弱さを愛すること4

自分に正直に素直に生きるということができることは、他人に対しても正直に素直に生きることができることをいう。

人を偏見で見ないことは、自分を偏見で見ないことを言い、相手の心を感じるのも同じように自分の心に素直であれば以心伝心になっていく。

自分に無理をする人は、他人にも無理をする。

そうやって自分の心に従わず誰かが言ったからと無理をして自分を殺して集団の中で心を埋没させれば自分が誰なのかということもわからなくなる。自分らしく生きることは、自分の正直になることを言う。

それはできないことはできないといい、できることはできる、困ったことがあれば困ったと言え、助けてとあれば助けてと言う。こういうことを自然にできるのは信じる事ができているからである。

自分を信じることは、自分のあるがままを受け容れていること。そして他人を信じることは、そういう他人を自分との付き合い方と同じように接していくことを言う。

よく他人を疑う人は相手を見てから判断しようとするけれど、いくらでも誤魔化せるものだし隠すことはできるもの。もちろん全部見せないというわけではないけれど、自分が大切にしているものやその価値観などはオープンにしていくことが周囲を安心させることでもある。

無理をする人たちは、それぞれに何か不自然で異様な雰囲気を周囲に醸し出していく、そこから無理の関係が生まれ甘えを押し付け合い調和や協力を生み出しにくくしていくもの。

そしてその無理にある意味で酔ってくる、つまりはこれだけ自己犠牲をしているのだからもういいだろうという自己満足である。そうなると、自分を大切にしようとはせず他人のことばかりやっていくうちに周囲にも自己犠牲をすべきだと迫るようになっていく。

これでは弱さを愛することはできはしない。

弱さを愛することは、自分を正しく愛することである。
自分のすべてを自分として一度丸ごと認めて受け容れる事である。

世界中でたった一人の自分を自分が大切にすることである。

それは自分を甘やかすのではないし、自己中心的にやったわけでもない、それは自分のことを信じるという生きる上での心身のパートナーである自分との当たり前の関係を築くことである。

こういう関係を築ける人が自分が幸福になり他人も幸福にできるのであると私は確信している。

弱さを愛することは、自分を大切にすること。

子どもたちは今の社会の構図そのものにとても苦しんでいる。特に両親がつらい思いをすることを一番つらい思いで寄り添ってそれを一緒に乗り越えようと必死になっている。

子どもたちを見守ることは自分を見守る事である。
まずは私がその輪を積み上げていきたい。