真の豊かさを味わう場

本日は、場の道場で暮らしフルネス™の「室礼」の講習会を実施します。これは8年前から弊社の役員の一人が中心になって取り組みはじめ、今では暮らしの中で定着している実践の一つです。最初は東京の新宿の高層ビルと自宅のマンションではじめましたが、現在は古民家の御蔭で前よりも自然に豊かに室礼を取り入れています。

はじめに弊社で取り組んだときは、西洋的な建物でビジネスをするためのオフィスに自然なものを取り入れたいということで植物をはじめ日本の伝統のものを増やしていきました。例えば、炭であったり、和紙であったり、花器であったり藍染の敷物やイグサのゴザなど、和のものを中心に増やしていきました。そしてできるだけ、自然光や季節を感じるようにとお昼は団欒できるようにちゃぶ台を用意し、伝統の保存食、発酵食品などを持ち合い、時にはみんなでつくり、音楽も和楽器のもの流したりしていました。

そうやって忙しい時にも豊かさを失わないようにと、みんなで心がけ、保育の仕事をしているからこそ私たちは子どもたちが憧れるような大人のモデルになろうとみんなで都会の環境の中でも自分たちの在りたい姿に向かって挑戦をしてきました。

私たちは今では「暮らしフルネス」™を提唱していますが、その暮らしの柱の一つを深く支えてくれたこの「室礼」だったようにも今では思います。

この室礼は、四季折々の年中行事を通して先人たちの積み重ねてきた精神性を深く学ぶ大切な伝承の機会でもあります。私たちはどのようにこの風土で暮らしてきたのか、それを自然に心の豊かさを通して自然から学びます。それは代々、先人から子孫へ、大人から子どもへと譲渡されていきます。

つまり暮らしの中で行う、大切な保育そのものでありこれが私たちの民族を育ててきた一つの心の教育であったことは自明の理です。現代では、精神疾患をはじめ痛ましい事件が増えて殺伐とした場が増えてきています。日々の報道でも、人間のよくないところばかりをフォーカスし、本来の人間に備わっている徳や心の豊かさがあまり表に出てきていません。それだけみんな忙しくなってしまっているのだと思います。

しかし私のところには、癒しやつながり、そして仕合せの原点を求めて多くの人たちが集まってくるようになってきました。これは本来の豊かに生きるということを願い、子どもたちにも大切な日本の心を残したいという志のある仲間が増えているからだとも思います。

人生は一度きりです、どう生きるのかはその生き方が決めています。何か大切なことを思い出す節目、つまり年中行事があることで私たちはその初心を思い出して生き方を磨いて光らせていきました。

いぶし銀のように磨かれるのは、この節目をどう過ごしてきたかということでしょう。コロナ後にどう生きたらいいか、どう進めばいいかを悩んでいる人がたくさんいるとお聞きします。一度、ここに来てもらいその豊かさの本質を実感して子どもたちに日本の真心を弘めていけるようにみんなで一緒に「真の豊かさの実践を味わう場」を増やしていきたいと思います。

地域の目覚め

明治時代以降、税金で国家の問題を解決するという仕組みが入る前は人々はみんなで義援や奉仕、寄贈などの協力によって物事を解決してきました。例えば、その地域地域の伝承を調べてみたら川の氾濫を止めるために堤防を築いたり、石橋をつくったり、そのほかにも津波の対策をするために松を植えたりと、その土地の庄屋を中心に、地域の有徳の士がそれぞれの場所で協力して地域の課題を解決してきたことがわかります。

現代は、行政や国家の問題になっていますからほとんどが市役所にクレームを入れて解決しようとします。その市役所も、資金と人手不足から全部にこたえることはできませんから課題が山積みのままに素通りするしかない状態も増えてきています。

本来は、市民がみんなで協力し合って課題を解決すればそれはその土地への愛着や取り組んだことへの誇りもうまれ、その地域はますます課題を通して善い土地へと変化していくものです。しかし、この税金を払っているのだからやるのは当然のような感覚や、歪な作業分担などの意識から一切自分たちでやろうとはせず、また行政側も面倒なことを言われないように責任を被らないようにとあの手この手で避けているから悪循環が続いているのです。

クレームを言い合い、さらにそれを規制でコントロールする。こういうことをしているからかえって柔軟性がなくなりお互いに寛容な気持ちが薄れて動きずらくなりつまらなくなっていく。近代の日本のとってきたこの税の仕組みをそろそろ見直す必要を感じます。少子高齢化で人口減になっているからこそ、このままの仕組みではどうにもできなくなります。

江戸時代前の仕組みをもう一度よく検証して、そのころにどのように人々が協力して支えあって相互扶助の仕組みを働かせていたか。徳治によって、地域を見守ってきた有徳の士の背中をまた教育によって思い出させ、一人一人の自立を促すことが近道だと私は思います。

ある意味での投資や奉仕、寄付や寄贈、義捐は、まわりまわって大きな利益になっていくものです。つまり徳は得にもなり、損は徳で得になるのです。長い目でみてその事例が発生することを学び直すことで地域の目覚めも進むとおもいます。

身近なところ、弱いところ、小さなところから改善していきたいと思います。

義徳金

義捐金という言葉がります。震災などでみんなが寄付して集めつときにこの義捐金という言葉が使われます。なぜわざわざ「損」という字を用いるのか、疑問に思っていたので少しだけ深めてみようと思います。

この義捐をウィキペディアで調べると『「義捐」(ぎえん)は明治時代に作られた和製漢語である。「義」は、正しい行い、もしくは公共のために力を尽くすことを意味し、「捐」は、捨てる、捨て去るの意である。すなわち「義捐金」は、正しい行いのため、公共のために捨てる金を意味する(イスラームにおける喜捨相当)。戦後の国語改革で「捐」が当用漢字に採用されなかったため、「義えん金」と混ぜ書き表記した。現在はほとんどのメディアで「義援金」という表記が見られるが、これは新聞協会による独自の基準で定めた代用表記である』とあります。

また参考にされるのが夏目漱石の「吾輩は猫である」の中の「義捐」という言葉です。そこにはこう使われます。

「主人(苦沙弥先生)は黙読一過の後、直ちに封の中へ巻き納めて知らん顔をしている。義捐などは恐らくしそうにない。せんだって東北凶作の義捐金を二円とか三円とか出してから、逢う人毎ごとに義捐をとられた、とられたと吹聴しているくらいである。義捐とある以上は差し出すもので、とられるものでないには極まっている。」

義捐とは、差し出すものという意味になる。現在の義援は、援けるという字が使われるのは自分の方が援ける側であるという自覚で義援するものです。しかし、少し前までは自分が損をするということを義捐とします。これは結構、感覚が異なるのは想像してみればわかります。

義援は援助できるところまでに対し、義捐は損ができるところまでということ。この援けるという字と損するという字、意味が完全に異なっています。

私はこの「損」をするという字は、悪い意味に思っていません。みんなで損をする、言い換えれば「徳」を積もうということになるからです。それを言い換えれば、義徳金ともいえます。

損をするというのは、自分の大切なものを差し出していくことです。現代は、得に対しての損といった相対的な損になっていて、みんな損はしたくないと思うようになりました。損することがもっともよくないことのようにも語られ、正直者が損をするとまでいいます。

しかし果たしてそうでしょうか。

本来は、損をすることは徳になります。まずは自分から損をして徳を選んでいく生き方、本来の子孫たちへのよりよい社会のために自分から損を選んででも徳を積んでいくような生き方。そういう義徳がこれから必要だと私は思うのです。

義徳金というものを、これから徳積ではじめようと思っています。

みんなが損をする覚悟で、世の中のために徳を積むのならきっと未来の子孫たちに偉大な財産を譲れます。まさに、情けは人のためならずのことわざ通りに必ず巡り巡ってその損は自分や家族に還ってくるからです。

改めて、この時代の価値観を毀すような実践を楽しんでいきたいと思います。

暮らしフルネスが始まる

最近、時代のスピードが急速に増して生きているときには観れないだろうなと諦めていたことが身近な景色で顕れてきています。どうせわからないと、半ばあきらめながらも舞台だけはと取り組んできたことが新しい常識に組み込まれはじめています。

未来が今になっていく感覚は、今までで今が一番大きく感じています。

私は、もともと子どもに興味があるのは私自身の中に変わることのない子どもがいるからです。その子どもは、魂と言ってもいいかもしれませんが純粋にこの世で保育されていることに仕合せを感じて豊かさと幸せを味わっています。

私たちは本来、どんな人も生きているだけで価値があり、この世に同じ空気を吸う人としてかけがえのない存在です。そんな当たり前な世界で、魂は存在して日々に自然に磨かれ淘汰され光り輝き安らぎを得ています、

そこに何らかの制限をかけて別の人生を与えていくのが刷り込みであり、環境であることは歴史を見ればすぐにわかります。縄文時代には、暮らしそのものが澄み切っており私たちは数千年もその喜びを感じていました。それがここ2000年弱で、暮らしが失われまるで何かの生産機械のように一つのことのために使役しています。

生きているという実感は、本来は何もない中にあり、その何もない中にはこのいのちを自然に紡ぐという当たり前の暮らしの中に無がありました。その無を楽しむというのが私のいう暮らしフルネスの本義であり本質です。

物事には本質があるように、事実にも原点というものがあります。

時代の節目にあり、今こそ、その原点に立ち返りみんな気づいて動き始めなければなりません。それは子どもの未来の話になるからです。子どもとは、未来のことです。未来をどうよりよくするかは、今の世代の本当の使命です。そのために私たちは今を生きているのです。今の私たちの生活があるのは、先の代の人たちの配慮であり、生き方であり、信じた現実です。それを修正し、改善し、さらに遠大な未来を描くのは始祖からの想いを継いでいくことです。

暮らしフルネスはいよいよこの時代に始まります。

新たな施浴伝説

歴史というのは、普遍的な私たちの先生です。困難な時こそ、今にあたふたするのではなくもう一度歴史に学び、今を考察していく必要があると思います。

今から1300年前、聖武天皇が治めた奈良時代に天平文化というものが花開きました。この時代は地震や疫病の大流行ありました。天然痘と思われる疫病では総人口の3割前後が死亡したとも言われています。

この疫病は権力者や貴族であろうが関係なく広がり、藤原不比等の息子4人兄弟(藤原武智麻呂、藤原房前、藤原宇合、藤原麻呂)も病死しています。この時代は、地震や疫病から飢饉にまで発展しどうにもならないことが続きます。

だからこそ聖武天皇は仏教の力をかりて国分寺や国分尼寺を各地に作らせその総本山の東大寺と法華寺を建て大仏を建立したといいます。

先日、大三元大師のこともブログで書きましたがもともと節分の豆まきもここのとき宮中で行われた疫病を持ち込む鬼を国外に追い払う追儺に起源があるといわれます。感染症と地震は連動していて、今こそもう一度、歴史に学ぶ必要があるのです。

私が建立した原点サウナでもある、祐徳大湯殿サウナはこの時代の歴史も参考にしています。かつて古くから入浴と仏教には密接な関係があり入浴の起源は、仏像を湯で洗い浄めたことに始まるとされます。この時代、施浴といいお寺では寺僧の入浴後、近隣の人々に寺の風呂を無料で開放していたといいます。この施浴にまつわる伝説で有名なものが「光明皇后の千人施浴」です。

この光明皇后(701年から760年)は日本の第45代天皇・聖武天皇の皇后です。この光明皇后も天然痘で3人の兄を亡くしその生家である藤原不比等の邸を寄進し、その跡地に奈良に法華寺を建立して兄たちの菩提を弔います。

仏教への信仰心も篤く、社会のためにと真心を尽くしていた皇后がある日夢で仏のお告げを聞きます。そこで法華寺の施浴を建立し、千人の垢を洗い流す誓いをたてるのです。

そしてその千人目に現れた者は、肉がただれて血膿が噴き出たらい病の人でした。しかし皇后は自らその者の体を洗い、乞われるままに流れ出る膿まで吸い取ってやります。すると浴堂に紫雲が立ち込め、患者は瑞光に満ちた金色の仏に化身して「我れは阿閑(あしゅく)仏なり」と言葉を残して消えたといいます。

これはその後、ずっと人々の間で口伝で伝承されていて時代を超えて今でも人々の心に響くものがあります。世界ではマザーテレサなども同様に、深く人々の心を救おうとし真摯に手当てしてきた生き方が感じられます。

またこの光明皇后は千人の施浴の際、信仰の深い3人の女官に手助けをしてもらっていたといいます。そのこの女官のことを「典侍(ないしのすけ)」といって人々は3人を三典(さんすけ)と呼びました。これが銭湯で風呂を焚き、浴客の体を洗う男衆の呼び名である「三助」の由来となったといわれています。

つまり「施浴」を手伝い、人々の心の穢れや体の汚れ、ありとあらゆる苦難を癒そうと日本の石風呂(蒸し風呂サウナ)を活用したのです。

今の時代に似ているものを感じ、ここに共通の信仰の源泉を私は感じます。大げさかもしれませんが、私もこの祐徳大湯殿を建立する際に誓いを立てています。その誓いに恥じないように、歴史に学びこの時代に相応しい新たな伝説をはじめていきたいと思います。

ガラスの伝承

先日、ある作家の吹きガラスに出会い購入しました。この吹きガラスは、日本大百科全書によれば「ステンレス等のパイプ管で溶解したガラスを巻き付けて、息を吹き込みながら成形するガラス工芸の手法。大きなガラス器を作製する場合は、息を吹き込んだガラスの塊の上に溶解ガラスをさらに巻きつけ息を吹き込む。宙空で一切の型を使わずにベンチとよばれる作業台の上で洋ばし(ジャック)やコテを用いて自由に成形する宙吹きと、型の中に溶けたガラスを吹き込み成形する型吹きの2種類がある。宙吹きガラスとしては長崎ちろり(酒器)が有名で、型吹きとしては角形、菊花形、草花文様などがある。」とあります。

そもそもガラスの歴史は古く、石器時代から使われていたといいます。日本でも青森県亀ヶ岡遺跡(縄文時代晩期)の青色ガラス小玉が出土しています。もともと自然に発生したガラスは火山のガラス黒曜石であるといいます。

この黒曜石は、縄文や弥生時代から包丁や矢じりなどに使われています。これが世界中で交易されたことも遺跡の出土からわかってきています。人工的にガラスが製造された歴史は、北シリアの海岸、 メソポタミア、あるいはエジプトで製造されたと推察されます。実際には、古代の人はガラスなのか陶器なのかの違いはあまりわからなかったように思います。天然の資源を溶かして加工するうちに、様々なものが入交りガラスになったのかもしれません。

しかし今では、私たち人類の生活に必要不可欠なガラスは暮らしを実に支えています。家の窓ガラス、コップ、車、携帯電話、眼鏡など、照明などあらゆるところで使われています。

最初からあるから気づきませんが、このガラスの発明と加工技術の発展のおかげで私たちの文明はとても助かっているのです。

吹きガラスは、日本では伝統工芸として「江戸切子」や「琉球ガラス」など各地の特色を活かしたものもあります。

当たり前にあるものをもう一度、きちんと再定義して学び直すのは自分たちがいかに先人の遺徳や恩恵を享受していることに気づくために必要です。そして感謝とともに私たちの暮らしがあること、暮らしの中にこそ私たちの歴史があることを気づきなおす必要があると私は思うのです。

子どもたちの未来のためにも、正しい歴史を暮らしを通して伝承していきたいと思います。

 

道は一つ

ミッション(理念)とは生き方の事です。どのような生き方をするか、それを保つためにどのような経営をするか、理念経営とは、理念が優先であってそれに合わせて経営を工夫するということです。

よく経営を優先して理念があとでという事例を見ますが、これは理念経営ではないことはわかります。本来、何のためにやるのかが本であり、末にどのようにやるのかが決まります。本末が転倒してしまわないように、常に初心を振り返りどのように取り組んでいくのかをみんなで真摯に実践していくしかありません。

そしてそのミッション(理念)を砥石に、振り返りながら磨いていくことで生き方を高め生き様を伝道していくことができます。そうすることで、一つの組織がまるで生きもののように生き様を共にする人たちによって人格のような姿が現われてくるのです。

稲盛和夫さんはこういいます。

「リーダーの行為、態度、姿勢は、それが善であれ悪であれ、本人一人にとどまらず、集団全体に野火のように拡散する。集団、それはリーダーを映す鏡なのである。」

つまりリーダーの生き方、またその生き方を共にするスタッフたちがミッション(理念)を共有し生き方を実践すれば企業に格(社格)ができるというのです。

さらに稲盛さんは、「人を治めるには、権力で押さえつける「覇道」と仁、義などの「徳」で治める「王道」とがあります。私は、やはり人間性、人間の徳をもって相手の信頼と尊敬を勝ち取り、人を治めていかなければならないと思っています。」といいます。

もしも覇道になれば、ミッション(理念)を凶器のように使われて権力の一つの道具になります。しかしもしも、このミッション(理念)が徳で使われるのならスタッフが自分たちの魂を磨き、人格を高めるお守りのようになります。

私は後者のためにミッション(理念)を使っているのであり、私の提案する仕組み(智慧)は自然に徳が穏やかに沁み込んでいくように日々の内省を通して自己の精神性を洗い清め高め合いながら自立と協力を促していくようにしているのです。

それはミッションページやミッションリーフレットなど、ミッションとつく物はすべてこの「徳」による王道の智慧を活用したものです。

まずは自己の脚下の実践からということで、弊社ではミッションブログに始まり、内省、一円対話、讃給などあらゆる仕組みを実証しています。

覇道でいくのか王道でいくのかと対比されますが、本来の道は一つです。

人類は魂をどう磨くか、磨き方は自然から学び直すことが一番です。自然の徳に包まれ見守られて生きている私たちのいのちだからこそ、その徳に報いていきたいと思います。

時代を実践する

コロナのことで時代が大きく動いているのを感じます。最近は特に、本筋や本質的に取り組んでいることを理解できる人が急速に増えてきているのを感じます。もともと、真理やシンプルだったことがわからなくなっていた世の中でしたからコロナによって世界の現実を突きつけられ目が覚めてきたということでしょう。

人類の目覚めは、常に死生観と共に発生し、原点回帰をしながら更なる革新をはじめます。私たちの歴史を観たら、感染症によってそれまでの価値観が崩れ、もう一度、それまでの価値観を見直し、新たな価値観を創造していきます。

それは文化だけではなく、同時に文明も創造されます。

文化であれば、より連綿と続いてきたものを新たな時代に照準を合わせて革新されます。つまり、より自由に開放され心の世界が人間の目に映るようになります。ルネサンスの時も同様に、あらゆる心の世界が表に顕現していきました。そして、文明は科学技術を大きく発展させます。それまでにできなかったことが、心の世界の新たな顕現に合わせて大きく進歩します。つまり心の顕現と科学の顕現が同時に発達するのです。技術革新は、時代の先を見据えてその卵が羽化するように、また眠っていた種が芽吹くように発生していくのです。

私が取り組んでいる暮らしフルネスは、その文化と文明の発達を同時に実現する思想と実践によって創られています。

文化は甦生し新たな境地に入り、文明はその甦生した文化と融合して新たな価値に生まれ変わります。たとえばそれは日本文化の和とブロックチェーンの掛け合わせのような具合に時代を発端として開花します。

今は、私は時待ちです。

どこからはじめるか、何からはじまるか、じっと月を待ちます。

時代の大局を眺めては自然の中で高臥します。

雲の上からとても大きな風が吹いて降りてきます。

雲のようにそして風のように、存在がゆらゆらゆれて透き通りぬけていきます。

自然から様々なメッセージが入ってきたこの十年、コロナによって終焉を告げられ新しい鐘の音が響いています。同志や仲間たちを集め、それぞれの場所で一つになって時代を実践していきたいと思います。

ご縁が解ける

仏(ほとけ)という言葉があります。この語源を調べると、それぞれの辞書で内容は異なりますがブリタニカ国際大百科事典には「仏陀のこと。語源は,煩悩の結び目をほどくという意味から名付けられた,あるいは仏教が伝来した欽明天皇のときに,ほとほりけ,すなわち熱病が流行したためにこの名があるともいわれる。日本では,死者を「ほとけ」と呼ぶ場合もある。」とあります。

シンプルに言えば、執着を取り除いた姿が仏(ほとけ)の象徴とされたように思います。強く握りしめていたこうでなければならないというものを、手放し融通無碍に来たものの全てを受け容れて受け止めるときこの仏(ほとけ)に近づいていくということかもしれません。

小林正観さんの著書にこの仏(ほとけ)についてわかりやすい内容で紹介されています。

『執着やこだわり、捕らわれ、そういう呪縛から解き放たれた人を、日本語では「ほとけ」と呼びました。それは「ほどけた」「ほどける」というところから語源が始まっています。自分を縛るたくさんのもの、それを執着と言うのですが、その執着から放たれることが出来た人が仏というわけです。ところで、「執着」とは何か、と聞かれます。執着というのは、「こうでなきゃイヤだ」「どうしてもこうなってほしい」と思うことです。それに対して、楽しむ人は、「そうなってほしい」のは同じなのですが、「そうなったらいいなあ。ならなくてもいいけれど。そうなるといいなあ」「そうなると楽しいな」「そうなると幸せだな」と思う。「こうでなきゃイヤだ」と思ったときに、それが執着になります』(だいわ文庫)

想いの強さは時として、それが執着になっていきます。情熱がありすぎると正義を振りかざしたり、自信がありすぎると思いやりに欠け過信にもなります。なんでも片方に過ぎることが時として調和を崩すことがあり、その都度、自己の執着を手放すようにと何か偉大な存在に見守られながら諭されていきます。

人生は誰もが一生涯修行であり、どんなときにも自分の中にある執着と対話してそれを手放すという修練が求められていきます。その中で、人は深いご縁ほどにつながりもまた深くなります。

一つ一つのご縁の中では、誤解もあれば了解もあります。しかしそのどちらも、いつの日か時が経てば解けていき真実が顕現していきます。未熟だった自分を反省し、改善していくことで人はさらに成長していきます。そういうご縁をいただいていること自体が感謝そのものであり、深くご縁に見守られていることを実感します。

子どもたちが憧れるような未来を遺していくためにも、今を直視して日々に弛まずに怠けずに逞しく嫋やかに実践し、思いやりを忘れず優しい心で歩を進めていきたいと思います。

結の甦生

藁葺のことを深めていると、むかしの相互扶助の共同体の「結」のことにつながります。今では金銭でなんでも解決するような生活になってきていますが、むかしは貸し借りを金銭ではないもの、つまりはお互いの義理人情のようなもので支え合っていました。

もちろん、今でも義理人情はありますがむかしは見返りを求めずに助け合うという根底には「徳」というものの考え方によって人々が助け合い支え合うという土着文化がその地域を安定させていたとも言えます。

例えば、先日の藁葺でもみんなに声をかけて集まってもらい集まった人たちで助け合いながら藁葺職人たちと一緒に屋根を修繕していきました。懐かしさを感じるのは、こうやって金銭ではなくみんなで助け合い支え合うところに暮らしの原点があるということです。

中部地方の合掌造りの茅葺屋根の葺き替えは「結」の制度があり、ウィキペディアによると今でも下記のような手順で藁葺を進めているようです。

「作業の3年以上前から準備が始まる。屋根の面積から必要な茅の量と人員を概算する。作業の日取りを決め、集落を回り葺き替えをいついつ行うので手伝って欲しいと依頼する。予め作業に必要なだけの茅を刈って保存しておく(そのための「茅場」を確保してある)。役割分担を決める(茅を集める者、運ぶ者、茅を選別する者、縄などその他道具を準備する者など)。上記は専ら男性の作業である。女性は作業に従事した者達への食事、休息時の菓子、完成祝いの手土産の準備を行う。屋根の両面を同時に吹き替えることはほとんど無く、片面のみを2日間で仕上げる。1日あたり200人から300人の人手が必要となる。100人以上が屋根に登るさまは壮観である。」

金銭であれば1000万以上かかるものを、無報酬で協力し合って村人たちで行われているといいます。

以前、この「結」のことである方に聴いたことがあるのは「むかしの人は自分が受けた恩義をいつまでもお互いに忘れない、それが先祖代々、「結帳」に記入してあれば子孫の代になっても口伝、もしくは記録しいつまでもその人たちのことを協力するという考え方があったことです。恩義を中心にして、無条件でお互いに支え合うというのは「徳」のつながりのことであり、私が取り組むブロックチェーンの概念と同様です。

貸し借りとは、金銭的なものだけを言うのではありません。等価交換できないもの、それもまた恩義でありそれは生き方が決めるものです。感謝し合う人格が磨かれた地域であれば、その地域の文化はみんなで恩義の質量を高めていくことができます。

つまりは徳を中心にした思想によって、相互扶助の豊かさを実現していくことができるのです。この豊かさといういうものは、現代のような物質的な豊かさではないことはすぐにわかります。

これはまさに人がこの世で安心して暮らしていくために絶対不可欠な安心基地を持つ豊かさの事です。そして見守り合い徳を分け合う暮らしは子孫たちの安心にもなり、先祖たちもその繋がりに恥じないよう、またいつでも顔向けできるようにと協力を惜しまずに恩送りをするのです。

等価交換できないものを持つというのは、心で繋がり深く結ばれていくということです。これが和の原点であり、結の意味でしょう。

「結」の甦生は、これからの時代の新しい真の豊かさにおいてかけがえのない大切な実践項目です。むかしの豊かさから学び直し、原点回帰していくことで日本人の甦生、日本の甦生、そして世界の甦生を促していきます。

これは現代を全否定するのではなく、あくまで原点回帰して本物や善いものは持続しながら文明を調和させていくということです。ブロックチェーンで私が取り組むことはこの新しい豊かさの甦生です。

引き続き、子どもたちのために志を磨いて挑戦をしていきたいと思います。