勘違い

社会自体が定義しているものにより、言葉の使われ方も異なってくる。そしてそれは刷り込みという形になって個人の人生にも多大な影響を与えるものであろうとも思う。

昔、ずっとこの国でしか生活をしたことがなかったことから一度世界に出て生活してみるとその国々で言葉の定義が異なることに気づくことがある。

つまりその国の根源理念や社会のあり方によって個人の人生観から周囲との関わり方まですべてに固定観念というものを刷り込まれていくのであろうとも私は思う。

その刷り込みにより、個々がたくさんの間違いを起こす。

その間違いとは、その人が間違っていると拒絶することであったり、自分がされたことや育てられ方で得た価値観が正しいとし、そうではない多様な価値観を受け容れないという間違いでもある。

一つの価値観で埋め尽くそうとするのはグローバリゼーションでもある。そんなことをすれば根本的に拒否したいのだから争いは尽きることもない。

中東での宗教戦争なども、国内でも数々の宗派のトラブルも単なる勘違いだと言えないところに時代と人間の矛盾が存在している。

そうではなく、本は同じなのだからそれぞれの理念に照らして勘違いしていることがあることを気づかせ導くことで多様な価値観を受容していくことができるもの。

個々が間違っているのではなく、時と社会のあり方により刷り込まれて勘違いしているだけだと優しく教えてあげるだけでもその人は気づいて変わっていくものであろうとも思う。

本当の間違いは、個人が間違えていると責めたり裁いたりすることであろうとも思う。

今は集団が個を責めすぎることで悲しい争いが尽きることもなく増え続けている。勘違いに気づき、集団が個に優しくなることで平和な社会を築こうとすることが本来のまともなことである。

話を身近に移せばチームという概念がある、これも社会全体から受けた環境から思い込んだりしている先入観を取り除くことであったり、言葉の定義を見直し勘違いだと諭してあげたりすることでそこから本質的な自分たちらしい社会を理念の下で構築していくことからはじめていくのが大事になる。

特にこの国は今まで組織や集団も社会の影響を色濃く受けて上意下達の階層社会で成り立っていて自分から言われていないことをやろうとする人が組織にはとても少ない。

いきなり今までのそのピラミッド型のトップダウンでやって指示待ちの受け身でやっていた人に「言われていないことが本当は仕事なのだ」といくら教えても急には変わることはできないものである。

ボトムアップ型にしても本来仕事とは何か、働くとは何か、会社とは何かなどといった定義がすでに間違っていては何をやっても裏目に出てうまくいかないのであろうとも思う。

根本から学び直すとは、使っている言葉から見直すことであろうとも思う。勘違いをやめて本質であれということでもある。

言葉とは行動すべてを変える力がある。

言霊をもっと大切にし、何のためにということを皆が考え直すことから社会をよりよくしていければいいと思う。社会とは共生し協力しあうチームであることを意味する、皆で循環できるように助け合っていくためにも勘違いであることを実践にて説いていきたい。