変わる勇気

ペイフォーワードという映画ある。これは世界を変革するということをテーマに、どのようにすればいいかということを子どもがアイデアを出して実践をするというようなストーリーになっている。

具体的には自分が三人の誰かに、その「当人では出来ない難しいこと」をして助けてやり、助けられた者は、また違う三人を同じように助けてやるということが最大のキーワードになっている。

これは世直しにおいてとても大切なことで、誰でもできそうなことやちょっと頑張ればやれそうな手伝いをすることはできても普通はよほど本気でなければとてもできなそうなその人が一番難しいことや一番困っていることをまるで自分のことのように受け止め、その難しいといわれることを自分からやってのけてみせ、その人へ変わる機会を与える事であると私は思っている。

これは私のコンサルティングの仕事を通じているといつもそんなシーンに出逢う事が多い、そして子どもたちのために勇気をもってできそうにないことに挑んでいく先生たちと共にあることが社業においてもっとも幸せなところであろうともよく感じている。

例えば、子ども達のためにと同業種を問わず、見栄も偏見も捨て皆で助け合い学び合い、素直に子どもから学んでいく姿などもその一つであり、また子どもたちの発達を信じて忍耐強く根気強く見守り続けたり、心を籠めてひとつひとつの出来事をチームの協力と信頼で継続したりすることなどどれも変わるための勇気を拝見し感動することばかりである。

しかし、通常人は誰でも人を救いたいなど子どもは守るなどというけれど本当の意味で、この「できそうにない難しいこと」を遣り切るまで本気であったかどうかというと疑問が多い。

仕事の範疇でや、勤務時間内でや、お金の範囲でなど、常に何かできそうにない理由を並び立て、ある意味でできそうなところでやったのだからと自分を慰めようとする人が多い。

しかし、遣るならば本気で遣り切るということが何より世界を変えることにおいて大変重要な意味を持っていることに気づいていない人が多い。

まず自分自身のことでも日々の習慣を変えるべくできそうにない難しいことに挑み克服することもできないでどうやって他人のことをすることができるのか、それはできるはずがない。

それを思うとき人助けも世直し行もすべては「強靭な意志の力での習慣の克服」ということがキーワードになってくる。つまりは弱さや甘えに意志の力で打ち克つということである。

人は皆誰も弱い、何もしなければどんどん弱さに負けて自信を失いそのことで日々の暮らしに埋没してなんとなく流されるままに生きてしまう。それが悪い習慣になってしまえば、自分の周囲の世界を自分から変えることはできず、もしも自分の周囲の世界が甘ったれた悪いものになっていたらまるでその世界の古い住人のように染みついてしまうもの。

いつまでもそれでは変われない。

逆に善い習慣を身に着けるには、状況や環境に左右されない克己心がなければ自分の周囲に善い社会を創造して世直しできる力は具われない。大事なことは、常に自分から世の中の善くしていくために日夜周囲を見渡し人助けをし難しいことに挑み続けて自らの人生の質を高めて向上しようという決心を貫くことが自分の自由を掴み取る方法でもある。

話を映画に戻せば、その映画の後半で主人公の子どもがテレビ画面に向かってこのペイフォーワードについて語りかける言葉がある。

『だけど日々の暮らしに慣れきってしまった人達は、良くない事変えられない。
だからあきらめてしまうんだ。あきらめたら負けなんだ。
周りの人達がどういう状況かをもっとよく見る努力が必要なんだ。』

これはどういう意味かというと人はみんなそれぞれに変わりたいと思っているもの、しかしもう慣れ親しんでしまってそれを諦めようとするものだ。しかし、よく周りの人たちのことを見てみるともっと自分がやれることがあるのではないか。まずは自分がやることがあるのではないかと思うことではないか。

人は一人では生きられない、弱いし、すぐにダメにもなる。しかしだからこそ、人は勇気を持ってその人たちのためにもその人ができないことをやってのけて勇気を示し弱さを克服して強く優しい人になっていくのではないか。

私たち子どもたちに関わる人は、こういう気持ちがなければならない。

社会を変えていくのは、未来を創造するのはあの子ども達だからこそ私たちはその社会を譲り渡していく使命を持ち自分を変えることを諦めないようにすることで世界を変えていこう。