意識の壁

新しい状態になるには今までの意識の壁とも言える自分の癖、つまりは思考のパターンを超える必要がある。

これは新しいところのことはその力を使う場所が違うのだから、今までのような同じ力の場所でやろうとしないということでもある。

例えば、先日山登りを社員でやった時、ある社員は山登りはスイスイ登り疲れもなくその後の筋肉痛などもないような若さと元気であった。けれど、翌日一緒に農作業を行うと大変だったようで山登りを三回した方がましですと疲れたようで若いから回復は早いのだけれどすぐに休んでいた。

これは、何か筋力を使うことであれ山登りなどでの筋力と農作業での筋力が異なることを意味している。使っている場所が違うのだから、当然今までの持っている場所ではそれは通用しないということだ。

農作業をするには、農作業の筋力を付ける必要があるし、山登りをするには山登りの筋力をつける必要がある。もっと例えば、バレーの選手がサッカーをするにはそれなりの大変さを必ず通るものだし、マラソンの選手が、卓球をしようとしたって最初から学び直し体力をつけ直すというものが必要になる。

しかしつい人は、同じようにどのスポーツであれどのジャンルであれ同じようにできるはずだと勘違いしているものである。

会社でいえば営業の仕事とコンサルティングの仕事は、先ほどの山登りと農作業のように異なる。

同じように考えるといっても、考える力も程度もまったく今までのものとは異なる。当然、基礎になる体力というものは必要なのだけれどその上にもっと大変な深く掘り下げたり深く潜り掴み取ってきたりという真理探究や問題の根源の解決など仕事の責任など全ての質が変わっていくもの。

それを同じように山に登れるからといって、農作業ができると勘違いしているのが大きな間違いなのである。

何かを学ぶには、常に心機一転の新しい心境を持つ必要があるものだ。

日々新たに学ぶというのは、常に新しいものを学ぶ姿勢が必要でそのために必要な筋力トレーニングも、心構えも、知識も進め方も遣り方も、全部最初からやり直す方が近道であり早かったりするものだ。

それは保育の概念でもそうで、今までやってきた保育と、見守る保育とは観点も心の姿勢もそして具体的なやり方もすべては異なってくる。

そういう今までの経験という意識の壁を超えられるかどうかが、変化成長する際のカギになっているのであると私は思う。

変化を望むなら、今までの自分のスタイルを捨て去る勇気と、新しいものへ挑戦するための勇気がいる。

そういう勇気は、自分の使命感や将来像、そしてそれにより何が起きるのかという「希望」と最期まで遣り抜くという「意思」の力が必要になる。

生命が生長するためには、自然界にあるような以上の真理が必要になる。

もっと心で感じて心で進むことだと思う。それは子どもが自転車に乗るように、ワクワクドキドキしてやってみたいという気持ちを前面に希望と諦めない根性、つまりそれは七転び八起きであり、またトライアンドビルドである。

子どもたちの未来は、今の自分の心の在り方が決めるのだからしっかりするのだと自分を示していきたいと思う。