使命感

人生はどんな目的があって今があるのだろうか。
人は何のために生まれてきたのだろうか。

そういうものから自らの人生の意義、つまりは自分の決めた生き方とも言うべき使命というものを考えるのだと思う。過去はどうであれ、今この瞬間にも、その生き方というものは万人に等しく自由に選択をすることができるもの。

生き方とは自分の存在や自分の価値をどれだけのものだと自ら信じているか、自分の人生をどれだけ大切にしようとするかというべきまず自らの命そのものに対する責任と自覚のことだと私は思う。

例えば、仕事も同じく責任感や使命感とはその自分の役割や任務の価値にどれほどの誇りと意義を持ち働くかということも同じである。生き方と働き方とはまったく同じものであるからである。

もしも今の自分を偽り、自分を欺き、自分を蔑にすれば、不正直になりいつもその因果応報の結果として自分の命の責任をも何かに転嫁するような生き方や働き方になってしまう。

本当に自分が遣りたいことは何か、それはその自分の命をどう使うかを決めるか、つまりは使命感がどうなのかということでもある。

人はいつも使命を覚えるとき、自分の命の本体と向き合うことになる。
その本体とは、偽らない自分の本心のことであり真心のことである。

そして真心から生き方を決めたらその「志」を自ら立てるかどうかが重要になる。

自分が志を立てるということは、自分がその生き方を使命を果たすために遣るということを決めるかということである。

人生と仕事、人生と役割、人生と使命、人生と貢献、等々、人生そのものと全てのことを一体にしていく覚悟のことである。

誇りを持って生きることは、自信を持って生きる事である。
自らの心に問うのは、使命感なのである。

そして人は使命感を持つかどうかということが、自立の本質となる。

この生まれてきた命をいったい何のお役に立てるのか。
その役目を如何に大切に果たす覚悟であるか。

生死を超えたところで、使命感が信念となり、芯強く嫋やかになるのである。

至誠の源、大和の魂、我が心中にこそ在り。

先達の人生の志士に見倣い、私たちは篤い真心で生きていこうと思います。