本命

もうそろそろ3年目に入るが、毎月「ウェブラジオ」を収録しに保育環境研究所ギビングツリーの藤森平司先生を取材しに往っている。

これは、多くの人たちに移り変わる世の中に於いて何を鑑み、そして努力を怠らず危機感と問題意識を持って子どもたちの未来を創造してほしいという気持ちで私がはじめたものだ。

取材では、短い時間でも藤森先生の真玉の言葉というかその人生観からにじみ出る「理念」が保育道になり、そして指針になるようなものが映し出されている。

きっと短い言葉に凝縮された過不足ないシンプルで美しい旋律の余韻の中に、深い思索と思想が自然に出てくるのだなと3年たった今では思えるようになってきた。

人間は、常に世間の多くのものを目だけでみようとする。

しかし、心を研ぎ澄まし、目を閉じて他の五感でモノゴトを深く一点に集中し引き出すように感じれば今まで見えなかったものが現れてくるものだ。

そうやってみると分かるが、「カタチ」なんて心のありようがただ現れただけなのだなと思える。しかしそうやって観る芽を養うしか、人間が成長していくことにはならないのだろうなと私は思う。

どんな一瞬の出来事や出会い、そして短い邂逅においても意味を感じきるや感じつくすのような「ゆっくり」として陶冶される精神の醸成とその向き合う至誠が道を求めるに於いて重要なのだと思う

身近にあるすべての仕事はそう・・・

このウェブラジオも時間をかけて「ゆっくり」と育ったものだ。

「花は一瞬にして咲かない。大木も一瞬にして大きくはならない。一日一夜の積み重ねの上にその栄光を示すのである。」

「念ずれば花開く」の坂村真民さんの言葉だ。

常にどんな思いからくる天真の片鱗も、その自らが優先された使命も、日々新たに同じ目標目的のために己の心願を尽くし人徳を磨く精神があってこそなのだと思う。

昨日は、その収録において、またGT会議においていろいろなことを鑑みた。

自分を高め続けるためにいったい己は今この瞬間もどうあるべきか。

私は何を日々言っているのだろう?
私は何を分かった気に日々なっているのだろう?
私は何を知っていて何を日々覚悟しているのだろう?
そして私は何を省我して日々自らの言葉を放っているのだろう?

本日もまだまだ使命を尽くす私には至らない急ぐこころと余分にある雑念と執着の多さに再び頭にガツンと来た。

そして今、あるがまま、それが心から嬉しい。

自分の軸を直し醸成するためにも常にこのような機会を持ち続けることができるだけで幸運でありこれも有難い感謝の賜物なのだと思えるから。

使命を感じているのならば、唯真剣にそれを尽くすこと。
そうやってしか天命は得られないと師匠は仰った。

師匠はその長い年月で培った子どもへの思いたるや並々ならぬものがあり、それを通して今の時代の子ども像のありようを言葉が理念を通して体現なさっている。

絶対に分かった気にならないぞとの社業の理念を思い出した。

福沢諭吉翁にある。

「世の中で一番楽しく立派なことは一生涯を貫く仕事を持つことです」
「世の中で一番さびしいことはする仕事がないことです」

どんな仕事も使命を尽くすことで価値を創造することができることを信じること。

そしてその仕事が創造するものであるとすれば絶えず心に危機を感じ尽くさなければ万物のバランスを整えるなどできっこない。

そのためにも「本命を尽くす」ことを日々戒め、そして安易に語るその自分への鏡として自らを高め磨くことを怠らず学徳の練磨にはげむことを誓う。

常に自分が何のためにこんなことをしているのかの初心は懐に居れ、濁流の時代を悠久の流れに変えてみせる。