留魂の志

今年も無事に萩の松下村塾へ参拝することができ、その志に触れることができた。道を歩めば必ず通る人たちの足跡を訪ねるのはその楽しみを感じることであり、様々な艱難辛苦を天からの贈り物として正しく受け取ることができるに至る。

何よりも天という気を自らの心に悠然と放ち、人の性を尽くすにはその志が根ざす元気によるものであると私は思う。私は多くの方々や師によく「元気が善い」と言われることがあるけれどそれは根源にある志から無限の気が滾々と湧き上がってくるからである。

橋本佐内の啓発録にこうある。

「志のなき者は、魂なき蟲に同じ、何時迄立ち候ても、丈ののぶる事なし」

啓発という意味ではとても力強い自己への発奮であると思う。志がない人は魂がはいっていない虫のようなもので、いつまでまっても何も変わらないということであろう。生き物に魂があり、その魂に気が篭ることで人は体を成長させ世の中で活躍していくのだ。

そして志とは努力と忍耐により根気強く育もうとしなければ内外ともに姿形を顕すに至らない。たとえ誰でもどんな能力があろうがなかろうが志を持って日々に凄めば必ず大器晩成し、そこから万物の変化の魂になりこの世に進化の兆しを刻むことができる。

生死の証は今を照らす漆黒の宇宙にある星のようである。

今年もふり返れば様々な出来事から志を醸成する機会に恵まれたことに深く感謝している。何事もなきことの中に確かな何事かがあり、何事かがあった中に何事もなきことがある。つまりは、万物一切空であるとはそういう透明な存在でありその透明なものでいるということである。

それを魂というのではないか。

その水のような存在が澄んでいれば自然に天の気に流れが近づいていくのだろう、そしてそれを実践することに至誠がある。

その生き方を示してくれた先人の生き方や生きざまこそが私の魂を揺さぶりそして新たにしようとする志を育んで生きる。子どもたちのことを思へば思うほどに、未来に譲れるものとはその魂を留めておくことでありそこに確かな道程を刻むことであるように思う。

勇気を一歩を踏み出し、挑戦し遣り切るような充実した人生を子どもたちにも歩んでほしい。私が師から自然から学んだ心は、この天の気であり、そして人の道を愛するということであることを伝えていきたい。

今年も本当に沢山の出逢いと得難い出逢いに巡り逢いました。皆様との一期一会に心から感謝して、来年も変わらず一緒に歩める道中の心健やかで安らかであることを祈念しています。