結い

物事や人事には遠心力と求心力というものがある。

万物は一円のように、そのものを球体していてこの地球もそして月も太陽ですらその原理に於いて動静しつつ存在している。

遠心力とは、離れていく力でありそのものから遠ざかっていこうとする動的なものであり、求心力とは、そのものに帰ろうとする力でありそのものを納めていこうとする静的なものだと私は思う。

すべての生命には、その原理があり、その原理より発生しているという。

これは陰陽の原理でもそうだし、自然界の法則ともいうのかもしれないけれど、もともと常に活きているものだとするとそういう絶対的な揺れ揺らぎの中にある大極にこそ私たちが繋がっている縁なのかもしれないと空想を感じることが多い。

だからそれを理解したからと言ってどうにかなるわけではないけれど、原理原則を学びそれを実践で活かそうとし、天人合一に与えられた役割を感応していこうとするとこれもひとつ避けては通れないものなのかもしれない。

人間は、さも素朴に幼子のようななぜを内包しつつそれを何か未知なるもので折り合いをつけれるときは信仰が厚いということになっている。つまりは、何事も何か偉大な力が働いていると頭ではなく心で感じる時それを受け取ることができる。

自然体や平常心など、今は頭で悟ろうとする人が多いけれど実際はそういうものは今までの生き方が左右しているのであり、それを今からの生き方でゼロにしていこうと努力精進忍耐の上にこそ成り立っていることだと思う。

例えば、慈愛や敬愛、感謝や寛容などの人の徳がある。

これは、頭で考えてできるものではなく常に心の状態を澄ませておけるような純粋無垢な強くて優しい思いやりがいる。

どうしても自他彼此を隔てるととてもそうはいかない、それが同一的なものになるかは心の在り方、素直さにある。

そういう根源的なもの、つまりは存在しているものを感じるという境地へはなかなか意識してはいけないけれど、そこに確かに存在しているものをこの今、その瞬間、そこに感じることができる。

それを直観ともいい、結びともいうのかもしれない。

常にその結い目を曇らせないように、今、ここに全ての命を結集していけるような繋がりの世界に存在していきたい。

かんながらの道の上にあるこの結びの心、まだまだ気づきを深めていきたい。

感謝