成長とは

昨日、カグヤの役員で税理士の方の誕生日会を会社で行った。

毎月、カグヤでは誰かの誕生日をいつも祝っていてともにご縁あり一緒に働けるということは本当に幸せだと感じることばかりである。

私たちの会社では、誕生日の方に「ハッピーポートフォリオ」というものを作成し、その人の成長を皆のメッセージと共に本にしてプレゼントする。あわせて皆の手作りの料理やケーキで一緒にお祝いをするという具合に共に同じ時間を楽しんでいる。

人は自分だけではなく周囲も含め、生まれてきて善かった、生まれてきて有難うと思える実感から人生の意義深い妙味を感じることができる。もしも生まれてきていなかったらと思うと、すぐに出会えて本当に善かったと誰とでも思えることは人は繋がりの中にある喜怒哀楽の感情そのものも皆の人生の一部であることを実感できる。

繋がりから様々なことを感じ、味わい、気づいていく日々は感謝、感動、感激の毎日であるのだ。出会いの人生は本当に味わい深く、人は様々なことに出逢い成長していくのだと一期一会を確信できる。

さて、誕生日の感想を本人と話をしていたら「自分ではあまり変わっているかどうかが分からず出会ったから10年どれだけ成長したのだろうか?」と聴かれたので私はこう答えた。

「私は成長とは、人は何かを足していき何か凄いものになるという風に思っているのは勘違いで、成長の本質とは様々な刷り込みが取り除かれ歳相応に削り取って最終的には素のままの自分、つまりは自然体になっていくようになるものではないか」と思っていると。

それは自分がどこか無理をしてどこか本当の自分ではないと、そうなろうと自分がもがいていく。変に身に着けた過去の様々な教養や体験が邪魔をして消化不良を起こし、そのためにおかしな自分になってしまっていることにも気づかず葛藤を感じてもっと成長をしたいと望み生活をしている。

そういうものが学び直しや削り直しといった元に戻る生長により、歳相応に本来の自分を取り戻していき融通無碍の一体の境地に入っていくことが素直な自分、真に成長をした自分ということになる。

その年齢に必要な素直な学び、善い歳の取り方をしていくというのは生き方としての自分の心に素直に応じて従い自然体になっていくことをいうのではないかと私は思っている。

たった一度の人生、いつになっても善い歳の取り方をしていきたいものである。

子どもからの本当の自分をいつまでもあるがままに大事にしていきたい。