理想と現実

この仕事をしていると、いろいろな人たちから応援をしていただける機会がある。
こんな時代にとても珍しい会社であること、そういう素直に誠実に理想を追う人たちが集まっていることなど、色々なところから期待していただくこともある。

私たちにとっては、子どもの会社なのだから当然子ども心を大切にしながら人間としてともに認め合い、助け合いながら、人間学も時務学も学び、知行合一に役割を果たしていこうというシンプルな目標に向かっている。

そういう当たり前のことができにくいのは、時代の常であり特に商売や利益が発生するところでは難しいこととされそれは理想でしょとされ建前がどこにあるのかを探される場合も多い。

どんな業界でも、理想はある。
どんな仕事でも、理想を求めていく。

しかし時代の流れだとし、本質を貫くための努力を怠れば現実の厳しさに負けてしまい考え抜くことを諦めて流されていき気がつくと言いわけばかりをする日常が当たり前になってきたりする。

子どもの頃、大人になることは、「物わかりのいい人」になるものだと周囲の大人に教えられた。そして、大人になるとは理想と建前を使い分けることができるようになるものだと習ってきた。これは別に誰かに教えられたのではなく、子どもの眼差しで私が観ていて感じたことだ。

それが嫌で嫌で仕方がなかったから様々なものに反発した、たとえば学校でもそうだし、無理やりそれを押し付けてくる人であったり、社会に出てからは上下関係や組織のこと、さらには社会とはそういうものだよという周りの圧力にで対してもすべて反発した。

そしてそういうものに負けるかと孤軍奮闘していた時期が長かった、それでもそういうことをさせてくれる仕事を探し、自分が観ている世界にしたいと願い只管に自分を持とう、自分に帰ろうと努力した半生でもあった。

そして出逢ったのが、この子ども業界だった。

子どもたちは、理想はみんな持っている、しかし現実の社会の中でどのように発達していけばいいかは分からないでいる。ただ、確かに彼らの中には理想がありそれを追い求める純粋な魂があるように思う。

それを叶えてあげるのが大人たちの役割であろうと、私は感じて見守るということの素晴らしさに感動して今の社業がある。

しかし、現場実践をしているとそうではないものにもたくさん出会う。

たとえば、理想と建前という理想を追うことを事実上諦めて上手く生きていくという現実から逃げた考え方でさももっともらしくその現実を受け入れたくないために虚像を作り上げてねつ造した真理で人々を巻き込んでいるものがいる。

本来は、理想と建前を使い分けるのではなく、本当に理想も現実も持っている人が理念を語れるということが何よりも価値があるのにそうではないことがある。

私は理念と言うものを考えるとき、そこに必ず理想と現実が発生することを知っている。だからこそ、そこに向かって皆で歩むことがもっとも子どもたちの社会を見守ることでもあるのだと確信している。

譲っていくものを思う時、形あるものに囚われるのではなく形のないものでも確かに悠久の普遍的な一つの流れがあることを引き継いでいくことが彼らの時代にとってふさわしいと私は信じている。

これからもカグヤは、理想と現実を正しく持って何よりも子ども第一主義の実践に心を籠めて歩んでいきたい。