在るだけの素晴らしさ

カグヤでは、いろいろな実践がある。

毎朝、様々な企画でお互いを深めたり高めたり、そして意味を味わったりするような遊びから論語による内省まで多くの種類のものを行っている。

人は、浅いところで理解し一緒になにかを行うのと、日々、弛まずお互いを理解し合い深まっていき人間性や徳性までを全て受容し共有するのでは出来事における成果もプロセスも雲泥の差がでる。

私の師匠が話の中でいつも仰っている中に、「見守る」がある。
これはカグヤの社業の原点。

私は運が良く毎週末に、GT会員向けのメールマガジンを通して私は師の思想に正対し触れ、原点回帰することができる。そして、その一つの道を正しい一本でと自らが定めた道を味わい尽くす時間をいただいている。

言葉については、いつも一期一会を思う。
そして言葉とは、発するときには出ていくもの。

その発するまでに自分がどれだけ大事に丁寧に、丹誠を籠めてそれを使ったかを鑑みるとき、また一期一会について考えさせられる。

私ももう師匠の意である「見守る」という言葉を何度も何度も現場で使ったけれど、そうやって発する以上、わかった気になるのではなく、いつも初心、いつでも純粋に感動したままでいたいと誓い、常に言行を戒めている。

そして先週のメールマガジンでもまた師の本質が理解でき何よりも暖かく嬉しい気持ちになった。

そこにはこうある。

『人からの愛情の中で育ち、自分の存在が認められ、生きることを保障され
ている子は、人に対しても信頼感を持ち、精神的に安定します。またそれは親からでなくとも、保育者や教師や地域のだれかが、その子を信じてあげればその子の人生が変わることがあるのです。』

最近になって、私にはこれがよく伝わり感謝・感動することがある。

人は信じて認めてあげる存在によって生きる力を得て、そして自らの内面に安心した世界を見出しその感謝に対して自らの使命を果たそうとする。

そう考えると、人が人に影響を与えるというのはそのものの存在への自らの眼差しと感化如何によるものであるのだと私も今では信じている。

改めて、何もできないからこそ、本当にできることの有難さと人間の素晴らしさを感じてしまいます。

慈愛や尊厳、本当に素晴らしいと思うことばかり。

そういう意味で私がとても好きな言葉の中に、相田みつおさんの詩がある。

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あなたがそこに ただいるだけで

 その場の空気が あかるくなる

 あなたがそこに ただいるだけで

 みんなのこころが やすらぐ
  
 そんなあなたに わたしもなりたい

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出典:『いちずに一本道 いちずに一ッ事』
角川書店、相田みつお より

この詩には、私が「見守る」をある側面からみたときの在り方が示されている。

ただそこにいるだけで、みんなが良くなっていく。
そういう人たちばかりが集まれば、どれだけ社会が良くなっていくのか、感動や感謝に包まれていくのか、まだ、自分ができることは本当はたくさんある。

子どもが安心して成長していけるように、私たち大人はまずモデルを示していくことが肝心なのだと社業を通していつも実感する。

最後に、言葉には心気が現れる、そしてその言葉に魂が籠るものがある。

それはその人の信魂に触れた時、なぜか何万語の説明もいないほど伝わってきてそれが自分の心底を揺さぶり感動を呼ぶようなもの。

そういうことが人を変え、そういうものが人をより美しく光らせる。

そこに余裕がなくなり不安や焦りがあっては、到底そういう言葉も聴こえてはこない。静かでなければ聴こえないし、身を修めていなければ受け容れられない。やはり近道は、修養ということになる。

いつも思いやりのある真心で、真摯に誠実に生きるというのは何よりも幸せに生きるということにつながっていると信じて、子どもの未来のために一人でも多くそういう人たちの実践を支援していけるように念じていきたい。

子どもたちにも、ただそこにあるだけで良いんだよと伝えていきたい。