祖母との思い出

昨年、祖母が他界した。
幼い頃から、何かコトある毎に私達を大きな慈愛で包んでくれていた。
怒ったところを見た事がないほど、温厚で素敵な優しい人だった。

高校生の時、私が交通事故で入院したことがあった。
その時もすぐに病院へ駆けつけてきて非常に哀しそうな、可哀相なといった痛々しい表情で「またなんであんたはこんなことに・・」と言ったときのことが何だか今でも忘れることができない。

そう考えるといつも事故や怪我、病気をよくしていたので小さい頃は本当に色々と心配をかけたものだ。何であんたばかり・・と、孫の中でも特に祖母の心配の対象になっていた気がする。本人は、無自覚だったのだが言われてみると色々なハプニングを起こす飽きない子どもだった。

しかしそんな子どもだった私も、祖母に深く心配されることで、「自分自身が大切に思われていること、自分自身を大切にすること」を学んだような気がする。

祖母に心配されるととても申し訳ない気持ちと一緒に、とても心に響く温かい慈しみと大きな愛情を感じていたのだと思う。

また祖母はとても美味しい味噌汁を作るのが上手だった。
帰国して仕事をはじめてすぐの頃、祖母と一緒に暮らしていたことがあった。
毎朝、具だくさんの味噌汁を早起きして私のために用意してくれていた。

はじめての営業という分野に特化する仕事だったので大変苦労した時期だ。
飛び込み営業などもやって毎日はじめて会う人に「忙しい!邪魔だ!要らない!」など罵声を浴びせられながら、なぜ自分の伝えたい価値が門前払いなのだろうと疑問を感じながらも必死だった頃のことだ。

そんな日々だったので毎朝、起きるのが辛かった。
しかし「味噌汁できたから食べていきなさい」の祖母の言葉で頑張って起き、その美味しい味噌汁を食べて元気を奮い起こし出社していた思い出がある。

そういえば、こんなことがあった。

ある夜に同僚と暴飲暴食と深酒をして食欲もなく起きれなかったときがあった。
いつもの祖母の声がけも無視して「後でいいから」と言い訳をして、「時間がないからもう今日は要らない」と会社に行こうとしたときだった。

いつもは温厚で怒るはずがないと信じていた祖母から「本気で怒られたのだ。」
驚いて見返したその時、台所へ戻って無言で味噌汁をかき混ぜながらとても哀しそうにしていた顔を今でも忘れることができない。

すぐに「ごめんなさい」と謝って、二度と祖母をこんなことで悲しませてはいけないと心に誓った。

あの時も自分の未熟さを何も語らずに気づかせてくれたのも祖母だった。

そんな祖母のいつも家族のことを心配し、子々孫々の繁栄を毎朝仏壇に祈る姿もいまだに色あせず鮮明に脳裏に焼きついている。
今思えば、きっと永遠の邂逅を願い、慈愛と慈哀をもって穏やかに家族を見守ってくれていたのだと思う。

母性の愛という「カタチ」がどうこうなどは私にはまだよく分からない。

しかし日常の些細なことに哀しみという深い情けが満ち溢れていること。
そこから「生きる」ということ「生かされる」ということを学んだ気がする。

何よりも巡り会えた奇跡に深い感謝と祈りを捧げる。
これを必ず世の中に還元する約束を今は亡き祖母と交わし、思い出を大切にして真っ直ぐに生きようと思う。