自立の本質

自立するということの最も大きな壁に、怖がるということがある。

焦る気持ちから、何度練習してもまた試してみればみるほどに大きな壁が現れさらにまたできないという感情が自分にはできないと挑戦するよりも怖がることを優先するようになる。

怖がるという行為は、自分への甘え、自分への不信、自分への不誠実など今まで自分に対してやってきた責めや後悔などが積もったものが恐怖の気持ちを創りあげてきていたりする。

これは悪循環で、そもそも責めるのは逃げることになり甘えになっているということに本人自身が気づかないだけである。好循環を生むには、甘えを断ち切ることが攻めることになりそれがもっとも自立するには効果があるのである。

きっと誰もが見聞きしたことがある物語に「アルプスの少女ハイジ」がある。

この物語の最後の感動シーンの中で、クララという歩けない少女が立ち上がるシーンがある。このシーンは何度も放送されたりするから、見たことがあると思うけれどその中で自立ということの本質が描かれている。

ちょっとした事で何かに理由をつけて練習をやめようとする弱気なクララを見たハイジは泣きながら下記のようなことを言う。

「クララのバカっ! 何よ意気地なしっ! 一人で立てないのを足のせいにして、足はちゃんとなおってるわ、クララの甘えん坊! 恐がり! 意気地なし! どうしてできないのよ、そんな事じゃ一生立てないわ! それでもいいの? クララの意気地なし! あたしもう知らない! クララなんかもう知らない!」

そう叫んで駆け出したハイジを見て、クララはハイジを追いかけようと思わず立ってしまう。

誰かにいつも甘えて助けてもらおう、可哀そうだと同情してもらおう、できない自分をわかってもらおう、こんな自分だからと知ってもらおう、やってもこうなんだと伝えようなどといったクララが抱いていたすべての甘えを、純粋無垢なハイジが泣きながら駆け出したことで自分を信じきってくれている人を失いたくない一心で追いかけようとしたとき咄嗟に立ち上がることができたのであろうとも思う。

クララのように周囲は最初からその人が怖がらなければ自立できることを信じているけれど、本人が最期まで自分を信じようとせず自分ができない理由ばかりを周囲へ押し付けて自分から信じようとしないから甘えが出ていつまでも立てないのである。

自分でできる人が自分でやろうとしないのは、全てにおいて自分以外に甘えているからである。自分以外に甘えないと周囲を信頼するのをやめることは自立の勘違いでそれこそが甘えている証拠なのである。

甘えを断ち切るというのは、自分から信じることである。
自分から信じる事は、甘えないで自ら立つことである。

怖がらずに挑戦すること、自分から最期まで諦めず遣り切ること、人に心を開いて素直に確認したり頼れること、それは全てに自分を自分が信じることである。

信頼関係とは、自分を信じているから安心して頼ることができること、それができるかどうかはまず自分の姿勢が甘えを断ち切れるからできるのである。

誰だってみんな昔、色々と体験して傷ついたことがあるのだと思う。

例えば周囲から早く立て立てと焦らされて信じるよりもプレッシャーで期待に応えられずよりできないと思い込んで怖がっていることもあるのだと思う。

しかしその時のことに囚われ、周囲に矢印を向け続けるよりもなぜ自分に矢印が向かなかったか、それを反省することは大切な自分との正対になる。

その当時から周囲は自分をずっと信じてくれていたことに感謝し、恐怖を拭い去り自分が自分のあるがままを受け容れていつかは立てると信じていくこと、それを何度もやっていくのが自立の本質なのである。

人は何歳でも変わることができる、そしてそれは自分が決めることでできる。成長を見守り、本人がいつか自分で立てる日を待ち遠しく楽しみたい。

子どもたちの模範になるように、乗り越える力を実践していけるように挑戦をする心を育てていこうと思います。