縦横平等

オランダへ学びの旅に伺ったときに現地の保育の大会に参加したことがある。

その大会はカレイドスコープ、鏡だということがテーマに教育関係者が集まり様々な実践での学びを報告し合っている様子があった。

そこでは子どもを中心に子ども主体の理念の学校が集まり、子どもから考えた時の問題を忌憚なく語り合い学び合いそれを次にどう生かすか自分たちをどう練磨するのかを産学官が平等に一つの理念のもとに自由闊達に意見をしあっていた現場があった。

そこで出会った企業の方々も皆、明確なポリシーと理念があり互いに未来の社会問題の解決に向けて真剣に意見し改善すべきを議論していた姿もあった。

私たちの国は、産学官を縦割りにし上から一方的に降ろすという指示命令型の社会を形成してきた。縦横が織り成すというようなマネージメントやチームビルディングといったことを取り除くことで議論もなく一気に急成長させたのだろうけれどそれは今まで我が国の下地に和の精神があったからできたことでもあった。

その和を取り崩してまで急成長させる理由は諸外国との競争にあったことは記憶にも新しい、しかしそれが終焉した今、戦後にもう一度原点からこの国の理念がどうだったか考え直した時があっただろうか。

企業は目先の収益に躍起になり、長期的な目線や、根本的目線、多面的目線といった何のためという原点を見失い、官僚はお役所仕事というように現場から遠く離れた虚像の理論を押し付け、学は派閥や利権、また知識の刷り込みにもっていかれ本質からも遠ざかっている。

社会を作り出す側の立場の人たちが、子どもを見守る側の周囲のものたちがなぜいつまでも自分のことばかりを優先しいがみ合うのか。

それは和の心をもう一度、ここで学び直すことを意味しているように感じる。

私たちはもともと何か大切なものを真ん中に置いて、理念を一つに惜しみなく協力し合うという大和の精神が心に沁みついている。

何かの災害があれば、何かの協力を要請すれば、国民は本気で惜しみなく自己犠牲を発揮し喜んで命から取り組める民族ではないか。

それを信じないのは理念を語らないからである。

もっと理念を語ることが大切で、どんなことを語るにもまずは心からの理念が先でその後に具体的な行動や形にするのが誠実さでもある。

私も立場では企業ではあるけれど、そういうものに囚われない自由な立場、世直しの立場で型にハマらない独創的なことをこれからも貫いていきたい。誰かが分けた肩書や先に決めつけられた役割などは表面上のつまらない違いを際立たせるだけであまり意味がないものである。

だからこそ、子どもの前に立つ大人として正しい自分を貫けるようまだまだ力を蓄えていきたいと思います。師の背中を見つめながら利よりも義を実践していくことを尊び重んじていこうと思います。

気づくことが沢山あり、本当に学びの深淵さにいつも心から感謝しています。

まだまだ気づいていないことが沢山あるはず、もっと観察眼を磨きさらなる自然を科学をあるがままに見抜けるようにしていこうと思います。