二千十年のテーマ

昨年も色々なご縁いただいた方々の御蔭により無事にかんながらの道を歩むことができました。

心を澄ませているうちに、生きるということがより人々を通して語られるということの真意を感じます。

たくさんの柵や刷り込みの中でも、その人が何をもっとも大切にしているかで答えは変わってくるし、正論ですらもその都度の状況により分かれるものです。

何が真実なのかは何より当人によるものであるし、その調和が何より至誠に基づくものであれば何の一切そこに然なる自がが映す鏡に明るみにされるもの。

単に良いことをしたや悪いことをしたなども、歴史を鑑みると果たして本当にそれで良かったかは本人しか分からず、過ぎてみると過ぎただけであるし、そこには虚無がある。そしてそれをどう素直に受け取り器としての人間として生き様を観て感じるかは道により陶冶された生きた真心の為すものだとも思います。

兼好法師にある

「鏡には色形なき故に、万づの影来たりて映る。鏡に色形あらましかば映らざらまし。虚空よく物を容る」

御神体を映し出すものとして、明鏡止水の心が在る。

私はまだ人里の穢れに於いて揺らいでばかりで本当に清まないなと自省します。

さて昨年も師匠の後姿より本当にたくさんのことを学ぶことができました。

自らの心と正対し、自らの信念を貫くために、数多くの出来事や人々を許容し自らを厳しく律し粛々と歩んでいくその姿には魂が揺さぶられ感動と感激の出会いがあります。

自らの至純の思いに直接響き渡り、好奇心の塊が少年に乗り移ったように心身がシビれる思いで道を開くことへの脚下の悦びを感じて生きることができています。

昨年いただいた師からの主題は、「真の深さ」であったけれどどれだけ自分がその深さにて潜り質を高め求道し導けたかと思うと本当に未熟にて達することはありませんでした。

これからも日々の生活そのものより、誠心誠意正座していくことでその大切な真心を昇華していきます。道の続く限り、この真の深さを持てるような学問を究め勉めていきたいと思いました。改めてこの御恩に感謝しています。本当に有難うございます。

そして今年、さらに師匠からいただいたテーマは「一つのことを目移りせずに遣り切る」こと。

自分が何を持って人間を観てとるのか、そして本物となるのか。そしてそこから真理真実を得て宇宙と調和するのかを見定めた後、自魂の確信の極みで感化していけることを探求し、その関心の極針の深穴から学び切るということであると解釈します。

そこには様々な一円観念による創意工夫、そして新しい日々との変不変の一期一会、そして安住安心である空念も亦、今此処にて予感もします。

自然や、かんながら、また子どもというものや聖賢の示した方向を通して、自らの内面に在る言霊に触れ、自らを削り澄んでくるような透徹した広く明るい思いやり。

悠久に引き継がれていく時間と子どもたちに遺す確かな未来を譲れることを信じて、自らの世界を易える行動を第一に確固たる信念を醸成して道を切り開いていくと誓います。

どんな状況や環境の因縁が結んだとしても、言い訳をせずすべてを受容肯定し、何より自らを陶冶する敬謙な一本道とし、生死を超えて充実さや豊かさの中、命を使った世界平和へ向けその「ゆずり葉」の一枚になれればと心願致します。

感謝深拝  二千十年一月一日 野見山広明