質への転換

物事を感じるとき、それをどのように自分が質へ転換できるかどうかに人間としての価値が生まれてくるものであると思う。

どんな物事があったにせよ、それを自分が深く探り取るかどうかというのは質へと転換できるかどうかによるもの、量だけを経験すればいいのではなくやっぱりそこへは高めたかという日々練磨修養を積み上げていく生き方が大事なのであろうと日頃の経験から感じる。

人との出会いであっても、質が高まるものにしていくのは自分がより一層出会いを大切にしたいと願う生き方の実践が如実に関わりに顕われてくるもの。

素晴らしい物事との出会いとは、そのものとの深い関わりを感じることでそれを紡ぎ合わせていくなかで人生の妙味を楽しむこともできるのであろうとも思う。

そしてこの転換には、色々と捨てることができるかという新しい境地への挑戦というものがある。

今までやってきた知識や経験では得られないようなことを今までの範囲で取り組もうとしてもそこからブラッシュアップできることはない。新しいこととは文字通り今まで知り得なかった新境地に自らを運んでいくことをいう。

しかし人は、どうしても今まで慣れ親しんだやり方が捨てられず新しい境地へ入ることができないでもいる。そこには、迷惑をかけるや不安、迷いなどの躊躇いがありどうしても挑戦する気持ちを避けようとするものである。

そういう躊躇いや遠慮が、物事を停滞させエネルギーを枯渇させていくものであろうとも思う。

本当に全体にとって善いか、これは社会貢献できるものかと考え抜くものでなければ動けないように、自他の小さな範囲ではなく大きな視点、大局的な見地で物事は決断することが大事なことであろうとも思う。

如何に長い目で布置を見定め、将来をデザインするか、リーダーの仕事は環境を用意して見守る事ではないかともこれからの時代を眺望していると私はそれをよく感じる。

その環境を通じて人が人と出逢い、そして紡ぎ織りなしていく時間の中で私たちはそれぞれに使命を果たそうとするもの。

大きい小さいでもなく、多い少ないではなく、質を高めるために新しい境地を楽しみ、今というものを感じてその出会いの神妙な不思議を信頼して身を委ねどれだけのものを手放すことができるのか。

人生の醍醐味は常に人との出会いの中にある。
素晴らしい日々は、出会いそのもの。

子ども達には、新しい発見と創造に満ちた豊かな環境を用意して見守れるように社会の在り方に対して新境地を社業を通じて見出していきたい。