至善に止まる

モノゴトにはよく善悪がつきまとう。

そしてその善悪は、何か自分に出来事が起きると突然入れ替わりもする。

その善悪を思うとき、そこに確かに自分という己があり、その己を中心に判断が行き来をして迷走してしまうことがある。

私自身、そういう己同士をぶつけあっている修羅損得の中での議論に巻き込まれるとどうしても心身に惑うこともある。そして惑うと思いやりが欠け、自分の感情が膨らみ、それが体調が悪いときなどと重なると、どうしても穏やかに静かでいられなくなってしまうこともある。まだまだ弱いということ。

先日も、信じることを取り違え過信とし、その人の特性を見誤り、また利害のモノサシの中で議論することを求められ、思いやりに欠ける言動をしてしまったのではないかととても反省している。人には、人情というものもある。どうしてもどうにもならないことを議論する際は、足掻きモガクよりも、まずは相手を丸ごと受け容れ信じ、双方の人情によって解決する方法もある。そこに道義が立っていれば必ず三方が良い方へ向うものだと私は思う。

しかし、そういう難しい利害関係がある状況を超えてもいつも静かに真心を持った正しい判断ができるにはまだまだ己と向き合い、正し、日々の理念の実践を深めていかなければいけないと新たに改め反省する。

話を元の善悪に戻す。

ビジネスの世界でもそうだけれど、何かとその時々の都合により物事の判断基準というのは内外の関係性によって変わっていくことがある。今まで、良かったものが良くないとなることはよくある話だし、悪いと思っていたものが流れがかわり良くなることも多々ある。そのほとんどは、自分の身に害があると思えることや、自分たちの組織には良くないと思うものは、すべて悪いのだとどちらかに偏ることで変化していく。

たとえば私も昔、いくつかの企業や組織や団体から子どものためにと頼まれて仕事をしたことがある。その際は、損得を超えて手伝うように心がけなるべく良くなるようにと努力していく。もちろん、論語と算盤で厳しく価値を見定め、価格を決めて取り組む。しかし、そのうちに、当初のころとはお互いの体制が変わり、状況が変わってくる。そして、どちらか一方が何かと便利な方、楽な方を優先することになってくることがある。そうなると、利害の土俵に乗ってしまいトラブルが起きる。そしてそれは近々の子ども利害のためというのと、遠々の子どものための利害ということでもその意味も異なっている。

本当に、やらないといけないということは「それぞれが他人任せではなく利害を超えた仁義の世界で自立して一緒に乗り越えていく」というところに、損得を超えた互いが契った心の約束である「義理」がある。しかし、その義理を通さずに、都合や勝手なところがモノサシの基準になると必ずそこに善悪利害が生じて悲しき結末が訪れる。どうも今の社会は、こういう義理や仁義などを語らずテクニックや浅知恵ばかりが優先されている世の中になっている気がする。

しかしビジネスでも何でも何かを人と一緒に取り組むには、必ず「義理」というものが必要になる。

それはつまり善悪を超えた、もうひとつ別のところでの「至善」という判断基準が必要だと言ってもいいだろう。

論語の大學にこうある。

「大学の道は、明徳を明らかにするに在り。民に親しむに在り。至善に止まるに在り。」

この至善というのもの。

これこそ、人の人の間のルールである原理原則、「道理道義」というもの。

たとえば、子どもたちのために一緒に協力して本懐を遂げようとしたときに、その共有した理念よりの対話を深め、お互いに真心を持って判断をあわせて行動をともに自立して関わること。

こういうことも、義理があるからこそできるのだとも思う。

私は、現在、様々な経営者と一緒に同じ道、同じ理念で歩みを強めていることが多い。そうした中で、道理道義の基準により出でたその初志理念を優先しないとブレたということになる。私たちカグヤの仕事は理念に直結し、子どもの感化に影響する仕事、何よりも子ども目線の子ども第一主義による至善に止まっているままにするというのは、よほど日頃の仕事や使命に於いてしっかりと心にそれを留めておく必要があるのだと私は思う。

たとえば、これは私たちの関わる保育の道もそうだろうけれど、良い悪いではなく、道を歩むものとしてまずは人としての道理道義を重んじて、真心を育ててていけば必ず子どもたちを囲む周りの大人もその思いやりで感化できると信じる道なのだとも思う。

これからのリーダーや、子どもたちを含めた関係する人々を皆保育するということに、その道の思いやりを感じることができるのは私だけだろうか。

明日は、GTサミットで藤森平司先生の講演を拝聴することができる。
原点初心を学び、まだまだわかった気にならずに、日々を内省と不動の実践により深めていきたいと念じる。

感謝。