公開するという意味

私は今までで約4000箇所以上の保育園幼稚園を訪問してきた。

きっと今の自分があるのは、伺ってきた縁の御蔭だと思う。
私を育ててきたのも私ではなくそういった「縁」長先生だと思う。
こうやって園長を縁長としてみるのもとてもオモシロイ。

子どもたちの目線からみるとそういう観点もアリだなと思う。

今の私に色々と定義される方もいらっしゃるが、自問自答すると私は決して自我としての野心だけで事業をやっているのではなく課題としてのテーマで生きているのだろうと思う。

一般的には世間では身の回りに、自我中心で生きている人ばかりだかたらよくそれに照らされ勘違いされることもある。師匠もよくそれで悩んでいる。本質で生きるとは本当に大変だなと傍にいて思うことがよくある。

きっとその方の目の前に映るもしくは耳に素通りする事象でしか安易に捉えられないから変な誤解を生んでいるのだと思う。深く会えば理解してもらえるだろうが、出会わなければ勝手に推測され偶像化されるのでその刷り込みの価値観を取り除くのが大変だ。

ここでもやっぱり縁なのだろう・・・縁は瞬間と長さ、距離、、どれも欠かせない要素だ。

私も最近それをよく感じるようになってきた。しかしそれはニンゲンの持つ感情である以上、どうしようもないので実社会やっていること、やっていくことで表現していくしかないのだろうと思う。

私の今の姿とこれからの姿は、これからまだまだ増えるであろう4000箇所以上の園の理念の集積体、つまりその受け売りの仮の姿だと自分勝手に思っているからだ。

今でも初心は変わらない。

どの園の経営者や保育者の方も、「子どもたちのためにこうしていこう」と常に高い問題意識で私へお話しをしてくれた。それはきっと私の立ち位置上、色々なところに飛び回ることができるからだたのだろうと今でも思っている。

私は地域にいて子どもを見守っている園の先生方と一緒になって最前線で一緒にやっているだけなんだなとよく思う。

先日、長いお付き合いがありとても尊敬している園長先生に「あなたの方が園長っぽいですね」と言われた。気がつくと最近では色々な園でよくそれを言われることが多い。

何だかとても嬉しい気持ちになった。
私の感覚がまだズレていないことの証明だからだ。

業者や批判者がよくする園長の定義と、私の園長に対する定義はまるで違う。だからきっと嬉しいのだと思う。それでも私はそうでありながらもそうであってはいけないので使命があるのだと自分では思っている。

出会いの邂逅と育てていただいたご恩返しに、ご縁ある先生方から教わったことを真摯にカグヤの事業でこれからも世界へ還元していこうと思う。

・・・

そのための第一歩は、まずこの意味をきちんと捉えて公開していくことだと思う。

よく「公開」は、ただ情報を開示することだと思われてきた。

今の時代の「公開」は、昔の常識である公開とまったく違っている。

今は、個々で命を懸けて積み上げてきたノウハウを隠さずに誤解を恐れずに公開することに変わっていると思う。

なぜ公開が大事かというと、公開することで真に得られるのは大衆がみんなで一緒に考える気づきになりそれが叡智になるからだと思う。

それが、ここでの『環境』というものだと思う。

江戸時代がどんなものだったか分からないが、地域関係が単にあったとかではなくきっと「それ」があったのだろう。

みんなで叡智をひねり出すための「資産」をどう活かそうとしたかを【工夫して環境を創った】のだろうと私は思う。

人的なのか、物的なのか、時代的なのか、、、その辺は知りたいのであればきっと、どこぞの著名な研究者、学者の方が分析していると思う。

使い手は、成分分析よりも使い手になる方を目指そうというのが私の思想だ。

先日、ある園でこんな話をした。

今の時代は、園の大事なノウハウや知恵は隠すのではなくすべてオープンにした方がいいという話だった。
具体的にはというと、園でやっている本質であろうその保育を世間に出していくことだ。世間に問い、世間の知恵やアイデア、そしてその資産を一緒に高めていけばいいのだ。

現在、全国各地で開催しているGTのブロックセミナーの実践発表では園の環境や保育、特色などをそれぞれで包み隠さず取り組みのすべてを堂々と発表し公開し質問をうけ協同的に高めていくという内容になっている。

これもキチンと「公開」という今の時代の公開の真贋を得ていると思う。

これからは何でも持っている資産は、包み隠さず外の人に伝えた方がいい。
それを真っ先に公開し、衆知を集めて協同的になるように導く人を「今の時代のリーダー」の在り方というのだろう。

これを考える時、子どもたちの巣立つ時に必要な生きる力。
つまり20年後のリーダーの在りかたを今に学ぶことの方が、昔に大事にされて定義された「今の時代では変な授業」よりはずっと役にたつかもしれないなと私は思う。

明日は、神奈川の社会福祉青年経営者会で講演と情報交換会がある。
ご縁と機会に深い感謝とともに得がたい創造の出会いになった。