理念を思う

利は義の本なりがある、そしてこれは経済とは道徳であるという意味と同質の言葉であると思う。

会社で言えば、どこでも利益を出すことを最優先にし経営をしていくものである。しかしその中で利益に偏ると次第に自分都合の利になってしまいがちであり、そうなってしまうと義というものが次第に見失われていくもの。

そして逆に、利益の方を気にせずに義にばかりに偏ると自分都合の義になってしまい社会へ利も義も循環していくことができなくなる。

この利や義というものを、一円に融合させたもの、それを絶対的なものにしたものが理念である。

例えれば、会社であればその利益は大義のために必要なものかを考え抜いて理念というものを絶対的に定めてそのために何をどのようにいつまでに貢献するのかというものを決める。

その後、それがはっきりと結果で顕われてくるのが数字であり、その数字を見てさらに戦略を立ててより義と利が正しく循環するように貢献するためにバランスを確認するということであると思う。

すぐに数字さえ上げていればや、大義だけがあればなどと一方だけの見方に囚われるのはまだまだ本質を考え抜いていない証拠であり、相対する矛盾を包有した中で本質・本物の仕事の質を追及していくことを怠っているからでもる。

論語に、「利を見ては義を思う」がある。

これを判断するのにその利益は、本当に必要な利益だったのかと考えるとき、その貢献は、本当に必要な貢献だったのかを思う。その利益が、人の道として正しく本当に価値のあるものだったのかと考えるとき、その大義が正しく実践されているかどうかを思う。

つまりは、利とは義であり、義とは利なのである、これを併せ持ったものが理念、その理念を全うすることが原点や初心からいつまでもブレナイで経営をすることに繋がるのだと私は思う。

つい人々が一般的に語られる理念とは、相対的に二者択一の場所で語られる。利益と理念を比べたり、目先の問題と理念を入れ替えたりと、理念というのはそういう場所で使われるものではない。

そこを自覚すれば、事象により迷うことが少なくなり、本来の目的に対して最適な判断を下していくことできるのであろうとも思う。

目の前のことの事象が大きな問題に見えてしまうのは、眼には見えないけれど確かに存在する理念の実践を怠るからであり、本来、どういう理念で会社を経営するのかという道に根ざせば正しい判断ができるようになるのであろうとも思う。

そうやってひとつひとつを正しく経営の道の質を高めていけば、好循環になり巡り巡って利益は自分を通して社会へ環し共存共栄という繁栄と発展を継続していくことができるのであろうとも私は思う。

実践は、頭で思うようにはいかないからこそ理念を学び生長し続けることを本義として何よりも自分を理念に近づかせていく努力や精進を怠らないことであろうとも思う。

一つひとつ丁寧に自分らしく生きること、自分があるがままでいることを理念に定め実践していくことで最終的にはみんなが幸福になる社会を築けると思う。

私自身もまだまだ道を学んでいる最中、様々な出来事に心を痛めることもあるけれど最終的には子どもたちのため理念に近づき、理念に寄り添い、理念と一体になって日々を実践に親しんでいきたいと思います。