風と流儀

一流風に見せる事と一流であることは似てはいるけれど同じではない。

あるレストランで、一流風にいくらコース料理や店舗を見ても実際に食べてみるとそれが現実的に本物かどうかというのは分かる人が食べればよく分かるように一流かどうかというのはすぐに見破られてしまうもの。

ここでの分かる人というのは同じようなことを本当に苦労して努力し身に着け本気で取り組むことで実力と見識を兼ね備えた人物のことをいう。

贋者というのは自分の力でやったのではなくどこかの誰かに便利に即席栽培のように本人以外の誰かによって”してもらった”となるとそれは本人の実力ではなく誰かの威力などによって一流風でしかないことがある。

最初から自分から地道に健気に真っ直ぐに道なりに添って丁寧に学び、真剣に取り組み、学んでいたら実力は具わっていくもの。

しかしつい楽をして、一足飛びに見た目をそのようにしようとすると読むべき本も読まず、経験すべき経験もせず、実地すべき実践も積まず、乗り越えるべき困難も乗り越えずとなればやっぱり次第に二流のやり方により二流の実力が身体に沁みついてしまうものだと思う。

そういう見た目風を先に学べば、本筋の流がわからなくなってしまうもの。

もしもそれに気づいて自分のあり方を見直しやり方を学び直し、本気で一から取り組めばもう一度一流への入り口が開いていくのだろうとも思う。

しかしそれがわかっていてもいつまでも一向に生き方や在り方を変えない人もいる、自信がないのか今さらプライドが邪魔をするのか素直に「教えてください」という姿勢と態度がいつまでも取れず本物の人物に習うこともできないでいる人がとても多い。

自分で積極的に体験したり学んだりする機会を得るのだと決意して遣り切れるかどうかということにもよる。黙って消極的にじっとしていても、何も変わらないということなのである。

自力で自立するというのは、文字通り「自分の力で学んで自分で立つ」ことであり誰かによって立ててもらうのではない。その自分の姿勢、自分で立つのだと強い意志で決意を固めることであり、今、この自分がどちら側でいたいか、一流風か一流を目指すのかですべての勝敗が決してしまうものであるのだと思う。

そのまま一流風でも普通通り遜色なく作業は一応はできるもの、しかし仕事の流儀から外れていることを自覚しもしもそれが一流ではないと気づいたらどうするのか、即行動するかいつまでも悩み続けるだけで流されるか、そこにその人の真価が問われるのであろうとも思う。

理念というものを掲げ、本気で取り組み本質であるには当然一流としての流儀というものが要る。

その流儀は、本気で学ぼうとする人でなければ伝授されることもないし切磋琢磨しさらなる一流へと磨きをかけていく同志にもなることもない。

自分の実力でなければ当然自信もつかないし、自分の本当の力でなければ見せかけの贋者だと気づかれるのを恐れて腰を入れて奥へと入っていく勇気も持てる事もない。まさに悪循環になってしまうだけである。打破するにはどこまでいっても一流の根本原理は、本気かどうかということであると私は思う。

その仕事の流儀を学ぶのに、この辺でやここまでやったのだからという二流の一流風の仕事の仕方をすぐに改めることが大切なのであろうとも思う。

本気であるとは、最初の心の姿勢、気持ちが決まっているということである。何が何でも自分の力でやり遂げるという意志のことでもあろうと思う。

発達過程の中で、そういう時期もあるのだろうけれど大切なのは流儀をたくさん学び仕組みを覚え何度も何度も挑戦することであろうとも思う。まだまだコンサルティングの道のあり方もやり方も質を見極めていこうと思う。