三日坊主

脚下照顧し、立志を透徹するために学問をし日々を大事に過ごしていき道を安じていく中で今はコンサルタントという仕事を正しく行うことが本業をするということになる。

自分自身ではないけれど、それを人に及ぼしていくというのは本当に難しいことでありどんなに才能豊かな人でも弛みない継続と努力なしには花も実もつけることもない。

ただ安楽を貪り先祖の遺徳を使い切っているのでは、子々孫々へもそういう怠慢怠惰な人格を引き継いでしまうことになる。強い意志を持ち、士魂の精神で人々の苦しみを救済していくこと、人々に貢献することを決意するなら俗物的な人生に流され歩むわけにはいかない。

自分の人生を志のために使い切ってこそはじめてそこでそこで立派なコンサルタントであることが示されそれを究め実践する姿勢、それがこの道を目指す処であり平常のあるべきようだと年々思う。

吉田松陰の弟子に品川弥二郎がいる、松下村塾に入塾していた時は15歳の少年だった。とても正直で素直な明るく無邪気な性格であり、学問の可能性が高いことを見抜いた松陰は他の塾生とともに真剣に接した一人であった。

その弟子が様々な俗事で塾に来れなくなたっとき、松陰は下記のような手紙を送った。

「弥二の才、得易からず、年らなりと雖も、学功なりと雖も、吾れの相待つこと、則ち長者に異らざるなり。如何ぞ契かつ乃ちしかるや。時勢は切迫せり、豈に内に自らおそるるものあるか。抑々すでに自ら立ち、吾れの論に於てくみせざるものあるか。逸遊傲戯して学業を荒廃するは、則ち弥二の才、決して然らざるなり。説あれば則ち已む。説なくんば即ち来れ。『三日を過ぎて吾が友に非ざるなり。去る者は追わず、吾が志決せり。』」

訳せば「弥二郎の才能は、なかなか得られるものではない。年が若いといえども、また、学問が未熟でも、私が弥二郎を待っているのは、私が教える他の塾生と同じように変わらず真剣な気持ちで教えようと思っているからだ。世の中の動きは、とても切迫している。何か自分の心の中に不安や恐れるものがあるのであるか。そもそももうすでに自立しているのだから、それは私と論ずることをすべきである。もしも安易な気持ちで遊び、学業を怠ると、弥二郎の才能は、本領を発揮することは二度とない。『三日過ぎて塾に来なければ、弥二郎は、私の友でも同志でもない。去る者は追わない、そう私は心に決めているぞ。』」

どんな人物も継続していることを怠っていて本物の人物になることはできない、学問の大成とは厳しい自然の中の生命のように日々月日を怠らず真摯に勤めるように常に動静行き来し相経ち途絶えることがないようなものなのだと思う。

どんな川の流れも永続への久しさがあり、どんな生命も片時も休むことはないように学問もそのようにしてこそ本物と一体になるものであると思う。ちょっと世間上の休日に入ったからとすぐに実践を怠り求道しないようならそれはまだ志が立っていないのであると私は思う。

そしてこれは松陰の次の言葉にもそのことを書いている。

「学問の上で大いに忌むべきことは、したり止めたりである。したり止めたりであっては、ついに成就することはない。」

これを訳せば、「学問で何よりも危険で絶対にやってはいけないことはやったりやらなかったりすることである。やったりやなかったりしては最後に成就することもない。」という意味である。松陰は死ぬまで実践を怠らなかったからこそあの死生観を持つに至り道を最期まで貫くことができた。

これは私も今の仕事をしている中でもっとも大事なこととし座右にしている。同じく師もこういうことを真摯にやることが俗人との差であると私はいつも感じている。凡人ではない部分とは、非凡になるまで継続しているからである。それが至誠である。

そして他にも現代の芸術や音楽の一流の世界でよく使われている言葉がある。

「練習を一日休むと自分にわかる。
 二日休むと批評家にわかる。
 三日休むと聴衆にわかる。」

何でも三日坊主では、どんなことを言ってもそれは形にはなりはしない。口先だけで実践を怠る人を人は信用しない、それは誠意がないからである。友人としてもそういう友人とは親しくなりはしない、当たり前のことができてはじめて同じ土俵なのである。

正しいこととは、誰が見ていなくても天が自分を見ているとし怠らず休まずに続けることである。

ブログでもそうだし、思想に栄養分を与えることもそう、大器晩成とあるように自然がそうやって生命を偉大に育むようにじっくりとそして長い時間かけてこそ今の私たちの進化成長があるのはこれが造化の理であるのだと思う。

今年は私は社業の同志とともに実践をするけれど、松陰と同じくし三日待ってもだめならば去る者は追わずと心に決めて歩んでいきたい。

何より、厳しさと優しさを併せ持つ信じる道、慈愛の心で見守るを学び実践する以上、この道を粛々を歩み真心の実践を積み上げていきたいと思う。