節目と道心

人生には節目というものがある、それは自分の人生を自分らしく生きていくために時にそれを本人は試練と感じたり、それを時には幸運だとか解釈をしその節目というものを積み重ねて人生を通して立ち上がっていくものであると私は思う。

その節目には、それを本人がどう捉えるかという生き方や在り方というものが左右しその時々の選択の如何により人は自らの進路を自らで定めていくことができる。

生きていくときに先人の智慧や叡智を活かすというものがある。

これは例えば、運不運をもっと長い目で待ってみて判断するという楽観的な発想で大極を感じたり、すべての出来事を天からの贈り物として有難いと感謝する心で知足観で安心し、出逢いと別れというものの中に探していた真の宝物が見つかるなどというように一期一会を楽しむというふうに、それぞれ生きていくことを素晴らしいものにしていこうとする積極的な発想を持つためにも色々な先人の格言などを通じて自分の視野を広げ余裕とゆとりをもって悠然と生きるための工夫をしていくこともできる。

しかし、幼い時より苦労が少なくそういう節目の体験を積んくる機会がなければそういうことを学ぶ機会にもなかなか回り逢わないものだと思う。大人が先回りして手を出したり、いつも本人は困らないようにとしていたらいよいよ節目が活かせなくなる。

もしも本院が挑戦をしたいと思い、腹を決め、行動を起こせばすぐに事件は起きるもの。

それを怖がらず、これが自らで切り開く道だと信じて自ら納得してしっかりと歩んでいけば必ず足元や身近にいつも見守ってくれている存在がいることを感じることができ、安心して明るく健やかに生きていくという正道にいつかは出会うのであろうと私は信じている。

節目とは、自分の人生にとってこれからどう生きるかというものを迫られるものでありそれはどう死ぬかということもあわせて迫ってくるものである。

自分がよりよく楽しく豊かに生き幸せにいることは、周囲に善い影響を与えることになる。人は、いつも誰かに迷惑をかけているのだからマイナス思考になるのではなくプラス思考にそれを捉えて自分が善い人生を歩もうと思うことが皆の社会を好循環させ発展させていくためにも大切なことだと思っている。

今の時代の人たちに増えているのは、他人との関係で傷つくことを恐れ、苦しみや辛さを避ける傾向があり、そんな苦しい思いをするならばいっそ一人でひっそりしている方がいいと、自分からいつも一人でいようとしようとする孤立を好みマイナス思考になる傾向がある。

これではそういう自分本位の考えて狭い視野で生きていくことを選ぶことであり、それではもっと未来が明るく楽しく開けていて世界は広く大きいということを周囲の人たちをよく見て協力していこうということにも気づけないということになる。

これは以前、師も話していたのだけれど少子化で子ども同士の触れ合いが減り幼いときから人と人との間での摩擦が少ないと将来それに耐えることができないと仰っていた。人といなければ、人の間にいなければ節目を大切に安心して学ぶことができない。

人には繊細な人もいれば、おおざっぱな人もいる、優柔不断な人もいれば、行動力のある人もいる、しかしそれは個性だけれどそういうお互いの違いを越えてもお互いが守りたいものや大事にしているもの、共通の道徳観や理念や信念を守ろうと力をあわせてお互いの摩擦も打撃も恐れず一緒に生きることを選んでいくのが本来の私たち人間の命の欲求であると思う。

裕福な時代、経済が優先され、金や物があふれて、過剰な保障保護をする社会では、そういう人としての当たり前の部分が次第に弱くなっていくのであろうと私は思った。

子ども達には、関わり合うことでしか生まれない真の友情や、美しい愛情、そして素晴らしい感動や青春など、付加価値がたくさんあることを実体験でイキイキしていくことを率先し、道を歩むことのかけがえない価値を伝えていきたいと思う。

道心を持つ人を一人でも多く増やし、世直しを楽しんでいきたい。