分度を立てる

制限なく物質的欲求を求めるグローバル経済に於いては、いつもお金というものは何よりも先に優先される。

論語大学に「徳は本なり、財は末なり」とあるといっても今の世の中ではそれぞれがその理屈を自分本位に考え、富を持っている人も、また持っていない人も、自らが先に何かを与えるよりも不景気だからという理由で得ることばかりを求めているようにも思う。

得ていないから与えられないのではなく、与えるために得るのであればそれは正しく得ることができるのではないかと思う。そういう規範や模範こそが価値があるのであって、その額の大小でも質量でもないと私は思う。

貧富ありといえども、そういう徳を優先すれば必ず財はなくなることはない。

世界経済はそれとは逆に表面上は良くなると欲を駆り立てまずそれを満たすためのものと与えつつ相手から多くを奪い、さらにもともとあった文化や規範までも奪い続けてその見返りに権力を買収し自分本位に膨大な富を独占しようとする。自国を出て、自国では良い人になり、世界ではルール違反をして稼ぐということが果たして商売道の仁義によるのかと思うと考えさせられる。

インディアンや蝦夷の人たち、島の人たちなども静かに暮らしていたところに容赦なく自分たちが占拠し、生きる場所を奪い、生活を奪うことにどういう仁義が立つのかとも思う。

昔の賢人たちは、自らその地域のものを地域で流通させ、自分の分を定め、その分以上は余剰として地域へ貢献したり、もしくは有事に備えて困ったときに助け合うための財とした。もともと力をあわせて生きていくために、何より自らを律し教育し、力をあわせて生きてきた。

しかし今は、人々が自ら分度を定めず際限なく好き放題に得て使うために収拾がつかないほどの大変な事態になっている。

世界から物心ともに貧困がなくならないのもその理由によるものだし、戦争が絶えないのもそういうことが理由になっていると私は思う。

二宮尊徳にこうある

「盛衰治乱存亡の本源は分度を守ると守らざるとの二つにあり。我この分度を守りて領中の衰廃を興し百姓を安んじ上下百年の艱難を免れしむ。子孫永く我が志を継ぎ、富優のときに居ると雖も本源たる分度を確守して戻らざるときは、永世上下の福余りありて衰微の憂いなし。」

これは、みんなでともに分度を守れば皆が安心して生活でき、子孫も末永く富裕貧困の外で豊かに暮らせるということ。

そしてさらにこうある。

「若し夫れ貴たり富たる者、各々其の分を守り、以て余材を推し、諸を賤貧に及さば猶ほ天気下り地気上り、天地和し万物育するがごとし。貴賤貧富相和し貨財以て生じ、両両相須ち、治生日に優して、国家必ず治まる」

そしてこれは、身分が高く裕福な人がすすんで助けていけばよく天下が治まる。なぜなら、こういう模範があるから貧しい人も自分も何か助けたいと思うようになるからだという意味になる。

人間は、徳を優先して、人としての道を歩めば自然に道徳的になる。
分度を定めて道徳的になれば世の中が平和になる。

常に時代や歴史を観ても分度を守ると守らないではまったく世の治まり方が異なるということがこの言葉からもよくわかる。

まずそれぞれに上下の役割のあるものたちがそれぞれに正しく分度を守ることが太平興隆の世の中になり、もしもそれぞれに分度を守らなければ戦乱衰退の世の中になるということ。

今は時代として上下の役割あるものたちが際限なく営利やお金を求める時代だから次第に荒れて衰退していくのは火を見るよりも明らかということはすぐに分かる。

これからもこれを改善して、もったいないや足るを知るなどまず自分が正しく分度を定め、分外を恩徳や感謝で判断して行動できなければ興隆はない。

今は平和に導くためにも特に皆がそれぞれに分度を定めて協力する大切な時期だと私は思う。

自分本意ではなく、利他発心を優先し、まずは自分から分度を定めて徳を明らかにし、世直し行を一筋に誓願して実践していきたい。

二宮尊徳のコンサルティング仕法を学び、より子どもに関わる大人たちへの影響力を高めていきたい。