一体感とフォロアーシップ

人間には個性や価値観があるけれど、組織や集団の中でどのような自分でいるのかというのは別で選択していくものであると思う。

よく会社などでも、大きな理念や集団で大切にしているルールなどに自分をあわせようと努力変化をする人もいるけれど一向にいつまでも努力しようとしない人がいる。

そういう人は、努力すれば変われるのに決して変われないところばかりに努力をしようとし、その結果、いつも愚痴や他人のせい、もしくは自分の殻に引きこもったりと本来の努力を怠る心に依存し浸っていく。本来、狐に狼になれといってもできないし、ワニに鷹になれといってもできるはずはない。そんなことをいつまでも勘違いし、それになれないと苦労している人もいる。

そうではなく努力できる変化とは、自分よりも大きなものにあわせていくことやまず相手や周囲を活かそうとすることでもっと皆と一緒に何かをあわせていこうとする努力でもある。先ほどの例えでいえば、狐と狼、ワニも鷹も大きなものにあわせて協力するために各々が努力してできるようになるということだ。

どんなスポーツでもそうだけれど、チームワークで何かを行う際にはリーダーやフォロワーというものがある。先日のサッカーでも大変世界で評価されたのは見事なフォローワーシップや、アシスタントシップ、日本のチームが強かったのはそういう皆で支え合い大きな力を発揮することで個々の持っている能力を最大限活かしたことによる。

つい個人技や個人プレーに重きを置くところは自分がどんな結果を出したかどうか、また自分ひとりが評価されるかどうかを気にして周囲との協力をしようとしない。

その結果、皆がバラバラになりチームとしての力を弱体化しさらには結果も出せなくなって愚痴ばかりをいうようになるといつまでも停滞感の中でまとまらない力で何も成果が上がらなくなりなんとなく曖昧な感じで取り組み心身ともに疲れていく。

本来、人は自分だけで仕事をすることは絶対にできない。相手がいるものだし、自分を自由にさせてくださる周囲や組織、会社などというように自分はその御蔭で成り立っているもの、それを乱暴にすれば必ず落とし穴にはまる。

仕事で成功し、リーダーシップを発揮する人とは本当は最高のフォロアーであり、至高のアシスタントリーダーなのであると私は思っている。私自身、いつも自分のことよりも如何にリーダーを支援できるか、仕事を通して周囲がどれだけ働きやすいかということばかりを考えている。

それは自分だけの視野の狭い料簡での結果がどうこうではなく、本質的な目的に対しての結果を出すためにも、自分がどう全体のフォローや周囲の人たちをアシスタントし、そのパスワークを潤滑にしていけばいいかを常に考動できていなければチームにはならないからだ。

別にその人が相当な自信があり最初から一人でできるのならば、一人で独立して一人で勝手にやればいい。しかし、そんなことはできないからこそ自分から協力をするためにまず自分から相手と助け合っていかなければ目的ややりたいことが実現しない。

常に会社から最高の評価を得るにはまず自分がやりたいことばかりや自分のことばかりを優先するのではなく、如何に全体のやりたいことを自分が支えているか、どこにどう自分の仕事を動かしていけばみんなの仕事が動きやすくなるか、全体の流れがよくなるような見通しを立てた機敏な動き、全体と一体になって協力しながら働くということが大切なことであろうとも思う。

よく全体を観よとあるけれど、できない人はただ全体を観ればいいと思っている。そうではなく、次にどう動けば周囲がより動けるかや、皆が動いているからこそどこに仕事のバトンを渡せばいいか、業務でいえば相手や周囲が次に走りこんでくるところに如何にパスを出すかというようなことができてはじめて全体が観えているということになる。

自分のことばかりで必死になれば、皆が立ち止まらなければいけなくなるともうそれは試合にはならない。

まずは立派なアシスタントができて本物の仕事、それをやるには自分のことができなければならない。まず自分のことではなく、皆のためにも自分のことができるようにすることが社会人のはじめの自立であると私は思う。

社業を通して、協力ということの本当の意味を表現していきたい。