一視同仁

モノゴトを平等に感じる力が備わってくると万物と一体になる感覚がある。

色々な違いがあろうが、それが一視同仁にすべてのものをあるがままに捉えていけば兼愛無私の気持ちが湧き上がってくる。

王道としての正しいことなどの法則と、人情としての様々な筋道などの心の機微の善悪などもまた同じく一つの思いやりであると私は思う。

天道地理義理人情すべてを感じて許していく優しい心が私たちの中には具わっている。

互いに違いがあるからこそ互いに人間としての真の素養や徳性も磨いていけるのだとも思う。

人はそれぞれに同情の中で感じると互いに仕方がないと思えるような許し合えることがたくさんある。

忙しくて余裕がなかったり、境遇が厳しくゆとりが持てなかったり、大変なことが続いたりと観ていて居た堪れなくなることも多々にある。変わってあげたいと思っていても本人のことだからそれが自分にできることは本当に少ない。

そういう時は心を籠めて思いやり、同じ情の中で無垢に共感することしかないこともありそこからまた真の祈りや信という行動に移していくことが真摯に生きるということになるのであろうとも思う。

素直な心になれば、全ての人からの話にはまったく否定するものはなく他の人の色々な方針の中から真心を感じられ、それをまた自分や誰かのために愛を籠めて謙虚にいただくことも一体感になる。

似た話で少しだけ逸れるかもしれないけれど、松下幸之助に下記がある。

『私は、会社の社長というものは大いに同情すべきものだ、と思うのです。みなさんが、会社の社長というものは大いに同情すべきものだ、ということがだんだんわかってくると、その会社は必ず栄えます。もしかりに従業員の方がたが、社長は遊んでいる、何もやっていない、あれはあんまり働いていないのだ、働くのはわれわれなのだ、というような考え方を持つようですと、私の体験から申しますと、その会社はあまり速やかな発展はしないように思うのです。これは国家についても同じことがいえます。過去の歴史をたどってみても、発展した国、発展している国の過程には、やはりそういうことがあります。いわゆる大将と申しますか、その指導者が尊敬されずに、敬遠される形において、その国なり、団体が発展した例はありません。それはまことに顕著な事実だと思います。ですから、みなさんはまず、社長というものがいかに忙しい仕事をし、いかに重大なものであるか、ということを知っていただきたい。社員学の第一歩は、私はそれから始まると思います。そういう社長の苦悩というと少し語弊がありますが、社長の立場に同情を持てる社員が何人いるか、ということによって、その会社がどの程度の強さであるか、ということが判定できると思うのです。」「社員稼業」より引用

一体感というのは、兼愛無私に相手のことを自分のことのように感じる事でありそういうところから素直な自分が寛容の気持ちで一つの思いに共感することができるのであろうとも思う。互いに互いの立場を慮り、寛容の心で許し合い認め合い助け合うことを優先することが思いやりになっていく。

私はまだまだすぐに余裕がなくなり何かがあると、すぐに偏り相対的なところでの認識から一視同仁の眼差しを見失って忘れてしまうことがあります。

相手は自分のことを真に思いやり愛してくださっていること、その真心で感情的にもなっていること、そういうあるがままのすべてのを天の声の一つとし、日々新たに気を引き締めて今日も一期一会の脚下の歩みを確かにしていきたいと思います。

瑞々しい素直な澄んだ心で、大空を仰ぎ見、蒼天の彼方にある星々とともに緩やかに穏やかに静かに光輝いた人生の道を深く楽しみたいと思います。

これからも優しく子どもたちに親しんでいくことを大切にしていこうと思います。

有難うございます。