再構築

ニンゲンは、動物の中でも特にゆっくりと成長していく生き物だという。
特に大人になるまでには20年もの歳月がかかると世間では定義している。
野生の動物であれば、ある程度生まれたらすぐに肉体が外界に適応していく。
そうでないと食べていくことができない、つまり生きてはいけないからだ。

なぜニンゲンはそうなっているのだろうか?

私の主観だがきっと自然界においてニンゲンは色々なことをゆっくりと一つずつ学んでキチンと世の中に調和し自然にしていく調整役だったのかもしれないと感じる。先人達が定義した万物の霊長となるように生物界に大きな影響を与える世界のリーダー的存在としてその成長速度がきっと必要不可欠だったのではないかと思う。

それはすべての生き物には意味のないものはなく、役割がそれぞれにあり共生していると思えるからだ。

共生するためにはそれぞれが自然界においての原理原則という真実や本質の軸がぶれないように自らの命を昇華していくのが大事なのだろう。そうやってしか相手を深く尊重し在るがままに認めていくことができないからだ。

なのになぜ今の時代は、その最低限の調和が満たされなくなってきたのか?
多くの生き物が絶滅し、環境が壊れ、人々の豊かな心も荒廃してきている気がする。

私はその原因の一つに余分な貯蓄というのがあるのではと思ってしまう。
足るを知るというか自らの持分以上を持たないというイキカタはできないのだろうか?

身近でも誰かが貯めれば誰かが損をするという仕組みを感じる。
「ありがたい」といった感謝の気持ちの方を蓄える方が価値があるのに。
「もったいない」という方が相手の心を大切にし満たすというのに。

どこぞの国のように石油の独占のために殺し合いまでする国がある。
これは本当に今の時代における自然なことなのだろうか?

貪欲な自我欲を外界に求めジブン達だけが生き残ろうというのはどうだろうか?
常に主役は「ジブン達」だけでいいのだろうか?

こんなに不自然になったのはいつからなのだろうか?
モノがなくったって心が豊かであればそれでいいという生き方がなぜ今はあまり大切にされないのだろうか?

精神だけを成長させ肉体が持つ普遍的な自然を無視し機械的に都市化された社会にだけあわせていくことが自然界にこれからもどのように混沌や混乱を起こすのだろうか?

精神も肉体あっての精神なんだよと、人々が持つ「死」がそれを我々に教えてくれているというのに。自然淘汰という響きは哀しいものではない、そこに安らぎを感じるものが自然なのだと思う。

なぜもそんなに急ぐのか、急ぎすぎるのか・・・

このように速度には、肉体的時間と精神的密度があるのだ。
その両輪がちょうどかみあわないのでは調整することはできないだろう。

・・・

話を戻すとそれでも人は悠久の年月をかけて「ゆっくりと育つ」真理は変わらないと思う。
そう考える時に、何だか不思議な矛盾を今の世の中には感じてしまう。

「精神」というカタチがないものでも同じようにゆっくりと壮大な年月をかけて育っていくはずなのにニンゲンはその精神の速度をも無理やりに上げてはいないか?

最近、ある雑誌で子ども達へのインタビュー記事を見つけた。
私自身の「子ども」への刷り込みもある程度あると思うのだがそれでもその子達のほとんどの発言は昔で言うところの「子どもっぽく」なく感じるものだった。
妙に大人っぽい意見を言うし、妙に大人や社会を意識している気がする。

もっとゆっくり子どもである方が自然なのにと思ってしまう。
見た目の子どもっぽさと、子どもが持つ純粋な童心とは意味が違うと思からだ。

大人が創り上げていく社会は、子どもが育つ時間的な速度をも強引に速めている気がする。子どもにとっての速度とはゆとりをもったゆっくりとした速度という密度が自我を正しく形成させ社会に順応し自然に調整していくのだと私は思う。

周りの人たちや大勢の集団、今のオトナ達を見ながら、この辺だろうと思うことで自分を他人にあわせていくことで正しいのだと刷り込まれそんなジブンを満たすことで精一杯になっている感じがする。

もっと子どもでいいのに。
そう心から感じてしまう。

きっとそう子どもにはさせてあげることが自然なんだと思う。
我々大人が、自分たちの勝手なモノサシで子どもの成長を邪魔してはいけないと私は思う。

この辺で世界や子ども達のためにもどこぞの人々が勝手に引いた線、ボーダーラインを再構築する時期ではないだろうか。

人々が勝手に造ってきた人工的に人為的に構築した今の社会において、もし我々ニンゲンが自然界の調整役だとしたらそろそろ本気で調整する時期になったのではないのだろうかと思う。

何代も何代もかけて、長く築いてきたものを再構築するのは大変だと思う。
しかしそれをしっかりと尊重し、子ども達の信じる未来を新たに構築するために勇気を持って変えていきたいと願う。