仕事の姿勢

仕事を通してや日常の中で、色々なことに失敗することもある。特に失敗の理由を見つめず相手に押し付けるようなことをするとそれはただの失敗になる。

その仕事を極める時や日常の道の誠心誠意の実践の中で気づかなければならないし必ず改めなければならないというものがあり、そのコツを得るというものの機会への在り方や姿勢が失敗そのものの価値を決めている。

当然、時折、周囲に迷惑をかけてしまい大変申し訳ないと悔しいと思うこともあり、なぜと見つめるとそれは必ず過去とその時に在り方、取り組む姿勢にどこか慢心があったりし先延ばしにしたり、準備不足だったりと、結局は自業自得なのである事が多い。

小さなことや細部を侮り、用心深さや注意深さ、危機感や問題意識よりも自分の快楽や欲望を優先すれば必ず禍は向こうからやってくるもの。

だからこそ、日々に起きることやこれから起きることに対して、自らが「これは善くない」と思ったら熱湯に手を入れるようにすぐ改めるというのは何より大切で、そういう日々の粛々とした厳正なる取り組む姿勢が仕事という社会貢献への姿勢、つまり生き方の姿勢になり志高く学んでいけば失敗というものも成功というものもすべては大事なものになりそれで事を為していることになる。

相手を思いやり、自分を恥じ、相手を尊重し、大義を貫くような人としての道の上で行われるものが真の反省である。それがない反省は動物と一緒であると孟子も説いている。

論語に「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」である、過ちをするものだとし日頃から慢心を改めて感性を磨き高めなければ何も極めることができない。

しかしテクニックばかりを気にする人は、自分にすぐに得意になるもので自分が慣れているからこそさもできるはずと慢心し、用心深くひとつひとつを丁寧に注意して取り組むことを忘れてしまうものである。

よく現代では仕事に慣れているからといい加減に処理したり、流れ作業のように知識やテクニックだけでできるものだと勘違いしている人もいる。

勉強ができ知識が豊富、そして技術もわかっているということにたいした意味はなく、そういう優等生のように生きてきたからそういう仕事の本来の姿勢を学ばないのであろうと思う。

しかし本当の仕事とは、社会貢献や人のお役に立つために行うのが先なのだからその姿勢として自分に驕らず謙虚に感謝の気持ちを前面に出し、用心に用心を重ね細心の注意を払いながら心配性だと言われるくらい丁寧に進めることが禍や事故を起こさないためのコツでもある。

物事に処すときの在り方ができていない人は一向にテクニックや知識などの得意な分野から出ようとはしないから、なんでも多動にやっているけれど、何も積み上がっていないことが多くいつまでも気づくことが少ない、だから失敗してもそれを本当の意味で次へ活かせない。

本来、人は作業ロボットや結果重視の機械ではないのだから優しく秀でた人になるために心を磨き人に常に周囲を思いやれるようなお役に立てる生き方をすることが仕事の場で学べるということであり、仕事で失敗をしないよりも単に周囲への評価などの対面体裁よりももっと大切な人への配慮や気遣いから人生を通して反省や気づきを実践することの方がもっと重要なことなのである。

今の平均的な学校教育の弊害は、そういう生き方や志や姿勢よりも、まず知識や技術、テクニックに偏りすぎなのであろうと仕事を通してもそういう現場をよく感じる。

それはそれであればあった方がいいのだろうけれど、使い手の心をその基礎をまず最初に身に着けさせなければ後でその人が大変な迷惑を社会にかけてしまうことになることに責任を持った方がいい。

現在、新入社員研修を実施しているけれど、大切なのはすぐになんでもできることではなく、一つ一つに心を籠めて丁寧に注意深く配慮し、慢心せずに反省を繰り返し日々心体技の順で正しく行うことを示している。

心は無限、それを実践する体は行動と責任、そしてそれを使い自らの才能を活かす、これはどこまでいっても人間はやり方ではなく在り方が先なのであろうことが仕事の本質であること。

子どもの仕事をする会社だからこそ、何よりもそういう人としての道や仕事の姿勢を大切にしていきたい。