平常心を楽しむ

元来、人はプラス思考のタイプとマイナス思考のタイプとがある。人生をきっと善くなると信じて肯定的に感じている人と、きっとよくないと否定的に感じている人がある。

積極的に生きている人は、楽観的で快活であり平常心があまりブレナイでゆったりと穏やかにしている。消極的に生きている人は、悲観的でつねに心が悩み、悲しみ、苦しみ、迷い、恐れ、怒り、憎しみ、、等々とそういうことばかりに囚われて健康も害している。

平常心、つまり心を強くしていくというのは、別にそういう消極的なものを避けたり否定することではない。そういうものをすべて受け容れてそれを善いことへと転換していこうとすることであろうと私は思う。

例えば、どんなことがあってもこれは自分を成長させてくれているのだや感謝というものを忘れないためにや、自分に天が気づかせてくださっているのだと謙虚に素直に実践していくことが積極的でいることでもある。

そうやって実践を通じてひとつひとつの出来事の本質を極めていくことで、それが実際は大変貴重な体験をさせていただいているのだと心底感動していくことが人生を豊かに玩味していくこともなるのであろうとも思う。

自分の心は相手に鏡のように映り描写するもので、自分の心が日頃からどういう状態なのかで相手に以心伝心に伝わってしまうもの。例えば、人との関わりにおいてこの人と一緒にいることで自分は成長することができるや、感謝を忘れないでいれる、自分を気づかせてくれると思っている人はどんなに御互いが苦労があっても共に協力して乗り越えていくことができるもの。

しかし、そうではなく相手と対話を避け自分の中に閉じこもってしまい自分だけで解決しようとすればその心も相手にすべて映り描写し相手も同じように閉じこもることに引き込んでいくようなもの。

不安や恐れ、怒りや憎しみという感情をこれが自分の弱さだと受け容れ、自分をゆるすことで相手をゆるし、さらに発展する新たな善い関係を構築していこうと思えることが心の強さ、つまりは平常心を磨くことであると思う。

動じないというのは、そういう感情に動じないということ。

事象に左右され囚われるのは、まだ本当の相手を心で観ようとしていないからである。その人の存在を丸ごと受け容れるには自分の弱さも一緒に受け容れる必要があるものである。

明るく前向きに生きていくことを周囲が選択できるように、まず自分自身の心を積極的にしていくことが自らを修養し道を実践をしていくことでもある。

笑い、楽しみ、気づき、歓び、思いやり、愛し、遊び、健やかにと日々を生きていくことがどんな時代でも環境においても常に大切であるのであろうと私は思う。

生き方そのものが幸せを創造し、在り方そのもので周囲を幸せにしていくのである。だからこそ私自身が、平常心を優先できるよう遊び心で実践を楽しんでいきたいと思います。