしいと願い祈る気持ちが滾々と湧いてきます。私が民家が好きな理由はここにあるのかもしれません。

私の本業は子どもの仕事をしているものですが、子どもの仕事といっても色々とあります。私の定義する子どもは、いのちの未来です。その子どもたちを見守る環境をつくることが本業で、私はそれを祈るときに仕合せを感じます。

いつまでも空間に子孫の繁栄を願う徳が活き続けられるように、私は場道家としての役割を真摯に果たしていきたいと思います。

いのちの音

昨日は、聴福庵でスイス人のトロンボーンの奏者と日本人の16歳の歌手のセッションがありました。言葉も通じず、年齢差もかなりありますがその二人が音楽を通して新しいものを創造する場に立ち会えたことは仕合せでした。

今回のテーマは、家の声を聴くことでしたがとても印象的だったのは奏者が即興で家の中のあちこちに音を聴かせ同時に家の声を響かせ聴くというセッションでした。家の中にある古い道具たちが共鳴しているようで、みんなで音を響かせようと誘っている様子に楽しい気持ちが沸きました。

また歌手の方は、むかしの懐かしい唄をアカペラで奏でてくれてその唄によって心に情景や情緒が沁みこんできました。純粋な想いや澄んだ歌声に家も参加者も魅了されました。

幼い子どもたちも一緒に音楽を楽しみ、色々な場所に移動しては色々な角度から熱心に聴き入っている様子に音楽の可能性を改めて学び直しました。

よく考えてみると、私たちの暮らしは様々な音に恵まれています。生きていれば、色々な音を感じています。このキーボードを打つ小さな音たちや、私の呼吸の音、そして心臓の鼓動、鳥たちの声や朝陽が昇る音、そして地球の音、あらゆるいのちの音を私たちは日々に聴いているのです。

日々に人に出会えば、それぞれの仕事の道具たちが奏でる音、そこで働く人たちが一緒に語り合い協力する音であったり、争いや不満の競争や孤立の音であったり、言語ではなく心は音で聴いています。

音を静かに聴けば、本当の音が聴こえてくる。

耳がテレビや電子音、その他の雑多な忙しい生活でセンスが衰えていきますが本来の私たちの耳は心を通じていのちの音を聴き分けていたのでしょう。

改めて音楽の深さや魅力を知り、いのちの接し方があることを学びました。子どもたちにいのちの音が伝承できるようにこれからも学び続けていきたいと思います。