地球の和楽

色々な繫がりの中で、その人がどのように生きているかというのはその糸を辿りつつ歩み方を観れば気づいていくものがある。

自分から暖かい思いやりの真心で、正直に仕合せを願うように生きていく人と、いつも不平不満や愚痴を口にし、人の不幸せばかりを探して生きている人もいる。

同じ人間であるのに、その生き方が異なることで棲んでいる世界が違っているからまた不思議なことだと思う。

生きているというのは、大自然の中で皆で仲良く打ち解けて活き活きとしていることだと信じている人は人の繋がりの豊かさ真の有難さの中で日々を穏やかに暮らしている。

こういう生き方を和楽というのでもあろうとも思う。

生業を思えば、人は誰も他人を変えることはできはしないことを思うことばかり。だからこそ謙虚に自分の役割を省みれば、できるといえば自分の生き方を変えて示すことで勇気を与えたり、思いやりにより慈しみの情を送ったりすることくらいで精一杯の日々。

しかし同時にその少しの変化、つまりは自分の変化が周囲を大きく変えていくという不思議な奇蹟がこの世の中には満ち溢れていて感動することばかり。

例えば、それは出会いでもそうであり人は人と出会うことで生き方を見つめ、正直に生きる事の素晴らしさ、また志にあることの素敵な感動など、世の中をキラキラと美しく光り輝くものに突然気づいていくのであろうとも思う。

自分の眼差しそのものを見つめるというのは、自分の生き方そのものを見つめることである。

だからこそ、出会いを求め、出会いに生きるような自分の充実して楽しい仕合せであり続けるためにも苦楽を余すところなくもったいなく味わい切ることこそが人生では大切なのであろうとも思う。

思い通りいかないのは、まだまだバランスではないからでもある。
自然体まではまだまだ遠いほどに、足許の実践を楽しめということである。

自分がゆらゆらとありながらも回転、循環していくように主軸は常に一点を捉え流れながらも楽しんでいる子どものようないのちの輪の中でいのちを味わい尽くすのである。

この地球の上にいるのだから、偉大なる明知、その直観を信じて、様々な奇蹟を子どもたちと一緒に織り成しつつ今を和みつつ心底楽しんでいきたい。