人生の仕事

仕事では責任を自らで持とうする人と一向に責任を自らで持とうとしない人に大きく分かれている。また他人から与えられた時にその責任をポジティブに考えている人と、ネガティブに考えている人がいる。

誰かにいつも決めてもらえるような教育や今の時代のような誤った個人主義の社会環境が影響を与えているのであろうとも思う。

自分だけでやらないといけないというのと、皆と一緒に自分がやらなくてはいけないのではその心の在り方も異なってくる。

自分だけでやりたくないからとあまり何もしないことが責任を回避できると思っている人たちもいる。

しかし仕事でも何でも、皆の中で自らの結果に責任を負おうとはせずやっただけで誰か任せというのでは皆に必要とされ求められた価値やその大切な任務を遂行することはできはしない。

何かの組織に存在するということは、当然そこで自分が何かの業務を任されているということである。ただ何となくやっていればいれるはずはなく、自分が何を自らで責任を果たすかということを理解しているかどうかによる。

そしてその結果というもので任務を如何に効果的に正しく遂行したかが自他に明確になり、自らがどのような価値を生んでいるのかを自覚するができる。

自己評価するにも、その責任が何なのかを理解しなければ価値も評することもできないものだ。

会社の事業でも、社会やお客様により評価された結果が利益や契約数で明確になるように、社員も社長も誰しも期待されていることに対してどのような責任を果たしているかでその評価は自然に得られるものである。

しかし責任を果たさず、曖昧にしていつまでも責任回避をし自分が負わず現実から逃げるようなことをすれば反省ばかりするわりに何も組織に貢献できないようなことになってしまうことがある。

今の政治などもそうだけれど、責任の意味をはき違えているように思う。反省ばかりするけれど、どのような結果責任を果たすかは一向に述べようともしない、やっていますやっていますと頑張っていることを伝えてもどうしようもないのである。

人間はせめて自分の行動に責任を持てないのでは納得する仕事もできはしないし、そんなことをいつまでも続けていたら自分の価値は下がっていく一方である。

本来、自分の価値を確かめるのは自分なのであるからしてその結果責任というものは任務を遂行するうえで大切なモノサシになる。

どれだけ期待に応えられたか、どれだけ期待以上の成果を出したかということに自分自身が徹底的にこだわらなければ自分で納得することもできない、それはただの自己満足である。

どのような結果に応えることが任務を確実に遂行することになるのを先に確認し、それをスケジュールや納期に代え、そのテーマや本質、今後の展開など、ありとあらゆるものを前もって明瞭に自得しつつその結果責任を自らで納得をし正しく負うことが大事なのであると私は思う。

結果だけという意味ではなく、その結果責任というものにこだわることは現実を受け容れ正しい努力を行い、自分に責任を持って生きる事である。

自分から主体的に結果に対してシビアになることはとても大切でそれがあるから結果以上にそのプロセスを大切にできるのである。そしてプロセスである理念やこだわりに対して責任を持てる人とは自分の人生を自分で決め、そのことに責任を負い、同じように理念やこだわりにも責任を負うことを誇りにすらしているものである。

いつまでも何も決めず、責任を負わない生き方をしていたら迷惑をより周囲へかけてしまうもの。仕事とはライフワークである、つまりその人にしかできないことを一生をかけて行うことに責任を持つことである。

それがライフワーク(人生の仕事)であり、自分でしかできないことである。

そういうことを子ども心に持てるように、今の大人は自分の生き方に問いを持たなければならないと思う。本当に自分はこの道で生きていくのか、そしてそれを人生の仕事にするのか、結果に対して納得するほどに責任を持つのかということが大切であると改めて思う。

自分にしかできない仕事とは、自分の一生涯懸けて取り組む人生のテーマでありライフワークである。これからも納得して働けるような職場環境をカグヤでは子どもを見守ることとつなげて実践していこうと思う。