信用

商売をしていると、その社業継続の生命を左右するのに「信用」というものが在る。

当然、世の中に貢献するために自分自身の信じる道を貫き信念を持って仕事をしていけばそこに色々な誤解や中傷も受けることが在る。世間の毀誉褒貶は自分の在り方を示す機会でもあり、逃げるのではなく誠意をもって正しいことを実践していけばそのうちに悔悟してくださり本当に子どものことを何よりを思ったのだと分かってくれる日がくることを信じてもいる。

しかし、商売では皆が同じことをニーズにしているわけではなく、それぞれの方々に意見があり要望が在る中で皆が好むことだけをすることはできない。時として、ある人からは称賛されある人からは非難される。しかし、それであるから個々の意見を尊重し皆がそれぞれに正しい選択することができお互いによりより社会を全体で築き上げていくためによりより切磋琢磨して高めあっていくこともできる。

もしも良い好敵手に出逢えれば企業も豊かに大きくなるし、そうではない稚拙な醜い争いに巻き込まれると周囲も妬みや嫉妬などの強欲に取り憑かせてしまうことにもなる。

だからこそ時代がどうであっても変化が急であっても、何よりも理念を重んじ大義を立て自らが正しい商売、つまりは王道にあるような誠心誠意とまごころで御客様に勤めさせていただく感謝と御蔭さまの心で仕事をすることが大事なことだと思う。

しかしそんな中、自分のものでなかったり借りものやかりそめの真理を利用し、信念や思想が崇高だからとそれにカマケテ本来の現実のお仕事を怠る人たちもいる。

現実の仕事は、社会人として会社の信用をお借りしてお給料をいただくことができるものであり、それは自分一人で出来上がったことではない、お客様との関わりの過去の積み上げた功績や積善、その徳など、真摯に取り組んできた年月で皆で積み上げてきたものでもあり、その気持ちを多くの支えてくださる方々のご縁と機縁の深く広い繋がりによってのみの今がある。

それを忘れて過信し、自分都合の余裕のなさや忙しさを言い訳に自分勝手に作業ばかりをやる方に没頭すればあっという間にそういう会社の信用を潰してしまうことがある。

積み上げるのは長い年月、とても繊細にやっていても、だれかの怠慢で一瞬で失うものがその信用と言うもの。

だからこそ信用を守るために正しく仕事をさせていただくという自覚がまず信用をお借りする仕事の姿勢であるのに、それを傲慢であったり驕りが在る人たちは自分がやっていると勘違いしている人が多い。

会社でのそういう人は、給料はもらって当然と言い張るし、休みはあって当然、これだけやっているのだからやこれだけやっているのになど、基本的には謙虚さがない、つまりは自分の存在ばかりを大きくみせたがり責任転嫁と言い訳ばかりをし大事なものや守るべきものをお座なりにして周りに迷惑を懸けて自分の地位を確立しようと躍起になっている。

世間では出来ない人と言われ、周囲がいつもその人によって自分のやりたいことをやれなくさせられるという自分勝手な人のことを言う。

もしもそういう人は政治家であれば政治生命を失い、商売人であればいつかは倒産し、聖職者はその地位を失うというように、何でも謙虚に信用第一で物事に取り組まない人は竟には自分の信用を失うだけではなくその先にある会社の信用や社会の中での仲間の信用、すべてを傷つけることにもなる。

信用を守り抜くというのは、周囲の御蔭さまと感じて責任を持って仕事を行うことを言う。

だからこそ、どんな仕事にも結果に対しての自覚と責任を持ち、何ごとも御蔭さまや自分にさせていただくというような感謝の心で働くことがなければその人に信用がつくこともないし、それが周囲に及ぼすこともない。

基本として、何でも自分の思い通りになると勘違いし、自分がやっているや自分の御蔭だろというような人たちが増えている昨今、本当に自分が何によってあることができるかということを考え、常に日々有難いと感じる心を育てていくことに気をつけないといけないと思う。

例えば、最近は施設を廻って相談していても保育でも、教育でも気になる子と言われる軽度発達障害の子どもたちを疎み重荷に感じる先生が多いけれど、その子どもたちの御蔭で自分たちが先生でいることができるし、大切な気付きをいただけることを忘れてはいけないし、その子どもたちに仕えさせてもらうことで自分が学べることなどを忘れてはいけない。

その子どもたちがいるから自分が先生でいられることを忘れてはいけない。

たとえ業務が忙しいからとカマケテ大事なのものを置き去りにして何の信頼関係で何の自己実現なのかと思う。

自分があるのは、そうやってお勤めすることができる相手がいるからだと思えば有難いなぁと心底謙虚になるはずだし、だからこそ何よりもこの信用を守って働かせていただこうという気持ちにもなるものだ。

自分一人で生きているなどと傲慢になる人間が、他を孤独にし他を深く傷つけていくことを思うと、凛としてそういう人たちが出ないように厳しく指導し、より子どもたちには謙虚と謙遜、感謝の気持ちで働く実践をしてモデルを示していきたいと思う。

傲慢や驕りを捨てるのは、周りを大切に生きていくという自覚を持つこと。
常に、信用第一のまま信念を貫けるような自分を磨いていきたい。

この今も、存在させていただけることに喜びを感じて今日も働けることに感謝していきていきたい。