向き合う

人はどれだけ深く物事を掘り下げることができるかというのに、自分自身との正対というものがある。

自分の心に正直に、自分が一体何をしたいのか、自分とは何か、そしてその自分が参画している社会や組織に対して、本当はどうなのかということを考え抜き考え切るということは、相手の反応を見て右往左往するのではなく自分自身との向き合い方そのものが堀り下がっているということになる。

よく深い人や浅い人という言い方があるけれど、深い人とは常に自問自答をしながら悔いのなきような決断を連続して決定して納得いく人生を歩もうとしている人が多く、浅い人とはその場の雰囲気に流されたり気分次第で意見をコロコロ変えたり、つまりはいつまでも優柔不断に決断を避けるという言い訳や他人のせいにしいつまでも自分と向き合おうとしないで逃げる人であることが多い。

人生はそのまま何もしなくても日々に時間と同じく流されるものである、だからこそただ流されないようにどんな些細なことでも自分が決定していこう、納得していこうとする日々が真に充実している日々だということになる。

忙しいという業務のせいにして、考えないというのはそもそも考えたくないから忙しくしたいだけであることが多いのである。

つまりは向き合いたくない、不安だからこそあえて流されようとするのと、自分で決めて納得しているから流れようとするのでは、その人生をどれだけ自分のものになっているかどうかの差が出てしまうのである。

人生の幸福とは、自分の人生を自分で納得するように自分らしく生き切ることであると私は定義している。

向き合うということは、深掘ることであり、逃げないというのは、正直で素直でいることであり、正対しているということは、本質であるということである。

色々なことが起きると、考える時間がたくさんある。

浅く広く流されるのではなく、その一点その一心を深めていくことを大切にしていくことだと思います。