道は一つ

ミッション(理念)とは生き方の事です。どのような生き方をするか、それを保つためにどのような経営をするか、理念経営とは、理念が優先であってそれに合わせて経営を工夫するということです。

よく経営を優先して理念があとでという事例を見ますが、これは理念経営ではないことはわかります。本来、何のためにやるのかが本であり、末にどのようにやるのかが決まります。本末が転倒してしまわないように、常に初心を振り返りどのように取り組んでいくのかをみんなで真摯に実践していくしかありません。

そしてそのミッション(理念)を砥石に、振り返りながら磨いていくことで生き方を高め生き様を伝道していくことができます。そうすることで、一つの組織がまるで生きもののように生き様を共にする人たちによって人格のような姿が現われてくるのです。

稲盛和夫さんはこういいます。

「リーダーの行為、態度、姿勢は、それが善であれ悪であれ、本人一人にとどまらず、集団全体に野火のように拡散する。集団、それはリーダーを映す鏡なのである。」

つまりリーダーの生き方、またその生き方を共にするスタッフたちがミッション(理念)を共有し生き方を実践すれば企業に格(社格)ができるというのです。

さらに稲盛さんは、「人を治めるには、権力で押さえつける「覇道」と仁、義などの「徳」で治める「王道」とがあります。私は、やはり人間性、人間の徳をもって相手の信頼と尊敬を勝ち取り、人を治めていかなければならないと思っています。」といいます。

もしも覇道になれば、ミッション(理念)を凶器のように使われて権力の一つの道具になります。しかしもしも、このミッション(理念)が徳で使われるのならスタッフが自分たちの魂を磨き、人格を高めるお守りのようになります。

私は後者のためにミッション(理念)を使っているのであり、私の提案する仕組み(智慧)は自然に徳が穏やかに沁み込んでいくように日々の内省を通して自己の精神性を洗い清め高め合いながら自立と協力を促していくようにしているのです。

それはミッションページやミッションリーフレットなど、ミッションとつく物はすべてこの「徳」による王道の智慧を活用したものです。

まずは自己の脚下の実践からということで、弊社ではミッションブログに始まり、内省、一円対話、讃給などあらゆる仕組みを実証しています。

覇道でいくのか王道でいくのかと対比されますが、本来の道は一つです。

人類は魂をどう磨くか、磨き方は自然から学び直すことが一番です。自然の徳に包まれ見守られて生きている私たちのいのちだからこそ、その徳に報いていきたいと思います。

色を醸す

私たちが通常眺めている「色」には様々な意味が存在します。この世には、無数の色があり同じ色と思っていても自然界では千差万別な色で構成されています。私たちが馴染みの深い色には、その色の持つ歴史があり、私たちは暮らしの中でその色を眺めては心のつながりを深めていったように思います。

例えば、私は黒が好きで黒をよく使います。黒といっても、日本には数多くの黒が存在します。漆黒の黒であったり、灰色がかった黒であったり、他にも鳥羽色といった藍がかった黒があったりと、同じ黒でも色合いが異なります。

私が特に好きな黒は、炭の黒ですが穏やかな気持ちになる墨の黒は心に何かを伝えてくるものがあります。また煤から取り出す黒もまた格別です。この煤は、炭火が消えたあとののこり、その煤ですがなんともいえない深い味わいのある黒に変化していきます。渋墨という柿渋と松煙を混ぜた伝統塗料の色も、うっとりする黒を醸し出します。

むかしから色には意味があると信じられてきました。代表的なものに五色というものがあります。これは古代中国の陰陽五行説から渡来したものです。この陰陽五行説は、この世のすべては陰陽と木・火・土・金・水の五行で成り立つという思想です。

これは自然界を構成する代表的なものを分類し変化や調和を学んだのでしょう。易経や風水もこの五行を参考にされています。この五行の五色、ここから木=青、火=赤、土=黄、金=白、水=黒(玄)としたのです。

自然界の変化には色があります。例えば、先ほどの私の炭色であれば夜の暗闇の中にこの炭色は浮き出ます。同じ黒でも、闇の中の炭の黒は暖かい黒であり、見分けがつくほどに炭は存在感を出しています。また黒と赤は相性がよく、観ていると和むのは炭に火が灯ると黒と赤の絶妙な明かりが周囲を包むように照らすからです。

火と水の調和から産み出される色合いに、私たちのいのちはその何かに感応していきます。色はまた感情も顕します、あらゆる色合いのなかで私たちはまた自然に透明な色に回帰してそこからまた色が産み出されていきます。

色は私たちの変化の証であり、いのちの活動の動静や明暗を伝えるものです。自分に合った色を知ることは、自分の環境をととのえていくのにはとても大切なことです。私は和色が好きですから、古いものを磨き、深い色合いが出ているものを身近に置きたくなります。

年数がたてばたつほどに色合いは深く濃くなり、一つの色の中にあらゆる歴史が凝縮されて色が醸します。色々な人生を色々な感性と共に歩み、それを和して顕現させていく。子どもたちがどんな色を楽しんで醸していくのか、今からとても楽しみです。

 

ご縁が解ける

仏(ほとけ)という言葉があります。この語源を調べると、それぞれの辞書で内容は異なりますがブリタニカ国際大百科事典には「仏陀のこと。語源は,煩悩の結び目をほどくという意味から名付けられた,あるいは仏教が伝来した欽明天皇のときに,ほとほりけ,すなわち熱病が流行したためにこの名があるともいわれる。日本では,死者を「ほとけ」と呼ぶ場合もある。」とあります。

シンプルに言えば、執着を取り除いた姿が仏(ほとけ)の象徴とされたように思います。強く握りしめていたこうでなければならないというものを、手放し融通無碍に来たものの全てを受け容れて受け止めるときこの仏(ほとけ)に近づいていくということかもしれません。

小林正観さんの著書にこの仏(ほとけ)についてわかりやすい内容で紹介されています。

『執着やこだわり、捕らわれ、そういう呪縛から解き放たれた人を、日本語では「ほとけ」と呼びました。それは「ほどけた」「ほどける」というところから語源が始まっています。自分を縛るたくさんのもの、それを執着と言うのですが、その執着から放たれることが出来た人が仏というわけです。ところで、「執着」とは何か、と聞かれます。執着というのは、「こうでなきゃイヤだ」「どうしてもこうなってほしい」と思うことです。それに対して、楽しむ人は、「そうなってほしい」のは同じなのですが、「そうなったらいいなあ。ならなくてもいいけれど。そうなるといいなあ」「そうなると楽しいな」「そうなると幸せだな」と思う。「こうでなきゃイヤだ」と思ったときに、それが執着になります』(だいわ文庫)

想いの強さは時として、それが執着になっていきます。情熱がありすぎると正義を振りかざしたり、自信がありすぎると思いやりに欠け過信にもなります。なんでも片方に過ぎることが時として調和を崩すことがあり、その都度、自己の執着を手放すようにと何か偉大な存在に見守られながら諭されていきます。

人生は誰もが一生涯修行であり、どんなときにも自分の中にある執着と対話してそれを手放すという修練が求められていきます。その中で、人は深いご縁ほどにつながりもまた深くなります。

一つ一つのご縁の中では、誤解もあれば了解もあります。しかしそのどちらも、いつの日か時が経てば解けていき真実が顕現していきます。未熟だった自分を反省し、改善していくことで人はさらに成長していきます。そういうご縁をいただいていること自体が感謝そのものであり、深くご縁に見守られていることを実感します。

子どもたちが憧れるような未来を遺していくためにも、今を直視して日々に弛まずに怠けずに逞しく嫋やかに実践し、思いやりを忘れず優しい心で歩を進めていきたいと思います。

結の甦生

藁葺のことを深めていると、むかしの相互扶助の共同体の「結」のことにつながります。今では金銭でなんでも解決するような生活になってきていますが、むかしは貸し借りを金銭ではないもの、つまりはお互いの義理人情のようなもので支え合っていました。

もちろん、今でも義理人情はありますがむかしは見返りを求めずに助け合うという根底には「徳」というものの考え方によって人々が助け合い支え合うという土着文化がその地域を安定させていたとも言えます。

例えば、先日の藁葺でもみんなに声をかけて集まってもらい集まった人たちで助け合いながら藁葺職人たちと一緒に屋根を修繕していきました。懐かしさを感じるのは、こうやって金銭ではなくみんなで助け合い支え合うところに暮らしの原点があるということです。

中部地方の合掌造りの茅葺屋根の葺き替えは「結」の制度があり、ウィキペディアによると今でも下記のような手順で藁葺を進めているようです。

「作業の3年以上前から準備が始まる。屋根の面積から必要な茅の量と人員を概算する。作業の日取りを決め、集落を回り葺き替えをいついつ行うので手伝って欲しいと依頼する。予め作業に必要なだけの茅を刈って保存しておく(そのための「茅場」を確保してある)。役割分担を決める(茅を集める者、運ぶ者、茅を選別する者、縄などその他道具を準備する者など)。上記は専ら男性の作業である。女性は作業に従事した者達への食事、休息時の菓子、完成祝いの手土産の準備を行う。屋根の両面を同時に吹き替えることはほとんど無く、片面のみを2日間で仕上げる。1日あたり200人から300人の人手が必要となる。100人以上が屋根に登るさまは壮観である。」

金銭であれば1000万以上かかるものを、無報酬で協力し合って村人たちで行われているといいます。

以前、この「結」のことである方に聴いたことがあるのは「むかしの人は自分が受けた恩義をいつまでもお互いに忘れない、それが先祖代々、「結帳」に記入してあれば子孫の代になっても口伝、もしくは記録しいつまでもその人たちのことを協力するという考え方があったことです。恩義を中心にして、無条件でお互いに支え合うというのは「徳」のつながりのことであり、私が取り組むブロックチェーンの概念と同様です。

貸し借りとは、金銭的なものだけを言うのではありません。等価交換できないもの、それもまた恩義でありそれは生き方が決めるものです。感謝し合う人格が磨かれた地域であれば、その地域の文化はみんなで恩義の質量を高めていくことができます。

つまりは徳を中心にした思想によって、相互扶助の豊かさを実現していくことができるのです。この豊かさといういうものは、現代のような物質的な豊かさではないことはすぐにわかります。

これはまさに人がこの世で安心して暮らしていくために絶対不可欠な安心基地を持つ豊かさの事です。そして見守り合い徳を分け合う暮らしは子孫たちの安心にもなり、先祖たちもその繋がりに恥じないよう、またいつでも顔向けできるようにと協力を惜しまずに恩送りをするのです。

等価交換できないものを持つというのは、心で繋がり深く結ばれていくということです。これが和の原点であり、結の意味でしょう。

「結」の甦生は、これからの時代の新しい真の豊かさにおいてかけがえのない大切な実践項目です。むかしの豊かさから学び直し、原点回帰していくことで日本人の甦生、日本の甦生、そして世界の甦生を促していきます。

これは現代を全否定するのではなく、あくまで原点回帰して本物や善いものは持続しながら文明を調和させていくということです。ブロックチェーンで私が取り組むことはこの新しい豊かさの甦生です。

引き続き、子どもたちのために志を磨いて挑戦をしていきたいと思います。

 

懐かしい国

昨日、藁ぶきの古民家の藁を片付けているとむかしの手紙や書類が藁と共に残っていました。そこのはがきの住所には、今の地名になる前の住所が書かれていました。それは単に市町村合併で名前が統合するのではなく、国としての単位が変わっていますから余計にそれを感じたのかもしれません。

私の郷里は、もともとは神話の時代は豊国に属していました。そして筑前国になり今の日本国になります。もともとは九州に属していますがむかしは筑紫島、その後に九州島と呼ばれていました。

具体的には筑紫、豊、火、襲(そ)の4国にはじまり、701年以降は西海道として大宰府が筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向の7国と壱岐、対馬の2島を統轄する体制になり、薩摩、大隅を入れて9国と2島に分かれてから九州になりました。

日本国はそもそも島であり、その島がいくつも連なって国のカタチを持ちます。国という単位は、律令制で朝廷が定めていたとしてもその頃は国といっても自分の住んで歴史とつながっている場所の感覚しかなかったかもしれません。頭で考える国というものと、そもそも感覚で理解した国は別もののように思います。その感覚は、郷土への郷愁というか懐かしい故郷とのつながりのようなものかもしれません。

郷愁を辞書で調べると、「 他郷にあって故郷を懐かしく思う気持ち。ノスタルジア。「故国への郷愁を覚える」「郷愁にかられる」そして過去のものや遠い昔などにひかれる気持ち。「古き良き時代への郷愁」とあります。

ふるさとを懐かしみ、そのふるさとを守るため生まれ育った文化や伝統を大切に先祖からの智慧や暮らしを大切に受け継いでいこうとする祈りに近いものが国という認識だったのかもしれません。

藁葺の古民家の甦生を通して、今回のメッセージは何かとても大切なことを伝えてくださった気がします。なつかしい故郷を甦生させていくのは、その懐かしい国を甦生させていくことです。

引き続き、丁寧に過去を紡ぎながら懐かしいものを甦生させていきたいと思います。

心組み

人に得意不得意があるように、物事にもメリットデメリットがあります。それをよく見極めていくことで、できることできないこともまたわかってくるものです。

何かが良くないと一方的に決めつけてしまえば、本当に良いことがわからなくなります。よくよく現実を直視して、冷静に判断していくには自己と本心と素直に向き合い、本当はどうなのかということを突き詰めていく必要があります。

本質の深堀りや真理の探究というものは、学問していく上でもとても大切なことです。

例えば、違いを認め合うというのは問題を見つめるときに効果を発揮します。お互いに対話を通して、何が異なっているのか、何が共通しているのかを可視化して整理していくことで本質が観えてきます。

その本質が観えれば、その違いを活かすことを考えて配置することで一つのチームが仕上がってきます。チームには、それぞれに共通の目標があり役割分担があります。お互いに違うからこそ、活かし方があり、その活かし方が百通りも千通りも出てくるのが共働の智慧です。

むかし、今のような個人主義や縦割り制度ばかりではない時代にはきっとみんなで協力し合っていい塩梅を探し、もっともちょうどいいところの解決方法をたくさん持っていたように思います。つまり多様な問題を多様な解決方法でそれぞれに臨機応変に対応したはずです。ゆるい公共のつながりが、現場の間であったからこそそういうことも可能だったのでしょう。

私も現在の世の中の仕組みを憂いていながら何かが良くないと決めつけてしまうことがあり、制度のことや個人主義が云々とそれが悪いとだけをいっても物事が変わることがないことを実感します。もっと謙虚に全体のことをよく知り善く学び、調和する方法を模索していくことの方が変化を支援できることに気づきます。

法隆寺の宮大工の口伝というものがあり、そこにはこう記されます。

「塔組みは、木組み木組みは、木のくせ組み木のくせ組みは、人組み
人組みは、人の心組み人の心組みは、棟梁の工人への思いやり
工人の非を責めず、己れの不徳を思え」

法隆寺五重塔は1300年の歴史で美しく免震構造もあり今でも建築技術の智慧の結晶で大工のバイブルのようなものです。大工さんだけでなく、あらゆる職人たちを束ね一つの建物を立てる。専門性が高いからこその癖もこだわりもあったでしょう。そういう人たちを癖をよく知り、よく学び、心を組み合わせていく調和こそが五重塔を立てたのです。

謙虚に思いやりをもって己の不徳を思へというのは、いつまでも身に染みる言葉です。批判することは簡単ですが、実際にはそれを乗り越えてでも謙虚に低姿勢で徳を積んでいくことで調和を促していく方が努力が要ります。

学んだことを次に活かすためにも、真摯に一歩一歩挑戦していきたいと思います。

いのちの一灯

明日からいよいよ藁葺の古民家の屋根の修繕に職人さんたちと取り掛かります。日本の文化を甦生するのに、この家の甦生はとても意味があります。家はそれぞれの時代に、それぞれの家人や家族を大切に見守ってきました。

その見守ってきた家には、それぞれの物語や思い出が凝縮されておりその場にはその暮らしの余韻が残っています。たとえ、家人や家族がそこに居なくなってもそこには家が残っています。

家が残っているということは、その家は新しい家人や家族が訪れるのをいつまでも待っているのです。

以前、私の友人で貝磨きの達人の方から貝は主人と一心同体であり新しい主人をいつまでも海辺で待ち続けているという話を伺ったことがあります。中にある主人を守るために貝はいつまでも待ち続ける。そして貝は新しい主人の御守りになるのです。

むかしの人たちは貝を御守りにして身に着けました。そして貝もまた全身全霊でその人を守りました。家も同様に人は家で暮らすことで家に守られ、家もまた全身全霊で家の中で人を守りました。

今は家の売り買いや建て替えや解体などがまるで何かいのちのない物のように金銭で簡単に取り扱われますがそこには大切ないのちがあります。

こんなことをいうとセンチメンタルに思われるかもしれませんが、よく考えてみたらすぐにわかります。この私たちの肉体であっても、魂を守るための家であり、その家に魂が入ることで私たちは生きています。肉体を大切にしていくことは、守ってくれている存在を大切に思うことであり、肉体を最期まで大切に使い切ることで肉体もその役目を終えていきます。

私は家を甦生していますが、決して別にただ古民家再生事業をやりたいわけでもなく、リノベーションやビジネスや趣味でDIYが好きなわけではありません。家を磨き、甦生させていくことに仕合せを感じるのは、そこにまた新しい主人とのつながりができ、守り合う存在達に出会うことで世の中が明るく豊かになり、子どもたちに美しい未来が結ばれていくことを実感するからです。

私が取り組んでいることは、「つなぐ」ことであり、「みがく」ことです。そしてそれはすべて「いのち」を「むすぶ」ことであり、子どもに「ゆずる」ことです。

今更なぜ藁葺屋根の古民家を甦生をと思われるかもしれませんが、永い間、放置され朽ち果て白蟻でボロボロになってでもそこに建っていつまでも地域や子どもを見守ろうとする意志を私には感じます。

親切なご縁を感じ取って、家ももう一度、甦って子どものためにといのちを燃やしているのを感じます。私ができることは本当に微力で小さなことですが、真心はきっと家に伝わって、その家が周囲を明るく照らしていくと信じています。

いのちの一灯をこの場所から灯していきたいと思います。

孟子の言

人は大きな志を持てば必ず相応の困難に中ります。道を歩むということは、困難を歩んでいくことに等しいからです。それでも困難が来ることをわかりながらも前に進むと覚悟するのは、そこに志があるからに他なりません。

志は、自己の中にあるもので自分自身と向き合い自分の矛盾に打ち克ち和していくしかありません。志を歩もうとするとき、その自己との調和に苦しんできた志士たちは中国の孟子の言を聴き、精進したことがわかります。

孟子は、志や至誠を説き、生き方を遺しています。困難な時こそ、孟子の言を思い出し自分を奮い立たせたのです。

『天のまさに大任をこの人に降さんとするや、必ずその心志を苦しめ、その筋骨を労せしめ、その体膚を餓えしめ、その身を空乏にし、おこなうこと、そのなさんとする所に払乱せしむ』

意訳ですが、天がもしその人に志から大任を授けようとするときは、必ずその人の身心を苦しめ、困難窮乏の境遇におき絶体絶命の与え、敢えて、その人を試し鍛えるのであると。その人が何のためにそれをやるのかを忘れることがないように、その人に「試練」を与えるということです。

試練とは、信仰・決心のかたさや実力などを厳しくためすこと。また、その時に受ける苦難のことです。試練があるから、目的地に近づいていきます。諦めず、試練だと受け容れていく中で天の試しが入ります。その試しをチャンスと思って転じることができるか、試練は自分を磨いてくれていると感謝できるか。志がその砥石になるのように思います。

そしてこういうものもあります。

『天下の広居におり、天下の正位に立ち、天下の大道を行ふ。志を得れば民と之に由り、志を得ざれば独り其の道を行ふ。富貴も淫すること能ず、貧賤も移すこと能はず、威武も屈すること能ず、これ此れを大丈夫といふ。』

意訳ですが、天と一体になり、天の命じるままに生き、道を実践する。志がある仲間を得れば共にやればよく、得られなくても構わずに独り行う。富貴がその人を乱さず、貧賤も別に影響はない。何の圧力や権力にも屈しない、まさにこれが志士の鑑である。

そしてこうもいいます。

『人に恒の言あり。みな天下国家という。天下の本は国にあり。国の本は家にあり。家の本は身にあり。 』

人はすぐに世間がとか周りがというが、本来その元は国の在り方であり、その国はまさに家の在り方。そしてその源はすべて自分の修身によるものだと。

最後に、吉田松陰が座右とした有名な言葉で締めくくります。

『至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり』

私の意訳ですが、これ以上ないというほどの誠実さつまり真心を盡すとき必ず天は動いてくださるということ。天のハタラキを活かすも殺すも自分の至誠、真心の実践次第ということです。

孟子の言を思い出しながら、全てを受け容れ、今なすべきこと、信じることを諦めずに思いやりと優しさと誠実さを大切に実践していきたいと思います。

智慧の宝庫

BAには、今年から福島の郷土玩具である「赤べこ」を室礼しています。先日、大三元師のことも書きましたが迷信といわれている過去の厄除けは科学的には証明されていませんが歴史上偉大な効果があったと実証されているからこそ今でも時の篩にかけられて残っています。

この福島県の郷土玩具の赤べこは、ただの玩具ではなく本来は厄病除けの意味からはじまったものです。この赤べこを近くに置いておくと病気や災難から逃れられると信じられ今でも多くの人に愛され続けています。

この赤べこの事を調べると、日本大百科全書にはこうあります。

「郷土玩具(がんぐ)。張り子製の赤塗り首振り牛。福島県会津若松市でつくられる。「べこ」は東北地方の方言で牛のこと。807年(大同2)河沼郡柳津(やないづ)町の福満虚空蔵(こくうぞう)堂建立の際、それに協力した赤牛の伝説が玩具のおこり。その後、岩代(いわしろ)地方(同県西部)に悪性の疱瘡(ほうそう)(天然痘)が流行したとき、この赤い色の玩具を病児に贈ったところ快癒したといわれ、疱瘡除(よ)けのまじないや子育ての縁起物に用いられてきた。1961年(昭和36)の丑(うし)年に、年賀切手の図案に採用された。」

諸説あるようですが、むかしも今と同様に疫病が流行し、人々にどうにもならない状態を与えることが多々ありました。その中で、身代わりになってくれる、また厄を除けてくれる存在に深く感謝していつまでも慎んで生きた先人の姿が見えてきます。災害を乗り越えた智慧をいつまでも忘れないために、人々は伝承というカタチを使って子孫に時を越えて伝承を紡ぐのです。

この諸説の中でも深く共感したのは、この文です。

「大同2年、円蔵寺に徳一大師が虚空蔵堂を建立する際、上流の村から大量の材木を寄進された。しかし、水量が豊富な只見川から材木を運搬することは決して簡単ではない仕事だった。人々が材木を運ぶのに難儀しているとどこからか牛の群れが現れ、材木の運搬を手伝ってくれた。重労働で多くの牛が倒れる中で最後まで働いたのが赤色の牛だったといわれている。そのことから、赤べこが作られた。」

今から約1200年前の出来事にもかかわらず今でもこの赤牛らの御恩を忘れずに、身代わりに真摯に働きを与えてくれた存在のことをいつまでも大切に思っているという人々の思いに共感を覚えます。まさに虚空蔵堂の一つの権化でもある、赤牛を菩薩に見立てたのでしょう。

私たちは歴史に学び、こういう時こそどのような心の姿勢で疫病の厄を除けていくのかということを学び直す必要があります。これは単なる迷信ではなく、歴史は過去の事実ですからそれを乗り越えて残る迷信は実は智慧の宝庫であり、文化の結晶なのです。

そんなものは非科学的だからと吐き捨て避けるのではなく、非科学的なものの中に智慧があるかもしれないと敢えて盲信することも大切ではないかと思います。祈りのチカラであったり、不思議な言霊のチカラであっても、効果があるものは宇宙のチカラとして受け容れることもまた私たちの人間の体のように神秘と調和するための真理でしょう。

子どもたちのために、善いものは日々の暮らしの実践の中に智慧を遺し、伝承していきたいと思います。

感染症という時代の節目

感染症の歴史を深めていたら、人類は今まで何度も感染症によって大変な憂き目にあっていることを知ります。権力者であろうが、神官であろうが、感染症が流行すればだれでも平等に感染します。

歴史をよく眺め直していると、感染症が流行する切っ掛けは共通するものがあります。一つは、人間が遠くまで往来したこと、人間が密集したこと、貧富の差が生まれ粗悪な環境が発生したこと、生物同士の不可侵の生息環境に踏み入れたこと、最近では抗生物質の乱用や科学的実験の乱発で人工的なウイルスになってしまったことなどがあります。

私は専門家ではありませんが、なぜこのような感染症が発生するのかは歴史から学び直すことができます。専門家が詳しいから専門家が正しいわけではありません、一人ひとりがきちんと向き合い、なぜこんなことになるのかを自分自身で考えてそれぞれに問いを持ちながら取り組まなければこの感染症を乗り越えることはできないと思います。

今回、三密を避けるとありましたがそもそもこれだけ世界中で日々に渡航者が大量に往来すれば必ずどこからかウイルスは持ち込まれ感染症は歯止めがききません。それに都会で密集して生活していたら爆発的に感染は増えます。また感染者を排除しようとすることで差別が広がれば余計に感染者が増えていくのも予想できます。検査を受けることすら嫌がり、自分が差別されたくないとみんな感染している可能性があってもそれを隠すようになりパンデミックになります。

実際には具体的な対策をと色々と言っていますが、時短にするとか、外出自粛とか、マスクだけではどうにもならないように思います。本来は、この感染症を止めるためには先ほどの、渡航をやめ、差別をやめ、都会をやめ、自然破壊をやめ、安易な薬をやめ、ウイルスと敵対するのをやめるようなことが必要です。

しかしこれは暗黙の了解でできないことになっていますから、それ以外でということになります。それ以外でということがあまり効果がなくても、それには目をつぶってなかったことにしようとするバイアスが人間の脳には働くのです。だから余計に、感染症が止まることもなく犠牲者が増えて最後は仕方なかったと諦めるのでしょう。

本当はそうではなく、果敢に勇気を出してこれらをやめる取り組みをするしかないのです。コロナウイルスは切っ掛けにすぎず、人類は必ずこの問題に向き合う時がすぐ近くに来ています。コロナがたとえ終息しても、すぐに第2第3が来ますし、今度はもっと厄介なものが来ます。どうせ、その時にあの時にやっておけばよかったと後悔するのなら今の方がまだ国にも個人にも体力があるからできるのです。

人間は本当の意味で危機に追い込まれるまで動こうとはしないものです。ゆでガエルの話のように、じっくりとゆっくりとくる変化に弱いのです。緊急事態宣言とは本当は、今のような安易な一時的な目先の対策をすることではなくまさにリーダーとして、すべてを転換するためにどうあるべきかを国民たちに問うためのものであろうと私は思います。

そうはいっても、誰かのせいにしても解決するものではありませんから自分がまずモデルを示す必要があります。

「できないことばかりを並べるよりも、できる人からやればいい。」

そうしているうちに、できない人もできる人から勇気をもらいやっていくことができるものです。感染症をきっかけにはじまった人類の新しい時代の挑戦は、いよいよ幕を開けました。

子どもたちのために、真摯に挑戦していきたいと思います。